自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

夏木静子さんの心身症とホメオスターシス

2020年02月24日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


意思は遺伝子を変えるエネルギーがあり、想念が病を癒した実例   

2020・2/24

************************

 遺伝子は体のメンテナンスに主軸の働きをして、

性格や性質にも影響を持つことは知られている。


遺伝子は変えられないと思っている人が多いようだが、

後天的に生活習慣や感情・思考・想念によって

変化させることができることは科学的に証明されている。


”理想の自分に自分の想念の力で変わる”~ということを、

今日はもう少し、具体的に実際の生活の中で

みてみたい。

 

作家の夏木静子さんは心身症になり、心療内科の扉をたたいた。 

といっても、当初は心療内科の医師に”心身症です”と言われ、

そんなはずはないと、かなり抵抗していたようだ。


結果的には、体と心の相関性を体験して、難儀していた痛みが

和らぎ、次第に、健康体を取り戻した。

そのあたりを、ご本人の体験(*1)から引用させて

いただきたい。

 

心身症の初めての自覚と言えば、腰が怠く感じられ、

腰かけていることさえ“頼りない”感覚で、

“突然、椅子に掛けられなくなったのだ。

これがすべての発端だった。”

と綴っている。 


その後の症状は以下のようだった。

“背中に鉄の甲羅を張り付けたようなとか、身体が地に吸い

寄せられるような”、全身の倦怠感。 


それが2か月続き、“腰が豆腐のように頼りなく、手をついて

階段をのぼる”ようになり、そのうちに、“痛みはベッドの

中で目覚めた直後から始まり、ゆっくり、ベッドに留まって

いることも許してくれない。

覚醒直後から発生する痛みは、背中のあたりまでどんどん

増幅して、寝ている状態に耐えられなくなって

くるからだ。”


“結局、朝から晩まで大部分の時間、身体をエビのように

曲げて、じっと横たわっている以外に何もできない。

どんな鎮痛剤、座薬も注射も、私にはまったく効かない。”

こんな状態が3年近く続いた。


当然、その間、精密検査をうけた。 

が疾患はみつからなかった。

”大学病院の整形外科、内科、婦人科、神経内科で精密検査、

精神科まで受信したが異常の発見はなかった。”


そうやって、2年半もたつころには、私は回復への希望も

失い、いずれ、このまま死ぬしかないのだろうといった、

無気力状態で家に引きこもるようになった。


横向きに寝て、画板に原稿用紙を張り付けてい書いていた

仕事も、もうほとんど、できなかった。”

 

そうした折に、東京から来た心療内科の医師の訪問を

受けた夏木氏であった。

問診のあと、医師から”典型的な心身症”という診断が下った。 

心身症とは、“心の問題でおきる、身体の病の総称です。”

と医師は説明した。

 

夏木氏は、それを聞いても納得がいかなかったという。 

医師に問う。

“でも、心因でこれほどの激痛が起きるとは考えられません。”


すると、医師は “いや、心因性だからこそ、どんな激しい

症状でも現れるのですよ。”と答えた。

ここは注目したい。 


想念(意思)は心の所産だ。 

想念はエネルギーである。 

エネルギーは何かを物質化できる力だ。


だから、心によって、心身症という病気は作り出されると、

医師は夏木氏に説明したのだが、夏木氏は、すぐには納得

できなかった。 

夏木氏はその後、半年間にわたり、疑問に覚える部分などを

その医師にファックスを通して伝えて、やり取りをしている。 


夏木氏の当時の見解はこうだった。

 “わたしにはこの痛みが、たかが、心因から生まれているとは

到底考えられない。

第一、心因などは何も思い当たらない。” 


“‘素人だが、誰よりも自分のことは自分でわかるはずの、

私の本能と直観が(NO)と叫ぶ’と”“


多くの先生方が、ストレスとか心因とかいうのは、病気の

治し方がわからず、目に見えない原因に責任を転嫁する

言い訳のように感じた。”


しかし、1996年1月、最初の腰の違和感から3年たって、

夏木氏はこの医師の働く総合病院に入院した。 

心療内科だった。 

どのような治療がなされたかといえば、約3週間は医師との

話し合いのセッション、問診が中心だった。


その間、腰の激痛に対する処置はなされなかった。 

2月にはいり、絶食療法が始まった。 1

2日間飲料水以外は取ることができず、アミノ酸やビタミン類に

関しては点滴で補強された。


この絶食療養は病院の個室で行われた。 

目的は、その間、患者自身が、心身の苦痛をあるがままに

受け入れられるように、“直面する”ということだった。

 

断食療法は、心身症のみならず、いろいろな面で活用されて

いるようだ。

印度のヨガ道場では、当たり前のように、断食法が心身浄化

のために行われ、宿便などの排泄物を徹底的に体外に出す

ことができる。 


自然治癒力を高めることも可能だ。 

人体に備わっている、ホメオスターシスという恒常性の働き

が強まるからだ。 

その背景には、これまで以上に断食中の、体のメンテナンスを

計るために、体内の自動制御装置が働きはじめ、内分泌系

や免疫システムの他、各臓器も血液生成など刺激される。


つまり、活発に、身体の一定状況を維持するために体の組織が、

働きだす。 

この一定に維持することを、生体の恒常性と呼ぶが、

ホメオスターシスとも呼ばれて、断食の最も大きな効果と

みなされている。

 

さて、断食に入ったときの夏木氏の状態は、次のように

書かれている。

“わたしはかつてない嵐のような激痛に襲われたり、

また海が凪いだような安息の時間に恵まれたり

しながら、初めて医師の積極的な指示や指導を受けた。


それによれば、‘私の意識はこれまで常に仕事に前向き

で絶えず、自分を鼓舞して新しい作品に挑戦してきた。 

いわば、ひたすら頑張って、走り続けることで充足し、

自らを支えてきた。


自分ではどこにも発生の心因は見いだせなかった。

しかし、私の気がつかない、潜在意識は、もはや疲れ切って

休息を求めていた。


意識と潜在意識が乖離(かいり)したあげく、潜在意識が

幻のような病気をつくりだして、そこへ逃げ込んだ

’疾病逃避(しっぺいとうひ)‘が私の発祥のカラクリなのだ~

と説明された。“

 

その疾病逃避が、なぜ、3年間も尾を引いて、さらに悪化

したのか?

それは医師の説明では、“幻の症状は最初は軽度であった

かもしれないが、私の気持ちがそれに強くこだわったため、

症状はみるみる肥大化し、三年の間にのっぴきならない

重症患者になった。”

ということだった。


そして、それを認めた夏木氏に変化が起こる。 

まず、仕事への執着を棄てた。


それほど、夏木氏は疲れ切っていた。 

“わたしはもうデスクに向かって文章を紡ぎだす作業が

できない人間になってしまっていた。

精魂つき果てた思いで、私は心因を認め、断筆を受け入れた。”

のだ。   

 

続く

 

(*1)心療内科を尋ねて  新潮文庫 平成24年5刷

 (2)夏木静子について

東京府(現東京都)生まれ。慶應義塾大学英文学科卒

1960年、大学在学中に五十嵐静子名義で執筆した

「すれ違った死」が江戸川乱歩賞候補となり、

それがきっかけでNHK総合テレビの推理クイズ番組

『私だけが知っている』のレギュラーライターに抜擢され、

以後3年間で約30本の脚本を執筆する。


1962年3月、夏樹しのぶ名義で短編「赤い造花」を

『女学生の友』増刊号に、同年6月に中篇「ガラスの鎖」を

『宝石』に発表。


1961年秋には仁木悦子、戸川昌子らと女流推理小説作家の会

「霧の会」を結成する。

1969年、夏樹静子の名前で『天使が消えていく』を発表、

第15回江戸川乱歩賞の最終候補に残る。


1970年に『天使が消えていく』が出版され、本格的な

作家デビューを果たす。

1973年、『蒸発』で第26回日本推理作家協会賞を受賞

『第三の女』は仏訳され、1989年、第54回フランス犯罪

小説大賞(ロマン・アバンチュール大賞)を受賞。


中国語訳『蒸発』『Wの悲劇』は、北京探偵推理文芸協会賞

の翻訳作品賞を受賞(1998年、2001年)。

1984年にはノンフィクション『妻たちの反乱』がベストセラー

となり、1992年に『白愁のとき』で老いの問題を扱い、

1997年には自身の体験を綴った『椅子がこわい-私の腰痛放浪記』

を刊行、精神的原因から来る身体の不調について

広く知らしめ、日本で心療内科が広まるきっかけを作り、

同書は今でも版を重ねている。


1999年に試験管ベビーの問題をミステリー形式で扱った

『茉莉子』を刊行、女性の視点から数々の社会問題に

取り組んでいる。


2007年、ミステリー文学の発展に貢献したとして、第10回

日本ミステリー文学大賞を受賞。

2016年3月19日、心不全のため福岡市内で死去。77歳没。

 

 

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想いや思考は電磁的波動。それに合ったものを引き寄せるわけ

2020年02月16日 | 健康のための心の波動

遺伝子を変えること  2020年2月16日

*******************************

 

遺伝子に信号を送って、自分の過去のトラウマや、

悲壮感の原因になっている思い出を取り払う~こと。


これが、自分の夢をかなえる一歩だ。 

想いがエネルギーを発しているのなら、

想いが遺伝子に届くのなら、想いが時間や場所に

限定されず、発信したら、どこにでもすぐ到達

できるものなら、そして、遺伝子がそれを

キャッチする能力があるのなら、そういえるだろう。


難治喘息者や、放射線で癌治療をしていた被施術者

のセラピーによる改善、私自身の生まれつきの

アトピー性皮膚炎や、神経症的躁鬱状態の、

全面的体質改善、国立機構相模原病院で切除した

癌細胞の他所への移転を無薬で防げたという体験

の根本にあったのは、想念の力だった。


アートマ(生命力)への全託という、想念のみ

だった。


寝ても覚めても、生命力の本来持つ能力、を

信じて具体的には、生命力が開花できるような

体の下地、つまり、体内を走る24経絡の順気の

流れを整え、マイナスの感情でその流れが

邪魔されないように、心のメンテナンスを“真言”

(祈り、マントラ、経典、などの真理の言葉)

を絶えず口にすることで、計ったことが具体的

に私がしたことだった。

 

さて、冒頭の二つの疑問、想いはエネルギーか?、

と、それがDNAを変えることができるのか?という

ところからみてみたい。

 

①想いはエネルギーなのだろうか?

数回前のブログでご紹介したディスペンザ博士

は次のように書いている:

I find it a useful model to think of thoughts as

 the electrical charge in the quantum field 

and feelings as the magnetic charge in the field.

~思考は量子場の電荷として、感情を磁化として

考えると分かりやすい。

 

The thoughts we think send an electrical signal

 out into the filed. The feelings we generate 

magnetically draw events back to us.

~つまり、思いめぐらす思考は電気的信号を

場に送る。

感情は(思いの)事象化されたものを

私たちに引き寄せる。

 

Together, how we think and how we feel products

 a state of being, which generates an electromagnetic 

signature that influences every atom in our world. 

This should prompt us to ask, what am I broadcasting

 (consciously or unconsciously) 

on a daily basis?”

~どう考え、どう感じるか、が存在の形を

生み出し、それが総体として電磁的吸引力を

持つ信号となり

我々の世界のすべての原子に影響を与えている。 

とすれば、次の質問が即来る、つまり、私は

普段から、意識的にせよ、無意識にせよ、何を

世界に向けて

発信しているのだろうか?と。 (以上)

 

博士は、引用した中で、”想いはエネルギーである”、

ということを、”考えと感情が組み合わさった時の

相乗効果は、磁気を持つ電磁波となり、それに

ふさわしいものを自分に引き寄せ、同時に、

世界中の原子に影響を与えている”という表現

をしている。


日本語の“想い”というのは、だから、

少し、弱い言い方だろう。 

“念”と言った方が適当か。

 

”唯心所現 ”と言う言葉がある。 

”心で思うもの感じるもの、念じるものが、

所を得て現実に、現れる(実現する)”と

いう意味だ。 


これもまた、博士の述べていることと

同意義のことだろう。

念じたことが “世界のすべての原子に

影響を与える”というのは、つじつまが

合わないように聞こえるかもしれない。 

思考と感情が一致したとき、相乗効果を

もたらしたとき、その電磁的波動は、時間

や空間を超えて、たちどころに外の世界へ、

発信されるという意味だろう。


すると、その電磁波は空間・時間の限定を

受けず、世界中のすべての草木が太陽光線

を受け取り、炭酸同化作用に役立って

いるように、想いと感情から生じた

エネルギーも、この世の存在物の原子レベルに

キャッチされるということ。


具体的に言えば、私たちも、何かの情報

(活字、テレビ、ラジオ、会話など)を通して、

不安になったり、追い立てられている

ような感じになったり、嬉しくなったり、

怖くなったりすることがないだろうか? 


それは、私たちの周りには、世界中から

発信されているさまざまな想念や感情、

想いの波が充満しているから、たまたま、

そのどれかに自分のアンテナの周波数が

あってしまったということだ。 


生まれてから体験したことのない戦争の

生々しい残酷さを、ふっと何かをきっかけ

にまるで体験したように感じて、ストレス

を感じることがあるのは私だけだろうか?

 

②遺伝子がそれらをキャッチすることが

できるのだろうか?

ここにこんな実験結果がある。

2003年の実験報告で詳細の出典は

下記に記した(*2)


この実験はカリフォルニアのハートマス

研究センターで、細胞生物学者、グレン・ライン博士

が行った。

主眼は、治療者に、DNA入りの試験管を

持ってもらい、治療者の感情が生物システムに

どのように影響を与えるか見るものだった。


試験管を持つ治療者を、三つのグループに分けた。

一つは愛や感謝の感情を持って試験管を

2分間もつグル―プ、


二つ目は、愛と感謝の感情だけでなく、DNA

の螺旋の形状を意識しながら、語りかけるように2

分間、試験管を持つグループ、


三番目はDNAを変化させようという目的意識

をもつものの、愛や感謝というプラスの感情は

全く抱かないで試験管を2分間もつグループだった。

 

それぞれの治療者の能力はグレン・ライン博士

により教育を受け、同様の能力を持つ者たち

だった。


その結果はというと、一番目のグループは

試験管のDNAに変化をもたらすことはなかった。


3番めのグループも同様に、変化は起きなかった。

しかし、2番目のグループには顕著な変化が

認められた。


試験管内のDNAサンプルの形状が変化する

ものがみられた。

なかには、あの螺旋状の形状が25%も、

解かれたり、反対に巻かれたりするものも

みられたという。

 

この実験結果は何を意味するのだろう?

感情(エネルギッシュな)と明確な目的意識

があれば、“DNA形状を変えよう”という

その意思が伝わり、対象を変化させることが

できたのだ。


目的意識だけではそれが変わらず、

感情だけでも変えることはできなかった。

感情と目的意識がそろって、2分間の間に、

DNAの螺旋状の形態を変えることが

できるということ。


この実験でハートマス博士は次のように

立証づけて結論した。

“量子場は願望、つまり、感情的要求だけ

では反応しないし、目標、つまり、思考

だけでも反応させることはできなかった。

目標意識と、感情的要求の二つがそろって、

対象が反応する。”


そして、このように言う。

“The quantum field responds not to 

what we want; it responds to who we are being.”

このラインは少々、訳するのが難しい。 

文字通り訳せば“量子場は私たちが求めて

いることに反応するのではなく、私たちが

どんな存在であるかということに対して

答えてくれる”


ということになるが、皆様の心に

すんなりと入っていくだろうか?

原語であえて、ここに引き合いに出した

のは、最後の言葉、“who we are being” 

の言葉の重さだ。


”私たちがどんな存在か”、という意味だが、

もっと深く行間を読むのなら、

”私たちが存在しているということは、

感情と意思(目的)がある”ということになる。 

その定義でいけば、AI(人口智慧)は 

being、真に、”存在している”ものではない。

ロボットがいかに優秀に智慧を発揮し、

運動を展開し、人間以上の力を出すこと

ができても、湧き出る高揚する感情を

抱くことがない限り、機械にすぎず、

それはbeing"存在する代物"ではない

 

そして、感情 をもっと、私たちは大切に

扱うべきだというニュアンスもここに

あるように思う。 


どんな感情をいだくか? 

が私たちが思っている以上に周囲に環境に、

地球に影響を与えているという。


プラスかマイナスか、ハッピーかブルーか、

前進か後退か、愛か憎しみか、どんな

感情を抱くのか、そして、その感情が

私たちのDNA細胞にも直接影響を

与えることができることを博士は

示唆している。

 

感情は女々しく、泣くことは男は赦されない~

と育ってきた男性が、或るとき、とてつもない

大病をしたりする。 


感情をオープンにすることは、男らしくない

から、いつも内に秘めて、冷静沈着に

興奮しないよう、振る舞ってきた結果、

感情と意思のバランスが崩れて、細胞の

DNAに悪影響を与えてしまった。 


免疫システムや消化能力、新陳代謝システム

にかかわるDNA(遺伝子細胞)に

少なからず、不自然な影響を与え続けて

きたのなら、病気の下地をつくって

いてもおかしくない。


そう考えると、感情を解放することは 

ある意味とても、大切だ。

泣くことも、わめくことも、怒りで声を

荒げることも、時には悪くないだろう。

一人のときに思いっきり感情を爆発させる

ことは、場合によっては必要かもしれない。

 

 

*1. Christ Returns-Speaks His Truth

 (Bloomington, IN: Author House, 2007)

*2・ McCraty, Rollin, Mike Atkinson, 

and Dana Tomasino,“Modulation of DNA conformation 

by heart -focused intention” HeartMath Research Center,

 Institute of HeartMath, Boulder Creek, CA,

 publication no.03-008(2003)

 

***********************

 

 

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お詫びと訂正

2020年02月06日 | 協会ホームページ

今日から 3回の予定でお送りします             

2020 2月6日

***********************

 

現在の自分の殻を打ち破る ~ という主題で記事を

予定していたところ、編集ミスで 1月末に

スサノオの尊の記事が出てしまいました。

一応ひっこめさせていただきました。


”理想の自分になるために”~と前回の記事の中で予告させて

いただいたとおり、本日からのシリーズに切り替えました。

お詫びまで。

 

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理想の(心身共に健康の)自分になるための想念活用

2020年02月06日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

序章  本音と建前の自分 2月6日                        

*****************************************

前書き

どんな自分になりたいと思いますか?

このブログを日常読んでくださっている

あなたへの質問です。


近しい私の仲間の一人は

“執着がなくなり、いつでも解脱できるような自分になりたい”

と答えました。 


これはもっと平たく言えば、いろいろな言い方に置き換えられる

でしょう。

たとえば、“小さなことや身のまわりに起こることに

あまりとらわれることなく、心が平穏で、生きがいや

充足感に満ちた自分” でいるとか、


“去る者は追わず、来るものは拒まず”のように、飄々

(ひょうひょう)と心も体も無駄な力をどこにも入れない

自分になること”。~ とか。

 

気まぐれな猫でさえ、飼い主には、安らぎを・・・、

寝てばかりいるワン君でも、飼い主に無言の愛情を

感じさせる能力がある。  


特段、彼らは理想の自分とか、難しいことを考えているはずが

ないのに、愛されるべき存在だ。


なら、私たち、思考力がある人間が、意識して”なりたい自分”

になるために、どんな方法があるのだろう。

どう”想い”や”想念”を活用できたら、いいのかというのが

今日からのお話しです。

**************************************************************

誰にでも、本音と建て前の自分がいる。 

本音を出せば、相手に不快感や誤解を招くから、適当に

社会的な言葉に自分の本音を変換する。

とても、笑う気分でなくても、とりあえず、周囲と

同調して楽しそうに振る舞う。


本音と建前の、その”ふり幅”が大きければ大きいほど、

ストレスを感じる。

”建て前”=”本音”で、もし、他者と接して、相手に不快感

を起こすことないほど熟成した自分であれば、人生に

ストレスは大分、なくなるに違いない。


芸能人やスポーツ選手の間で時々、大麻の所持が話題に上る。

今日も女優のEやSのその裁判に700人近い人が傍聴席の券

のために並んだとニュースに出ていた。


女優や俳優は表舞台の顔だ。

生き生きとした魅力を保つために、どれほど彼らは努力を

しているだろう。

スポーツ界のスターも、公平で、さわやかさを期待される

のはやむを得ないだろうが、人間だから、絶対見られ

たくない、“本音” の部分はあるに違いない。 


たとえば、自信のなさや不安、心配や嫉妬などで

葛藤していても、すべて押し隠さなくてはならない。

それが建て前と本音のギャップになる。 


そして彼らのように、本音の自分と建て前の自分(公の

ステージで見せる顔)とのギャップが大きくなりすぎた

とき、コントロール不能になったとき、大麻などが、

”嫌な自分(負の感情)”を”ハイな自分(プラス感情)”

へと変えるための助けとなっていたのだろう。

 

皆さまはこんな経験をしたことがないだろうか?


誰かと電話で長話をしたくなる、お酒を無性に飲んで

みたくなる。

ショッピングで予定外のものをたくさん買う、

どこか、静かな自然の美しい場所に一人旅に出かけてみたく

なる・・・


当たり前の事かもしれないが、もしかしたら、その背景

には、このギャップに耐えがたい自分がいるから

かもしれない。 


”自分の本音の負の部分”が、強くなって、そのバランスを

取るための手段になっているかもしれない。

本音の負の部分 というのは、他人がのぞけない自分の

心の奥に潜む、負の感情だ。


他人が知っている自分は、“建前の自分”だから、彼らが描いて

いる“わたし”の像には、ドロドロの内面などは見えない。


バランスが崩れると、その“スマートなわたし”を 自分自身で、

想いだすために、電話で友人と話したくなる。

そうすれば、“いつものイメージの自分”を確認できて、

何となくほっとする。


ショッピングは、好きなモノを手に入れると同時に解放感

をもたらしてくれるから これもバランス修正善い薬だ。


お酒は言う間でもなく、飲んで酔えば、本音の声を聴かなく

てすむから嫌な気分も一時的に忘れる。


芸能人が大麻に手を伸ばすのも、我々が日常生活で’健全な

’手段で、視たくない自分 に煩わされないようにする

ことも、同じ一つの目的から来ているのかもしれない。


本音の心の負の感情 に打ちのめされないため~という

目的だ。

“本音の負の部分”が強くなっていくと、こうしたレメディー

をとりながら、“建前の自分”を強くしてバランスを取る。


“世間の人々が知っている自分” と “自分しか知らない内面

の負の感情”のギャップは、ストレスを生むと同時に、

それとどう向き合うかで、二つの異なる選択肢ができる。


一つの選択肢は、内面の負の感情に眼をそむけて、そのために、

外界に眼を向けていく生活。

趣味や交友、ビジネスやパソコンゲームや、楽しく没頭できる

ことに、集中するという選択肢。

外界には、刺激を与えてくれる対象はいくらでもある。

 

もう一つの選択肢は、そういう生活を余儀なくされているに

しても、自分の内面に目を向けようとする生活だ。


内面に目を向けるためには、静寂が必要だし、時には

一人だけの時間が大切だ。


田舎暮らしという言葉が使われるようになった。 

退職後、自然の中で暮らしたいという都会人が増えてきた。

“規則・ルール・の型にはまった、これまでの会社勤めから

解放されたくなった”というのが、人里離れた離村で86歳の

一人暮らしの理由。 


周りからは、彼を、“仙人”と呼んでいる。先日の放映番組の

一コマである。

現役時代は、数百人の部下がいたというほどやり手だったの

だろう。 

が、次第に、いつかは自由で解放された人生を楽しみたい・・

という夢があったと語っていた。


この老人は番組でこうも語っていた。

“こんなに好きなことをして最後まで楽しく生きられた

ことに感謝をしたい

あと数年で命が絶えたとしても、満足だ” と。


テレビでは語られない、この人自身特有の、自分の内面との

向き合い方 があったのだと思った。 

好きなこと~といっても一人で、家を修繕する、畑を耕し

自給自足の生活をする~というもの。

ヒトは一人でいればいるほど、否応なしに、“内面と向き合う”

チャンスは多くなるはずだ。

 

若いのに命を絶つ多感期の子供たちは少なくない。

“何のために生まれたのだろう?” 

“生きている価値などない”、

“自分は生まれなければよかったのだ。

いじめられ、傷つくだけで。” 


この“自分の本音”と“建前”のギャップに悩むのは、大人

だけではないことは確かだ。


十代の彼らもまた、本音の自分と建て前の自分の“ギャップ”

の狭間で“助けて!”と叫びながら、周りの普通の大人たち

や友人たちに理解されない、内面の葛藤で苦しんでいる。

 

青年期、壮年期、殆どの人はこうした“ギャップ”に気が

つきながら日々の忙しさの中で、どうすることもせず、

見て見ぬふりをする。 


それは、ちょうど、夏休みになり、楽しさに宿題や課題を

忘れ、といっても、いつも心に気にかかっている状態に

似ている。


夏休みも終わりになりかけた最後の週に、慌てて、たまった

宿題に手をつけるのが、私自身も常だった。 


同様に、眼をそらしていた“ギャップ”に、向き合わなければ

“心の平和”が取り戻せない事に気がついていても

なかなか、どうにもならないものだ。


夏休みの宿題なら、1週間で片付くかもしれないが、人生の

終焉にこのギャップに気がついても、心の奥に何層にも

積み重なった“負の感情”は、固く定着してしまい、

一朝一夕にそれを色替えするにはあまりに強固になりすぎて

いる。

 

“こんな人になりたい” とだれにでも願う像があるだろう。 

“でも到底、自分は逆立ちしてもそんな風になれるはずない” 

と同時に諦める自分もどこかにいる。


どうして、そう否定しがちになるのだろう?。 


その大きな理由の一つには、建て前の自分 と 本音の自分の

ギャップを埋めることはできないと考えているからかも

しれないし、負の感情を積み重ねていくうちに、

コントロールが効かないほど、強く心の重荷になっている

からかもしれない。

 

心療内科を確立した池見酉次郎先生は、宗教学に精通して、

ご自身でも悟りのための修行を積んでいた。 


心の奥底に眠る“負の感情”を克服するために、さらに

深い次元に潜む“すでに悟っている自分”を

掘り起こす努力をされていた。 


それは心の内面に目を向け、深く、さらに深く、内面の

感情を見つめ、その感情と身体の器官の関連性を

見つけることでもあった。


私たちが“自分”だと思っているものは、ほとんどが、

外界(家族、職場、友人、趣味活動、仕事、運動、学校、

恋愛、チャリティー活動、ペット、など) のかかわり合いの

ある日常生活でつくられたものだ。 


自分らしさ、アイデンティティーというのも、そうした外界

の社会生活の中で身に着いた、他者からみた“自分像”にすぎない。


池見先生のように、内面にさらに、奥深く内面へと、

凝視していくのには、他者の眼は役にたたない。


”本当の自分は?” という問いかけを、自分に、他者はできない。

 

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