萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第33話 雪灯act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-02-02 23:35:02 | 陽はまた昇るanother,side story
雪山、そのよせる想いと記憶と




第33話 雪灯act.2―another,side story「陽はまた昇る」

夕映えの気配が奥多摩の山にふり始めた。
国村が運転するミニパトカーの車窓には雪山が夕映えの朱をふくんで聳えていく。
あわい朱と白と紫紺、空と山がひろげる冬の光景に周太はほっとため息を吐いた。

…きれい、ほんとうに

昨日今日と英二は冬富士から写メールをおくってくれた。
その写真はどれも美しかった、けれど実際に見つめるのは心の響き方が違う。
やっぱりその場所に立ってみないと解らない、来るときの青梅線の車窓でもそう思った。
こうして雪山を見つめていると英二の気持ちが解ってくる。

…こんなきれいな姿を、いつも英二は見つめている…憧れる気持ち、わかる…

英二の気持ちを理解できること。今日、この雪の奥多摩に来られたことが本当に良かった。
うれしくて周太は雪の山波へそっと微笑んだ。
そんな周太に温かな笑顔で吉村医師が話しかけてくれた。

「湯原くん、雪の奥多摩は初めてですか?」
「小さい頃に、父と来させて頂いています。山麓の森で雪遊びをしたんです」

父と見た雪の奥多摩。あれは小学校3年生の冬だった。
あの日は休日で、母は友人と日帰り旅行へ出掛けていた。
父と2人で母を朝早く見送ってからココアを作って。いつものように板敷廊下の籐椅子に寛いで庭を眺めて飲んでいた。
そこへ降り出した雪に父が「ん、雪の山を見に行こうか、周」と笑ってくれた。
水筒には熱いココア、初めて履いたアイゼン、父が作ってくれた熱いチーズサンド。
そんな懐かしい雪の日の記憶が温かい、父の笑顔の記憶に周太も微笑んだ。

「そうですか。雪の森は、きれいだったでしょう?」
「はい、あかるい雪曇りの白い空が雪の枝に透けて。朝10時位で静かな森でした、2,3組の登山客を見かけて…」

ふるい幸せな記憶、父と過ごした山での時間。
山では父はいつも幸せそうで楽しそうで、いつも以上に穏かで明るかった。
そしてあの日の父は特に嬉しそうで、雪の山に目を細めて笑っていた。

―ね、周?雪山は、きれいだろう?…お父さんはね、雪山を見るのが好きなんだ

そう、父も雪山が好きだった。
そしてあの雪の森で父は冬富士や剣岳の話をしてくれた。
周太が生まれるより昔、学生時代の父が登った冬の雪山たちの話は厳しくて美しい姿だった。

…そうだった、お父さん、雪山が好きだった…

ふるい幸せな記憶の父の笑顔と雪山の話。
どうして忘れていられたのだろう?こんなに幸せな記憶の会話を。
そして思い出す父の話はきっと再び聴かせてもらえる、周太は助手席の後姿を見つめた。

…英二も、雪山を愛し始めている…お父さんのように

英二は不思議と父と似ていることが多い。
読書が好きで山での時間を愛して、きれいな切長い目で美しい笑顔を見せてくれる。
やさしい穏やかで静かな空気、相手の邪魔をしない気配の工夫、それから時おり見せる深い翳り。実直で賢明な性質。
けれど英二は父と違って、直情的で一途な熱を持っている。
人を惹きつける美貌と端正な姿、直情的なまま誇り高くて欲しいものは絶対に掴んで離さない。
そんな英二の傲慢なほどの想いに掴まえられて、周太はいま英二の隣にいる。

父とよく似ている英二、けれど父とは全く違う英二。
ふたりとも自分の大切なひと。そして自分の運命を動かすのも父と英二のふたりだろう。
父の軌跡を追うために自分は父と同じ「射撃の名手の警察官」となって今、ここにいる。
そんな自分を見つめて守ろうと英二はずっと隣にいてくれる。その英二への想いの為に自分は今日ここへ来た。

…ね、お父さん?俺はね、これから雪山でテスト射手をするよ?

心でそっと父に語りかけて周太は、奥多摩交番の駐車場に降り立った。
奥多摩交番に入ると山岳救助隊副隊長の後藤が刑事風の男と奥の部屋で話していた。
後藤は気が付くとすぐ立ち上がり、国村と英二の腕をがっしりとした掌で掴んだ。

「おまえ達、ちょっと2階にあがれ。吉村、一緒に来てくれ。湯原くんもおいで」

にこやかでも後藤の目は真剣だった。
この真剣な理由を周太も吉村医師から聴いて知っている。
自分も一緒に行って大丈夫だろうか?目で吉村医師に訊くと微笑んで頷いてくれた。
周太と吉村医師が休憩室に入るとすぐ後藤は扉を閉めて、周太に微笑んだ。

「久しぶりだな、湯原くん。来た早々にちょっと悪いな?」
「いいえ、こちらこそ、すみません」
「何を言ってるんだい、すまないのはこっちだよ?さ、ちょっと待っててくれな?」

やさしく周太に笑いかけてくれると、直ぐに後藤は踵を返してストーブをつけた。
そして真直ぐに国村に向き直ると穏やかに言った。

「光一、左肩を見せてみろ」

いつにない真剣な表情で後藤が国村の目を見つめている。
いまは公務中でお互いに山岳救助隊服を着ている、けれど後藤は「光一」と国村を呼んだ。
亡くした友人の大切な遺児として、心から心配する想いが後藤の頼もしい背中からあふれている。
そんな後藤に国村は底抜けに明るい目で笑った。

「堀内先生から聴いちゃったんだね?仕方ないな、」

からり笑うと国村は隊服のアウターシェルを上だけ素直に脱ぎ、アンダーウェアも脱ぎ始めた。
その間に後藤は英二の両掌を掴むと指先まで細かく見、吉村医師にきいてくれる。

「なあ、吉村。凍傷の徴候は無いよな?」
「はい、さっきから様子を拝見していますが、大丈夫です。ただ頬に裂傷がありますが、鋭い傷痕ですし治りも早いでしょう」
「そうか、良かったよ…」

富士山の雪崩で飛ばされた雪塊で負傷した国村は、富士吉田の堀内医師に受診している。
この堀内医師が吉村医師の大学時代からの友人だった。
それで堀内医師から吉村医師へ連絡が来て、国村の負傷と英二の状況が知らされている。
国村は遭難救助の件は公衆電話から報告したけれど負傷の件は言わなかったらしい。
きっと誇り高い国村は自分のミスではなくとも「自分が山で遭難した」など当然に許せないのだろう。

きっと、英二にも口止めしたんだろうな?
そんな想いで国村を見ると、観念したように素直に上半身の服を脱いでいる。
そして最後のTシャツも脱いで国村は上半身の肌を空気に晒した。
その国村の姿に周太は驚いて息を呑んだ。

雪白の肌が、きれいだった。
透けるような肌は艶めいて、あかるい輝きのまぶしさが新雪に似ていた。
大きな蒼黒い痣に左肩が覆われても、生来の細やかな肌理の美しさは損なわれていない。
均整のとれた筋肉が端正な細身の長身は、真直ぐ伸びた背の姿勢に凛冽がにおやかで潔かった。
上品な横顔は雪白の肌に黒髪があざやかで、あわい紅潮の頬にかかるコントラストが美しい。

…こんなに、きれいなひと…だったんだ

そっとため息を吐いて周太はすこし俯いた。
最初に国村を見た時から、きれいなひとだなと周太は思っている。
けれど肌を晒した国村は、美しい生来の肌理が雪白に艶やかで際立っていた。
いつも英二を見つめていて、きれいだなと周太は見惚れてしまう。
そんな英二と国村は並んで笑っていると似合っていて、心から親しい友人同士の空気が楽しげで好きだ。
けれど国村の素肌の姿を見てしまって、心が罅割れるように痛み始めた。

いけないと解っている。
けれど自分と比べてしまって、そして哀しくなってしまう。
自分は、国村や英二のような美しい体とは違う。
自分は小柄で本当は華奢な骨格で、そこへ無理に鍛えた筋肉で覆って体力をつけた。
肌もこんな輝くような白さもない、端麗な容貌でもなくて。
そして最高峰の踏破を目指せるほどの能力も、意志の強さも自分には無い。

…本当に英二と似合う、こんなにきれいなひと…
 このひとを毎日、英二は見ている…雪山と同じように、惹かれてしまわない、の?

ぽつんと自分で心につぶやいた、その言葉の1つずつが尚更に心を刺して痛い。
国村や英二とは自分は違う。それは解っていたこと、けれどこうして見てしまって実感を伴って心に痛い。
どうして英二は自分を選んでしまったのだろう?そんな疑問すら心にわいて苦しい。
こんなに似合いのひとが英二の傍にいる、アンザイレンパートナーとして並んでいる。
それなのにどうして英二は自分の隣に帰ると言ってくれるのだろう?
ほんとうに似合う相手と英二は出会った、それでもなぜ英二は自分と婚約してしまったのだろう?

…ね、英二?どうして、俺なの?

ぼんやりと周太は休憩室の床を見つめていた。
それでも時折きれいな低い声が聞こえてきて、うれしい想いと心の痛みが織り交ざってくる。
いつもならただ幸せに聞こえる英二の声、けれど起き上がってしまった疑問が嬉しい分だけ突き刺さる。

「大丈夫です、俺はどこも痛めていませんから。国村も大丈夫です、あいつ、山に愛されていますから」
「するべきことをしただけです、国村は俺のアンザイレンパートナーですから。ほら、副隊長。あいつ待ってますよ?」

聞こえてしまう、きれいな低い声。
その声が、きれいなひとの名前を呼んでいる。
その声が呼ぶ名前には、親しみと気安さがこめられて楽しい想いが響く。
そんなふうに英二が他の人を呼ぶことを自分は知らない。

どうして、なぜ?
英二は自分を幸せにしようと願って、全てを懸けてくれている。
そんな英二の自分への想いと態度は、いつも真直ぐで偽りなくて。
けれど、どうして、なぜなの英二?
どうしてこんなに似合うひとと並んでいながら、この自分に全てを懸けられるの?
そんな想いにしずみながら見つめる床に、ふっと影が映りこんだ。

「周太?」

きれいな低い声が自分の名前を呼んでくれた。
やさしいトーンの呼び声がうれしい、けれど顔をあげるのが難しくて周太は1つ息を吸った。
さあ顔をあげないと、そんな想いですこしあげた顔を切長い目が覗きこんでくれた。

「周太、だいじょうぶ?疲れたかな、どこか具合悪い?」

心配そうな目、やさしい穏やかな声。どれもが自分を心から気遣ってくれている。
けれど、やさしい健やかな心と美しい姿の英二には、いま自分が考えていたことは難しい。
やさしい真直ぐな英二には、こんな自分の想いには気づいてほしくない。
いま考えていたことを知ったら、きっと英二は傷ついてしまうだろうから。
この大好きな笑顔を曇らせたくない、その想いひとつの為に周太は微笑んだ。

「ん、大丈夫。ちょっとだけね、緊張しているだけだよ?」
「緊張?…あ、そうか。周太も野外での射撃は初めて?」
「ん、そう…山で、しかも夜はね、初めて」

山間部での野外射撃、そして夕暮れの難しい時間と夜間。
どれも初めてのことになる、そして扱う銃もひとつは初めて見て触るもの。
けれど負けたくない。そんな負けず嫌いがもう心に起きている。
きっと国村は天才だろう、けれど自分も射撃は8年間ずっと努力した。ただ父の想いを知る目的の為に。
そんな迫り上げそうな緊張にため息を吐いた周太に、きれいな笑顔で英二が言ってくれた。

「周太、だいじょうぶ。きっとね、周太だったら大丈夫だ。周太はきちんと任務が出来るよ?俺はね、そう信じてる」

信じてくれる。その言葉が今の自分には温かい。
こんなふうに英二はいつも自分の欲しい言葉をくれる。うれしくて周太は素直に頷いた。

「ん、ありがとう…英二、落ち着いてきたよ?」
「そっか、よかった。ね、周太。俺は吉村先生の手伝いだからさ、明日は別行動も多いんだ。でも今日は一緒で嬉しいよ」
「ん。先生の手伝いなんて、難しそうだね?…すごいな、」

初めて英二と一緒に現場に立つ、その任務の話を英二と出来ている。
奥多摩と新宿とに離れた卒業配置は適性と進路の違いだった、だから一緒に任務に就くなんて思っていなかった。
だから一緒に現場へ立てることが尚更に嬉しい、同じ警察官なら一度くらいは一緒に仕事をしてみたかったから。
そんな想いで話していると、機嫌よく笑いながら国村が英二の横へ来てポンと肩を叩いて言った。

「当分はさ、例の心配いらなそうだよ?ま、最高のお楽しみはとっとくね」
「よかったよ、出来ればずっと心配したくないな」

うれしそうに笑い返すと英二も国村の肩を叩きかえした。
そんな明るく親しげな様子は男同士の良い友だという空気が愉しい。
そういう空気は周太と英二の間にあるものと違っている。きっと英二には国村と自分は感情の向け方が全く違う。
それをすこしだけは自信にしてもいいのかな?すこし嬉しく思いながらもふと周太は気になって訊いてみた。

「英二、お楽しみって何?」

いま国村が言った「最高のお楽しみ」が気になった。
楽しいこと?らしいのに「心配」とも言っていた。それが不思議で気になってしまった。
なんだろう?そう見上げた英二は穏やかに笑って答えてくれた。

「国村の意地悪の話だよ、だから周太は気にしないで良いよ?」
「ん?意地悪されそうなの、英二?」

国村が得意の「転がし」なのかな?
いつも周太も国村には転がされてしまう、けれど明るい温かな笑顔の国村は憎めない。
さっき国村の姿を見て心は痛んだ、けれどそれは自分自身の問題。それと国村が好きなことは別問題でいる。
不思議なまま見上げている視界の端で他の3人が階下へと降り始めた。
自分達も行かないと?そう思った周太を長い腕が掴まえて抱きしめてしまった。

「大丈夫だよ、周太?あいつ面白がっているだけだから。かわいい、周太。心配してくれるんだ?」

力強い腕が頼もしくて温かな胸が幸せな気持ちにさせられる。
けれど今は任務中でもう行かないといけない、周太は腕から抜け出そうとした。

「だめだろ英二、にんむちゅうだからだめだってば、ほらいかないと?はなして、」
「なんで周太?ほら、今この部屋にはさ、もう誰もいないよ?」

うれしそうに英二は腕に力を込めてくる。
こんなときなのに抱きしめられると嬉しくて、けれど困ってしまう。
どうしよう?途惑って見上げた視線を受けとめて英二はきれいに笑ってくれた。

「ね、周太、あと5秒だけ抱っこさせて?」

きれいな笑顔、見惚れてしまう。
こんな笑顔をされたら断れるひとなんて居るのだろうか?
限定「5秒」という言葉にも絆されて周太は素直に頷いた。

「…はい、」
「はい。なんて、かわいい周太、こっち向いて?」
「ん?」

言われて上向けた顔にすぐ、きれいな笑顔が近づいた。
きれいな笑顔がうれしいな?そんな瞬間に素早く唇に唇がふれた。

「…あ、」

いま任務中でここは奥多摩交番の2階休憩室。それなのに自分は今ここで何をされてしまった?
呆然としていると「ほら、周太?行くよ」と言われて、気がついたら1階の奥の部屋に立っていた。
部屋では刑事風の男が銃火器のケースをセットしている、彼は周太に気がつくとすぐに声を掛けた。

「新宿署の湯原くんだね、今回はお願いします。じゃあ射手の2人はテスト銃の前に来てくれ」

テスト銃。その言葉に周太の精神と頭脳がクリアになった。
いまから銃を扱うことになる、その緊張感と冷静な視線がすっと心に寄りそっていく。
鎮静化していく頭と心で、しずかに周太は銃火器ケースの前に立った。

「弾も火薬量も揃えてある、全く同じ条件で2人には狙撃を行ってもらう。
 この時間だと現場が暗くなってくるから、2人とも明るいここで一度チェックしてくれ。」

普段携行しているリボルバー式拳銃と、初めて見る狩猟用ライフルが用意されていた。
銃の飛距離は弾頭形状と火薬量と弾頭重量などの条件により変化するため、これらを2人の射手が同じ条件下で調査を実施する。
そのために全てを同じに揃えたテスト用の銃が準備されていた。
まずリボルバー式拳銃を周太は手にとった。いつものようにリボルバーのシリンダーチェックをし、雷管を見ていく。
次に狩猟用ライフルの確認へうつると、初めて持った狩猟用ライフルはずしりと重たく感じた。

ライフル銃は標的射撃の競技用は大半が単発式であり、重量は4~8kg程度と一般の銃より重い。
競技用は精度を高める目的でバームレストなどの付属物あり、引き金は複雑なヘヤー・トリガー等で軽く作られるために重量が増す。
だから今、手にした狩猟用ライフルは4.2kgと競技用ライフルに慣れた周太にとっては軽い手ごたえでいる。
けれど周太にとってこの銃は重たかった。

豊和M1500バーミントハンティングモデル。それが今、周太の掌が握るライフル銃の呼称だった。

豊和M1500は豊和工業が開発したボルトアクションライフル。
日本では唯一の大口径ボルトアクションライフルであり、これ以前は「豊和ゴールデンベア」が作成されていた。
日本の工業製品らしく精巧・堅牢に作られていて、海外では比較的安価でも評価されている狩猟用ライフル。
いま周太が手にするモデルは猟銃として主にバーミントンハンティング、害獣駆除使用の目的で作られている。
そして日本ではもう一つの使用目的がある。そっと周太は心でつぶやいた。

…これが、警察の「狙撃銃」なんだね…

豊和M1500バーミントンハンティングモデル
全長 1,118mm
重量 4,200g
口径 .223Win 243Win .308Win 30-06 .300WinMagなど
装弾 5発

警察では機動隊の銃器対策部隊、そしてSATで導入されている。
日本警察では拳銃以外の装備を「特殊銃」と規定しており、M1500の装備品名は特殊銃I型とされていた。
この銃を狙撃手用として使用する場合は木製の銃床に二脚と照準器・スコープを装着する、モデル自体は変わらない。
いま手にする猟銃が映しだす、推測のなかの過去「事実」が周太の心を揺さぶった。

…SAT狙撃手が使用する狙撃銃、このM1500かこの前のゴールデンベアを、お父さんは使っていたの?

この銃が今日使われるテスト銃の1つだろう。そんな予測は勿論していた。
民間使用で多く使われるクマ撃ちにも使う猟銃で、警察がテスト銃として準備するといえばこのモデルになるだろう。
だから心構えは青梅線の車内でずっとしてきた、携帯の留守番電話のメッセージを聴きながら。

―周太、心配かけてごめんね?
  俺はちゃんと無事だよ、国村も。最高峰から周太の隣に帰るよ、明日は必ず逢いに行く

きれいな低い声、大好きな英二の声。
この大好きな声をずっと聴き続けるためにも、自分は父の軌跡を無事に見つめ終えてみせる。
だから今から自分がこのライフルを手にとれることは、1つ可能性が増えることだから、きっと幸運なはず。
今、テスト射手としてこのライフルに少しでも馴れることが出来たなら。
いつかこの銃を扱う日々に直面する危険を少し減らすことが出来る。
今は「猟銃」のテスト銃として使う。それでも、この銃の癖を今ここで掴んでおきたい。

…テスト射手は、色々な意味で幸運。
  だから、きっと自分は必ず無事に、お父さんの軌跡を終えられる。そして自分は、

ひとつ周太は呼吸をした。
そして丁寧に周太は銃の確認を始めていく。
慎重な手つきで見ていく周太の横から、先にチェックを終えた国村が声を掛けてくれた。

「この銃はね、湯原くん。
トリガー・ガードの前に出っ張ったレバーを手前に押すとさ、フロアーが外れるんだ。
だから何かに当たらないよう気をつけてね。ここが押されるとさ、フロアーが簡単に開いちゃうから」

底抜けに明るい目が温かく笑いかけてくれる。
同じ年だけれど国村は高卒任官で4年先輩になるから、19歳から警察官として銃火器を扱って4年のキャリアがある。
きっとそうだろうと思いながら周太は訊いてみた。

「国村さんは、このモデルを前にも使ったんですか?」
「うん、前にテスト射手やった時にね。あの時はさ、七機の銃火器の人と一緒にやったんだ」

その一回にしては国村は手馴れていた。
たぶんきっとこれもだろうな、周太は確認を終えてケースにしまうと国村を見あげた。

「その一回だけですか?」
「見たことはね、何度もあるよ。祖父さんもこれ使ってるからさ」

国村の祖父はクマ撃ち名人として有名だと聴いている。
その実績から青梅署推薦から猟銃安全指導委員を委嘱され、かつ射撃指導員資格の保持者とも聴いた。
ケースを持って歩き出しながら周太は国村に訊いてみた。

「お祖父さんと、猟に行くんですか?」
「ああ、たまにね。猟には子供のころから連れて行かれたよ、見てるだけはね。
で、祖父さんさ、俺が14歳になった途端に『おまえはクマ撃ちの跡継ぎだ』ってエアライフルやらせたんだよ」
「14歳から…」

周太が初めて射撃を始めたのは高校の射撃部だった。
だから14歳で始めた国村の方が周太よりも2年ほどキャリアが長くなる。
周太は同期の誰よりも射撃のキャリアが長い、けれど国村は同じ年でもそれ以上のキャリアを持っていた。
国村は祖父が猟師で射撃指導員という環境が年齢規定すぐにスタートさせている。
クマ撃ちの家系と環境が国村には整っているから、射撃センスが高いのも当然かもしれない。

…ライフルは2年先、拳銃も高卒任官だと19歳からで、俺より先だ

日本においても射撃競技用としての拳銃所持は民間人でも可能になる。
競技で所定の成績をあげた者が対象となり、エアピストル所持者500人の中でエアピストル4段の選手であることが条件になる。
公安委員会が日本全国で拳銃を所持できる競技者数を50人に制限しているが、エアピストル4段の選手は少ない。
そのため50人の上限に対して常に空きがあり許可申請があれば認められる状態とはなっている。
また拳銃所持が許可されても自宅保管では許可されず通常は所轄の警察署に管理され、練習や競技時には申告した上で持ち出す。

周太はエアピストルの競技経験はあっても、拳銃を扱ったのは警察学校が初めてだった。
それでも周太は最初の拳銃射撃訓練から10点を撃ち抜いた。
国村も警察学校入学の19歳になる春、最初の訓練から10点を撃ち抜いたと周太も聴いている。
そんな射撃能力の高さから本部特練選抜までされた。それも国村のキャリアでは当然だろうと頷けてしまう。
きっと国村は前回の射手も好成績だろう、並んで歩く明るい笑顔を周太は見あげた。

「国村さん、前回の射手のときは、狙撃の結果はいかがでしたか?」
「うん?全部の的を撃ったよ、任務だからさ。はい、湯原くん。どうぞ、」

軽やかに笑って国村は駐車場のミニパトカーの扉を開けてくれた。
ありがとうと礼を言って乗り込みながら、周太の唇からかすかなため息が零れた。
今日のテスト狙撃も国村はパーフェクトで終えるだろう。

国村の才能と環境、そしてさっき見たばかりの国村の体。
雪白の肌が魅せる際立って端麗な体の、無駄なく均整のとれた筋肉と端正で確かな骨格。
細身でも筋肉質で大柄な体は、最高のクライマーを嘱望されるなら体幹バランスも抜群だろう。
大きくて美しい天与の恵まれた体は、雪崩の衝撃にも軽傷で済むように射撃の衝撃も軽いのかもしれない。

…どれも、自分には無い。でも、負けたくない

ゆっくり目を瞑って周太は後部座席で一人、ゆるやかに心を落ち着け始めた。
吉村医師は奥多摩交番からは別行動で現場へ向かうため、後部座席には周太一人で静かに出来る。
すこしずつ息を吐いて吸っていく、一呼吸ごとに心の澱みが鎮静化していくのを独り静かに見つめた。
そして静かに目を開いたとき、運転席から国村が話しかけてくれた。

「湯原くん、弾道が自然物に受ける影響は知っているよな?」
「はい、基礎的なことなら」

素直に頷く周太に国村はバックミラー越しに微笑んでくれる。
微笑んだ底抜けに明るい目は温かい、こんな大らかな温もりは素直に好きだ。
けれどこれから並んで射手を務めることを想うと、落着けた心にもかすかに息苦しい。
きっと大好きになれる友人、だからこそ尚更に先ほどの自分の想いが哀しくて息苦しい。
そんな想いのなかを国村は説明を始めてくれた。

「今回の弾道調査はね、4つのポイントについて確認するんだ。
まず気温による比較。気温が下がりだす時と気温が上がっていく状況での比較調査。
それから日照による比較。夕暮れ、夜間、朝、昼間。この4つの時間帯は太陽光線が違うからね。 
そしてここからは雪山の特徴だ、雪での足場への影響と湿度の影響。それから山間部での標高による差での比較をする」

弾道は気温や気圧に影響されるが昼夜で変化する事はない。ただし光度による射手の視野視界による影響はある。
そして同じ弾でも標高の高い場所ほど距離が伸び、空気抵抗の小さい場所では存速を保っていく。
これらも弾種や口径によって伸び率は変わるが、ライフル弾では少なくとも最大射程距離が1km以上伸びる傾向がある。

「では同じ斜面で同じ方向へと狙撃することになりますよね?」
「そうだよ、自分が立つ斜面にね、水平方向に的が用意されている。そこを狙撃する。で、宮田?的はなんだっけ?」

急に大好きなひとの名前を呼ばれて周太は助手席を見つめた。
いつも気にしたことは無い、けれど今日は国村が「宮田」と呼んだことが気になってしまう。
ほっと1つ息ついた周太に大好きな声が話しかけてくれた。

「人体の弾力と骨組と同レベルの模型を的として用意してある。それともう一つは、ザイルが的だ」
「ザイルが?」

なぜザイルを標的にするのだろう?
意図がよくわからなくて周太は驚いたまま英二に訊いた。
そんな周太に英二は助手席から振向いて笑いかけてくれた。

「うん、ザイルだ。これはね、明日の昼間に狙撃してもらう。
今日はね、周太。夕方から夜にかけてはさ、暗さに目が慣れ難くて見通しが悪くなるだろう?その実験だ。
あとは夜間の暗視スコープをつけた状態と裸眼での差を調べることになる。だからザイルの説明は明日またするな」

ザイルの狙撃?
疑問が心に起きてしまう、どうして今は話してくれないのだろう?
けれど英二も言ったように、もうじき厳しい状況下での射手として立つ。だからもう心を揺らせてはいけない。
ひとつ呼吸を整えて周太は車窓の夕暮れ沈む雪山を見つめた。




(to be continued)

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