自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

チベットの死者の書より(2)死にいくときに思う言葉

2024年09月20日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


私事で恐縮ですが、9月19日は 夫の三回忌にあたります。
彼が無事に”天の本宮”にたどり着き、活き活きとしている
ことを確信しながら・・仏教での亡き人の弔いの言葉を
読み直しました。

今日は、誰でも来る”死”の寸前に、祈る言葉・・

”おー 今や 私に死の瞬間のバルドが明らかになって
くる時!

魅惑や切望、並びに、俗界のあらゆる物事への執着を
捨て、

私が輝き 啓発する教えの空間の中に入ってゆきます
ように。

私が生まれざる天の空間の中へと、私自身を溶かし込む
ことができますように。

血と肉でつくられたこの体を手放すときがやってきた

私が、永遠ではなく幻覚的存在であるこの体を、
認識しますように”


前回の記事に関連している箇所は、最後の行です。

”私が、永遠ではなく幻覚的存在であるこの体を、
認識しますように”


死にゆくとき、この体は、永遠でないこと、生きている
間の幻覚的な錯覚的な、存在物であったこと、
それを認識して、はじめて、霊魂として自己を見つめる
ことができるわけです。

それができないと、自分の肉体は目の前に横たわっている
のに、こうして、”私”意識のある、自分がここにいるという
ことに、戸惑いと、混乱を起こすでしょう。

”私は死んではいない”と、まだ、この世に未練を残すことも
あるのかもしれません。

時々、耳にする’地縛霊’などというのも、そうした、この世に
執着をもって、あの世へ、移行できない、霊魂の姿なの
かもしれませんから。

あの世へ行けば あの世での修行があります。

私が輝き 啓発する教えの空間の中に入って”いくことで、
また、新たな、次元での自分が、活き活きと、学びを続けて
いくことができるのでしょう。



引用箇所)
”チベットの使者の書”(バルド ソドル)
S56 
訳編者 おおえ まさのり
講談社
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神示2 1991年の日記帳から

2024年05月12日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム



若さを保つ秘訣について ・・のメッセージ     2024/5/12
******************
このブログでも、若さを保つ秘訣について、タイトルは忘れ
ましたが、話題にしました。
前回と引き続いて、同じ日記帳から12月3日(火)のページ(上)
から載せます。
ここには、”超能力について”と、”老いないひけつとは”の2つ、
あるのですが、今日は、後者を・・・



これを敢えて公表するのは、目的があります。

別に宗教的な神示というより、誰にもいる、目に見えない
が、自分を導いてくれている存在からのメッセージとして、
ご紹介したいと思います。

これを読むと、これを書かせた’メッセンジャー’も、あれから
30年以上たって、今、ブログを通して皆様にお伝えしている
’根源’も、内容がぶれている点が無いので、同じではないか?
と思うのです。

そして、どなたにも、このような、ハイヤーセルフ とか、
指導霊が本当に、あなたを愛して、すぐ傍にいることを、
思い出していただけたらと願います。

なぜなら、一人で生きているようで、生かされ、そして、護られ、
見つめてくれている霊的な存在がいる事実を、思い出すことで、
自分自身を もっと大切に、愛することができるからです。

では、本分にはいります。
******************
若さを保つ秘訣について

若き頃は、自然に、与えられた’オーラ’、もしくは、’気’が、
気枯れなく、輝くゆえに、美醜にかかわらず、子供は愛くるしく
若者は美しく たくましく、はつらつとしている。

人は、毎日の雑多な生きるための仕事と、それよりもっと、煩雑な
欲得のからんだ人間関係のしがらみの中で、

エネルギーを使い、自然に与えられたオーラの輝きすら、消耗して
いく。

鏡を若きときのように、良く見よ。
自分の表情がけわしくなっていないか、目がうつろになっていないか、
口が曲がって下がっていないか、眉間に線が入っていないか?

鏡を良く見よ。

一番 自分の良い表情をしてごらん。
笑いかけてごらん。
魅力的にやさしく、愛する人を見つめ、笑いかけるように。

その時、~これが一番大切なことだが~
自分のその顔を造った
髪の毛を造った
肌を造った
血を造った
自分を造った未知な力に 思いをとどかせよ。

自分を見て 自己の奥に、生まれた時から
心臓を、動かし続けている偉大な力を、観ぜよ。

そのとき、’時’を超越するだろう。

’時を超越’すれば、年はとらない。
肌は弛み、白髪が生えようが、しかし、その背後のオーラは
損ずることなく、若き頃のように、はつらつとした メロディーを
送っている

それによって、自然の物質の’老化の摂理’は、ある程度 遅く
させることができるのは事実だ。
観念の流れで、時間の経ち方は、決められていくのだから。

そして、俗悪な観念から心を解き放せよ。
そんな世界に埋没していても、生活のために、どうしようもない、
人間の執心のあやに、取り込まれようとしていても
とにかく、異次元の世界に置いた心を、常に’存在’の中に
見据えていること。

’異次元の世界に置いた心’とは、次元を超えて’宇宙意識’の中
の自分を自覚している、自分なり。

芸術家がいつまでも若々しいのは、このためでもある。
芸術とは、純粋なものほど、この次元より、インスピレーションが
下りるものだから。

芸術家は この次元に常にコンタクトを持っているがゆえに、
俗悪な平面的で即物的な地球の生活の中でも
真の自己を見失わず、したがって、オーラは気枯れ少なく
輝いているわけである。

若きを欲する者よ
美しきありたい女たちよ

この秘訣を心にとめて、なるべく多く鏡を見よ。

**********************
後記;
これが 核心ですね。
とにかく、異次元の世界に置いた心を、常に’存在’の中に
見据えていること。”

”存在”の中、とは、どういう意味でしょうか?
これを言葉にするのは、とても難儀ですが、その試みを、
今、ブログで格闘中です。

ヒントは、”human being” と、”human doing” の違い
ではないでしょうか?
いつも変わらない、being (存在)である、私たちが
本来の human の意義なのですから・・・







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイヤーセルフの正体(1)1991年の日記帳から

2024年05月07日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

”真理”と”宗教”について
  2024年5月7日
***************************

前回の記事の続きです。
自由日記なので年代が不詳でしたので、最初のページ(上)を
開けてみると、1991年とありました。

ここに載せているのは、その年の、10月8日となります。

************************

私は神ではない。

神の心を伝えるものに過ぎない。
わたしは全宇宙的霊であり、宇宙根源の法則を司る
神の霊のメッセンジャーである。

世界三大宗教、キリスト教、仏教、イスラム教、また、
その土地固有の宗教も大源に、全て真実を’含蓄’するもの
である。

しかし、”これのみが絶対の宗教である”とは、人間である以上
誰一人使える言葉ではないことを知れ。

絶対とは、神のみが言い切れる言葉なり。
なぜなら、神は、絶対者であるからである。

この小さな地球をみても、各々の地域特有の気候と歴史と文化
があり、人、それぞれも皆異なる、宿命を持ち、各々の言葉
と千差万別の想念をやどした人間が生きている。

それぞれの魂の段階にあった神からの伝言を それぞれの魂が
理解できる言葉と概念で、伝えなければならない。
そこに様々な宗教の存在意義がある。

ただ、気をつけよ。
それぞれの宗教の教義も、時がたつにつれ、人間の頭で消化され
伝えられていくうちに、本来の意味合いが薄れて、解釈をされる
ことがある。

その本来の源においては、真を語り、末裔にいたっては、虚に
化す宗教もあり、また、教祖の邪心から真理のほかに色付け
された部分も、したためられることあり。

読むとき、聞くとき、その言葉のうちに、含まれる真理のみを
吸収するように、心を置くべし。

また、その真理の含有率の高さをもって 真理を述べるに
近い宗教足りえると称するのである。

*******************
ちょうど、この頃は、様々な宗教を遍歴して、
真実を求めている時期でもあった。

”自然治癒力”とはいささかも、合流しない言葉のように
聞こえるが、果たしてそうであるか?

ここでは、”宇宙根源の法則を司る神の霊のメッセンジャー”と
紹介されている。

人が宇宙の一部である以上、そこには、宇宙法則が流れ
ているのだろう。

だとしたら、自然治癒力をもっと、活性化し、最大に発動
させるための方法も、この法則の一環としてとらえられる
だろう。

私自身がブログを書くときは、宇宙と肉体次元の自分をつなげる
霊的メッセンジャーを身近に感じ、常に、私の心に存在している
ことを、意識するようになっていたが、たまたま見たこの日記から、
その存在は、こうして時々、当時も、メッセージを送ってきて
いたことを、確信した次第だ。

次回も、30年前の、”私”がキャッチした、メッセージを
ご紹介できたらと思っている。

後記)
守護霊とか、指導霊といわれる存在、それは、先祖霊や、
過去生で自分が師事したスピリチュアルな霊かもしれません。

加えて、他にも、”未来の自分自身”、つまり、物質界から
さらに高い波動世界へと移行して、魂的に進化した自分が、
過去の自分(つまり、今現在の私)を導いていることも
あり得ます。

どなたにも、良心の声が聞こえることがあるでしょう。

良心の声は、”こうしたほうが良い”とか、”こうするべきだ”とか
細かく、必要に応じて、聞こえる自分自身の声でもあります。

先にも書いたように、その声は、自分を指導してくれている
存在の波動かもしれませんし、自分自身のハイヤーセルフの声
かもしれない・・・つまるところ、どちらでもよいのかも
しれません・・・

ただ、そういう存在が必ず、ご自身にもいらっしゃることを、
時々思い出して、ご自身が、愛され、ケアーされている
(五感ではキャッチできない存在から)存在であることを
再確認していただけたらと思います。

一人で生きているように見えても、孤独のように感じても
一人ではないということですから・・・どんなに辛くても、
逆境の中でも、あたたかく、見守っている存在がいるという
ことの再確認・・・ご自身をもっと、ご自身で大切に愛せる
ために・・本当のことなのですから。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイヤーセルフは、自分の未来の姿

2024年05月03日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

昨日、25年以上前の日付の日記を読み直しました。
************  2024年5月3日

驚きました。
そこに書かれているのは、まぎれもなく、今のブログで
取り上げている口調と内容でした。

それは、”神示があり” という書き出しで始まっていました。

この協会は、宗教組織ではありませんから、神という言葉
はほとんど使いません。

その代わりに’生命力’とか、’宇宙意思’とかは、使います。

が、その日記には、それを語るのは、私はツールであり、上
から来たメッセージとしての位置づけをしていました。

それを読むと、須田恭代を導いてくれている ハイヤーセルフ
が書いたこと、同人物が、この協会のブログを書いていること、
そして、同じ、”目に見えない生きている存在”が 時を越えて
私の背後にいることが、この当時の日記を見て、改めて、
認識できました。

そして、このことは、私一人の、個人的なお話ではなく、
皆さま一人1人にも共通することだと思いました。
つまり、ハイヤーセルフと呼べる、存在が 皆さまにも必ず
いるということどえす。


ハイヤーセルフは、英語で、’higher self’ と書きます。
”高い次元の、自己” という意味です。

ハイヤーセルフは もしかしたら未来の自分の魂で、今の
幼稚な自分の世話を精神的に、勝って出てくれているのかも
しれません。

人は、結局、神です。(人は神の子というのは、成長すれば、
神になるという意味でもあるからです)

神は、人でもあります。(神は、自分自身を客観的に見るため
に、自分の資質を備えた、二世を、地上に造ったのですから)

人間は、スピリチュアル的という意味は、とても現実的です。
誰でも、本来、スピリチュアルなのです。

なぜなら、”人は神であり、神は人”だからです。

時空を超えられるのは、スピリチュアルの特性の一つ
です。
時間や空間に、魂は、影響受けずに、 想念をそこに
飛ばせば、どこにでも、いつでも、どの時代にも、魂
は現れるからです。

話は飛びますが、だから、円盤は、地球人にとって、奇怪
な動きをするように見えるのでしょう。
UFOは、高次元から来ていて、瞬間移動や、次元移動は
可能なはずですから。

話を戻しますと、私たちの魂は、神に近づくように、
進化し続けているのですから、あと、千年後、二千年後、
数万年後(現世的な数え方で)には もっと、愛深く、
智慧と平穏の、神の資質に限りなく近い自分になっていない
と、誰が否定できるでしょう。

こう書くと、奇特な宗教家は、とても冒涜的な言い方だと、
立腹されるかもしれません。
しかし、人が神に近づくことほど、神にとって嬉しいことは
ないのです。
なぜなら、人は神に愛され、その無我の愛は、親の愛と同様
ですから、人がその愛を知り、叡智を身につけて、平安で安寧
に生活することほど、親として喜ばしいことはないはずですから。

そして、その未来の自分の完全に近い魂は、今の、不完全な、
地球人の”私”に、声にならぬ助言で、愛と、智慧を
与え続けてくれているのかもしれません。


前書きが長くなりました。

25年前に書かれた日記の、そうしたことを、考えさせ
られたページをご紹介するのが、はじめの目的でした。

それは、数日後の、次回のテーマに回させてください。
そこで、25年前の日誌の、一頁 をご紹介させて
いただきます。

その行間に漂う、現時点でのブログ内容を書いている”私”
と同一の(神示と記載されてますが)書き手が存在して
いたことが、わかる内容を読んでいただけたらと思います。

とりあえず、今日は、イントロダクションまでのみで
ごめんなさい。

😑 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月18日の投稿記事の校正記事

2024年04月22日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム
本当は、”幸せな自分”こそ、あなた自身なのですから 2024年4月18日
***************************
前書き)
4月18日の投稿を書き直しました。
緑色の部分が、新しく書き添えたり、書き換えたりしたところです。
どうぞ、ご覧ください。   4月23日10時35分発信

心身健康のときは、幸せ感があります。
反対に、幸せ感があれば、心身は健康に導かれます。

あなたは、幸せですか?

”幸せ”は、人と比較したりして頭で考えて、出す結論ではないですよね。
人によって、幸せ感は、異なることでしょう。

幸せという表現は、本当に、曖昧です。

前回まで、”自由”って?を考えて、ブログに書いてきました。
その理由は、”本当の自由が、幸せをもたらす”と聞いたことがある
からです。

自由は、束縛がないことですが、一番、大きな束縛は、自分の心が
自分の可能性や能力、性格や習性、などを否定的に見る、その観方
そのものなのです。
なぜなら、”観方”は、”言葉”に翻訳され、”言葉”は、その通りに
未来(の自分)を創造するエネルギーだからです。


外因的要素も、束縛の中に考えられるでしょう。
たとえば、人間関係がぎくしゃくしていれば、誤解や、相手の考えが気に
なって、心はそれにとらわれます。
何かにとらわれていれば、自由ではありません。

私たちは幸せ感を味わうために、とかく、条件をつくりがちです。
たとえばこれが無ければ、この人がいなければ、幸せでない・・と。

皮肉で、求めていた”これ”が見つかり、離れがたい”この人”が、常に傍に
いたとしても、その結果が必ずしも、幸せの条件として長続きしないのが
世の中の常です。

 
ということは、”幸せ”って、こうでなければ、幸せではない、という条件
付きではなく、どんな条件下のもとでも、心が、満たされていること
をいうのでしょう。

そして、自分自身でかけている、”自分の資質を限定して束縛状態を造る”
という、言霊(観方)の呪術が解(ほど)けている時、ではないで
しょうか?

覚者は言います;
”幸せを求め続けているのなら、今ある、それに気が付かない
だけのことなのです。”

これは、メーテルリンクの“青い鳥”の童話(*1)の中のお話と同じです。
幸せの青い鳥は、自分の家にすでにいたというお話です。

自分自身、満たされていることを知る~というのは、今、恵まれている
些細な当たり前のことに、目を向けて、’有難い・自分は愛されている’と
感謝と、天からの恵みを、心から感じ取ることでしょう。
”今、あるそれに気が付く”というのは、当たり前の事象の、当たり前
でないことに、気が付くということでしょう。

そして、自分の”私はダメだ”と、”バカだよな”とか、とかく、否定的
に見る観方を一掃するには、本当の純粋な自分を自覚すること。

本当の自分とは、時空を超えて変わらない、自分自身です。

私たちは、数千年、数万年の歳月を、衣(肉体)を脱ぎ捨て、
あらゆる職業を体験し、様々な国に生まれ変わってきました。

その一番の目的は、私たちの肉体の衣を着こなしている、本物の
自分を見つけるためでした

本物の自分のことを、サンスクリット語で、”アートマ” と呼びます。
日本語では、生まれつき誰の心にも存在する、”仏性” のことです。

さて、話は少し、飛びますが、インド在住のとき、師のところへ
度々、足を運びました。
師から、あなたは誰ですか?と、聞かれたことが
あります。

”自分の名前” を答えると、却下されました。

なぜなら、自分の名前は、この肉体を持った時に、付けられたもの。
この肉体の分別のためのもので、本当の私とは異なるからです。

師は、こう続けました:
“自分の肉体の定義をしてみなさい。 
この肉体が自分だと思う理由も、考えてみなさい。 
肉体を構成している材料は、宇宙に存在する物質なのに、
どうして、それらは’あなた’だと、いえるのかね?
あなたは、その’物質’の構成された肉体に住む、アートマ。
その物質は、あなたではない。
だから、’あなたは誰か?’ の答えは、’アートマ’なのだ。”

“自分はこの肉体の中にある” と思う人は、少なくないでしょう。
心臓に、太陽神経チャクラに、もしくは、脳の中に’自分’
がいるから、この肉体が自分だ” というわけです。
それも否定できないのですが、魂の自分(アートマ)の純粋性
と、その純粋性の中にいることで、湧き上がる、愛とか、祝福感
とかが、何も物質的条件なしに、人を本当に、幸福に感じさせる
としたら?

なぜ、その時に、幸福を感じえるか?
それは、私たちを限定しているエゴ意識を飛び越え、私たちの本質
と宇宙の本質と、繫がり、自分が無限に愛されていること、祝福
された存在であることを、自得できるからです。




次回に続きます
************

(*1)幸福の青い鳥はどこだろう? 
クリスマスの前夜、妖女に言いつかって青い鳥を探しに出た兄妹、
チルチルとミチルの夢と冒険の物語。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする