長安に攻めてくる安禄山から逃れて蜀に向かうために、未明に宮城の門を出た一行は、玄宗、楊貴妃と姉たち、皇太子をはじめ皇子たち、楊国忠、高力士など宦官と阿部仲麻呂たち。その後ろには宝物を入れた荷車が20両、そのあとに陳玄礼が率いる3000の龍武軍が警固して従います。
昼、長安から20数キロの所にある離宮に着いたときは県令は逃げ出し、財物も持ち去られて食事もままならない旅になりました。食にありつけるのは玄宗の周辺ばかりで、将兵は飢えと渇きに苦しめられ次第に不満が募っていきます。
ここから更に西に13キロ進んだ馬嵬駅に着いたとき、玄宗の警固のをめぐり、楊国忠と陳玄礼の間にいさかいが起こります。いらだつ配下の将を力で押さえつけようとした楊国忠は、一瞬にして一兵士に一刀の下に首を切り落とされます。そしてその一族も。
陳玄礼ら龍武軍は、楊国忠の一門として楊貴妃にも責任があるとして貴妃の断罪を要求します。玄宗が応じなければ配下の将兵は納得せず玄宗の敵となって攻めかかるでしょう。朝家をとるか楊貴妃をとるか・・・。苦悩の玄宗は、皇帝の責任として楊貴妃に死を命じました。覚悟していた楊貴妃は恨み言も発せず化粧をして身支度を終えると、まるで静かな儀式であるかのごとく高力士によって絞殺されました。
陳玄礼は玄宗が決断してくれたことに感極まって、これで配下の将兵を従わせることができる、非常の要求をした責任は死をもってあがなうと言いますが、皇帝として玄宗は兵の苦労をいたわり、役目に励むように申し付けました。
ここに及んで、仲麻呂の案で、皇太子(李亨)に皇位を譲り、そこで軍勢を立て直し長安を奪還することを勧めます。翌日2000の兵と名馬を与えられた皇太子は北の霊武に向かい、玄宗は僅かな手勢と共に西の蜀に向かいます。
仲麻呂はこの時に、離別後自死したと思っていた元妻の若晴と劇的な再会をします。二人の心を知っている妻・玉鈴は若晴を温かく迎え、自分は真備の妻・春燕に従って潔く去っていきました。
この争いで散乱した宝物の中に、仲麻呂は『魏略』を見つけその中の「第38巻」だけを真備の妻・春燕に託し真備に届けるように頼みます。
若晴は玄宗の侍医として仲麻呂と共に玄宗に従いました。仲麻呂56歳、若晴54歳でした。ここでこの小説での仲麻呂の登場は終わっています。まだ後日譚には事欠かないと思うのですが。
仲麻呂の帰国に際し玄宗から送られた「第38巻」が、海路の途中で偽物とわかりますが、その巻物も嵐の遭難と共に消えます。
この馬嵬駅での争いの最中に、偶然にも本物の「第38巻」を入手したことがこの小説の中では重要なポイントです。
この後は舞台は日本に移り、真備は藤原氏の勢力に対抗していきます。