意外にも、預けていた荷物は早く受けとることができた。
ほっと一息ついた私は空港の出口でガイドのTさんと迎えの車が来るのを待っていた。
空港前のロータリーは超混雑状態であった。
私のような到着便の乗客とそれを迎えにきた人々と、ポーター、警備の兵士、なにやらさっぱり正体のわからないやじ馬のような人々が、わんさか溢れていたのであった。
道路は道路でワゴン車やタクシーなどでメチャクチャ混雑していた。
正直言って、ひとりでここに来ていたらタクシーを探し出せていたかどうか果たして疑問だ。
まず、どれがタクシーなのか皆目検討がつかない。
メータータクシーなんぞ姿はないし、リムジンカウンターさえ、ぼや~とした私の目には見つけることができない。
つまりタクシーと一般車の区別がつかないのだ。
よくぞ、今回ばかりはガイドさんとタクシーをチャーターしたものだ、と普段は完全なバックパッカーである自分自身を褒めてやった。
「ちょっと待ってください。ここでは駐車できないので.....いま車がきますから。」
それにしてもTさんの日本語は完ぺきだった。
普通の日本人と話しているような感覚があり、どうしてもTさんがミャンマー人だなんて思えないくらいだ。
その日本語スキルは正直言って、ネイティブな日本人より上手いくらいなのであった。
そもそもミャンマー人は容姿が日本人と極めて似ているため、まるで日本人と話しをしているような錯覚をする。
Tさんがもしロンジーというスカートに似たミャンマーの民族衣装を身につけていなければ、日本人と言っても、多くの人は信じてしまうに違いない。
「日本語がお上手ですね。」
と私は言った。
「ありがとうございます。」
こういうところが日本人ではないところなのかもわからない。
日本人だと、
「いえいえ、そんなこと」
などと、しょーもない謙遜なんぞをしたりなんかするのだ。
で、Tさんは続けた。
「学校で勉強しました。」
「日本の学校でですか?」
と、私。
「いいえ。ヤンゴンでです。日本には行ったことがありません。」
学校で勉強するだけで、これだけ流ちょうに外国語を話せるようになるとは、素晴らしい。
彼女にはもともと日本語をマスターするだけの素養があったのか、それともミャンマー人一般がそうなのかはわからない。
しかし、かなりのレベルだ。
よくよく聞いてみると彼女は日本語検定二級に合格していて漢字もそこそこ読むことができるそうだ。
日本では多大の学習費を支払い、豪、英、米など英語圏の国へ「短期語学留学」と称して遊びに行き、
「私、英語得意やねん。」
と宣ってくれるパープーお姉さん、お兄さん方をよく見かける。
しかし、こういうお上りさんたちは、いざ話しだすと英語はおろか、母国語である日本語でさえまともに話すことができない輩が多い。
嘆かわしいことではないか。
それに比べるとここミャンマーはどうだ。
凄いではないか。
かくいう私なども英会話スクールに通うようになって十数年が経過するが、未だにフランス語が話せるようにはならない。
当たり前か。
で、そうこうするうちに、迎えの車がやって来た。
迎えの車はメタリックグレーの中古のトヨタマークトゥー。
一応タクシーのはずなのであったが、普通の日本の中古車だ。
運転手は目つきの鋭い、しかし気の良さそうな痩身の男であった。
そして彼ももた、ミャンマーの民族衣装ロンジーを身に付けていたのだった。
つづく
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