Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

御復活おめでとうございます!|御復活は私たちに2つのことを教えています Happy Easter!

2021年04月07日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2021年4月4日、御復活の主日に東京で録画した、小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

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聖なる三日間の儀式の典礼に関する短い説明

2021年04月07日 | お説教・霊的講話
聖なる三日間の儀式の典礼に関する短い説明

ドモルネ神父

1.聖木曜日

聖木曜日は、最後の晩餐の記念日、ミサと司祭職の制定の記念日です。私たちの主イエズスのご受難の始まりです。教会は典礼を通して、この歴史的な日に起こったことを記念し、それを表現しようとします。教会は、私たちの主イエズスに霊的に一致するように私たちを招いているのです。

・ ミサは最後の晩餐のように夕方に行われます。

・ ミサの前は、ご聖櫃は空で、ご聖体はありません。これは、聖なるミサが初めて行われたのが聖木曜日であったことを私たちに思い出させるためです。

・ミサの典礼では、最後の晩餐のときと同じように、喜びと悲しみが共に際立ちます。過ぎ越しを祝い、贖いの時が来たことによる喜びと、来るべきご受難による悲しみです。
典礼においては、喜びは、白い一級の祭服の使用、祭壇上の花、聖歌グローリア、グローリアの時のベルの音で表されます。悲しみは、グローリアの後は【ベルではなく】カチカチと音をさせる用具を使うこと、アニュス・デイで「ミゼレレ・ノビス(我らをあわれみたまえ)」を三回繰り返すこと、ミサの最後に祝福がないことなどで表されます。

・ミサの奉献誦の前に、司祭は十二人の男性の足を洗いますが、これは私たちの主イエズスが、ご自分の兄弟愛の掟を示すために、十二使徒にそうなさったことにちなんでいます。

・ミサの終わりには、ご聖体が内陣から安置の祭壇に運ばれます。これは、私たちの主イエズスと使徒たちが、最後の晩餐の家からオリーブの園に移動されたことを表しています。

・そして、祭壇の布が取り去られます。これは、私たちの主イエズスが、ご受難を受けて私たちの贖いを得るために、言ってみれば天主の力を御自ら取り去り、進んで敵に身をお委ねになったことを象徴しています。

・真夜中までご聖体を礼拝するのは、オリーブの園での苦悶の間、私たちの主イエズスと一緒にいるためです。真夜中に、公的な礼拝は終わり、ろうそくはすべて消されます。ユダが兵士たちと一緒にイエズスを逮捕しに来たのは真夜中でした。教会はその時から大きな喪に服するのです。


2.聖金曜日

教会は、私たちの救い主のご受難と死の記念日であるこの日、喪に服しながら、十字架の犠牲の更新であるミサを祝うことを望みません。その代わりに教会では、ご受難を記念し、イエズスの犠牲と十字架上での祈りに霊的に一致するための典礼行事があります。

カトリック教徒は通常、典礼行事に参加する前に十字架の道行を祈ります。

典礼行事

典礼行事は、私たちの主イエズスが十字架上で亡くなられた時刻である午後三時に始まります。典礼行事は次の四つの部で構成されています。

・まず、教会は二つの朗読を通して、旧約において天主がどのようにご受難をお告げになったかを私たちに思い起こさせます。次に教会は、聖ヨハネの福音で報告されている実際のご受難の物語を読み上げます。

・第二部では、九つの大祈願で、教会は、すべての人の救いのために十字架上で祈っておられる私たちの主イエズス・キリストと一致します。

・第三部では、教会は荘厳に十字架の覆いを取り、信徒の礼拝のために顕示します。その間、私たちは、私たちの忘恩に対する天主のとがめの交誦を歌います。教会はまた、悪魔の帝国を滅ぼし、人々を救う十字架の栄光と力を讃えます。

・最後に、聖金曜日にはミサが行われませんが、教会は信徒から聖体拝領を取り去ることは望んでいません。そのため、聖木曜日に聖別されたホスチアを用いて、信徒への聖体拝領が行われます。

典礼行事の後、教会はご復活のミサまで喪に服しています。

3.聖土曜日

聖土曜日は、童貞聖マリアとともに喪に服し、復活を期待する日です。そのため、聖土曜日には、「七つの悲しみのロザリオ」など、悲しみの聖母への信心を行うのが適切です。

復活徹夜祭

復活徹夜祭は、復活のろうそくという象徴の下、キリストのご復活を祝う典礼を行います。この儀式は、主の死からいかにして私たちにいのちと恩寵がもたらされたかを表すことを目的としています。

この徹夜祭は七つの部で構成されています。

1.火の祝別:世界が夜の闇に包まれ、聖堂のすべての明かりが消えているとき、外では火が準備され、祝別されます。闇は、キリスト降臨前の世の無知と罪を象徴しています。火は常に動いていますから、いのちの象徴です。祝別された火は、特に自分のいのちの源である天主のいのちを象徴しています。

2.復活のろうそくの祝別:復活のろうそくは、ご受難の後の人性における私たちの主イエズスを象徴しています。ろうそくの純粋な蜜ろうは、主の御体の童貞性を意味し、ろうそくにしるされた十字架は、主のご受難と十字架による勝利を意味し、五粒の香は、主の御両手、御両足、御脇腹にある五つの傷を意味し、【最初と最後である】アルファとオメガの文字は、主の永遠の神性を表すとともに、人類の歴史が主を中心としていることをも意味しています。2021の数字は、特に2021年に私たちがキリストにお仕えすることを確約するということを意味しています。
祝別された火を使って復活のろうそくに火を灯すことは、キリストが復活されたことを象徴しており、キリストの御体にいのちが戻ったことを意味しています。

3.聖堂への荘厳行列:火を灯した復活のろうそくを聖堂に荘厳に運び、徐々に礼拝堂の照明を点灯させていき、ろうそくが内陣に到着した時には全ての灯りがともされるようにします。これは、キリストが復活された時から、天主の知識と愛を徐々に世界中にもたらし、サタンの暗黒の王国にどこでも打ち勝ってきたことを象徴しています。そして、聖歌「エクスルテット(Exultet)」の中で、キリストの復活の偉大さと、私たちに対するその驚くべき恩寵が歌われます。

4.旧約聖書からの朗読:第一朗読では、贖いのみわざが新しい創造のようなものであることが語られ、第二朗読では、紅海の渡海が洗礼とその効果の象徴であることが語られ、第三朗読では、洗礼を通して天主がどのようにして私たちを聖化されるかが語られ、第四朗読では、今後、キリストに召命を受けたという尊厳をもって生きるようにとの警告が語られます。

5.諸聖人の連祷の第一部の歌唱:私たちは、天国のすべての聖人や天使と一緒に、復活したキリストと、死、罪、悪魔に対するキリストの勝利を祝います。

6.復活の水の祝別:一年間の洗礼に使われる水が、非常に荘厳に祝別されます。司祭は何回か、復活のろうそくを、キリストを象徴する水に浸します。それは、キリストがご受難とご復活によって、この水に霊的な再生の力を与えられたことを表すためです。

7.洗礼の誓いの更新:信徒は洗礼の誓いを更新し、司祭は復活の聖水で信徒を祝福します。

8.諸聖人の連祷の第二部の歌唱:この連祷の後、ご復活のミサが始まります。
ミサの間、ベルの音とアレルヤ(喜びと勝利の叫び)の歌声が戻ってきます。





聖金曜日は4月の初金曜日、十字架の上でイエズス様は私たちを呼び寄せておられます。私たちに全てを与えて後、イエズス様はそれでも足りなかったと思われたかのようです。

2021年04月07日 | お説教・霊的講話
2021年3月28日(主日)枝の主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 お知らせ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は枝の主日で、お知らせだけがあります。

1つは、来たる聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日と、夕方に典礼があります。また聖金曜日、聖土曜日には、朝課もあります、朝の9時から。

ロザリオの十字軍も、聖木曜日までとなっています。「ミサが私たちにとって自由に与る事ができますように。多くの召命が与えられますように」という意向で、ロザリオの十字軍をしていますけれども、一旦聖木曜日で、この集計を取ります。

今まで私に報告して下さった方も、最初からのぜひ記録を教えて下さい。これを本部に報告致します。ロザリオの十字軍の報告をお願い致します、聖木曜日までです。

第2は、聖金曜日は、大斎小斎の日です。寛大に御捧げ致しましょう。
特に聖金曜日は、4月の初金曜日です。イエズス様は、「十字架の上に私が高く上げられたら、私は全て、私の元に引き寄せる、呼び寄せる」と仰いました。

まさに十字架の上で、イエズス様は私たちを呼び寄せておられます。特に御死去の時に、その私たちに全てを与えて後に、イエズス様はそれでも足りなかったと思われたかのようです。

私たちに全てを与えて、御聖体を与えて、御血を与えて、御母を与えて、秘跡を制定して、そして全てを与えたにも関わらず、「もしかしたら人々は、イエズス様の愛を信じないかもしれない」と恐れて、イエズス様は、どれほど私たちを愛しておられるか、という事を見せようと思いました。

そこで、御自分の聖心を、私たちの方に開いて、全ての御血と水を、私たちに流されました。これでもか、という愛を、私たちに見せて下さろうとしました。聖金曜日です。イエズスの聖心、初金曜日にも当たっています。

昔、かつてエルサレムの人たちが、イエズス様の愛を信じなかった時に、「私はどれほど、雌鳥が、雛を羽の下に抱えるように、抱きかかえようとした事か」と言いましたけれども、イエズス様は、「羽」ではなくて、私たち雛を、御自分の「心」の中に、心臓の最も奥深くに入れて、保護して下さろうと思われました。

ですから、このイエズス様の聖心の愛を信じて、これに信頼して、この中に深く入りましょう。そして私たちは、もしも十字架を受けたなら、イエズス様からの愛として、イエズス様の愛を信じつつ、イエズス様と共に、これを御捧げ致しましょう。

マリア様がいつも私たちを、イエズス様の聖心の中に守って下さいますように。

良い聖週間をお迎え下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






今日、2021年4月7日は、4月の初水曜日(月の初めての水曜日)です 聖ヨゼフ!我らのために祈り給え

2021年04月07日 | カトリックとは

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2021年4月7日は、4月の初水曜日(月の初めての水曜日)です。今年は、聖母の汚れなき御心と聖ヨゼフとの取り次ぎを通して、私たちの主の御聖体に対する冒瀆的な取り扱いに対する償いを捧げましょう。

初水曜日に「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。


聖ヨゼフはこの世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

聖ヨゼフの御取次ぎにより、聖母の汚れ無き御心とイエズスの至聖なる聖心ヘの愛をますます与えてくださいますように!
聖ヨゼフの御取次ぎにより豊かな祝福がありますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失なわんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔き良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。

参考リンク
サンタフェ~奇跡の階段 コラレス通り1丁目 この記事に昔の階段の様子の写真があります。

聖ヨゼフの階段(アメリカのニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル)



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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