追記(11月5日の記事への)
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神という言葉を聞いただけで
”宗教的”と感じる人がいる。
”宗教的” という言葉に抵抗を感じるのは
その人だけではない。
私自身も、そうである。
一昨日の記事のタイトルが、”神との対話”から ”
だった。
神 の定義は難しい。
ただ、私自身は、自然治癒力セラピー協会の
立場から、それを理解している。
だから、既成宗教(すべての)でいうところの
”神” とは無縁の立場で、これを書いている。
私にとっての、神はあえて言えば、”生命力” であり
自然治癒力を促す、生命体の謎の力そのものであり、
’わたし’という意識をはるかに、超えた、知識と
生きとし生けるものをすべて、生かし成長させる
という完璧な愛情システムの中心エネルギー
である。
前回の記事では、
引用した本の著者が、自動書記的に対話を重ねた
’相手’がいわゆる、’神’と表記しているので
そのまま引用させていただいた。
福岡伸一博士が
生命の定義として、”動的平衡”と表現している。
だから、身体は、固体ではなく、流動体と考える。
厳密にいえば、1年前と今の、自分の身体の細胞は
異なる。
流動的に常に、変化をしている。
が、”私”という意識では、変化しない。
身体の細胞は全取り換えしても、”私”意識は、
維持されてきている。
しかも、分裂せずに、心身の調和が図られて
今、ここに、”私”は在る。
まさに、生命~神 と思う私にとって、神とは、
人型ではない。
常に動き、創造破壊〈二元的世界で)
を繰り返し、が、全体像(大きくは宇宙、小さくは、
電子レベル)では、その均衡をはかり、調和を
もたらす、大いなる、創造的エネルギーといえる。
人の身体もしかり。
心もしかり。
どちらの働きや動きは、瞬時として、止まって
いるときはない。
身体は常に生体システムが稼働しているし、
心も、常に、絶えず、何らかの情緒をともなって、
考えたり、感じたりしている。
そこに 生命力が十分に生かされると、均衡と調和と、
健全さと、安寧がもたらされる。
それが私にとって、一番、身近な”神”を実感できる
ときだと思う。