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聖ピオ十世会フランス管区長 レジス・ド・カクレ神父 "幻想は今なお健在である"

2012年07月02日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 今年の6月29日は、天主様のお恵みで司祭叙階19周年を迎えることが出来ました。また今年は聖ピオ十世会の神学校に入学して以来25年になります。天主様の御憐れみによって、19年の間、聖ピオ十世会の会員としてその末席に着いているお恵みを頂き、感謝しております。聖ピオ十世会という救命ボートが与えられていることそのお恵みを天主様に感謝します。叙階の時以来、愛する祖国日本にミッションに行く機会が与えられていることにも天主様に感謝します。日本の愛する兄弟姉妹の皆様にはお祈りとご支援とを深く感謝します。

 さて、聖ピオ十世会フランス管区長レジス・ド・カクレ神父執筆"幻想は今なお健在である"を日本語に訳して下さった方があります。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。日本語に訳して下さった方には、心から感謝いたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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聖ピオ十世会フランス管区長 "幻想は今なお健在である"
聖ピオ十世会フランス管区発行、隔月刊誌フィデリテール、五─六月号の論説
フランス管区長レジス・ド・カクレ神父執筆(典拠 La Porte Latine) 


幻想は今なお健在である

 ベネディクト十六世は、二〇一二年四月五日、聖香油のミサの説教で「教導教会(teaching Church)の言葉は、現代において、信仰のメッセージを誤りなく伝えるための助けとなる」ということを思い出しました。この熱心なお勧めの言葉を最初に読んだ時、私たちは反射的に、教皇様は誤りのない深遠な教えに関心をお持ちなのだと喜ぶはずでした。にも関わらず、教皇様が続けてその教導教会が伝えるべき事柄を描写なさると、ああ、なんということか、それは正確に同じ事を指していないのです!

 「第二ヴァチカン公会議の諸文書と『カトリック教会のカテキズム』[訳注: ヨハネ・パウロ二世によって公布された公教要理]は、教会が、天主のみ言葉に基づいて信じていることへの正真正銘の指針としての役目を果たす、欠くべからざる手段である。このことは、もちろん教皇ヨハネ・パウロ二世によって私たちに与えられ、いまだ充分な調査がなされているとは言えない、回勅、書簡などの文書すべての財産を含んでいる」

 ベネディクト十六世が言われた「教導教会の言葉」はもっばら、そして常に、第二ヴァチカン公会議、カトリック教会のカテキズムとヨハネ・パウロ二世の回勅や書簡などの文書を支持する人々に向かって語りかけるに留まる、というのは見たところ明らかです。では、半世紀の間、公教会内に作り上げられた新しい宗教がもたらした悲惨な結果の数々を、教皇様は見ていないのでしょうか? ラッツィンガー枢機卿は、ペトロの小船が弱体化させられた嘆かわしい状況に、強い懸念を示したのではなかったのでしょうか? カトリック信者にとって災難の原因であり続けている、この近年の文書に、何度も何度も賛成の意で話されるのはなぜなのでしょうか?

 私たちが確かに望んだことは──今なお望んでいることは──教皇様が、ある瞬間に、原因と切り離せない影響から、つまり、第二ヴァチカン公会議と切り離せない公会議後の大失敗から離れるのを余儀なくさせられるということです。しかし、この聖香油のミサの説教において、教皇様が実際に見ておられる教会の現在の様子に疑問を抱くようになる人もいます。異端、そして世俗の精神の終わりのない恥ずべき勝利によって教会が壊滅させられたということを、教皇様は、真実その通りに理解しておられるのか? 私たちはこのことに疑いを持つことを許されています。教皇様はこうも言っておられるからです。「公会議後の時代の歴史について熟考する者は、まことの刷新の一連の流れを見分けることができる。刷新の一連の流れは、生き生きとした運動の中にひんぱんに思いがけない形で姿を現し、聖霊がおわし実際に働いておられる聖なる教会から、具体的と言っていい無尽蔵の活力を作り出した」

 公正な立場で言うならば、教皇様が公会議後の時代において気づいておられるこの運動の数々が何なのか、私たちにはわかりません。私たちはどうかというと、代わりにいくつもの名のある修道会が召命の欠如のせいで消滅した、消滅が予定されているということに気づくのです。小教区と教区がまるごと消えてしまったということも証言できます。異教徒の人口がふたたび増え、子どもたちはもはや洗礼を受けていません。そして、ワールド・ユース・デイ(WYD)もしくはカリスマ運動の路線に沿う大々的に宣伝された大規模な集会が、妄想へと導かないはずはありません! 彼らが償いを続け、熱心であったとしても──それは本当ではないのですが──昔の小教区の司祭たちのもとで起きた、住民をキリスト教民へと変える忍耐強い働きに取って代わることはできません。

 こう言うべきでしょう。教皇ベネディクト十六世は、深い、憂慮すべき幻想にとらわれている、と。最初の幻想は、この運動の数々、思いがけない形で現れ、急激にキリスト教を劣化させたこの運動の数々は生き生きとしている、と信じることです。二番目の幻想は、公会議と公会議後の教導権の教えは、霊魂が落ち込んだ夜闇を照らす灯りの役目を果たすかも知れないと、それでもかたくなに信じ込むことです。灯りとなるどころか、ますます闇を深くしているというのにです。

 私たちとしては、自分たちに純粋な信仰で栄養を与え続けます。結果として、あたかも大厄災から逃れるように、第二ヴァチカン公会議とそれに従った教皇たちが導入した新規なことから逃れ続けます。私たちの偉大な宝は信仰であり、信仰を弱め、危うくさせるかも知れないすべてのものに反対して、しっかりと立たなければなりません。

 フランス管区長 レジス・ド・カクレ神父†
 Father Regis de Cacqueray†, Superior of the District of France



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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