自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

時は春:雑草の教える”安心感”とは?

2017年04月30日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

甲斐信枝さんの世界:自然の摂理が安心を産み、取り越し苦労もなくなる話   2017・4・30

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 時は4月下旬。

五月に入れば、初夏の香りが空気に漂い始めるだろう。

朝、野草の花が愛犬との散歩で通るいつもの、路地の

片隅や原っぱに満開だ。線路わきにたくさんのタンポポ

の花が黄色の帽子を風に揺らせている。

そのそばには名前も知らない種類の雑草がピンクや薄紫

の可憐な花を咲かせている。

 

ヨモギの葉に似た野草にポピーの花のような薄橙色の花が

スーッと伸びた茎と一緒に仲間たちと風になびいている。

これまで、雑草といえば、抜かれる草 ぐらい程度の意識

しか持たなかったが絵本作家、甲斐信枝さんのNHKの特集

(*注)を観て、野草や雑草への感じ方がすっかり変わった。

 

タンポポと一口にいっても、地べたを這うような背の低い

ものから30センチ以上の背の高いものまであると思っていたが、

背の高いのは のげし というようだ。 

家のヴェランダの鉢にも、いろいろな雑草の葉が3月ごろから、

顔を出していたが、そのままにしておいた。

 

以前は、お構いなしに、引っこ抜いていたが、この春はこれが

花をつけるまで待ってみようという気持ちになった。

そして、今、鉢に植えられた主人公の植木のそばで、調和して、

可憐な花を咲かせてくれている。

 

中でもお気に入りの雑草を見つけた。

雑草といえるのかどうか?、春のオダマキ という名前の花。

源義経の愛人だった静御前が しずやしず、はるのオダマキ・・ 

と歌いながら舞をまったその歌詞の中の オダマキ、らしい。

そんな話がぴったりと来る、風情がある趣(おもむき)だ。

1cほどの、渋い紫の花弁が6枚ほど、それが何重にも巻いて、

花の中心には黄色のめしべが小さな花のように顔をだしている。

 

遠目でみると、花全体が、かわいらしいエネルギーの渦の

ように見える。 いつの間にかあっちのポット、こっちのポット

の隅に葉っぱが出ていたが、いつの間にか、こんなきれいな花

が咲いて 春のオダマキ だと知ったときは嬉しかった。

 

野草の根っこは害虫がよりつかないようだ。

根切り虫と呼んでいる、カブトムシの幼虫のような白い虫、

土の中で植物の根っこを食い、これまでにも、いくつもの

花を枯らした。先日 ポットに肥料を与えるので土をほじくった

が、タンポポの生えている鉢にはこの虫は生息しておらず、

雑草の生えていない鉢には、丸まって何匹もうずくまっていた。 

 

野草の根っこには 防虫的役目があるのかもしれない。

だからこそ、野草の繁殖力は半端ではないのだろう。 

あっという間にさら地になった土は、野草でおおわれていく。

 

さて、こんなお話をしているのは、甲斐さんが、NHKの

特集番組(*注)の中で語った言葉がとても印象に残った

からだ。甲斐さんは順風満帆で絵本作家の地位を築いたのかと

思いきや、火事で、家を焼いたと番組で話していた。 

 

火事で、それまで時間をかけて、書きためていた原稿や大事な

野草のスケッチは すべて、燃えてしまったという。 

その時、気力が低下していた甲斐さんを奮い立たせ、勇気を

与えてくれて、人生観すら変えてしまった”きっかけ”があった。

 

”本当に人生観が変わったのです。”と笑顔で言う。

それは、野草の声だった。 いつものように、原っぱにスケッチ

に出かけた甲斐さんに、野草たちが声なき声でメッセージを

くれたという。

 

“私たちはいつも安心しています。 

時の流れの中には、私たちの生命が奪われてなくなることも

あります。

でも、安心しています。必ず、時がたてば、その種や生き残った草が

また、復活して多くの仲間たちを増やして

いくということを知っているからです。生きることは安心です”

 

大丈夫、甲斐さん、火事ですべて失っても、必ず、貴方は

私たちと同様、復活を遂げますから、もっと、繁栄できるのです

から。~ という声なき励ましであったに違いない。

たぶんこんな意味の内容だったと思う。

 

安心、そうだ。 安心しています~と言葉に出して言える心境

とほど遠い日常生活を送っていることに気が付いた。

いつも、心の奥の方で、これから遭遇するかもしれない何か

に怯え、心配し、取り越し苦労をしがちな私たちの心。

 

友人知人に、心配ごとを話して、最後に、大丈夫、安心して

ください~と慰められても、”はい、そうですか”~と簡単に

割り切れるものでもない。

 

だから、雑草はすごいなあと思う。 

甲斐さんに語り掛けた言葉は、本当に説得力があったのだろう。

 

彼らは、花屋さんに並ぶ程の価値のタグを着けていないし、

周りの人間から、肥料を与えてもらうほど手を加えて育て

られる存在でもないだろう。 

でも、本当に楽しそうに、愉快そうに、花を咲かせ、春の歌

でもくちずさんでいるかのようだ。

そんな雑草を見る甲斐さんの目も 一緒に輝く。

 

キャベツの葉の上に転がる一筋の露(つゆ)の七色の光に、

宝物を発見したかのように感激している。 

自然は、そして、そこに自生する野草や雑草は、軽やかで、

自然体で人に可憐さを見せびらかすとかひけらかすとか、

余計な気持ちはさらさらない、。

ましてや、隣に咲いている花と、その美で競い合うとか、

花瓶に生けられ人目に公然とみてもらうかどうかなんて、

そんなことはどうでもいいのだ。

 

彼らは、生きていることだけで、幸せ。今ここが晴れ舞台、

存在の充実感を謳歌している。さすがに、雑草むしりをする、

人間の手にはかなわない。 鎌で切り取られたらおしまい・・

ところが、必ず、どこかでまた、復活する。そして群生する。

 

今、すべて失ったようなときでも、生きている限り、”安心” 

を忘れないで。 心に余裕をもってね、事態は きっと、時

とともによくなるほかないのだから・・・それが自然の摂理

だから・・・

 

小さな野のスミレや ヒメジョオンの白と薄ピンクの小菊の風情、

クローバーや三つ葉の小さな花々、ぺんぺん草にもかわいい花が

付くことを知った。生命力の逞しさと、自分たちが生き残って

いくという信念は、彼らの厳しい生き延びていく条件の中で、

引き継がれてきた、心の礎(いしずえ) なのだろう。

言い換えれば、それが 安心。

 

私たちも、ついつい苦しいとあがいてしまいがちだが、彼らの

ような 安心という言葉を時には、心に呟いて、深呼吸して

みたら、きっと、青空が大きく広がっていることや

ぽっかり浮かんだ雲の存在に気づいたりして、野草の気持ち

と少し、一体感を味わえるかもしれない。

 

 

 

注*:

NHKドキュメンタリー - 足元の小宇宙 絵本作家と見つける …

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3035/2345010

 

 

 

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形而上的癒しと 悟りの関係:スポンテナス・ヒーリングの本質(後)

2017年04月25日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

観自在菩薩と自然治癒力(後)2017.4.25

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4月20日(推敲して22日再投稿)に、禅宗の公案に

”未生以前本来の面目如何“ というのがあることを書いた。

この公案の面目とはどういう意味だろう?

’めんぼく’ と読む場合と’めんもく’と読む場合が、あり、

めんぼく のぼくは漢音で、もくは呉音だと辞書(注*)にある。

① 世間対する名誉や体面世間からうける評価。人にあわせる顔

② 外に表れている様子めんもく


〔「もく」の場合は呉音

①「 めんぼく(面目)」に同じ。

②顔かたち。容貌。 (注*~三省堂大辞林)

 

つまり、面目はこの場合、“外に現れている様子”とか、

”容貌”という意味だろう。

”生まれる前の姿(様子)が、如何なるものや?”というのが

この公案の意味になる。

 

これは今、貴方がご覧になっている記事右上に書かれた、

拙協会の”癒しのためのテーマ”、“形而上的癒しは超物質の

自分を知ること”に通じる。さて、この公案の答え?

前回、”まだ、五感の感覚器官ではつかめない、実在の生命

だった“と思うと書き、

 

” それがいろいろな因縁で、現在の父母を選び(我々生命

自身が)この世に、やり残しのカルマ清算を果たすべき

生まれてきたということだ。” と続けている。さらに、

”般若心経”では、“空” という言葉があてはめられている

とも。 

 

サンスクリット語でいえば、“アカーシャ”的な ”アートマ

自体”をさすのだが、アカーシャとは、サンスクリット語で

もともとは、大空のエネルギーをさす。 

その大空とは ‘無’ と異なる

 

空っぽの空ではなく、目に見えない”極小の創造エネルギー”、

それが“空”といえよう。 私たちは皆、この“空”を 自分の

本質として秘めもち、生かされている”。

 

般若心経には、“空”とは、何か 説明されている。

不生不滅”“不垢不浄〝”不増不減“ つまり、

”生まれることもなく滅することもない“、

”垢が無い(浄)とか、浄ではない”、

“増えたり、減ったりしない” 

というように、二つの対照的事象を超えた”超現象的存在”で

あることが書かれている。

 

超物質的存在とは?

たとえば、思考のエネルギー とか 五感の認識はできないが、

確実に存在しているとされる”無形の本質体”をさすのだろう。 

人間でいえば 永久的に存在する”生命体(しかも、

アイデンティーの意識をもった)の本質”を“空”と呼ぶのだろう。

 

身体として存在していても、幽体だけでも、霊体として浮遊

していても、その実態は“空”である。色即是空 という

言葉で 般若心経に要約されている。

そう理解できると、生きているとか死ぬというのは、確かに

相反する事象にみえるが、超物質エネルギー的に言えば、

その存在にとっては、死も生もなく、永遠に存在し続ける

ということになるだろう。

 

その存在を、言葉を換えて、生命 という言葉で置き換え

てみる。悟れば恐怖がなくなると 心経では説いている。

私たちの命は、生命体ということを悟れば、それに付随する

“恐怖”はなくなる~ということだ。 恐怖がなくなれば、

ああだこうだという取り越し苦労がなくなるから、心は

平安に、本来の、空(生命)のエネルギーに満たされて

いる状況を作りやすい。 

 

そのことを、お経の中に、菩薩がこの真理に”照見(しょうけん)”

(悟りの境地に達した)時の状況を具体的に 後半に以下

のように描かれている。

“心無けいげ” “無有恐怖” “遠離一切顛倒妄想” ”くぎょう涅槃”

つまり、 心にわだかまり、思い込みなどがなくなり、恐怖はなく

なり、価値観(五感器官で知る世界が実在だという)が ひっくり

返って生まれるすべての妄想と離れ、自由自在の境地に達すること

ができる。~と。

 

さて、自然治癒力(spontaneous healing)との関連はここから

始まる。協会ブログ右上のキャッチフレーズの残りのフレーズ

にこうある;

“形而上的癒しは超物質の自分を知ることからアートマに還ろう!

 アートマは仏性・神性・本質 そう、あなた自身の本質”

ここでいう形而上的癒し とはわかりづらい言い回しかもしれない。

形而上学というのがある。 ウイキペディアによると、

 

形而上学

(けいじじょうがく、: μεταφυσικά、: Metaphysica、

: Metaphysics、: métaphysique、: Metaphysik)は、

感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在としその世界

の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しよう

とする学問ないし哲学の一分野である[1][2][3]

世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、

物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたり

できないものについて考える[4]

対立する用語は唯物論である[1]

他に、実証主義不可知論の立場から見て、客観的実在や

その認識可能性を認める立場[1]や、ヘーゲルマルクス主義

の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法の

こと[1]。”

 

余計ややこしくなりそうだが、上記説明の赤線部分の2行だけ

に注目していただきたい。

つまり、感覚(五感機能で脳に入る情報)の次元を超えた

世界が本当に実在するという考え方。

 

~ これは、今までみてきた般若心経の‘空’観と矛盾しない。

その世界の普遍的原理とここでいうそれが、いわゆる、真理 

である。だから、形而上学のことは、カンタンに言えば、

”五感で取得する世界の価値観を超えたところに真の価値

基準があり、その価値基準の普遍性が何か探る学問”~と

いうことになる。

 

自然治癒力(スポンテナス・ヒーリング=spontaneous 

healing )は、そういう意味で、五感で取得する病状

(に見える状況)に対して、その次元を超えたところに

働く生命力(‘空’)に 自分の意識を飛ばせることで、

認識=体現 という法則から、自然と、引き出されると

いうことになる。

 

形而上的な自分の本質を照見(しょうけん)=明らかに

観て悟る~と、その状態では 病が存在しない という

ことになる。

 

ろうそく(病の種)が燃焼するまで、燃える炎(症状)

同様、熱は、出すだけ出せば、良くなる~という

自然治癒力的考え方だ。病の間、セラピー(アートマを

意識する方法ならどんな方法でも、セラピーと呼ぶと

すると)中、施術者の頭の中の信念が 半信半疑のレベル

を超えて、心の中で確信になるときがある。

 

その時点ですでに、形而上的自分=生命体とつながって

いる場合が多い。被施術者はその波動を受けて、確実に

良くなる。

もちろん、被施術者に、施術者への信頼があってのことだ。 

が、どちらかの立場の者が、もし、半信半疑ならば、この

方法は、危険だ。

 

すぐ病院に行って医師に薬を処方してもらうのを薦める。 

”形而上的”という意味を納得できず、”観念的”に頑張る方が

”危険”であるのは、死にいたることもあるからだ。

 

一方では、形而上的に死んだ人を生き返らせたという話

も残っている。

聖書にキリストが死んだラザロを生き返したという話。

キリスト教信者以外の大方は、こうした奇跡話を、逸話

程度に思っていらっしゃるだろう。

あるいは漠然とそういうこともあろうかとあまり真剣に

考えたりすることもないだろう。

 

筆者の知っているインドの聖人も同様に、心肺停止の

状態で信者を生き返らせたり、危篤状態でも、元気に回復

させた話を見聞きしている。

 

実際、キリストは

“芥子粒ほどの信仰があれば、山をも動かせる”と教えている。

ラザロを生き返らせてくれと頼んだ信者はほんとうに

キリストの祈りで、ラザロは生き返ると信じていた。 

同様、芥子粒ほどの 自分の内側に燃えている生命力へ

の信頼があれば、癌も(あの世に行く時期という運命的な

場合以外は)治るのである。 

治るのではなく、消えるのである~と言い換えよう。 

 

そういう例は多くあるし、私もその体験者の一人である

ことはブログで、お話ししたと記憶する。

 

 

 

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あなた自身が観世音菩薩(前):スポンテナス・ヒーリングの本質(前)

2017年04月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

自然治癒力発動力と 空(くう)の認識の関係性(前) 2017・4・20

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 ここまで 一般的立場から観音様のお話を書かせていただいたので、

自然治癒力セラピー協会の観方から投稿させていただきたい。 

20日に投稿した記事が、分かりにくいものであったので推敲させていただき

再度 投稿させていただきたい。

 

さて、観音様は観世音菩薩と呼ばれ、般若心経の中では

観自在菩薩と表現される。 が、(私は宗教学者では

ないので、主張するのは憚れるが)以下のような見解を

取らせていただく。

 

 1.観音様とは、特定の菩薩様ではないということ。

音を観じる~(観音)菩薩様 とは? 

“波動(音)を観る” 菩薩、という中国語があてはめられ

ている。カンとオン は 観音 でわかるが、ほかには、

”観世音”という言い方もある。

 

その観音の間にある、世 とは? 

カン“世”オンの 世は、この現象世界 あるいは、世の中。

観世音 とは、“世の中の波動(の奥に潜む真実)”を

“観サツ(察)”するということだと思う。観察するのは

ただ、見るだけではなく、研究者が実験を重ね、その

実験の中で得られる結果を分析して、共通事項~真実 

を見出すことだ。 

 

だから、観世音 とは、世の中の波動、エネルギー、

動き、現象の中に、共通に変わらず流れている真実

を見出すことだろう。菩薩 とは真理を真摯に求道し、

修行する人たちをさすから、観音菩薩とは特定の人

ではないと考える。

 

芸術でも、道でも、宗教でも、その中で 真実を見出す

ために、奥へ奥へと視点を深めて、掘り下げて、極めた

人が達人と呼ばれる。そう考えると、私たちの周りには 

実に、多くの観世音菩薩様がいらっしゃる。 

 

一見してわからないが、ある意味、皆様が観世音菩薩様

でもある。専門は別々でも、達人になる過程を私たちは

皆、生きているからだ。その観世音菩薩が 無常の世の中で 

観る真理とは 何なのだろう? 

 

すべて無常に見える現象世界に隠れている普遍で不変の

実在・・・般若心経では、その不変の実在を、簡単明瞭

に説いている。お経の言葉で言えば、“不生不滅”

ふしょうふめつ“の存在だ。 

 

不生不滅なもの、つまり、生まれたこともないし、滅する

ことがない、言い換えると、常に、”実在“しているから、

”絶対的有(ゆう)“ と言い換えられる。

 

無常の世の中に見える理由は、

“わが目で見て、耳で聞いて、手で触った、鼻で嗅いだ

匂い、舌で味わった食べ物” が、ほんとうに在る” と 

99・9%の 地球に生きている(きた)人間は、考えて

いる(きた)。 

実際、川の流れのように という歌詞同様、人生の河

では自分自身も周りも、状況や環境なども変化し続けている。

そう見える理由は、”眼耳鼻舌身”の感覚に頼って理解し

判断しながら生きているからだと先人は説く。

 

このことを、心経の部分から取り出すと、

“無眼耳鼻舌身意” と喝破している一行にあたる。 無い! 

眼も耳も鼻も舌も身も意識も。!

そんな馬鹿な・・・ここに ”ある”ではないか・・・

というように、私たちは “有 眼耳鼻舌身意” と思っている

から、次のようなことで煩わされている; 

心有けい礙(げ)”~ 心にわだかまりを持ち、 

有恐怖(うくふ)”~恐怖を持ち、

“有顛倒夢想(てんどうむそう)“~価値観が顛倒

(てんとう)しているから、現象世界の裏に隠れている 

本物の実在に気が付かず、事件や環境に振り回されて

悩まされている。

 

そこで、観世音菩薩は、波羅密多の行、つまり 悟りの

岸に行くための修行をして、“照見五蘊皆空”(しょうけん

ごうんかいくう)、つまり、すべてのものの中に

見いだして、これをつまびらかに理解したので、〝色不異空“

物質は空である ということを悟り、心は障りがなくなり、

自由になった、つまり、恐怖や夢想から解放されたと

記されている。

 

2.日本仏教禅宗公案 と ヴェーダの中にみられる 

真理の共通点は・・・ 

仏教が伝来し、禅宗の公案に〝未生以前本来の面目如何“ 

とある。この質問の意味は、”生まれる前は一体、どのような

様相だったのだろうか?” 

 

”この現象世界に表れている以前の実存の本質は何か?”と

聞いている。たぶん、その答えの中心概念(禅宗的マニュアル

の答えは私は知らない)は 次のようなものだろうと推測

する。まだ、五感の感覚器官ではつかめない、実在の生命

だった

 

私たちは、この世に”生きる”ために、肉体を必要とする。

だから、いろいろな因縁で縁のある、現在の父母を選び

(我々生命自身が)これまでの生での、カルマ清算や、

なずべき指名を果たすべき 彼らの子供となり産声をあげて、

保護され育てられ成人して今の自分がある。

 

般若心経では、上記の禅問答の答えを、簡単に “空”

という一文字で示そうとしている。 

サンスクリット語でいえば、“アカーシャ(空)”的な

アートマをさすのだが、アカーシャは、大空をさす。 

 

空とは‘無’ではない。 

むしろ、無の正反対 であるように思うが、無 

というと、何も無い というイメージをぬぐえないので

これもまた、適当な言い方ではないかもしれない。

 

インドの古代ヴェーダ哲学の神髄も この”空”にある。 

すべての物質的存在の奥にアートマ(Atoman)の資質

があり、それは完全なる一元的喜び、調和、供給、円満

なる実在と定義づけられる。

 

空(から)っぽの空(くう)ではなく、

目に見えない極小のエネルギーの場の中心、それが“空”だ

と私は理解している。私たちは皆、この“空”が この身体

の細胞を存在させているから、今、生きている。という

より、“生かされている”。

 

達人や覚人、大師を除いて、私たちは、“空”(くう)を

意識しないで生きている。そして、“空” 状態に戻るための、

身体と心をコントロールする力を持つほど覚醒していない。

だから、“生きている”という表現をして、自力の主体性を

強調するのは なんだかおこがましい気がする。

本当は、“生かされている” という方が適切だろう。

 

観世音菩薩は、私たち一人ひとりのことだ。

たとえ、”照見五蘊皆空”(しょうけんごうんかいくう)= 

現象に見える、感じる触れえる、味わえる、認識できる

すべての物質や事柄は、結局 空 に他ならない=

という認識に達しているかどうかにかかわらず・・・

 

だれもが、観世音菩薩として、生きているし、この身体

には 必ず、自然治癒力が備わっている。

が、その治癒力の発揮力は、人によって、異なる。

治癒力発揮指数が、空 の認識と、どう関係している

のか次回(後編)で考えてみたい。

 

 

 

 

 

 

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観音様と日本超古代史接点 (2)

2017年04月15日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 

インドの女神信仰、達磨と観音様   2017・4・15

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 ところで、観音経とはいつ日本に伝わってきたものなのだろう?

観音経は 妙法蓮華経の8巻、28品(ぽん)の、第25番目に出てくる

法華経に含まれるお経で、訳本は現在三種残っているようだ。

 

年代順に言えば、西晋(せいしん)の竺法護(じくほうご)が

西暦286年に訳した 正法華経10巻、406年に訳された 

妙法蓮華経8巻(鳩摩羅什~くまらじゅう訳)、

 

次に、601年に訳された “添品(てんぽん)妙法蓮華経”8巻の三種類だ。

 

主に観音経は 日本では天台宗、日蓮宗のよりどころとなる聖典として

鳩摩羅什~くまらじゅう~訳の経典が 現代まで、唱えられていると聞く。

 

これは5世紀初頭の訳本だが、仏様が入滅して500年後に書かれている

という点で、観音様がいつから仏教にどのように説かれてきたのかを

知るには時間がたちすぎているような気もする。

 

どの宗派でも、観音像はたいていのお寺に置かれているので 私たちには

とても馴染み深い菩薩様だ。ある曹洞宗の僧侶の方に、観音様の由来を

伺ったところ、地蔵信仰同様、大衆的な支持を得て現代のように大衆と馴染み

深い存在になっているが、もともとは民衆信仰が仏教に取り入れられたのでは?

という答えだった。 

 

観音様はインドから伝わったのか、といえば、たぶん中国からの影響が強い

と思われる。なぜなら、当時のインドはバラモン教主体だったので、ヴェーダ文献

を見ても、観音様にあたる女神様は直接には出てこない。

 

が、源流にはインドの女神様が、中国に伝わり、観音信仰と結びついたのでは

ないかと察する。先月帰国した、2週間のインド旅では、法華経を釈尊が初めて

説かれた地を訪れたことがハイライトであった。

 

そこは霊鷲山(りょうじゅせん))と呼ばれる、小高い丘でそこから拝んだ 

日の出 の美しさは格別であったのを思い出す。

 

 

 

旅から戻り、デリー宅に寄ると、信仰深いお手伝いさんのサントシさんが、

巡礼の旅を終えて待っていた。彼女は、一年に一度、一家で出かける、

慣例の”女神様の参拝旅”から戻ってきたところだった。

 

ヴィシュヌデヴィ という女神様で ヒンズー教特有のきらびやかな像や

絵写真などはなく、置かれて祀られている御祭神は、一見普通の、石 である。

そのご神体を拝みに、多くの参拝客たちは、インド津々浦々から集まり、

何十時間もバスに揺られ、凍り付いた地面を足を滑らせないよう、4時間かけて

寺院のある山頂に上るのだ。

 

普段は、足が悪く、4階のアパートの私の家に上ってくる階段も休み休みで、 

‘しんどい。膝が痛い’と顔をしかめている彼女が 一体どのようにして、

そんな山頂にたどり着くのか不思議で、尋ねた。

”参拝の時は、足は軽く、女神のオーラを感じながら、守られ導かれていくから、

問題ない”のだという。

 

さて、この女神さまと観音様の源流と私は、話を聞きながら、何となく

だぶったので、今ここに回想している。

その女神さまは、さまざま顔、を持ち、ある時は、悪ものを食い殺すような

般若の顔に、ある時は果敢な兵のように、武器をもって、ある時は優雅で

美しい姿に、ある時は智的にあふれる学問の神に変身するという。

 

その信者の状況次第で偏在無碍なのだ。

 

以前、インドにいる頃、この女神、ヴィシュヌデヴィは、どういう

女神かわからず、デリー大学院の先生たちが参拝に行ったというので、

授業中に、その正体を伺っても、なかなか的を得た説明がなく、曖昧な

女神様には変わらなかった。

 

今回、サントシから 納得いく答えを聞いた。

それは、シヴァ神の妻たち(カーリー、ドゥルガ、サラスワティ、

パールヴァティ)が 必要に応じて変容して姿を現すと信じられて

いるという。

 

シヴァ神は地球創造時代からの原始的な神様であるから、この女神は

古い歴史をもっているのだろう。その信仰はたぶん 古(いにしえ)の

インド庶民の信仰であったのかもしれない。

 

仏陀が当時学んだのが、ヒンズー教の前身でもある、バラモン教。

そして、当時のインドでの大衆の女神信仰は 後の仏教の教え

にも多少の影響を与えたのかもしれない。

 

観音信仰は中国から日本に伝わり、宗派を超えて民衆に受け入れられた。 

先日、御詠歌の勉強会の時、達磨大師をたたえたご和讃を学んだ。

達磨大師はもともとインド人であり、梁時代(りょうじだい)の中国に渡り、

仏教を広める。

 

その際、統治していた皇帝の武帝は インドから来たこの高僧に会見する。

武帝と達磨の間に、禅問答のような会話が始まる。

 

武帝曰く、“私は 常日頃、仏教を広めるために寺を建立し経文を写経させ

尽くしているが、功徳は如何ばかりか?”

 

すると、達磨は 答える“無功徳”(むくどく)

 

武帝はさらに達磨に問う;“(そのような答えをする汝は)私を誰か

知ってのことか?達磨は平然と答える “不識”

 

皇帝は 自分のことを ”皇帝と知らない”と言い放った無礼な

達磨に立腹した。 

皇帝は、従者に訪ねた;“一体、達磨とは高僧か?、何者だ?”

すると、その従者の答えは;“あの高僧こそ、観音様です

 

達磨は “達磨さん転んだ” のあの達磨だ。 

壁に向かって座禅9年、少林寺に籠って座り続け、足が萎えたと

いわれる、足のない、達磨人形のモデルになっている高僧である。

当時すでに、本当の仏道に、目を覚まさせる役目として

皇帝の目の前に表れた達磨大師は実は、”観音様” であったいう 

観音様の七変化的な認識があったのだろう。

 

なぜ、中国でこのような認識が一般に受け入れられたのだろう?

それは、道教 の存在だ。

 

日本の神道、インドのヒンズー教が民族宗教であるのと同様、道教は

中国のその国特有の宗教であった。

 

道教として認められる以前、中国の太古の昔、先回観たように、ホツマツタエ

の超古代史に書かれている ”崑崙(こんろん)国の王に嫁いだ西王母”

が 日本に ”二度にわたり天なる道(天成神道)を勉強” してそれに基づいて 

自国民を治めようと”としたとするホツマツタエからすれば、道教の起源は 

案外、神道にあるといえるのかもしれない。

 

これだけでは もちろん胆略的発想であるのを否めないが、仮定法としては 

当たらずとも遠からずのように思う。

 

実際の道教はどういう内容であるのか? 

至高神は“道の最高観念”である。 

それを 天・上帝と言う。 天成神道を彷彿とさせる、“神仙道” があり、

この教えでは 衣食住などの日常的な手段でどのように仙人の道に近づくか

を教える。このあたりのアプローチは ホツマツタエ の”天なる道”を

教える内容と酷似している。

 

”道家哲学”と称する教えがある。 これは、自分の心を治める法を説く。 

ほかに、民間信仰を取り入れ、多神教、又、呪術による病の癒し、

自然の力の支配なども説いている。 

 

だから、私の奇想天外の結論はこうである。

まず、観音様と言われるモデル、西王母は 超古代に存在していた。 

彼女は日本に留学して、玉杵尊(たまきねのみこと)から 人間として

生きる道、天成神道を学ぶ。

 

それを 帰国してから、自国の崑崙(こんろん)の国の人たちに

教え広めるが、なかなかうまくいかず、再度日本に来てアマテラス大神

教えを乞う。 西王母が日本を去るとき、桃 を土産に持たせる。

 

これを中国で、植林して、後世、桃源郷といわれる 観音様ゆかり

の場所になったという。その西王母はその後、観音様信仰の対象として

中国の民衆に受け入れられ、道教という在来信仰に入り、名前が知られる

ようになった。

 

仏教が中国にインドから入ってくると、道教の影響からインド本来の

女神は観音様とかぶさり、観音経が作られたのではないだろうか・・

 

それが 日本への仏教伝来とともに伝わってきて、日本の各派を超えた

信仰対象になった。そんな風に 大雑把で恐縮だが、考えている。

 

 騎龍観音

 

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花祭りと観音経:観音様は実在人物?

2017年04月10日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

 

観音様(西王母)は神代の日本で天成道(

あまなるみち)を学んだ・・・ 2017.4.10

**********************************************************                          

亡き父は毎朝 仏壇に手を合わせ、

般若心経と、時々、長い、

観音経を挙げていた。この記事を書いた、

4月8日は花祭り、

甘茶を像にかけて仏様の誕生を祝う日だ。、

父が葬られている霊園の寺に出かけた。   

          

桜の花びらが舞う中、久しぶりに、

お焼香の間、僧侶が唱える

観音経を拝聴できた。亡き父も私と

ともに、この場にいるのだろうなあ

と何となく無姿の存在を感じながら、

父の在りし日を思い浮かべた。

 

さて、観音様とは どなたをさすのか?

というのが今日のお話。

仏教では、観音経はすでに5~6世紀

には中国に伝わっている。 

菩薩様のおひとりとみて良いと

いうのが大方の学者の一致する意見だが、

私の少し異なる意見を皆様に聞いて

いただきたい。

 

まず、観音様という方が実在か、

あるいは、他の仏教の菩薩様や

如来さまのように、擬人化された

仏様の一つかという点だ。

以前 拙ブログで観音様が太古、

日本に海を渡り中国から来られ、

”天成神道”(*注1)を勉強に来た

というお話を書かせていただいた。

 

時は、アマテラス大神がまだ、

大叔父の玉杵尊(たまきねのみこと)

に師事して、まつりごとの道を

勉強されていた次代にさかのぼる。

アマテラス大神は、ふじの宮の

御殿で生まれ、その後 大叔父の

玉杵尊の住む仙台で勉強されて

いたとホツマツタエにはある。

 

仙台は、現在の宮城県。 

みやぎ(けん)と呼んでいるが 

漢字字体は、宮城(きゅうじょう)

と書く。 つまり、ここには、

神代の昔、アマテラス大神の父上、

イザナギ尊の叔父上にあたる、

玉杵(たまきね)尊が住んでいらっしゃる

宮城があった場所だ。 

 

さて、アマテラス大神の学んだ

天成神道を 外国から留学にきて

勉強された方がいらした。

それは、当時 ”カ(ka)” と呼ばれる 

中国(現代の)にある、

”くろづみこく”国王の姫であった。

 

秀真伝えでは 以上のことは次のよう

に書かれている;

 

“其の中の一子は玄圃積国(くろずみこく)

を治めしむ。

玄圃積国は元「力国」に当る故(ゆえ)

赤県神洲と名付けり。”

 

此の時承(うけ)洲壹(すて)王(きみ)の

女(むすめ)は海を渡りて、

我が国の白山根(しらやまねの)国(くに)

に来たりて玉杵尊に良く仕えたり。

 

東王(ひがしのきみ)は感じ給いて 

菊桐(ここり)姫(ひめ)の妹と為して、

神仙の秘法(注2)を授(さづ)けます。”

 

菊桐(ここり)姫(ひめ)とは、イザナギ尊

(アマテラス大神の父上)の姉君である。

その妹分として カの国の王女を、玉杵尊は

受け入れ、教育を与えたとある。

 

当時、中国は カの国 と呼ばれていた。 

(今、中華(か)国と、中国を呼ぶその

”華”は そこから来ているのかもしれない。)

 

さらに、この方が、いわゆる後世、

観音様としてのモデルになっている

と言う。ではなぜ、この承(うけ)洲壹(すて)

王(きみ)の女(むすめ)が 観音様

と言えるのかといえば、次の下りから

察するのである。

 

 王女は 天成神道の教えを受け 

嬉々として、帰国するが、

結婚して、国を統治する身になり、

天成神道に従い、収めんとするが、

思うようにいかず、自国の現状を憂い、

再び、日本に来て、アマテラス大神に

次のように嘆く。

 

秀真伝意訳では次のように描写される。

 

“喜び帰る承洲壹王(うけすてきみ)の女は、

後に崑崙(こんろん)王(きみ)に嫁(か)して

一子を生み、玄圃(くろその)積王(つみ)と

名付くなり。

 

其の後、西王母は再び海を渡りて来朝し、

歎(なげ)きて曰く、

「我が崑崙(こんろん)山本(やまと)

国(くに)の人々は、天成道

教えんとすれども遇(おろ)かにして、

獣肉を嗜(たしな)み

過半の民は穢食に堕(お)ちて、

万民は日夜殀殕(はやかれ)するなり。

 

故に百歳や二百歳の寿命に短縮し、

稀には千歳・万歳の寿命を得る

者あるも、平均千歳を保たず。

西王母はこれを歎(なげ)きて警(いまし)

むるも、日々肉(しし)を食(く)いて止まず、

然れども支那(しな)王(ぎみ)

と云う者在りて、千代見草の如きものを

尋ね求むと云えり。

 

朕が心身もこの愁(うれい)話(ばなし)

を聴くも耳(みみ)垢(あか)つきて

穢れたり。よって潮(うしお)に

洗い滌(すす)ぎて禊(みそぎ)をなすなり。

 

寿(ことぶき)を観(み)て歓(よろこ)ぶ

も天道にして、また殀(かる)を

聴(き)きて、哭くも地(つち)の理

(ことわり)なり。“

 

西王母 とは 今では、観音様の

別名として使われている。

ホツマツタエには、

承(うけ)洲壹(すて)王(きみ)の

女(むすめ)は 

日本から帰り、嫁いで西王母

呼ばれたことがこうして記されている。 

 

この節の現代訳は、

 “中国の崑崙山のふもとにある、

カの国の国民は 

玉杵尊から伝授された

天成道(あまなるみち)を教えたが、

獣肉を好み、そうした穢れ多い

食生活がもとで天命をまたず 

寿命に満たず、死んでいくもの

が多いと 天照神に嘆く。“

 

という内容だ。 

ちなみに 千代見草とは 富士山に

生えていた薬草で

アマテラス大神が好んで召しあがった。

 

有名な史記には 

“秦の始皇帝は斉国の人、

徐市(じょえつ)に命じて

東海の三神山に不死の薬草を

取りに行かせた”と ある。

 

不二山(ふじさん)は、不死(ふし)

の山でもあった。

不二の山に生えていた、始皇帝のいう

不死の薬草こそ、”不二見草” ではないか

という学者もいる。

 

本論に戻ると、西王母が観音様

呼ばれる由来は 道教の中にある。 

たとえば上記ホツマツタエの中に

ある、中国の崑崙山(こんろんざん)

から来た王女とあるが、道教の

“抱朴子”の 仙薬篇に 次のような 

文章が出てくる。

 

“金を服用するものは齢(よわい)

金のごとく、玉を服用するものは 

齢、玉のごとし”

 

“玉とは崑崙山脈から多く産出され、

玉のように美しい仙人の

西王母はこの山に住んでいた”とある。

 

西王母 と縁ある 桃源郷(とうげんきょう)

と呼ばれる理想郷が 実際、中国にあるが、

ホツマツタエには 二度目の訪日の際、

その土産として、不思議な桃(もも)

の木を西王母に与えられたとある。

 

この桃木が成木して繁樹して、

桃源郷になったのではないか。。。

これだけでは まだ仏教の観音経と、

ホツマツタエに出てくる、西王母の

関係性がしっくりこないかもしれない。

次回に少し話を残して、続きを

書かせていただきたい。 ^~ 4/15日に続く

 

 *注1) 

天成神道 とは、あまなる道 

とも呼ぶ。ホツマツタエの中で、

スメラ尊(みこと)が天の意

に沿ったまつりごとを行うため、

また、人民が人間として

いかに生きるためのモラル

や実生活(衣食住)

の法を説いた教えとして

全編(綾)を通じ、

一貫して説かれる。

のちの日本人特有の大和心

につながる超古代日本人の哲学観でもある。

*注2) 

神仙の秘宝 とはここでは

具体的には述べられていないが、

観音様を仰ぐ道教では 

神仙の教えは、タオイズムの中核の一つと

なっている(次回4/15のブログ参考)

 

 騎龍観音

 画像;イラストAC

 

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