自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

溜息の効用 

2013年09月30日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

長生きは長い息/天然の生理作用   平成25年9月30日

****************************************

 

 自然界のにはリズムがある。

一定の法則によって、宇宙の営みが行われ

大自然の法則が自然界を司り、

星は星らしく、動物は動物らしく、植物は植物らしく

そして、ヒトは人として、肉体の生理作用と

ともに、精神生活を送っている。


この自然作用を人体に限っていうのなら、

生理作用”と呼んでいる。

以前ご紹介したが、大阪大学名誉教授をされた

市原硬博博士は 真医化学提網 の緒論に

”生理とは天然のことである。

生体反応のもっとも巧妙な点は、神身が一如

であり、無数の反応が調節されている点に

存する。

医学とは人体生理学である。

生理学とは、生命を究明せんとする学問である。”

と述べた。

 

心身(しんしん) ではなくて、神身(しんしん) と

いう漢字を 博士は、あてられている。

その当て字の裏側には、人間の身体は、無数の反応が

調節されており、それは、まるで 神の身と同様で

あるという意味があると解釈できる

だろう。

 

その人体の中にある、生命 を究明する、

これが 生理学であり、医学の根本でもあることを

博士は述べている。

こうした人体生理学に立脚すべき医術(医学)

専門研究分野別に、枝葉に分かれた結果、

病状現象に対応する、薬物治療の専門家

医師であるという 定着概念ができた。

 

筆者も、医師は、西洋薬を使いながら

治療するその分野での権威者だと思っていた

ところ、市原博士の生理学と医術の見解

によって、目が覚める思いがした。

 

すなわち、

医術とは、生命学である”~というそれである。

医術を駆使する人が医者であるのなら、

医者は、人の生命 を深く理解している人という

ことになるはずだ。

 現代において、病理学、細菌学、免疫学、遺伝子工学、

薬理学 などなど、細分化した専門分野の

発達は目覚ましい。

 

自浄作用や自然治癒力は、市原博士が述べて

おられる 神身一如の中核を顕わす生理学的

機能にほかならない。


たとえば、

血糖値が一時的に多くなれば、インシュリン

膵臓から分泌される。

もし、下がりすぎれば、アドレナリンが副腎から

分泌される。


寒いときは血管が収縮。熱の放散をおさえる。

暑くなれば、血管壁がゆるみ、汗腺は開き、

熱を発散する。

傷んだ食べ物を食べれば、吐き気と下痢で

体外に排泄しようとする。

ばい菌が感染すれば、白血球がこれを取り込み、

発熱して、殺菌して、ばい菌を排除する。

 

これらは、異物排斥作用解毒作用

免疫作用組織再生作用 と呼ばれる、

生体の自浄作用と、市原博士は呼ぶ

だから、病気の症状といわれる、

痛み、発熱、腫れや下痢というのは、

自然治癒力のスイッチが入った証拠だ。

そうと思わず、反対に、顕れた症状を、

恐怖したり、先行き案じたりして、かえって、

回復を長引かせることもある。


皮膚の表面の傷だけでなく、胃の中の傷や、

脳の損傷にいたるまで、体の一部が損害を受けた

ときは組織再生作用という自然治癒力が働いて、

細胞が新生し、傷んだ古い細胞は、かさぶたと

なって脱落し、消えていく。

 

自然の生体の力は 脊髄神経の調節、呼吸、循環、

消化吸収、分泌排泄、生殖にいたるまで、正しく

調律し、健全なあたりまえの日常生活が送れるよう

コントロールしている。

 

たとえば、心臓に対して、

交感神経は促進的に働き、

副交感神経は抑制的に働くことでバランスをとる。

血管に対しては、交感神経は血管を収縮させ、

副交感神経は血管を拡張させる。

このように、消化運動や気管の収縮運動、

すべて生体の不思議な能力が働いている。

自律神経の役割と心身一如を関連させて、

”病は気から”という言葉の意味を、

次のように、説明ができるようだ。

 

”自律神経の中枢は、脳幹部の視床下部にあり、

 大脳皮質の感情の中枢と繊維で連絡している。

 そうなると、我々の喜怒哀楽の精神感情が

 そのまま 直ちに、自律神経の中枢に伝わることに

 なる。

 

したがって、プラスの感情は、自律神経

 中枢に高揚的に作用し、マイナスの感情は抑制的

 に作用することは理論的にも納得できる。”

 

こうして、病は気から という言葉の背景に

解剖・生理学的の裏付けが 多少、付加できる

だろう。


この自然力の一つに溜息があること、

溜息が深呼吸の役目をしていることを

最近、身近で、知る機会があった。

夫の溜息の回数が引っかかったことがあった。

車の中で"ハア”、食事中、”ハア”と よく

ため息をついていた。

 

何か、心配事があるのかと気になり、聞いてみると

”別に。呼吸調整しているだけだから” という

答えがかえってきた。


呼吸調整?

そんなとき、心臓が少し痛む~とも言っていたので、

狭心症と関係があるかもしれないと思ってみたりした。


以前、ブログでご紹介した、内田医師の著書を改めて

読んでみると、狭心症の項目に、

”症状:自覚症状として、心臓部の圧迫感。

 痛み・息切れ・動機・胸苦しさ

 改善方法:冠状動脈の酸素欠乏によるので、

 酸素吸入すること。

 深呼吸(溜息)でもよい。”

とあり、心身一如の観点からいえば、


”心配、恐怖心、過労などの精神的ストレスが

 心臓を支配している自律神経作用の影響を

 与えた場合。あるいは食生活の偏食により、

 長い年月をかけて心臓の筋肉、血管壁に

 病理変化を起こしている場合。”

とある。


”なるほど!”と思った。

一緒にいる相手に、溜息をつかれるのは、

何となく重たい気分が伝わって、どこか気になる。

一方、溜息をつくことで、本人は、溜息によって、

心臓に不足している酸素を送っているということが

わかってから 主人のいう、”体の調整” という

意味も納得できた。


これも一つの生理作用だったのだ。

体の調整 は突き詰めれば心の調整でもある。

筆者が そう、気が付いてから、溜息されても、

心に留めなくなるといつの間にか、夫の溜息の数も

減っているのに気が付いた。


溜息を聞くたびに、

傍(かたわら)で心配したり、気に留めたり、

質問してしまったり、もしかしたら、自分の

相手にストレスを与えているのだろうかと

考えすぎたり、

そんな、こちらの無意識な、神経質な態度も

知らずのうちに、彼の、ストレスの要因になって

いたのかもしれない。

 

溜息の息(いき)は生きるの”いき

息を制すれば 生き(生命)を制す

という言葉の発想原点もここにあるようだ。


心臓の病は、ストレスからくる場合が多い~

と 内田医師は現場から伝える。

心と心臓病、そして、心をリラックスさせるための

第一歩のアクションが 呼吸調整 といえそうだ。

 

深く吸う息をもって、”生き” を整える。

吸う息も大切だが、吐く息をゆっくりすることで

さらに、心が落ち着いてくる。

溜息は、口から吐く息をゆっくりすることでもある。

 

長く息することで、呼吸が遅くなる。

人の一生でする呼吸数が決められているという。

呼吸回数を少なくすることで、長生きできるという

理屈になる。

だから、長生きは 長息 に、ゆっくりした呼吸は

長生きにつながるのだろう。

 

 

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”見ザル言わザル聞かザル”の真意

2013年09月28日 | 健康のための心の波動

東洋思想の影響 平成25年9月28日

******************************************

 

新しい物理学は 物質と形の現象世界を、

あらゆるものを創りだしているエネルギーの

子の場”として捕えている。


この世界には、自然を創りだしている、基本的な

固体は存在しないと仮定。

あるものは、ただ、お互いに絡み合った、エネルギー

同志の網目だけとする。


そして、”目に見えない意思の力”が、そこには働いて

いることがわかりつつあるようだ。

 

東洋の主な宗教哲学も本質的には、 一元論思想 から

端を発している。


仏教の 空(くう)の理論、ヴェーダのアートマ理論、

それらは 表象的には、”曼荼羅”絵図に象徴される世界

でもあった。


その中心にある空(くう)の点は,そこからさまざまな

様相に分かれ,無限の変化含有しつつ、調和を保って

いる。

この宇宙の抽象的表現でもあった。

 

私たちが見ている宇宙は分割できない。


それは、一つのものであり、一つの生命、あるいは、

大いなる生命力と完全な意思から成立している

ことを 大師たちは、教える。


どの宗教も、その高いレベルの波動と、生活の場の

日常生活の中では、切り離されて生きているよう

感じつつも、求道者は、その高いレベル波動と、

どう、つながるが、課題になる。

 

こうして、それを目的にするところに 、’道’の思想

が生まれた。

具体的には、瞑想や古武術、ヨガや精神統一どの、

東洋的修練方法


一方、西洋では、このようにして生まれた、東洋的思想

が物理学者に触発を与えた。

カプラ博士などは、神秘的な物理学的要素を 東洋思想

比較して論文にしている。(*1)

 

物理学のみならず、心理学の部門でも、東洋的思考は

影響を与えてきた。

この数十年の間に、心理学の研究者たちは、私たち

の想いが、物質世界に反応を与えていることに、

気づき始めた。


最初に解明されたのは、バイオフィールドバックの

研究といわれる。


何百という研究によって、以前は自律神経によって、

コントロールされている考えられていた、脈拍、血圧、

免疫、脳波などの、体の多くの機能は 私たち自身

の感情や思考で、影響を与えることができると

実証された。


最近の研究では、私たちの他との繋がりや影響力は、

単なる身体のみならず、それよりもらに、大きく

広がっているということが証明されてきている。

 

この事実を広めるために、貢献した人のひとりが、

ラリー・ドッシー博士だ。


彼は祈りと思いの力について 多くの著書を書いた。(*2)

多くの学者による、調査を分析し、私たちが 空間と、

時には時間すら超えて、外界に影響を与えることを

実例をあげて、まとめている。


魂の再発見” という彼の本の中で、ドッシーは

ある調査を引用している。

その調査とは、遠く離れた場所から、情報を受け取る

能力を調べるものだった。

 

A地点で、一団の被験者が無作為にカードをひいた。

B地点で、異なる被験者たちが、A地点で無作為

にひかれたカードを言い当てる。


その結果、一般より高い確率でそれを言い当てること

できたという。

この実験はテレパシーの存在を裏付けるばかりでなく、

予知能力の可能性を示していた。

 

さらに、心で 思念を受け取る、あるいは 強い思念

影響を受けるという実験も行われた。


たとえば、サンフランシスコ総合病院の

ランドルフ・ハード博士は、心臓病の患者グループを集め 

一般のボランティアグループから”快癒の祈りの念”を

送ってもらい、その反応を調べた。


そして、もう一方の患者グループには祈りを送らないよう

指示した。

すると、祈りを受けたグループは 受けないグループより、

良好な結果を得たという。


その具体的なデータによると、祈りを受けなかった

グループの患者たちに比べて、受けた患者グループは、

抗生物質を、5分の一しか必要としないことがわかった。

さらに、肺に水のたまる率も、受けなかったグループ

の三分の一であった。


祈りを受けたグループでは、一人も人工呼吸器を必要

としなかったが,受けなかったグループは 12人が

必要とした。


この結果として、祈りや思いの力を利用して、植物の

発芽率の向上バクテリアの増殖率の上昇、あるいは

合成樹脂などの 非生物の生産にも、効率よい結果

を生み出したと 博士は結論づけている。

 

祈りや思いの他者に与える影響について、ドッシーは 

これ以外にも非常に興味深い実例を挙げている。

自分の意見を挟まず、神に全託して、もっともよい事

が起こりますように” と祈った人たちの方が、自分で

限定して こういう結果がおこりますように” 

と祈るより良い結果がもたらされたという 実験である。


これは、どういうことかと言えば、私たちのエゴ意識が、

祈りの結果に作用すると、ジェームズ・レッド・フィールド

は 分析する。


エゴ意識が 祈りの中に、入ったときに、うまくいく

こともうまくいかないいう原理がそこに働くのだろう。

無心になる、あるいは無我になる、それが大切だ。”

 

この祈りの実験を通して、次のような条件のもと、

効果があることも わかった。


・祈りの効果をあげるためには、祈る人が祈られる人

個人的に知っていること、


・思い全体が 神や大我とつながった祈りからきて

いること、


・断続的ではなく、継続的に祈ること

 

さらに興味深い実験がある。

それは、私たちの無意識の思い込みや、仮定、潜在意識

の願いなど、意識下にある、想念が、祈りと同じような

働きをするということだ。


オーク学校の生徒を対象に実験された。

教師に子供たちの名簿を渡して対象者を選んだ。

この子供たちは 優秀な生徒であり、年度内に 一番良い

成績を上げるだろうと 教師に予(あらかじ)め、伝える。

実際には、無造作に選んだ生徒の名簿であり、

優秀な生徒であるということはなかった。


ところが、年度内の成績を見てみると、彼らは、他の

生徒たちに比べ、得点数が上がる割合が大きかった。


さらに、純粋に生まれつきの能力を示す、IQテスト

でも、素晴らしい進歩結果を見せた。

最初に教師に”印象づけた言葉”が、教師の心の

”潜在意識”に、一つの方向性を与えて、その方向性が

の生徒に対する無言の説得力をつくり、生徒たちの

学習能力の向上につながったのだろうと同氏は、

結論づけている。

 

勿論、その反対のことも言えるだろう。

否定的効果” だ。

自分の思いや祈りが、相手を傷つけることもあるという。

同時にそれは自分自身を傷つけることでもある。


たとえば、”の気持ちを変えたい”、

”相手の今の行動をやめさせたい”

などと願うと、相手に無意識に伝わり、相手に無意識

その念を発した自分に対し、疑うような気持ち

起こさせる場合がある。


自分自身が自分自身について考えていることも

同様だろう。

自分の能力や将来性などについて、否定的に

”思い込んでいる”場合、その思いは 実際に身に

起きる出来事の中に、実現してしまうかもしれない。

 

唯心所現” とは、このことをいう。

だから、できるだけ、良いことだけを、聞き、見て、

思う、そして話す大切さ・・・

そういえば、日光東照宮の彫刻で有名な”見ざる、

言わざる、気がざる”の三匹の彫刻に彫られた猿の姿は

国際的だ。


この話は印度では、マハトマガンジー(*3)が

喩えで話して有名になり、デリーで この置物が、

車のハンドルの傍に置かれているのを、何回か見た


ちなみに 印度の友人の車に飾ってあったこの猿たち

の意味を,どう理解している運転している人に

聞いてみた。


”悪いことは見ない、聞かない、そして、言わない~

という意味です。” 


臭いものに蓋(ふた)”という意味だと 私は

考えていたときがある。

”正面向き合わない、逃げの姿勢”にも通じるようでピンと

こない諺だと 当時は感じられた。


しかし、

見ない”でなくて、”観ない”、

聞かない”でなくて、”聴かない”、

”言わない”でなくて、”言霊化しない。” 

の意味であるのだとその真意の深さを改めて 彼に

教えられた。


見る、聞く、言う は五感で受けた刺激に対しての、

現象的な感情的 感覚的 受け身的 反射的反応

である。


右に 記した同じ発音の漢字は、智慧をともなった、

心の中枢での所作だ。

同じ発音でも、漢字を当てはめてみると、この諺

の奥行の深さがそこに表現されているような気がする。

 


*1)ブリッチョフ・カプラ ”タオ自然学”工作舎、1990

*2) ラリー・ドッシー“魂の再発見” (春秋社・1992)

*3) ちなみに英語では、”See no evil. Hear no evei. 

Speak no evil.”

天台宗の教義に関連して日本に伝えられたとか、孔子の

教えが起源だとかいろいろな説がある。



参考)

ニック・ハーバード“量子と実在”白揚社、1990

ブリッチョフ・カプラ “ターニング・ポイント”工作舎、1985



ジェームズ・レッドフィールド“聖なるビジョン” 角川文庫ソフィア1996)

 

 

 

 

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抗生物質の神話

2013年09月26日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 ”ほっときゃ治る”   平成25年9月26日

*****************************

近藤誠博士は 慶応義塾大学医学部講師。

1948年生まれで、患者本位の治療の実現を掲げられ、

医療の情報公開を積極的に進めてこられた。


抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、癌治療に

おける先駆的意見を述べられ、その功績から2012年

に 菊池寛賞 を受賞された。


近藤医師の 現場臨床体験をもとに、”患者の心得”

を書いておられる。

**************************

 

大学時代の友人Sちゃんのご主人はA大学病院勤務。 

ご自宅に伺ったとき、ゴミ箱に、薬の処方箋が

捨てられていた。


”ああ、薬は、大学病院の大事な収入源だから・・

勿論、中身ごと 主人はポイよ。 

医者だから薬は飲まないほうがいいって

わかるんだって・・・


ドイツ人の友人の医師も 

”風邪薬? 

ほんとうに、風邪の原因がわかって効く薬が発明

されたら、ノーベル賞ものだ。

風邪ひいたと思ったらレモンとお茶の方が

よく効くよ” と言っていたのを思い出した。

                                  

風邪薬といえば、抗生物質が浮かぶが、近藤医師は

次のように著書で意見している。


”抗生物質一つとっても、風邪のウイルスには 

無意味なのに、どんどん医者は患者に出す。


手術の時も、術前に 一回使えば十分という

エヴィデンス(証拠)を無視して、今でも、

”術後の感染予防のため” と、言っては、

何日も抗生物質を点滴し続けています。”

 

何故、抗生物質を大量に使わない方が良いのか?

抗生物質のみならず、抗菌剤も含めて同じ薬を

使い続ければ当然、その人の体の ”菌に対する、

耐性化”強くなるからだという。


耐性化が強くなれば、薬の量を さらに、増やし

続けなければならない。

そして、薬の副作用を招くことになる。

耐性菌 とよばれる細菌がある。

これは、抗生物質や抗菌剤に抵抗力をもつ菌で、

抗生物質では効かない。

その現状を 近藤医師はこう述べている:

 

感染症の患者から検出した 異色ぶどう球菌のうち、

院内感染を引き起こす耐性菌 MRSA

(メチシリン耐性異色ブドウ球菌)が 占める率の

国際比較を見ると、イタリアは42%、アメリカ40%、

スペイン36%、ドイツ9%オランダ0%、そして、

日本は70~80%と先進国でもワーストです。”

 

つまり、MRSAの数値が高いほど、薬が効き

にくいため、 院内感染も高くなるという。


手術後、高齢者、抵抗力のない人たちが抗生物質を

長く投与された後に、こうした菌に侵されて、容易

に感染してしまうことが多いと近藤医師は 

述べている。                   

 

私がインドで生活をしていたとき、デリーで

ペストが流行ったときがあった。

1995年ごろだと思う。


日本のメジャー紙、A新聞・現地記者は、デリーの

路上風景を一面に載せた。

それは、道端に寝転んでいる人達の写真。


デリーの街頭では、ごく日常風景だったが、さも、

ペストで行き倒れたかのように、”ペスト、デリー

で流行” というような見出しまでついていた。


このような情報は、他のメディアでも流されたためか、

在印日本人家族は、本土(本社)命令が出て一斉に 

日本に帰国するという状況になった。

 

”ベストは恐ろしい” という常識が先行していて、

実態を冷静に受け止めて、”事実を調べる余裕”が

なかったようだ。


実際のところ、その死亡率は マラリヤより低い

とされ、しかも、死亡に至るケースは 栄養失調や

体の抵抗力の無い人に限られていること。


一方、マラリヤに関しては、ほとんどの在印日本人

たちは、無防備・無意識で 発生確率は ペスト

より高いにもかかわらず、15年近い滞在期間に

わたり、日本人が感染したという話も聞かなかった。

 

ペストやマラリヤも、日本人の体力や栄養状態が

良いためかかったとしても、死亡率は低いと専門筋

から聞いた。


同様のことを、近藤医師も、言っておられる。

現代の日本では、死亡率は下がり切っているため、

抗生物質やワクチンを導入する以前に、薬に

頼らなければ治らない病気はほとんどないという。

 

”死亡率が下がった理由”は ”医療が進んでいる”

ためと言われているが 大きな要因があるという。


”戦前の日本人の死因の多くは、胃腸炎 肺炎 結核

などの感染症、戦後、栄養。

衛生状態が良くなって、寿命がどんどん伸びたと 

近藤医師は補足している。

 

わが国では、インフルエンザが流行する見込みと話

が出れば、予防ワクチン接種奨励される。


果たしてワクチン接種がどのくらい臨床的に効果

なのだろう?

オランダでは、ワクチンを打った群と、打たない群

を比較して、インフルエンザのワクチン接種と

予防効果の関連性をテストしている。


その結果、”予防効果は全くない”というデータがあるという。

近藤医師はこのことについて こう書いている:

”60歳以上になると、ワクチンを打った群で、急死する

人が明らかに多く、表向きは、心筋梗塞のせいだと

されています。

が、これはどう見ても、ほぼ、ワクチンの副作用と

考えられます”                 


さらに、 WHO(世界保健機構)や厚生労働省

の、ホームページでは ”インフルエンザ・ワクチン

で感染を抑える働きは保証されていない” と表明されて

いると記されている。

近藤医師は ”ワクチン保障がない” 理由をこう記す。

”変わり身の早い、インフルエンザ・ウイルスに効く

ワクチンを作ることには、原理的に無理があります。


はしかウイルスのように、遺伝子的に安定した、

人間にだけ感染するウイルスに対しては、効果的な

ワクチンが作れます。


でも、インフルエンザ・ウイルスは人に感染しながら

どんどん形を変えていき、鳥や豚など、多くの動物

にも感染します。

そういう変幻自在のウイルスにぴったり合う(効く)

ワクチンを作るのは、ほとんど不可能です。”

 

薬本来の効果 に近藤医師は まだ記憶に新しい

タミフル を例にとっている。

2009年、豚インフルエンザ騒動で話題になった

のが、タミフル という薬だった。


日本国内の、タミフルに対する反応と対照的に、

海外の学者たちは ”タミフルの効果は疑わしい”、

”抗ウイルス作用はほとんど認められない”

発表していた。

 

実際、服用後の追跡調査で、タミフルの副作用が

出た。呼吸停止突然死、意識モウロウ状態の転落死

などの深刻な状況を引き起こした。                       


つまり、薬で一時、症状を鎮めても、それがイコール

治癒では 決してない。

 

近藤医師は

”抗インフルエンザ薬と解熱剤を一緒にとると、

39度以上の熱が一気に34度くらいまで下がります。

体温が下がっても、ウイルスの消滅とは関係はなく、

人体には致命的です。” と述べて、

 

服用後の突然死も、この低体温化に引き起こされた

可能性”さえあると述べている。


抗生物質やインフルエンザ薬、ワクチンなど、子ども

や老人に 何も疑問なく投与されている。

そして、入院すれば必ず 過剰に投与されがちな 

抗生物質、日本人がとる、抗生物質量は国際的に

みても高い。

 

日本では、一回の入院日数が国際平均より、長い。

たとえば、出産入院の入院日数を国際比較して

みると、欧米では出産後一泊か2泊、一方、

日本では通常1週間となってている。

入院が長ければ、死亡率が高くなる~というのが

近藤医師の持論だ。


”1976年、南米コロンビアで、医師たちが52日間の

ストを行い、緊急医療以外の診療活動がすべて

ストップ。

そのおかげで、”死亡率が35%減った”

というニュースが流れた。

同年、米ロサンゼルスで医者のストライキがあり、

17の病院で手術の件数が普段より60%減った。

すると全体の死亡率は18%低下、ストが終わって

診察再開とともに死亡率は スト前の水準に戻り

高くなった。”


など、国際的な事例を他にもあげて、医者がスト

したために、”死亡率半減” になった国もあること

報告してい

結論から言えば、予防医学や抗生物質他、他の薬

で副作用を招いたり必ずしも必要でない手術をして、

体の生理機能を崩すより、ほっときゃ治る” 

ぐらいの気持ちをもつことを近藤医師は

薦めている。

 

病気の80%は医者にかかる必要ない。”

掛った方がいいのが10%強。

掛ったために、悪い結果になったが10%弱。”

として、

”基本的に少々の痛みや 不自由は’ほっときゃ治る’

と放置して、どうしても日常生活にさしつかえる

症状があったときは病院へ行く

本当に手術や入院が必要なのか、あらゆる情報を

調べてから 踏み切ること”

と アドヴァイスしている。

                         

 引用箇所) ”医者に殺されない47の心得” 

近藤誠著 2013、 株)アスコム

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サイババ:学生達に"自由"を語る

2013年09月24日 | 健康と直結する”一元論”について

制限付きの自由と真の自由の違い     平成25年09月24日

*******************************

愛する諸君よ、

一般の人々は アーディアートミカム[霊性)

何か、個人の自由 

何かを理解できません。

 

霊性 とは、社会から遠く離れて孤独のうちに

暮らすことを意味しません。

その反対に、真の霊性とはあらゆる人々の

に愛の種子をまき、全人類の中に平和と聖なる

愛が花咲くことを容易にすることにあります。


もしも、貴方がた ”聖なる原理”の性質を深く

極めるならば”霊性と個人の自由” というような

別個のものはないことが判ります。

 

もし、何らの障害もなく、公開の演壇から自分

の感情と思想を表現することを、許されるならば、

それは個人にとっての自由だと一般的に言われます。

しかし、真実を言えば、この宇宙に絶対の自由を

持っているものは一人もいません。


自由という言葉は、政治の場で頻繁に用いられ

てきています。

自由とは何でしょうか?

 

印度が政治的独立を獲得する前は外国の支配

を脱して、国民の支配を確立することが自由

と思われてきました。


しかし、それは個人的自由でも、根本的自由でも

ありませんでした。

それは、単なる、外国の支配に代わって、自国民

による支配が実現したことであって、本来の自由

の様相には、ほとんど、あるいは全く変化が

ありませんでした。


外国人が立ち去った後で、私たちは自国民が

その自由を得たと思いました。

しかし、どんな面において、私たちは自由を

得たのでしょう


単に、自由、自由 と繰り返すだけでどういう

役に立つのでしょうか?

私たちが 統一(*1)を成し遂げてのち、初めて、

私たちは自由を達成したと主張できるのです。


統一を達成することなく、自由を口にするのなら、

それは言葉の自由に過ぎません。

 

自由はハート(真性)のレベルから発するのです 

ハートとはどういう意味でしょうか?


それは肉と血に満ちた肉体の心臓のことでは

ありません。

本当のハートとは、どんな特定の場所、時間、個人

または、国家とも関係しないものです。

 

それはあらゆるとき、あらゆる場所、あらゆる国々

のあらゆる人々の中に平等に存在する神聖

であります。 


このハートには形式がありません。

私たちが、人間の身体の中の心臓として考えている

ものは、ある時点で生じて、ある時点で滅する

ものです。

しかし、霊的な用語として、ハートと呼んでいる

ものは生滅するものではありません。

それは永遠不変のものです。

 

したがって、真の自由とは、このハート、または

神聖原理を認識し、実現することにあります

そしてこれを知ることによって、ヒトはすべてを

知るものとなります。


”ヤター・アンダンデ・タター・ブラフマンデ

という言葉があります。

小宇宙そのままに、大宇宙がある

という意味です。

小宇宙とは個人をさし、大宇宙は万物の総和

指します。

 

己の大我を知る者は、すべてを知っています。

今日の人間は世界について、何もかも知ろうと

しています。

自分はなんでも知っているということで、誇り

感じています。


しかし、現代人は、自分自身のことが判っていない

という事実を忘れています。

なたがたが誰かに ”君は誰だい?” と尋ねて

その答えが ”誰だかわかりません” 

だったら、その人のことをどう思いますか?

きっと、その人のことを狂人を想うでしょう。

 

これと同じように、もしもあなたが自分は誰か

を知らないで、ほかの事を、全部知ろうと務める

のならば、貴方はその狂人よりいくらかましですか?


それゆえ、まず、第一に、自分が誰かを知ろう

とするべきです。

あなたは ”僕は xxx です” と言うかも

知れません。

しかし、xxx はあなたの 身体につけられた

名前です。

 

ところで、あなたの答えの中で、

僕は xxx です” の

ボク とは誰ですか?  何者ですか?


その僕 の性質を理解すべきです

その 僕 こそが、フリヤダム、すなわちハート

です。


その 僕 こそが、アートマ、または、大我です。

その 僕 こそが、至高の実在です。


いいかえれば、それのみが実在というのは、

二元論的発想が存在しない世界が実在という

ことでもあります。


例えば、ここに、絵があります。

高い山、深い谷が描かれています。

観たときに心にその映像がキャッチされます。

しかし、もし、あなたが、指でその紙に触ると、

上下や凹凸を見出すことが、あるいは、感じる

ことができないでしょう。

 

それと同じように、現象界において、あなたは

上下、善悪、真理と非真理、苦楽など多くの

対照的差異を見出します。


しかし、ハートのレベルでは、これらの二元対立

は全く発見できないでしょう

 

エカムサット という言葉あります。

それは、存在は壱なり~という意味です。


 第二のものが存在しない場合、どのようにして

自由や束縛の問題が起こり得るでしょう

ゆえに、この自由と束縛という概念は、

あなた自身の心が勝手に造りだしたものなのです

 

太陽がないときだけ、私たちは月に注意を価値を

与えます。

太陽がないとき、なぜ、私たちは月に価値を与える

ですか?

月には、それ自身の輝きがありません。

それが輝くのは、太陽光線を反射するためです。

 

同様に、私たちに”大我の太陽”が見えないとき、

私たちは ”心(感情想念・小我)の月” に価値を

与えます。


心 という月 は なんでしょう?

それは、霊と世、聖と俗、自由と束縛、男と女

いうような、二元的差別観のことです。

 

大我が太陽です。

私たちは、アートマ・ヴィチャラ(大我探究

携わらぬ限り、大我の反射した心、月のような

二元の現象的な認識に心を奪われます。

 

人はどういうとき、真の自由を持つのでしょう。

それは心(月)が滅ぼされたときだけです

 

スワ・イッチャという言葉があります。

スワ とは大我または、アートマのことです。


イッチャ とは 意思または感情 です。

この言葉の使い方は 実は、根本的に矛盾があります。


なぜなら、アートマには 意思も感情 もありません。

”大我の意思どおりに行動することが自由である”

ような錯覚 にとらわれがちですが、人間には

真の自由ないことは明確です。

 

真の自由をもつ存在は神のみです。

なぜなら、神は一元であり、二元的価値観はないため、

束縛もなく、束縛がなければ、自由いう概念も

ないからです。


そして、あなた自身も、本質に神の資質を持ち、

本来、真の自由を獲得する権利を持っている

のです。


人は、二つの法則に支配されて生きざるを得ません。

一つは、大自然の法則、もう一つは、人間が作った

規則や法令で 行動は、常に規制されている

いうことです。

 

人は自分が”好きなように行動できている”

という想いは厳密に言えば

”限界つきの限定自由でしかありません。


限界というのは、肉体が死ねば、その自由は

なくなり、限定というのは、先にのべた、二つの

法則に常に許容されている範囲内ということです。


神は自由である という言い回しも、厳密な意味

では 相対的な表現です。


なぜなら、実在は神のみであり、私たち一人ひとり

中にもその資質は浸透して、それのみが存在する

唯一の物なのであるゆえに、自由という概念は

人間(小我)が見たときの相対的な意味しか 

持たないということになるわけです。


これらの事を考えて、真の自由を獲得するために

どうしたらよいのか、

自身の生き方を内面の奥から時々、見つめなおして

もらえれば、幸いです。

 

*1) 須田注: 

ここでの統一というのは、英語の”Integrate”を 

翻訳していると見受けられる。

前文に政治的話しがでているので”国の統一”のこと

に思えるが

後の文脈からみて、’一人の人間の、心の中の統一

取った方が原意だと理解している。

 

 参考:ブリンダヴァンの慈雨 

1990年 夏期講座 牧野光三監修

 

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もし、癌と診断されたら・・・

2013年09月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

癌は 放っとくのが一番・・極論に非ず   平成25年9月22日

*************************************

著者の近藤誠博士は 慶応義塾大学医学部講師。

1948年生まれで患者本位の治療の実現を掲げられ、

医療の情報公開を積極的に進めてこられた。


抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、癌治療に

おける先駆的意見を述べられ、その功績から

2012年に 菊池寛賞 を受賞された。

 

癌であっても、

”良性癌”か、”モドキ”か、”潜在癌”なのか?

手術を要するのか? 今が適当かどうか? 

などを吟味する必要があると近藤医師はいう。

心得15章 でこう書いている。


がんといえば治療しないと、どんどん進行して

死にいたる”

というのが社会通念になっていますが、誰が、

どうやって、確かめたのでしょうか


昔から、ほとんどの癌は、見つかり次第、治療されて

きました。 手の施しようのない転移がん、末期がんは

別として、早期がんや進行がんを治療しないで

様子をみることはなかったのです。”

 

とこれまでの癌に対する社会的通念を述べてから

1993年、ニュースキャスターの逸見政孝さんが、

悪性度の高い、スキルス癌であることを、初めて

記者会見の形で公表しました。


1月に癌とわかって手術したものの、転移があり、

9月の2回目の手術では臓器を3キロも摘出。


衰弱した体に抗がん剤治療もおこなわれ、

痩せ細り、12月に亡くなりました。

其の後、ご遺族にお話しを伺う機会がありました。

最初の手術の傷跡のところに、たくさんの

再発があったそうです。”

 

ここで近藤医師は ”切ると、がんが暴れる”と

言う言葉を紹介している。

メスがはいったため、その切り口の正常組織が

崩れて、癌細胞が入り込んで、返って増殖を

してしまう。

 

さらに、抗がん剤が効くというのは、がんのしこりを

一時的に小さくするという意味で、効く=原因の撤去と

延命につながるかといえば、そうではない。


それは、私の父のケースに当てはまる。

当時、父は、数か月、固形食が食べられず

医師は父の体が、衰弱しているため、癌検査を

十分行うことができないと語っていた。

たぶん癌だろう~という、医師の判断のもとに、

抗がん剤が使用された。

 

抗がん剤投与、翌日の検査では、内臓機能、

とくに肝臓作用が半分以下に落ちて 医者を

慌てさせた。

 

そのため、2度目以降の投与は即、中止。

この、たった一度の抗がん剤投与で 

”必ず、元気で退院するのだ” と、前日まで

リハビリ室内を張り切って、歩き回っていた父が

たちまち、精神ともに萎えたようにベッドに伏し、

リハビリをする気力すらなくなってしまった。


それ以後は、車いすに乗るようになるほどの、

衰弱をみた。

この抗がん剤の 副作用ともいうべき結果を

父の体は まざまざと見せつけた。

 

1990年 アメリカ議会に提出された 技術評価局報告書

によると、

”抗がん剤、放射線などは、病巣を一時的に縮小させるが

この縮小は無意味であり、延命効果が認められないうえに

患者の生活の質を悪化する”

と断定されているという。

 

そこで 近藤医師は癌と診断された場合の心構えを

提案している。


それは、現場で治療に当たってきた体験を踏まえた

貴重な報告でもある。

著書から抜粋する。

”僕が20年以上にわたって、診てきた、150人以上の

癌放置患者 には、たとえ、キルス胃癌であっても、

数か月でなくなった人は一人もいません。


逆に、今まで通りに暮らしながら、3年から9年も

生きた人が何人もいます。


また、放置すれば、傷まない癌は、胃癌、食道がん、

肝臓がん、子宮がんなど少なくありません。

もし、痛んでも、モルヒネで完璧にコントロール

できます。


苦しみぬいて亡くなるのは、不必要な治療の

せいなのに、医者は新しい患者や家族に、治療

は怖いとは決して言いません。

癌はこわいですから、すぐ治療を始めましょう~と

言います。”

 

がん検診の結果はすべて忘れなさいと提唱する

近藤医師の本意は ここにありそうだ。

 

”手術を受けたとしても寿命が

伸びる事はないし、治療を受けなかったとしても

寿命が縮むわけではないから、患者さんには

’乳がん健診の結果はすべて忘れなさい’

と言っている理由” と記している

 

乳がんだけではない。

胃癌に関しても 著書の本文、心得22条

”胃を切り取る前に知っておきたいこと”

というタイトルの内容に、以下の事実を挙げている。

 

”胃癌の悲劇は治療と言えば、手術になって

 胃を切り取られ、患者さんの体が大ダメージを

 被ることです。

 胃を全摘したり、胃の出口、幽門を含めて

 大きく切り取られると、患者さんは


”食べたものを消化する”

”食べたものを少しずつ、十二指腸のほうに送り出す”

という二つの大きな胃の機能を失います。”

 

食べ物は 胃が切除されて、ないために、小腸に落下、

それによって、腹痛を引き起こしたり冷や汗を

かいて苦しむ。

それを避けるために、食事を4~5回に

分けて摂取するので、体力がつかず、痩せて

元気をなくし、寿命を縮める人も出てくる~と同著に

書かれている。

 

近藤医師のもとに、胃癌と宣告されたAさんが来た。

”早期がんなので、胃の3分の2を削除

しないと、余命2~5年、苦しんで死ぬだろう”

と主治医に言われ、

セカンドオピニオンを求めて他病院に行ったが 

やはり、同様のことを言われたという。


そこで、近藤医師は 温存療法をすすめ、つまり

癌といっても、切らない選択もあることを説明。

すると、

 

”その患者が切らないという選択をしたら、

一年後の検査で癌は消えていました。

検査から5年以上、ずっと、元気です”

 

 と 癌が癒えたというのだ。

温存するというのは、手術をしないで

臓器を残す方法だ。


本来なら、癌の部位とともに、切り取られてしまう

自律神経やリンパ節という大切な 腹部に内臓

されている機能を働かせることで、体の回復を試みる。

胃の周りには、1~4群のリンパ節があり、

手術の場合、2群リンパ節まで除去する

D2胃切除”方法が一般的だという。

 

すでに イギリスとオランダの臨床試験では、

D2胃切除は生存率の向上の寄与しない”

という結果が出ている。

 

Aさんの実例のように、

無治療のまま、様子を見る”という近藤医師の

対処方法は、自然治癒力に則った、究極の

”臓器温存療法だ”と自ら述べている。


つけ加えるのなら

20年前、私は 国立(当時)S病院で、

癌の摘出手術をした。

術後、夫に対し、担当医師が

”はっきり申し上げますと、奥さんは このまま

では、数年の余命ですので、、6か月の集中治療

にかからせてほしい”

と話したそうだ。

 

夫はこの話を 10年間、心に留めて、私に

伝えなかった。

医師の心の内を知らないまま、私は、抜糸後翌日、

手紙を枕元に置いて、病院を出てしまったのだから。


 数週間後、一度だけ先生のご挨拶かたがた健診に

行ったところ、

もう一方の卵巣も取るべきだった、やはり異常が・・・” 

と言われ 一瞬 嫌な心持になった。

それきり、それ以来、病院に行くことはなかった。

 

自分の生命力を信じ、まだ何かしなければならない

ことがあれば必ず生かされるだろう、そうでなければ、

死ぬだろうとある意味 全身全霊で 自己内在する、

アートマを観想し 自己セラピーを続けていた。

 

あらためて、近藤医師の本を読んで 同医師の

薦める 癌への放っとけ対処方法” だと、

再認識した。


こうして、ブログに このような記事を納得して

載せることができるのも、”ホットケ療法”の効果を

自分自身が証明できる体験者だからかもしれない。 

                                                          

参考;引用箇所) ”医者に殺されない47の心得” 

近藤誠著 2013、 株)アスコム

 画像提供:yahoo

 

 

 

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