アヴェ・マリア!
ユークリッド幾何学は五個という少ない公理のうえに成立している。つまり次の五つだ。
1. 点と点を直線で結ぶ事ができる
2. 線分を延長して直線にできる
3. 一点を中心にして任意の半径の円を描く事ができる。
4. 全ての直角は等しい(角度である)
5. 直線が 2 直線に交わり、同じ側の内角の和を 2 直角より小さくするならば、この 2直線は限りなく延長されると、2 直角より小さい角のある側において交わる。(平行線公理、第五公理)。
(これを次のように易しく?言い換えることもできる。)
1. 任意の点と、これと異なる他の任意の点とを結ぶ直線は、一つ、そしてただ一つ引くことができる
2. 任意の線分は、これを両方への望むだけ延長することができる
3. 任意の点を中心として、任意の半径で円をかくことができる
4. 直角はすべて相等しい
5. 一直線が二直線に交わるとき、もしその同じ側にある内角を加えたものが二直角より小さかったならば、二直線はこの方向へ延長してゆけば、必ず交わる
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ktanioka/lacan/essay11.htm
この第五公理は次のようにも発展させることができるようだ。「任意の一直線とその直線上にない任意の一点があるとき、その点を通るその直線との平行線は一つ、そしてただ一つだけ引くことができる。」
もしも第五公理を否定したとすると、別の幾何学が成立する。非ユークリッド幾何学だ。
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学とは同じ幾何学ではない。
幾何学から算数に話を移す。
「2+2=4が真であり、これ以外の答えは間違いだ」とする算数がある。これを私たちは普通使っている。
もしも、「2+2=4が真であり、それと同時にある人にとっては2+2=5でもあり、また別の人にとっては6でもあり、さらに他の人にとっては7でもあり、それぞれ人によって違うが、それもみな同じ答えの違った現れ方だ、これを否定する考えをする答えは間違いだ」という「算数」が出てきたとすると、後者は前者と同じ「算数」なのだろうか? 別の算数と言うべきではないか。
「AはBである」という命題が真であるなら、それと同時に、同一の意味で同一の観点で「AはBでない」という命題は真ではない。これは私たちの日常生活を成立させている矛盾律の公理だ。
この公理を土台にして、宗教に話を移してみる。
もしも、
(1)「イエズス・キリストは、世界と私たちを創造した唯一の真の天主である。」この命題こそが真理でありそしてこれを否定する宗教は(矛盾律の公理ゆえに)真理の宗教ではない、という宗教と、
(2)「イエズス・キリストは、世界と私たちを創造した唯一の真の天主である。」この命題は真理であるがそれと同時にこれを否定する宗教も真理の宗教である、という宗教と、
これら二つの宗教があったとしたら、この二つは同じ一つの宗教なのだろうか?
(2)は(1)の認めている矛盾律の公理を否定しているから、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学とは同じ幾何学ではない、と言う時と同じ意味で、これらは二つの別の宗教なのではないだろうか。
天主の御母聖母マリア様は、何とおっしゃるだろうか?
故ルフェーブル大司教様は、何とおっしゃるだろうか?