自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

夏木静子さんの心身症とホメオスターシス

2020年02月24日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


意思は遺伝子を変えるエネルギーがあり、想念が病を癒した実例   

2020・2/24

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 遺伝子は体のメンテナンスに主軸の働きをして、

性格や性質にも影響を持つことは知られている。


遺伝子は変えられないと思っている人が多いようだが、

後天的に生活習慣や感情・思考・想念によって

変化させることができることは科学的に証明されている。


”理想の自分に自分の想念の力で変わる”~ということを、

今日はもう少し、具体的に実際の生活の中で

みてみたい。

 

作家の夏木静子さんは心身症になり、心療内科の扉をたたいた。 

といっても、当初は心療内科の医師に”心身症です”と言われ、

そんなはずはないと、かなり抵抗していたようだ。


結果的には、体と心の相関性を体験して、難儀していた痛みが

和らぎ、次第に、健康体を取り戻した。

そのあたりを、ご本人の体験(*1)から引用させて

いただきたい。

 

心身症の初めての自覚と言えば、腰が怠く感じられ、

腰かけていることさえ“頼りない”感覚で、

“突然、椅子に掛けられなくなったのだ。

これがすべての発端だった。”

と綴っている。 


その後の症状は以下のようだった。

“背中に鉄の甲羅を張り付けたようなとか、身体が地に吸い

寄せられるような”、全身の倦怠感。 


それが2か月続き、“腰が豆腐のように頼りなく、手をついて

階段をのぼる”ようになり、そのうちに、“痛みはベッドの

中で目覚めた直後から始まり、ゆっくり、ベッドに留まって

いることも許してくれない。

覚醒直後から発生する痛みは、背中のあたりまでどんどん

増幅して、寝ている状態に耐えられなくなって

くるからだ。”


“結局、朝から晩まで大部分の時間、身体をエビのように

曲げて、じっと横たわっている以外に何もできない。

どんな鎮痛剤、座薬も注射も、私にはまったく効かない。”

こんな状態が3年近く続いた。


当然、その間、精密検査をうけた。 

が疾患はみつからなかった。

”大学病院の整形外科、内科、婦人科、神経内科で精密検査、

精神科まで受信したが異常の発見はなかった。”


そうやって、2年半もたつころには、私は回復への希望も

失い、いずれ、このまま死ぬしかないのだろうといった、

無気力状態で家に引きこもるようになった。


横向きに寝て、画板に原稿用紙を張り付けてい書いていた

仕事も、もうほとんど、できなかった。”

 

そうした折に、東京から来た心療内科の医師の訪問を

受けた夏木氏であった。

問診のあと、医師から”典型的な心身症”という診断が下った。 

心身症とは、“心の問題でおきる、身体の病の総称です。”

と医師は説明した。

 

夏木氏は、それを聞いても納得がいかなかったという。 

医師に問う。

“でも、心因でこれほどの激痛が起きるとは考えられません。”


すると、医師は “いや、心因性だからこそ、どんな激しい

症状でも現れるのですよ。”と答えた。

ここは注目したい。 


想念(意思)は心の所産だ。 

想念はエネルギーである。 

エネルギーは何かを物質化できる力だ。


だから、心によって、心身症という病気は作り出されると、

医師は夏木氏に説明したのだが、夏木氏は、すぐには納得

できなかった。 

夏木氏はその後、半年間にわたり、疑問に覚える部分などを

その医師にファックスを通して伝えて、やり取りをしている。 


夏木氏の当時の見解はこうだった。

 “わたしにはこの痛みが、たかが、心因から生まれているとは

到底考えられない。

第一、心因などは何も思い当たらない。” 


“‘素人だが、誰よりも自分のことは自分でわかるはずの、

私の本能と直観が(NO)と叫ぶ’と”“


多くの先生方が、ストレスとか心因とかいうのは、病気の

治し方がわからず、目に見えない原因に責任を転嫁する

言い訳のように感じた。”


しかし、1996年1月、最初の腰の違和感から3年たって、

夏木氏はこの医師の働く総合病院に入院した。 

心療内科だった。 

どのような治療がなされたかといえば、約3週間は医師との

話し合いのセッション、問診が中心だった。


その間、腰の激痛に対する処置はなされなかった。 

2月にはいり、絶食療法が始まった。 1

2日間飲料水以外は取ることができず、アミノ酸やビタミン類に

関しては点滴で補強された。


この絶食療養は病院の個室で行われた。 

目的は、その間、患者自身が、心身の苦痛をあるがままに

受け入れられるように、“直面する”ということだった。

 

断食療法は、心身症のみならず、いろいろな面で活用されて

いるようだ。

印度のヨガ道場では、当たり前のように、断食法が心身浄化

のために行われ、宿便などの排泄物を徹底的に体外に出す

ことができる。 


自然治癒力を高めることも可能だ。 

人体に備わっている、ホメオスターシスという恒常性の働き

が強まるからだ。 

その背景には、これまで以上に断食中の、体のメンテナンスを

計るために、体内の自動制御装置が働きはじめ、内分泌系

や免疫システムの他、各臓器も血液生成など刺激される。


つまり、活発に、身体の一定状況を維持するために体の組織が、

働きだす。 

この一定に維持することを、生体の恒常性と呼ぶが、

ホメオスターシスとも呼ばれて、断食の最も大きな効果と

みなされている。

 

さて、断食に入ったときの夏木氏の状態は、次のように

書かれている。

“わたしはかつてない嵐のような激痛に襲われたり、

また海が凪いだような安息の時間に恵まれたり

しながら、初めて医師の積極的な指示や指導を受けた。


それによれば、‘私の意識はこれまで常に仕事に前向き

で絶えず、自分を鼓舞して新しい作品に挑戦してきた。 

いわば、ひたすら頑張って、走り続けることで充足し、

自らを支えてきた。


自分ではどこにも発生の心因は見いだせなかった。

しかし、私の気がつかない、潜在意識は、もはや疲れ切って

休息を求めていた。


意識と潜在意識が乖離(かいり)したあげく、潜在意識が

幻のような病気をつくりだして、そこへ逃げ込んだ

’疾病逃避(しっぺいとうひ)‘が私の発祥のカラクリなのだ~

と説明された。“

 

その疾病逃避が、なぜ、3年間も尾を引いて、さらに悪化

したのか?

それは医師の説明では、“幻の症状は最初は軽度であった

かもしれないが、私の気持ちがそれに強くこだわったため、

症状はみるみる肥大化し、三年の間にのっぴきならない

重症患者になった。”

ということだった。


そして、それを認めた夏木氏に変化が起こる。 

まず、仕事への執着を棄てた。


それほど、夏木氏は疲れ切っていた。 

“わたしはもうデスクに向かって文章を紡ぎだす作業が

できない人間になってしまっていた。

精魂つき果てた思いで、私は心因を認め、断筆を受け入れた。”

のだ。   

 

続く

 

(*1)心療内科を尋ねて  新潮文庫 平成24年5刷

 (2)夏木静子について

東京府(現東京都)生まれ。慶應義塾大学英文学科卒

1960年、大学在学中に五十嵐静子名義で執筆した

「すれ違った死」が江戸川乱歩賞候補となり、

それがきっかけでNHK総合テレビの推理クイズ番組

『私だけが知っている』のレギュラーライターに抜擢され、

以後3年間で約30本の脚本を執筆する。


1962年3月、夏樹しのぶ名義で短編「赤い造花」を

『女学生の友』増刊号に、同年6月に中篇「ガラスの鎖」を

『宝石』に発表。


1961年秋には仁木悦子、戸川昌子らと女流推理小説作家の会

「霧の会」を結成する。

1969年、夏樹静子の名前で『天使が消えていく』を発表、

第15回江戸川乱歩賞の最終候補に残る。


1970年に『天使が消えていく』が出版され、本格的な

作家デビューを果たす。

1973年、『蒸発』で第26回日本推理作家協会賞を受賞

『第三の女』は仏訳され、1989年、第54回フランス犯罪

小説大賞(ロマン・アバンチュール大賞)を受賞。


中国語訳『蒸発』『Wの悲劇』は、北京探偵推理文芸協会賞

の翻訳作品賞を受賞(1998年、2001年)。

1984年にはノンフィクション『妻たちの反乱』がベストセラー

となり、1992年に『白愁のとき』で老いの問題を扱い、

1997年には自身の体験を綴った『椅子がこわい-私の腰痛放浪記』

を刊行、精神的原因から来る身体の不調について

広く知らしめ、日本で心療内科が広まるきっかけを作り、

同書は今でも版を重ねている。


1999年に試験管ベビーの問題をミステリー形式で扱った

『茉莉子』を刊行、女性の視点から数々の社会問題に

取り組んでいる。


2007年、ミステリー文学の発展に貢献したとして、第10回

日本ミステリー文学大賞を受賞。

2016年3月19日、心不全のため福岡市内で死去。77歳没。

 

 

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