自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

宇宙のスピリチャルな構造

2013年05月31日 | 健康のための心の波動

宇宙飛行士・アインシュタイン・神   平成25年5月31日

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宇宙無料画像 に対する画像結果

アポロ宇宙飛行士のお話しの続き。

アポロ宇宙船の大きさは意外と小さい。

一人当たり 2立方メートルの広さ、これは、

小型車内の一人が占める容積より小さいという。


三人の宇宙飛行士が、それぞれのイスに座れば開いている

空間はほとんどない。

 

ところが、宇宙飛行士たちは その狭さをあまり宇宙では

意識しない。


なぜなら、宇宙空間では 空間の認識が地球で生活している 

五感の感覚認識と異なるからだという。

 

たとえば、上下 という認識はない。

それは、無重力状態の中では、常に浮いている状態で

あるために 方向付けができないからだ。


見渡せば、地球生活している私たちの頭上には天井があり、

下には床がある。

 

一方、宇宙飛行士にとってみれば、天井も壁も、床も、

すべての面は 自分の位置から均衡にあり、上下の

意識感覚はない。


だから宇宙空間では 高さ という感覚もない。

 

上下 も 高さ もなく、ただ、長さ があり、近いか

遠いかという 五感認識 が働く。

同様、重さ も感じられない。


一人の宇宙飛行士の指の上に ほかの飛行士が立つポーズは

テレビでも放映されたようだが、その指には何も

負荷はかかっていない。

重さが ゼロ状態だからだ。

 

私たちの感覚というのはこうして見ると、地球の次元で

生きていくための 一つの、道具なのかもしれない。


宇宙に出てみると、また、違った感覚 を普通に受け止め

それが当たり前になるわけだから。

この地球上で身を守るためには、今の地球感覚がとても

大切なのだ。

 

何故、小型自動車のひとり分の座席ほどのスペースが窮屈

でないかといえば、宇宙船の中では 空間の広がりを感じる

感覚が地球上とは異なるからだといえる。


例えば、4畳半立方の空間に 無重力状況で入れば、先に

述べたように 上下感覚や高低感覚は なくなる。

 

私たちが言うところの、天井、壁、床 など、6面がすべて

均等な状況で使えるようになる。 

その結果、4畳半四方のスペースで、4畳半の部屋にいる

私たちの6倍の廣さ、27畳分の広がりを感じるという。

 

 

 

宇宙飛行士たちは 当時の最高水準の科学の結晶である 

宇宙船を操縦し 任務を遂行するために、過酷な肉体的訓練

と知的訓練を受け、有能な、科学者であると同様、

技術者でもある。

 

ヒューストンにある、宇宙センターで働く人たちの中で、

人文科学を専攻した人は、きわめて稀(まれ)であるという。


宇宙飛行士たちも然りで、世界でトップレベルと言われる

MIT(ミシガン工科大学)や 一流の工科大学を卒業している

人達が殆どだ。

 

したがって、宇宙飛行士たちは、あまり、詩的な表現 を

得意とする人たちではないと思われがちだ。


しかし、宇宙に飛び立ち、宇宙空間の中で、多くの飛行士

たちが、自己の心の、深奥をみつめる体験を含め、それぞれの 

神秘体験~最高レベルの学府では決して教えられることの

なかった~あまりにも強烈な体験を、胸中に秘めて

地球に帰還した。

 

メカニカルなことにかけては 達人の域に達しているであろう 

飛行士たちは 仲間内で、思想や文化 哲学宗教の類(たぐい)

の話はあまりしないとインタビューで語っている。


立花氏(*1)の言葉を借りれば”文化系インテリが好むような

話題を 口にすることは 妙に憚(はばか)られる雰囲気が、

周囲にあったという“。

 

だから、彼らは、地球に帰還してから、宇宙での ”神秘的経験” 

を軸として、哲学書やさまざまな宗教書を読み、その分野での

権威者、或いは、悟りに近い心境に達しることも

可能だった。


その中から、幾人かの宇宙飛行士達を、昨日までブログで

ご紹介した。

 

たとえば、アリストテレス から ユング、 ヴェーダ文献、

仏教からヒンズー教まで紐解き 一つの宗教組織に束縛されず、

大いなる、宇宙意識に達した心境を語った飛行士エド。

 

神秘体験を通してキリスト教の伝道者として成功した

元アポロ飛行士、ジム・アーヴィン。

アーヴィンと異なり、キリスト教を超越した人といえば、

アポロ14号の乗組員、エド・ミッチェル は 昨日のブログで、

ご紹介した。

 

エドは、いわゆる、聖書の言葉が科学以上に、真実であると

いう徹底した立場をとるファンダメンタリスト、

南部バプティスト教会に属していた。


宇宙飛行士になるまで、そのため、彼は科学的真理と宗教真理

の矛盾に突き当たっていた。

 

そして、宇宙飛行士になってからも、科学者として、技術者として、

ますます、その対立観念の狭間(はざま)で悩み続けていた。 

彼の言葉を借りれば、

 

“わたしの人生は40年間にわたって、科学的真理と宗教的真理

の対立を、何とか解消できないかと悩み続けた人生だった“ という。

 

結局、宇宙空間の中で、有る種の 悟りに近い至福 を得て、

彼はこの問題を超越できるのだが、其の話は 明日(6/1)

のブログで詳細をご覧いただきたい。

 

ここでは、先にも述べた異次元の感覚の違い と 

神秘的なものへの認識の関係性を考えて

みたいと思う。

少々長いが、エド・ミッチェルの言葉を引用する。 

 

“ わたしがよく用いるたとえ話で、こういうものがある。

地球が平面で、その上に生きている人間も、二次元の生物で

あったとする。


三次元の物体は、彼らは見たことも考えたこともない。

 

そういうものが存在することすら知らない。

そこに、宇宙からヤリが飛んできて、地球を貫いたとする。

地球人はその時、ヤリを三次元の物体として、認識できるか?

 

地球人は二次元の生物だから、地球平面上にはない、

ヤリの三次元の部分が見えない。


したがって、ヤリを円柱状の細長い物体とは思わず、

平面上の小さな円としか想わない。

 

宇宙のスピリチュアルな構造を知らず、それをマテリアルの

側面からしかない人は、二次元の世界に生きているが故に、

三次元の世界が見えず、見えないがゆえに

それが存在しないと思っている、二次元地球人のようなものだ。“

 

現代物理学は古典物理学と一線を画し、宇宙時代が到来した

今日、やっと、アインシュタイン的世界理論を現実に

知ることができるようになった。

 

アインシュタインは、人間の知性を異次元に 押し広げる

ような役目をしたに違いない。

こうして、画期的な新しい 物理学的ヴィジョン は、

今まで当たり前に抱いてきた概念を壊して 新しい

イメージを作りあげざる得なくなる。


人間の 感覚器官でとらえられる範囲も、そういう意味では、

もっと、高次元の観方を余儀なくされる時がくるだろう。

 

それはちょうど、アインシュタイン自身、物理学の理論を

掘り下げていくうちに、神 という概念を考えざるを

えなくなったように・・・・


そして、アーヴィンやエドのような、優秀な現実的な

科学技術に精通したプロの宇宙飛行士が、宇宙の真空の中で、

神 を感じたり、自分の存在の意味や、狭義に当てはめる

ことのできない、神の実在を感じ、地球に戻ってからは、

以前の自分では想像できないスピリチュアルな人生を

送ったように・・・・

 

 宇宙無料画像 に対する画像結果

参考: 宇宙からの帰還  立花 隆 著   

中央公論社  1994年版

 

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宇宙飛行士の感想:豚の群れの自殺同様とは?

2013年05月30日 | 健康のための心の波動


宇宙飛行士エドが見出した希望  平成25年5月30日

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エドの落胆 

冒頭タイトル、”豚云々”はエドの言葉をそのまま借用した。

彼の落胆も こう考えて故のものだったから。

それは おいおい、今日のお話しの中で・・・・

 

さて、私は、昨日も引用させていただいたエドの言葉

(立花隆氏訳)を読みながら、心から共感を覚えていた。


それは、アポロの宇宙飛行士というスポットライトを

当てられ、華やかな舞台にたちながら、”生きる” 

ということへの真摯な疑問を、宇宙の空間に漂いながら 

問い詰めたエドの 心奥の葛藤への共感でもあった。


或いは、エドの一人の 求道者の姿 への感動だった。

昨日のブログの引用の中にあるように、彼は、

宇宙工学・科学の中でいうところの、

科学的真理 と 自分の所属していたキリスト教会の、

ファンディメンタルな、信仰、聖書に書かれていることが

すべて真理だとする教理の間にあるギャップ、

自分の存在性と人生の意義、生命の発生についてなど、

疑問を心に抱いて葛藤する日々が続いたという。

 

それらの質問を、彼が、宇宙空間でたった一人、飛行船外に

放り出された状況になったとき、眼下に美しい地球を

見ながら、再度、自分自身に発するのだ。

そして、不思議なことに、それらの疑問が、一瞬のうちに、

解決してしまう。


何十年悩み続けた答えの回答を、こうして宇宙空間の

真空の中で得たのだった。

それはまるで、光明に照らされた闇が あっという間に、

分散してしまうように瞬時の出来事だったいう。


こうして、

一つの 真理の帰結を受け入れ、神との一体感と、至福 

を得たエドだった。

 

ところが、数時間しないうちに、地球に向かう宇宙船の中で 

エドは 深い絶望感に 打ちひしがれる。

彼の言葉を引用する。

 

“ 真理がわかったという喜びにつつまれていた。

今、自分は神と一体であるという、

一体感が如実にあった。それからしばらくして、

今度はたとえようもないほど深く暗い絶望感に襲われた。


感動が収まって、想いが現実の人間の姿に及んだ時、

神とスピリチュアルな意味で一体であるべき人間が、

現実にあまりにも あさましい存在の 在り方をして

いることを思い起こさずにはいられなかった。


現実の人間は、エゴのかたまりである

さまざまのあさましい欲望、憎しみ、恐怖などに

とらわれて生きている。


自分のスピリチュアルな本質などはすっかり忘れて

生きている。

そして、総体としての人類は、まるで狂ったブタの群れが

暴走して崖の上から、海に飛び込んでいくところで

あるように行動している。


自分たちが集団自殺しつつあるということにすら、

気づかないほど、愚かなのだ。“

 

そう考えながら、エドは絶望していく。

地球に戻り、彼は、この至福感と絶望感の 極端から

極端といえる感覚の波の狭間に揺れた体験を基に、

真理の確信への努力に励む。


もっと、大きな法則をみつけようと様々な哲学書や

宗教書を読み漁り、ついに、宇宙で味わった神との

一体感は 特定の神ではなく、キリスト教を越えた神

であることを知る。


と同時に、宗教が 組織化された場合の矛盾 について、

エドは次のように述べる。

 

“ 宗教は教団として組織化されることから生じた、

真理の道の踏み外しがある。


すべての宗教は偉大なスピリチュアルな真理を掴んだ

指導者の教えに始まる。

しかし、信者は、その教えの本質を十分に理解しない。


 各宗教の教祖となったような人々は、イエス、ブッダ、

モーゼ、モハメッドにしても、あるいは、ゾロアスター

や老子にしてもみな、人間の自意識の束縛から脱して、

スピリチュアル・ワンネス(筆者:精神的同一体)

触れた人々なのだ。


だから、彼らはみな、同時に超能力者でもあった。

彼らは奇跡を起こした。 ・・略・・


しかし、その教えを受けて、追随した人々のほうは、

自意識の束縛から逃れきれていないために、教えられた

真理をそこまでの深みまで理解把握していない。


だから、指導者が世を去ると、信者集団はスピリチュアル

な道理から人間的自意識の側に引き戻されてしまう。


そして、教団が組織され、教団全体として、ますます

原初の真理から離れて行くことになる。

教団化された既成宗教は、どれをとっても、今や

真のリアリティー-スピリチュアルなリアリティー

から離れてしまっている。“

 

 そして、エドは独自な方法で、”万教が帰一する一つの真理”、

に たどり着く。


何故 独自な方法が必要だとかんがえたのか?

引用する。


“ 硬化している、既成宗教の枠組みで語ろうとすると、

その宗教の伝統 の 重みにからめとられてしまう・・・

伝統による 人間の意識の束縛 は 大きすぎるほど

大きい“

からだと 指摘する。

 

エド独自な方法 とは、宇宙飛行士 という特権を

生かしたものだった

なぜなら、

“ 宇宙空間に出れば、虚無は真の暗黒として、存在は光

として、即物的に認識できる


存在と無、生命と死、無限と有限、宇宙の秩序と調和

といった、抽象的概念が 抽象的にではなく、即物的に

感覚的に 理解できる


歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経て やっと

獲得できた感覚を、われわれは宇宙空間に出るという

行為を通して容易に獲得できた“とする。

 

エドは 人間のエゴに対して落胆 はしたものの、

キリスト教や既成宗教を越えたところの、宇宙の意思

無限に進化をしていくエネルギーに触れて、

人間がエゴを捨て、宇宙意識を高めることで

宇宙の壮大な計画に協力できるだろうと確信する。

 

だからこそ、次の確信を得て、こう、語るのだ。

 

“ 進化の方向ははっきりしている。人間の意識が

スピリチュアルに より拡大する方向に向かう“

 

その時は イエスやブッダやモハメッドという、

宗教の開祖として方向性を示してきた先導者に、

われわれ自身が限りなく追い付いていくのだという。


ユングは、集団無意識 をわれわれ人類が共有して

いるとするが、エド・ミッチェルは 集団無意識 を 

ユングとは、違う意味合いで使う。

 

“ 集団無意識の根拠は 人間が原始時代から

蓄積した経験の集積に求められるべきではなく、

エゴから離れた意識の面 において、

すべての人間がそれぞれ神に連なっているのだ 

ということに求められるべきであると思う“

 

私たちは アートマにおいてつながっている~

ということを彼独自の言葉で語っているような気がする。


神の意識、あるいは 宇宙的思惟 はわれわれの生命

を貫き合わせている。


そこには、物理的境界線を引きようにも引きえない。

私たちは、ここにおいて、地球ファミリー という言葉の 

”実体感” を感じざる得ないだろう。

 

 

 

 

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飛行士ヴェーダ哲学語る

2013年05月29日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 超能力開発研究をやめた飛行士  平成25年5月29日

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 アポロ司令・機械船 概念図 (NASA)アポロ司令機械船

 

超能力の研究を 元アポロ宇宙飛行士エドは 

自主的に、やめるときがくる。

超能力ESP の定義は、エド の言葉を借りると

ESP は潜在的に 万人が持っている能力だという。


"サイコ・キネシス(念力)、心霊医療、予言などといった、

能力以外に、誰でも、日常生活で体験している超能力として、

・何かが閃くようにわかったとか、

・念じ続けていることが 普通の確立以上で実現するとか、

・気持ちの持ちようで、 病気が治るとか、

・予感や虫の知らせなどがある。"

 

エド が 特別の超能力研究をやめた理由として、

人間は それら特種能力を 開発研究しなくても、

すでに備わっているのだからというのが理由だ。

それが発現するのは、ただ、そういう能力を 

”想いだす” だけでいいという。


想いだすということは、 本来の、自己の精神性を

求める中で可能になる。

その時、誰もが、潜在的な ESP能力を 自然に、

引き出すことができるだろうと考えた。


そのことを 彼は、こう述べる。

“ 超能力を扱うのには、まず、それにふさわしい

精神の安定と感性の安定を得ることが必要だ。 


心の中から、あらゆる日常的 世俗的雑念を 払いのけ、

さざ波一つない、森の中の静かな湖の水面(1)のように、

心を静寂そのものにたもち、透明な安らぎを 

得なければならない。

精神を完全に浄化(2)するのだ。


精神を完全に浄化すれば、研ぎ澄まされた鋭敏な感受性を

持ちながら、それが外の世界からいささかも乱されることがない

(3)という状態に入ることができる。


仏教でいう、ニルヴァーナ(サンスクリット語で悟りの境地)だ。

そこまでいけば、人間が物質的存在ではなく、精神的存在

であることが自然にわかる。

人間は物質レベルでは個別的存在(4)だが、

精神レベルでは互いに統合されている。(5)

ESPの成立根拠はそこにある。

 

さらに進めば、人間のみならず、世界のすべてが、

精神的には 一体である(6)ことがわかるだろう。

超能力現象は、このスピリチュアル・ワンネス

spiritual onenessの証明だ。


スピリチュアル・ワンネス(spiritual oneness)があるから、

スピリチャルな人間は、物理的手段によらず、外の世界と

コミュニュケートできる。


古代インドのヴェーダ(ウパニシャッド)(7)に、

'神は 鉱物の中では眠り、植物の中では目覚め、

動物の中では歩き、人間の中で思惟する” 

という言葉がある。


万物の中に神 (8)がいる。

だから、万物はスピリチュアルには 一体なのだ。

しかし、神の 覚醒度 (9)は万物において、異なる。

だから、万物の 一体性 はなかなか、把握できない。

 

眠れる神をも 見ることができる(10)ようになるほど、

スピリチュアルになることができた人間のみが、この、

一体性を把握できる。


そして、十分に スピリチュアルになりえた人間には、

超能力がおのずから生まれる

(11) ” (以上引用)

(注: アンダーライン と 括弧内の数字は 筆者によるものです。)

 

最後に、アンダーラインを引いた部分を

改めて取り出して 繋げて文章を 簡潔 してみると、 

さざ波一つない、森の中の静かな湖の水面~(1)

のようなまったくぶれない 平静心を保ち、

浄化~(2) が進むと

外の世界からいささかも乱されることがない~(3) 

真の心を取り戻す


物質レベルでは個別的存在~(4)

であっても

精神レベルでは互いに統合されている。~(5)

一体である~(6) 私たちにとって

ヴェーダ(ウパニシャッド)~(7) に書かれているように

万物の中に神~ (8) を見出し

神の 覚醒度~(9) の違いこそ 我々の間にあるにしても

眠れる神をも 見ることができる~(10) ようになったとき、

求めずとも、超能力がおのずから生まれる。~(11)

 

超能力を求める前に、すべての存在がスピリチャルワンネスの中に

あるということ、それに覚醒することが先決だ~と彼は言う。


超能力を 開発しよう という立場からではなく

”自己の中にある、神の存在を求め、普遍な神を信じる” 

ことによって、自然と、その能力 が 出現すると 

主張を転じた。


スピリチャル性を高めるというのは、ESP能力開発を 最終目標

に置くことではないと考えた。

彼はこういう。

“だから、超能力を求めてはいけない。

まず神の国を求めるべきなのだ。

超能力とは、精神世界の一部であると知るべきだ。”

 

ここでいう 神の国 というのは、神 という概念で表わされる、

真・善・美の特質が当たり前の義として 通じ、実現している

世界 と 言い換えることができると思う。


なぜなら、エド は キリスト教の神 というよりは

もっと普遍的な、神 を見出していたからだ。

続く・・・・

 

 

 

参考文献: 宇宙からの帰還  立花 隆 著   中央公論社  1994年版

 

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宇宙飛行士とESP体験

2013年05月28日 | 健康のための心の波動

政府のESP研究所  平成25年5月28日

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フリ―画星 に対する画像結果

 

宇宙飛行士と超能力)

エド・ミッチェルの場合

アポロ14号月着陸6人目、1930年生まれ。

宇宙船 と地球の間でテレパシーの実験をした宇宙飛行士

で知られる。


シカゴ在住の設計家で 超能力者のオロフ・ジョンソン氏 と

前もって打ち合わせして、宇宙空間で次の実験を、

地上のオロフ氏と行なう。


25枚の ESPカード を片手に、エド が 宇宙空間から

地球のオロフに 毎日6分間 宇宙で、見ている カード 

の念を送る。


それを どのカードであるか、テレパシーで受け止めたものと

照合する。

この実験を通して、テレパシーの効用力がありと 確信

できる結果を生んだという。

 

アメリカやソ連ではこうした、超能力実験 や 開発 に 

真剣に政府も関与していることは 世界的に周知の事実だろう。


それらの実験のための、研究センター機関(*1)も

完備されているという。

実際、超能力(ESP能力)は、軍事的利用として、すでに、

必要な現場で応用されているともいう。


たとえば、1958年に 国防総省の委託研究 として、

ウェスチングハウス社が行った、大西洋を渡航中の 

原子力潜水艦 ノーチラス号 と2000キロ離れた

アメリカ本土との間のテレパシー実験がある。


特に、ユリ・ゲラーは 日本のマスコミでも 

一躍有名になった超能力者だが、スタンフォード研究所は 

彼の能力に着目して1972年に 分析している。

 

ソ連では、宇宙ロケットの父 と呼ばれている

ツィオルコフスキーも、テレパシーの存在を信じていた。


まだ、ロケットが宇宙に達してない 彼の時代に 

ツィオルコフスキーは以下の予言を残している。

 

“やがて、宇宙飛行の時代が来るころ、

人間のテレパシー能力もなくてはならないものとして、

人類の全般的な進歩に役立つだろう”

 

こうした背景の中で アポロ宇宙飛行士、エルは当然のように、

自らの超能力を認め、後に、研究所を設立する。

その研究所について 彼は、次のように語る。


この研究所では、人間が持っている、精神能力を

総体的に研究するための機関で、ESP もその研究の

一環として とらえている。


私が この研究所を作ったのは、科学と技術はこれほど

進歩したのに、それを活用する人間の叡智には、まるで、

進歩がないために、科学技術が人類の幸せのためと

いうより、人類に災禍をもたらすような方向に 

利用されつつあるからだ。


これは、人間の叡智の発達のために さかれている

エネルギーが、科学技術の 発達のためにさかれている

それに比べてあまりにも少なすぎることに原因があると

思い、NASA をやめるときに、これからしばらくの間は 

人間の精神能力の研究に身を捧げようと 

思ったわけだ。“

 

さらに、エル は この人間の精神能力や、超能力について、

次のように定義する。


ESP は潜在的に万人が持っている能力だ。

ESP だけではなく、サイコ・キネシス(念力)、心霊医療、

予言などといった、能力も、人間の精神能力の一環だ。


超能力は 誰でも、日常生活で体験しているはずだ。

何かが閃くようにわかったとか、念じ続けていることが 

普通の確立以上で実現するとか、気持ちの持ちようで、

病気が治るとか、予感や虫の知らせとか、こういうことは

でも経験することだ。“

 

しかし、彼の研究所は 自ら閉じることになる。

それは、エド が、超能力に対する興味より、神の実在に

本来の人間の心の中にある実存的状況に、

関心が深まっていったからだった。

~続く~

 

フリ―画像 宇宙 に対する画像結果

 

*1 アメリカでは、ランド研究所、スタンフォード研究所、

ベル研究所などの超一流機関がESP研究を手掛けている

 

引用箇所: 宇宙からの帰還  立花 隆 著   

中央公論社  1994年版

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宇宙飛行士の言う、科学の限界

2013年05月27日 | 健康のための心の波動


人間のセンサーの不確かさ  平成25年5月27日

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昨日のブログに書いたように、こうして機会を

見つけては 元宇宙飛行士 アーヴィンは

月から地球に帰還してからはキリスト教伝道師として、

宇宙で見つけた、神を語った。

 

そして、月から地上に降り立ってから 3か月後、

197110月には、ヒューストンの屋内野球場で 

5万人の聴衆を集めて、”宇宙での神との邂逅” 

を 観衆に語り、大きな反響を得た。


アーヴィンは、こうして、最先端の科学の世界から、

自分の活躍の場所を転換した。

生き方が変わるということは、日常生活の中での

食生活に一番影響が見られることが多い。

 

後日、立花氏と会見中、昼食として、自ら、献立した

メニューを立花氏に見せた。

彼のメニューは 野菜と果物で占められていて、

完全な菜食主義に徹していることを物語っていた。

アーウィンは次のように考えていた。


“この世のすべてを獲得しても、魂 を失って

しまえば、意味は何もない。 

私は、ある一つの望みがかなうのならば 

すべてを、魂でさえも失っていいと思った。

その望みとは、月まで行くということ

だった。

 

誰よりも高く、速く飛んでみたい。

それは月へ行く以外に達成できないものだった。

全人生をかけた目的、それを果たせたとき、

その場所で私は、捨てたはずの神と再会した。

それは、神の書いたシナリオとしか思えなかった。“

 

アーヴィンに続いて、立花氏は著書*(1)の中で、

他の宇宙飛行士の例もかかげている。 

 

エド・ギブスンの場合

1965年に選抜された宇宙飛行士第4期生、

ギブスンは最新科学を駆使して造られた 宙船で 

最新科学知識を応用した装置を操り、地上に生還して、

以下のように語っている。

少々長いが、引用する。

 

科学にできること は、さまざまの事象が 

いかにして生起するか説明することだけだ。


そして、説明というのは、実はあるレベルの

無知を、別のレベルの無知に置き換えることで

しかない。

 

たとえば、ある現象が なぜ起こるかを 

物質レベルで説明する。

さらに、それはいかにしてと 問われたときに、

分子レベルの説明が出てくる


さらに、問いが重ねられると、今度は原子レベルの

説明がなされ、次には素粒子レベルの説明

なされる。

 

その先は、まだ、誰も、説明できない。現代物理学は 

この意味では、無知なのだ。

根源的な “なぜ?” という問いかけを、

“いかにして?” に置き換えて、説明をひねり出してきた。


 根源的 な “なぜ?”、存在論的 な ”なぜ?“ 

に科学は答えることができない。

科学は様々な法則を 発見した と称する。


しかし、なぜ、其の法則が 成立するのか?

そもそも、エネルギーなどというものが、なぜ

存在するようになったのか

物質とはそもそも何なのか?

 

こういった、問いに 何一つ科学は答えられない。

科学にできることは、ただ、物事を、よりよく

定義することだけと言ってよいのではないか? 

科学の根本的限界はここにある。

 

もう一つの限界は、知覚の問題だ

人間を外の世界をいかにしてか知るか?

直接的には 覚器官という、自己の持つ

センサーを通して知る。

自己の五感にふれないものでも、それを知覚

できる、外部センサーがあれば、その外部センサーを 

五感で読むことで 間接的に知ることができる。

 

そして、内部センサーにも、外部センサーにも

ひっかからないものは、存在しないものと

みなされてしまう。


しかし、存在はしているが、適当なセンサーが 

未だない というだけの理由で、人間に知覚されて

いない存在は、まだ、いくらでもあるだろう。


 そういう存在は科学の対象外に置かれてしまう。

 人間は 小屋の中に閉じこもったまま、外に

すえつけた何台かのテレビ・カメラの眼を通して 

外部を眺めているようなものだ。


それで、外の世界のすべてを知っているなど

いうのは、傲慢というものだ。

科学では答えられない、わからないものがいくら

でもあるからこそ 

宗教の存立の余地がある。”

 

アポロ 宇宙飛行士 エド・ギブスン の言葉を

まとめると、科学的原因追究は、根本の因や,

存在理由に関して究極な答えを与えられない


五感や内的センサーを通してしか、人間は”ある”

ことを認識できない。


それらの人間のセンサー機能が完璧と言えない限り、

知覚できないものの存在を 無い と結論

できることはできないだろう。


科学では答えられない、不可知なものが、

自分の周りにはあるが人間の体の内外のセンサーで

必ずしも、それが、察知されるとは限らない。


根源的 な “なぜ?”、存在論的 な ”なぜ?“ 

に科学は答えることができない。


科学と技術の最高峰で教育を受けた、そして、

宇宙で、ミッション を為した宇宙飛行士 の 

言葉 として、この言葉は、深いと思う。



参考: 宇宙からの帰還  

立花 隆 著   

中央公論社  1994年版

 

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