JR快速に乗り換えたときに、若い女性が立ち上がりながら「どうぞ」。私は2つ目の駅で降りるので「ありがとう。でもすぐ降りますので」と言うと、女性はちょっと戸惑ったみたいにまた座りました。
暫くしてその女性は「お若いのに・・・返って失礼・・・申し訳ない・・・ごめんなさい」と。電車の音に邪魔されてうまく聞きとれず、若い自分が座ってしまい申し訳ないと解釈したので「いえいえ、気になさらないで」と。
それでも彼女が何か凄く気にしている雰囲気だったので、彼女の言葉を反芻しているうちに「お若いのに席を譲ると言って返って申し訳ない。・・ごめんなさい」と言ったのだと確信しました。
相手の心を汲まない私が悪いのであり、降りるときに「折角のご厚意を無にしてしまってごめんなさいね。すぐ降りるとこだったので。」「いえいえこちらこそお若いのに失礼なことを言ってしまって申し訳ありませんでした」。
2駅の間じゅう彼女はずっと落ち着かない思いをしたと思うと、席を譲られたときに素直に従えばよかったと後悔しました。これがきっかけで彼女の善意が損なわれないことを祈ってます。
地下鉄の中で。大学生が立ち上がって50代くらいの女性に席を譲りました。その女性は何かひと言言ってとうとう座りませんでした。変な空気が流れて大学生は所在なさそうに場所を変わりました。その席はずっと空いたままでした。これをきっかけに彼の善意は変わるかもしれない・・・。
リヨンでのこと。小雨で結構混んでいるトラムに1歳ぐらいの子供を抱き4歳ぐらいの坊やを連れた若いママが乗ってきました。立っている私の前の席が一つ空いたので坊やに勧めると、その横に座っている初老の夫人が「子供は座るべきでない。貴女が座りなさい」と私を指さしながら厳しい声で注意しました。子連れママの大変さを思った私だったのですが、私の考えが間違っていると指摘されたのです。国民性の違いかも・・・。
韓国の電車の中で。まだ60歳前の頃、男子高校生二人がさっと席を立ち私たちに席を譲ってくれました。二人ともまだ「譲られる」ことに慣れていない年齢なので愕然!それでも笑顔で「ありがとう」と腰掛けましたが、儒教の国で長幼の序があるからだと自分たちを納得させました。高校生の身についた自然な行為に感心しました。
今では私も譲られる年齢。でも座っているときに「譲るべきではないか」と迷う場面もしばしば。そんな時は「もう直ぐ降りますから」とさり気なく立ち上がり降り口の方に進むことにしています。
「譲る」「譲られる」はなかなか難しいものがあります。