新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

諭吉 と重信

2018年12月15日 | 歴史

佐賀の大隈重信記念館を訪ねた時、庭に長身だった重信の銅像が建っていました。その建立に際して寄付金が余りにも集まっていなかったので、早慶戦を乗り越えて寄付したと義弟が苦笑していました。(写真はネットからお借りしました)

    

   

スポーツ界のみならずいつの間にか、早と慶を世間ではライバルとみていますが、この資料館で、福沢諭吉と大隈はずっと親交があったこと、暴漢に襲われて右足を失ったことを知りました。二人の関係を知ればもっと面白いだろうな・・・と。
ちょうど妹に貸していた『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』の下巻を所望され「???」・・・。私は上巻だけしか買ってないことに気づき慌てて購入。この中に二人の関係も詳しくでていたのです。
 
下巻は、義務教育では無意味に暗記した年表でしたが、その重要事項の羅列を分かりやすく繋いだ内容でした。諭吉を取り巻く政財界、教育界の人脈が浮き彫りにされて、渦巻く権力は資料をもとにした小説としてはなかなか面白いものです。
大隈とは「生涯を通じてライバルになったことなどなく、肝胆相照らす盟友であり続けた」そうです。義塾経営の財政難を相談したり、大隈のもとに有能な義塾生を送り込んだり、お互いの才能と人格を認め合っていました。

諭吉は思想家、教育家としてだけでなく、企業家としても渋沢栄一と比肩されるほどです。諭吉は情報交換のために「交詢社」を立ち上げ、ここで練られた構想が明治生命、東京海上、横浜正金銀行と、産業の近代化に貢献しました。

意外性は九鬼隆一の妻と岡倉天心の「不倫」。九鬼は妻と天心の関係に気づきましたが、不思議なことに、岡倉の才能をかっていた九鬼は力を合わせて美術の振興に大いに力を注ぎました。あの岡倉天心が・・・初耳でした。
九鬼は慶応義塾出身の官僚です。自分の門下から権力の亡者がでた情けなさと、九鬼の保身のために受けた裏切りを諭吉は終生憎悪しました。

もう一つは、諭吉の次女・お房の婿養子・福沢桃介のこと。米国留学と引き替えに強制的に婿養子となった桃介には相思相愛の女性がいました。後の川上貞奴です。(その後川上音二郎と結婚。海外公演、女優として活躍します)
お房は桃介の夜遊びに泣かされ、「桃介を去勢しておきたかった。そうすれば福澤先生も安心されたろうに」といわれるほど。福澤には3人の男の子がいましたが、娘を手元に置いておきたいほど子煩悩で、そのための婿養子だったようです。
その後、音二郎も亡くなり貞奴とよりを戻した桃介は、諭吉の死後は彼女と暮すようになり、聡明な貞奴のサポートで事業もうまくいったようです。

 大隈重信から、大久保利通、明治14年の政変、自由民権運動、国会開設運動、教育令、改正教育令と激動の歴史が少ないページで分かりやすく書かれていました。いきなり始まった近代は困難の中こうして夜が明けていったのです。

コメント