自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

夏の風邪 と 秋の風邪

2012年09月30日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

9月30日(日)2012年

*********************************************

すでに ひとしきり聞こえていた蝉の声も いつの間にか

聞こえなくなりました。

もう、すぐそこに秋の気配が感じられます。

この夏に風邪をひかれたかたもいるでしょう。


風邪にもいろいろあります。必ずしも、咳や鼻水だけとは

限らず、消化器の風邪や

呼吸器の風邪、中には泌尿器の風邪もあるようです。


消化器の風邪は大概が下痢をしますし、呼吸器系の

風邪はなかなか、咳がぬけず、熱もあまり出ず、長引く

ようです。


泌尿器の風邪は咽喉から耳鼻、最後に泌尿器に異常を

感じます。 

排尿の変化や便秘などの症状も出るようです。

 

カテゴリ―自然治癒力No.10までの記事を読んでいただければ、

風邪の一般的な発熱や咳・タンなどの症状が,自然治癒力の発動

であることが説明されています。

 

夏の風邪は汗と関係あります。発汗を拭かずに風に当たったり、

冷房で冷やしたりすると汗がひっこんでしまうので、

体にだるさが残ったり、風邪をひいたりしやすいのです。


汗をかけば一緒に塩分が出ていくので、泌尿器の助けをします。


秋にはいり夏のように汗をかかないときは、泌尿器の脱塩作用

の負担がますので、塩分が体から出ずらくなる分だけ、

血圧が上がったり、頭が重かったり、肩が凝りやすいという

現象もでてきます。

 

一般的にくしゃみをすると ”あれ、風邪かな?”という

気持ちがふっとおこるようです。

くしゃみは自然防衛反応であって、吸った空気の中の塵埃などの

遺物が気管に入ってきた時でるものです。


自然治癒力セラピー的にいえば、この時のくしゃみによって、

縮んでいた筋や凝りなどが 一瞬、刺激ががかかるため、

くしゃみと同時に、ほどけるという効果もあります。

 

気管の内側は、細かい毛のはえた上皮細胞で覆われ、

その細かい毛は常に口の方にむかってなびいているので、

異物は分泌物として痰となって、口から排泄される

わけです。


ですから、咳がでた、痰がからむといって、いたずらに

心配する必要はありません。

健康な時にも、このように、老廃物出すために自浄作用が

行われている、異物が体に侵入して病におかされないよう、

自然治癒の防護力の一つとお考えください。


咳や痰が出たら、無理に薬で抑えたりせず、かえって、

水分を飲んで出やすくする方体に負担なく、自然浄化作用

手助けをすることができるのです。


”生命医療を求めて” の著者、内田久子医師は以下の

ように述べておられます。


”どのような細菌やウイルスが侵入しても、健全な生理作用

さえ営んでいれば,これを防御する作用が、人間の体にはすでに

わっているのですから常に生体の自浄作用が完全に

営めるように、これを主導している精神面、つまり

心の持ち方を健全にすることが大切です。”同著P.22より)

 

さらに、高熱や下痢をするときも 恐れたり 慌てたり

しないためにも、同医師の次の言葉をお読みください。


”われわれの体の生理作用には解毒作用、異物排泄作用、

免疫作用、組織再生作用などの自浄作用が、本来備わっている

ので、病気の症状の、ほとんどはこれらの作用によって

起こってくるのです。


いたみ、発熱、腫れ、下痢などの症状も病的状態を治す

ための、自然療能力の始まりでもあるのですから、いたずらに

恐怖することは、さらに病気を長引かせることになります”。

(以上P.26 )


 自然治癒力は誰にでも備わっています。

 風邪はある意味で、季節の変わり目に、それまで溜めていた

不浄化物を、熱や痰や下痢などで排出する、大掃除かもしれません。 


自分は決まって~月に風邪をひくという方もいらっしゃるでしょう。

それが体のリズムです。

汗を抑えこみ、内攻させると、からだに 弊害がみられるように、

これらの、浄化作用を抑え込むと、内攻します。


出るものは抑えない、これが、自然治癒力の極意です。

汗でも熱でも、鼻水でも、痰でも、ガスでも、膿(うみ)でも、

出るものは出す。

なぜなら、体が大掃除をして そのゴミを排出してくれているからです。

浄化です。 


それを抑え込むと、部屋の隅にゴミを少しずつ、ためていくような

ものです。 

いつかそのゴミ袋から臭いがただよい、腐って、蛆虫(うじむし)

が発生するでしょう。


私たちの体でも、たとえば、癌細胞は、そのように自然発生

するとも考えられています。

細胞がいつの間にか癌細胞に変わっているという具合です。


とにかく、出すことを恐れないでください

風邪をひいたら、安静に、体を冷やさず、水分をとって、

休養すること。


栄養になるからといって、無理に食べる必要もない。

体が欲するものをすこしづつ召し上がってください。

 

最後に、もう一度上記の内田先生の言葉を引用しますね。

腸ねん転の事を書かれていますが、ここでは穏やかな活気

に満ちた精神状態の時、体の運行も順調だということを

主眼にしています。 

以下引用します。


”穏やかな活気に充ちた精神状態のときには、

腸の蠕動運動も順調であるが、

ひとたび、感情に激しい起伏が生じた場合には

腸がねじれたり(腸ねん転)、

腸の中に腸が重なって入り込む’腸重積症’や

腸の働きが急に止まってしまう

’麻痺性イレウス’など非常に重篤な腸閉塞症状が

起こってくる。”(P.54引用終わり) 

 

心が穏やかで平常心であれば、体は本来の働きを

遺憾なく発揮します

ひとたび、悲しみや憂鬱、怒りや激怒などで、感情が高ぶると、

とたんに、体の機能が正常に行かないということを、

先生は報告しています。


 私たちが風邪をひいたときも、恐怖心にとらわれず、

平常心で対処すれば、自然治癒力が発動して、体の浄化作用が

難なく終わるということにもつながるでしょう


秋風邪は、昼間と朝夕の気温差から冷えが体にはいり、

起こりやすいといわれます。

夜は暑いからと言って窓を開けっぱなしにせず、布団も

夏掛けに一枚足して、夜間冷えないよう上掛けなどに留意されて、

快眠されますように。

 


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唯心の所現~風邪の例~

2012年09月29日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

9月29日(土曜日)                                                  心 と 病       

 

病気は 病は気 からと書きます、

昨日のブログに、アートマセラピーでは 心の持ち方を大事に

すると書きました。

 

そのことを風邪を例にとって、もう少しお話しいたします。

心の持ち方というからには、心に原因があるのです。

それをいくつかに分類すると、風邪をひいている心の持ち方

要素として次のことが挙げられます。

 

1) 心理現象

2) 思い込み 

3) 病気になりたい欲求

4) 潜在意識の反抗    

 

1)心理現象というのは、心理的に、寒いと風邪をひくと

思っている人が、雨が靴から浸み込んで、靴下が湿ったときに、

足が冷えたと感じたときに、風邪をひきやすいということです。 


足が冷えたという感覚と、寒いという心理が一体になり、

寒いときに足を冷やしたから風邪になるかな?と心理が働き、

風邪を招くのです。

 

風邪をひくことを、英語で catch a cold と言います。

文字通り、寒さ(Cold)を、取り入れた(catch)わけです。

ですから、寒いから風邪をひくわけでない。


自分の体が栄養もとれていて、平常であるならば、寒くても、

体内皮下脂肪が熱量をだしてくれるので、体の芯がそう簡単に

冷えることはないという、体への信頼を思い起こせば、

心理的現象も防げるわけです。

 

2)思い込みは、主に、恐れからくるものです。 

たとえば、くしゃみをすると、その瞬間、”あ、風邪かな?”

と心に不安がちらっとかすめる。 

くしゃみは、夏風邪のブログで書いたように、本来、

縮んでいる、細胞の気の流れを滞らせる”つまり”が

一瞬にして、ほどけるための、一種の自然治癒力の発動

と考えられます。


下痢などもそうですが、下痢すると、余計風邪が重く

なっていくように不安になる。 

不安になるから、病になったような気が増して、自然治癒力
を十分に出し切れないまま、薬を頼るということになります。

 

このように、生理作用は本来、自然治癒力の発動である

にもかかわらず、不安で風邪にかかったと思い込むと、

そのような症状が実際、体に表面化して、

病気になってしまうのです。


いわば、自分の心で病気を生み出しているといっても

過言ではないぐらいです。 

 

そのためには、自然治癒力という体に備わった、不思議で

強力な人の体の仕組みを理解することが有効です。


ともに、本来の自分と肉体の関係を理解すれば、思い込みが

なくなります。

なぜなら、肉体は心の影であり、心の反映であるということ

だからです。

心に恐れがなくなれば、このような種類の風邪は

ひかなくなります。

 

3)病気になりたい欲求というのは、以外と多いものです。 

ほっぺたが膨れたりするのも、心の反映であることがある。

ほっぺたを膨らますというのは、幼児でいえば、不満の表れです。


口を尖らしたり、目を吊り上げたりするのは、不満や怒り

現れです。

こうした感情が心のどこかにあれば、それ相応の肉体の表現

が風邪という症状の中に見られます。

 

例えば、誰かの注意をひきつけたい、同情がほしい、

謝罪してもらいたい、自分の面倒をみてもらうことで

相手のエネルギーをとりたい、などという心が病気に

なりたい欲求として 実際、風邪の症状などを出現させます。


誰にでも、自分を大事にされたい、かばってもらいたい、

相手が言うことを聞いてほしいという、甘えの心はあります。

 

”今日は風邪っぽくて、微熱があるから、夕飯の支度手伝って”

と言えば、誰かが夕飯の支度をする。

忙しいからできない、とか、そのぐらい大丈夫でしょう?

とか言われて相手にされないと、ほんとうに、微熱が出て、

熱が上がっていく。 


それだけ元気なら、ご飯の支度も片づけも大丈夫でしょう?

などと、いわれないためにも、本人の心は病気になりたい

いう念願どおりに、風邪を実現させるのです。

心の願いというのは、このように大きな力を持っているのです

 

4)潜在意識というのは、少々複雑な仕組みになります。

心理的な要素や、思い込みなど、いろいろ混じる場合がある

からです。

たとえば、風邪の場合は治りがけがとても大事と言います。


治りがけに無理をすると、ぶり返したりする。

同時に、風邪のような自浄作用が起きているときに、心の中の

潜在意識が反感をもったりすると、てきめんに皮膚などに、

発疹や肌荒れを起こしたりします。


それは、反感心というのは、皮膚を縮める作用をするからです。

縮まった箇所は赤くなり、皮膚病になったりするのです。 

 

反感というのは、いつも、小言を言い続けている母親や、

自分を縛ろうとする、父親、あるいは、兄弟の不仲で反発を

もっていたり、とそういう潜在的に潜んでいた感情が元と

なります。  


それらは普段忘れているのですが、風邪などをひいて、

心も体も敏感になっているとき、突然浮上したりするのです。

 

風が強く晴れた寒い日こそ、凧あげが面白い。 

面白いことをしていれば、風邪などひかないのですが、

そんな時に、親の権威で ”お使いにいきなさい”とか、

”塾に行きなさい”とかいわれると、

とたんに反発心が湧いて、しぶしぶ行って帰宅後、

熱が出たりする。 


つまり、”風邪をひくことで反抗心を表面化”しているわけです。

 反感や反抗心を普段から溜めこまないように、家族の

調和ある雰囲気や お互いに尊重し、いたわりあえる

人間教育を学校任せにしないで、家庭内で、

取り組むことが大事だと思います。

 

以上簡単ですが、風邪一つとっても、心の持ちようが

これだけ影響を与えていることがあるのです。


平常心保持、そして、自分の心を自分の主軸に合わせて

回転できるよう、中心(久遠の今の点、空転)をよく見つめる

訓練を日頃からする大切さを

感じる今日この頃です。

 

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アートマセラピー

2012年09月28日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

  

ヒマラヤ北シッキムの滝

 

 

昨日のブログにも少し 触れたが、

インド時代さまざまな”真理の道”を右往左往していた。 

健康面では、息子や自分自身には、アートマセラピーを

活用して、長い海外時代、病にかかっても薬知らずで

過ごした。 

 

アートマセラピーとは 何か? 

アートマとは?

アートマとは サンスクリット語で、”本来の本質なる自己の資質”

とでもいえよう。

 

私の母(実際は姑)は、指圧学校を卒業して、独自の療法を

生み出していた。


結婚してからは 主人の地方転勤が多く、その後、7年間、

主人の赴任で、海外に出て、インドには さらに10年以上、

任意で滞在することになってしまった。


結婚前、体の弱かった私を心配してくださり、母の療法を

受けお世話になったものの、海外に出てからは特に、

自己の信念に基づく、セラピーで対処せざる得なかった。

 

母の著書 ”ひきつれつまる身体をほぐす(続編)” (星と森社出版)

の冒頭に、書かれている一節がある。

 

”平成3年2月12日、息子の嫁(* 注:私の事)に

’神気療法’か’神気法’か、どちらがよいか

意見を求めると、そくざに、’神気法’と答えた。


私も同感であったので、この名前に決定した。”(P.1)

 

とあり、母の治療法は それ以後、神気法 と名付けられた。 

さらに、神気法に関する以下のような メッセージが 

私に直観で与えられ、母に告げたところ、母は次のように 

自著に書いている

 

”嫁は 神示 を書いてくれた。

(神示の内容)  

神気法は東洋の古来のさまざまな療法を統合せしめ、

宇宙の磁気が肉体の順気と相合し、

人間が小宇宙であるという真実を、明らかにせしむる

治療法である。 


この本に流れる ’滝の気’ とは、修験者が己を清らかに

せしめんがため、

修行する 神気あふれる、滝の水に身を清めるのと同じ力

を持つものである” (P.2) 

 

 さらに、母は”滝の気”について、こう続ける。

”最初の著書のイラストを描いていただいた高橋典子さまも、

私の家の神前で拝んだとき、滝が見えるといわれたし、

研究する秀真伝の論文を見ても 滝の気を感ずるといわれた”

 

”二人とも、期せずして、滝の気を触感したのだった”  (P.2)

 

母の言葉を続ける。

身体の不調についてこう述べている。


”身体が不調になるには、さかのぼって、原因らしきものを

探っていくと、必ずといってよいほどに存在するのである。

それが引くきつれ・つまりなのである。” 

 

と身体不調の原因を述べ、その引くきつれ・つまり を 

以下のように定義する。


”身体は正常な気の流れ(電気波動)によって、健康が

保たれているが この気の流れに狂いが生ずると不調を

感ずるようになり、果ては臓器自体もむしばまれてくる。” 


といい、その要因として、

”先天的体質に、過去の労働による酷使、スポーツによる

過度の酷使や、生まれてこのかたまでの、物理的損傷、

慢性的睡眠不足、食事の不摂生などが、

複雑に交錯して、”(P.3)、 


引きつれ・つまりを 身体に引き起こすとしている。

さらに、このような、身体的ストレスや精神的頭脳労働

(考えすぎ)に加えて、霊的障害も引きつれ・つまりに、

関係していると述べている。

 

また、予防医学的効用として神気法をこう説明する。


”世の中の人々が、身体を定期的に整える治療を受けていれば、

脳梗塞や脳出血、くも膜下出血・心筋梗塞・狭心症なども

未然に防ぐことができる”と。(同著P.3)

 

以上、神気法でいう、ひきつれ・つまりをほぐすことが、

病の予防につながるとし、体に流れる気を滞りなく、

流すことの重要さを臨床的に、母は著書の中で証明している。

 

アートマセラピーのアートマとは、命を生かす力、

即ち、神の気であり、母の根本的に述べている上記の内容にも

通じるものがある。

 

東洋医学の鍼灸の中で、定義されている 経脈や

経絡(けいらく)などを見れば、体の中が相互有機的に

つながっていることがわかる。 


たとえて言えば、高速道路の主要路線のようであり、

一か所に事故があり、流れが滞れば、現場付近のみならず、

かなりの周辺にまで渋滞を余儀なくされるのと似ている。 


ツボと呼ばれる体の要点は、インターチェンジや

ジャンクションのポイントのようだ。 


もし、そこが通行禁止になれば、そこから分かれる

多くの高速道路への入り口がシャットアウトされてしまう。


そうなれば、高速道路全体で乱れが起こるだろう。 

体の気の流れる道筋もそのようなものだ。 


つまりをほどくことにより、渋滞が取り除かれる。 

気が体にスムーズに流れていれば、 

車に相当する、血液やリンパなどの体に元気を運ぶ、

ルートも正常に戻る。

 

アートマセラピーでは、つまりをほどくことに加えて、

心と体の関係を重視する。 

心身一如 の関係を考える。

3日ほど前にブログに書いた、”三界唯心の所現”、あるいは、

不二一元論である。

たとえば、

”自分自身をどのように見ているか

病を持っている肉体の本質は何か” 

”自己の本質は何か 

”その本質への信頼度はどうであるか 

”死後は肉体と心はどう変化するのか”

死は恐れるものかどうか”  

などなど、さまざまな観点で 心と体 の関係を考えると、双方は、

切っても切れない関係であることが見えてくる。

 

神気法は 母が独自に体験から生み出した。 

アートマセラピーは、私自身の体験からくる信念が基盤にある。

アートマセラピーは 独自の物でない。


誰でも、ご自身のアートマの本質を理解したとき、

心身健全になり、さらに、ご家族やご自身に、その体験を

生かして、セラピーを していただくことが可能になる。


自分自身の体験から、今、日本に戻り、希望者の方達に

その体験をしていただいている最中でもある。

 

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イデオロギー・イメージ・モスリム

2012年09月27日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

 

星は無数、でも 一つの宇宙~再考 

***********************

     9月27日(木)2012

 

 

今朝は、久しぶりに 明け方に 眼が覚めた。

外には、カラスの群れが飛び回っていた。 

一瞬、ヒッチコックの”鳥”という サスペンス映画の

シーンを思い出した。


どこもかしこにも、カラスが群がり、

人間に奇襲をかける前兆の恐怖が日常の光景の中に、

描かれていた。

カラスには、不吉とか、死とか、何か忌まわしいイメージ

がつきものだ。


一方その反対のイメージもある。

”カラス何故鳴くの?カラスはやまに~かわいい、

七つの子があるからよ~”

という童謡を、幼いころ母が歌ってくれた。


外の原っぱで、缶けりして遊んで夕暮れ時、 母が迎えに

来てきた。

夕焼け空の下、手をつないぎながら、カラスの歌を

うたって帰った。

”カラスがなくからか・え・ろ・う! 

カエルが鳴くから、か・え・ろ。う!”” と。


その時から、カラスが 身近に感じらていた。 

母と私の背後で ”かあかあ、もう帰るじかんだよ~”と 

うたってくれた。

 

カラスの群れの次に、窓に、鳩の群れが映った。

明け方の空を旋回していた。 

鳩は平和の象徴といわれる。

私には、迷惑ものと言われていた、イメージがつきまとう。 

 

亡くなる前の父は 数年間、実家の屋上で 鳩への

餌やりが日課であった。

寒い日も暑い日も、駅ビルのパン屋で食パンの

ミミを大量に仕入れて細かく、包丁で刻んで鳩にやっていた。


何10羽もの鳩たちは、近くの電線に止まって、

父の姿を待っていた。 

そのため、近所からは糞公害で、クレームが出た。 

鳩が群がって 餌を食べているさまを 眼を細くして見ていた、

満足そうな父の横顔が懐かしい。 

その父の顔を見ていると,近所の苦情を善処しつつ、

唯一の父の楽しみの始末に頭を痛めた。

 

人はこうして、鳥だけでなく、どんな対象にも、

自分の過去や経験と繋げて、あるイメージを持ちやすい。

国やイデオロギーにいたるまで、”何となく感じる”

イメージがつきものだ。

 

2か月ほど前、韓国の友人のところへ遊びに行った。

対日本人感情は10年ほど前と比べると、ずいぶん

良くなったということだった。 


以前は日本人だということで乗車拒否をするタクシーが

あったという。

現在は、街のファーストフッドに入っても、日本語を

操る店員がいた。

日本人の、対韓国感情も同様だ。 

関東大震災で火事が発生した。

当時、韓国の人が火をつけたなどという噂が広まったこと

を祖母から聞いた。

韓流ブームが訪れる、遙か前、韓国に対してまだ偏見

を持つ人がいた。

大学時代の友人が結婚を反対されたのも、相手が

韓国籍だったからだ。

 

今はどうだろう?  

 私の生まれ育った、東京都新宿区の新大久保駅界隈は、

韓流のメッカと呼ばれるまで変貌した。

 自分の生家は、韓国のブロマイドとキムチを売る店に

変身していた

 TVで放映される韓国ドラマは NHKの大河ドラマより

視聴率が良いとさえ言われる。

そのおかげで、ずいぶん、韓国の歴史や文化事情が 日

本人に理解されてきた。

 

知らないということは、怖い。 

カラスや鳩の話なら、問題はないが、その対象が 国や

イデオロギー、

宗教に広がっていくと話は別だ。

 

私事で恐縮であるが、自分自身、宗教への偏見をなくすために、

さまざまな宗教の門をくぐった


文字通り、くぐっただけの宗教もあれば、経堂にはいって、

経文(マントラ。祈りの言葉などのたとえ)を唱えた宗教も

あった。 

中でもイスラム教は10年以上、お世話になった。 

心の支えにもなった。 

マダンの月には断食もした。

モスリムしか入れない、サウジアラビアのメッカへ

巡礼へ行った。


エルサレムのモスク(ゴールデン・テンプル)へは

アバヤという、全身を覆う上掛けを着て、一人で行った。


モスク周辺には、警備が厳重で、私は一人の兵士に

呼び止められ パスポートの提示を求められた。

日本人が、なぜ、こんなところに来るか、と聞かれ、
巡礼だと答えても、信じてもらえなかった。

イマーム(モスクの責任者)が呼ばれ、その人の前で

兵士は私に、コーランの一節を唱えさせた。

これで、モスリマ(女性の回教徒)として認められ

モスクへの入室を許された。


その隣にある、キリスト所縁(ゆかり)の教会にも訪れた。 

 ある旅では、バチカン王国へ行き、ローマ法王の教会で

祈りを捧げた。


16年間に及ぶ、インド時代、ヒンズー教を学んだ。 

ヴェーダ哲学を本源としているヒンズー教は、ある意味、

ガンジス川のように、鷹揚(おうよう)でもあった。


その、ガンジス川で沐浴をして、シヴァ神に祈る人たち

の心と同化した。

クンバメラという、12年に一度の、ヒンズー教徒の

お祭りにも参加した。

この祭りには、ヒマラヤから聖者たちも俗界に降りてきて、

聖者も求道者も、一体になって、お祭りを行う。 

 

まだ、一般の旅行者を受け付けてない、鎖国状態に近い、

ブータンへ、行く機会に恵まれた。

当時のインド全権大使、山田大使御一行とともに、夫の

仕事に同行できた。 


ここは、我が家のチュチュとチャチャ(ラサ・アプソー犬)

の故郷でもあった。

チベット密教の大師と謁見させていただき、祝福をいただいた。

 

日本に戻ってきて、これまで知識の少なかった、天成神道の

勉強を始めている。 

古事記以前に書かれたとされる、秀真伝えの研究を母[

須田痲沙子]に師事して学ぶ機会も得た。

伊勢神宮で祝詞をあげ、念願の、熊野神社詣でも果たせた。

 

こうして私の真理探究欲は様々な聖地への巡礼となり、

聖書、コーラン、ダイヤモンド・スートラ(仏教・金剛経典) 

ヴェーダなどを 紐解くうちに 一つの結論に達した。


それは、

すべての宗教の真理と源は一つであるということ、

体験的認識の大切さであった。


話しをもどす。 

9・11事件(アメリカ国際ビル襲撃と報道される一連の

事件)以来、モスリムは、危険思想というレッテルが

一層強く貼られようだ。


それ以来、モスリムゲリラを撤去するために、飛行場での

取り調べが強化された。

数年前、サンフランシスコ飛行場で、執拗に尋問を受けて

不快だったと、モスリム名を持つ、UCLAの先生が述懐された。


モスリムがそんなに危険なのかどうか? 

ゲリラはある特定の宗教を持っているのか? 

その話はまた、後日に譲りたい。


ここでは、モスリムの敬虔な家族を想いだすばかりだ。 

私は、イエメンの砂漠でベドウィンの家族と1日生活を

ともにした。

あの時感じた、彼らの友好的な穏やかな人柄と質素で

平和な暮らしぶりを、モスリムに偏見を持つ人たちにわかって

もらうのは難しいだろうと思った。


砂漠の砂の上に頭を下げて祈る姿は、ミレーの晩鐘の絵の

中の敬虔な農婦の祈りとよく似ていた。

体験してみることと、外からイメージで判断する格差

があるという一例である。

 

他の例を出せば、ブータン国民の”幸せ度指数”は

世界1位だという。

あの、素朴で決して物質的に裕福でない、

(私が、訪れた当時はまだテレビもなかった) 小さな国の

国民が世界一の”幸せ”を感じている。


自国の文化を大切にして、誇りを持っていきている人たちだ。

外からのイメージでは想像ができない、ブータン国民の真情だ。 

 

根拠のないイメージは怖い。

情報を流す側の”やらせ”を含めて、イメージを作るプロが、確かに 

世間に存在しているからだ。


イギリスの王室と、女王陛下のイメージを良くするために、

英国国民のマインドコントロールを、マスコミを通じて行うという

ことなどは、とてもたやすいことなのだ。


人工的に造られたイメージは、実際そこへ行ったり、

現地で生活すれば 覆(くつがえ)される程度のものだ。

 

それでも、イメージが膨らみすぎると民衆のパワーに

なるから恐ろしい。

イメージは想念だ。

想念というのは伝染する。


その国の常識がその国のみ通用しないのも、

国民の想念が常識化するまで、膨らんでいるからだ。

そのために、その民衆のパワーを利用する政治家たちが

革命を起こしたり、戦争を煽ったりする。

 

私たちの周りには、情報が多いだけに、情報の選択も必要だ。

やみくもに情報を受け取っていると、知らず知らず、

ブレインコントロールされていることに、気が付かない。

相手を知り、その国の生活を味わえば、どこでも、だれでも、

基本的人権を保障されて、生き生きとした生活を送りたいと

願っていることがわかる。


理解と共感が生まれ、手を差し伸べたいという愛も生まれる。

政治がらみの情報にはどこか、流した側の意図が見える。

その意図を見破らないと、民衆パワーに飲み込まれる自分を見つける。


そうならない前に、気が付いた人から、声を上げることも、

だから、必要だ。

そうして、イメージを作るための意図ある情報は、

生活している人たちの心情は別のところにあるといっても

過言でない。

 

私たち一人一人が賢明に、情報の真実を確認しながら、

対象物や人を知ることの大切さを噛みしめたい

知れば知るほど、理解が深まる。


相違点、類似点含めて、互いへの尊重が生まれてくる。

自分と相手の共通点が見えてくると、共感が生まれる。 

誰でも同じだ。 愛する人と、幸せになりたい、

なってほしいと願う心は同じだ。

 

他者を理解するために、まず、自分を知る

キリストは言う ”己を愛するごとく、隣人を愛せよ”

己を知らなければ、己の愛し方もわからない。 


己の愛し方がわからなければ、他者を愛することも不可能だ。

やはり、そこから始めることが第一歩かもしれない。


それには、真の己れを知ること。

感じることだと思う。 

自分の中にある、素晴らしい資質を一人ひとりが自覚して

相手を愛することもでき、認めることもできるのであろう。 

                                                 

砂漠、それは、海のように広く、砂漠に住む人たちも、

心の廣い人たちだった。

 

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お月様と兎

2012年09月26日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

う さ ぎ 兎 何見て 跳ねる? 

十五夜お月さん 見て は~ね~る! 

ポエムなんて洒落た文句も出てこない、

こんなにおいしそうなお菓子を目の前にして・・・               9月26日(水)

ねえ、見て見て! 

このお菓子、ババロアのお月様と 

チョコレートクッキーの兎。 

紅い火星と、マロンの冥王星まで、乗っかっている。  

宇宙に おいしさがただよって、私は兎みたいに、

はしゃいでうれしくなって月をめがけて ヒトハネします。         

それにしても、あんなに お月様を見てワクワク

ていた 幼い私は

      

いったいどこへ行ってしまったのでしょう?

 

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