自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

オス同士で子供を?実現可能な話

2023年04月10日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

生命力の不思議・・2023年4月11日

********************************

 

オス同士の間で、マウスの

子供が数匹、世界で初めて

日本の実験室で生まれた

と、4月6日の午前中

のNHKの番組で放映していた。

生まれた子供たちは、正常に

育っているということで、

絶滅危惧種の保存の観点から

世界中の生物学者の注目を

浴びているようだ。

その仕組みは、オスの細胞から

万能細胞を使って、卵子を造り

それを、一方のオスの精子と

掛け合わせ、受精卵をつくり、

最終的には、メスの卵巣に移して、

産ませる~という。

しかし、成功する確率は低く、

数%程度だったかと、記憶して

いる。

 

人間界でも、同性婚が普通に

認められたり、男性でも女性でも

ないという’性’のジャンルが

社会的に確立されたようだ。

2015年には、渋谷区と世田谷区が

同性同士のカップルを認めている。

データによれば日本人の50人に

3人ほどは 同性に惹かれ、反対

の性の資質のほうが、自分には

適合していると感じていると

いう。

遺伝子をみても

ヒトの遺伝子の構成をみても、

男性的資質と女性的資質を

持ち合わせているから、男っぽさ

とか女っぽさの多様性は、誰もが

感じているはずだ。

実際に、両性の限界を超える

事に、時間がさほどかからない種

も存在している。

それは、’両性具用’といわれ

環境や条件によって、雄が雌に

なったり、その逆もある。

’オフリオツロカ’という 

体調数ミリの虫は 海にすむ

ゴカイの一種だが、種の保存

のために、オスがメスに変容する。

この虫のメスとオスの違いは

環節の数でメスは30、雄は15

以下だが、メスは産卵後に、体力

が消耗して環節数が減っていく。

反対にオスは肥えて環節数を

増やしていく。 

すると、その時点で限界領域

の境界線を越えて、オスは

メスになってしまう。

このような変化を一生のうち、

何度も繰り返して、役割を

分担しながら夫婦生活を

しているのは、同性婚以上の

神秘性がある。

 

今朝見たテレビの内容によると、

マウスのオス同士で子供を造る

実験が、他の哺乳類やヒトの世界

でも理論上は可能らしい。

が、やはり、遺伝子操作で、万能

細胞から受精卵がオス同士間で

造れても、出産は女性しか担えない。

しかし、女性と女性の間に 

この実験は行えない。

遺伝子の構造上、受精卵は

生理学的に無理らしい。

科学の著しい発達をもってすれば、

あと、10年後には、その可能性

が出てくるということだが、結婚の

意味がますます、多様化しそうだ。

 

 

******************************

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やった!!快挙、嬉しい気持ち

2022年12月02日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

どうして、こんなにドーパミンが出て元気になるのでしょう。

これまでダレにも負けないくらい、苦しんで練習してきた~

というある選手の言葉から今朝の試合を、注目してました。

 

朝4時10分過ぎに、先制点を入れられて、眠気が勝って、

このまま負けを観たくないと弱気になって、テレビを消して・・

 

この記事(上)を、見つけたときは、興奮。

前回、ドイツに勝った後の、負け試合はどこかに油断があった

のかと・・今回は緊張が張り詰めた中、これまでの練習成果

十分、発揮されたのでしょう。

 

チームワーク、観客との一体感、選手たちの努力、日本人の何か

”精神力”、そして、運の良さが全部、かみ合った、今日の試合

でしたね。こうした良い興奮は、癒しの原動力ですね。

ありがとう。チームニッポン。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウルメート

2022年05月08日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

昨夜11時にT君に電話をした。

スピリチュアルな刺激が欲しく

なったからだ。

 

”いいタイミングでヤスヨさん、

電話くれました”

と電話口に出た彼とたわいない話を

しながら、

”そうだよな~これって、すごく

スピリチュアルな事、話してるのよね!”

と、最後に私。

 

ずーっと、会話中には、左半身に

さざ波のような、電気(エネルギー)

を常に感じながら、

一時間半も気が付いたらたっていた。

 

どんな内容だったか、かいつまんで、ご紹介したい。

 

① 自分のアンテナの周波数を広げたい

周波数、というのは、簡単に言えば、

価値観のこと。

自分の価値観は、誰もが持っているけれど、

これが正しいと固執してしまうと、

他者の価値観をジャッジして、時には、

受け入れられないだけでなく、他者の

行動や言葉を、誤解して非難や、

拒否が生まれやすい。

 

彼も仕事柄、いろいろな人たちと

接するのだが、自分に厳しい反面、

他者にもそれを無意識に求めて

いるので、心の中で葛藤が絶えないという。

 

”病は気から”と言いますよね・・と

彼はいう。

”病だけでなくすべてが、気からだよね”・・

と私。

気って? 気っていうのは、波動だよね。 

言葉や行動や空気やすべてのしぐさに

相通じる、流れている、波動だよね・・・

フムフム、そうですね、納得です・・と彼。

 

②痩せたんですよ、5キロ。ええ、

自分で料理つくって外食を控えて、

食べ物をコントロールすることで、

血圧も下がったんですよ。

”どんな食べ物が効果あったの?”と私。

”青魚ですかね。医者が高血圧の薬を

出すっていうから、自分で食生活から

改善したいのでお断りして。

そしたら、正常になりました。”

 

でも、なかなか、思うようにはいかない

・・・ついつい、ダメだと思う高カロリーの

好物の食べ物を、腹いっぱい食べて・・

”意志が弱いんですかね? 

必ず、コントロールすれば、結構、

いろんな身体のトラブルは

解決できることが わかっているん

ですけどね・・”

 

③ 最初の話題に戻って・・・

”キリスト教の牧師さんに言われたん

ですけどね。

葬式に出て、泣いてはダメだって。

新しい旅立ちなので、笑って見送って

あげなさいって~

そんな価値観もあるんですよね。”

 

私:”そうそう。私も神様式に、

すべてを受容できたら、いいなって

思うときがあるのよ。”

 

彼:”神様って、キリスト教とか

仏教とか関係ないっすよね。 

神様は、この地球の上の悪人も

善人も、平和も戦争も、自然災害もすべて、

受け入れているみたいに見えるときが

ありますよね。”

 

私:”うん。神さまは、ただただ、

微笑んで、それらの事象を見て、

祝福を与えているって

考えたことある?

牧師さんのように、死んだから、

かわいそう、被害者だ、不幸だ・・

という前に、死ぬ瞬間

それが天命だとしたら、神様は苦しみなく、

どんな人でも救い上げて愛で包み込む・・

 

これね、飯田史彦先生という臨死体験

をした方から、教えていただいたこと

だけど・・

死んだら、もう地上に帰りたくなくなる

ほど、すべてが楽になって、痛みもなく

なって、いろんなことが悟ったみたいに、

見えてわかって、自分が愛の中心にいる

存在だっていうこともわかって・・

だから、地上の価値観で、死は不浄だ

とか、不幸だとか、一概に判断すること

は、あまり意味がないのかもね。

 

それで、神様も笑って静観して、すべて

を受け入れているのかもしれない・・ね。

そんなことを考えると、少し、自分の

傾いた価値観を中道に戻せそうな気がしてね。

 

④ 求めることが多いんですよね、

オレって。と彼。

 

”私もよ。電話します、と言って、

なかなか連絡ないと、少しがっかりしたり

するのは、相手に、電話するって言ったの

にどうしたのかな?という気がかりと、

電話が欲しいという求めがあるのに、

気が付いたのよ。

そういうときは、求めている代わりに 

与えたらよいということにも気が付いたのよ”

 

”同感。自分も最近、求めるより、与える

ことの意味が、分かってきたところなんですよ。

そうですよね。”

 

そんなこんな・・・ほんの、会話の、

ヒトこま・・・

彼の、真摯に、自分を見つめて、

高めていきたいという、意欲の片鱗が、

介護で少々心身疲れていた私には、

とても、癒されるものでした。

 

”ヤスヨさんの言葉は、ダイレクトに、

心の直球で届くので、受け取りやすいん

ですよ・・”

 

”ありがとう、私は 人間が下手だと

いわれるくらい、言葉が直球なので、

相手によっては、尻込みされたり、

づかづか心に上がり込んできた迷惑さ

を感じたり、そのまま 意図した

ことが伝わらないことがあるので・・

ありがとう” と私。

 

”いえいえ、こんな会話をたまにすると、

俺も、楽しかったです。と同時に、

目線が少しまた、変わってきました。

これまで’点’だった気づきのいくつかが、

今日話したら、全部がつながって、

’線’になりましたよ。”

 

最後に・・

”これって、すごい、スピリチュアル

な話なんだよね。 

自分の内面を見つめて、それを

グレードアップしようとして、

しかも、神様につながるというお話こそ、

スピリチュアルな話だと、私は思うのよ” 

と私。

 

”うれしい~すね。俺もスピリチュアル

なんですね。”

はい、みんな、本質は、とっても

スピリチュアルな存在なんです・・・・・

 

以上

 

********************

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幽体の私から幽体のトラが逃げて行った!!

2021年04月22日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 

2012年4月23日 虎さん バイバイ   2021 4/22

****************************

動物写真フリー素材tiger に対する画像結果

① 以下③で平成25年に発表した記事を皆さん、

読まれたでしょうか?

これはとても私的体験です。 

自分の心の檻中にいる虎が、突然、雄叫びをあげて、

暴れ出すのです。 

始末に負えないぐらい、私はそのたびに不安定な心持に

さいなまれていました。

 

初めて平成25年に発表して、それから4年前にも 

同じ詩をあげて、再考しています。

肝腎な詩で表現されている”虎”の内容は一字一句、

最初の原稿と変えていません。

変わったのは私の心です

 

何故 トラ? 虎は私の心の中にいた、怒りや苛立ち、

欲求不満や焦りのような観念の象徴です。

10年前以上、インドの家を引き払うとき、このブログにも

たびたび登場する、同じアパートの一階に住む霊能力者の

セラピー・クライアントMrs.Bedi からこう言われたこと

があります。

 

”スダの幽体は、半分は真っ白、半分は虎の顔が見えるの。

虎は放逐した方がよいわ。これが私からのあなたへの言葉”

 

それは、突然、インドの住み慣れたアパートから、半永久的

にお別れする時に言われた言葉でした。

鳥肌が立ちました。

何故って、それはわたしにしか 知らないはずの、私の奥底の

心の秘密でしたから・・・

 

でも、あることが私の心の中に変化を与えてくれました。 

私にとってはとても大切な方(人だけとは限りませんよ・・)

の強い祈りと祝福が私を替えてくれたようです。

 

それは、また、機会があったらお話ししましょう。

そして、私自身、 虎を持てあましながら、数十年の間

さまざまな試みをしてきたことは無駄ではなかったのだ

と思います。 

 

ちょうど、フラスコの中の塩を溶かすのに、温度を上げて

行くと、飽和点ですっかり融けきってしまうように、虎は、

私の心にぼぼ、半透明の状態で今は、無害な影だけを

のこしています。

 

心は変わります。

どんなに嫌な自分の性格でも、必ず、変わります。・・・

と今、私は、体験したばかりなので皆様にお話しできます。

 

②にはまだ、虎に翻弄されている時の私の記事、

③には、この虎を初めて、言葉にしたときの記事を載せて

あります。

 

追記です・・どうして、虎がいなくなったのか、確証が

あるのかって?

それは、先日、このブログで登場する私の大切な友人で

霊能力者のRさんから、朝、電話が入り、

 

”昨日、あなたが虎と一緒に、私のところ(夢というか、ヴィジョン)

に出て来て、虎が私を威嚇するように吠えているの。

大丈夫?何かあった?”

 

というので、今お話ししたような、事の顛末を話すと、

”ああ、虎の最後のあがきだったのね。”とその霊能力者も

納得した次第でした。

 

そして、”きっと、力のあるかたがあなたを浄化して

くださったのね・・”ともいわれ、早速、心当たりのあるかたに 

そのお話しをしたところ、Rさんの言葉は当たっていますね・・

ということで、虎さん解放の確認がとれたという次第です。

 

付け加えさせていただけるのなら、何より、平和で穏やかになった

心の有り難さを味わっているところです。

 

② 虎の咆哮(ほうこう): 

自分のマイナスメンタル意識の清算行動か? 2017.7.5

 

*************

 

” 自閉症スペクトラム‥自分は第二自我意識が芽生えた

中学生時代から、自閉症症候群の性癖を持っていたようだ。 

学校で、家庭で、それに気づく人はいなかったが、常に、

心の中で野獣(虎)の雄たけびが聞こえてくるような

場違いなもう一人の自分を意識していた。

 

同世代の友達と一緒にいても何を話していいか

わからず、口に出る一言は”変わった人”という

レッテルを貼られるのに十分だった。” 

 

この上の記事を投稿した4年前は、最大の小自我を 

虎 になぞらえていた。

 

また、折々に感じる不安は他者の不幸や不安と

連結しているものだと考えていた。

さらに、人は大体が、その場しのぎで、不安を酒や

物質的享楽で紛らわしているが、自分のメンタリティー

も大差ないことを自覚していて、自虐的批判に

満ちていた。

 

彼らの事を、”飽食を甘受する人”と呼び、感情を制御

できない人を、次の詩の中では、”心の動物園の檻(おり)が

開いて逃げ出した猛獣たちに占領された人たち”と呼んでいる。

 

今は、当時と感じ方が変わってきている。 

猛獣達の幻影は影をひそめ、もし、たまにばったり出会っても、

通り過ぎるのを待つだけだ。

そのたびに暗い心持になるより、飛翔して、明るい自分を

保持している方がよっぽと難しくはあるが、

意義あることだと感じるようになったようだ。

 

 心の檻(おり) 平成25年1月28日初投稿

 

*******************************   

 

動物写真フリー素材tiger に対する画像結果

 

最近、パンドラの箱をあけてしまったのか、いろいろな 

雄叫(おたけ)びが 心に こだま しているのです。

 

”心の動物園の檻(おり)”の箍(たが)が はずれて

しまったようなんです。

月が満ちてくると、檻から、抜け出した野獣たちが 

私の心を自由自在に動き始め、満月に近づくにつれて、

彼らの雄たけびがますます悲痛に こだますのです。

 

時々、月の光に、一瞬、 大きく開いた口が、牙をむいて、

何かを、飲み込もうとしているのが見えます。 

ええ、昨日、デニーズでお話しした、A さん、

あなたの言葉も聞こえてきます。 

 

”すべては、合わせ鏡ですものね。” って・・・

 

そうなんです。 

彼らは 実は、私なんです、きっと。

                                                                                                                 人の心は ”動物画”のモザイク張り。 

猫やウサギやハイエナ、ナイチンゲールやオウムまで。

 

”猫”をかぶることもできるし、”兎”のように、つぶらな瞳で、

無垢に装うこともある。

ある時は、獲物を狙う”ハイエナ”のように、抜き足差し足。

 

美しい”ナイチンゲール”の夜明けを告げる鳴き声で、

あたりを、魅了させるかと思えば、

時には、”鸚鵡(オウム)”のように、意味のない言葉を 

仰々しく羅列して、喚(わめ)き散らしてみたり。

 

ええ、昨日、デニーズでお話しした、Aさん、あなたの

言葉を思い出しました。

”これからは、独り立ちしていかないと、生き残れないです

よね、もちろん、霊的に、精神的に・・” という言葉・・・

 

”同感です”って答えましたっけ。

独り立ち?”動物モザイク” の寄せ木のような 

心模様(こころもよう)・・

それを、統一している自分が ”自分” ですか?

 

それとも、統一させて、独立していると思っている 

この”自分”も もしかしたら寄せ木の一部ですか?  

”統一している”と思っていること自体、

”妄想”ですか?

独り立ちって何ですか? 

 

虎がささやく・

”私を開放できるときだよ”

 

さてさて、月明かり、真夜中3時、外に出てみよう、

冴えわたる月光の下、

彷徨う トラが 鏡のような、月にむかって、振り向いた

 

おとなしい ”兎”が土の下で眠る。

こざかしい ”フクロウ”が 木の上で様子を見守る。

天空には 無数の星があるはずなのに、今は、何も見えない。

 

”トラ”が また、月の下で、牙を出して、声なき唸りを

上げ始めようとしてる。

 

静けさ・・ただ地球のあちこちで、悲しいすすり泣きが 

かすかに響いている。

 

その鳴き声はだんだん大きく塊のようになって、

いつの間にか、虎の開けた口に吸いこまれる。

 

シリアの難民が、 内戦で親を失った罪のない子供たちが、

アルジェリアの無機質な打ち合いの目撃者が、

貧困で子供を売られる母親が、アフリカで 痩せ細った

乳幼児たちが・・・

悪夢の中で夢うつつに絞り出す、すすり泣き・・・

いつの間にか、不条理の摂理のガス に覆われていく・・

この世界は、悲しみ模様。

 

様々な ”涙模様”の寄せ集まり。 

人の心は、”心の檻(おり)の野獣”に占領され、

手も足も出ない豊饒(ほうじょう)と飽食(ほうしょく)

に 慣れっこになった 肉体と心。

 

”Please! Do not disturb” 

(お願い!!ドアをノックしないでください)のプレートを 

心の外にぶら下げよう。

 

雪で洗われた、月で照らされた 心野原の霊妙さを確保して、

しばし、落ち着かない野獣たちにも味わさせよう。

雑念も、欲望も、入り込まないで。お願い、ドアをノックしないで。 

 

だれにも  心の中の、野獣の牙を見せたくないから・・・

 

”あんた、そうこうして、もう、何十年たったんだっけ?!” 

牙をむけたトラは 私の目を見て、声なき声で問いかけてくる。 

”そろそろ、出してくれないか!” と虎が吠える

 

”あなたが、牙をむかなければ、そうしたら、ドアを開けてもいいわ。” 

と、やっと答える私。

”詭弁だね” トラは せせら笑う。

”今開けなくて、いつ、開けられる?” 虎は聞く。

”開けたくても開けられないのよ” 

とジレンマで私も 一緒に叫ぶ。

 

トラは再度、怒涛の声を 喉の奥から絞り出す。

”お前は内の静けさ、を求め、オレは外の自由な世界 

を求め、ちょうどよい。

オレが外に行けば静けさが戻るのだから。

 

”ドアを開けてくれ!”  

”ドアを開けて オレを解放してくれ!”

”オレの首にかかった、この鎖を外してくれ!” 

”オレは帰るところに帰りたいだけだ!” 

 

とうとう、夜があけた。陽が昇る。

動物園のざわめきが、一瞬のうちに、消えていく。

何事もなかったように、すべての動物の檻が閉じられる。

 

意識は目覚め、人は、”蟻”(あり)のようにモザイク張りの 

パズルに向かい 動きはじめた。

豊饒の中で。

飽食の中で。

慣らされた肉体の手足を動かして。

 

私の心は、まだ、パズルを はめ込む主(ぬし)の手を

懸命に探している。

星が出れば、見えるかも。

月灯りでわかるかも。太陽は眩しすぎて。

肉体は忙しすぎて。

 

夜になって、トラの雄叫びに耳をふさぎながら・・

昨日の眉間のしわがまだ消えていないのに、

眼を細めて探し続けるだろう。 また月が昇って来た ~

”虎がお前だ”

”お前がトラだ。” 

”お前が私だ。”

”私がトラだ。”

 

昨日のデニーズで会ったAさんの言葉が 心に

蘇(よみがえ)る。

”そう、ゼロにして、もう一度、リセットする

ことも 必要よね。” って。

 

”リセット”? 

寄せ木細工の心のパズルを逆さまにして、全部バラバラに

してしまうということ? 

わかった。

そうしよう。リセットだ。

 

そうつぶやく私の心で 檻(おり)の中で寝ていたはずの 

トラの瞼(まぶた)がピクピク 動いた。

 

疑惑の眼(まなこ)を そっと 開けた・・・・・

 

”オレを、どうするつもりだい?” 再び 咆哮!

心を飲み干してしまいそうな、大口をあけながら・・・

 ”自由よ! リセットできたらお互いに自由になるの。” 

 ”ゼロになったら、うまくいったら・・・”

 私の声はか細く、虎の口に吸いこまれていった


***************

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びインド・デリーにいます!

2018年10月27日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 

Nada Braham の世界とspirituality  2018/10/27

*****************************************

私のシタールのグルジー(師匠)の父上、

在りし日のVilayat Khan ダダグル(師匠の師匠)

 

皆様、この原稿はインドにたつ10月20日以前に書いたものです。

本日、27日、パソコンを持参しませんので、ブログを書くこと

ができない状況で、インド・ニューデリーの地におります。 


私的で恐縮ですが、7月に私の古巣のアパートを処分して、今、

身軽に、シタールだけをもって、20年来のインド知人宅で、

11月中旬まで過ごすことになっています。

 

目的は、私のインド古典音楽の師匠(グルジー)である、

Ustad Shujaat Khan師の文字通りお膝元で、

Nada Brahamの研鑽をするためです。 


Nada Brahamというのは、Nada=音は、Braham=ブラハム神

(印度で宇宙創造の神とされる)の象徴であるという、

”音の持つ神髄”をさしています。 

つまり、インド古典音楽の中枢である、精妙な音、魂に響く

本質の音を自分で表現できるように~という目的です。

 

インドにおける、芸術は、歌唱でも、踊りでも、楽器演奏でも、

すべて、‘神に捧げる’という目的で、有史以前から、存在して

いたと言われています。

紀元前5千年前に記されたといわれる、サーマ・ベーダなどには、

インド古典音楽の規律と,大自然の運行に影響を与えられた

音の組み合わせ、音を分解した音の要素(シュルティ)、

たとえば、ドとレの間に、いくつものまた、細かい音が存在

していること、自然の一部である人間の有機体に添った

演奏時間と音階、リズムなどが、実に詳細に決められている

ことは驚きに値します。

 

私事で恐縮ですが、私の師である、Shujaat Khan師の師匠が、

実の父上である、Vilayat Khan 師です。 

まだ、インドでデリー大学大学院の研究生だった20年前、

Vilayat Khan 師のおそばで、ステージ前、何回かご一緒に

座らせていただきました。

寡黙に,舞台に上がる前の半時間ほど、弦の調整をされていました

が、そのたたずまいといい、指ではじく音の響きといい、

特別のオーラを感じたものです。


Vilayat Khan 師には、私自身、最も、この、ナーダブラハム

を感じることのできる巨匠として,限りない尊敬を捧げています。 

御子息のグルジーもご同感のようでした。


練習中、ふと、こんな言葉をもらされたからです。

‘自分の父にはまだまだ到達できない、自分の実力は父の音楽のまだ、

半分にもいたらない“という意外な感想でした。 

その時には、ご自身は、30代の初めでしたが、アメリカで発表した

CDが、グラミー賞の候補に挙がったほど、すでに世界的に実力

を認められていましたから。

 

グルジーと会う3か月前に、母を野辺に見送り、介護の責務が

終わったことで、落ち着いた心持で、10年ぶりでマンツーマン

でシタールの研鑽をさせていただきました。 

レッスンの中心は、音(ミーンド~弦を引っ張って引くことで、

本来の弦の音とは異なる音を出して、まろやかな旋律の繫がりを

創る)の正確性と アドリブ的に展開するインド音楽の

’音の発展性‘についてでした。 


それは、父上の特性そのままを受け継がれた、グルジーの手で、

Vilayat Khan 師の演奏の特徴(イムダッド・ガラナという

7代続く、シタールの演奏技法を連綿としてつないでいる一派)

の特徴的手法をご指導をいただき、感慨を深くいたしました。 

 

さて数回にわたり、ドイルのスピリチュアリズム研究に関し

書かせていただきましたが、最後に、私の考えるスピリチュアリズム

と音楽の関係を少しお話させていただければ幸いです。

“自分の本質を知る”という、内に向かう心の旅こそ、

スピリチュアリズムの道だと思います。


方法はいろいろあると思います。

このことと、宗教的な儀式はあまり、関係ありません。

儀式より、心と行動の問題~だからです。 心無い儀式は、

能書きだけ言ってその通り、作らない料理や、味=心のない

料理のようなものでしょう。


私の尊敬するヨギ(スピリチュアル的修行者で覚者)の先生が

ヒマラヤ山脈に籠って、野生の動物や冬の食糧が無い厳しい

自然状況に面しながら、ご自身のスピリチュアル力の開発修行

された体験を自著(*1)に、次のように語る一節があり、

ご紹介します。

 

“Risis, great men with awakened souls,

 who had once lived physically in the Himalayas

 and about whom Gurudev had referred in my third

 pilgrimage to the Himalayas, were ……. 

I was given glimpses of the lives and works of the lives

 and works of Chaitanya Mahaprabhu, Sant Gyaeshwar 

and Tulsidas and was directed to spread the parivrajak

 dharmacakra(reawakening movement) of Bhagvan Budda 

throughout  the world in the light of present circumstances

 through the medium of music, sankirtan and discourses of ……..

 

要約ですが、先生は、ヒマラヤの数々の峰を登りながら、

参度目のヒマラヤ奥地での修行中、自分のマハグル、つまり、

偉大なる師匠様が現れて、あるヴィジョンを見せられたと

いうのです。 


れは多くの聖者たちが集まり、仏陀の教えを、よりよく人類

に伝えんとして、光明化運動に着手されているというものでした。 


さらに、興味深いことに、その運動の手段の1つが音楽であった

ということなのです。

ここでは、キルタン(sankirutan)とあるので、神をたたえる歌

と、解釈した方が自然のようです。

一方、インド古典音楽が、神に捧げるものであったことから考えると、

タールなどを通じてのインド古典音楽も、この目的に、あながち、

ずれているものではないかもしれません。

 

さて、スピリチュアリズムの定義ですが、この方の肉体眼に見えない

師匠が(すでに幽体化しているようですが)、次のように告げた

というのです。 

My energy will always be with you in invisible form. 

Myself and the Risis will always remain and work with you. 

You will never feel any dearth or lack of spiritual power .

 In fact, it will increase five times.”  

私は目には見えない姿で、いつも他のリシ達とともに、お前の

傍らにいる

。だから、お前のスピチュアルな力が衰えたなどと、感じること

は絶対あり得ない。

むしろ、以前よりその力は5倍も、増加していることだろう。“


この先生は、霊視や霊能力、あの世のことや、霊媒的立ち振る舞いは

一切、なく、ただただ、‘本当の自分が、神性なものと繋がる’ 大切さ、

そのことが人類にもたらす、幸せを常に、説いてこられました。


なぜなら、それが、スピリチュアルな本質そのものでありますから。 

私の考え方も、この先生と同じです。

インドでは多くのリシと呼ばれる精神修行者が古代より存在し、

スピリチュアルなフィールドに、大きな影響を、与えてきました。


覚者も多く存在しています。

そのことと、世間一般でいう所の、”霊的な話”とは、次元が違いま。 


なぜなら、私たちの本体が、霊体であることは言うに及ばず、

肉体から去った霊のかかわりあいを云々することが、いわゆる

日本で言われるところの、スピリチュアルのイメージのようだからです。


が、そうしたことは、霊界の上面の話で、それより、誰もの中に、

肉体、霊体にかかわらず、本質として実存しているところの、

内在する”神”との関わり合いに焦点をあてていける人ことこそが、

スピリチュアルリスト(という言葉が日本語にあるようですが、

本来の英語ではありません)の本質なのですから

 

次回は11月中旬当たりから、自然治癒力を久しぶりに取り上げ、

真正面から身体の病との関係性、食養法なども踏まえて、考えて

みたいと考えています。


ということで、帰国までしばらく、ブログ執筆はお休みさせていただきます。

 

 

注*1~"my Life"(The autobiography of Pandit Shriram Sharma Acharya)

Yugu Nirman Yojna Press, 2004 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする