アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年12月23日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年12月23日(金)待降節の平日のミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2016年12月23日、待降節の第4主日と同じミサをしています。この御ミサが終わりましたら、明日の夜歌う朝課の練習を、30分ほど公教要理の代わりとしてしようと思っています。
「全ての人は、主の救いを見るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、あと数時間で、私たちの主イエズス・キリストが私たちの為に御降誕されるその喜びを祝いますけれども、その前に、私たちは主をますますよく受ける事ができますように、一体どなたが、一体何の為にいらっしゃるのかを一緒に黙想する事を提案したいと思います。
「天主様が、真の天主が真の人となった。これが私たちの主イエズス・キリストである。」
ここに真の宗教の核心が凝縮されています。御降誕のこの神秘は、この核心を私たちにより良く見せるものです。
真の宗教と、それに反対するものを反宗教だと言うとしたら、ここに「この真の天主が本当に人となった。私たちを愛するが為に人となった」という事に真の宗教の革新があるので、ここにこそ核心があるので、そのことを今日黙想致しましょう。
第1点は、「天主が人となった」という時の、この天主、真の天主というのは一体どういう方かを見なければなりません。
天主は、始めもなく、終わりもなく、無限の不変の存在で、変わる事のない存在であって、そして無限に幸せであって、無限の栄光に満ちておられる、聖父と聖子と聖霊の三位一体です。
始めもなく終わりもなく、ただこの無限に幸せの、完成された、もうこれ以上というものがない天主が、御自分の愛に満ちて、「自分の喜びを是非、他の者にも伝えたい」と、被造物を創る事を、御自分に似せた被造物を創る事を望まれました。そして知性と自由意思のある天使たちや人間を創る事をされました。
天主は人間を無から創造しました。それは人間を愛するが為であって、天主が非常に良い方であるからであって、私たち人間を天主と同じように幸せにする為でした。人間を創ったのは、私たちが人間が天主様の御助けによって、天主様の御憐れみによって、天主様の特別の力によって、天主の如くなる為でした。
そして私たちが永遠に幸せに、天主の如くなるというのは、非常に簡単な方法でなる事ができるように計らって下さいました。「善と悪の知識の木の実を食べてはならない。」ただそれだけでした。
しかし私たちの人祖は、アダムとエヴァは残念ながら、非常に不幸な事に、その天主の言葉を信ぜずに、疑って、そして天主に逆らい反逆して、敢えてその「してはいけない」という事をしてしまったのでした。
それにもかかわらず、その直後天主は私たちに、人類に罰を与えると同時に、地上の楽園から追放すると同時に、救い主を与える事をお約束されました。アダムとエヴァに服を着せて、御自分の御摂理によって保護を与えるという事のしるしとして、「救い主を与えるから、それを待つように」としました。
「救い主は、蛇の頭を踏む女から生まれた。」
人類が、天主の力なしには全く無力であって、天主の救いがどうしても必要だ、という事を自覚するまで待たなければなりませんでした。4000年間待たなければなりませんでした。
そして天主は、時が満ちて、本当に約束の通り、その必要がなかったにもかかわらず、憐れみと愛を以て、私たちの為に「人となろう」とされ、マリア様の御胎内に人となり、そしてクリスマスの日に、御降誕のその12月25日の真夜中に、マリア様からお生まれになりました。
私たちを愛するが為に、私たちをただ単に赦し、私たちの為に罪の償いを果たし、そして私たちを天主のように幸せにする為に、私たちに永遠の命を与える為に、人となられる事を御望みになりました。
その為に、私たちの罪を償うが為に、そのイエズス様の御生涯は、真の天主の御生涯は、その最初から、苦労と、苦難と、迫害と、貧困と、貧しさと、最初から最後まで、十字架と殉教の生涯でした。
イエズス様はそれをする義務はありませんでした。しなければならないという本能でもありませんでした。全く御自由に、人となって、私たちの罪の償いをする事を御望みになったのでした。
天主様が人間を無から創造した時に、天主は全く変わった事はありませんでした。ただ私たちは存在論的な変化がありました。何故かというと、無から有に変わったからです。天主様がイエズス様が人間となってお生まれになった時に、天主が人となった時に、天主は変わった事はありませんでした。天主は無限の不変の存在でした。ただ天主様が御自分の天主の本性を人間の本性と、イエズス様の天主の御言葉のペルソナにおいて結合させた時に、人間の本性が変わりました、存在論的に変わりました。人間の本性が今後、イエズス様を通して、天主と結合する事ができるようになりました。
これは無から有に、全く無かったものから有り始めたよりも、更に大きな変化、大変化でした。このような変化をイエズス様は私たちに与えようと、裏切って罪を犯した人類であるにもかかわらず、それを私たちに与えようとお望みになりました。
イエズス様こそが、イエズス様だけが唯一の、私たちを天主のようにする、私たちを真に永遠に幸せにする、天主の命を私たちに与える道です。イエズス様だけがそれへと続く真理です。イエズス様だけが私たちに本当の命を与える生命です。
イエズス様は仰いました、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らずに、誰も御父のもとに行く事はできない」と。またイエズス様は言いました、「永遠の命とは、唯一の天主御身を知り、御身の遣わしたイエズス・キリストを知る事である」と。
イエズス・キリストを通してのみ、初めて私たちは天主の命を得て、天主のように幸せになる事が、永遠に幸せになる事ができます。その道を示すが為に、イエズス様は私たちの為にお生まれになろうとします。明日の夜、真夜中にお生まれになります。これが私たちの信仰です。
この私たちの信仰は、反宗教が提示する偽りの知識とは全く別のものです。反宗教が私たちの真の宗教に対して、反対して提案する偽りの知識、偽の知識、嘘の知識というのは、蛇の昔人祖に与えた知識と同じです、「天主の言う事は信じるな、それは嘘だ。No!あなたたちはそれを食べても死なない。あなたたちはイエズス・キリストに従わなくても死なない。いや、むしろそうした方があなたたちの眼が開けるだろう。そうしてあなたたちは神々の如くなる、天主のようになる。だからそうした方が面白いよ、楽しいよ。その方がこの面白おかしく、自分の思い通りに生きる事ができるよ。」偽りの知識を、偽りの嘘の知識を、私たちに提示します。
反宗教は私たちに、イエズス・キリストではない、イエズス・キリストを通さない、イエズス・キリストという道・真理・命、以外のものを通して幸せになるように提案します。そしてそれを信じ込むように促します。
それが今世界で広がっているように、「あぁ、倫理・道徳などは場所と時によって変わるんだよ。だから昔はそうだったかも知れないけれども、今はこういう不倫もいいのだ。今はポルノのもいいのだ。今は時代が変わったから、これもいいのだ、あれもいいのだ。」「昔は天主を愛すると言ったけれども、今は自分を愛せばいいんだ。」「昔は天主のように、イエズス様を通して、掟を守って、天主のように天国に行って幸せになると言ったけれども、もはやそうではない。人間はみんな神だ。ただその事を知らないだけだ。神々のようになる事ができる秘密を教えてあげよう。」それがオカルトであったり、或いはNew Ageであったり、或いはその他いろいろな魔術であったり、占星術であったりします。
自分を愛するがあまり、天主をも軽蔑して、天主をも馬鹿にし、天主の言葉を信じない新しい知識を、古の蛇は私たちに今でも提案しようとします。これは昔に終わった話しではありません。今でもあります。
つい最近、何かニュースによると、日本では梅毒の患者が急増しているのだそうです。ちょうど黙示録に、「この世の終わりにはペストが広まる。多くの人々がペストで死ぬ」とありますけれども、まさに天主の掟を守らないところから来るペストが、人間の体を蝕んでいるように思われます。
アダムとエヴァは罪を犯して、蛇の言葉をまんまと信じてしまって、そして天主に逆らった時に、自分たちが全く守られていない、自分たちの無力、裸である事を感じました。
私たちは天主から守られていなければ一体何なのでしょうか?天主に逆らう事によって一体何を得る事ができるでしょうか?家族は崩壊し、社会は崩壊し、体は蝕まれ、私たちは全く無能であって、天主の助けがなければならない事を実感せざるを得ません。
数時間の後に、真の天主は人となって、私たちの為にお生まれになります。私たちへの巨大な愛を、無限の愛を以て人となられ、私たちの為に苦しむ為に、私たちの罪を償う為に、自ら進んで愛を以て人となって、貧しいまぐさ桶にくるまれようとされます。このイエズス様は私たちの信仰を、私たちにその真の救いに至る信仰を私たちに教えようと、動物の間で生まれようとされます。
願わくは、私たちがイエズス様の信仰を、真の宗教を、天主が人となり給うたその信仰を、いつも心に堅く信じている事ができますように。
そして、この世が提示するイエズス様の無い幸せ、イエズス様を通さない偽りの嘘の知識、そうして幸せなろうとする提案などを、私たちが「いや、そうではない。サタン退け!天主は人となって、苦しみを通して、十字架を通して、私たちが天国の道に行くことを教えてくれるから。」「私たちが食べなければならないのは、善と悪の知識の木の実ではなくて、十字架の命の、永遠の命の木の実だ。命の木から私たちは、十字架の木から真の実を取らなければならない。それは私たちの為に人となったパンであるイエズス・キリストであり、十字架のいけにえであるミサ聖祭であり、聖伝のミサである。そしてそれを私たちに真の信仰を与えて下さるマリア様だ」と言うことが出来ますように!
愛する兄弟の皆さん、この無限の愛である、人となったイエズス・キリスト様の愛の中に深く入る事に致しましょう。多くの人々がイエズス様を受け入れないかもしれません。少なくとも私たちがイエズス様を、私たちの貧しい宿に受け入れる事ができますように。
願わくは、このベトレヘムの動物たちのように、少なくともその息で、その体温で、イエズス様を温めて、イエズス様の傍にいる事ができますように。そして良いクリスマスを、聖なるクリスマスを迎える事ができますように、マリア様にお祈り致しましょう。
「全ての人は、主の救いを見るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。