自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

次回の投稿は12月初旬となります。

2024年11月22日 | 協会ホームページ





次回記事まで少々間が空きますが・・
*****************

11月29日(金)
海老名市民会館小ホールで、
13時半から14時までの間に

”蝶々夫人”のオペラから、
彼女が自決する寸前に歌うアリアと、

”歌に生き、愛に生き”というアリアを

二曲ご披露させていただくことになりました。


入場料無料ですので、
もし、よろしければ お耳汚しではありますが、
いらしていただけたら光栄です。


その準備のために、ブログ記事は、この発表会が
終わるまでしばらく、お休みいたします。


次回の投稿は12月に入ってからとなりますので、
少し、間が開きますが、よろしくお願い申し上げます。




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愛と憎しみ のパラドックス

2024年11月20日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・



憎しみや嫉妬が強いから、愛 に傷つき、そして 気づく
****************************

バラには棘がある。

花の美しさを愛(め)で、思わず、花に触れようとすると、
必ず、棘に触れて、その痛みで、思わず、指を引っ込めてしまう。

前日の記事に、”恐怖と愛のパラドックス” という一言を入れた。

恐怖だけではない。

憎しみや、嫉妬、という、愛と裏腹な感情すべては
たとえれば、”バラの棘”のようなものだ。


バラの花びらは、優しさと美しさの、愛の表現だとしたら、
棘(とげ)は、嫉妬や憎しみの、優しい愛と裏腹の
感情かもしれない。


が、このバラの花の ”棘”には、自然界に生き残るための、
お役目があった。

それは、動物から”実”を守り、茎や枝の転倒を防いだりする
役割だ。


人の、愛 に対する、憎しみや嫉妬 は、もしかしたら
そうした、バラの棘 のようなものかもしれない。


棘があるから、痛みがあるから、優しさがわかる。
嫉妬があるから、愛の寛容さを知る。


バラの花が大輪であればあるほど、茎は太く、強く、棘も
痛い。

だから、愛が強い人ほど、時には、辛辣で、無慈悲に
見える言動が目につくのかもしれない。

どんなに聖人のように、優しい人でも、地球上に生きている
限り、二面性を完全に、取り去ることはできない宿命。


聖人は、その棘で相手を刺す痛みより、自分が その”エゴ”
という’棘’に刺される方が、痛いだろう。
”エゴ”という代物は、身勝手で、自分のためには、相手のこと
を考えずに行動させる原動力を持つ。

とかく、肉体を持って、生きていく以上、サバイヴするため
には、バラの棘のように、まず、自分を守る道具が
必要だ。


が、この棘で、痛みを覚えた時、

刺される人も、刺す人も、結局、お互いに、花(愛)が
あるからこそ、
と考えると、少し、心に、余裕ができて、状況が変わる
ような気がする。


刺す必要性も、刺されて痛みを味わっても、
その度合いが、異なってくるような、気がする。

この棘があるからこそ、バラがより美しく咲き、癒しを
与える優しさと芳香を漂わすことができるからだ。






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”~になりたい” の 祈りが成就しない理由

2024年11月17日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


”~なりたい” = ”~になれない” だから・・・
******************

考えたことは現実になる。

これが、ヴァイブレーション(考え)の法則。

そして、これが、”祈り” が叶う 理由。

ただし、本当に、結果がでる祈りとは、

”~でありますように”ではなく

”~を私は得ました。感謝します

であるということ・・
************

”祈り”=”意を宣言すること” は、
こうして欲しいと、(神)頼みすることではない。

”意を宣言する”ということは、

すでに、自分が求めていることが、現実になった

と、言霊で、表現することを言う。

その時、自分の、心の青写真に、具体的にそのイメージ
を刻み込み、そして、その状態に対して、感謝をする。

だから、
”~が欲しい”という考え。
”~になりたい”という望み。
それを いくら、口にしても、決して、その通りに、
実現できないと先人は言う。

なぜなら、

”~を欲しい” と 祈ることは、欲しい状態を現実に
表すからだ。

”~なりますように”と 祈ることも、その”なったらよい”
という、願望状態から、脱却できないからだ。

つまり、すでに、その祈りの、言葉の中に、”欲しい
という状態を”欲している”という
心の青写真が、定着することになるからだ。

そして、ヴァイブレーションの法則で、
その”欲している”状態が その祈りのまま、実現して
いくという 結果になっているから、いくら祈っても
願いが届かないということになるだろう。


今の状況を変えて、進化した状態を欲するのなら
自分の想念の”ヴァイブレーション”を 

自分がすでに、”そうなった状態”をイメージして
青写真として、心に、きざみつける必要がある。

その刻み付けるときの 言霊の力が、”意の宣言”、つまり
”Inori 祈り” の意味の実体である。

****

そうであるなら、
不安は、その意味で、祈りを成就するための、
最大の敵になる。

なぜなら、積極的な青写真を刻み付ける一方で、
”本当に実現するのか?不安だなあ”と
感じていれば、

その不安のほうが、実現することになるからだ。

”不安”のエネルギーは想像以上に強い。

恐れているものを、引き寄せるという力、

たとえば、イヌ嫌いの人が、”怖い”と思って
近寄れば、イヌは、決して親身的な態度は
とらないはずだ。

反対に 犬好きの人の愛情は、すぐ感じ取り、
イヌのほうから、近寄ってきて、
なでてもらいたいと 甘える仕草をするだろう。

植物も同様で、愛情をかけて育てている人に
は、大輪の花を咲かせてそれに応えるだろう。

反対に、ヴァイブレーションの低次(活力が
マイナス)の人に対して、その植物は、元気を
失い、ある人が帰った後、急に花が枯れた などと
いう話を聞いたこともある。

ひとえに、マイナスの想念(不安、怒り、憎しみ‥)
を祈りの言葉の裏腹に、想っては 祈りの効果が
消えてしまうほどの 魔法の威力があることは
片時も、忘れないで、毎瞬の、想い に気をつけたい。

*******

感情は動いているエネルギー

そのエネルギーが凝縮して物質化する

思考は、創造のエネルギー=考えたように
新しい世界が造られていく。

そして、”不安や恐れ”は、”愛”の反対である。

ということは、

”不安や恐れ”が強い人ほど、
本来の”愛”を強くもっと、感じられる人
ということになるだろう。

パラドックスがここにある

つまり、”不安や恐れ”はそれに似あったエネルギー
を引き付ける・・・が・・・

それを、180度回転させて、”愛”にもっていく
ことも、可能であるということだ。


”伝統や宗教”、”社会通念やしきたり”、それらは
おおかた 大衆意識の想念エネルギーが運営して
きているのだが、

”本当の自分の持つ愛”を知った人は、”愛”を第一義
において、そうした想念エネルギーのマイナス部分を
昇華させて、いくことができるはずだ。

一人ひとりが、そうした意識を持ち続けることで、
結果的には

少しでも 恐怖の少ない世界の実現に
貢献できると信じている。







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”自分"を知ること;未来の状況の最良の”種”(ヴァイブレーション③)

2024年11月11日 | 健康のための心の波動



’今の状況’は過去の想いの結果・’今の想い’は、未来の状況の種
*****************

病 体調不良 怪我 事故 ・・ これら
すべての出来事は、 マスター〈師〉は、
”偶然で起こるのではない”と、言います。

偶然ではないか、否か・・の命題は、苦しみに直面
している当人にとっては、どうでもよい問題でしょう。

その答えによって、苦しさや悲しみの軽減とは、関係ない
と思うことでしょう。

でも、その”偶然ではない”の言葉の裏に秘められた意味を
知ると、
苦しさも悲しみも、これからは、多少、軽減させることが
できそうな気がします。


なんで ”偶然ではないか?” の理由を 師に問いました。

答えは、 ”すべては、君を救済するために起きている”
というものでした。

救済?

何からの?


それは、”自分自身を忘れている”という問題を解決
させるために・・・


自分自身を忘れていることが、問題になるのですか?

”自分自身をぶれずに意識できれば、周りの事象は
自分がコントロールできるということに気づくから・・

全ての諸問題は、’本当の愛深き自分自身’を忘れている 
という一点から派生していると言っても過言ではない”

と師の答え・・・


そう、苦しさ、悲しさの波に揺られているときは、
’大衆意識’の波に溺れそうなっていくとき。

もし、その時に、自分のサーフインボードでそれを
乗りこなしていけば、 ”本当の自分”への自覚を持ちつつ、
それを逆手に、人生ゲームを乗り越えられるという
ことのようです。

自分のサーフィンボードに乗る・・それが ”本当の自分”
へ意識をむけるということ。


”自分を知る”ということは、
本当の自分がとても”強くて、愛深くて、欲しいものでも
なんでも自然と引き付けられるほどの力”を持っているという
真実を 素直に認め、それを心から、信じるだけのこと
なのです。


この世には、信じられないことは毎日起きています。

死の宣告を受けた患者が、一か月もしないうちに、全快し、

借金で首が回らなかった人が、いつの間にか、経済問題

が解決して、

昨日まで、自殺をしようと考えていた人が、180度
心変わりをはたして、自殺をしたいと思う友人を
止めようと努力していたり・・・

すべてのこうした例は、奇跡ではありません。

心の青写真を変えて可能になったと言います。

どういうふうに?


”自分が、最大の力を発揮したとき、成功が
好ましい関係が、理想の相手が、健全な身体が、
顕現する”

と心から、信じるだけです。


これも、”ヴァイブレーションの原理”のお話です。

ヴァイブレーション=心の出す波動、

それは、根本的に 今の実態を変える力です。

瞬時に変わるか、何度も生まれ変わりながら
変わるか、それは、人様々ですが、”変る”のは、

その人の、ヴァイブレーション=想念 の変化が
そこにあったからです。


前回の記事に書いてあるように、去年の私と
今の私では、肉体細胞は、生まれ変わっていて、
組織的には、別人であり、同時に、精神的にも
同じ、状態であることは ありえません。

人は、毎瞬、想いと感情を絶えず、出し続けて
います。

その一つの想いが、長い時間、維持され続けて
心に根をはるように、定着していき、その人の
精神波動の周波数を、創り出しています。

その精神波動が、”想念エネルギー”として、
今現在の、私が置かれている、立場、環境、
境遇、人間関係、経済状態、職場など、を
自分の創造で、創り上げた、と、いうわけです。

今の周波数は、過去の想いの結果。
今の想いは、これからの周波数の、源です。

だからこそ、今の自分を変える事で、これから
の自分の人生が変化するのですね。


今、この瞬間、感じる想いや考えを、常に
肯定的に、そして、’本当の自分’の資質に
焦点を合わせていれば、

将来、(明日か、来年か、来生か??)必ず、
それが、結果として、この実生活の環境に
現れるというわけです。

そのために、本当の自分 は誰か?に焦点を
当てていくことで、確実に、安寧と平和的な
(周りの状態がどうであるかにあまり左右されず)
心情を維持することが、次第に、できていくのだと
思います。













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神=生命力

2024年11月08日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質



追記(11月5日の記事への)
***********

神という言葉を聞いただけで
”宗教的”と感じる人がいる。

”宗教的” という言葉に抵抗を感じるのは
その人だけではない。

私自身も、そうである。

一昨日の記事のタイトルが、”神との対話”から ”
だった。

神 の定義は難しい。

ただ、私自身は、自然治癒力セラピー協会の
立場から、それを理解している。

だから、既成宗教(すべての)でいうところの
”神” とは無縁の立場で、これを書いている。

私にとっての、神はあえて言えば、”生命力” であり

自然治癒力を促す、生命体の謎の力そのものであり、

’わたし’という意識をはるかに、超えた、知識と

生きとし生けるものをすべて、生かし成長させる

という完璧な愛情システムの中心エネルギー

である。


前回の記事では、

引用した本の著者が、自動書記的に対話を重ねた
’相手’がいわゆる、’神’と表記しているので
そのまま引用させていただいた。


福岡伸一博士が 
生命の定義として、”動的平衡”と表現している。

だから、身体は、固体ではなく、流動体と考える

厳密にいえば、1年前と今の、自分の身体の細胞は
異なる。
流動的に常に、変化をしている。

が、”私”という意識では、変化しない。

身体の細胞は全取り換えしても、”私”意識は、
維持されてきている。

しかも、分裂せずに、心身の調和が図られて
今、ここに、”私”は在る。



まさに、生命~神 と思う私にとって、神とは、

人型ではない。

常に動き、創造破壊〈二元的世界で)

を繰り返し、が、全体像(大きくは宇宙、小さくは、
電子レベル)では、その均衡をはかり、調和を
もたらす、大いなる、創造的エネルギーといえる。

人の身体もしかり。
心もしかり。


どちらの働きや動きは、瞬時として、止まって
いるときはない。


身体は常に生体システムが稼働しているし、
心も、常に、絶えず、何らかの情緒をともなって、
考えたり、感じたりしている。


そこに 生命力が十分に生かされると、均衡と調和と、
健全さと、安寧がもたらされる。

それが私にとって、一番、身近な”神”を実感できる
ときだと思う。



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