Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2017年11月の東京での聖伝のミサの予定です SSPX JAPAN Traditional Latin Mass in Tokyo in November 2017

2017年11月02日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、 今日は死せる信者の記念の日です。いかがお過ごしでしょうか。 7年前の記事ですが「義認の教理に関する共同宣言」はペトロの座の信仰の転覆である フランスワ・レネー神父(Fr. François Laisney 聖ピオ十世会司祭)著の記事も、ルターの宗教革命500年について考えるうえでご参考にして下さい。 では、11月の東京での聖伝のミサの予定をご紹介いたします。



【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
    11月5日(主) 聖霊降臨後第22主日(2級)緑 
            午前09時 グレゴリオ聖歌の練習及び告解
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭
            午後02時 公教要理
            午後04時 主日の晩課(グレゴリオ聖歌)

22nd Sunday after Pentecost
 Introit • Score Video Mp3 Organist • Si iniquitates   Alternate
 Mode VIII psalm tone for Gradual & Alleluia (PDF)
 Gradual • Score Video Organist • Ecce quam bonum
 Alleluia • Score Video Mp3 Organist • Qui timent Dominum
 Offertory • Score Video Mp3 Organist • Recordare mei Domine
 Communion • Score Video Organist • Ego clamavi

    11月6日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前7時 ミサ聖祭

    11月12日(主) 聖霊降臨後第23主日(2級)緑   ←追加されました
            午前09時 グレゴリオ聖歌の練習及び告解
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭
            午後02時 公教要理
            午後04時 主日の晩課(グレゴリオ聖歌)

23rd Sunday after Pentecost
 Introit • Score Video Mp3 Organist • Dicit Dominus Ego cogito   (alt.)
 Mode VIII psalm tone for Gradual & Alleluia (PDF)
 Gradual • Score Video Organist • Liberasti nos Domine
 Alleluia • Score Video Organist • De profundis clamavi (Alleluia)
 Offertory • Score Video Organist • De profundis clamavi (Offertory)
 Communion • Score Video Mp3 Organist Color • Amen dico vobis quidquid

    11月19日(主) 聖霊降臨後第24主日(2級)緑(御公現後第6主日)
            午前09時 グレゴリオ聖歌の練習及び告解
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭
            午後02時 公教要理
            午後04時 主日の晩課(グレゴリオ聖歌)

24th Sunday after Pentecost
 Introit • Score Video Mp3 Organist • Dicit Dominus Ego cogito   (alt.)
 Mode VIII psalm tone for Gradual & Alleluia (PDF)
 Gradual • Score Video Organist • Liberasti nos Domine
 Alleluia • Score Video Organist • De profundis clamavi (Alleluia)
 Offertory • Score Video Organist • De profundis clamavi (Offertory)
 Communion • Score Video Mp3 Organist Color • Amen dico vobis quidquid

    11月20日(月) 証聖者ヴァロワの聖フェリクス(3級祝日)白
            午前7時 ミサ聖祭


私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ その4 メデュゴリエの出現のメッセージを考察する

2017年11月02日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちはファチマの御出現の時に確認した最後のポイント「メッセージについて」をメデュゴリエの出現に適応してみましょう。

13 メッセージ

 ゴスパのメッセージには、異端的なエキュメニスムがあります。ゴスパは宗教相対主義と宗教無差別という全く新しい教えを説きます。幻視者によって何度も何度も言われたこのテーマを、順序を追って並べてみましょう。これらの教えには、論理的なつながりがあり、幻視者らの個人的な神学の知識を明らかに超越しています。

1)唯一の天主しか存在しない。天主には分裂がない。天主は全ての人々の天主である。彼は、人を全く差別しない。

2)多くの宗教の間の違いによって出来た分裂を作ったのは天主ではなく、人々、人間たちである。この地上で、信者たちが互いに分かれ別れになって、様々な宗教を作った。天主は唯一であるから、これらの多くの宗教は人間たちの作り事でしかあり得ない。様々な宗教を作ったのは人々である。

3)この地上での分裂は、全く人間臭く、天主はその作者ではなく、天主はこれを忌み嫌う。天主の目にとっても、ゴスパの目にとっても、意味をなさない。ゴスパの口から絶えずこの表現が聞かれる。「天主にとって、天主の目には」「あなた達人間にとって、この世界にいる地上のあなた達にとって」と。言い換えると、私たちを区別し、私たちをこの地上で互いに離ればなれにする宗教の境界というのは、天主にまでは遡らない。

4)従って、「天主にとって、全ての宗教は等しく、同じようなものである」(1981年10月1日)天主は全ての宗教を全く等しい善意で考えている。天主はそれらの違いを無視する。カトリックの宗教と、ギリシア正教とについて、ゴスパはこう宣言する。「私の目と、天主の目とには、全ては等しいのです。」(1982年8月18日)天主の前において、この2つの宗教のメンバーは等しい。彼らは全て、同じ資格で、ゴスパの子供であり、天主の子供である。

5)天主は全ての宗教を、一人の王がその家臣を指導するように、様々な宗教の牧者、役員を通して指導する。

6)そのために、全ての宗教は救いの手段である。人々は自分の宗教をまじめに実践するなら、その宗教によって、どの様な宗教でも救われる。

7)カトリック信者は全ての宗教を尊敬しなければならない。これは信仰に基づいた重要な義務である。他人の宗教、あるいは他人の持つ個人的な確信を尊敬しない人は、キリスト信者ではない。他人をその信念の故に軽蔑してはならない。「イスラム教の兄弟、ギリシア正教の兄弟、あなた達を統治している無神論者を、尊敬し愛する」義務がある。「宗教の一致の欠如」というのは悪である。サタンによって作られた分裂である。それを治すようにしなければならない。(ロランタンp226参照)

 私たちはこれに答えてこう言いましょう。ゴスパはカトリックの教える真理を良く知らず、軽蔑し、踏みにじっています。

1)についてはこう言いましょう。確かに、ただ唯一の天主しか存在しません。それは、聖三位一体であって、聖父と聖子と聖霊との唯一の天主、全能の創造主、救い主、人間の最高の審判者であり、報償者、全ての人々の救いを望む天主です。

 しかし、正にこの「唯一の天主しか存在しない」、と言う真理は、唯一の真理しか存在しない、ということを意味します。いかなる矛盾も対立も許容することの出来ない唯一の啓示が存在します。真理なる天主であるイエズス・キリストがなした啓示が存在します。この唯一の天主は、人となって、自らの口から、私たちに教えを垂れました。この人となった唯一の天主は、私たち人間を救うために、真の天主について、聖三位一体の天主について教えを垂れました。道、真理、命である天主なるイエズス・キリストは、私たちに聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を受けなければ救われないことを教えられました。このご自分の教えられた真理と、ご自分の立てられた7つの秘蹟が世の終わりまで続くように、唯一の真の天主を信じる真の宗教が世の終わりまで継続するように、一、聖、公、使徒継承の教会、ご自分の神秘体であり、ご自分の染みも汚れもない花嫁である教会を、聖ペトロの上に立てました。

 天主は人をだれも差別しません。何故なら、誰でも差別無くこの聖なる信仰、唯一の真の天主を礼拝し、信じるようにと招くからです。天主は、ご自分の開いた啓示を信じるように民族の区別もなく血筋の区別もなく、全ての民を、遍く招いておられます。天主は、唯一の救いの箱船であるローマ・カトリック教会から誰かを、あらかじめ、前もって排除しようなどという、偏見も差別もなさいません。

 全ての人々は、洗礼を受けることによってこの救いの箱船に入ることが出来ます。全ての人々は、差別無く、超自然の命に再び生まれ、天主の子となり、聖母マリア様の子となり、キリストの兄弟、聖霊の神殿になるようにと、招かれています。しかし、そのためには、イエズス・キリストを信じ、彼に従い、彼が、聖ペトロの上に立てた教会に入らなければなりません。

 イエズス・キリストは、「私は道、真理、命である。私を通らなければ誰も父のもとには行けない。」と言われました。しかし、ゴスパは、イエズス・キリストが唯一の道、真理、命であることを一度も言いません。ゴスパはこうして、唯一の啓示のこと、この啓示が誤ることなく教会によって私たちに仕えられていること、などについて、何も語らないと言う形で、暗黙のうちに実際的に否定しています。

2)こうして、唯一の教会によって伝えられている啓示について否定した後、ゴスパは、カトリック教会が、イエズス・キリストによって立てられ、御父によって望まれていること、カトリック教会だけが、イエズス・キリストの真の犠牲を完璧に保有すること、全ての真理を保有すること、聖霊がカトリック教会を指導していること、を否定するようです。ゴスパは、カトリック教会だけによって、聖霊が働くことを否定しているようです。聖三位一体によって、カトリック教会が、全ての人々を救うべき、唯一の、必要な、不変の手段として望まれていることを、ゴスパは否定するようです。

 この地上の分裂は人々が作りました。それは確かなことです。しかし、全ての人々が同様にその罪があるのではありません。この分裂は、天主に従おうとしない人々のせいです。この分裂の原因は、唯一の完全な天主の啓示をうち捨てることをあえて選んだ異端者たち、真の天主の建てた教会であるカトリック教会に入ることを拒む人々、天主の教会に自分の利益のために逆らい、対立し、攻撃し、犯罪的に分離し、この教会の他に、この教会と対立する別の諸宗教を作る人々、これらの人々のせいです。

 しかし、ゴスパは、イエズス・キリストに忠実にとどまった人々にも分裂の罪を押しつけようとします。

3)宗教の壁が天主までは至らないと言うのは誤りです。事実はその反対です。天主御父の目にとって、天主の子羊のいとも尊き御血によって塗られた霊魂は、エジプトを脱出しようとしたイスラエルの子らのかまちに塗られた子羊の血よりも雄弁です。天主の聖子の神秘体である聖なるカトリック教会に属するほど、救いに役立つことが他にあるでしょうか。「信じて洗礼を受けるものは救われ、信じないものは滅ぼされるでしょう。」(マルコ16:15)

4)「全ての宗教は天主の目にとって等しい」と言うことほど、躓きを与え、天主を冒涜するものはありません。しかも、ゴスパは、カトリック教会と、ギリシア正教会と、イスラムを全く同等に扱っています。ゴスパによれば、カトリックであるのも、離教者であるのも等しいと言うことです。ゴスパによれば、天主三位一体を信じ、イエズス・キリストを真の天主かつ救世主と信じることと、聖子の真理を否定し、頑固にも汚すこととが等しいことと言います。キリストの建てた教会によって、天主から罪の赦しを受け、天主の命をいただくことと、いかなる聖寵を私たちに伝えることの出来ない、力のない、或る「予言者」の弟子となることとが同じことなのですか???

 ゴスパによって、天主の十戒の第一戒は、踏みにじられ、無視されています。

 もしも、全ての宗教が同じだったら、全ての宗教は、等しく、必然的に、偽りでなければなりません。そうなら、もはや天主の建てた教会はないことになるでしょう。もしそうなら、一、聖、公なる、使徒継承の、天主の建てた教会は、存在しないことになってしまいます。人となった天主の御独り子、イエズス・キリストの唯一の花嫁、汚れ無き、完璧で、聖なる教会が否定されてしまいます。すなわち、これは、「カトリック教会の存在を知りつつ、この唯一の救いの箱船に入ることを拒むものにとって、永遠の滅びしかない」と言う教会の教義を否定することです。

 更に、ゴスパの言うことは、全ての人々は、自分の宗教が、あるいは無宗教がどの様なものであれ、天主の目と、天主の御母の目にとって等しいと言うことです。しかし、天主に対立し、悪魔の側についた人々、天主を軽蔑するまで自分を愛しサタンの側につこうと決意した人々、真の教会を知りつつあくまでそれに入ることを拒み、それを攻撃する人々、彼らは、「悪魔の子ら」(ヨハネ8:42-44)であって、罪の汚れ無き聖母の子ではありません。

5)天主が全ての宗教を、等しくその「牧者」たちによって指導しているなどと言うこと自体、常軌を脱しています。ゴスパは全ての宗教の頭たちに、人間の作った全ての団体に、天主の権威を不当にも与えています。ユダヤのラビにも、イスラムの狂信的な指導者にも、チベットのラマたちにも、仏教の僧侶にも、プロテスタントの様々な分派の牧師らにも、英国聖公会の指導者たちにも、神道の神主にも、アフリカの悪魔教の指導者たちにも、オウム真理教の指導者たちにも、全ての淫祠邪教の指導者たちに、彼らはいかなる能動的な司祭職、秘蹟による司祭職を受けていないにも拘わらず、イエズス・キリストの代理者、そして、使徒たちの後継者としての高みにまで揚げるのです!

 いや、実に、このことは、同時に、唯一の正統的な真の天主の牧者たちを、罪深く卑しめることに等しいことです。キリストの「あなた達の言うことを聞く人は、私の言うことを聞く。あなた達をうち捨てる人は、私をうち捨てる、あなた達をうち捨てる人は、私を使わされた方をうち捨てる」という御言葉、また「まことに私はあなた達に言う。あなた達が地上で繋ぐものは天でも繋がれ、地上で解くものは天でも解かれる」と言う御言葉は、キリストの使徒たちの正統な後継者たちに与えられたのです。カトリック教会の正統な牧者だけが、天主の権威を与えられているのです。カトリックの正統な牧者たちだけが、天主の羊の群を牧する権能と権威を持っているのです。

6)どの様な宗教でもいいから熱心に実践すれば救われる、というのは、全く劣悪な誤謬です。もしそれが本当なら、何故使徒たちは命がけでイエズス・キリストの御名を宣教したのでしょうか。何故、聖フランシスコ・ザビエルは、今から450年前に全てを捨てて、東洋の野蛮な人々のところまで来たのでしょうか。もしも、どの様な宗教でもいいから熱心に実践すれば救われる、というのならば、アジアの人々が、自分たちの淫祠邪教に熱心に従って、淫祠邪教の教えの通り人身御供を捧げ、呪いを掛け合い、憎しみ合い、魔術を掛け合い、殺し合い、敵討ちをし合っていれば救われたのではなかったでしょうか?

 ゴスパの言葉は明らかに、汚れ無き聖母、天主の御母聖マリアの御口から発したものではありません。聖母マリアは教会の輝かしき最も素晴らしいメンバーであって、唯一の教会と分かち難く結ばれておられます。聖母は、全ての人々がこの教会のメンバーになり、ご自分の子となり、イエズス・キリストの兄弟となることを、取り次ぎ給います。聖母マリアは、イエズス・キリストの共贖者であり、天と地の元后です。その聖母マリアが、天主の真理を冒涜するようなことを話し給うはずがありません。

 ファチマでは聖母は、全ての人々がなるべく多く教会に立ち戻るように、信仰を持つように、祈りと犠牲を捧げるようにと招かれました。「かわいそうな罪人たちのために」多くの祈りと犠牲を捧げることを要求されました。

 ファチマの聖母に先立つ天使の出現では、子供たちに「私は御身を信じ、礼拝し、希望し、愛します。」そして、天主を「信じない人、礼拝しない人、希望しない人、愛さない人のために赦しを願います」と言う祈りを教えました。

 ファチマのメッセージの核心は明らかです。真の信仰、真の天主の礼拝、真の天主への希望、真の天主への愛です。ロシアのなした、公式な立法化された天主への挑戦、すなわち無神論を償うために、聖母はギリシア正教会の指導者には何も要求しませんでした。離教の位階制度は何をやっても聖母の目にとって、天主の目にとって、公式に天主をなだめる力を持たないからです。聖母は、彼らの代わりに「教皇とカトリックの世界中の司教たちが」ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することを要求されたのでした。

 メデュゴリエのゴスパは、その反対に、罪にとらわれ、離教と異端にとらわれたかわいそうな霊魂たちが真の宗教に回心する恵みを勝ち取るために、償いをすることを語りません。ゴスパは、イスラム教徒や無神論者、異教徒らが、真の天主を知ることが出来るように、特別の恵みを得るように、償いをしなさいとは言いません。いや、かえってそれらの誤謬に熱心に留まれというのです!

 ゴスパはある時一人のイスラム教徒の女性に現れ、「彼女の敬虔は、全ての人々の模範である」と褒め称えるだけでした。1988年にはシヴィリッチ神父P. Sivricはこう書いています。「ギリシア正教会とイスラム教徒のかなりの人々がメデュゴリエを訪問しました。私たちの知る限り、その後にカトリック教会に入った人は一人もいません。」ゴスパによれば、この回心は必要など無いのです。ゴスパによれば、自分の宗教の中で、一人一人その宗教を深めればそれでよいのです。

7)カトリック信者には、使徒となり、宣教師となり、イエズス・キリストを知らない人々に私たちの主を知らせ、福音を知らせ、聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を授けよと言う代わりに、ゴスパは、全ての宗教を尊敬せよと言います。そして、他の宗教の人々の改宗を勧めることを論外におきます。ゴスパにとって、キリスト者の第一の義務、主要な義務は、全ての宗教をカトリックと同じものとして尊敬することです。ゴスパは言います。「もしあなた達がその他の宗教、イスラム教、ギリシア正教を尊敬しなければ、あなた達は信じていません。もしあなた達がこれらの宗教を尊敬しなければ、あなた達はキリスト者ではありません。」ゴスパの言葉は、これに関しては厳しいものがあります。ゴスパの言葉が厳しければ厳しいほど、この言葉は危険であり、誤謬に満ちています。

 もしカトリック信者がイエズス・キリストを知れば知るほど、主を愛すれば愛するほど、イエズス・キリストがその御血を流して贖おうとした霊魂の救いを望むものです。イエズス・キリストが啓示し、カトリック教会が忠実にその遺産を保っている真理を愛すれば愛するほど、誤謬を忌み憎むものです。天主を愛するが為に、隣人を愛すれば愛するほど、人間の作った誤謬を忌み憎むものです。我が隣人が真理に至ることを望むものです。そして、偽りの宗教によって不幸にも闇の中にとどまる、哀れな霊魂らのために、この誤謬と、嘘と、偏見とを憎むものです。

 ゴスパの言葉、「その他の宗教を尊敬しなさい」や「諸宗教の一致が欠如している」というのは、全くフリーメーソンの汚いスローガンに他なりません。このような言葉は、サタンからのものとしか考えられません。天主からの使者は、常に真理を愛し、偽りを憎めと語りました。他の宗教を信じている人々と、他の宗教それ自体とは区別すべきです。人は憐れんでも、罪や嘘は憎まねばなりません。ゴスパは、その他の宗教それ自体を尊敬せよと言うのです。

 エリアは偽りの神バアルの司祭を、カルメル山の上で皆殺しにしました。天主の使者は、“世のはじめから人殺しであり、うそつきの父である「闇の君主」の支配”から人々を解放しようと努力します。

 天主の聖子イエズス・キリストは、ファリザイ人の偽善に対してどれ程残酷な呪いをかけたことでしょうか!初代教会の使徒たちは、教会を引き裂く異端に対して厳しく戦いました。異端を異端として排斥しました。殉教者聖イレネオから、聖フランシスコ・ザベリオ、聖ピオ十世、聖マクシミリアノ・コルベに至るまで、全ての聖なる証聖者、殉教者は、真理を愛し、偽りの憎みました。

 しかし、メデュゴリエのゴスパの態度はこれらとは全く反対です。

 もし、メデュゴリエの全ての幻視者たちが、ルルドの聖ベルナデッタのようであり、ファチマのヤシンタやフランシスコのようであったとしても、ゴスパのものとされる言葉は、明らかに悪魔からのものです。汚れ無き童貞聖母が、このようなイエズス・キリストの立てた唯一の真の宗教を破壊させるような危険な誤謬を言うはずがないからです。聖母は、信仰の砦、ご自分で全ての異端を滅ぼされた方です。この教義上の正しさは、私的啓示を判断する上で絶対のものです。

 アビラの聖テレジアはこう言っていました。「このただ一つの印だけで、悪しき霊の邪悪さが明らかにされますので、たとえ全世界がこれを天主の霊からのものだと言ったとしても、私はそれを信じません。」

聖母の汚れなき御心に対する信心

 ファチマでは、聖母はその秘密の中でご自分のご要求を提示されました。「天主はこの世界に、私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」そして、そのために、この目的を果たすために、天主は、手段として、教皇様が五つの初土曜日の償いの信心を承認し、激励することをお望みになりました。天主は、また更に、教皇がロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することをお望みになりました。ファチマのシスタールチアは、これらのご要求は今でも緊急になされなければならないこと、このことがかつて無く緊急であることを断言しています。しかし、ゴスパは、ファチマでの要求を全く無視しています。

 天主は、何故、聖母の汚れなき御心への信心を確立することをお望みなのでしょうか?それは、聖母が全ての聖寵の仲介者であるという真理をますます知らせ、聖母を敬わせることをお望みだからです。

 しかし、ゴスパは、この真理に矛盾することを言います。ゴスパは、汚れ無き聖母の特権とその属性を減少させ、低めさせるようなことを何度も何度もいい繰り返します。ゴスパは、ことある毎に自分の力の狭い限界のことを語ります。ゴスパはその代わりに、その他の宗教の「牧者」、カリスマ刷新運動をする「牧者」の「力」のすごさを強調します。

 例えば、「私はあなた達を癒すことが出来ません。天主のみが癒すことが出来ます。祈りなさい。私はあなた達と祈りましょう。固く信じなさい。断食をしなさい。犠牲をしなさい。私にそれが出来る範囲で、あなた達を助けましょう。天主があなた達全ての助けに来ます。私は天主ではありません。私はあなた達の祈りと犠牲が必要です。」(Svetozar Kraljevic, "Les apparitons de Medjugorije. Recit, temoignages", ed. Fayard, 1984, p86)

 1982年2月8日には、ある病気に人について、「彼は祈らねばなりません。私は私の力の範囲で彼を助けましょう。」翌日にも「全ての病人のために祈りなさい。固く信じなさい。私は、私の力の範囲で助けに来ましょう。私は、我が子イエズスに、彼らを助けて下さるように願いましょう。」(ヴィッカの第3の日記)

 1982年8月31日ゴスパは次のように宣言しました。「私は全ての聖寵を自由に使えるわけではありません[ソノママ!!!]。私は天主から、私が祈りによって得るものを受けるのです。天主は私に全く信頼しています。私は特に私に聖別された者たちを保護します。大いなる印は与えられます。それは、人々の回心の後に直ぐに現れるでしょう。」(Rene Laurentin et Rene Lejeune, "Message et pedagogie de Marie a Medjugorije, corpus chronologique des messages", (以下CCM), O.E.I.L., 1988. p181)

 1982年9月4日ヴラシッチ師はこのメッセージを記録しています。「イエズスは、ある仲介者と通すよりも、あなた達が直接に彼(イエズス)に呼びかけることをより好みます。しかし、もしあなた達が天主に全て自分を捧げたいなら、そしてもしあなた達が私がその保護者であって欲しいと望むなら、私にあなた達の意向、断食、犠牲を委ねなさい。それは、私がそれらを天主のみ旨に従って使うことが出来るようにするためです。」(CCM, pl81)

 また別の日には、ある司祭が聖母に「聖母に祈るのと、イエズスに祈るのとどちらを好みますか」ということを尋ねました。ゴスパはこう答えました。「私はあなたにお願いします。イエズスに祈りなさい。私は彼の母で、あなたのために彼に取り次ぎます。全ての祈りはイエズスに行きます。私は助け、祈りましょう。しかし、全ては私だけにかかっているのではありません。あなたの力、祈る人々の力にもかかっています。」(CCM, p.278)

 ゴスパは、こうして聖ヨハネ・ユード、聖グリニョン・ド・モンフォール、聖アルフォンソ・デ・リグオリ、聖マクシミリアノ・コルベらのマリア様の使徒が教えた教えを否定します。そして、聖母ご自身が、リュ・ド・バックやファチマに現れて教えた教え、すなわち「聖母だけが私たちを助けることが出来る」という教えを否定します。

初土曜日の信心

 初土曜日の信心についても、ゴスパはこの驚く答えをなしています。時は1982年8月6日です。「ここでは私はまだそのことについて話しませんでした。私は、頻繁な告解に人々を招きました。私は現代のためにまだ幾つか具体的なメッセージをあなた達に与えるでしょう。[では、ファチマのメッセージは時代遅れの、抽象的なメッセージだったのでしょうか?]忍耐強くありなさい。時はまだ来ていません。[と言うことは、何か新しいメッセージがあるようだ]・・・私が[メデュゴリエで!]既に言ったことをしなさい。西洋にとっては、毎月の告解が薬となるでしょう。」(CCM, p179)

 私たちは、初土曜日の償いの信心こそが、ロシアの回心を勝ち取るために聖母が要求された2つのご要求のうちの一つであることを知っています。ロシアの回心のためのもう一つのご要求は、教皇様がロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することでした。それを知っている私たちにとって、ゴスパの言い方は全く驚くべきです。しかも、メデュゴリエでの三千回以上の出現のうち、ゴスパはまだロシアを聖母も汚れなき御心に奉献することを語っていません。

 ファチマの聖母のことを全く無視するゴスパは、その反対に極めて厳しいことを要求します。残酷でさえもあります。1983年5月25日、ゴスパはヘレナとミリヤナによって作られた祈りのグループのメンバーらに「1週間に2回、パンと水で断食すること」「毎日少なくとも3時間祈りに使うこと」を求めます。しかし、彼女たちは二人とも当時11歳でした!

 2ヶ月後には、モスタールの司教様の反対が強くなり、ゴスパはこう言います。「・・・司教の意向で、毎週2日断食をしなさい。もし必要があれば、私は3日目を要求しに来るでしょう。」(CCM, p199)

 実際、1983年11月16日にゴスパは「司教のために1週間3日断食しなさい」と要求しました。4月24日には1日に4時間祈ることを要求しています。何故、年端もいかない子供たちに、健康な修道者がやるようなことを求めるのでしょうか?教会の異端史を見ますと、昔から、異端者は無茶な断食や、長い祈りを好んでし、またその反対に新しい教義を発明したり、道徳生活は乱れていました。

 ファチマのルチアは私たちの主からのメッセージを受けてこう言っています。イエズスの望まれる犠牲は、メデュゴリエのゴスパの要求とは正反対です。

「各自から望む犠牲は、自分の固有の義務を果たすこと、掟を守ること、これが私が要求し、私が今求める償いである。」

 シスター・ルチアは既にこう語っていました。「私たちの主は、この道を明らかに霊魂たちに知らせることをお望みです。何故なら、多くはこの「償い」という言葉に、あまりにも厳格な意味を与え、もし霊魂がこのために力も寛大さも感じないときには、力を落とし、やる気を失ってしまい、冷淡と罪にと行くがままになってしまうからです。」

 事実、ロランタン師の告白によれば、ゴスパの要求によってこのことは既に起こり始めています。(CCM, p30-31)

 ファリシー(Faricy)師は、1983年1月10日にミリヤナとヴラシッチ師とがした対談を、出版しました。この対談の内容は録音されてもいます。

 ところで、この最中に、トミスラヴ・ヴラシッチ師に「聖母は多くの人たちが現代地獄に行くと言いましたか」と尋ねられ、ミリヤナはファチマの幼きヤシンタのように答えたでしょうか。

 ファチマのヤシンタは言いました。「地獄に霊魂たちが落ちないようにたくさん祈らなければなりません。あそこに落ち行く人はあんなにも多いのです。あんなにも多いのです!」と。

 更に、ファチマのシスタールチアは、或る神学生への手紙の中で、こう言いました。「現代忘れられていますので、良く思い出す必要のある真理です。それは、地獄には霊魂たちが嵐のように落ちていることです。」

 ミリヤナの答えは、ファチマの牧童の答えとは全く違っていました。ミリヤナはこう言います。

「私は最近ゴスパにその質問をしました。彼女は、今日ほとんどの人々は煉獄に行くと言いました。」

つまり、地獄に行く霊魂はほとんど無いと言うことです。

ヴラシッチ師「あなたは天国に行く条件は何かと尋ねましたか?」

ミリヤナ「いいえ、私はその条件を尋ねませんでしたが、想像することが出来ます。つまり、天主は偉大な信心家[ソノママ]を探しているのではなく、ただ自分の信仰を遵守する人たち[ミリヤナはその後直ぐにこう説明します。「自分の信仰」とは、カトリック、ギリシア正教、イスラム、その他の信仰のことですと]、そして、悪地も不誠実さもなく平和に生きる人を求めています。」

ヴラシッチ「それはあなたの理解ですね。」

ミリヤナ「はい、でもゴスパと話した後[聖母の出現をおよそ540回も受けた後に!ミリヤナはこの会話の直ぐ最初でこう強調しています。「私は聖母とあれ以来今まで18ヶ月共にいます。私は彼女の非常に近くにいます。私は自分の望むことを彼女に尋ねることが出来ます。私は天国、地獄、煉獄について色々な質問をしました。云々」]で、私はこの結論に到達したと言うことが出来ます。つまり、奇跡や大いなる苦行をする必要はなく、ただ単純で平和な生活を送るだけで充分だと言うことです。」

 地獄を避けて天国を行く、と言うこの人生で最も重要な問題について、メデュゴリエの幻視者は、フリーメーソンでも答えそうなことを、どこの淫祠邪教の神主でも諸手をあげて言いそうなことを、平気で答えています。しかも、この答え方は陰険です。人を欺くものです。一体どこの誰が、奇跡をしたり、大いなる苦行をしなければならないなどと言ったでしょうか。そんなことを言ったものは誰もいないのです。このような答えによって、本当のカトリック信者が答えるべき回答を忘れさせています。つまり、もし、洗礼によって(秘蹟の洗礼、血の洗礼、或いは望みの洗礼によって)キリストの教会のメンバーになっていなかったなら、そして、成聖の聖寵の状態において死なないなら、誰一人として天国には行けない、と言う真理です。

 ミリヤナの答えにはこれら全てが全くありません。ミリヤナは天主教の真理を、唯一の『人類教』の教えによって掃き捨てています。誠実な人はユダヤ人でしょうと、プロテスタントでしょうと、イスラム教徒でしょうと、フリーメーソンでしょうと、マルクス・レーニン主義の共産主義者でしょうと、自分の「信仰」に忠実なら、「平和に生きる」なら 安心して高枕で寝ることが出来ると教えているのです。「自分の信仰を遵守する人たち、そして、悪地も不誠実さもなく平和に生きる人」は、幸いなるかな、天国は彼らのものである、と言っているのです。

 彼らは、メデュゴリエの天国行きのフリーチケットを持っています。メデュゴリエの天国がどんなに陳腐なものかは、ヴィッカやヤコブが既にそれを見ています。

 メデュゴリエのトミスラヴ師とアグネスAgnes Heupelとは、メデュゴリエのメッセージに基づいて共同体を作っていましたが、1988年3月17日、そのグループが私的な約束を天主にしたとき、ゴスパはそのメッセージの中でこう言いました。「愛は、全地と煉獄とついには地獄さえも包み込まなければなりません!」トミスラヴは、メデュゴリエのゴスパの啓示に従って、こう説明する「実に、サタンは愛によってしか破壊されないのです。」メデュゴリエによると、地獄でさえも「愛によって包み込まれ」サタンでさえもこの愛によって「崩壊され」ると言うのです。

 昔、オリゲネスは「地獄は決定的なものではなく、地獄に落ちたものは、地獄で身のためになる罰を受けるがそれは永遠ではない。全ての人は最後には天主に赦され、天国に行く」と言う異端を唱えていました。メデュゴリエでは、昔のオリゲネスの異端の臭いがします。

 ファチマの聖母は、1917年7月13日に、もし聖母の汚れなき御心への信心を地上に確立するための要求が叶えられないときには、ロシアがその誤謬を全世界に広げ、戦争と、教会に対する迫害とを引き起こすだろうと預言しました。実にその3ヶ月後には、10月革命が起こっています。第二次世界大戦も、預言通りに起こりました。そして、戦争と迫害の後には必ず共産主義が広がりました。ファチマの聖母は私たちにこの危険を知り、それを防ぐように励まします。

 しかし、ファチマの聖母とメデュゴリエのゴスパとの間には対立があります。1981年10月のゴスパのメッセージによると、「あなた達は戦争も、悪も、天罰も考えないようにしなさい。もしあなた達が悪や、戦争や、天罰を考えますと、あなた達はそれらに会う道にいることになるのですから。あなた達の役割は、天主の平和を受け、それを生き、それを広めることです。」(CCM, p285-286)

 1983年、ヨハネ・パウロ二世教皇様が非常に真剣に、ファチマの聖母の要求に応えてロシアを汚れなき御心に奉献しようと言うことを考えていたとき、ゴスパは1983年9月16日にヘレナを通して教皇宛にメッセージを伝達しました。それによると、ゴスパは教皇にこう言っています。

「私のいろいろなメッセージの中で、私は全ての人々と、特に教皇聖下に、ここメデュゴリエで私が私の聖子から受けたメッセージを広げることを勧めます。私は、教皇に、私がそれとともにここに来た一つの言葉を委ねます。MIR平和、教皇はこれを全てのところに広げなければなりません。特別に教皇に宛てられたメッセージはこれです。彼が、キリスト教の民を自分の言葉と説教で一致させること。彼が、天主が祈りのうちに彼に息吹くとき、聖父から受けたメッセージを、特に若者の間に、広げますように。」(CCM, p195)

信仰の喪失という現代最大の危機

 ファチマの聖母はその第3の秘密の中で、教会を1960年から揺さぶるであろう恐るべき信仰の危機のことについて預言します。しかし、メデュゴリエのゴスパは、この信仰の危機について全く無視し、かえって反対に、カトリックの信仰を崩壊させるべく、全ての宗教が等しいことを説教してやみません。

「メデュゴリエで告げられた印と、ファチマの第3の秘密との相似関係について尋ねられて、ヘレナはこう答えました。『そのことについては、ゴスパは私たちにこう言いました。“何も恐れないで下さい。あなたの人生の背後にあることを忘れなければなりません。私はただ、今後あなた達が新しい人であることを望むだけです。私があなた達の近くにいるとき、何も恐れてはなりません。私はあなた達を愛しています。”』」(CCM, p278)

 つまり、メデュゴリエのゴスパは、「ファチマの第3の秘密など、もう関係ない、心配するな、ファチマのことなどはとっくの昔に終わったことだ」と言うのです。ファチマの聖母がした、教会の未来についての予言、教会を襲いかかるサタンの罠、カトリック信仰の喪失についてのメッセージを忘れさせるために、しかもよりよく忘れさせるために、ゴスパは別の預言をします。

 1982年4月14日、サタンがミリヤナに現れたとき、直ぐにゴスパは現れ、こう言います。

「こんなことをして[ソノママ]ごめんなさい、でも、あなたはサタンが存在することを知らなければなりません。ある日、サタンは天主の玉座の前に出て、ある期間の間教会を試す許可を求めました。天主は、1世紀の間教会を試みる許可を与えました。今世紀は、悪魔の権能のもとにある世紀です。しかし、あなたに委ねられた秘密が実現するとき、サタンの力は壊されるでしょう。」(このことは、トマスラヴ・ヴィラシッチ師が、1983年12月2日付で教皇宛に出した手紙の中にも載せられています。ロランタンp273参照)

 このゴスパの言葉には、確かにサタンの支配ということが言われています。しかし、このメッセージを注意深く読みますと、教会とその世界がそのために苦しんでいるその原因については一言も触れられていないことが分かります。すなわち、革命的イデオロギーの誤謬と、背教の危険という2つの原因についてです。

 ゴスパが告発するのは、「悪魔は反抗的になって攻撃を開始しました。結婚を崩壊し、司祭の間に分裂を引き起こし、人々に憑き、殺人を起こさせています。」(ロランタンp274)ということだけです。本当に、それだけか?そう、ゴスパはそれだけしか語りません。

 ミリヤナはヴラシッチ師との対話の中でこう聞かれています。「今日、悪魔は一体何において特に攻撃的なのですか。ゴスパはあなたに悪魔が誰によって、また何によって最も自分を表すと言ったのですか。」この質問は、悪魔にとりつかれている現代にとって非常に興味深いものです。悪魔は誤謬によって、あるいは異端によって、あるいはお金のコントロールによって自分を表すのでしょうか??? この質問に、ミリヤナはこう答えます。

「特に、バランスのとれていない人々によって、内的に分裂した人々によって、引き裂かれた人々によってです。」何というグロテスクな答えだろうか!

 ゴスパは分裂は悪魔の仕業だと言い、特に最も本質的な悪は「カトリックがあまりにもギリシア正教徒や、イスラム教徒たちから離れています。これは良くありません。・・・特に村においては、諸宗教の一致がかけています。」このことだといいます。ゴスパはここまで狂ったことを言っているのです!

 ゴスパは、最後に、ファチマの最大の希望を忘れさせています。1917年7月13日の秘密はこの希望の言葉で、この素晴らしい無条件の約束で終わっています。「最後に、私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。教皇は私に、ロシアを奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして、世界に平和の一時期が与えられるでしょう。」ロシアは、共産主義の誤謬から、かつての聖ウラジミールのキリスト教信仰に立ち戻るのです。その離教から、ローマへの一致に立ち戻るのです。そして、その轍に沿って、全世界を回心へと導くでしょう。そうだ、最後に、イエズスの聖心と、聖母の汚れなき御心との大いなる勝利と凱旋があるでしょう。

 メデュゴリエのゴスパによると、まず、警告があり、大奇跡があり、天罰が来るといいます。ミリヤナの預言と、ガラバンダルのコンチータの預言とでは、細部に至るまでよく似ています。この預言の起源はどうやら、スペインのパルマル・デ・トロヤの偽予言者の出現に基づいているようです。私たちはこれらのついて関わっている余裕はありません。ただ、これらの預言は、ファチマの聖母の与える希望も、大勝利の預言も全くないことを指摘しましょう。



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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