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教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第23章 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い

2019年02月25日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その23

第23章 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い

 二十年の歳月が流れたら、公会議の刷新によって引き起こされた反動は鎮火し、カトリック信者は自分たちが育てられてきた宗教を葬り、それを知らない若者たちは新しい宗教を受け入れるだろう、と人々は信じていました。少なくともそれが、近代主義者たちがした賭けでした。彼らは、最初のうちは、自分たちのやり方に自信を持ち、この大混乱の程度がひどすぎるのをたいして驚きもしませんでした。しかし時が経つにつれて驚かないわけにはいかなくなりました。この世の精神に対してなされた数多くのそして本質的な事柄の妥協は、期待された結果をもたらすことはありませんでした。もう誰も、新しい宗教儀式の司祭になることなどもはや望まなくなりました。信者たちは宗教を実践することから遠ざかってしまいました。貧しい人々のための教会になろうとした教会は、自分自身、貧しい教会になってしまい、教会維持しを収めるように求める広告に頼ったり、不動産を数多く売却しなければならなくなってしましました。

 こうした時代の中で、全てのキリスト教国で、特にフランス、スイス、米国、そしてラテンアメリカでは、聖伝に忠実な人々が集結していきました。

 新しいミサを考案したモンシニョール・アンニバレ・ブニーニ (Mgr Annibale Bugnini) は、世界中で巻き起こったこの抵抗を自分自身も認識せざるを得なかったことを、死後に出版された本 (La Riforma Liturgica: Edizioni Liturgiche Rome) の中で認めています。こうした抵抗は、休む間もなく広がって組織化され、支持を集めました。進歩主義のジャーナリストたちは度々、自分たちを安心させるために、「伝統主義者」による運動が「速度を緩めてきている」などと記事を書きますが、事実はその逆なのです。

 ミサに参列する信者数、ミサの回数、聖体降福式の頻度、あるいは多くの美しい儀式という点で、サン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会(St. Nicholas-du-Chardonnet)と肩を並べることのできる教会が、一体、他のどこにあると言うのでしょうか。聖ピオ十世会には世界中に70ヶ所、それぞれに最低一名の司祭が着任している修道院を持っています。また、ブリュッセルにあるような教会や、ごく最近、ロンドンに取得したような教会、あるいはマルセーユで私たちが自由にできる教会もあります。そのほかにも、いくつもの学校や4つの神学校を運営しています。

(訳者註:2018年現在、神学校6校、管区14区、自律修道院5件、小修道院(prieurés)167ケ所、ミサ・センター772ヵ所、学校100校以上、大学2ケ所、育児施設3ケ所、老人ホーム7ケ所があり、3名の司教と637名の司祭、204名の神学生、56名の神学校準備生、修道士123名、修道女200名、奉献修道女79名、ケニアの宣教修道女19名がいる。37ヵ国で常駐し、その他に35ヵ国にミッションに行っている。聖ピオ十世会が働いている国の合計は72ヵ国。)

 聖伝に基づくカルメルの女子修道会が開かれ、すでに新しい共同体を形成しはじめています。15年前、あるいはそれよりも以前に設立された男子あるいは女子の修道者らの共同体では、自分たちの属する修道会の会憲を厳格に守っています。そこでは召命者で溢れかえって、常にその敷地を拡大しながら新しい建物を建てつづけなければなりません。カトリック信徒の寛大さは、特にフランスでは私を驚かしつづけています。

 修道院はこうした輝き出す魅力の中心的な存在です。そこには、遠方からもしばしば大勢の人々が訪れて来ます。多種多様な方法で与えられる虚しい娯楽や現実逃避の誘惑に戸惑わされている若者たちは、そこに、(そこで聖パウロが回心した)ダマスコへの道を見い出します。カトリックの正統な信仰を守り、そのために人々を惹きつけている場所を記した一覧表がここにあります。ル・バルー(Le Barroux)、フラヴィニー(Flavigny-sur Ozerain)、ラ・エ・オ・ボンゾム(La Haye-aux-Bonshommes)、アレスのベネディクト女子修道会(Bénédictines d’Alès)、ラメレのベネディクト女子修道会(Bénédictines de Lamairé)、ファンジョーの女子ドミニコ会(Fanjeaux)、ブリニョールの女子ドミニコ会(Brignoles)、ポンタレック(Pontcallec)、ルカル神父様(M. l’abbé Lecareux)の指導のもとの共同体、等々。

 頻繁に旅をしていると、仕事で訪れた随所で、教会を祝福しているキリストの手を見かけます。メキシコでは、一般の人々は改革派の聖職者を教会から追い出しました。彼らは解放の神学と呼ばれるものに染まった聖職者で、教会を改革しようとして、聖人の像を捨て去ろうとしたのです。「外へ放り出されるのは御像ではない。それは、あなたのほうだ。」 政治的な理由によって、私たちはメキシコに小修道院を設立することができませんでしたので、米国の国境付近にあるエル・パソに設立されたセンターから聖伝に忠実な司祭が出かけて行きます。クリステロス(Cristeros 訳者注:メキシコで共産革命が起こった時に、王たるキリストとカトリック教会のために共産主義者らと闘ったカトリック信徒たちのグループ)の子孫たちはこうした司祭たちを歓迎し、彼らに自分たちの教会を提供しています。私は人々の要望に応えて、そこで2500名に堅信式を執行しました。

 米国では、若い夫婦と彼らの大勢の子供たちが、聖ピオ十世会の司祭たちに群がってきます。1982年に私はこの国で、私たちの神学校で一貫した教育を受けた最初の三人の司祭を叙階しました。教区が衰えていくのに反して、聖伝主義者たちのグループは増加する傾向にあります。目新しい革新に対して抵抗を続けていたアイルランドは、1980年から改革に乗り出しました。祭壇は川へ投げ捨てられたり、ビルの建築資材として再利用されたりしていました。ところが同時に、聖伝主義者のグループがダブリンとベルファストに誕生しました。ブラジルでは、すでにお話したカンポス教区でのことですが、人々は新しい司教によって自分たちの小教区の教会から追放された司祭たちのまわりへ押し寄せてきて、その人々の行列は5千人にも、1万人にも達しました。

 ですから、私たちは正しい道を歩んでいるのです。証拠はここにあります。私たちはその実で木を見分けます。ルイ・ヴイヨ(Louis Veuillot)が語った言葉の中に「自由主義者ほどセクト的な(偏狭な)人間は居ない」というものがありますが、そのセクト的な自由主義の聖職者たちによる迫害にも関わらず、聖伝の聖職者や信徒たちが成し得てきたことは、ほとんど奇跡なのです。

 親愛なる読者の皆さん、彼らは「聖伝主義者」「伝統主義者」というレッテルで、悪い意味で私たちを人々に印象づけようとしていますが、あなたがたはそれに惑わされてはなりません。ある意味では、これこそ冗言です。なぜならば、聖伝主義者でないカトリック者などあり得ないからです。私はすでにこの著書の中でそのことを、つまり、教会とは伝統であるということを十分に論証してきたつもりです。私たちが伝統そのものなのです。

 彼らはまた、「非妥協的カトリシズム」「完全主義」という言葉も口にします。しかし、もしもそれが、教義、教理、キリスト者の道徳観、ミサの聖なる犠牲の完全性に対する敬意という意味であるならば、そのとおりです、私たちは完全主義者です。そして私は、この意味において、完全主義者でないカトリック者などあり得ないと思っています。

 私については、私に代わる司教が居ない以上、私がしてきた仕事もやがては消え失せるだろうとも言われています。私はその逆を確信しています。この点については、私には何の心配もありません。もしかしたら、明日、私は死んでいるかも知れません。ですが、良き天主が、すべての問題に答えを下さることでしょう。私たちの神学生たちを叙階してくれるに十分な司教たちが世界各地で見つかることが、私には分かっています。

 今日この瞬間は、まだ口を閉ざしているとしても、これらの司教のうちの誰かが、聖霊の導きによって立ち上がる勇気を与えられることでしょう。私のこの仕事が天主様のものであるならば、その道は主によって守られ、教会にとっての善となるように用いてくださるはずだからです。私たちの主は、地獄の門が教会を打ち負かすことはないと約束してくださっているからです。

 ここに、私が主張し続ける理由があります。そして、もしあなたがたが、なぜ私がこれほどにまで粘り強い態度をとるのかと問うならば、私はこう答えましょう。私がこの地上を去るとき、天主様が「お前は司教として何をした? 司教、司祭の恩寵に与ったお前は、どんな働きをしたのだ?」と私にお尋ねになられたとき、私は天主様の口から次の恐ろしい言葉を聞きたくないのです。「お前もまた、他の者たちと一緒になって、教会を破壊する手助けをしていたのではないか」と。

1984年7月4日

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

01. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
02. 私たちの宗教は変えられようとしている!
03. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
04. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
05. 「それは昔の話ですよ!」
06. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
07. 新しい司祭職
08. 新しい公教要理
09. 現代の神学
10. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
11. 信教の自由
12. 「同志」および「同伴者」たち
13. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
14. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
15. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
16. 信仰を瓦解させる新近代主義
17. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
18. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
19. エコンの神学校とローマ
20. 永遠のミサ
21. 異端でもなく、離教でもなく
22. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
23. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(2)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(3)

マルセル・ルフェーブル大司教が1976年6月29日にした歴史的な説教:聖伝を維持しながらこそ、ペトロの後継者(教皇)に対する私たちの愛と素直さと従順を表すことができる

聖ピオ五世教皇の勅書「クォー・プリームム」Bulla Quo Primum (1570年7月14日発布)の羅和対訳 Latin - Japanese bilingual

ルフェーブル大司教のローマにおける1974年11月21日の宣言

PIUS PP. X, MOTU PROPRIO, PRO ITALIA ET INSULIS ADIACENTIBUS DE STUDIO DOCTRINAE S. THOMAE AQUINATIS IN SCHOLIS CATHOLICIS PROMOVENDO
"Doctoris Angelici nemo sincere catholicus eam ausit in dubium vocare sententiam": Acta Apostolicis Sedis Vol 6, 1914 p. 336.

Doctoris angelici (ラテン語 text)

Doctoris Angelici (英語訳)



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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