アヴェ・マリア!
愛する愛する兄弟姉妹の皆様、
教皇様への霊的花束をお捧げするためのお手紙について、私の頭の中を駆けめぐった内容で、下書きにもならない単なるメモ的な草案というか独り言の続きです。
========
教皇様、
今年、日本のカトリック中央協議会は次のような緊急アピールを発信しました。教皇様が、聖ピオ十世会の司教さまたちのいわゆる「破門」が無効であることを宣言した一週間前のことです。
教皇様はもしかしたらお読みになったことがないかもしれませんので、以下に内容を引用するのをお許しください。
-----------2009いのちを守るための緊急アピール--------------
日本のカトリック教会の皆様へ
2008年の後半、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融危機は、世界的な経済危機に発展してしまいました。日本でも自動車工場をはじめとする多くの工場や企業で経営状態の悪化による減産・事業縮小が進められ、従業員削減、特に大量の派遣労働者の派遣切りや期間労働者の雇い止めが、連日テレビや新聞で報じられるようになっています。今回の失業者は若い世代の人が多く、短期雇用で失業保険の対象にもならない場合もあり、非常に厳しい状況に陥ってしまう人が少なくありません。また、状況が日々、急激に悪化しているのも特徴的です。日本各地の野宿者の数は2008年秋以降、増加していますが、この事態は2009年に入りさらに深刻化すると予想されます。また日本の自死者は1998年3月以降、急増しましたが、それはまさに多くの企業が経営破たんした 1997年度の年度末のことでした。今回の危機はそのとき以上ではないかと危惧されています。これらの現実はわたしたちキリスト信者にとっても決して他人事ではないはずです。
この緊急事態にあたり、日本カトリック司教協議会社会司教委員会は、多くの人がいのちの危機に直面しているということを訴え、今、特にその最悪の結果である「路上死」と「自死」を出さないためにわたしたちに何ができるか、教区・小教区・修道会・信徒の団体で考えていただきたくこのアピールを出すことにしました。
残念ながらいまだに失業者や路上生活者に対する差別偏見は根強く残っています。今回の派遣切りなどによる失業者の問題が顕在化する以前から、働きたくとも職がなく路上生活を余儀なくされていた人々を「怠け者の自己責任」として切り捨てる風潮がありました。しかし、野宿せざるを得なくなった状況はどちらも同じであり、合わせて支援しなければなりません。
去る12月、世界人権宣言発布60周年にあたって、日本の司教団は人権メッセージを発表しました。「(人権についての)今日の危機的局面を打開するためには、そのすべての要因を一つ一つ根気強く取り除いていく必要があります。そのためにわたしたちは、貧しく弱い立場に追いやられ、大切な人間関係を断たれてしまっている人々、人間らしい生活が損なわれ、あるいは妨げられている人々の側に立って、この世界を見ていかなければなりません。」との司教団の呼びかけに今こそ応えていきましょう。
すでに各地で、雇用停止となった外国人労働者への支援や、野宿を余儀なくされた人々のための炊き出し、夜回り、医療・法律相談活動など、また派遣切りによって仕事も住まいも失い、路頭に迷った人への緊急避難所提供等々の対応をしている方が大勢おられることを知っています。その働きに感謝するとともに、さらにより多くの方々がその活動に参加・協力されるよう願っています。
今回の事態は、わたしたちカトリック信者だけで解決できる事柄ではありません。本来、貧しい人々の最低限の生活を守る責任は政府や行政機関にあります。行政が本来対応すべきことを速やかに施策するように市民として求め、働きかけることは支援のひとつとなるでしょう。しかし同時に、行政の対応を待ちきれずに、各地でさまざまな市民団体がこの問題に対して取り組みを始めています。それらの団体と連携を取り、それらの団体に協力することも大切な働きです。また、どこに行けば相談でき、適切な支援が受けられるかという正確な情報をできるだけ得ておくことも役に立ちます。たとえば、自死に至る要因としての「うつ病」「経済的行き詰まり」「孤立」などの問題に対して、本当は対応できる機関や窓口があるのに、追い詰められた人にはなかなかそれが見えないからです。
カリタスジャパンとしては、今回の事態のために募金を行い、これらの支援活動を後押しする援助を予定しています。
どうかすべてのカトリック信者が、祈り、献金、活動など、どのような形であれ、いのちを守るための働きに参加してくださいますよう、切にお願い申し上げます。
2009年1月13日
日本カトリック司教協議会社会司教委員会
委員長 見三明(長崎教区大司教)
副委員長・日本カトリック正義と平和協議会担当司教
松浦悟郎(大阪教区補佐司教)
日本カトリック難民移住移動者委員会委員長
谷 大二(さいたま教区司教)
カリタスジャパン責任司教 菊地 功(新潟教区司教)
カリタスジャパン担当司教 幸田和生(東京教区補佐司教)
日本カトリック差別人権委員会委員長
平賀徹夫(仙台教区司教)
-------------------------
教皇様、このアピールによって、「すべてのカトリック信者が、祈り、献金、活動など、どのような形であれ、いのちを守るための働きに参加」することを日本の司教たちはカトリック信者に要請しました。
何故このアピールがあったかというと、 世界的な経済危機により、従業員削減、大量の派遣労働者の派遣切り、期間労働者の雇い止め、若い世代の多くの失業者、状況が日々、急激に悪化。日本各地の野宿者の数の増加、自死者の急増が予想されたからです。「路上死」と「自死」を防ごうとしたのです。
特に、日本の司教団は2008年12月に人権メッセージを発表しました。そこで「わたしたちは、貧しく弱い立場に追いやられ、大切な人間関係を断たれてしまっている人々、人間らしい生活が損なわれ、あるいは妨げられている人々の側に立って、この世界を見ていかなければなりません。」と呼びかけたのでした。
司教たちは、今回の事態は、わたしたちカトリック信者だけで解決できる事柄ではないこと、また、本来、貧しい人々の最低限の生活を守る責任は政府や行政機関にある、カトリック教会の責務ではないとしながらも、命を救うために乗り出し、日本のカトリック教会の全てに呼びかけたのでした。
教皇様、 もちろん、命の危機に脅かされた人々を助けるのは、大変すばらしい愛徳のわざだと思います。何故なら、「天主様は全能だから私たちが何もしなくても、自然に金融危機も経済危機も収まることだろう、だから何もせずにいればいい」というのではなく、私たちが出来ることをして助けることを天主がお望みになるからです。だから、各地で、雇用停止となった方々への支援や、野宿を余儀なくされた方々のための炊き出し、夜回り、医療・法律相談活動などするのは素晴らしい大きな愛徳の業だと思います。たとえそれが私たちの責務ではなかったとしても。
教皇様、私には教皇様の今年の緊急アピールが、耳にこだましています。教皇様は、人類の歴史の今の時点での本当の問題は何かをこう断言してくれました。
「現在、地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてします炎のように消え去ってしまう虞がある私たちの生きている時代において、何より先になされるべき優先的ことがらは、この世に天主を現存させ、天主へ近づくことが出来るように人々に開くことです。・・・私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えるとどうじに、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。人々を天主へと導くこと、聖書において語り給う天主に導くこと、それが今日、カトリック教会とペトロの後継者との最高で基本的な優先課題なのです。」
信仰を消さないように守ることが「最高で基本的な優先課題」と教皇様は言いました。
教皇様、何故教皇様がこのアピールをしたかというと、 世界的な信仰の危機により、大量のカトリック信徒の方々が信仰を失い、司祭が司祭職を放棄し、召命が無くなり、若い世代の多くが信仰を失っているという状況が日々急激に悪化しているからです。
教皇様は、世界中で教会でまともなカトリック信仰生活を送ることが出来ずにいわば「野宿者」の様になっている方々の数が増加、離教、棄教が急増していることをご存じだったからです。教皇様は、信仰のいわば「路上死」と「自死」を防ごうとしたのです。
そこで、日本の司教さまたちに倣って、教皇様のアピールに従って次のような緊急アピールを考えてみました。
----------超自然の信仰を守るための緊急アピール----------
日本のカトリック教会の皆様へ
20世紀の後半、第二バチカン公会議に端を発した公会議後の改革は、世界的な信仰の危機に発展してしまいました。
ヨーロッパについてはヨハネ・パウロ二世が「沈黙の背教」と呼び、ベネディクト十六世はカトリック教会全般について「沈みかけている船」と表現しています。
日本でも世界のどこでも、司祭および修道者の召命不足のために、小教区の統廃合、修道院の事業縮小が進められ、以前カトリック国家と言われた国々では、大量のカトリック信徒の棄教や離教がテレビや新聞で報じられるようになっています。
また信仰の喪失者は若い世代の人が多く、短期で信仰を喪失してしまう場合もあり、非常に頑固な無神論に陥ってしまう人が少なくありません。また、状況が日々、急激に悪化しています。
これらの現実はわたしたちカトリック信者にとって決して他人事であってはなりません。この緊急事態にあたり、ローマ教皇様は、「現在、地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてします炎のように消え去ってしまう虞がある私たちの生きている時代において、何より先になされるべき優先的ことがらは、この世に天主を現存させ、天主へ近づくことが出来るように人々に開くことです。・・・私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えるとどうじに、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。人々を天主へと導くこと、聖書において語り給う天主に導くこと、それが今日、カトリック教会とペトロの後継者との最高で基本的な優先課題なのです。」と訴えました。
信仰のいわば「路上死」と「自死」を出さないためにわたしたちに何ができるか、教区・小教区・修道会・信徒の団体で考えていただきたく、教皇様の「最優先課題」に応じるためにこのアピールを出しています。
残念ながらいまだに聖伝のミサや聖伝のカトリック信仰に対する差別偏見は根強く残っています。
今回のベネディクト十六世が聖伝のミサが自由であること、また、口で跪いての聖体拝領のみをすることを望んでいることを態度で示す以前から、聖伝のミサを捧げたくとも、また、口で跪いての聖体拝領をしたくともそれをすることが許されなく、いわば教会に行ってもカトリック信仰生活を送ることができず「路上生活」を余儀なくされていた人々を「不従順の自己責任」として切り捨てる風潮がありました。教皇様が聖ピオ十世会に目をかけたが故に、聖ピオ十世会に歩み寄ったが故に、教皇様が受けた憎しみと迫害、非難の罵声は、悲しいかな、カトリック教会全体が今もっている、カトリック教会の過去と聖伝に対する憎しみの表れでした。
しかし、「野宿」せざるを得なくなった状況は聖伝を守ろうとする人々の不従順ではなく、このような不当に取り扱われている人々を支援しなければなりません。
教皇様は、聖伝の信仰生活ができず路頭に迷ったカトリック信徒の方々への緊急避難所を提供するなどの対応をしてくださったルフェーブル大司教と聖ピオ十世会の司教様たちとに感謝するとともに、さらにより多くの方々がその活動に参加・協力されるよう、教皇様が願っているはずだと思います。
今回の事態は、カトリック平信者や司祭だけで解決できる事柄ではないでしょう。本来、カトリック信仰を守る責任は教皇様やローマにあります。しかし、私たち全てが、超自然の命と信仰を守るために乗り出す必要があります。
---------------------------
教皇様、確かに天主様は全能ですから、聖ピオ十世会など無くても、聖ピオ十世会が何もしなくても、路頭に迷ったカトリック信徒の方々を助けることができることでしょう。しかし天主は、これを口実に、奇跡を待つだけで、私たちが何もせずに指をくわえていることを望まれません。私たちができる限り人事を尽くすことをお望みです。
それは、天主様は全能だから私たちが何もしなくても、自然に金融危機も経済危機も収まることだろう、だからといって何もせずにいればいいのではなく、各地で、雇用停止となった方々への支援や、野宿を余儀なくされた方々のための炊き出し、夜回り、医療・法律相談活動などするのは素晴らしい大きな愛徳の業であるというのと同じです。
教皇様、聖伝の信仰生活ができず路頭に迷ったカトリック信徒の方々への緊急避難所を提供するなどの対応をしてくださったルフェーブル大司教と聖ピオ十世会の司教様たちとに感謝するとともに、さらにより多くの方々がその活動に参加・協力されるよう、教皇様は願っているはずだと思います。
(続く)
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愛する愛する兄弟姉妹の皆様、
教皇様への霊的花束をお捧げするためのお手紙について、私の頭の中を駆けめぐった内容で、下書きにもならない単なるメモ的な草案というか独り言の続きです。
教皇様、
今年、日本のカトリック中央協議会は次のような緊急アピールを発信しました。教皇様が、聖ピオ十世会の司教さまたちのいわゆる「破門」が無効であることを宣言した一週間前のことです。
教皇様はもしかしたらお読みになったことがないかもしれませんので、以下に内容を引用するのをお許しください。
日本のカトリック教会の皆様へ
2008年の後半、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融危機は、世界的な経済危機に発展してしまいました。日本でも自動車工場をはじめとする多くの工場や企業で経営状態の悪化による減産・事業縮小が進められ、従業員削減、特に大量の派遣労働者の派遣切りや期間労働者の雇い止めが、連日テレビや新聞で報じられるようになっています。今回の失業者は若い世代の人が多く、短期雇用で失業保険の対象にもならない場合もあり、非常に厳しい状況に陥ってしまう人が少なくありません。また、状況が日々、急激に悪化しているのも特徴的です。日本各地の野宿者の数は2008年秋以降、増加していますが、この事態は2009年に入りさらに深刻化すると予想されます。また日本の自死者は1998年3月以降、急増しましたが、それはまさに多くの企業が経営破たんした 1997年度の年度末のことでした。今回の危機はそのとき以上ではないかと危惧されています。これらの現実はわたしたちキリスト信者にとっても決して他人事ではないはずです。
この緊急事態にあたり、日本カトリック司教協議会社会司教委員会は、多くの人がいのちの危機に直面しているということを訴え、今、特にその最悪の結果である「路上死」と「自死」を出さないためにわたしたちに何ができるか、教区・小教区・修道会・信徒の団体で考えていただきたくこのアピールを出すことにしました。
残念ながらいまだに失業者や路上生活者に対する差別偏見は根強く残っています。今回の派遣切りなどによる失業者の問題が顕在化する以前から、働きたくとも職がなく路上生活を余儀なくされていた人々を「怠け者の自己責任」として切り捨てる風潮がありました。しかし、野宿せざるを得なくなった状況はどちらも同じであり、合わせて支援しなければなりません。
去る12月、世界人権宣言発布60周年にあたって、日本の司教団は人権メッセージを発表しました。「(人権についての)今日の危機的局面を打開するためには、そのすべての要因を一つ一つ根気強く取り除いていく必要があります。そのためにわたしたちは、貧しく弱い立場に追いやられ、大切な人間関係を断たれてしまっている人々、人間らしい生活が損なわれ、あるいは妨げられている人々の側に立って、この世界を見ていかなければなりません。」との司教団の呼びかけに今こそ応えていきましょう。
すでに各地で、雇用停止となった外国人労働者への支援や、野宿を余儀なくされた人々のための炊き出し、夜回り、医療・法律相談活動など、また派遣切りによって仕事も住まいも失い、路頭に迷った人への緊急避難所提供等々の対応をしている方が大勢おられることを知っています。その働きに感謝するとともに、さらにより多くの方々がその活動に参加・協力されるよう願っています。
今回の事態は、わたしたちカトリック信者だけで解決できる事柄ではありません。本来、貧しい人々の最低限の生活を守る責任は政府や行政機関にあります。行政が本来対応すべきことを速やかに施策するように市民として求め、働きかけることは支援のひとつとなるでしょう。しかし同時に、行政の対応を待ちきれずに、各地でさまざまな市民団体がこの問題に対して取り組みを始めています。それらの団体と連携を取り、それらの団体に協力することも大切な働きです。また、どこに行けば相談でき、適切な支援が受けられるかという正確な情報をできるだけ得ておくことも役に立ちます。たとえば、自死に至る要因としての「うつ病」「経済的行き詰まり」「孤立」などの問題に対して、本当は対応できる機関や窓口があるのに、追い詰められた人にはなかなかそれが見えないからです。
カリタスジャパンとしては、今回の事態のために募金を行い、これらの支援活動を後押しする援助を予定しています。
どうかすべてのカトリック信者が、祈り、献金、活動など、どのような形であれ、いのちを守るための働きに参加してくださいますよう、切にお願い申し上げます。
2009年1月13日
日本カトリック司教協議会社会司教委員会
委員長 見三明(長崎教区大司教)
副委員長・日本カトリック正義と平和協議会担当司教
松浦悟郎(大阪教区補佐司教)
日本カトリック難民移住移動者委員会委員長
谷 大二(さいたま教区司教)
カリタスジャパン責任司教 菊地 功(新潟教区司教)
カリタスジャパン担当司教 幸田和生(東京教区補佐司教)
日本カトリック差別人権委員会委員長
平賀徹夫(仙台教区司教)
教皇様、このアピールによって、「すべてのカトリック信者が、祈り、献金、活動など、どのような形であれ、いのちを守るための働きに参加」することを日本の司教たちはカトリック信者に要請しました。
何故このアピールがあったかというと、 世界的な経済危機により、従業員削減、大量の派遣労働者の派遣切り、期間労働者の雇い止め、若い世代の多くの失業者、状況が日々、急激に悪化。日本各地の野宿者の数の増加、自死者の急増が予想されたからです。「路上死」と「自死」を防ごうとしたのです。
特に、日本の司教団は2008年12月に人権メッセージを発表しました。そこで「わたしたちは、貧しく弱い立場に追いやられ、大切な人間関係を断たれてしまっている人々、人間らしい生活が損なわれ、あるいは妨げられている人々の側に立って、この世界を見ていかなければなりません。」と呼びかけたのでした。
司教たちは、今回の事態は、わたしたちカトリック信者だけで解決できる事柄ではないこと、また、本来、貧しい人々の最低限の生活を守る責任は政府や行政機関にある、カトリック教会の責務ではないとしながらも、命を救うために乗り出し、日本のカトリック教会の全てに呼びかけたのでした。
教皇様、 もちろん、命の危機に脅かされた人々を助けるのは、大変すばらしい愛徳のわざだと思います。何故なら、「天主様は全能だから私たちが何もしなくても、自然に金融危機も経済危機も収まることだろう、だから何もせずにいればいい」というのではなく、私たちが出来ることをして助けることを天主がお望みになるからです。だから、各地で、雇用停止となった方々への支援や、野宿を余儀なくされた方々のための炊き出し、夜回り、医療・法律相談活動などするのは素晴らしい大きな愛徳の業だと思います。たとえそれが私たちの責務ではなかったとしても。
教皇様、私には教皇様の今年の緊急アピールが、耳にこだましています。教皇様は、人類の歴史の今の時点での本当の問題は何かをこう断言してくれました。
「現在、地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてします炎のように消え去ってしまう虞がある私たちの生きている時代において、何より先になされるべき優先的ことがらは、この世に天主を現存させ、天主へ近づくことが出来るように人々に開くことです。・・・私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えるとどうじに、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。人々を天主へと導くこと、聖書において語り給う天主に導くこと、それが今日、カトリック教会とペトロの後継者との最高で基本的な優先課題なのです。」
信仰を消さないように守ることが「最高で基本的な優先課題」と教皇様は言いました。
教皇様、何故教皇様がこのアピールをしたかというと、 世界的な信仰の危機により、大量のカトリック信徒の方々が信仰を失い、司祭が司祭職を放棄し、召命が無くなり、若い世代の多くが信仰を失っているという状況が日々急激に悪化しているからです。
教皇様は、世界中で教会でまともなカトリック信仰生活を送ることが出来ずにいわば「野宿者」の様になっている方々の数が増加、離教、棄教が急増していることをご存じだったからです。教皇様は、信仰のいわば「路上死」と「自死」を防ごうとしたのです。
そこで、日本の司教さまたちに倣って、教皇様のアピールに従って次のような緊急アピールを考えてみました。
日本のカトリック教会の皆様へ
20世紀の後半、第二バチカン公会議に端を発した公会議後の改革は、世界的な信仰の危機に発展してしまいました。
ヨーロッパについてはヨハネ・パウロ二世が「沈黙の背教」と呼び、ベネディクト十六世はカトリック教会全般について「沈みかけている船」と表現しています。
日本でも世界のどこでも、司祭および修道者の召命不足のために、小教区の統廃合、修道院の事業縮小が進められ、以前カトリック国家と言われた国々では、大量のカトリック信徒の棄教や離教がテレビや新聞で報じられるようになっています。
また信仰の喪失者は若い世代の人が多く、短期で信仰を喪失してしまう場合もあり、非常に頑固な無神論に陥ってしまう人が少なくありません。また、状況が日々、急激に悪化しています。
これらの現実はわたしたちカトリック信者にとって決して他人事であってはなりません。この緊急事態にあたり、ローマ教皇様は、「現在、地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてします炎のように消え去ってしまう虞がある私たちの生きている時代において、何より先になされるべき優先的ことがらは、この世に天主を現存させ、天主へ近づくことが出来るように人々に開くことです。・・・私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えるとどうじに、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。人々を天主へと導くこと、聖書において語り給う天主に導くこと、それが今日、カトリック教会とペトロの後継者との最高で基本的な優先課題なのです。」と訴えました。
信仰のいわば「路上死」と「自死」を出さないためにわたしたちに何ができるか、教区・小教区・修道会・信徒の団体で考えていただきたく、教皇様の「最優先課題」に応じるためにこのアピールを出しています。
残念ながらいまだに聖伝のミサや聖伝のカトリック信仰に対する差別偏見は根強く残っています。
今回のベネディクト十六世が聖伝のミサが自由であること、また、口で跪いての聖体拝領のみをすることを望んでいることを態度で示す以前から、聖伝のミサを捧げたくとも、また、口で跪いての聖体拝領をしたくともそれをすることが許されなく、いわば教会に行ってもカトリック信仰生活を送ることができず「路上生活」を余儀なくされていた人々を「不従順の自己責任」として切り捨てる風潮がありました。教皇様が聖ピオ十世会に目をかけたが故に、聖ピオ十世会に歩み寄ったが故に、教皇様が受けた憎しみと迫害、非難の罵声は、悲しいかな、カトリック教会全体が今もっている、カトリック教会の過去と聖伝に対する憎しみの表れでした。
しかし、「野宿」せざるを得なくなった状況は聖伝を守ろうとする人々の不従順ではなく、このような不当に取り扱われている人々を支援しなければなりません。
教皇様は、聖伝の信仰生活ができず路頭に迷ったカトリック信徒の方々への緊急避難所を提供するなどの対応をしてくださったルフェーブル大司教と聖ピオ十世会の司教様たちとに感謝するとともに、さらにより多くの方々がその活動に参加・協力されるよう、教皇様が願っているはずだと思います。
今回の事態は、カトリック平信者や司祭だけで解決できる事柄ではないでしょう。本来、カトリック信仰を守る責任は教皇様やローマにあります。しかし、私たち全てが、超自然の命と信仰を守るために乗り出す必要があります。
教皇様、確かに天主様は全能ですから、聖ピオ十世会など無くても、聖ピオ十世会が何もしなくても、路頭に迷ったカトリック信徒の方々を助けることができることでしょう。しかし天主は、これを口実に、奇跡を待つだけで、私たちが何もせずに指をくわえていることを望まれません。私たちができる限り人事を尽くすことをお望みです。
それは、天主様は全能だから私たちが何もしなくても、自然に金融危機も経済危機も収まることだろう、だからといって何もせずにいればいいのではなく、各地で、雇用停止となった方々への支援や、野宿を余儀なくされた方々のための炊き出し、夜回り、医療・法律相談活動などするのは素晴らしい大きな愛徳の業であるというのと同じです。
教皇様、聖伝の信仰生活ができず路頭に迷ったカトリック信徒の方々への緊急避難所を提供するなどの対応をしてくださったルフェーブル大司教と聖ピオ十世会の司教様たちとに感謝するとともに、さらにより多くの方々がその活動に参加・協力されるよう、教皇様は願っているはずだと思います。
(続く)
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