アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年12月18日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2016年12月18日、待降節第4主日のミサをしております。今日のこのミサの後に、14時30分からいつもの通り公教要理の時間ですが、今日はグレゴリオ聖歌の有名な「O Antiphona」についてお話しをしようと考えています。16時からは晩課があります。
明日も朝7時からミサがあります。
来週も、来週の25日はクリスマスですがミサがあります。朝の9時00分と10時30分からです。日本では12月25日と1月1日が守るべき祝日ですので、クリスマスのミサに参列なさって下さい。真夜中のミサは大阪で、暁のミサと日中のミサはここで行います。
クリスマスの日は特別のプログラムを考えていて、ミサが終わった後には、ミサの後の祈りの後に、簡単な昼食を皆さんと取って、クリスマスのお祝いをしたいと思っています。クリスマスキャロルを歌ったり、或いは来年私たちが歌うファチマのマリア様の聖歌を歌ったり、14時30分から晩課を、クリスマスの晩課を皆さんと歌いたいと思っています。ご準備なさっていらして下さい。
公教会の掟によると、12月24日は大小斎の日でクリスマスイブは大小斎の日です。もしも守る事ができる方はどうぞなさって下さい。厳密に言うと、灰の水曜日と聖金曜日だけが日本では義務となっていますが、伝統的にクリスマスイブは大小斎で、聖ピオ十世会でもそれを守っています。もしも皆さんもそれにできる方はなさって下さい。
“Videbit omnis caro salutare Dei. ”
「全ての人は、主の救いを見るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は遂に待降節第4主日で、あと数日後あと1週間の後に、主の御降誕をお祝いします。そこでまず、この典礼の中に深く入って、今日のミサの構造がどうなっているかを黙想する事を提案します。
何故かというと、第4主日は時には、もしも今日がクリスマスイブに当たってしまうと、これは無くなってしまってクリスマスイブのミサをしなければなりませんし、この第4主日は時にはほんの数日しかない時もあります。しかしこの第4主日のミサは待降節の頂点に立つものであって、その要点であって、その待降節の全てが凝縮されているものですので、是非その構図を見て、待降節とは一体何なのかを黙想する事を提案します。
その次に、私たちは残るこの数日をどうやって過ごすべきか、このクリスマスを来たる主日クリスマスをどうやって迎えるべきか、という具体的な遷善の決心を立てる事に致しましょう。
皆さんもよくご存知の通り、待降節の時に一番有名な3人の登場人物があります。
1人は預言者イザヤです。これは旧約の、主の来たる事を直接詳しく、「こうだ、こうだ、こうだ」と教えた人です。
第2は、主が来られたという事でその先駆者として送られた、イザヤの精神を持って先駆者として送られた洗者聖ヨハネです。
第3は、私たちにイエズス様を下さるこの直接の方マリア様です。
今日ミサにはこの3つの方が出てきます。
入祭誦を見て下さい。イザヤはあたかも教会の門の前に立って、まだ新約時代には入れないので、旧約時代であるので門の敷居に立って、ドアが開くか開かないかを待って、「さぁ、天よ、露を滴らせよ。雲よ、義人を降らせよ」と祈っています。
なぜ、「露を滴らせ」るのかというと、Cornelius a Lapideという有名な聖書の解釈によると教父によると、「4つの理由でそうだ」と言います。
「1つは、露というのは、その一体どこからその露が生じるのか分からない。それと同じように、天主様の御託身が一体どこからそうなるか、という事が一般の人には分からない。神秘の内にこの凝結されてこの露が生じるように、御託身も神秘の内に天主が人となったから、『露を滴らせよ』というこの『露』という言葉が非常に相応しい。」
「第2の理由は、露というのは、実は清い純粋な水蒸気の空気なのだけれども、霧よりももっと純粋な湿った空気なのだけれども、それが水となる。ところでマリア様は純粋で純粋で純粋で清らかな童貞女だけれども、それが母となった。これはちょうど露が生じたかのようだ。だから、『天よ、露を滴らせよ』と言うのは相応しい。」
「第3には、露というのは、とても甘美で、露がある所にはいつも湿り気があるので、多くの農産物ができて植物にとってとても良い。それと同じように、救い主が来られる御恵み、聖寵の御恵みというのも、聖寵の露のように優しく染み通って、多くの恵みを実りをもたらす。」
「第4の理由は、露というのは、一見するとピカピカと光って、丸くて、ダイヤモンドのような宝石のようだ。ところでイエズス・キリスト様が送られて来る、救い主が、天主が人となって救い主として送られてくるというのは、これは人類にとってダイヤモンドのようだ。ちょうど天主様と人類とが、救いの契約の契りを結んだ時の指輪に飾るダイヤモンドのようだ。だから『露』という言葉が相応しい」と言っています。
でもイザヤは教会の前で立って、「さぁ、早く義人を降らせよ」と言っていた人に過ぎません。
福音になると、既に洗者聖ヨハネが登場します。主の道を、すぐに来られる主の道を準備する為に送られた人です、先駆者です。
洗者聖ヨハネはちょうど、司祭がミサの前にこれからミサの前半が終わって、今からミサの聖変化をして、ミサの本当のいけにえが始まって、ミサの核心が始まる、というその直前にお説教をしますけれども、それと同じように、洗者聖ヨハネは教会の真ん中で説教台に立って、「さぁ、今から救い主がいけにえを捧げる。そのすぐ直前に、天主の子羊が、さぁこれをいけにえを捧げるその直前だ」という事で、「救い主がもう来た」という事で説教します。
何と説教をするかというと、罪の償いの為の悔悛の洗礼の説教をします、「主の道を整えよ、準備せよ。王はすぐもう間近に来られている。私はそのラッパ吹きだ。花婿を花嫁に連れて行くその役割をする仲人だ。さぁ、花嫁よ準備せよ。花婿は来た」と説教をします。
それからそのお説教が終わると、奉献“Offertorium”で、マリア様が御告げを受けた様子が語られます。大天使聖ガブリエルが、「めでたし、聖寵充ち満てる方。御身は女の内であなたは祝された方である」と。“Ave Gratia Plena.”
マリア様こそが、私たちをお恵みに於いて、「さぁ、いけにえの十字架の祭壇の方にいらっしゃい」と、「救い主はもうここに来ている」と教えて導いて下さいます。お恵みを与えようとしてマリア様が祈って下さっています。
ミサのいけにえが捧げられて、イエズス様は聖変化によって真に、本当に、私たちの前に現存されます。パンとブドウ酒のように見えますがしかし、真の天主の御体と御血が私たちの前に来られます。主は、私たちと共に在したのです。私たちは心から愛を込めて跪いて、主を礼拝致します。私たちは御聖体を拝領します。
もう主は本当に私たちと共に在すので、聖体拝領誦ではもう一度、イザヤの預言が引用されます、「主は、エンマヌエル“私たちと共に居られるだろう”と言われるだろう。」本当にこの預言が成就しているのです。
こうやって私たちはあたかも、マリア様の御告げを受けたその時と同じような状況で、今日、イエズス様を私たちの胸に、霊魂に、受けるのです。マリア様がちょうどご胎内にイエズス様をお運びしたように、私たちもイエズス様をこれから運んで、1週間を迎えようとします。そうする事によってクリスマスの日に私たちが、私たちの霊魂にもう一度生まれるイエズス様を準備するのです、よく受ける準備をするのです。
この第4主日のミサの構造はこうなっていて、待降節の凝縮があります。
人間の本性によればマリア様、童貞女マリア様からイエズス・キリスト様がお生まれになる、もうすぐお生まれになる。でもこのお生まれになるイエズス・キリストは、天主の本性によれば、永遠の御父の御子である。イエズス様は旧約聖書の間、何度も何度も、「どのようにやって来られるか」という事を約束されました。太祖たちはこれを喜びを以て待ち望んでいました。これが待降節です。
ダヴィドの部族から、肉に依って、時に於いて、イエズス・キリスト様は本当にお生まれになります。預言を全て1つ1つ成就させてお生まれになります。
天主の本性としては、永遠の天主の御子。しかし人となって、もうすぐ私たちの為に、私たちを贖う為に、私たちを罪の暗闇から解放する為に来られます。もうすぐあと数日で、天使たちはその喜びの為に歌を空で歌います。キリストの御誕生、御降誕を祝う歌声が空に響きます。教会もその時、特別のメロディーを以てクリスマスには御降誕の歌を歌います。ベトレヘムで、預言された通り救い主は、天主は人となって、人として私たちの為にお生まれになります。その時に全ての膝はかがめられて、この救い主を心から愛を以て礼拝しなければなりません。
人となった天主、天主が人となる、私たちの為に生まれて下さるその天主の愛は、私たちは全く想像を超えたものです、私たちにとって想像を超えたものです。
考えてもみて下さい。たとえアメリカの軍隊が、或いは中国の軍隊が、NATOの軍隊が何をしようとも、天使が1位あれば、そのような人間の武力もあっという間に粉々に蹴散らされてしまいます。このたった天使1位であってもそれほどの力を持っているのに、何千何万何億何兆、もう数を数えきれないほどの天使たちがイエズス様の前で跪いて、日々永遠に終わる事なく、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と讃美して従順に服従している、その王の王が、私たちを愛するがあまりに、私たちを天に導く為に、幼い子供となってもうすぐ来られるのです。私たちにその引き換えに天の喜びを与える為に。
もうすぐ教会はこのように発表します、宣言します、「世の創造の後から3199年の後、ノアの大洪水から2759年の後、アブラハムから2015年の後、モーゼがエジプトからイスラエルの民を脱出させて1510年の後に、ダヴィドが王となって1032年の後に、ダニエルの預言者ダニエルの預言によると65周年の後、ギリシャのオリンピックの第94回目、ローマの創立の752年の後、ローマ皇帝アウグストゥス・オクタヴィアーヌスの在位42年、全世界に地中海に平和が行き渡ったその時に、人類の歴史の第6の時期に、人類の全歴史の夕方、永遠の天主、天主の御父の御子、真の天主が、人類にその御自分の御訪問によって、御恵みによって聖化する為に、聖なるものとする為に、この地上に来られる事を望みになった。イエズス・キリストは聖霊によって童貞マリアの胎内に宿り、9ヶ月の後に、ユダ族のベトレヘムにおいて、童貞聖マリアからお生まれになる。」
ですから愛する兄弟の皆さん、どうぞ何も恐れないで下さい。主はすぐに私たちを救う為にやって来られます。司祭の入堂の時に私たちは聖歌を歌いました、「喜べ、主は来たり給う。喜べ、さぁ主は来たり給う。喜べ」主はすぐに来られます。皆さんはすぐにその主の栄光をご覧になるでしょう。
この世の邪悪と罪とを破壊して罪の赦しを与える為に、私たちの為に御自分をいけにえとして捧げる為に、主はお生まれになります。この主の到来は確実なものです。平和の王はその道を進めておられます。すぐ近くに来ています。先駆者がもう既に現れました。時は来ています。私たちの顔を上げて、その主の贖いが近いという事をどうぞ待望して下さい。
ちょうど御聖体拝領にもう既に歌うように、主は私たちと共におられます。
ではこの1週間、クリスマス主の御降誕を準備して、私たちは一体何をしなければならないでしょうか?2つ提案します。
1つは、私たちは洗者聖ヨハネのお説教を聞いて、悔悛の心を起こすという事です。今まで私たちは主が来る事を邪魔するような、その主の道に来るのを邪魔するような妨害物をたくさん置いていたのではないか。汚いものや嫌なものを、見苦しいものを置いてきたのではないか。主が通る為に道を開けて、広くしてきれいに直すべきではないか。祈りと犠牲の心をもって、主の心を私たちの心とすべきではないか。悔悛の心をぜひ持つように致しましょう。
第2は、これはクリスマスの私たちの長い伝統ですけれども、イエズス様に是非クリスマスのプレゼントを差し上げる事にしましょう。イエズス様が一番喜ぶプレゼントを、祈りとイエズス様の御旨に適う事をする、愛徳と、犠牲と、忍耐と、謙遜と、イエズス様に倣う特別の霊的なプレゼントを準備致しましょう。「イエズス様がいらっしゃるのでそのプレゼントに、私はこの従順を、この犠牲を、この辛い事をお捧げ致します。イエズス様も私を愛する為に、辛い寒いまぐさ桶で生まれて来られました。」
多くの人はイエズス様にプレゼントする事を考えるどころか、生まれる場所さえも与えませんでした。
「イエズス様、どうぞ私の心に生まれて下さい。心を大きく開いています、どうぞ来て下さい」と祈る事に致しましょう。
最後にマリア様に是非、イエズス様を私たちに下さるようにお祈り致しましょう。
“Videbit omnis caro salutare Dei. ”
「全ての人は、主の救いを見るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年12月18日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年12月18日 待降節第4主日のミサ
小野田神父 説教
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2016年12月18日、待降節第4主日のミサをしております。今日のこのミサの後に、14時30分からいつもの通り公教要理の時間ですが、今日はグレゴリオ聖歌の有名な「O Antiphona」についてお話しをしようと考えています。16時からは晩課があります。
明日も朝7時からミサがあります。
来週も、来週の25日はクリスマスですがミサがあります。朝の9時00分と10時30分からです。日本では12月25日と1月1日が守るべき祝日ですので、クリスマスのミサに参列なさって下さい。真夜中のミサは大阪で、暁のミサと日中のミサはここで行います。
クリスマスの日は特別のプログラムを考えていて、ミサが終わった後には、ミサの後の祈りの後に、簡単な昼食を皆さんと取って、クリスマスのお祝いをしたいと思っています。クリスマスキャロルを歌ったり、或いは来年私たちが歌うファチマのマリア様の聖歌を歌ったり、14時30分から晩課を、クリスマスの晩課を皆さんと歌いたいと思っています。ご準備なさっていらして下さい。
公教会の掟によると、12月24日は大小斎の日でクリスマスイブは大小斎の日です。もしも守る事ができる方はどうぞなさって下さい。厳密に言うと、灰の水曜日と聖金曜日だけが日本では義務となっていますが、伝統的にクリスマスイブは大小斎で、聖ピオ十世会でもそれを守っています。もしも皆さんもそれにできる方はなさって下さい。
“Videbit omnis caro salutare Dei. ”
「全ての人は、主の救いを見るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は遂に待降節第4主日で、あと数日後あと1週間の後に、主の御降誕をお祝いします。そこでまず、この典礼の中に深く入って、今日のミサの構造がどうなっているかを黙想する事を提案します。
何故かというと、第4主日は時には、もしも今日がクリスマスイブに当たってしまうと、これは無くなってしまってクリスマスイブのミサをしなければなりませんし、この第4主日は時にはほんの数日しかない時もあります。しかしこの第4主日のミサは待降節の頂点に立つものであって、その要点であって、その待降節の全てが凝縮されているものですので、是非その構図を見て、待降節とは一体何なのかを黙想する事を提案します。
その次に、私たちは残るこの数日をどうやって過ごすべきか、このクリスマスを来たる主日クリスマスをどうやって迎えるべきか、という具体的な遷善の決心を立てる事に致しましょう。
皆さんもよくご存知の通り、待降節の時に一番有名な3人の登場人物があります。
1人は預言者イザヤです。これは旧約の、主の来たる事を直接詳しく、「こうだ、こうだ、こうだ」と教えた人です。
第2は、主が来られたという事でその先駆者として送られた、イザヤの精神を持って先駆者として送られた洗者聖ヨハネです。
第3は、私たちにイエズス様を下さるこの直接の方マリア様です。
今日ミサにはこの3つの方が出てきます。
入祭誦を見て下さい。イザヤはあたかも教会の門の前に立って、まだ新約時代には入れないので、旧約時代であるので門の敷居に立って、ドアが開くか開かないかを待って、「さぁ、天よ、露を滴らせよ。雲よ、義人を降らせよ」と祈っています。
なぜ、「露を滴らせ」るのかというと、Cornelius a Lapideという有名な聖書の解釈によると教父によると、「4つの理由でそうだ」と言います。
「1つは、露というのは、その一体どこからその露が生じるのか分からない。それと同じように、天主様の御託身が一体どこからそうなるか、という事が一般の人には分からない。神秘の内にこの凝結されてこの露が生じるように、御託身も神秘の内に天主が人となったから、『露を滴らせよ』というこの『露』という言葉が非常に相応しい。」
「第2の理由は、露というのは、実は清い純粋な水蒸気の空気なのだけれども、霧よりももっと純粋な湿った空気なのだけれども、それが水となる。ところでマリア様は純粋で純粋で純粋で清らかな童貞女だけれども、それが母となった。これはちょうど露が生じたかのようだ。だから、『天よ、露を滴らせよ』と言うのは相応しい。」
「第3には、露というのは、とても甘美で、露がある所にはいつも湿り気があるので、多くの農産物ができて植物にとってとても良い。それと同じように、救い主が来られる御恵み、聖寵の御恵みというのも、聖寵の露のように優しく染み通って、多くの恵みを実りをもたらす。」
「第4の理由は、露というのは、一見するとピカピカと光って、丸くて、ダイヤモンドのような宝石のようだ。ところでイエズス・キリスト様が送られて来る、救い主が、天主が人となって救い主として送られてくるというのは、これは人類にとってダイヤモンドのようだ。ちょうど天主様と人類とが、救いの契約の契りを結んだ時の指輪に飾るダイヤモンドのようだ。だから『露』という言葉が相応しい」と言っています。
でもイザヤは教会の前で立って、「さぁ、早く義人を降らせよ」と言っていた人に過ぎません。
福音になると、既に洗者聖ヨハネが登場します。主の道を、すぐに来られる主の道を準備する為に送られた人です、先駆者です。
洗者聖ヨハネはちょうど、司祭がミサの前にこれからミサの前半が終わって、今からミサの聖変化をして、ミサの本当のいけにえが始まって、ミサの核心が始まる、というその直前にお説教をしますけれども、それと同じように、洗者聖ヨハネは教会の真ん中で説教台に立って、「さぁ、今から救い主がいけにえを捧げる。そのすぐ直前に、天主の子羊が、さぁこれをいけにえを捧げるその直前だ」という事で、「救い主がもう来た」という事で説教します。
何と説教をするかというと、罪の償いの為の悔悛の洗礼の説教をします、「主の道を整えよ、準備せよ。王はすぐもう間近に来られている。私はそのラッパ吹きだ。花婿を花嫁に連れて行くその役割をする仲人だ。さぁ、花嫁よ準備せよ。花婿は来た」と説教をします。
それからそのお説教が終わると、奉献“Offertorium”で、マリア様が御告げを受けた様子が語られます。大天使聖ガブリエルが、「めでたし、聖寵充ち満てる方。御身は女の内であなたは祝された方である」と。“Ave Gratia Plena.”
マリア様こそが、私たちをお恵みに於いて、「さぁ、いけにえの十字架の祭壇の方にいらっしゃい」と、「救い主はもうここに来ている」と教えて導いて下さいます。お恵みを与えようとしてマリア様が祈って下さっています。
ミサのいけにえが捧げられて、イエズス様は聖変化によって真に、本当に、私たちの前に現存されます。パンとブドウ酒のように見えますがしかし、真の天主の御体と御血が私たちの前に来られます。主は、私たちと共に在したのです。私たちは心から愛を込めて跪いて、主を礼拝致します。私たちは御聖体を拝領します。
もう主は本当に私たちと共に在すので、聖体拝領誦ではもう一度、イザヤの預言が引用されます、「主は、エンマヌエル“私たちと共に居られるだろう”と言われるだろう。」本当にこの預言が成就しているのです。
こうやって私たちはあたかも、マリア様の御告げを受けたその時と同じような状況で、今日、イエズス様を私たちの胸に、霊魂に、受けるのです。マリア様がちょうどご胎内にイエズス様をお運びしたように、私たちもイエズス様をこれから運んで、1週間を迎えようとします。そうする事によってクリスマスの日に私たちが、私たちの霊魂にもう一度生まれるイエズス様を準備するのです、よく受ける準備をするのです。
この第4主日のミサの構造はこうなっていて、待降節の凝縮があります。
人間の本性によればマリア様、童貞女マリア様からイエズス・キリスト様がお生まれになる、もうすぐお生まれになる。でもこのお生まれになるイエズス・キリストは、天主の本性によれば、永遠の御父の御子である。イエズス様は旧約聖書の間、何度も何度も、「どのようにやって来られるか」という事を約束されました。太祖たちはこれを喜びを以て待ち望んでいました。これが待降節です。
ダヴィドの部族から、肉に依って、時に於いて、イエズス・キリスト様は本当にお生まれになります。預言を全て1つ1つ成就させてお生まれになります。
天主の本性としては、永遠の天主の御子。しかし人となって、もうすぐ私たちの為に、私たちを贖う為に、私たちを罪の暗闇から解放する為に来られます。もうすぐあと数日で、天使たちはその喜びの為に歌を空で歌います。キリストの御誕生、御降誕を祝う歌声が空に響きます。教会もその時、特別のメロディーを以てクリスマスには御降誕の歌を歌います。ベトレヘムで、預言された通り救い主は、天主は人となって、人として私たちの為にお生まれになります。その時に全ての膝はかがめられて、この救い主を心から愛を以て礼拝しなければなりません。
人となった天主、天主が人となる、私たちの為に生まれて下さるその天主の愛は、私たちは全く想像を超えたものです、私たちにとって想像を超えたものです。
考えてもみて下さい。たとえアメリカの軍隊が、或いは中国の軍隊が、NATOの軍隊が何をしようとも、天使が1位あれば、そのような人間の武力もあっという間に粉々に蹴散らされてしまいます。このたった天使1位であってもそれほどの力を持っているのに、何千何万何億何兆、もう数を数えきれないほどの天使たちがイエズス様の前で跪いて、日々永遠に終わる事なく、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と讃美して従順に服従している、その王の王が、私たちを愛するがあまりに、私たちを天に導く為に、幼い子供となってもうすぐ来られるのです。私たちにその引き換えに天の喜びを与える為に。
もうすぐ教会はこのように発表します、宣言します、「世の創造の後から3199年の後、ノアの大洪水から2759年の後、アブラハムから2015年の後、モーゼがエジプトからイスラエルの民を脱出させて1510年の後に、ダヴィドが王となって1032年の後に、ダニエルの預言者ダニエルの預言によると65周年の後、ギリシャのオリンピックの第94回目、ローマの創立の752年の後、ローマ皇帝アウグストゥス・オクタヴィアーヌスの在位42年、全世界に地中海に平和が行き渡ったその時に、人類の歴史の第6の時期に、人類の全歴史の夕方、永遠の天主、天主の御父の御子、真の天主が、人類にその御自分の御訪問によって、御恵みによって聖化する為に、聖なるものとする為に、この地上に来られる事を望みになった。イエズス・キリストは聖霊によって童貞マリアの胎内に宿り、9ヶ月の後に、ユダ族のベトレヘムにおいて、童貞聖マリアからお生まれになる。」
ですから愛する兄弟の皆さん、どうぞ何も恐れないで下さい。主はすぐに私たちを救う為にやって来られます。司祭の入堂の時に私たちは聖歌を歌いました、「喜べ、主は来たり給う。喜べ、さぁ主は来たり給う。喜べ」主はすぐに来られます。皆さんはすぐにその主の栄光をご覧になるでしょう。
この世の邪悪と罪とを破壊して罪の赦しを与える為に、私たちの為に御自分をいけにえとして捧げる為に、主はお生まれになります。この主の到来は確実なものです。平和の王はその道を進めておられます。すぐ近くに来ています。先駆者がもう既に現れました。時は来ています。私たちの顔を上げて、その主の贖いが近いという事をどうぞ待望して下さい。
ちょうど御聖体拝領にもう既に歌うように、主は私たちと共におられます。
ではこの1週間、クリスマス主の御降誕を準備して、私たちは一体何をしなければならないでしょうか?2つ提案します。
1つは、私たちは洗者聖ヨハネのお説教を聞いて、悔悛の心を起こすという事です。今まで私たちは主が来る事を邪魔するような、その主の道に来るのを邪魔するような妨害物をたくさん置いていたのではないか。汚いものや嫌なものを、見苦しいものを置いてきたのではないか。主が通る為に道を開けて、広くしてきれいに直すべきではないか。祈りと犠牲の心をもって、主の心を私たちの心とすべきではないか。悔悛の心をぜひ持つように致しましょう。
第2は、これはクリスマスの私たちの長い伝統ですけれども、イエズス様に是非クリスマスのプレゼントを差し上げる事にしましょう。イエズス様が一番喜ぶプレゼントを、祈りとイエズス様の御旨に適う事をする、愛徳と、犠牲と、忍耐と、謙遜と、イエズス様に倣う特別の霊的なプレゼントを準備致しましょう。「イエズス様がいらっしゃるのでそのプレゼントに、私はこの従順を、この犠牲を、この辛い事をお捧げ致します。イエズス様も私を愛する為に、辛い寒いまぐさ桶で生まれて来られました。」
多くの人はイエズス様にプレゼントする事を考えるどころか、生まれる場所さえも与えませんでした。
「イエズス様、どうぞ私の心に生まれて下さい。心を大きく開いています、どうぞ来て下さい」と祈る事に致しましょう。
最後にマリア様に是非、イエズス様を私たちに下さるようにお祈り致しましょう。
“Videbit omnis caro salutare Dei. ”
「全ての人は、主の救いを見るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。