2021年1月24日(主日)御公現後第3主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(東京)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
イエズス様は天主の聖子です。愛の天主であると同時に、正義の天主であります。私たちを愛すると同時に、正義も要求されます。
イエズス様の聖心は、聖マルガリタ・マリア・アラコックにこうお願いしました、「かつて私は、ポンシオ・ピラトあるいはヘロデなど、権力者によって嘲りを受けたので、今度は権力者によって、王によって、尊敬を受けたい。だから、フランスの王が私を崇敬するように」と、「フランスの国旗に、イエズスの聖心を付けるように」と、そして「王が私の聖心の為の聖堂を造って、そしてフランス王国を聖心に奉献するように」と、お願いしました。罪の償いの為に。
おそらくファチマでも、イエズス様の御計画は、「償い」でした。過去使徒たちが、イエズス様を裏切って逃げてしまったので、今度は使徒たちが司教様たちが、一緒になって、「教皇様と一緒に、聖母の汚れなき御心にロシアを奉献する」という事をして、「それの罪を償わなければならない」とされているようです。
同時に私たちも、その「償い」の精神で今日、約250年に渡って行なわれた踏み絵の償いを致しましょう。
イエズス様の十字架、あるいはマリア様がイエズス様を抱いたピエタの御像は、毎年、お正月に行なわれたこの日本の各地の儀式によって、踏まれました。
多くの方々はそれを知らずに、何の事か分からずにやっていましたが、政府は幕府は、キリスト教徒を発見する為にこれを行なっていました。
しかしイエズス様は、一体何の悪い事をしたのかと言えば、日本に来て、私たちに命と、光と、力と、平和と、喜びと、祝福と、御恵みと、全ての善を与えようと思っただけでした。そしてイエズス様が望んだものは、ただ御自分を与える事、御自分の命を与える事だけでした。
そしてそのお返しに受けたものは、軽蔑と、この屈辱でした。でも、この多くの人々は、それを知らずにしていました。
私たちは、イエズス様が何をなさりに来られたのかを知っているので、イエズス様がどなたかを知っているので、特にイエズス様に対して、私たちは愛を込めて、感謝と、礼拝と、崇敬を御捧げ致しましょう。
そして同時に、過去私たちの先祖の中で、どのような辛い迫害が控えているかという事を知っていたとしても、「イエズス様をどうしても裏切る事はできない!」と、この踏み絵を踏む事を命がけで拒否した、その為に殉教さえ覚悟していた、偉大な信仰と証人たちがたくさんいた、という事も感嘆しながら、私たちもそれを真似る事に致しましょう。
私たちは平和の時代で殉教はありませんが、しかしこの立派なキリシタンの先祖に倣って、私たちもイエズス様を礼拝して、感謝致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。