自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

(悟り)は汝を自由にならしめん~(2)

2022年06月23日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

昨日の記事の補足として、     2020/6/23

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昨日の記事に関して、10年前に発表した

”般若心経全訳”を推敲して、

その中に書いてあるパラグラフと同意味の

お経の部分を、再認識したところです。

それは、以下の部分です:

 

無色聲香味蝕法 無眼界 乃至 無意識界 

無無明 亦 無無明尽 

乃至 無老死 亦 無老死尽 

意味)

五感の器官の働きによって認識している、物質や 

聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたりする

感覚も、物質が永劫の実在でない以上、あるようで

ないものだ。

目で見えている現象界でもそうだし、 意識界で

感じていることも、実質はない。

無明 (明るくない・鮮明でない=((意訳して))

=悟っていないこと)は、実存していないのだから、

(言い換えれば、すでに実存(空)では悟っているのだから)

無明を滅しようとする必要はない。”

 

という般若心経の一説です。

パソコンでご覧になっている方には、色分けして、

般若心経が書かれ、その同色で意訳がしてあります。


無明から始まる、茶色の部分が、今日のポイントの部分です。

とりいそぎ、補足まで・・・

 

もし、ご興味のあるかたは、

2012年11月11日ヴェーダ・真言・般若心経

の般若心経全訳を、お時間あるとき、是非、ご

覧ください。



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地球人の精神的痴ほう症に一言

2022年06月22日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

”皆、もう悟っているんです・本当は・”  2022/6/26 

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礼拝は宗教につきもの。それは神が規定したものか?

といえば、そうではないだろう。

宗教は、組織である以上、人が造ったものであり、

儀式礼拝方法も、ヒトが定めたのだろう。

が、宗教の本来の意味は何だろ??

宗教の真髄はただ一つ、

’本当の自分にたちかえること’だと私は思う。

儀礼を知っていても、本当の自分を知ることとは、

まったく、筋違いな話。

あがめる神様とは、その儀式会場のどこに居ますのか?

 

あがめる神様は、”像”(イメージ)に象徴されていても、

誰も、その像が神様そのものとは、思っていないだろう。

それでは、どこに、神様はいらっしゃるのか?

 

その居場所は、’自分自身’の中に。

人の肉体は、神さまの宮で、心は、奥宮。

自分から離れているところの神様を想い、

礼拝を儀礼的に行うことに集中すれば

するほど、”神”から遠く離れていく。

 

反面、儀礼的礼拝から遠ざかれば遠ざかる

ほど、自分の中の内在する神性を見つめて

いれば、神との距離が近くなる。

自分に内在する神を知ることは、どういうこと?

人は親を想う。生き別れになれば、会いたいと探す。

同様、私たちは、神を本源に生まれているから、

自分の内にある神を探す。

それは本能のようなもの。

神に対してふり向ける心を、sacred heart (聖なる心)

という。神は想念で私たちを造られた。私たちも

同様に想念で、望むものを引き寄せ、創り出す。

聖なる心こそ、すべてを実現する源でもある。

この原理と、自分自身の関係を、知らないうちは、

悟っているとは言えない。

知ったと思っていても、観念だけで知っている

だけでも悟っているとは言えない。

自然に、必要なものが引き寄せられ、

必要な人と出会い、必要な物質が与えられる

という生活の展開が、悟りの生活かもしれない。

一方、そうした能力は、肉体を去ったとき、

つまり死んだとき、ヒトが霊体となれば、

誰もが、自分は悟っていたということを

思い出すらしい。

地球人として生来ている間は、それを

忘れているらしい。

大切な自分の本質を忘れて生きているという

ことは、一種の痴ほう症のようなものかも

しれない。

頭脳的明晰さをもって、難解な方程式を解き、

宇宙へ飛び出す技術を得ても、

スーパーコンピューターを駆使した最高の

科学的解析で得た知識を持っていても、

’真の自分’の何たるやを知らなければ、

’霊的痴ほう症’と、いえそうだ。

痴ほう症でも認知症でもない、本当の自分

を取り戻したとき、私たちは、本来の自由

の意味を知るという。

物質的・カルマ的束縛も執着もない自分に

戻れるからだろう。

キリストは、その状態を、

’真理は汝を自由ならしめん’と説いた。

戦争がまだ勃発して、それを他所事として

とらえている地球上の人類は、いかに

人間が無知であるか・・と他星の住人

から呆れられていることだろう。

人類の無知の原因を作っている、

厄介な原因感情をご存じだろうか?

それがあるから、人は、容易に病になったり、

不幸に巻き込まれたりしてきた。

その感情は、怒りと恐れだ。

その負のスパイラルを招く感情を、

’愛’に変えることで、ヒトを、無知から

救いあげようとしたことが、キリストの

大きな功績だった。

畏れと憎しみ(怒り)があるから、戦争が始まる。

平和を求めるのなら、憎しみを捨てよ。

調和した世界を実現するには、恐れを愛に変えよ~

これは、2千年たった今でも社会の平和と、

ヒトの心の安寧とための黄金律に、

変わりはない。

 

私たちの肉体的健康も然りである。

心臓を動かし、ホルモンを調節している

この生命力は、愛に満ちた力にほかならない

のだから・・・私たちの肉体細胞は、

私たちの意識が届かないところで、

連絡をとりあい、助け合い、生命力を

駆使して、瞬間瞬間を重ねて、この肉体を

保全してくれている。

生命力には、本来、恐れはない。

欠けている要素を補う方法を知り、

外からウイルスが入れば、

それを撃退する術を知っている。

身体組織を有機的につなぎ、補いあい、支えていく

愛の力に他ならない。

 

 

 

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当たり前の奇跡。。

2022年06月15日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

           2022/6/15

**************************

インド16年の居住中、聖者と称する人や、

ヨギや、修行者など、多くの求道者たちと出会い、

話を聞いてきました。

その中で、印象的な話がありました。


それは、知人のグルジー(師匠)の体験した話でした。

仮に、そのグルジーをM師としましょう。

M師は、”奇跡”と普通、ヒトが呼ぶ程度のことは、具現化したり

体験したりしていました。

 

ある日、M師は、小さな離島に、講演に出かけました。

講演が終わり、小舟に乗り込み、数キロ離れた

対岸へ渡ろうと、海上に漕ぎ出して

数分もたたないうちに、岸にたって、自分の名前

を呼びながら、手を振る3人の聴衆がいました。


M師は、後戻りをすることもないまま、その3人が、

自分の講演を熱心に聞いていた聴衆たちであること

を知りました。

 

師が引き返すことが無いと知ると、

その三人は、驚いたことに、海の中に入ってきます。

ジャバジャバと波しぶきをあげて入ると思いきや、

師は自分の目を疑いました。


目を凝らして成り行きを見守るM師の目に映ったのは、

まぎれもなく3人の老人たちが海の上を走って、

M師に近寄ってくる姿でした。


老人たちは船の横に、おいつくと、”先生!!”と

M師に声をかけました。

返答も出ないぐらい、驚いているM師をよそに、

そのまま、老人の一人が尋ねました。

 

”M先生、私たちは、あなたの講義を一言

も漏らさず、聞いたつもりでしたが、

聞き逃してしまったことがありました。

最後の’悟り’の極意の手法の一つです。

それを、先生にお尋ねしようと、追いかけて

きてしまいました。

お許しください。”

 

これを聞いたM師は、さらに返す言葉も出ずに、

“長老たちよ、今のままで、ご修行をお勤めください。”と、

短く、答えると、

”そうでしたか。安心しました。

このままの修行を続けていけば良いのなら、

そういたします。”

とほっとしたような様子をみせて、そのまま、

再び、海の上を軽やかに歩いて、戻って行ったと

いうことです。

 

M師は回想して、こう話したそうです。

”彼らは、わたしより、はるかに、悟っていた。

人間の全能であるということの本質を知り、

それを体現していたにもかかわらず、謙虚に、

学ぶ心を失わず、おごることもなく、自分たちが

何者かということすら、意識せずに、当たり前

のように海の上を歩いて私を追いかけて、納得

したら、また、海の上を歩いて帰って行った。

彼らこそ、真に悟りを開いた人たちだった。”

 

時々思います。

朝、何事もなく目が覚める・・・これだけだって、

心臓が止まっていたら、不可能。

太陽が昇って朝になることも、夜間に転変地変が

起きていたら、不可能。

安心して空気を吸えることも、急に戦争に

なってしまったら、不可能。


ペットと散歩すれば、彼は毎朝、ウンチをします。 

これだって、糞詰まりになったら、毒素が身体に

回り、大変なこと・・・

 

当たり前のこと、家族が元気でいてくれる、

仕事がある、食料も飢え死にせずに

確保できている、銃をもたずに安心して、

夜道を歩ける・・・当たり前すぎて、

奇跡だなんて言えば、とても大げさに

感じられるかもしれないけど、

もしかしたら、本当に、”凄いこと”、と、

つくづく思う昨今です。

 

 

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アシの甲のむくみの対策

2022年06月13日 | 介護と自然治癒力

自然治癒力:1週間で元通りに    2022/6/13

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2週間のご無沙汰でした。

この半月の間の、介護中の大きな出来事の一つは、

夫の足の甲のむくみの対処法を試みたことでしょう。

靴下を毎夜、脱ぐときに少しずつ、靴下のゴムの跡が、

足首について、それが、烙印を押したようにはっきりと、

輪を作り、数分たってようやく跡が薄くなるような状態が

5月ごろからみられていました。


6月に入ると、それが、上の写真のような、足の甲

全体のむくみになりました。

6月3日にお世話になっている施設長と以下のやりとりを

ラインでしています。

コピペします。


”足の甲のむくみについて,医学的には
余分な水分が溜まっている 為に起きてます。

が、水分摂取不足でも,身体が、入った水分を、逆に

溜め込もうと、するので むくみます。


特に足の甲は心臓から遠いので 血流が、弱くなり

そのため、静脈から回収される水分が、滞り、むくむようです”

 

と状況を踏まえたうえで、次のように、リクエストしました。

 ”自宅では、引き続き リンパマッサージや、ふくらはぎ 

の筋肉を鍛え (心臓筋肉力増進させる)るために 

立つ 歩く の時間を、 増やしていきたい

と思います。

 

お茶は、ほうじ茶・ 麦茶なら利尿作用は、無いの

ですが、甘くないと 今の夫は 飲めないので そちらで

出していただく、紅茶などは 薄く、砂糖は、

控えめにしていただけたら 大丈夫かもしれません。

 

お茶以外の カルピスも大切な水分補給ですが、

こちらは、原液は薄めでお願いいたします。”

 

夫は、昨年9月から、食事を受け付けなくなり、飲み物

は普通に出される、お茶やコーヒー、嗜好飲料に、

手をつけなくなりました。

 

4月に自宅療養になってからは、カルピスや、豆乳、

果物のスムージーをベースに強度の便秘【注1】を

改善するために、アロエの生葉、赤松をミキサーにかけて、

それらを溶かして飲ませることで、水分補給と

腸の調子の改善を図ってきて、ほぼ、うまくいって

いたのですが、この”むくみ”が出たことで 何が

問題か考えてしまいました。

 

その解決方法が上のラインの内容でした。

施設で出されるカルピスは、週に一本を消費して

ましたが、これを2週間に一本に減らしていただき、

糖分を薄めにして飲むこと、お茶は、利尿作用が

あるので、薄めにして飲んでもらうことにしました


水分補給は必要です。

極度の便秘には、水分が必要だからです。

 

自宅では、そうしたことに加え、アートマセラピー

を足裏に1時間ほど、毎晩、床についてから施術

していました。


そして、気が付いたら、足の血管が見えるほどに、

ある朝 むくみが引いていました。


その日、施設長に送ったラインの日付は,6月6日と

なっています。

 

”おはようございます

おかげさまで
夫の左足の甲のむくみは、
昨夜から今朝にかけて 
足の血管がうっすら見えるまで
ひきました。

スタッフの方達のご協力も大きいと思います

御報告まで~~~”

下の写真でわかるように、足首からふくらはぎの

むくみも、亡くなりました。

靴下のゴム部分が、足首に食い込んで 数ミリの深さの

跡は、今は、もうありません。

 

 

先日、会社の同期の友人が、見舞いに来てくれました。

なごやかに、談笑している友人の姿に、感謝しました。

以前のように、利発に思考回路が働いていないせいか、

今一つ即興的な 受け答えはできない夫でしたが、

それでも、雰囲気は、昔に帰ったようだと、

友人は普段通りの夫に接するように、終始、

楽しそうに、話題を持ちかけてくださっていました。

何年ぶりの語らいだったのか・・・

ありがたいことです。

こうして、目下、リハビリしながら、食事に気を

付けて徐々に、自然の流れの、改善を目標に、介護を

続けている毎日です。

 

注1】 極度の便秘症のため、

120㏄の浣腸を5日に 一本、毎日、ピコ液を

15滴、と、酸化マグネシウム錠を

数畳飲んでいたこの2年間でした。


現在は、すべて、引き継ぎの時に、医局から

いただいたこれらのお薬を、廃棄して、

自然療法で、ウンチは、出るようになっています。

 

 

 

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