新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

伊集院静『ミチクサ先生』その⑧

2021年02月06日 | 本・新聞小説
金之助(漱石)が熊本で穏やかな教師生活を送っている梅雨のころ、増水した川に『五高ん先生の奥さんが、白川に身投げせらしたばい』と大変なことに。しかし、ここは五高の舎監·浅井栄凞が機転を利かせて、鏡子の災難が妙な噂にならないうちに関係者にいち早く説得して回っていました。
金之助は、以前にも妻・鏡子が夜半に裏の沼に入ったことを思い出します。その時は女中のとくが女性に特有の生理的な関係で・・・ということでうまく処理していました。
今回も鏡子を助け上げたという漁師が「自分が救ったのではない、奥さんの方から自分が投げた網を手繰り寄せた。それは身投げした人のすることではない、奥さんは投げた網が目の前に届いたときに嬉しい笑顔を浮かべていた」と身投げを否定しました。その言葉に救われた金之助は静かに涙をためてためて漁師の骨太い手を握りしめました。

身体を回復しかけた鏡子は「···あの日、私には何が起きたのでしょう?」と金之助に尋ねます。
「自分が思うに、キヨ(鏡子)さんは川辺に散歩に出かけて、何かの拍子に転んで身体が水面に近づいてしまったのさ。そこへ漁師の船が通りかかって君を水から救ってくれた。君はその飛んできた網を嬉しそうに掴んだと、漁師は言っていたよ。面白いこともあるのだと感心したよ」
「本当ですね。そんなことってあるんですね」
「泳ぎのできる君は船が来なくても一人で岸へ上がっただろう。網に笑って手をかけたのも、君が懸命に生きようとしている証さ」
「そういわれるとなんだか元気になりました」
「うん、そりゃいい。それと、人間には大人になれば忘れなくちゃならんものも、いくつかできる」

ある日の縁側で、女中のとくは「旦那様のおっしゃるとおりですよ。過ぎたことをあれこれ考えたってしかたないですよ。きれいさっぱりと忘れれば、胸の中がすっきりしますものね」と、金之助の優しい言葉に感心しました。

落ち着きを取り戻した穏やかなある日、とくは鏡子の懐妊の喜びを金之助に告げます。2度の流産を経て、今度こそはというとくの表情は自信に満ちていました。そんなとくの珍しいデザインの瑪瑙の帯留めに目が止まります。明治も30年を過ぎたこの時期、こうした装飾品に庶民の手が届くようになっていました。各地では博覧会、物産会が開催され人々の間にデザインが浸透し始めていました。

こんな風にさりげなく庶民生活からこの頃の時代背景に移るあたりに、著者の話の組み立て方のうまさを感じます。

明治30年代は不平等条約の不均衡もようやく改められ、治外法権も廃止されます。


縁日には舶来品が出回り、首元に高い襟をつけた洋装から、西洋かぶれを"ハイカラ"と呼び始め、のちに金之助と森林太郎(鴎外)がその代表にされます。

欧州への定期航路が開かれ、産業では綿糸の輸出が増えて大紡績時代を迎えました。
日本初の製鉄会社が誕生、日清戦争の次の対戦相手が囁かれだして、軍艦や武器弾薬の生産が突貫行程で行われました。海外の情報収集も必須で、同時に海外の文芸作品が日本人の目に止まるようになってきます。
明治はこうして文明開花を形にしていきました。

大病を克服した後の伊集院氏は、ストーリーを縦に横に広げてその見事さに日々感動して読んでいます。

私の鏡子のイメージとはかなり違って、挿し絵に見る著者の鏡子像は純真でこだわりのない素直な女性に描かれています。心なしか挿絵の鏡子は美しい伊集院夫人を彷彿とさせます。

自死に関する優しいまなざしは著者の心からのメッセージではないかと受け取りました。「忘れなくてはならないものがある」、このあたたかさと思いやりが著者の穏やかな家庭生活の核になっている気がします。家族を守る、個人を尊重する、この優しさに著者の人格を見る思いです。

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