自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

松下幸之助氏の自伝(前編)

2013年11月29日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 困難を楽しむ人   平成25年11月31日

*********************************** 

 

松下氏に関してはすでに、皆様も多くの情報をお持ちだと思うが

実業の日本社から発行されている、自身の筆で書かれた小自伝が

手元にある。

 

少々長いが、ドラマティックで、人生哲学も

豊富に盛り込まれている手記である。

戦後日本の繁栄に一役かった大いなる経済人として、

否、それ以上に、一人の人格者としての氏の生き方が

よくあらわされている。

 

ご紹介したいと思う。

引用する:

 

”父が米相場で失敗する私の少年時代はむしろ小僧時代という

呼び方が当たっているかもしれない。

家運の傾いた家に育った私には 幼い時の楽しい思い出は

少なく、苦労の思いでだけが多い。“

という出だしで始まる自伝。


8人兄弟の末っ子、かわいがられて育った幼児時代の

かすかに残る思い出、それも6歳までの短い間のことだった。

 

当時日清戦争後の産業興隆期で、松下氏の故郷、和歌山市

に米の取引所が設けられ 米相場が立つようになった。

父はその相場に手をだし、結局大失敗。

 

祖先伝承の家や土地を手放すほどの借金をつくってしまう。

こうして、幸せだった家族も、次々と 兄弟が流行性感冒

のような流行病にかかって、病没し、家族の崩壊が

始まっていった。

 

小学校4年の時、父から、丁稚奉公に大阪へ行くようにと

いう手紙が届く。

小学校の卒業を待つことなく、松下氏は 火鉢やの小僧生活

を始めることになる。

 

“最初の仕事は丁稚子守で 子守の合間に火鉢を磨いたり

雑用をたすのである。

火鉢でもいいものになると、一個を一日中、トクサで磨き通し

にしなければならず、御蔭で私の手はたちまちすりむけて、

腫れあがり、朝の拭き掃除に水がしみて困ったものだった。“

 

開発途上国では 当たり前のように行われている 

就学期の子供を学校に通わせず不当に働かせるこうした労働

体験を松下氏は 10歳足らずから始めたのだった。

 

こうした苦労は いとわなかった幼い松下氏であったが、

母への恋しさには耐え難いものがあったようだ。

 

“寂しさはまことに耐えがたいもので、初めは毎晩店を

閉まって床に入ると、母のことなどが想いだされ、

泣けて泣けて仕方がなかった。

もっとも私は泣き虫の方であったが・・・“

と綴っている。

 

小僧生活はこうして、三か月で終わる。

親方の知り合いの自転車屋で奉公することになったからだ。

“自転車やの小僧となった私は、朝晩の拭き掃除から

自転車の修理見習い、手伝いが主な仕事だった。

修理と言っても鍛冶屋のような仕事で、私は このような

仕事が好きだったので、毎日 愉快に働けた。“

松下氏の商売人としての 第一歩がこのあたりから

スタートしたようだ。

 

“店に修理に来る客からよく、煙草を買いにやらされたが、

これは時間がかかるし面倒だ。

そこで、一度にたくさん買っておいて、その都度 客に

渡すことにした。

当時は20個買うと、1個負けてくれたので、一挙三得になり、

しかも人から褒められた“

と、商売気たっぷりの、工夫の一面が出ているエピソードだ。

 

自転車やの奉公は、17歳まで続く。

このころから松下氏は、将来設計について、考えるようになる。

それは 大阪市に電車を走らせるという計画を知り、

自転車の需要が減るだろうと予測したからだった。

 

“一つ転業しようと私は決心した。

義兄の亀山に打ち明け、電灯会社に入れてもらえるように

交渉を頼んだ。”

 

電灯会社、将来の 松下電器へ繋がる仕事にかかわる

きっかけでもあった。

松下氏はこう記している:

”しかし、一方、今まで育てられた店に対する愛着も

ひとしおで、なかなか主人に打ち明けられない。

結局すまないと思いながら、店を飛び出し、亀山の家に

寄宿してしまった。“

 

意外と小心であったのか?

恩義の情が強かったのだろうか?

 

”恩知らずだよ、あの子は。夜逃げして飛び出して

何も言ってこないなんて!” 

などと、店主や奥さんの呟きが聞こえてきそうである。

 

松下氏は、こうして、後戻りはできない覚悟のほどを

見せたものの、

“電灯会社のほうは、’すぐには採用しない。

欠員が出るまで待て’ということになった。 

"蓄えのない私はこれには困った。“


そんな経済的に不安定な状況下で、アルバイトを見つける

ことにする。 

それが セメント会社の運搬人夫という体力仕事であった。

慣れない仕事、松下氏の体力も“体ができていない”状態であり、

一緒に働く荒くれ男たちに ののしられながらの仕事”には

“歯を食いしばって頑張った“ 3か月だった。

後日この体験がたいへん役に立つときがくる。

 

いよいよ、大阪電灯幸町営業所内線係の欠員を埋める形で 

就職が正式に決まった。

最初の仕事は、

“屋内配線工事担当者の助手。

毎日材料を積んだ手車を引いて、担当者の後からついて回り、

一日、5,6軒の需要家の工事を手伝うのが日課だった。“

と松下氏は書いている

 

この手押し車は、丁稚(でっち)車と呼ばれ、能率の悪い、

ちょっとした荷物を積んだだけで、非常に重く感じる車だった。

しかし、良くしたもので、セメント会社の運搬人夫をした

経験が役立ち、苦とも感ずることなく、興味を持って仕事に

打ち込めた松下氏であった。

 

こうして、3か月後、助手から担当者に昇格。

助手と担当者とでは 格付けの違いがあり、師弟の関係

にも似た 主従関係すらあった。

それゆえに、三か月の昇進は、会社でも前例のない異例の

ことだったという。

 

20歳にして、尋常小学校を卒業できなかった、

松下氏は教育の大事さに気づき、夜学に通う。

6時半から9時半までの3時間の授業、それが一年間続き 

予科が終わった。

 

’電気学’が学べる本科に進んだものの、小学校を卒業

しなかった松下氏にとって、口頭筆記授業に追いつけず、

無念にも、中途で挫折してしまう。

 

22歳で結婚。

松下氏は多少ユーモラスこう記している:

“見合いすることになった。

場所は松島の八千代座の表看板の下で、看板を見ながら

見合いするという段取りだが、余所行きの着物一枚ない私は、

下宿屋の小母さんに頼んで5円20銭なりの銘仙の羽織を

作ってもらったのを覚えている。


さて、見合いだが、看板の下でキョロキョロしているうちに、

周囲の人に感づかれ、こっちは真っ赤になって、うつむいて

しまい、そのうち、相手が前に来ても、見ることができない。

 

‘幸之助、見よ、見よ’とは言うが、思い切って前に出る

勇気もない。

そうしているうちに、相手は行ってしまい、相手の顔などは、

サッパリ分らない。“

と、何とも見合いには似つかない具合だった。

 

現代のインドでも、親が決めたお見合いや、結婚前夜まで、

相手の顔を見ることがないという話があるが、

松下氏のお見合い情景も、まことに、ユーモラスである。

 

24歳の春、松下氏は電灯会社の検査員に昇格。

担当者の仕事を翌日検査して、悪ければ し直しを命じる仕事だ。

一日15~20軒回り、

“非常に楽な仕事で、2.~3時間あれば、済んでしまう”

ほどだった。

 

ところが、この楽な役に回ってみると、不思議に

今までのように仕事に熱が入らず、何とも物足りない気分

を持てあますようになった。

ちょうどその少し前、私は新しいソケットを造ろうと

研究していた。

 

一度はできたソケットを会社の主任に見せたところ、

‘だめだよ、これは’と言われたこともあった。

そこでどうかしてソケットをものにしたいという気が

湧いてきた。“

と ソケットの製造への夢が大きくなり、順調に

行っていた仕事にけりをつけて、次の階段(ステップ)を上がる。


今の仕事は簡単すぎて面白くなくなったとは、いかにも

松下氏の言葉らしい。

やりがいの感じられる仕事でなければ意味がないとばかり、

松下氏は7年間務めた会社に辞表を提出するのである。

 

“主任が止めるのも聞かずに早速辞表を出した

と 傍からは唐突に見えるほどだったらしい。

意を決して、自分の理想と信念突き進んでいった。

目の前の仕事に 常に全力であたり、次の展開を的確

に見定め、こうと決意したままに前進する松下青年には、

妥協とか 適当に生きる、とか、”これくらいで良い”という

中途半端な気持ちが微塵もなかったようだ。

 

一言付け加えるのなら私の師はこう教えてくださった

ことがある。

”どんなことをしていても、’これくらい、まあいいだろう’ 

の ’これくらい’ が一番ネックだ・・・”

何に対してのネックなのか?


自分で決めた何事かを完成させるために・・・

’これくらい’と言って小さなことにも妥協せず、誠意を

もって全力を尽くす。

それは、どんな分野でも当てはまる事なのだろう・・・

 

続く~

 

 

参考;

 私の履歴書 日本経済新聞社編 松下幸之助著 昭和38年

 

 

 

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波動・能・記憶・自動再生・念の反作用

2013年11月27日 | 健康のための心の波動

災害は人間の念が造りだすという説   平成25年11月27日

*********************************************

 著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた

11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、

ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 

偉大なる法則の働きを

実証されるのを実際に見るために、

大師がたの生活の中に親しく

入り込むことを許してくれた。

私のノートを今ここに、

“極東における、大師たちの生活と教え”

と題して、発表するが、そこに盛られた内容を

そのまま受け入れるか、否認するかは、

読者の自由である。

 

 

久しぶりにエミール大師の登場・・・・

或る隊員の質問から始まる。

”エミール大師、皆が皆、病気を治せることが

できるのでしょうか?”

 

エミール大師は答える

”病を治す力は、物事をその根源にまで

さかのぼって見極めることができて、

初めて自分のものにすることができます。

 

不調和が神からくるものではない~という

ことが解った程度に応じて、不調和の

克服ができるのです”

 

大師の言葉によれば、誰でもが癒しが可能であるが、

そこには、一つの条件がある。

 

不調和、つまり、病気や体調の不調は、

本来、有る(Reality) のではなく、

あくまで神の不在であることを理解し

知るという条件だ。

                

あるいは、病とは、”本来の自分の不在”

と言い換えることができるかもしれない。

 

エミール大師は続けて次のように述べる:

”神とは、貴方がた自身の中と周囲、

およびすべての質料(Substance)の

周囲と中とにある、強大な力であって、

それは、あなた方のものであり、意のままに

それを使うことができます。

このことが悟れなければ、自分自身に

対する自信は出てきません。

不調和に対する最大の癒しは、

不調和が神からくるものではなく、

神はそのようなものは

造り給わぬと知ることです。”

 

ここで述べられている不調和とは

肉体のみならず、人間関係の軋轢(あつれき)、

環境との不調和、苦境・苦難といった、

大きな意味での不調和も含まれるだろう。

 

さらに、ここで述べられている癒しは

薬などの物質によるものではなく

本来 人の持つ、自然治癒力の完璧な

発動によるものを指している。

 

私たちは、なかなか日頃、そのように知覚する

ことが難しいのを大師は理解している。

だから、私たちの感覚機能について

次のように、言葉を続ける。

 

”光りや影や色彩の波動など、脳は

目から伝えられるヴァイヴレーションは

なんでもその通りに全部記録します。

同時に、、また、内観の働きによって、これらの

ヴァイブレーションを再生し、映出する特質を

持っています。

 

そのために、わたしたちは、目から脳に与えられた

像をもう一度見ます。

この通りのことをあなた方はカメラでやっています。

カメラの感光板を露出すると、感光板は被写体

の放出しているヴァイブレーションを受け取って

記録する。

 

こうして、記録した像をいつまでも残して

見ておけるように、それを定着する。

被写体の動きや色が一旦定着によって、

記録されると、今度はそれが記録と定着の時と

同じ周波数で、明暗や色彩を復元して

放出します。

 

想念(意)、言葉(口)、行為(身)の場合もこれと

同じです。

能には選択技能のある細胞群があって、それに

対応するヴァイブレーションをキャッチして記録

する。

このヴァイブレーションが繰り返し

放出されると、細胞はその働きを乱さない限り

もとのとおりにそれを再現する。

 

また、このほかにも、ほかの形体の放出する

想念や行為、動作や像のヴァイブレーションを

選択的に受け取り、記録し、定着することの

できる細胞群が脳にある。

 

これらのヴァイブレーションを再現し再放射

することもできるし、

又、これらの形態や対象の言葉や動作、想念

でさえも、再現できるように細胞を調整することも

できます。

 

こういう細胞を通して、ちょうど自分自身、同様に

他の人の想念を支配して、その人を助けること

もできる。

 

戦争、地震、洪水、家事 そのほか、人類が

代々闘ってきている これらの災厄が起こるのも

このような細胞の働きのためなのです。”

 

災厄は神ではなく、人間が造りだすという

そのシステムの簡単な説明がその後

続く:

例えば、誰かが何か或る事件の起きるのを

見たり、あるいは起きていると想像するとしよう。

彼の脳細胞には彼の見た、あるいは想像していた

事件に対応するヴァイブレーションが脳細胞に

定着し、それが放送されて、ほかの人の同じ

脳細胞に印象され、それがまた、さらに跳ね返って

対にはそのことが 定着して現実に起きてしまう

ことになる。”

 

三界は唯心の所現というわけだ。

一人の恐怖の想念が他者の想念と結びつくと、

さらに大きな波動になって、その危惧する処のものが

災害や争い、などの不幸として現れるという。

それは人の罪意識も含まれる。

自分の良心が自分自身に”何か罰を下される”という

感情を引き起こし、それが心に重なり念となれば、

その念と同じ波長の想念(人類の罪意識)と重なり、

実際、天罰 と称される 災害を引き起こす場合

もあるだろう。

 

それでも それを避けることができると大師は次の

ように言う。

 

”しかしそういう事件でも、その根本原因である、想念

をすぐに引っ込めて脳細胞のそのヴァイブレーション

が、定着再放送されないようにすれば、これを

避けることができます。”

                           

念 はご覧のとおり、今の心 と書く。

今の心に何を思うか、善きにせよ、悪しきことにせよ、

その今の心、念じた事柄が現象世界に現れる。

だからこそ、真理の言葉や平和と愛念によって

それらのマイナス的想念を打ち消していく意義

がある。

念の操作、洗脳は昔より行われてきたし

今もマスメディアなどを使って、行われている。

戦争に突入するときの 民衆の賛成を得るために

憎しみを増幅させるような、想像させるような言葉を

どんどん流せばよい。

かつてイラク戦争にアメリカが突入するとき、

今でこそ、当時の三文芝居的背景が公にされたが、

虐待されたというクウェートの幼い女子のメッセージを

テレビで流し続けていた。

マスメディアによって、アメリカ国民の同情と何とかしてあげよう

という正義感を 煽ることに成功した~と言われている。

そのヴィデオは もちろん 捏造(ねつぞう)されたものだった。

 

何度も何度も繰り返して、(その情報が

正しいかそうでないかは別として) 聞かされる

うちに、ある種の想念が心のフイルムに焼かれる。

そして写真がそのフイルムを通して現像されるように

念の通りに、現象が現れるという。 

 

念は念を呼ぶ。

大きな念は信念になって、その現象を確固たるものに

するだろう。

善いことを考える。

祈る。

想念する。

”見ざる、聞かざる、言わざる”、のお猿さんたちの

ように、悪い念を今の心にとどめないように、

耳と眼と口の感覚器官から入る情報がもたらす念に、

細心の注意を払うことも だからこそ、大切だろう。

 

憎しみ、悲しみ、怨み、嫉妬、などの

マイナス思考を、

プラス思考を重ねることで、マイナスの現象が

表出する前に、良い方向に修正できるというものだ。

 

マイナス思考の想念は案外自分の本当の想いでは

ないかもしれない。

人類の積み上げてきた

あらゆる種類の想念の波動が、 目には見えないが、

TVの電波のように私たちの周りには

飛びかっている。

 

意識して、善き想念を持ちたいものだ。

善き想念は 善き想念と繋がる。

感情も想念も結局は 周波数をもったヴァイヴレーションだから・・・

 

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 霞が関書房

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エミール大師が教える神の本質

2013年11月25日 | 健康と直結する”一元論”について

神とは・大魔王とは?  平成25年11月28日

******************************

著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを、実証されるのを実際に

見るために、大師がたの生活の中に親しく、入り込むことを許してくれた。

私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”

と題して、発表するが、そこに盛られた内容をそのまま受け入れるか、

否認するかは、読者の自由である。

*************

ヒマラヤの聖者は語る。

”地獄とか悪魔とかいう、特定の地域や存在はない。

それは、ただ、悟りを開いていない人の 想念の中にあるだけだ。

もし、善なる天国がすべてであり、すべてを取り囲んでいるのであれば、

地獄や悪魔などというものが 幽界や霊界に存在する筈があるだろうか?

 物質科学を例にとってみよう。熱や光 その他の多くの自然力は、

実は地球自身の中にあると言い伝えられてきている。

太陽にしても、それ自体としては熱も光もないのであって、熱と光とを、

地球から引き出す潜勢力があるだけである。

 

太陽が地球から熱と光を引き出すと、熱線は、エーテルの中に 泛んでいる

大気層によって、地球に跳ね返されてくるのである。

光線も大体、同様な方法で、地球から引き出されてエーテルによって、地球

に跳ね返ってくる。

 

空気は、比較的低くしか広がらないから、地球表面を離れ、大気層の外側

の限界に上昇するにつれて、熱線の効果は違ってくる。

空気は次第に希薄になるから、反射も次第に減ってくる。

その結果、上昇すればするほど、熱は少なくなり、寒冷が増してくる。

熱線は地球から引き出されて反射する毎に、地球に落ちて還元され、再生される。

空気の限界まで到達したときには、実は、同時に熱の限界にも 到達している

のである。

 

光線の場合も同様で、地球から引き出されて、エーテルによって、反射される。

このエーテルは地球からは、空気よりも高いところで拡がっているから、

光線は遠く 高く 拡がってから全部反射する。

エーテルの限界はそのまま光線の限界である。

熱と光の限界に達すると、非常な寒冷に逢着する。

この寒冷はいわば、鋼鉄よりも強固であって、

エーテルと大気層とをほとんど抵抗のできない力で圧迫して、結合している。

ところが地獄は熱いことになっており、閻魔大王は寒さが嫌いだという。

それでは、地球や悪魔の住処(すみか)などありえないということになる。*1”

 

この聖者の説が 現代物理科学的の理にかなっているかどうかの論証は脇に

おかせていただく。

聖者は、宇宙へと上昇して話しを進めたが、今度は、地下へ掘り下げて話しを

続ける。

調査団の中には、地球の内奥には魔王の支配する国があると、信じている人も

いたからだ:

 

”地球は表層から少し掘り下げたところでは、説けた塊になっていて、熱く、

どんなものでも溶けてしまうと、地獄をあると思う人は考える。

 この真ん中にある 溶岩の塊は、外側の地層よりも遅い速度で回転していて、

この二つの合いあうベルト地帯が自然力の発生する場所だとされている。

したがって、ここにもまた、神の御手が一切を統べ給うておられる。

してみれば、ここにも、魔王の住む場所はない。

というのは、一番暑いところか、寒いところに住みつこうとしたところで、

暑さも寒さも同様に体力を消耗するのだから、ひどく住み心地の悪いことを

思い知るに違いない。

 

つまり、魔王は実は人間のいる場所にいるのであり、その力も 人間が

与えたものであるのだ。”

と、聖者は述べる。

 

悪魔も魔王も、特別な悪の存在として実在するのではなく、その存在も

彼らの支配権も人間が与えたというのだ。

神が与えたのではないから絶対的なものではないというのが、聖者の意見だった。

すると、調査隊員の一人がこう質問した。

それでは、神とはいったい、誰のことですか?”

聖者が答える:

”今日の世界を悩まし、かき乱している、多くの矛盾する思想や考え方は

神が造ったものではない

神とは現に存在するすべてのものの背後にある原理と思えばよい。

 それは、人間の言葉で言い表すのなら、全知、全能、偏在であり、愛である。

といっても、神は非人格的な原理法則でもある

神といえば、王座に座り、死後の人々をさばき、天国と呼ばれる場所に

おられる 人格的な姿を思い浮かべるだろうが、決してそうではない。

謙虚な祈りに対して、個人には、やさしい母となり、頼もしい父のような

応えをするが、それ以外は 人間的に喩えることはできない。

神は生命そのもの、生命は決して死なず、愛そのものだ。”


神を髭の生えた、温厚な好々爺のようなイメージでとらえては お角違い

だという。

神は生命の法則であり、それを聖者は存在する事象の裏にある、大きな原理

(理の根源)と呼ぶ。

さらに話は続く: 

”神の愛は山からほとばしる清浄な泉に似ている。

湿原では清浄であるのに、流れに行くうちに曇り、汚れ、海に流れいる

ころには始めとは似ても似つかぬものとなり、やがて、海底に泥や汚れ

を落とし、海面に上がり 蒸発して、再び雨となり 泉を補給する。

貴方たちは自分の父母や兄弟友人に対すると同じように、いつでも神を見たり、

語り合ったりできるのだ。

本当のところ、神は誰よりも身近におられる。

神はどんな友より、はるかに慕わしく、また、忠実である。

神は決して興奮もせず、意気消沈することもない。

決してその子ら 生き物や被造物を一つとして破壊することなく、傷つける

ことなく、妨げることもない。

もし、そのようなことでもすれば、もはや彼は神ではない。

それは、人間の無智な考え方が創りあげたものに相違ない。”                                                           

そして、人は神の持ち給うすべてを持って、兼ね備えているということだ~と

大師は言う。

総ての人がそれを思いだし、知れさえすれば、その特権を使用して、その

恩恵に浴することができると大師はいう

 

私たち一人ひとりが、”真実一路”の道を向上することが 他の兄弟(友人)

たちに その道を踏みやすいよう整えることに通じるとも大師はいう。

だから、自分に 本来の信念を持つ必要がでてくる。

自分の実相に対してである。

自分の内なる神の資質、善、愛、希望、喜び、智慧、調和、といった、徳は、

すでに私たち自身の中に埋もれているということ。

その埋もれている資質こそ、私たちが持っている、本当の変わることのない姿

であるということ。

これを 生命の実相、あるいは、アートマと読んでいる。 

私たちがほとんど忘れてしまっている本当の姿に対して、(特定の思想や

教義や限定された神というシンボルではなく)信仰と信念を持つことが

必要だと大師は説くのだ。

 

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

 S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 霞が関書房

 

 

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ヒマラヤ大師の語る、純粋愛

2013年11月23日 | 健康と直結する”一元論”について

 海の水は一滴でも大海と一体    平成25年11月23日

******************************************* 

 著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた

11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、

ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 

偉大なる法則の働きを

実証されるのを実際に見るために、

大師がたの生活の中に親しく

入り込むことを許してくれた。

私のノートを今ここに、

“極東における、大師たちの生活と教え”

と題して、発表するが、そこに盛られた内容を

そのまま受け入れるか、否認するかは、

読者の自由である。

 

 

ブログで神様やキリストさまのことを

書くと、治癒力・生命力自然発動との関連性で

首をかしげる方達もいるでしょう。

私どもは決して信仰の誘いをしているのではなく

信仰の奥にある真理について語りたいと

思います。

その真理は、体と心の法則にもつながるからです。

自然治癒力はこの、法則の応用です。

究極の癒しは心と体の関連を知って初めて

もたらされると多くの体験に基づいて

信じているからです。

 

 

ヒマラヤの大師は以下のように説いている:

”私たちが一切の智慧と一つになり、

自分がその知恵の一部分に実際になっていること。

 

この智慧が大原理、即ち、神であることが

決定的に分かったとき、

全宇宙の一切の智慧が、私たちとともに

働いていることを自覚する。”                               

宇宙の智慧 とは抽象的に聞こえるかもしれない。

例えば、大海が宇宙意識であるとする。

その大海を構成している一滴の水が、私たちの個人意識とも

喩えられる。

一滴の海水を取り出してみても、何にも力のない

水滴でしかない。

これを大海に戻すと”津波の力”にもなり、

”海流の流れ”にもなる。

 

大海という 大きな叡智の法則と 私たちの中に流れる

本質的要素が、一体化していることを想いだせと大師は言う。

なぜなら、私たちはその大海を構成している一滴の水だから。

そのとき、唯物的人生観も 自信に欠けた不完全な自分自身の

観方も大きく変わるだろう。

 

大いなる智慧は、宇宙意識でもある。

それに繋がろうと想えば、自分という存在が、

その宇宙意識を構成しているメンバーであることを

知ることだ。

 

大師は続けていう。

”私たちが好むと好まざるとにかかわらず、

信ずるか信ぜざるかにかかわらず、

これは事実である。

これは智慧の法則である”

と ・・・

 

智慧の法則、

調和の法則、

愛の法則、

供給の法則、

悦びの法則、

そして無限の生命、

それらの法則すべてを満たしている存在を私たちは

太古の昔から

神 と呼んできた。

 

私たちが その 法則の一部分であること、

それだけが、変わらない普遍の真理だと

大覚者は太古の昔より、いろいろな方法で

私たちに語りかけ教える。

だから、私たちは、決して退歩を語らない。

決して、最悪のケースを想像しない。

決して、希望を忘れない。

その理由は簡単だ。

常に その覚者の示す、最終目的地に向かって

移動しているからだ。

 

それが私たちの宿命であり、

その目的地こそ、磁石のプラスとマイナス

のように、引き合う、大海そのものなのだ。

 

大師はよって、次のような言葉を

伝える。

”法則としての神を別の言葉で定義するのなら

すべての愛を合計したのが、大原理、即ち

神である。

神はすべての情愛、すべての沸き立つ想い、

すべての愛に満ちた場、眼差し、言葉、行い

それらの結晶、総計である。                                                     

大いなる愛にせよ、小さな愛にせよ、

高尚か低俗か、利己的か人道的か

いずれにかかわらず、およそ、自分に愛が

他者から寄せられたとき、いつか、必ず、

無限の愛を引き出していく。

 

我々が、己を忘れて愛したとき、宇宙愛の

真っ只中に いるのだ。

最も小さなものと思われたものでも、

無限の愛によって、絶対的完全さへ向かって

急速に変化していく。”

どんな愛でもよい。

こうでなければならないというのは 一つもない。

 

どんな愛にしても、それがために転倒しても、

傷ついても、罵倒し合っても、苦い思い出しか

残っていなくても、善いのだ。

必ず、それを布石として、もっと、純粋の愛に

すこしずつ、近づいていくだろう。

そして、純粋の愛 を与えられるまでになったとき

与えた人も与えられた人も、無限の宇宙の愛に

いだかれて、”急速に変化” していく。

生命 生き通しの完全なる生命体であるこの身を

自覚することも、このようなプロセスに基づく。

 

大師は次のように述べる。

私たちは 死せる我(mortal mind) が内なる生命へ

目覚めて、その生命が私たちを死者より蘇らせる。

私たち周囲の自然は、実はすべて目覚めている。”

ヒマラヤの実在する齢推定数百歳と言われる

大師たちは そういう意味で多かれ少なかれ

目覚めている。

その中のさらに、大覚者と呼ばれる大師たちは

自分の望むままの肉体年齢で 時として人前に現れる。

 

それは思考が肉体を”老いるもの”、あるいは 単なる

”物質”と 認識せずに永遠の 時空を超えたところで

自分の内在する実相(真の姿) と繋がっているからである~

と言われる。

 

ヒマラヤの大師は そのことに関して 次のように述べている。

”私たちがこの正当なる相続[須田注:神の資質を受け継いでいる

という真理] に目覚めたとき、私たちの身体が常に美しく、

純粋なる霊体であり、もっとも、神聖、荘厳、真実なる神の宮

であるという、永遠の昔から伝えられてきた真理に

目ざめるのである。

 

その時、私たちの身体は、本来この至高なる状態より

いまだ、かつて低下したことはなかったのだという

確信が出てくる。

低下したというのは、実は、人間が勝手にそう思い込んでいた

のである。

このような迷いが消えるとき、私たちの体はその本来の

神性なる姿を取り戻す。”

 

印度のヒマラヤに今も住んでおられるこうした

神人合一にきわめて近い境地の悟りを開いた大師たち。

 

サイババ師は、印度がなぜ

高い霊性を備えた国の一つとして 

世界中からの求道者が真理を求めてくるのかと言えば

印度がまだ高い霊性を保っているからと言い、

その霊性は何に依っているかと言えば、

わずか数人の真に悟った神人合一のヒマラヤの大師の

純粋な愛の祈りのおかげであると明言している。

 

 

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

 S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 霞が関書房

 

 

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愛すべきペット達に捧げます

2013年11月21日 | ペットロスの癒し

 

 動物実験の犠牲と奢った人間     平成25年11月21日

*****************************************

 

 

去年の今日、チャチャは天国へ旅立ちました

チュチュとチャチャに今日のブログ記事を捧げます・・・・

 

私の父は どちらかというと 人との付き合いは苦手で生き物

には、愛情をこの上なく注いでいた。

花がしぼみ、枝がうなだれているような状態、そんな 御用

済みの観葉植物やランの花の植木鉢が 時々。テナントさんの

店の裏口に置き捨てられているのをみるたび、自宅の南向きの

テラスに運んできた。 

そして、自分で配合した肥料を与え、毎年花を咲かせるほど

元気に育てていた。

植物もそれぞれ種類によって、好みの肥料があると、言って

いた。

 

そんな具合に、丹精に育てて、拾ってきたランの鉢は 株を分けて

いくうちに、どんどん増えて、新芽が出て冬だというのに、大きな

白い花や黄色い花を咲かせた。

当時はインドにいた私だが、正月に帰国して実家に戻るたびに、

欄の大輪が心を和ませてくれた。

 

観葉植物は、数年もしないうちに、倍以上に大きくなり、さらに

数年たつと、幹は天井伝いに這うように広がり、緑の葉がおい茂り、

いかにも生き生きと、彼らと父との愛情のやり取りがうかがわれた。

実際の写真(現在の、実家のリビングルーム)

 肥料も自分で調合したという意味は、朝夕の食事の後、必ず、

人の残した食べ残しを、細かくして、鉢の根本に丸めて植え

込んだ。

人間同様の扱いをして、この植物の鉢はこれが好き、この鉢は

これは駄目と、それぞれの草木がどんな残飯食を好むか、研究して

いるようだった。

 

おかげで、小ハエがその堆肥に卵を産んで、二世が生まれて、

ぶんぶんと真冬のリヴィングルームの温かい日差しの中で、

飛び交っていた。

 

さて、植物のほかに、父の善き話し相手に4匹のヒマラヤンの猫

たちがいた。

 

 

ペルシャ猫たち、”ライラ”、白ペルシャ、”ルー”、黒ペルシャ は”ラブ” そしてプップ

 

彼らは長生きして、黒いペルシャ、ラヴちゃんは16年以上生きて

座間市から表彰された。

ある時期には、鸚鵡やインコ、文鳥や、九官鳥までいた。

 キュウカンチョウ・キュウボウと オウム、鸚鵡(コバタン)

白ちゃんは人の言葉を覚え、二つの籠を並べて置くと、二匹で、

会話していているように聞こえた。

 

九ちゃん ”それで、マサ子がねえ・・・”

白ちゃん ”へえ^”

九ちゃん ”マサ子、xxxxで駄目よ”

     ”駄目じゃないのよ・・”

白ちゃん ”う・る・さ・い”

九ちゃん ”ははははは”

白ちゃん ”九ちゃん、こんにちは”

九ちゃん ”白ちゃん!”

白ちゃん ”は~い、こんにちは”

九ちゃん ”はははは”

九ちゃん ”白ちゃん、白ちゃん・・おいて”

白ちゃん ”九~ちゃん!バイバイ ”

 

玄関先にこられた客人が、話声がすれども、呼び鈴を押しても

誰も出てこず、まさか鳥たちの声だとは想像しなかったと語った

こともあった

印度にも、こうした無類の動物好きの友人ができた。

彼らはきまって、

”人間はともかく、彼らは決して裏切らない心を持っている”

と言って、毎日毎日、野良犬や野良猫のために、密かに餌を

運んでいた。

その中の一人、ジャスミンは そうこうしているうちに、

自宅の玄関先に いつも野良犬が数匹、たむろしたり、昼寝して

いたりするようになった。

その向かいの隣人は 教祖マホメッドの遠縁の先祖を持つという、

生粋のモスリムだった。

モスリムの教えでは、犬は 豚同様、不浄とされている。

野良犬という不潔さも加わって、家の前にうろうろされていては、

外出もままならなかった。

時々、その家の主(あるじ)はイヌのフンが門の前にあるのを

見つけては、ジャスミンに苦情を述べていた。

ある日はアンティ(向かいの家のおばさん)が ジャスミンの

を訪れて、玄関先で、大きな声で言い合っているのを、近隣の

私たちは耳にした。

何度かこうした光景があった後、いつの間にか、ジャスミンは

引っ越しを決意したようだ。

ジャスミン本人が弁護士という職業柄、裁判で争うことにする~

と、語った。

 

筆者もこういう、無類の動物好きの仲間の一人であると感じている。

野良猫のジュビとは信頼関係が有ったと思う。

彼女との出会いは、はっきりと覚えている。 ある日、出産を目前

に、彼女は私をベランダで、見初めた。

そして、その夜、窓から部屋に侵入。

筆者が見守る中、部屋の真ん中で、私が、寝床用にと思い、持って

きたミカン箱の中で次々と4匹の丸い羊羹のような子供を産んだ。

 

一匹ずつ、生まれる。生むとへその緒の処置をしているうちに、

次の子供が生まれてきた。

彼らを、嘗め回して体が渇くと、すぐ押し入れの奥に口でくわえて、

連れ込んで、子猫たちを隠した。

そんなジュピに助けてもらった体験がある。

ある日筆者が、デリーの我が家の裏の道を歩いていたら、たむろ

していた野良犬に襲われそうになった。

すると、近場のマンホールの下にいたジュビが、やおら飛び出し、

私の目の前で、自分の数倍ある野良犬の眼をめがけて、爪をたて

ながら、大きく高くジャンプして、彼らを撃退してくれた。

驚いた犬はキャーンと声をあげ、飛ぶように逃げて行った。

 

彼ら動物たちには、”無我の情”が、心の底から、湧いてくる。

我欲に満ちた 傲慢な人間が造りだす社会で、共存を余儀なく

されている彼らに こよなく同情すら感じてしまう。

 

1990年以前のデータではあるが、世界全体で 約一億の動物たちが、

動物実験の犠牲になり、苦しめられ、殺されているという。

 医薬業界だけではなく、白髪染めや化粧品製造、耐久力の実験や 

心理学的実験にまで駆り出される。

そのために、ハツカネズミやモルモットだけではなく、猿、馬 猫 

犬 などが、彼らにとっては訳が分からない虐待を、時には死に

いたるほど、苦しむ実験対象として、虐待されているのだ。

 

たとえば、泳がせてみて、溺れるまでのスタミナを計るためとか、

首を切断されて他の動物の首を移植される手術材料として、

人間に一番近い猿の子供を生まれてすぐ母ざるから隔離して

暗い箱の中で5年以上飼育して、愛のない環境のもと、どのような

影響を与えるか調べられたり・・・

或いは無防備な動物をしばって、凶暴な野獣の檻にいれて、

どのように身を守るかデータをとられたり・・・

 

印度の拙宅のアパートメントの3階に2年前、不思議な家族が

引っ越してきた。

引っ越ししてきたときは、真夜中、寝静まったときに、すべての

荷物を運びあげ、その中に、犬が数ひきいるということは、

すぐ判明した。

ドアの付近やバルコニーの窓を開けると、その部屋から、異臭が

漂い始め、犬の吠え声が聞こえたからだ。

しかし、不思議なことにアパートの住人誰一人、その犬たちが

散歩しているのを見たことがなかった。

我が家のお手伝いさんが、その家に出入りしている掃除人に尋ねた

処、なんと、ケージの中に犬が最低7~10匹 入れられている

ということだった。

散歩をさせないので、垂れ流しで、日光にも当たらない部屋に

一日中いる。

 

異臭や鳴き声の近隣への迷惑を顧みず、その後、一年間、彼らは

住み続け、いつの間にか 引っ越していった。

飼い主は医科大学の教授だった。

犬は実験用だったというのがもっぱらの噂だった。

 

人は怖い~と彼ら動物の本能的感情に同情する。

マザーテレサが表現したように、”生きた赤ん坊がゴキブリのように”、

ゴミ箱の中に投げ捨てられる。

動物世界で起こり得ないことが人間界では多々起こっているのも

事実だ。

 暴力、社会不安、テロ、暗殺事件、都市化と格差社会、内紛、

世界戦争の危機、核問題、資源問題、エゴとエゴ、利益と利益

のぶつかり合い、無類の動物好き達は、そんな世界と無縁に、

謙虚にありのままを受け入れて、生きている身近な動物たちとの

心の交流にどんなに大きな癒しを受けてきただろう。

あらためて、一周忌を迎える、愛犬チャチャとチュチュに

感謝したい。

 

 フリ―画像猫 に対する画像結果

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