自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

誰にでもできる自己施術を支える基本的考え方とは?

2021年09月03日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー


自然治癒力を発揮するための、メンタル要素

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前書き)

自然治癒力セラピー協会で提唱している、自己セラピーとは、

何だろうか?

自分自身で自分にセラピーを施術すること。

そして、それはある一つの真理を自覚したら、だれにでも可能な

ことなのだ。

 

その真理とは、私たちは、一人ひとりが、完全な生命力の種を

宿していること。

これはだれもが知っていることだから、自覚するというのは、

そのことを想いだしたとき、自分に効果ある施術が、もう始まって

いるといえるのかもしれない。

そして、それを思い出しながら、自分の肉体的不調和を調整しようと、

どんな手段をとったとしても癒す効果は、必ず、あると私は断言したい。

 

その次に必要なことがあるとしたら、自分のその確信に対する、

信頼だろう。

’病が癒えていく’というのは、その人がその方法を選んだ自分自身と、

その方法に対する、信頼が好転していく大きな、最終的条件と

いえるかもしれない。

 

どんな方法を、その人が選択するにしろ・・・その人にあった方法と

いうのは、厳密にいえば、そこにいる人の数だけ存在するに違いない。

なぜなら、それがその人の”真実”であり、信頼できるという確信が

持てるのだから。

言い換えれば、各自がそれぞれの、多少ずづ、異なる信念を持って

いる限り、真実は生きている人の数だけあるのだろう。

 

自然界の生き物、特に、ジャングルに生きる野生動物には、医師は

いないが、癒すコツを知っている。

原因不明の病にかかり、何か処方を施しながら、一生を何とか

生き延びている、

という例は自然界には、あまり聞いたことがない。

何とか生き延びている間には、体力も限界がきたときにほかの

動物の餌食になってしまうだろう。

 

さて、そうした自然界の生き物が、持っている、自然治癒力を、

人工的世界に生きる人間が、発動するためには、何が必要なのか?

冒頭に述べた自己治癒力が発揮できる、パワーの源は、

なんなのだろうか?

世界的にベストセラーになったある本からの引用をご紹介しながら考

えてみたい。

(*1)カッコ内は、そのページ数。

 

1・”精神は身体のすべての細胞に存在する。”(271

 言い換えれば、すべての細胞には精神が宿るということだから、

私たちの自然治癒力は頭で考えたりする可能性を、はるかに超えている。

それぞれの細胞が一番良かれと、考えている方法が 最も強烈な

自然治癒力を生みだす。

それぞれの細胞が一番よかれと考えていることを、引き出すためには、

それをブロックしたり、邪魔したりする波動を出さないことだ。

そうした波動は、どこから来るかといえば、私たちの頭で”考えること”

と、”悩むこと、心配すること””恐怖心”などが、生命力を、ブロック

する一番のマイナスエネルギーといえる。

 

2.”脳は知の源泉ではない。データの処理装置に過ぎない。

脳は五感と呼ばれる受容器を通じてデータを取り込む”(528

 

五感とは、聴覚・視覚・触覚・味覚・臭覚 のことで、私たちが毎日

受け取っている情報は、この五感から得ている。

もし、その情報を、テータにたとえれば、脳でデータ変換されると

いうことになる。

だから、そのキャパが異なるため、受け取る人によって、あるいは

人以外の”脳を持つ生物”によって微妙に、同じ情報でも、データ

変換が異なってくるだろう。

 

五感感覚自体が、人間とほかの動物とでは、異なる。

だから、そのデータプロセッサーの働きは、五感情報を処理する脳

であって、そこで得た知識は相対的なものであり、絶対的なものと、

言い切れないだろう。 

人は、知恵は、脳からくるという。

脳は、あくまで、プロセッサーの働きをするにしかない、としたら、

私たちのいう、知恵とは、どこから来ているのだろうか?

 

3・”私は存在だ。 私はプロセスの結果ではない。プロセス自体だ。”(531

 

ここでいう、’わたし’とは、’神’である。神とは、私たち自身のことである。

なぜなら、私たちの内奥に存在するものだから。 

つまり、特定宗教の神ではない。

’私たち’はプロセスの結果でなく、プロセス自体、つまり、脳を

働かせている、つまり、プロセッサーを動かしているその力

(エネルギー)自体ということになる。

脳で得た五感の知識というのは、そうして考えると、相対的である

ということがよくわかる。

プロセッサーを、心の内奥に持ってきてみた場合、五感で得た

情報分析とは、異なる結果が出るからだ。

そのように無尽蔵なやり方で、この肉体と精神と心を使っている、

エネルギーが、”私なのだから。

ここで、”感情” という言葉をみてみよう。感情とは、英語で

emotionと綴る。

それを、分解してみよう。

エネルギーは英語でenergy, 動きはmotion, 感情は、この二つの

言葉を合わせた造語であるから、ふたつ合わせて、”e-motion ”

いう英語になる。

さて、この言葉が、キーワードになる。

 

感情を持つというのは、五感の情報の結果なのだが、ここでは、

単なる、好きとか嫌いとかいう感覚的な情感をさしていない。

ここでいう、本当の感情(emothion)は、心から湧いてくる

感情をさしている。

その感情を、”最近、いつ持てたか?”と自分自身に聞いてみると、

定かに思い出せない。

よく考えると、”感情”と思っていたものは、結局は、周りに

合わせたり、とりつくろったり、怒りや悲しみは表現すべきでない

と抑えて無理して楽しそうな、振りしたりしていたことだった

かもしれない・・

そう振り返ると、自分の感情自体が、生き生きと表せる場は、

日常生活の舞台では、あるようでないのかもしれない。

私たちの本質である、五感というプロセッサーを操作している、

エネルギーが、本当に楽しみ、心地よく、動かされるほどの感動は

そうそう、もてないのだろう。

そこで、人は音楽や絵画、演劇や彫刻などという、生き生きと

躍動感にあふれる、感情の表現を直観的に欲しているのだろう。

このエネルギーを生かすこと、それが、自然治癒力を働かす

動力にもなる。

 

5・”どんな神の一部になりたいか・・・それによって、人生の

目的と個別化が生まれる”(535

 

私たち一人ひとりは、結局、手のひらから出ている、5本の

のような存在で、親指のできる仕事、人差し指のできる仕事、

それぞれの指が協力して、手の機能が万全となるのと同様、

私たちも社会組織の一人として、互いに支えあって、生産性を

高める働きをしながら、個別に生きている。

 

それぞれが、それぞれの役目を果たすことで、全体の手としての

機能が成り立っているといえる。 

すべての人は、’つながっている’ということ、繋がって、大きな

機能の一つになり、また、その機能が、ほかの機能とつながって、

全体で、大きな調和した動きと進化というプロセスが可能に

なっているのだろう。

それを、心の内奥に住む神との結びつければ、私たちがどのような

神とつながりたいか、ということが人生の目的につながるというのだ。

 

自然治癒力を高めたいと思うのなら、完全体である神の姿と

結びつくことが、一番手っ取り早いだろう。

それは”絵にかいた餅”ではなく、本当に存在する、エネルギーなのだ。

すでに、結びついているのだが、私たちが手の指の一本だという

ことに気が付けば、神という手のひらから派生している存在で

あることが、体感できるはずだ。

 

どのように、それに気が付くか? それは、”求める心”の有無に

かかってくるのだろう。

そして、その方法は、冒頭に述べたように、生きている人の数だけ、

プロセスが用意されているとしか言いようがない。

 

引用箇所(傍線部分)”神との対話③” 

N.D.ウォルシュ サンマーク出版 2009

 

 

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