新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

天才を育てた二人の母親(千住家と五嶋ファミリー)

2019年03月03日 | 本・新聞小説

「天皇陛下在位三十年記念式典」がお二人にふさわしく格式高く、簡素に、厳かに行われました。その時にピアノ、ヴァイオリンを弾いたのが千住明、真理子のご兄妹です。こういう節目の大切な式典に兄妹揃って出演、何と素晴らしい才能・・・。千住家に関して読んだ本を思い出しました。教育評論家としても活躍された母親の千住文子『 千住家の教育白書』と千住真理子『千住家にストラディヴァリウスが来た日』です。

「千住3兄妹」を世界的な芸術家に育てた母親の記録です。
幼い子供の感性に時には戸惑いながらも、夫である鎮雄さんとのやり取りの中で同じ教育理念を見出し子育てに奮闘します。この夫婦のベクトルが同じ方向を向くというのが重要だと思いました。

行儀のいい良い人間に育て上げるのでなく、子供の持っている才能を明確にし本人が幸せに生きていけるように導きサポートするという事でした。具体的な場面場面で子供への向かい方や導き方が親の権威からでなく、子供の目線を大事にする聡明な姿が見えます。

この本を子育て中に読んだとしても、私は同じようなことはとてもできません。普通の家庭とは生まれた時からスタートが違い、横の文化的人間のつながりにも差があります。そのように恵まれた土台があったにしろ生まれつきの才能と導き方、サポートの仕方はやはり特異なものであり賞賛すべきものです。子育てが終わって客観的に読んでただただ感心し、感銘を受けました。

そして今、別の天才を育てた母親として、五嶋みどりさんの母・節さんのことを書いた『母と神童』を読み終わりました。「五嶋節物語」の副題がつくほどに波瀾に富んだ半生記は衝撃的でした。
  
節は幼いころからヴァイオリンを学び、その才能を見出されヴァイオリニストを目指します。が、時代も親もそれを許しません。大学の音楽部を中退、挫折の中で結婚、出産して娘・みどりを授かります。
そのみどりの才能に気づいた途端に、自分の夢を託して夫を残して二人で渡米します。みどりが10歳の時のこと。持参した300万円を費やしての節約生活、ジュリアード音楽院でもみどりのレッスンに立ち会い、家では厳しいトレーナー。
みどりのタングルウッドでの奇蹟。そう14歳、152センチの少女は
バーンスタインに呼ばれボストン交響楽団と共演。彼の作曲した難解な曲を演奏している時に、第5楽章で2度も弦が切れコンサートマスターとヴァイオリンを交換するというハプニングが起きましたが、何事もなかったように演奏を再開し最後まで弾き終えたのです。
《14歳の少女、タングルウッドを3本のヴァイオリンで征服》
《彼女の土曜の夜の勝利は音楽史に残るものだ》と新聞の一面に載り、さらに教科書にまで載るようになりました。 

そんな天才少女みどりを育てたのは強烈な個性の持ち主・節の感性と芸術性によるもの、また音楽家との交流という豊富な人間関係も後押しします。節を「猛烈教育ママ」といった佐渡裕もその真剣さを素晴らしいと評しています。その結果ヴァイオリンのために米国に在住する、夫とも離婚するという決断を下します。

このあと五嶋龍の父親となる金城摩承(かねしろまこと)と再婚します。出会ったのはみどりの通っていたジュリアード学院。

彼は17歳でヴァイオリンを始める遅いスタートですが、すんなり桐朋学園大学に入学し、ジュリアード音楽院に留学します。このころ節に出会います。
摩承はジュリアードに留学中の女性と結婚しますが、節と摩承がお互いに好意を持っていることを知り、摩承に「離婚するなら音楽を止めること」という厳しい条件をつけ、摩承はその通りに音楽をやめて節を選び結婚します。こうして生まれたのが五嶋龍です。摩承はその後イェール大学でMBAを取得し、「セガ・オブ・アメリカ」の副社長にまで昇進します。

みどりはこの頃、環境からくるストレス、音楽会のプレッシャー、レッスンの厳しさなどから拒食症に陥り、2か月半の入院生活をします。私から見れば過酷な音楽家の生活でした。精神療法家と接するうちに、ヴァイオリン以外はすべて母が取り仕切る自分を客観的にみられるようになり、自分を見つめ直すようになります。母親に頼らずに自分にできる何かを探して「みどり教育財団」を立ち上げ、そのNPOの奉仕活動を誇りを持って行うようになりました。私には、みどりさんのヴァイオリンは他と聴きくらべても繊細でその違いを聴き取れます。やはり素晴らしいヴァイオリニストだと思います。

みどりより16歳年下の弟・龍の絶対音感に早くから気づいた節は連日ヴァイオリンの厳しい過酷なレッスンを行います。時には父親の摩承が我慢できなくなるくらいに。みどりも龍も節の厳しすぎるレッスンに絶対服従するのは、それでも「ママが大好き」だったからです。こういうところが節の非凡さでしょうか。

若い音楽家を育てたいというバーンスタインの理想を実現した「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)」で、龍は7歳のデビューを果たします。この時の指揮・佐渡裕は龍に未来の「大家の匂い」を感じ取ったそうです。

このデビューに当たっては節の思惑も決断も根回しもかなり力が入っています。7歳でデビューとは「賭け」ですが、それだけ龍に対して自信を持っていたのです。

節の父親が空手師範だったこともあり、龍は10歳で黒帯という伸びの速さを示します。節も摩承
も「ヴァイオリンはやめるならやめていい」と口にしてはいますが、ヴァイオリンの王様・クライスラーがエスプリに溢れた人柄で音楽以上に他の幅広い知識を持っているように、龍にも知的で温かい心の人間になって欲しい、強烈な個性と能力を持った自分たちを越えて理想の姿に近づく「精神の王者」を龍に望んでいたのです。

現にこのあと、龍はハーバード大学の物理学科を卒業し、世界中を飛び回って演奏活動をしています。


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