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カトリック教会の昔からの聖伝と 第二バチカン公会議の言う「聖伝」とでは、どう違うか

2009年04月06日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 枝の主日、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

 カトリック教会の昔からの聖伝と 第二バチカン公会議の言う「聖伝」とでは、同じ「聖伝」という言葉で、別の概念が意味されています。そう考えると、良く理解できます。

 すこし間が空きましたが、聖伝について以前書いたものはあまりにも要点だけでしたので、以前にも何回も書いた内容ではありますが、それらをコピーペーストしてご理解しやすいように説明を加えてみました。


【聖伝とは何か】

 聖伝は、その古さにより(使徒たちは、聖書を記す前に説教を始めた)、
その充満さにより(聖伝は聖書の起源であり、天主が啓示し給うた全ての真理を含む)、
その十分さにより(聖伝はその権威を確立するために聖書を必要としないが、聖書はその権威と意味とを確立するために聖伝を必要とする)、
啓示の二つの源泉の第一である。

 カトリック教会の教導権だけが唯一、何が信ずるべきことであると啓示された真理であるか否かを断定することができる。教会が不可謬的に、天主による啓示に属すると定義した教えを「ドグマ」と呼ぶ。

 ただし「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって,使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」
(第一バチカン公会議(DS3070))

 使徒ヨハネの死を持って啓示が閉じられた。啓示が閉じられるまで、天主の信仰の遺産はその充満が、最初から、キリストの花嫁たる教会によって忠実に守らるように委ねられた。聖伝とは、それを忠実に伝えることである。

 私たちの主イエズス・キリストが教えなかったような、また教会の知らないような宗教に関する真理、善に関する真理、道徳的な真の価値をもつことがらはありえない。天主なる私たちの主イエズス・キリストは、救霊に必要な全てを伝えつくした。これ以上、新たな内容が増えることはありえない。

 教導権により、たとえば「consubstantia 同一本質」や「transsubstantiatio 全実体変化」などの概念のように、啓示の内容が、同一性を保ったまま、より明確化され、暗示的な内容がより明示的にされ、曖昧な意味がより精緻にされうるが、教導権が不可謬権を行使して定めた信仰の内容とその明確化に矛盾する内容に変わることは出来ない。また教導権が排斥した内容が信仰箇条になることもありえない。

 従って、信仰の教義は、使徒達から正統信仰の教父達を通じて、常に同じ意味、同じ解釈に従って、過去から将来にいたるまで守るべきであり、変えられて伝えられてはならない。

 従って、教義が、時代の経つに従って、教会が初めに信じていたものとは異なり、一つの意味から別の他の意味へと進化すると考えるのは異端説である。

 従って、信仰の内容が、人間の努力により徐々に形作られ、将来に亘る無限の発展をして完成さるということも異端説である。


「使徒達より、正統信仰の教父達を通じ、常に同じ意味及び解釈に従いて我らに至るまで伝えられし信仰の教義を、我は誠実に受け入れん。故に、教義が、教会が初めに保持せしものとは異なり、一の意味より他の意味へと進化すると説く異端説を、我は拒否す。
 同じく、キリストの花嫁たる教会に任され、これによって忠実に守らるべき天主の信仰の遺産を、人間の努力により徐々に形作られ将来に亘る無限の発展によりて完成さるべきとする謬説を、我は全て排斥す。」
(近代主義の誤謬に反対する誓い )

 天主が啓示した教理は,哲学的作り事や人間の知能が完成したものではなく,キリストの花嫁(教会)に与えられた天主の遺産であり,これを忠実に守り,誤ることなく解釈しなければならない。聖にして母なる教会が一度宣言した教義の意味を永久に保存しなければならない。よりよく理解するためという口実のもとに,その意味から離れてはならない。「時代と世紀の流れとともに,各自とすべての人々の,また個人と全教会との,理解と知識と英知とが増し,また急激に発展するように。しかし,ただその正しい道において,すなわち同一の教義,同一の意味,同一の見解において in eodem scilicet dogmate, eodem sensu eademque sententia」。

「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、実に説明するためである。」
(第一バチカン公会議(DS3070))

 だからこそ、ピオ六世、ピオ七世、グレゴリオ十六世、ピオ九世、レオ十三世、聖ピオ十世など、過去の教皇たちは現代世界の革命精神(「自由」「平等」「博愛」「人権」など)をそのまま排斥し続けてきた。過去の教皇たちはこれらの近代のリベラルなイデオロギーを「浄化する」ことを求めなかった。それは教皇たちに識別の能力が無かったからではない。ただ単にこれらの「価値」といわれる現代世界の革命精神がカトリックの教義の中に取り入れられ同化されることが不可能であったからだ。過去の教皇たちは教皇としての責務を立派に果たしてきた。彼らは、厳格に力強く、教会と革命原理との和解の試みを排斥し、除外してきた。過去の教皇たちは、何が教会の教えであり、何が天主の啓示であるかを良く知っていた、本当のカトリック聖伝の証人であった。

 だからピオ九世は「ローマ教皇は、進歩や自由主義や現代文化と和解し友情を結ぶことが出来るしそうしなければならない」という命題を排斥した(シラブス 排斥命題80)。

 リベラリズムは、キリスト教概念の奇形に過ぎない(チェスタートンの表現を借りれば「狂ったキリスト教概念」)。何故なら、天主の権威を拒否する制限の無い「自由」を求めるなど、リベラリズムに固有のものは、それ自体として、反キリスト教的である。だからこそ、過去の教皇たちは何度も何度も排斥し、告発し、断罪してきた。その最高の記念碑が、ピオ九世教皇のシラブスである。



 第二バチカン公会議によると、使徒たちに啓示された内容ではなく、教会の外にあった概念であり人間の才能から産み出されたものであるけれども、今日特に高く評価されているような価値がある、すなわち「民主主義」や「自由」や「人権」などの概念である。これら過去二世紀間のリベラルな文化を、福音と天主の啓示に結び付けるべきである。

 フランス革命のモットーである世俗の新しい原理である「自由」「平等」「博愛」「民主主義」「人権」「信教の自由」「良心の自由」「国家におけるイデオロギー多元主義」「イデオロギーの自由競争」などは、カトリック教義によって教会のものとされなければならない。

 たしかに、ピオ六世、ピオ七世、グレゴリオ十六世、ピオ九世、レオ十三世、聖ピオ十世など、過去の教皇たちは現代世界の革命精神をそのまま排斥し続けてきた。過去の教皇たちはこれらの近代のリベラルなイデオロギーを「浄化する」ことを求めなかった。しかし、第二バチカン公会議によれば、聖伝と天主の啓示とは、現代のメンタリティーに適応しなければならない。従って、現代のリベラルなイデオロギーと革命精神と原理とを、カトリックの教義の中に取り込まなければならない。

 従って、使徒ヨハネの死を持って啓示が閉じられた、とは言えず、常に現代世界の思潮に合わせて教会が知らなかった良い道徳概念を取り入れていかなければならない。現代世界との対話と通して、教会の外で生まれたよいものを取り入れていくべきである。

 必要ならば、教導権が不可謬権を行使して定めた信仰の内容とその明確化に矛盾する内容に変わるし、また教導権が排斥した内容が信仰箇条になることもありえる。それが生きている証拠である。それが「生ける聖伝」である。

 天主の啓示した真理とは完全によそ者である要素を、信仰の遺産の中に取り込まなければならない。教会は、世の終わりまで、時代の推移に伴って、絶えず、神的真理の充満を目ざして進む


現代世界憲章 11(霊の呼びかけに対する答)
 公会議はまず第一に、今日特に高く評価されているような諸価値を、信仰の光のもとに判断し、その源泉である神に関係づけようと考える。これらの価値は神が人間に与えた才能から産み出されたものである限り、非常によいものであるが、人間の心の腐敗によって、それらが正しい秩序からはずされることも稀ではない。そこで浄化が必要となる


「1960年代の問題は、二世紀の間のリベラルな文化から引きだされた価値のより良いものを得ることであった。事実、教会の外に生まれたにもかかわらず、その世界観において浄化され訂正されて(教会内に)その場所を見つけることが出来る諸価値がある。これが(公会議において)なされた。」
(ラッツィンガー枢機卿【現ベネディクト十六世教皇】「信仰について」)

「十九世紀の進歩主義者たち(たとえばフェリシテ・ド・ラムネーなど)は、別のそしてしばしば教会に対して敵意的な世界に生まれた概念、それがそう意味したように、敵意的な精神でまだ一杯の概念を頻繁に取り上げ、そしてそれらに「洗礼を授ける」と考えてつつ、キリスト教に導入しようと試みた。・・・カトリック教会と実証的近代世界(そしてこれはその全てが1864年のシラブスによってまったく排斥された)との和解は、教会の中に、現代世界の概念をそれらの概念がそう意味したまま導入することによってなされることは出来なかった。この教会と現代世界との和解のためには、必要に従って現代世界の有効な貢献を抽出し浄化したあとそれを同化することにより、カトリシスムの常なる原理が新しい発展をすることによって深みのある仕事が要求された。」
(コンガール神父【後に枢機卿となる】 Yves Congar: "Vraie et fausse reforme dans l'Eglise", Cerf, Paris, 1950, pp. 345-346.)


 「公会議は現代人が重視する諸価値を尊敬するだけでなく、これを認めたのであります。… 単に手段として人間を愛するのではなく、人間性を超越した究極目的として人間を愛するのであります。…」
(パウロ六世、第2バチカン公会議を終了しようとするその日、第9公開会議における演説(1965年12月7日)の中で)


 「この文書 (=現代世界憲章) の全体的評価を求めるなら、信教の自由に関する文章と世界における諸宗教に関する文章との関連において、この文書はピオ9世の『シラブス』の修正であり、ある意味で『反シラブス』であると言うことが出来るだろう。・・・この文書は、教会が、フランス革命以降このようになった世界と公式に和解しようと試みている意味において、シラブスの反対の役を果たしている。」
【Cardinal Ratzinger, Principes de Théologie catholique, Téqui 1985, p. 426-427.】


 「第2バチカン公会議によって肯定された信教の自由は1864年のシラブスと内容的に別のことを言っている、しかもその文献の第16・17・19命題とほぼ反対のことを言っているということを、人は否定できない。」
【Yves Congar, La crise de l’Eglise et Mgr Lefebvre, le Cerf, 1977 p. 54.】


 「第2バチカン公会議の公文書である『エキュメニズムに関する教令』が、数世紀にもわたって教会が理解してきた意味においての『教会の外に救いなし』という格言とは別のことをいろいろ言っていると言うことは、明らかであり、隠すのも虚しい」
【Yves Congar, Essais oecumeniques, le Centurion 1984, p. 85.】

 「エキュメニズムに関する教令」は、ピオ11世教皇の「モルタリウム・アニモス」と明らかに矛盾している。
【Yves Congar, Essais oecumeniques, le Centurion 1984, p. 85. 】

 「教皇の要求に従って、私は『信教の自由に関する宣言』の最後の数段落を書くのを手伝った。私の仕事は、信教の自由というテーマが既に聖書の中に現れていたということを証明することだったが、実は、聖書の中にはそのようなものは存在しない。」
【Yves Congar, interview avec Eric Vitré, A la droite du Père, Edition de Maismie, 1994, p. 118.】

「第2バチカン公会議の以前にはローマで『唯一真実である』として教えられていた学説であるが、しかし公会議の教父たちによって否定された多くの説が数多くある。私たちは、それらの学説の目を見張るばかりの大きなリストを作ることが出来る。」
【Cardinal Suenens, Informations Catholiques Internationales, du 15 mai, 1969.】

 「ルフェーブルには、信教の自由に関する公会議の宣言を疑問視する正統な権利がある。何故なら、いかなる説明もなしに第2バチカン公会議は、第1バチカン公会議の立場を正反対にしたからである。」
【Hans Küng, National Catholic Reporter, October 21, 1977.】


 私たちの主イエズス・キリストが教えなかったような、また教会の知らないような宗教に関する真理、善に関する真理、道徳的な真の価値を、教会は受け入れなければならない。

 ピオ六世、ピオ七世、グレゴリオ十六世、ピオ九世、レオ十三世、聖ピオ十世など、過去の教皇たちは現代世界の革命精神(「自由」「平等」「博愛」「人権」など)をそのまま排斥し続けてきたが、彼らは識別能力が無かったからである。

 より人間らしい世界の建設のために、「ローマ教皇は、進歩や自由主義や現代文化と和解し友情を結ぶことが出来るしそうしなければならない。」


 従って、第二バチカン公会議によれば、「聖伝」(ここでは聖伝の聖伝と区別するために「新聖伝」と呼ぼう)とは、今でも続いている啓示であり、使徒ヨハネの死を持って啓示が閉じられたわけではない。諸命題によって説教されるわけでもなく、使徒とその後継者に依存するわけでもない。

 新聖伝は「生ける聖伝」と呼ばれ、文化的にも歴史的にも条件から影響を受け、主観的に、フィーリング的にますます深められ、自覚され、意識を変え、気づいていかなければならない。従って、「生ける聖伝」は絶えず変化しなければならない。

 8(聖伝について)
 この使徒たちから出る聖伝は、教会において聖霊の援助によって進歩する。実際、伝えられた事物やことばの理解は、それを心の中で思いめぐらす(ルカ 2·19 および 51参照) 信者たちの黙想と研究によって、あるいは霊的なことがらについての体験の深い理解によって、あるいはまた、司教職の継承とともに真理の確かなたまもの(カリスマ)を受けた人たちの宣教などによって、深くなる。要するに、教会は、自分に神のことばが成就するまで、時代の推移に伴って、絶えず、神的真理の充満を目ざして進むのである。



【教導権】

 カトリックの聖伝によれば、教導権こそが信仰の最高の規準であり、従って、聖伝によれば、教会教導権の判断や定義こそが、聖書解釈者を熟させるようにする。

 教導権により、啓示の内容が、同一性を保ったまま、より明確化され、暗示的な内容がより明示的にされ、曖昧な意味がより精緻にされうるが、教導権が不可謬権を行使して定めた信仰の内容とその明確化に矛盾する内容に変わることは出来ない。また教導権が排斥した内容が信仰箇条になることもありえない。

 「使徒達より、正統信仰の教父達を通じ、常に同じ意味及び解釈に従いて我らに至るまで伝えられし信仰の教義を、我は誠実に受け入れん。故に、教義が、教会が初めに保持せしものとは異なり、一の意味より他の意味へと進化すると説く異端説を、我は拒否す。同じく、キリストの花嫁たる教会に任され、これによって忠実に守らるべき天主の信仰の遺産を、人間の努力により徐々に形作られ将来に亘る無限の発展によりて完成さるべきとする謬説を、我は全て排斥す。」

 従って、聖伝が、教導権の不可謬権を行使して定めた信仰の内容とその明確化に矛盾する内容へと変わることがあるとすれば、それは聖伝の死である。過去において否定されていた教えが肯定されることは、聖伝の不完全で矛盾している理解である。何故なら、第一バチカン公会議がはっきりと教えたように、「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、実に説明するため」だからだ。(第一バチカン公会議(DS3070))

 また、過去の歴代の教皇たちの一致した教えに反することを「聖伝」の名で教導権が教えるとするならば、それは矛盾している聖伝の理解である。何故なら、「天主が啓示した教理は,哲学的作り事や人間の知能が完成したものではなく,キリストの花嫁(教会)に与えられた天主の遺産であり,これを忠実に守り,誤ることなく解釈しなければならない、聖にして母なる教会が一度宣言した教義の意味を永久に保存しなければならない、よりよく理解するためという口実のもとに,その意味から離れてはならない」からである。すなわち同一の教義,同一の意味,同一の見解において in eodem scilicet dogmate, eodem sensu eademque sententia」理解しなければならないからである。


 第二バチカン公会議によれば、信仰の最高の規準は聖書であり、それは「聖伝とともに」である。もちろん、第二バチカン公会議に引用されている「聖伝」は、「生ける聖伝」つまり新聖伝の意味で理解されて初めて第二バチカン公会議の正しい理解になる。

[神の啓示に関する教義憲章] 21(聖書の尊重)
教会は、今日も、今までと同じように、聖書を聖伝とともにおのが信仰の最高の規準と考えている。実際、聖書は神の霊感によって永久に一度書かれて、神自身のことばを変わることなく伝え・・・ている。

 第二バチカン公会議公文書および第二バチカン公会議後の文書は、言葉遣いがより曖昧になり、どのようにでも解釈できる表現が使われる。例えば、聖伝によればキリストの教会はカトリック教会である、というように「である」と同一視されていたが、第二バチカン公会議後の文章は「の内にそんする subsistit in 」と曖昧に表現されるようになった。この表現は、プロテスタント牧者であるヴィルヘルム・シュミット(Wilhelm Schmidt)の考えついた言い回しである。

 従って、第二バチカン公会議に従って、聖書を「聖伝」(つまり新聖伝、「生ける聖伝」)とともに、信仰の最高の規準として受け入れないのならば、それは「不完全であり矛盾する」。たとえそうすることによって、過去の教皇たちの教導権に反対したとしても、全カトリック教会の昔ながらの聖伝の概念に反対したとしても、新しい聖伝の概念を受け入れなければならない。過去との断絶があったとしても、新しい聖伝の概念を受け入れないことは、ローマの司教と司教団という二つの頭によって保持されている「秘跡としての教会」の普遍的教導権に矛盾対立することである。

 第二バチカン公会議によれば、新聖伝とは今でも続いている啓示であり、使徒ヨハネの死を持って啓示が閉じられたわけではないし、諸命題によって説教されるわけでもなく、過去の歴代の教皇らの教えと矛盾することを含むのであるから、使徒とその後継者に依存するわけでもない。

 何故なら、信仰の最高の規準は、第二バチカン公会議のいう時代によって変わる「生ける聖伝」つまり新聖伝とともにある聖書であるからである。概念がますます曖昧になっていくのが新聖伝だからである。「要するに、教会は、自分に神のことばが成就するまで、時代の推移に伴って、絶えず、神的真理の充満を目ざして進むのである。」


 もしも新聖伝を受け入れることが出来ないならば、それは第二バチカン公会議後のこの世に生ける「秘跡」としての「教会」からの離教行為である。

 だから、昔の聖伝の概念にしがみつき、第二バチカン公会議の新聖伝を受け入れなかったルフェーブル大司教は「離教的行為」を行ったことになる。

「4. この離教的行為の根本は、「聖伝」についての不完全で矛盾した概念の中に認めることができる。不完全、何故ならそれは「聖伝」の生きた性格を十分に考慮に入れていないからである。第二バチカン公会議がはっきりと教えたように、「この使徒たちから出る聖伝は、教会において聖霊の援助によって進歩する。実際、伝えられた事物やことばの理解は、それを心の中で思いめぐらす(ルカ 2·19 および 51参照) 信者たちの黙想と研究によって、あるいは霊的なことがらについての体験の深い理解によって、あるいはまた、司教職の継承とともに真理の確かなたまもの(カリスマ)を受けた人たちの宣教などによって、深くなる。」
 しかし特に矛盾しているのは、ローマの司教と司教団とによって保持されている教会の普遍的教導権に対立する聖伝の概念である。キリスト御自身が使徒ペトロのペルソナにおいて御自分の教会において一致の奉仕職を委ねたところの者(=ローマ教皇)との教会的絆を断ち切りながら聖伝に忠実にとどまることは不可能である。」

(使徒書簡「エクレジア・デイ」APOSTOLIC LETTER "ECCLESIA DEI")


天主の聖母、終生童貞なる聖マリア、われらのために祈りたまえ!
聖ヨゼフ、われらのために祈りたまえ!
聖ベネディクト、われらのために祈りたまえ!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】