自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

あかはなま の続き(2)…改訂版

2024年12月29日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


〇 (大気)の意味するところ
**************
2024年⒓月27日

* 本日訂正いたしました。
最後の方の文章が、つじつまが合わず、
申し訳ありませんでした。(12/29/2024)
**********************

前回 あかはなま が宇宙創造の詩と書いた。

空点から エネルギーが飛び出し 天と地を
覆い、陰陽が生まれ、

それぞれが、モノの成分となる五元素を造り、
それによって、三次元世界が完成された縮図が
この ホツマ文字を見ていて感じる。


そして、

この歌の面白いところは、もう一つある。

後半の、イザナミ尊が歌われた、終結部分への
曲線にある。


もう一度、上の あかはなま の古代文字を
ご覧いただきたい。

後半というのは、

も と ろ そ よ  お て れ せ (Ye)え つ る

の部分から始まる:

ここに表される五元素を見てみると、
お行をあらわす □=大地

から え行を表す、=水

そして、つづいて、

す ゆ ん ち り  し い た ら さ や わ

と続き、

う行の△=火
い行の =風

そして 

最後は ら さ や(YA) の五元素、〇=空 
わ という ◇の 大地の変形文字で終わる:

宇宙の始まりは、 〇 の象徴、大気から 風、
風から△(火)、火から水の象形文字となって 
土□ になり

この歌の前半が終わっている。

今回とりあげた後半では、その反対になる。

大地□から、水、 水から火△、そして、
火から風になり、
風から、再び、大気の 〇 に回帰していく。


これは、どういうことか? といえば、

ちょうど、宇宙がビッグバンで始まり、膨張
していき、最後は、また、すべて破壊されて

空 に戻り、 この歌の最後の、ほつま文字
”わ” ・・・ ◇(大地の変形)に戻ると
いう考え方 が一つ。


もう一つは、”中心帰一” の象徴とする考え方。

すべての物理的存在物には、

中心=〇 +(プラス)・(点) 

があり、それが発展して さまざまな形状をもった
物体を創り出し、

最後は、再び 宇宙の中心 〇 に戻っていく
という考え方。


最後に、もう一つの考え方もある。

それは、すべては、想念で形作られている
という観方だ。

まず、何もない、〇 の 大気状態から 

”生”産活動が始まり、すべてが生み出され
また、〇に帰結して、新しい創造が始まる。 

”ほつま伝え”を読むと、宇宙の創造主は、
それぞれの”言霊” を活用して、”おしで” 
という 印相をつくり(これは、忍者が掌を
組む形に生かされている)

想念を集中して、大気から風 
風から火・・・というように五元素を
創り出して 物質世界を形成したとある。

これは 人が生まれ、創造活動をしていく
過程にも当てはまる。

組手は組まないまでも、誰もが、”念”という
道具で、無意識に、組手を創り出すからだ。


”〇”とは、大空 でもあり、人の、考え
想念)の場・・”心の宇宙”でもある。


人は、過去の想い(カルマ)の清算に見合った
人生舞台を、選んで生まれてくる。

生まれた後は、感情や想念が、環境を形成し
人間関係を創り出して、結局、その人の
奥深い念 が、念ずるままの物質的
要因を作っていく。

だから、 人生、どんな境遇でも誰をも責められない。
本当は、自分で創り出しているのだから。。

死を見つめ始めるとき、そこには、すでに、
これまでの想いが凝結した、結果が 自分の周りに
顕れてきているだろう。
が、それを、不平に思わず、感謝で受け取る時、

次回の生の伏線(カルマの種)が浄化されていく



人の生き様だけではないかもしれない。

地球もまた、人の想念によって、清められ、汚染
され、自然破壊がすすみ、一方で、地球にやさしい
環境で補う努力が進められている。

これも 地球に対して、どのような色の想いを
一人ひとりが描くかで、そして、何を実行するかで

地球の運命が 決まってくるのだろう。






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アンコール記事の追想

2024年12月23日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

在りし日の母(亡くなる1年前)

自然治癒力セラピーの本質・・・この言葉の裏にも
2024/12/23
************************

この数回、アンコール記事と称して、
ブログに、整体の神様といわれる、
野口晴哉氏の言葉を、上げてさせて
いただいた。

が、あまり魅力ある記事ではなかった
ようだ。
毎日の統計数字で、読者の興味が低い
がわかった。

なぜだろう?

たぶん、あまり、日常生活にピンとくる
ほどのつながりが無かったためかも
しれない。

あるいは、この言葉自体の意味が、私が
本来お伝えしたかったものと、異なって、
受け止められたためかもしれない。

たとえば、

①自分の糞(kuso)は自分で気張るがよろしい。


たとえば、自分のクソは自分で気張るが
よろしい-という言葉は、私自身、一番、
好きな言葉の一つだ。

セラピーをするとき、生命力を考えるとき、
まず、”自分で気張る”ということが、
前提になるからだ。

実母が、脳梗塞の状態になって、這いずる
ようにしてトイレに行ったとき、便器の高さ
腰をあげようと足を踏ん張り、”うーん” 
と唸った。

そして、便器に腰かけた。

当たり前のことだが、当たり前のことを、
当たり前にできるはずだ、
”なにくそ!”という気概が、

この母の唸り声には、込められていた。
そして、母は、三階までの階段を 上り下り
できるようになるまで回復した。

幸い、認知症があったため、骨折したとか、
脳梗塞の症状だとか、骨折も大腿骨の左右
関節に、ボルトを入れる手術までした
ことも、忘れていて、

下手に悩んだり考えることなく、ただただ、
”うーん”と唸って、
”なにくそ”という、負けず嫌いの母の気質で

これまで回復してきたと私は思った。

この野口氏の言葉は、その母の、”なにくそ魂”
思い起こさせる。

だから、

あるいは寄りかかるものが、一切無力なる
気づいて、自分で立ち上がったかもしれない。

の野口氏の言葉は、自分は自分にしか頼れ
ない、という気持ちが、まず、病人特有の弱気さ
から脱却させてくれる、気構えにつながる言葉
と思う。

本当に、薬もサプリも、諸々の外部の美容
器具やら、健康器具、などは、一括りに
しては申し訳ないが、

”気やすめ” だと思った方が、頼りすぎる
ことがないだけ、ましかもしれない。


もちろん、それらを、有効的に使いながら、
本質的な自分の健全さや 美容や、若さを
保つ手段とすることは可能だ。

が、ここでは、病を憂うる、病人である
よりは、自分が本気になれば、自分の思う
通りに健康を引き出せると、強気な病人で
あったほうが、

健康になる秘訣だということだろう。

頼るものは、自分の生命力しかない。

そして、自分の本来の、自分の健全さ、
健やかさ若さ、美しさ、あるがままの
自分で完全である私のことを、

常に思い起こしながら、”自分”に頼る・・

それが、健康の保持の、健康に回帰する
ための一番の処方箋のように思う。






 
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アンコール③(親と子の関係)

2024年12月20日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質
躾(しつけ)と教育  2024/12/20
************************




引き続き、整体操法の先駆者 野口晴哉氏の
言葉から:

①大人の知識は 正確を尊んで、ものマネを強い、
思いつき、空想、そして、独創への道をはばんで
形式を押し付ける。

自由な子供の生活はこうして、大人によって、
壊されていく。


② こうして育った子供たちは、空の蒼い快さも、
陽の輝いていることの楽しさも、雪の中を
駆け回る爽やかさも  わすれてしまって・・・


③しかられないように、褒められるように、
ふるまうことだけを考えて、大人の顔色、
目つきばかりに敏感になり
他の子の告げ口、悪口でご機嫌伺いする。


④失敗しない知識を詰め込まれた子供たちは、
 自分の考えで行動することができなくなって
しまう。


⓹子供というのは、抑えつけさえしなければ 
いたづらはしない。 
 窮屈にさえしなければ放銃にならない。 

用心さえさせなければ,臆病にはならない。

****************

小さな大人という言葉がある。

ませていて、どことなく、大人がそのまま、
コンパクトに小さくなった、そんな大人びた
子供だ。

雪が降って嬉しくて飛び出して、雪合戦を
始める子供と、
こたつで、猫と一緒に丸くなってテレビゲーム
三昧の子供がいる。 


目を輝かして、駆け回っている子供らの
傍らに、 しんどそうに そんな仲間たちを、
ただ眺めている子供がいる。


子供とか大人とか区別をしているが、ほんとうは、
目の輝きには、大人も子供も違いはない。


大人の中にも、想像力・創造力・好奇心の旺盛な
子供のように目が輝いている大人もいるし、


死にたくなるほど厭世的になり、希望のない心を
持て余して、どんより沈んだ目で、頭を垂れている
子供たちもたくさんいる。


”大人の縮図だ。子供というのは・・・”
”家庭の親の育て方が・・” 
”教育現場がもっと、見直しを”

そんな状況を見て、こうした、いろいろ意見も
あるだろう。


が、
"
子供というのは、抑えつけさえしなければ 
いたづらはしない。 
 窮屈にさえしなければ放銃にならない。 

用心さえさせなければ,臆病にはならない。"

という、野口氏の言葉を読む限り、
親や周りの大人が まず、自らが、活き活きと
目を輝かいている大人になるよう、
努力すべきなのだろう。


③④⓹ のお話は、”子供世界”のことだけではない。

社会生活、組織生活、職場などの”大人社会”にも
通用するだろう。
親の代わりに”上司”とか、”先輩” とか、”教師”
が当てはまるだろう。


とても普遍的な、人の心の方程式を、上の、
野口氏の簡潔な言葉で、窺い知ることができる。





 
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自分のマスターになるということ(アンコール記事②)

2024年12月16日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


自分に頼れ、杖はいらない。  2024/12/16
**************
 

*引き続き、整体の創立者、野口晴哉氏の言葉から:

①自分の糞(kuso)は自分で気張るがよろしい。 

寄りかかることから
独り立つことを考えだしたら、
それが病人解脱の第一歩だ。

苦しみ足らず、煩い足らず、
時には死んでしまう人もあるが、惜しいことだ。

③もっと切実に苦悩煩悶させたなら、あるいは、
発奮して、自分の独り立つ姿を見つけえたかも
しれない。

あるいは寄りかかるものが一切無力なるに気づいて、
自分で立ち上がったかもしれない。

④より掛るものを 病人に与えることは、親切らしく
見えるがかわいそうなことである。

**************

”自分の糞は自分で気張る”

という野口氏の言葉は、健康になるのも、大便をするのも
共通項がある~というわけだ。

健康になろうとしたら、トイレで、気張るように、
”自分"の力しか 役立たない。

それは、自分自身の中の生命力への信頼と理解
が鍵となる。 

それが無ければ、便器がない所で、気張ることが
できないように、健康のシステムが
理解されず、力が出ないからだ。

人は、体調が不良になり、健康に自信が
なくなると、何かに頼る、つまり、寄り
かかりたくなる。

食によりかかる、
医師によりかかる、
薬に寄りかかる、
占い師によりかかる、
宗教によりかかる

等など・・・

何かに寄りかかって 不安を解消しようとする。
 
野口氏はそこで、②の次のように言う:

② ”苦しみ足らず”・・・・

これは、一見矛盾した、禅問答のようだ。

では、苦しめば ’癒されるのか’ というと、
そういう意味ではないだろう。

苦しみながら、何も役に立たない、と感じた時
結局、自分で立つことを考える。

そこに来て初めて、寄りかからない方向に目を
向けることができる。

外部に頼ってみたものの、役に立たないと知り、
いよいよ、自分の生命力を信じる・・・

そうして、自然治癒力に焦点を定める。
野口氏は、整体の神様と言われる人。
整体は、背骨を中心に気を流していく。
これも、自然治癒力を奮い立たせるためだ。

それが野口氏の③の言葉につながる:

もっと切実に苦悩煩悶させたなら、あるいは、
発奮して、自分の独り立つ姿を見つけえたかも
しれない。”

禅問答の答えがここにある:
切実に苦しみに打ちのめされて、一人で立つ、つまり
自己の生命力に気が付く人がいるからだ。

 
④の”寄りかかるものを病人に与える”とは、
苦しみに翻弄されている人の ’しんどさ’ を
気の毒に想い、立つよりは、寄っかかるために
”背もたれ”を与えることを言う。

こうして、一時的に楽な背もたれによりかかって
いる限り、その人は、いつまでたっても、
独り立ちできない。

むしろ、持たれて、背骨が曲がって、丹田に力を
いれて、クソを出すべき踏ん張り力が、抜けるだけだ。

背もたれを与えるのは、だから、決して親切な
行為ではないと、野口氏がここでいう、理由だ。


さて、

野口氏が、”自然健康保持会”を立ち上げられたのも 
”生命は自然のものであることを信じ、人工的無病より、
人に本来備わっている、自然の健康を求められた
からだという。
 
”人間にとって、なすべきことは、その生を全うすることだ。
という野口氏の深い信念。

’生を全うする’とは、健康的に余生を送りつつ、
老衰して、自然に、枯れた木の葉が枝から落ちるような
静かな死を、苦しみなく迎えることだと、私は思う。

もちろん、生まれながらに、敢えて病弱な身体に宿る、
不屈な魂の持ち主もいる。

そういう方たちは、この例には及ばない。



 
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アンコール(過去に載せた記事の補正投稿です)①

2024年12月12日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


何故、 頑張りたい ?   
12月12日
*******************************************************************

下に、整体操法の創始者 野口晴哉氏の言葉がある;


①何故 頑張りたい? 
自分の弱さを知っているから

②何故 すましている? 
言ってボロを出すより、知っていることでも黙って
いた方が、利口にみえるから

③何故 断言する? 
自信が無いからだ。
多くは自分に言い聞かせている

④何故 勝とうと焦る?  
負けると思っているからだ

⓹何故 ほめられたい?  
やっていることに自分で自信が持てないからだ

何故 剛情を張る?  
弱いこと、腰が固いことで、 転換がきかないのだ
***********************
 
これらの言葉は、どんな人にも多かれ少なかれ、
心当たりのある、体験があるだろう。

ここで野口氏は、 人が自然治癒力を謳歌するための
秘訣を、行間で伝えてくれているような気がする。

人の自然治癒力が 十分に働く条件がここに、示されている
ような気がするのだ。

たとえば、

①頑張らない=リラックスする、

②断言しない=受容する心、

③勝とうと焦らない=結局は人との戦いではないこと、

④褒められたいと思わない
=自分は自分の主人(マスター)
自分が褒める事
をすれば良い、

⓹剛情を張らない=視点をずらす 


もし、これらの5つの条項を 理解して現実に
生かしていれば、人は、健康寿命を延ばせるだろう

子供の教育にも適応できる言葉でもある。

特に③の”勝ち負け”の点は、他者に勝つより、
自分に勝つ ということが大切だとわかれば、
他者と比べることも、自分を卑下することも
意味が無いと気が付くはずだ。

④の褒められたいという欲求は、子供も成人しても
多少は誰でも、持っている気がする。

これも、元は③と同じで、他者の基準を重んじるから
認められ、褒められることで、嬉しく感じるのだろう。

自分をぶれずに持っている限り、自分が自分を褒める
ことを為すほうが、肝心だということも、
自然と理解できるだろう。

⓹の視点をずらせることを、臨機応変にできれば、
感情をコントロールすることが 易しくなるだろう。

負の感情を抱くと、なかなか、それに左右されて、
仕事の能率が悪くなったり、失敗したり、イライラが
まして ますますその感情が大きくなっていくことが
ある。

そうしたとき、視点をずらす・ 例えば、別の事を
始める、相手の立場をもう一度考えてみる、自分
以上に相手も苦しいのかもしれないと、想像する
自分に本当に非がないのか、と反省してみる

などなど・・・

視点をずらそうと、決心すれば、少しずつ、そういう
客観的な自分の心の眼に、気が付くはずだ。

誰もが持っている”心の眼”は、使いこなせるように
なるには、忍耐と努力がいるようだけど、これを
習得すると、本当に、①のリラックスを得ることが
できる。









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