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第四部 内的生活をいとなめば、使徒的事業が豊かに実を結ぶ (続き6)【ドン・ショタール著「使徒職の秘訣」】

2018年03月17日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

恒例のドン・ショタール著「使徒職の秘訣」L'Ame de tout apostolat
第四部 内的生活をいとなめば、使徒的事業が豊かに実を結ぶ(続き6)
をご紹介します。山下房三郎 訳を参考に、フランス語を参照して手を加えてあります。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


第四部 内的生活をいとなめば、使徒的事業が豊かに実を結ぶ(続き6)


(c)内的生活は、使徒に、超自然的照射能力をあたえる。この超自然的照射能力はどれほど効果に富むか  (4/6)

  内的生活によって、使徒は“謙遜”の美徳を、周囲に照射する

 イエズスの柔和と親切は、多くの群衆を、かれのもとにひきよせた。
 このことは、だれでもよく知っている。
 イエズスの謙遜にも、同様のちからが――民衆をひきよせる魅力が、あるのだろうか。
 むろん、あるにきまっている。
 「わたしから離れては、あなたがたは何ひとつできない Sine me nihil potestis facere」(ヨハネ15・5)と、イエズスは仰せられた。
 天地の創造主から、その協力者という崇高な地位にあげられた者――これが、使徒である。だから、使徒は、超自然的事業の代行者である。イエズス・キリストの代理者である。
 だが、それには、条件が要る。――すなわち、使徒の身に、ただイエズスだけが、目にみえるようにあざやかに、お姿をあらわしておれば――という条件だ。
 使徒が、自分自身の姿を完全に消して、没我的になればなるほど、それだけいっそうイエズスは、この使徒の身において、ご自身をお現わしになる義務を、おせおいになるのだ。
 内的生活の成果であるこの没我、この自我の消滅がないなら、使徒はどんなに労苦して使徒職のタネをまいても、どんなにまめに水をそそいでも、しょせん無駄なこと。タネは、発芽しない。
 まことの謙遜のもつ魅力は、また格別である。
 その魅力のみなもとは、イエズスご自身である。
 使徒的事業にたずさわっている人が、ただイエズスだけを、おのれのうちにお働かせするために、自我を全く滅ぼしつくそうと努力するとき――「かれは必ず栄え、わたしは衰えねばならぬ Illum oportet crescere, me autem minui」(ヨハネ3・30)――この奮発にたいして、イエズスは義理でも、その使徒に、人びとの心をますますおのれにひきつける賜ものを、おあたえになるのだ。そんなわけで、謙遜は、人びとの霊魂にある働きをするときに使われる、最も大きな手段の一つとなる。
 聖ビンセンシオ・ア・パウロは、その会員の司祭たちに、こういっていた。
 「わたしのいうことを信じていただきたい。われわれは、自分自身の力だけでは、天主の事業を成功させるどころか、かえって失敗に終わらせるのがオチだ、という深い確信をもっていないなら、われわれは絶対に、天主の事業にたずさわる資格がないのである」
Croyez-moi, nous ne serons jamais aptes à faire l'oeuvre de Dieu, si nous n'avons pas la persuasion que de nous-mêmes nous sommes plus propres à tout gâter qu'à réussir.

 筆者がしばしば、上と同じ思想にかえり、またこれを反復力説するので、このことをヘンに思われる方もあるだろうと思うが、それは親愛なる読者の頭に、上の思想を深くきざみつけ、かつそれをいくたびもくり返して説明している間に、この謙遜という徳の重要さを示すための老婆心からであることを、了解していただきたい。
 横柄なふるまい、尊大な、もったいぶった態度――こういうものは、しばしば、そのたずさわっている事業の、不成功のはずみになることがある。

 「現代」のキリスト信者は、好んで自主独立の精神を謳歌する。
 かれらは、よろこんで、“天主”には従う。天主にだけは従う。
 だが、天主の代理者からは、命令されたくない。天主の代理者の命令にも、指揮にも、すすめにも従いたくない。そこに、ハッキリと天主の署名(サイン)がしていないかぎり!

 だからこそ、すべて使徒たる者は、内的生活の成果たる謙遜の修業によって、自分の影を薄くしていなければならぬ、自我を全く滅ぼしつくしていなければならぬ。かくて、世人の目に、おのれはあたかも“天主のお姿をうつしだした鏡”のように映ずるまでに、天主に変容していなければならぬ。さらにまた、イエズスの仰せられた、「あなたがたのうちで、いちばん偉い者は、仕える人でなければならない。……あなたがたはラビ(先生)と呼ばれてはならない。あなたがたは、教師と呼ばれてもならない」(マテオ23・8~11)とのお言葉を、おのれの身において、実現していなければならぬ、というのだ。

 内的な人を、ただひと目みただけで、われわれは“生命の学問”すなわち、“祈りの学問”(聖アウグスチノの言葉)を、おそわるわけだ。なぜか? 内的な人は、謙遜とともに、天主への絶対依存の精神を、呼吸しているからである。そして、霊魂がそのなかにたえまなく呼吸している、この天主への絶対依存の精神は、あらゆる機会に、天の助けを求めるために、すぐに天主のみもとに馳せていく、という習慣によって、外面にもあらわれる。

 あらゆる機会に――と、筆者はいった。じじつ、謙遜な人は、あることを決行しようとするとき、困難に見舞われてなぐさめがほしいとき、わけても困難を突破するために十分な力がほしいとき、いつも助けを求めて天主のみもとに馳せていく。
 司教証聖者共通の典礼文に、“小さき群れ Pusillus grex”という文句があるが、聖ベダは、これをみごとに解説して、次のようにいっている。

 「救世主は、選ばれた人びとの群れを "小さき群れ" と呼んでおられる。なぜ、そんな呼び方をされたのか。――永遠に棄てられる人びとの群れにくらべれば、その数は至って少なく、その勢力も至って小さいからである。もう一つの理由がある。それは、選ばれた人びとは、謙遜の美徳に向かって、もえるような烈しい熱情をもっているからである。なぜなら、カトリック教会が、どんなに多人数で、どんなに広大な地域にひろがっていたにしても、救世主はこの同じ教会が、世の終わりまで、謙遜においていつも成長していくように、このようにして、謙遜な人びとに約束されている天国にはいることができるようにと、お望みになるからである」(『聖ルカ福音書注解』四一)

 この一文は、聖主が使徒たちにお与えになった、謙遜についてのりっぱな教訓を、われわれに思いおこさせる。たとえば、あるとき、使徒たちは、使徒職に召されたかれらの神聖な召し出しを、純然たる個人的利益追求への道具に転用したいと思った。そのさい、野心と嫉妬にみちた、世にもあわれなかれら自身の醜悪な姿が、白日のもとにさらけだされたのである。この機会をとらえて、聖主はかれらにこう仰せられた。

 「あなたがたが知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民のうえに権力をふるっている。あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で、偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間で、かしらになりたいと思う者は、しもべとならねばならない」(マテオ20・25~28)

 ブールダルー師 (Bourdaloue) がいっているように、人の長たるものが謙遜したからとて、そのために当人の権威が下がるようなことは、絶対にない。人の長たる者が、いつも十分に謙遜であるなら、下の人にたいして、権威はいつも十分に保てる。上の人に謙遜がないなら、権威は、下の人にとっては重荷となり、我慢できないものとなる。

 ほんとうの謙遜をもたないなら、使徒は、あるいは誇張された柔弱にか、あるいは最もしばしば、暴君(ワンマン)despotisme への傾向にか、そのいずれかに片よってしまう。
 理屈はぬきにして、実際問題にうつろう。むろん、仮定の上での話だが、ここに一人の使徒がいる。かれはひじょうに頭がいいので、使徒のよくおち入りやすい、二つの極端な行き方から救われている。すなわち、かれはなんでもかんでも、また誰にでも、じきに許可をあたえるというような、柔弱な人物ではない。それかといって、頭のかたい、奮発一点ばりで、天主のおしかりを招くような行き過ぎをよくやりだす、頑固一徹な人間でもない。かれは健全な、シッカリした主義・主張というものを、ちゃんと持っている。学問もあり、判断力も正しい。
 こういうりっぱな素質をもった使徒であるかれだが、さて謙遜がなければ、どういうことになるのか。――前にもいった、二つの極端のいずれかに落ち込む。けっして中道をたどりえないのが常である。柔腰か、さもなければ、最もしばしば傲慢か――そのいずれかが、かれの態度にあらわれてくる。

 弱腰になる。ウソの謙遜におちこむ。愛徳は退化する。精神は薄弱になる。自分の意見をとおしえない。すべての点において、他人に譲歩する。たやすく許可をあたえる。勇気がないので、義をみても、知らん顔をしている。正義をぎせいにしてまでも、他人と妥協する。いろいろ言いわけをされる。――ものごとは慎重にやらなければならぬ、見識が狭くてはいかん、などの理由から、自分の主義・主張をあくまでも、貫徹しようとの奮発心はどこへやら、かれは完全に、他人のロボットいなってしまう。
 弱腰にならなければ、その反対の傲慢になる。
 あまりに自然的な考えが、意志の誤導が、かれの傲慢に、神経過敏に、つまり“自我”に、活動の機会をあたえる。こうなると、いろんな悪徳が、くびすを接してあらわれてくる。――ある人を憎む。やたらに自分の権利をふりまわす。ある人に怨恨をいだく。敵対心をいだく。反感をいだく。そのやり方は不公平である。カネにきたない。他人に復しゅう心をいだく。野心をおこす。人をねたむ。どこでも、上席に着こう、人の上に立とうと、あまりにさもしい望みをおこす。人を非難する。悪口をいう。失礼な言葉づかいをする。あまりに世間的な党派心をおこす。自分の主義・主張を弁護するにあたって、あまりに粗暴な、荒々しい態度を示す、などなど。

 天主の光栄――これこそは、使徒たる者の追求すべき究極の“目的”であるべきなのに、そしてこの神聖な目的の追求によってのみ、われわれの情熱は聖化されるはずなのに、かれにとっては、それはただおのれのまちがった情熱を助長し、高揚し、弁護するための“手段”もしくは“いいわけ”にさえ堕落している。
 天主の光栄が、教会の光栄が、ちょっとでも傷つけられる。
 すぐに、カッとなる。はげしく怒る。
 だが、その怒りを、心理的に分析してみるがいい。
 かれが怒るのは、けっして天主のための奮発心からではない。使徒的事業にたずさわっている、この自分自身の名誉がそこなわれたからだ。自分たちの団体の権利が、――純然たる人間的結社として享受している、世俗的権益が侵害されたからだ。
 くり返していうが、かれが怒るのは、けっして天主のための奮発心からではない。
 天主のために奮発する――これだけが、イエズス・キリストによって建設された教会の、存在理由であることを忘れているのである。
 天主のために尽くしている、といいながら、そのじつ、人間はこのようにひどい脱線をしている。どんなに教理にあかるくても、またその教理がどんなに正確であっても、その判断がどんなに健全であっても、使徒はこのような脱線をしでかすものだ。なぜなら、内的生活をもたない、したがって、ほんとうの謙遜をもたないなら、いつもおのれの欲情に左右されるのだからである。

 ただ謙遜だけが、かれに正しい判断をさせる。欲情の刺激のままに行動することを、差し控えさせる。したがって、かれの生活に、調和と安定をあたえるのである。
 謙遜は、人間を、天主に一致させる。謙遜は、人間を、天主の永遠なる不動性にあずからせる、ということができよう。それはあたかも、カシの木に生えているツタカヅラのようなものだ。自分では弱い植物だが、すべての根を働かせて、一生懸命にカシの木にしがみついてさえいれば、もろもろの木の王者なるカシの木の偉力を、自分のものにすることができ、それによって、自分でも強く、かつ不動のものとなる。

 そんなわけで、次の結論は、なんのためらいもなしに承認できよう。――謙遜をもたなければ、使徒は優柔不断に、柔弱におち入る。さいわいこの不幸を逃れえたにしても、われわれの人間性は弱いのだから、きっと第二の行き過ぎ――すなわち、傲慢におちこむにきまっている。そればかりか、事態のいかんにより、欲情のいかんによっては、あるいは一方にぶらつき、あるいは他方にぶらつく、というふうに、しょっちゅう、ふらふらしている。
 「人間とは、変わりやすい存在である。変わりやすいこと――これだけは、人間は常に変わらない。」
L'homme est un être changeant; il n'est constant que dans son inconstance.

 聖トマスは、こういっているが、この間の消息を、みごとに伝えた言葉である。
 使徒職にたずさわる人たちが、このような欠点に虫ばまれると、そこから出てくる論理的結果は、次のとおりである。――人びとは、あるいは柔弱の上長を軽んじるか、あるいは天主を反映していない不徳な上長を信用しないか、あるいはまたしばしばあることだが、これにたいして憎悪の心をいだくか、そのいずれかである。

 (続く)

「ワレラノムネ アナタトオナジ」「サンタマリアの御像はどこ?」

2018年03月17日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、キリシタン発見(1865年3月17日)で、その8年後に高札がその姿を消した日(1873年3月17日)です。

浦上のキリシタンであるイザベリナ杉本ゆり(1813 - 1893)が、今日、大浦天主堂でプチジャン神父に「ワレラノムネ アナタトオナジ」と話しかけて、キリスト信仰を告白しました。

キリシタン発見のわずか5年前の1856年には「浦上三番崩れ」があり、多くの信者が一斉に検挙され、多数が拷問死を見ていました。信仰の告白には賢明さと勇気と剛毅が必要でした。

産婆であったイザベリナゆり(当時52歳)は、「フランス寺にサンタ・マリアさまがおいでなさる」といううわさを聞き、家族に「フランス寺に行ってパーデレさまに会いたい」と強く願いました。エルサレムの神殿でメシアを待望していた老シメオンの気持ちだったのでしょう。

1865年3月17日金曜日の昼下がり、一大決心をしたイザベリナゆりは、妹のクララてるやその他家族をつれて12人~15人ほどで「フランス寺」に行きました。プチジャン神父が門を開けると、彼らは参観人をよそおって堂内に入ってきました。

プチジャン神父が祭壇にひざまづいて祈っていると、ゆりが近づいて「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」と言ったのです。

自分たちが浦上から来たことを告げ、すぐに「サンタマリアの御像はどこ?」と尋ねました。

プティジャン神父はマリア像の前に連れていくと彼らは「サンタ・マリアさまだ!サンタ・マリアだ!」と喜びを表しました。



聖母よ、われらの信仰を守り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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