Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

カトリック聖伝のミサ 報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka SSPX Japan

2021年02月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

今日東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計82人でした。大阪では、20人でした。
日本では合計で、102人でした。デオ・グラチアス!

来る2月17日灰の水曜日には、東京のいつもの文京区のミサの会場で午後6時00分からミサがあります。

【報告】【東京】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today.

The total number of attendees at the 3 masses in Tokyo today was 82, including children.

09:00 mass
M: 18 (incl. 2 children)
F: 18 (incl. 2 children)
Total: 36 (incl. 4 children)

11:00 mass
M: 15 (incl. 3 children)
F: 20 (incl. 7 children)
Total: 35 (incl. 10 children)

12:30 mass
M: 7 (incl. 0 child)
F: 14 (incl. 1 child)
Total: 21 (incl. 1 child)

Total of 3 masses (excl. 10 people who participated in multiple masses)
M: 36 (incl. 5 children)
F: 46 (incl. 10 children)
Total: 82 (incl. 15 children)




愛徳についての短い説教 五旬節の主日 ドモルネ神父

2021年02月14日 | お説教・霊的講話
愛徳についての短い説教 五旬節の主日

ドモルネ神父

はじめに

今日の書簡で、聖パウロは、愛徳が最も偉大な賜物かつ聖徳であると言っています。これについて少し話させてください。

1.愛徳とは天主に対する友情の愛を意味する

「愛徳」(ラテン語ではCaritas(カリタス))という言葉は、語源的には、「非常に価値のある」という意味と、「気遣いあるいは慈愛」という意味を持っています。私たちは「愛徳」という言葉を、人間の天主に対する超自然的な友情の愛を意味するために使っています。

私たちの主イエズスが弟子たちに「これからもう私はあなたたちをしもべとは言わない。…私はあなたたちを友人と呼ぶ」(ヨハネ 15章15節)と言われたとき、主は「愛徳」のことを友情の愛として述べられました。

2.友情の愛とは何か

友情の愛とは、友人間の相互の愛情のこもった慈愛です。友人は似たような目標や理想を持ち、真・善・美への似たような望みを持ち、肉体的にも、知的にも、道徳的にも、霊的にも、自分をより善くしてくれるものへの似たような関心を持っています。この類似性は、相互の愛情と気遣いを生み出します。友人は、自分のために善いものを望んでいるように、相手のためにも善いものを望んでいます。友人は、相手がされていることを自分にされていると考えます。友情の愛は、友人が一つになるほどに友人を一致させます。

愛徳とは、天主と私たちの間の相互の慈愛であるという意味で、人間を天主に一致させる超自然的な友情の愛です。しかし、私たちに対する天主の愛と私たちの天主への愛は同じようには働きません。

3.人間に対する天主の愛

まず、天主の愛が私たちのために何をするのかを見てみましょう。天主は創造主であり、すべての存在と善の源です。天主は何か善いものに引き寄せられるのではなく、物事を善いものにしてくださるのです。ですから、天主が私たちを愛しておられると私たちが言うとき、私たちが素晴らしいため天主が私たちに引き寄せられるという意味ではなく、天主が私たちの中に善をつくり出してくださるという意味なのです。私たちの生まれながらの善は、私たちの知性と意志によって天主のかたどりになるということです。「天主はご自分にかたどって、人間をつくり出された」(創世記 1章27節)。私たちの超自然的な善とは、天主のいのちを分けていただくことです。「父よ、あなたの与え給うた人々が、私のいる所に、私とともにいることを望みます。それは、あなたが私に与え給うた栄光を、彼らに見せるためであります」(ヨハネ17章24節)。天主が私たちを愛されれば愛されるほど、私たちが成聖の恩寵と呼ぶものによって、天主はご自分のいのちをさらに私たちに伝達してくださいます。ですから、私たちの主イエズスに次いで、天主は誰よりも童貞聖マリアを愛されました。これは、天主が聖母を誰よりもご自身と密接に一致させ、誰よりも優れた存在になさったという意味です。私たちに対する天主の愛は、善を生み出すものです。

4.天主に対する人間の愛

では、私たちの天主への愛が天主のために何をするのかを見てみましょう。私たちが天主を愛するのは、主祷文に「御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを」とあるように、天主に善いことを望むときです。
天主に善いことを望むということは、天主の存在と行動が、私たち自身をはじめとするすべての人に、ますます認められ、讃美されることを私たちが望むということを意味します。ですから、天主を愛するとは、天主に呼びかけ、天主が望まれるすべてのことに全面的に協力するということを意味します。私たちの主イエズスは、「私の命じることを守れば私の友人である」(ヨハネ15章14節)と言われました。天主が私たちに自由意志を与えてくださったのは、私たちが自発的に天主に協力して功徳を得る可能性をお与えになるためです。ですから、私たちの天主への愛とは、本質的には、天主が望まれるすべてのことを受け入れ、それに従うことなのです。そうすることによって、私たちは天主に栄光を捧げ、完全な幸福を見いだすのです。「あなたたちが私を選んだのではなく、私があなたたちを選んだ。私があなたたちを立てたのは、あなたたちが行って実を結び、その実を残すためである。私の名によってあなたたちが父に求めるものをすべて父は与えられる」(ヨハネ15章16節)。

結論

愛徳は、私たちを天主と一致させます。それは、詩篇81章6節に「『おまえたちは神々、みな、いと高き者の子ら』と私は言った」とあるように、私たちが天主と一つになり、天主とともにあたかも神の一員のようになるということです。愛徳の賜物は、私たちが受けることができる最も偉大にして最も貴重な賜物です。

ですから、実践において、私たちの霊魂のうちの愛徳を破壊する大罪を犯すなどという愚かなことを決してしないようにしましょう。天主が私たちのうちに愛徳を増やしてくださるよう、しばしば願いましょう。私たちの側で天主が私たちに望まれるすべてのことを寛大に行うのをご覧になれば、天主は確実にそうなさるでしょう。童貞聖マリアと聖ヨゼフが私たちの模範であり案内役でいてくださいますように。アーメン。





長崎の二十六聖人について ドモルネ神父様:Short talk about the 26 Martyrs of Nagasaki Fr.Demornex

2021年02月14日 | お説教・霊的講話
2021年1月31日 ドモルネ神父様からの七旬節のメッセージ 
Short talk about the 26 Martyrs of Nagasaki. January 31st,2021 Message from Rev Fr Demornex
長崎の二十六聖人について
 
【日本語訳】
今週、2月5日には、1597年2月5日、豊臣秀吉の命によって行われた、長崎の二十六聖人の殉教の424周年を迎えることになります。
二十六聖人は、1862年6月8日、教皇ピオ9世によって列聖されました。
ローマ・カトリック教会における列聖とは、その人が天国の永遠の栄光の中にあることを、教皇が荘厳に宣言することです。この宣言によって、その人に対して聖人にふさわしい崇敬を与えることが全てのカトリック教徒に求められます。教皇パウロ6世がまず列聖の手続きを改革し、その後教皇ヨハネ・パウロ2世が1983年に更なる改革を行うまでは、神学者たちは、時の教皇が聖人を列聖するにあたっては、不可謬性の全ての条件を満たしているものと考えていました。しかし、最近の列聖手続きの改革以降、それはもうあてはまらなくなりました。
教皇はなぜ聖人を列聖するのでしょうか?まず、天主に栄光を帰するためです。聖性というのは、霊魂における天主の御恵みの勝利を意味します。ですから、教皇が日本の聖人達を列聖されたとき、このようにおっしゃったことになります。「これらの殉教者たちが天主のために死んだ、その天主というお方がいかに偉大なお方であるかを見なさい。キリストを否定するよりはむしろ死ぬことを選ぶ力を彼らにお与えになった天主の御恵みがいかに力あるものであるかを見なさい。」と。
第二に、教皇が聖人を列聖するのは、私たちに聖徳の見本を与えるためでもあります。ですから、教皇が日本の聖人達を列聖されたとき、このようにおっしゃったことになります。「これらの殉教者たちの信仰、希望、愛徳を見て真似なさい。彼等のキリストへの愛と、自分たち国民の回心への熱心さを見て真似なさい。」と。
第三に、教皇が聖人を列聖するのは、聖人たちの取り成しによって、私たちが特別の御恵みを受けることができるようにするためでもあります。聖アウグスティノはこのように言いました。「仲介や取り成しをする者を通さなければ、天主がお与えにならないものが沢山ある」と。なぜ天主はこのようになさるのでしょうか?それは、自らの聖人達に栄光を与え、そして私たちに対して、聖人達が当然得るべき注目や崇敬を私たちがその聖人達に与えるようになさるためです。ですから、教皇ピオ9世が長崎の聖人達を列聖されたとき、全ての日本人に対してこのようにおっしゃったことになります。「これらの聖人達の仲介や取り成しによらなければ、天主があなたたちやあなたたちの国にお与えにならない数多くの御恵みがあります。」と。
最後に、全ての日本人の方々や日本に住んでいらっしゃる方々に、祈りや信心において、しばしば二十六聖人に祈り、また皆さんの必要のため、とりわけ日本の回心のため、二十六聖人に依り頼まれるよう、お勧めしたいと思います。例えば、二十六聖人のコンタツを祈ることができます。これはロザリオの2環に似たもので、十字架では信徳唱、望徳唱、愛徳唱を唱え、大きな珠では「永遠の父よ、わが罪のつぐないと教会の意向のため、イエズス・キリストの尊き御血をささげたてまつる」と唱え、小さな珠では、「聖マリアの柔和なる御心よ、わが救いとならせ給え。わがイエズスよ、あわれみ給え」と唱えます。

 

【English】

This week, on Friday 05th February, we are going to celebrate the 424th anniversary of the martyrdom of the 26 Martyrs of Nagasaki on February 5th 1597, by command of Toyotomi Hideyoshi.
The Martyrs have been canonized by Pope Pius IX on June 08th 1862.

A canonization in the Roman Catholic Church consists in the solemn declaration by the Pope that somebody is in the eternal glory of Heaven. Together with this declaration, a prescription is given to all Catholics to pay to that person the honor due to the Saints. Until the procedure of canonization was reformed by Pope Paul VI first, and even more by Pope John-Paul II in 1983, the theologians used to consider that the Popes were fulfilling all the conditions of infallibility when canonizing a Saint. But it is no longer the case since the last reforms of the procedure.

Why do Popes canonize Saints? First of all, in order to glorify God. Holiness, it is the triumph of God’s grace in a soul. So when the Pope canonized the Japanese Martyrs, it is as if he was saying: “See how great is God for whom these martyrs died, see how powerful is the grace of God who gave them the strength to die rather to deny Christ”.

Secondly, Pope canonize Saints in order to give us models of virtues. So, when the Pope canonized the Japanese Martyrs, it is as if he was telling us: “See and imitate the Faith, the Hope and the Charity of these Martyrs, see and imitate their love for Christ and their zeal for conversion of their people”. 

Thirdly, the Pope canonizes Saints so that through their intercession, we may receive special graces. St Augustine said that “there are many things which God does not grant without the intervention of a mediator and intercessor”. Why does God do so? In order to glorify His Saints and to make us pay them the attention and the honor which they merit. So, when Pope Pius IX canonized the Martyrs of Nagasaki, it is as if he had told all the Japanese: “There are many graces for you and for your country which God will not grant you but through the mediation and intercession of these Martyrs.”

As a conclusion, I would like to encourage all the Japanese and those living in Japan to honor often by their prayers and devotion the 26 Martyrs and to have recourse to them in their needs, especially for the conversion of Japan. For example, you can pray the Chaplet of the Martyrs which is similar to 2 decades of the Rosary: on the Cross, we pray the Acts of Faith, Hope and Charity; on the big bead we pray: “Eternal Father, I offer to Thee the Most Precious Blood of Jesus Christ, in expiation for my sins, and for the needs of Holy Church”; and on the small bead: “Sweet Heart of Mary, be my salvation, through Merciful Jesus”.

 


2021年2月14日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for February 7,14 2021

2021年02月14日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

最新情報は次のカレンダーをクリック
年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。

今週末:2021年2月12日(金)13日(土)14 日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 2月12日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 2月13日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 2月14日(日) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭(小野田神父)【ミサの開始が午前に変更になりました。ご注意ください。月曜日のミサはありません。】

【東京】 「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図

2月14日(日)主日ミサが三回捧げられます。

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。

2月17日(水)午後6時00分 灰の水曜日のミサが捧げられます。

【修道院でも午前7時から灰の水曜日のミサがあります。】

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of February 14, 2021.

Mass times in Tokyo:February 14
09:00 - Sung mass Facebook live
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.

February 17, Ash Wednesday Mass at 6 PM.

Mass location:
"Holy Japanese Martyrs' Mass Center"
Akebonocho Jido-kaikan
1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo


Mass schedule in OSAKA:

Fri, February 12: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, February 13: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, February 14: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
















--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】