自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

神=生命力

2024年11月08日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質



追記(11月5日の記事への)
***********

神という言葉を聞いただけで
”宗教的”と感じる人がいる。

”宗教的” という言葉に抵抗を感じるのは
その人だけではない。

私自身も、そうである。

一昨日の記事のタイトルが、”神との対話”から ”
だった。

神 の定義は難しい。

ただ、私自身は、自然治癒力セラピー協会の
立場から、それを理解している。

だから、既成宗教(すべての)でいうところの
”神” とは無縁の立場で、これを書いている。

私にとっての、神はあえて言えば、”生命力” であり

自然治癒力を促す、生命体の謎の力そのものであり、

’わたし’という意識をはるかに、超えた、知識と

生きとし生けるものをすべて、生かし成長させる

という完璧な愛情システムの中心エネルギー

である。


前回の記事では、

引用した本の著者が、自動書記的に対話を重ねた
’相手’がいわゆる、’神’と表記しているので
そのまま引用させていただいた。


福岡伸一博士が 
生命の定義として、”動的平衡”と表現している。

だから、身体は、固体ではなく、流動体と考える

厳密にいえば、1年前と今の、自分の身体の細胞は
異なる。
流動的に常に、変化をしている。

が、”私”という意識では、変化しない。

身体の細胞は全取り換えしても、”私”意識は、
維持されてきている。

しかも、分裂せずに、心身の調和が図られて
今、ここに、”私”は在る。



まさに、生命~神 と思う私にとって、神とは、

人型ではない。

常に動き、創造破壊〈二元的世界で)

を繰り返し、が、全体像(大きくは宇宙、小さくは、
電子レベル)では、その均衡をはかり、調和を
もたらす、大いなる、創造的エネルギーといえる。

人の身体もしかり。
心もしかり。


どちらの働きや動きは、瞬時として、止まって
いるときはない。


身体は常に生体システムが稼働しているし、
心も、常に、絶えず、何らかの情緒をともなって、
考えたり、感じたりしている。


そこに 生命力が十分に生かされると、均衡と調和と、
健全さと、安寧がもたらされる。

それが私にとって、一番、身近な”神”を実感できる
ときだと思う。



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ヴァイブレーション🙈🙊🙉の意味

2024年11月01日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質



脳内の 見ざる言わざる聞かざる
*************

前回のブログ内容の続きです。
**********


脳内には、ある特殊な細胞群がある。

そこでは、繰り返し、放出されたヴァイブレーション
にふさわしい、状況を再現するといわれる。

そこではまた、他者から放出した 想念や行為、動作や
イメージなどのヴァイブレーションを選択的に受け取る
ことができろう。

受け取った後、その脳細胞部に、記録させ、定着させる
らしい。


”他者からの想念”、いわゆる、大衆心理の波動の力は
相当なものだ。

なぜなら、これが、自然災害や、地球上紛争 あるいは、
異常気象なども含めて、人類の歴史上、これまで繰り
返され、近年、また新たな問題として、あらわれてきた
災厄の原因の一つ、と、考えられているからだ。

どういうことかというと、

災害や事件を体験した人の突然の不幸に対する、恐れや
どうしようもできない不甲斐なさ

あるいは、そうした災害や事件の情報を 吾がことの
ように親身に、受け取り、それらの仮想イメージを強く
持った人は、そうした想念の同派数の、ヴァイブレーション
を 体外に放出している。

すると、先に述べた、その人の細胞群に、その
ヴァイブレーションは、刻まれると同時に、それを無意識に
受け取った人の脳細胞にも、選択されて残り続ける。


すると、この災害や事件の ”恐怖や、不安”は、
眼には見えないが、あっという間に、世間的な概念として
普及していく。

それは、大衆意識に溶け込み、そのヴァイブレーションは
想像を絶した、大きな力となっていく。

”創造”とは、”想像”に元を発するからだ。

建築でも、絵画でも、衣服でも、デザインがあって、現実の
形となる。

同様に、”恐怖の想像”は、このデザインにあたるから、
知らずの間に、マス化したとき、すでに、創造される過程の
最後に達しているのだ。

”念は現実化”するという、”唯心所現の法則”により、
現実に そうした災害や事件として 地球上に起こって
きたし、起きている。

この現実化させる”念”は、私たち、一人ひとりが、
相乗効果で ”恐怖や不安”を膨らませていったときに、
できあがる。

それが、重なり合ったとき、大衆意識となり、
その、ヴァイブレーションの力にほかならない。

戦争、脅迫事件、詐欺事件、強盗事件、地震、火事、
噴火などの、自然災害なども、知らずのうちに、
長い年月を経て、一人ひとりの脳細胞に蓄えられた、
ヴァイブレーションが大衆意識の一部となり、
生みだされていくのだろう。


だとしたなら、どうしたらよいのだろう?
どんな対策を、施せるのだろうか?


それは、そうした”恐怖”を感じた時、”感謝”という、
今、与えられている恵み(当たり前の生活)に、
心の羅針盤の針を、振り向けることから始まるのだ
と思う。

毎日、ニュースやSNSで いやがおうにも耳に目に
飛び込んでくる、こうした情報を、必要以上に
ミミを傾けないことも 必要かもしれない。

何度も何度も、恐怖を煽られる言葉を聞いていると、
脳内細胞に染み込むその確かさも、比例して、大きく
なっていく。

こうした 一連の、恐怖を感じさせる社会現象や事件に
自分の脳細胞が、汚染されないよう、努めて意識すること
必要だろう。

不安を煽る情報は、様々な媒体から、頭に入ってくる。

それを中和させるためにも、積極的に 純粋な
ヴァイブレーションを、脳内に張り詰めていくことが
”恐怖心”に汚染されない、手段の一つかもしれない。

純粋なヴァイブレーション、いわゆる、”善き言葉、
善き思い、善き行い(人の為になる)をしていく” 
ことで怒りや不安などを、意識的 積極的に浄化
させていける。


ここで、思い出す、かの有名な彫刻に彫られている、
一連の仕草がある。


東照宮の🙈 🙊 🙉 の彫刻(見ざる、
言わざる、聞かざる)の、お猿さんたちの姿だ。

この、仕草こそ、自分の脳細胞内に、
”怒りや不安”の種の発芽を、最小限にとどめる方法だ。

つまり、恐怖や不安を煽るものに対して、
観ない、聞かない、言わない”の 徹底である。

これが、まさに、このお猿さんたちの、メッセージ
でもある~と 聞いたことがある。






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”誠意”を問われた総選挙と、人の”生命力”への信頼

2024年10月28日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


究極で絶対な癒し(ヴァイブレーション①)
****************
2024/10/28

アートマセラピーは、手かざしとは違う。
ツボを押さえる指圧でもないし、マッサージでもない。

アートマセラピーは、本来、誰でも自分自身で行える
施術。

それによって、癒されるか否かの ポイントは?

****************

”自分の本来もつ、聖なる完全性を、凝視できるか?
どのくらい徹底的に、疑いなく、それを思い続けるか?”

それによって、私たちの身体のヴァイブレーションが神
(生命力)のヴァイブレーションと直接、調和し、
融合し、一つとなり、癒しが完成されるから・・

誠意をもって、それを行うこと。

誠意とは、 ”integration "・・・つまり、統合の意味だが、
”思い・言葉・行動”が一致しているということ。

今回の総選挙で、自民党が大敗したが、その大きな要因は、
石破首相が 総理になる前と総理後の ”思いと言葉、そして、
行動” のずれに対する国民審判の結果だったのだと思います。

つまり、誠意がないところには、信頼がない・・

生命力への、究極な信頼があってこそ、誠意をもって、
自分自身を癒すことができるわけです。

生命力と癒しへの、信念があれば、自分自身の聖なる
ヴァイブレーションを引き出せます。


こうして、”癒された”ことは、実は、多くの奇跡として
これまでも、沢山の聖人たちに 証明されています。

たとえば、イエスキリストの、治病方法も、そうでした。

暗い想念に言霊で光を通し、意識の中に根差している
罪の観念にも、光を指し続けて、それを克服すると
いう方法でした。


真の癒しは、自分の聖なるヴァイブレーションとつながる
ことに始まるのです。



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池見博士と自然治癒力の接点

2024年08月01日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


自己分析して調和のとれた”セルフ”実現を図る 2024年8月1日
************************************

前書き)

6月30日から数回にわたり、心療内科の設立者
池見博士の診療の指針と自然治癒力セラピーの健康への
アプローチとの、接点を考えている。

*****************

池見博士は、PAC の三つのアルファベットに象徴される
心の統合性が、心療内科の治療にあたり、大切なことを
述べている。
Aは(大人の心)
P は(親の心)
C は(子供の心)
を表している。

"分別"を司るのは、親の心 の特徴。
これはParent の頭文字をとって、Pの心と呼ぶ。

人間は、他の人や自然とのかかわりの中でのみ、存在しうる
という自覚がと、思いやりの心が特徴。

Pの全体的領域は以下である:

~理想や良心を司る心、
 周囲への思いやり、

母性愛的な無条件の愛に近い、
 母親的なP

~正義に反した事への批判、叱責、処罰を行う、
 父親的要素のP
  

このPを元にした、人とのかかわりあいを、”共感的交流”と呼ぶ。

お互いに、相手の主体性を認め合いながら、調和と思いやりで
交流を図れっている。

理想的な姿だが 人の心は何層もの膜に覆われ、生まれて幼児期に
顕著な、C(子供の心)は、成長するにつれて、社会にサヴァイヴする
ために必要な、A(大人の心)が育っていく。

Aの特徴は、自主的で創造的、計算して生きる知恵、社会的適応性が
ある。

CとA, と共に、親の心~Pの働きが 心身のバランスをとる役目を
している。

PACのそれぞれの心が、バランスをとり、心身が健全に働くとき、
求めるべき ”セルフ”が、確立される。

アメリカでは、この3つの心の分析をもって、
”Transactional Analysis” という方法が試みられている。

略してTAという。
その人の性格の分析で、PACのどの要素が強く、働いている
かということを知る。

その人の対人関係を軸にみれば、PACの、どれがベースに働き、
その関係性は、生産的か、好意的か、利己的か、などの特徴を
知る。

その人の独特の振舞かたを知るには、人生をドラマと見立てて
その人の、演じるパターンや、言動をベースに、行動分析が
可能になる。

池見博士の主眼は、PACの三要素をもとに、これらの心の分析を
応用して、医療へ生かすことに合った。

著書の序章に書かれている言葉を引用する。

”九大医学部に 全国で 最初の心身医学の研究施設
(現在の心療内科)が発足して以来、私どもがただ一筋に
求めてきたものは、人間の心と身体の結びつきを追及する
ことによって、心身一如の健康と幸福を実現するための
医学的な方法をみつけだすことであった”

として、

”東洋の伝統としての’身心一如の中道を行く人間観’は、
心身医学の基本的理念ともなじみやすい”

と、東洋的哲学の考え方と結び合わせている。

さらに、

”脳を中心とした、心身の営みが、各人にとって、最
望ましいバランスを取り戻し、それによって、
生まれつき備わった、自然治癒力、全体世界との調和の
もとに、各人固有な自己実現の可能性をフルに発見する”


つまり、自分の心を、PAC分析しながら、客観的に知り、調和
がとれた自己意識を持つことで、理想的な自己実現が可能になる
とした。

冒頭の、タイトル、自然治癒力との接点は、では、どこに
あるのだろう?

それは、自己分析して調和のとれた”セルフ”実現を図るという
池見流の”セルフ”の実現、と、自然治癒力を最大限に発揮させる
”本来の自分”の実現とは、とても、似通っていると思うからだ。

自分の内面が、調和できているとき、人は、静謐で、穏やかで
思いやり深く、謙虚で、注意深く、四方に心配りができ、他者
を傷つかせることはない。

そうしたときにこそ、”自分の真価”が、自然治癒力にも発揮
できる。
自然治癒力とは、生命の活動エネルギーであり、真の自分の心
の波動こそ、このエネルギー周波数に同調するからだ。





参考)
”セルフ・コントロールの医学” 池見酉次郎s・57年9月1日 日本放送出版協会
”ストレス健康法” S.50 池見酉次郎 ㈱潮文社
”セルフコントロールー交流分析の実際” 池見酉次郎 杉田峰康 2007年創元社
”続心療内科” 池見酉次郎 1973年 中央公論社
”心療内科” 池見酉次郎 1963年 中央公論社




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真のセルフは、合気道でも、心療内科でも、創始者の悟りの前では同意語

2024年07月24日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

合気道創始者-植芝氏の禊(みそぎ)と池見博士の”真のセルフ”
2024年7月23日
*****************************************


以下 2023年1月9日の記事の再校です;

昭和34年1月15日、鏡開きの日に合気道本部道場で

植芝氏は、次のような話を遺している。

その筆記があるのでご紹介していきたい。

ここには禊(みそぎ)と合気道の関係性が語られている。
*************************

“合気道とは宇宙内をことごとく、禊(みそ)ぎ、
森羅万象の罪障、邪気邪念を祓い清め処理する
ところの大道であります。

ここに”禊”(みそぎ)という言葉が出てくる。

浄化するという意味だとすれば、合気道は世界の
邪気邪念を浄化する手段だと、いう。

合気道は武道の一つだけではない。

世界、ひいては、宇宙の浄化を促進する手段なのだ。

合気道創始者の植芝氏の言葉はさらに続く:

”合気の道は愛を守る道であります。 

愛なくば、この世の一切は成り立たないのです。

ゆえに合気の真の働きがなければ、この世はつぶれる
と私は信じているのであります。


“合気とは宇宙の中心にたって、漂える世を建ち直す
役目を持っているところの一つの道です。

自己をみそぎ、人を国を宇宙をみそぎ、神の名によって、
進むのであります。”
 

宇宙の中心 宇宙をみそぐ、そして、神の名によって、
つまり、大調和で大平和の 神 の世を顕現するために
すすむと、言う。


ところで、植芝氏流にいうのなら、

病とはどこから生じるのか?
 
植芝氏の考え方を借りれば、禊(みそぎ)が不十分だから
となるだろう。

禊が不十分だと、生命力が隠される

病気は、生命力が十分発揮されていない状態なら
病気とは、生命力の隠ぺいが原因だといえるだろう


隠ぺいすることは、包み隠すこと、

だから、その状態を別言葉で、罪(つみ~つつむ)
ともいう。

罪つくり とは、禊(みそぎ)で、浄化されない
暗黒の嘘の自分(”小我”)が、真の自我(大我)を、
隠蔽(いんぺいしたときの行為のこと。

言霊的にもそういえるだろう。

禊(みそぎ)して、その罪穢れを祓えば、罪という、
’つつまれた’暗黒は 浄化されて、光に変わる。


冒頭の引用文の中にあるように、植芝氏は、禊(みそぎ)
の大切さ、自分を清めることで回りが清まっていき、
しいては、世間の穢れを落とすことができる
述べている。

ある意味、とても宗教的な雰囲気のある言葉にも聞こえる。

が、植芝翁はこう語る。

“私の合気は、宗教から出てきたのかというと
そうではない。 

真の武産(たけむす)から、宗教を照らすのです。 
未完の宗教を完成へと、導く案内でもあります
。”


“そのために、大地のけがれ、地球上における今までの
誤った武によってなされた戦争やけがれ、また、戦争
によって、亡くなった人々の想念を清めて、大地を
浄め、
人類の浄めを慰霊のために、神の意をもって、
この植芝は合気道を以てするのです。

他の方法でそれをする人々もいるでしょう。“



植芝氏のこの”清める”という言葉と同意の、”禊”の
目的は、”未来の宗教”のため、とも、いう。

世界の浄化とは、戦争や争い、人間の自然に対する
横柄さや傲慢さを、自然と鎮圧していく、ことに
つながっていくのだろう。

その過程における手段として、合気道の本領がある~
と。

“合気道とは、すべてを自己に吸収して、相手もなく
敵もなく、それらはすべて自分の中に吸い込まれて、
自己に同化させてしまう”

“悪を悪として切らず、悪を祓い浄めて、和合してゆく
のが合気道じゃ”


病に対しては、

“病を敵対するものとして対処せず、自分の
心を祓い清めて病を受け入れていく”

そうしていくうちに病が緩和していくとも言う。


どのように、自分の中に一切合切を吸収して自己同化
させられるのか?

そしてそれがいかに、平和に貢献するのか?

次の答えがある。

本当の自分は、“空っぽ”だから、空っぽになればよい
という。

“(本当の自分は)小我で動く想念が無い

としたうえで、

人間の真実は神そのものであるのに、
小我の想い(業や執念)に邪魔されて、その姿を
深く奥に隠しているのです。

そして、小我の想念で常に動いて、迷い迷っている
のが、凡夫なる通常の肉体人間の姿であります。 

その邪魔していた想いがなくなってしまえば、
神そのままが現れてくるのです。”

本当の自分は、神であると、喝破する。

ただ、邪魔している想念をたちきれば、神そのままの、
本来の自分が現れるという。

”通常の肉体人間はいわば、宇宙分の一です。 

分霊分母が宇宙であり、分子の一が肉体人間です。 

ところが 
分母分子に分けている棒(業や執念)
なくなると、分母も分子も宇宙になってしまう
のです。

いいかえれば、
空(くう)になると、今までの
人間観はくるりと逆になります。 

すると
宇宙分の一だった人間が一分の宇宙、即ち
宇宙そのものとなるのです。“


ここにいたって、禊(みそぎ)の本当の意味がわかる


つまり、私たちの本質は、神であるのだから、
小我にくっつく、業(カルマ)やマイナス想念などが、
禊で祓えられれば、ちり芥(あくた)が落とされ、
本来の清らかな自分が現れるのだ。

この姿が未来の宗教の真の目的であると植芝氏は教える。

合気道はそのための手段。

そして、私たちは合気道を学ばなくても、神になる
ための、それぞれの手段を持っている。

その手段を遺憾なく発揮させるためにただ一つ、自分の
中心には、清らかな”神”が座しているという自覚だけが、
あればよい。

その自覚とともに、人はそれぞれの方法で、真の自分を
探り出していく。

心療内科の設立者、池見博士の 真のセルフの探求も、
セルフ・コントロール方法という手段が、その
一つと言えるだろう。

それに関しては、これから、ご紹介していきたいと思う。






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