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マリア様はファチマで約束されました。「私は決して、あなたたちを見捨てません。」

2020年10月12日 | お説教・霊的講話
栄えの玄義 第5玄義黙想
2020年10月3日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』

今日は初土ですので、初土の信心として、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為に、聖母に対して犯される冒瀆や瀆聖、罪を償う為に、15分間、ロザリオの玄義の黙想を致しましょう。

今日は、10月、ロザリオの聖なる月、ファチマのマリア様が、「私はロザリオの元后です」と仰って、太陽の奇跡をなさった月ですので、マリア様が私たちの元后であって、天地の元后である、栄えの玄義の第5を黙想する事を提案します。

ちょうど私たちは、小さな赤ちゃんがお母さんのお腹の中に居るように、9カ月の間居て、お腹の中にいる時からお母さんの声を聞いて育つ、そして生まれてくるように、ちょうど私たちも、今この地上に約90年、あるいは50年居た後に、天国の永遠の命に生まれようとしています。

天国の命こそ、私たちの最も大切な究極の目的であって、そしてその為にこそ、私たちは今この地上で生きています。

天国に生まれる事ができなかったら、それは死産であって、どれほどマリア様とイエズス様は、私たちの霊魂が永久に地獄に失われてしまう事を悲しまれる事でしょうか。

天国に生まれた全ての天使たち、数億の数兆もの数え切れないほどの天使たち、そして聖人たち、使徒、殉教者、童貞、旧約の太祖や、聖なる教皇、司教、博士など、多くの大聖人たちよりも更に、更に高く、マリア様が天と地の元后として、私たちの母として、私たちの永遠の救霊の為に、イエズス様のすぐ隣で祈って下さっています。

その玄義を黙想致しましょう。

天のいと高い地位に上げられた、私たちの元后、女王であるマリア様。

元后の、女王の心は、聖霊の愛で、天主の愛で燃えています。イエズス様から受けた愛の炎で、何をも溶かすように、轟々と燃えています。そしてそれによって天主を愛し、罪を憎み、そして同じ愛で、私たちを愛されようとしています。

特にイエズス様からの委託によって、命令によって、私たちはマリア様の子供です。マリア様は私たちに、母の心を以って、そして元后として、女王として、イエズス様の傍におられます。

どんなに野生の母親も、子供を守る為なら、鳥でも獣でも、全力を尽くす本能が、母性本能が与えられています。人間のお母さんも母親も、この子供の為なら、非常に強くなります。

マリア様は、私たちを守る為に、悪魔の恐れ、地獄の決して手を出す事のできない避難所、象牙の塔、最高の守りとして、私たちを母の心で天から守って下さり、マリア様にはその最高の権限が与えられています。

憐れみの母マリア様は、ロザリオを通して私たちに、特にロザリオを通して私たちに、必要な御恵みを与えようと待っておられます。

このような最高の優しい母が私たちに与えられた事を、イエズス様に感謝致しましょう。子供が母を忘れる事があっても、母は決して子供たちを忘れないからです。

マリア様はファチマで約束されました。
「私は決して、あなたたちを見捨てません。」





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4 コメント

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教会の他にも救いはある??? (Tom)
2020-10-12 15:44:06
>私たちの霊魂が永久に地獄に失われてしまう事を悲しまれる事でしょうか。

親の心 子知らず・・・ とはまさにこういう事を
言うのではないのでしょうか?

先日、「SSPXのミサに行かないことを推奨」された
某大司教様ですが、こんな事を言っておられます。
カッコ内は全て、大司教様ご自身のご発言です。

この発言をイエズス様はどう思われるでしょうか?
命をかけて聖伝を守られたルフェーブル大司教様はどう思われるでしょうか?

激しい拷問に耐え抜き、多くの血を日本の大地に流し、
信仰を守り抜いた日本の聖なる殉教者の方々はどう思われるでしょうか?

誠に残念ながら日本のカトリック教会は頂点から信仰が崩壊しています。
それも完全にです。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「かつてカトリック教会は、『カトリック教会のほかに救いはない』と言っていました。
フランシスコ・ザビエルが日本に来た時も
『カトリックの洗礼を受けなければ、みな地獄に行くのだ』と本気で伝えていました。

しかし、だんだん時代を経るにしたがって、『自分たちの力だけで人を
救うことはできない』と気がついてきたのです。

『洗礼を受けることは大切だが、教会の他にも救いはあるし、
神は神だけが知っている方法で、他の宗教の人たちをも救うに違いない』
と考えるようになってきました」

「(第二バチカン公会議では)神が望んでいるような社会を実現しよう。
その為には、他の色々な宗教とも協力し合いながら、よりよい社会を一緒に築いて行こう、と話し合ったのです」

「今、カトリック教会は聖公会やルーテル派とも仲がいいですし、
日本では立正佼成会や天台宗、天理教ともよい関係になっています」

第二バチカン公会議の考え方は、各方面に大きな影響を与えた。 
その一つは、立正佼成会の庭野日敬会長が世界の宗教者に呼びかけた世界の宗教者の集まる会議である。

「その会議にはカトリックも参加していますし、私も理事になっています(注1)。
色々な宗教が入っていますし、バチカンとも、とても仲がいいですね」
(注1:現在のWCRP JAPANの理事は、某大司教から日本の唯一の某枢機卿に交代してます)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

他宗教との交わりについては、聖人でもあるJPⅡが自ら実行され
自分が行ったことを模倣するよう、全世界の司教たちに、
そして全てのカトリック信者たちに見本をお示しになりました。

「さぁ、神の十戒に背きなさい! もうそう言う時代ではないのです!!」
とでも言いたいのでしょうか?

カトリックだけが唯一の救いではない。
他の宗教を用いても神は人をお救いになる。
これが第二バチカン公会議がもたらした結果であり、実なのですね。


>私は決して、あなたたちを見捨てません

ああ、マリアさま、私をはじめ全ての罪人をお見捨てになることなく
どうか回心のためにお祈りください。
そして全ての司教、司祭、修道者のためにもお祈りください。

日本の聖なる殉教者たちに血よ、まだ復讐を神に願わないでください!(黙示録6:10)
  
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Unknown (thomasonoda)
2020-10-12 17:33:07
アヴェ・マリア・インマクラータ!

Tom さん、情報をありがとうございます!

記事を拝見してびっくりしました。

カトリック教会の聖伝の教えをルフェーブル大司教は繰り返して次のように教えています。

詳しくは、
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その10】
https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/5d9dac6c66c892d823c43496cc78eeb2
をご覧ください。

*****

教会は救いの唯一の方舟であり、私たちはそう宣言するのを恐れてはなりません。皆さんは「教会の外に救いはない」とは現代人の心を傷つけると言うのをよく聞いたことがあるでしょう。この教義はもはや有効ではなくお役ごめんになったと大衆に信じさせるのはたやすいことです。それははなはだ厳しすぎるように思えますから。

しかし教義は何も変わっていません。この分野においては何も変えられ得ません。

私たちの主はいくつもの教会を創ったわけではありません。私たちの主はたった一つの教会を創立しました。私たちを救うことのできる唯一の十字架があり、それはカトリック教会に与えられました。他には与えられなかったものです。

御自分の神秘的花嫁なる教会に、キリストは全ての恩寵をお与えになったのです。カトリック教会を通らずして世界に、そして人類の歴史に恩寵は分配されることはありません。

これはプロテスタント信者、イスラム教徒、仏教徒あるいは精霊信仰者のだれも救われないと言う意味でしょうか?

いいえ、こう考えるのは第二の誤謬になるでしょう。“教会の外に救いはない”という聖チプリアーノの定型句を不寛容に叫ぶ人々は、同時に“我は罪の赦しとなる唯一の洗礼を信じる”という信仰宣言を否認しています。つまり彼らは十分に洗礼が何であるのかについて教育されていないのです。洗礼を授かるには三つの方法があります。水による洗礼、血による洗礼(これは洗礼志願者であった当時信仰告白して殉教者が受ける洗礼のこと)それから望みの洗礼です。

望みの洗礼は明白でありえます。何度もアフリカにおいて“神父様、早く洗礼を授けてください。そうしないと神父様が今度戻ってくる前に私が死んだら、私は地獄に行くでしょう”と洗礼志願者の一人が言うのを聞きました。私たちは彼に答えるのを常としました。“そんなことありませんよ、もしあなたの良心に大罪を持たず、あなたが洗礼を望むのなら、そのときあなたは既に御自分のうちに恩寵を持っているのですから。”

教会の教義はまた暗黙の望みの洗礼をも認めています。これは天主の聖旨を行うことにあるのです。天主は全ての人をご存知です。従って、天主はプロテスタント信者、イスラム教徒、仏教徒そして全人類の中に良い意志の人が存在することを御存知です。彼らはそれを知ることなしに、しかし有効な方法により洗礼の恩寵を受けます。この方法で彼らは教会の一員になるのです。

誤謬は「彼らの宗教によって救われるという考え方」にあります。

彼らが、彼らの宗教の「中で」救われるとしても、しかしその宗教「によって」ではありません。

イスラム教によってでも神道によって救われるのでもありません。天国には仏教徒教会もプロテスタント教会もありません。これはおそらく聞きたくないようなことかもしれません。しかしこれが真理なのです。

私が教会を創立したのではなく、私たちの主が、天主の御子なる私たちの主が創立したのです。司祭として私たちは真理を述べなければなりません。

キリスト教が浸透していない国々において人々にとって、望みの洗礼を受けに到達するのは、どれ程大きな困難の代価を払ってでしょうか!

誤謬は聖霊をさまたげます。これは、何故教会が常に世界のあらゆる国に宣教師を送り、何故無数の宣教師たちは殉教を忍んできたのかを解き明かします。もしすべての宗教に救いが見出されるのなら、どうして数々の海を渡り、有害な気候、過酷な生活、病気そして早死に自らをさらすのでしょうか?

聖ステファノが殉教(キリストのために最初に命を捧げ、それゆえに彼の祝日はクリスマスの翌日となる)するやいなや、使徒たちは地中海諸国一体に福音を述べ伝え始めました。

もしも人がキュベレーの女神礼拝またはエレウシス (ギリシャ、アテネ西方の都市。古代のデメテル信仰の中心地) の神秘によって救われるのなら、彼ら使徒たちはそうしたでしょうか?何故私たちの主は“行って全ての国に福音を告げしらせなさい”と仰ったのでしょうか?

現代、各自が自分の“文化的環境”に根付いている信仰に従って、各々、天主への道を見つけ出させよと主張している人がいるということは驚くばかりです。

ある司教は、イスラム教徒の子供の改宗を望んでいる司祭に対し“駄目です。良きイスラム信者であるよう教えなさい。そしてそのほうがイスラム教徒をカトリック信者に改宗させることよりもさらに有益ですよ”と言ったことがあります。

次のことを私は確実なところから聞きましたので、断言でしますが、第二バチカン公会議前テーゼ共同体は自らの誤謬を放棄してカトリックになることを望んでいましたが、当局は彼らに言いました。「だめです。お待ちください。公会議後あなた方はカトリック信者とプロテスタント信者の架け橋になるでしょうから。」

この返答をした方々は天主のみ前に非常に大きな責任を負っています。なぜなら恩寵は与えられた瞬間にだけやって来るからです。つまり、それはおそらく二度とやって来ないかも知れないからです。現在テーゼの同胞たちは、おそらく善意をもっている人々でしょうが、依然として教会の外におり、そこを訪れる若者たちの心に混乱を巻き起こしているのです。
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自分たちの力だけで人を救うことはできない (John)
2020-10-12 19:43:00
この一言に引っ掛かりました。

人を救うのは天主様で、聖職者も信者も天主様の手足となって働くだけではないのでしょうか。修道会を創立した神父様や修道女の方々は多くの困難に直面しても、天主様の御旨ならば必ず実現すると信じて、困難に立ち向かっていかれたではありませんか。 「自分たちの力だけで人を救うことはできない」から他宗教と協力する、というのはおかしいくありませんか。聖パウロも困難にひるむことなく、福音を述べ伝え続けました。聖フランシスコ・ザビエルもそうです。二千年に亘って素晴らしい先輩たちがいるのに、先輩たちが身をもってした証しに続いていかないというのは、おかしいと私は思います。
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Unknown (Gerry)
2020-10-12 20:59:51
カトリック教会と関係ない団体であることが明示された場合、東京教区のカトリック信徒がその団体の行事に参加することは認められていない(違法である)ということ。

それなら、菊地大司教様がなさっておられることは、違法だということになりますね。

英神父様は、きっと「この "エキュメニカルな時代" ではそんなの関係ないですよ。だいたいこんなことに縛られるのがおかしいのとちゃいますか」って言いますね。
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