真直ぐに見つめて、

第33話 雪火act.7―side story「陽はまた昇る」
カラオケ屋から美代と周太は消えていた。
ある意味において予想通りかな?そんなふうに英二は無人の部屋を眺めて微笑んだ。
国村はコントローラーの選曲履歴をチェックして、からり笑った。
「ふうん。美代、怒ってるねえ?困ったなあ」
困ったなあと言う割には困って見えない。
仕方ないなと想いながら英二は訊いてみた。
「どこに行くとかさ、心当たりないのか?」
「まあね、たぶん俺の知らない店に行ったんじゃない?ま、あっちはあっちで楽しんでるよ、」
飄々と笑ってコントローラーを戻すと英二の腕を掴んだ。
なにかなと思って細い瞳を見つめると、どこか違和感がおもわれて英二は怪訝にすこし眉を顰めた。
けれどいつもどおりに国村は笑って英二に言った。
「俺たちもさ、楽しもうよ。ね、宮田?」
カラオケ屋を出て歩きながら飄々と国村は笑っている。
さっきの違和感は気の所為だろうか?考えながら英二は答えた。
「うん、…でも俺、周太が戻ってきたとき、独りにしたくないんだ、だからホテルに戻りたいんだけど、」
今日、周太は国村に銃口を向けた。
その心の傷が気になってしまう、だから独りに出来ればしたくない。
それに夕方に目覚めてからの周太との間に、なにか薄い紙でも挟まったようなもどかしさを感じている。
この違和感はなんなのだろう?よく解らない、それがまた何か不安な想いにさせられる。
すこしため息を吐きかけた英二に、からりと笑って国村が言った。
「じゃあさ、宮田?そのホテルの部屋で、ちょっと呑めばいいだろ?うん、いい考えだね」
「あ、…うん、いいけど?…」
もう国村はさっさと酒屋に入ってしまった。
国村は大の酒好きで、寮でもよく晩酌は当然だという顔で缶を白い指に持っている。
店に入っていくと国村はもう籠へと何種類かの酒を機嫌よく入れていた。
こんなに飲むのかと驚いていると、さっさと会計を済ませて英二を振向いた。
「ほら、行くよ?ぼさっとしてるんじゃないよ?」
底抜けに明るい目が笑って英二の腕を掴んだ。
腕を掴まれたまま一緒に酒屋を出ると、踏む雪がすこし固くなってきている。
明日は御岳山も凍っているだろう、もし巡廻に周太がつき合ってくれるならアイゼンが必要になる。
明日の朝は出勤前に寮へ戻ったら準備しよう、そう考えているうちにビジネスホテルに着いた。
昨日も泊まった部屋に着くと、さっさとサイドテーブルに缶や瓶をならべて国村は満足気に笑った。
「よし、これでいい。ほら、座りな」
ソファに座ると隣をぽんと叩いて座れとジェスチャーしてくる。
笑って素直に座ると英二の手に缶ビールを持たせてくれた。
「はい、乾杯」
軽く缶同士をぶつけると愉しげに笑って国村は缶に口をつけた。
ごくんと白い喉をならして飲み込むと英二を見て、いつも通りの温かな明るい眼差しで微笑んでくれる。
やっぱりさっきの違和感は気の所為だったかな?英二もひとくちビールを飲んで国村に笑いかけた。
英二の笑顔に底抜けに明るい目が笑って、透るテノールの声が率直に訊いてくれる。
「さっき屋上でさ、湯原がおまえの為に泣いた、って言っていたな」
「うん、傷つけたくない、きれいでいてほしい。そんなふうに言ってくれながら周太、涙を流してくれたんだ」
心を身体ごと大切にすること。
それは外見的な話だけじゃない、体を無理に触らせないことだと今の英二には分かる。
周太に出会うまでの英二は求められれば体を与えていた。
抱き合う温もりに一瞬でも寂寞とした心を忘れられる、だからそれで良いと思ってきた。
けれど一瞬の愉悦が済んでしまうと寂寞は余計に募って、なにか傷が抉られたような哀しみに途方にくれていた。
それでも英二には体を重ねる以外に相手と通わす方法が解らなかった。
でも今は周太が隣にいてくれる。周太と体を重ねると心まで温もりに充ちて幸せになれる。
つい数時間前の幸せな周太の温もりを想って微笑んだ英二に、国村が訊いた。
「うん?なに、宮田。エロ顔になってるけど、」
「あ、ごめん。ちょっとエロいこと考えてたよ」
笑って答えた英二を細い目が見つめた。
すこし首をかしげると国村は笑って、缶のプルリングを引くと英二に押しつけた。
「ほら、飲めよ。で、なに考えていたか白状しな?」
唇の端をあげて笑いながら、自分も新しい缶を開けて国村は口をつけた。
英二も缶ビールを飲み干すと渡された缶に口をつけて飲み込んだ。
ふわっと樹木の香りが心地いい、見るとウイスキーの水割りだった。良い香に微笑んで英二は口を開いた。
「うん、周太が泣いてくれた時のことだよ。威嚇発砲した理由を話してくれながらね、泣いてくれた」
「理由を話しながら泣いた、ね。で、そのことでさ、なんでエロ顔になるんだよ?」
からり笑いながら国村がきいてくれる。
軽く首をかしげて英二は答えた。
「うん、抱いている時にね、理由を聴きだしたからさ、」
「…抱いたときに?で、…泣いたのか?」
かすかな一呼吸のあとに質問が国村の口元からこぼれおちた。
質問に頷くと英二は答えた。
「うん、最初は周太ね、俺の腕から逃げようとしたんだ。でも俺、どうしても周太に話してほしかったからさ。
だから周太を捕まえてね、抱いて気持ちよくさせてから聴いたんだよ。そういう時ってさ、素直に話してくれるだろ?」
答える英二の目を底抜けに明るい目が真直ぐに見つめている。
じっと見つめたまま国村は、ゆっくり缶を傾けて飲みながら英二に訊いた。
「ふうん…そういうこと、宮田は結構するワケ?」
「前はね、したことあったかな。でも周太には初めてだよ、素直に話してくれたからさ、よかったよ」
「ふん、…素直に、ね、」
白い指がまたプルリングを引いて缶を英二に押しつけてくる。
持っていた水割りの缶を飲干して英二は素直に新しい缶を受けとった。
国村も新しい缶を開けて啜りこんで、英二の目を真直ぐ見て訊いた。
「どんなふうにさ、湯原は話して…泣いた?」
訊かれて英二は横に座ったアンザイレンパートナーの顔を見た。
いつもの細い目が「話せよ?」とかすかに笑って訊いてくる、英二は口を開いた。
「周太に俺はこう言ったよ、『俺のために銃を国村に向けさせたね?
国村のこと、周太だって好きなのに。俺を守る為に、国村に銃を向けさせたね』
それでさ、ごめんね、辛かったね。って俺、周太に謝った。そしたら周太は泣いたんだ、俺のこと守りたかった、て」
話す英二を見つめている細い目がかすかに揺れて見えた。
どうしたのかなと見直すと、いつも通りの明るい目が笑っている。気の所為だったのかな?そう思って英二は続けた。
「そしてね、周太は泣きながらこう言ったよ、
『銃を向けて引き金をひいて。友達なのに大好きな人なのに。国村は俺のこと守ろうとしてくれる大切な友達、
なのに止められなくて。大切な友達を傷つける、それでも守りたかった。でも、怖かった。怖くて泣きたかった』」
白い指がプルリングを引く。
そのまま英二に缶を押しつけながらテノールの声が訊いた。
「大好き、大切。そんなふうに俺のこと、湯原は言ったんだ?…で、怖くて泣きたかった、て?」
「うん、言っていた。だから俺はさ、『こういう周太が国村も大好きなんだよ』って言って慰めたんだ。
俺もね、そういう周太が好きだって言ってさ、ずっと俺だけの居場所でいてってお願いして。
そしたら周太もね、ずっと離れないで、いつか必ず俺のために周太の掌を遣ってくれる。そう言ってくれたよ」
細い目が英二の目と言葉を真直ぐ見つめている。
見つめたまま白い手が動いて缶を傾けると白い喉がひとつ動いた、ほっと吐息こぼして国村はうすく微笑んだ。
「…うん、そっか…」
どこか陰翳のある微笑に英二は思わず惹きこまれるよう友人の顔を見た。
けれど英二の視線を見かえした時にはもう、細い目は底抜けに明るく笑んでいた。
「で、おまえ?今までのことをさ、えっちしながら湯原に訊いちゃったワケだ、」
ストレートな質問に英二は笑った。
笑った英二に国村はまたプルリングを引いて缶を押しつけてくる。
受けとって飲みこむと英二は口を開いた。
「うん、そうだよ?」
「ふうん、あの恥ずかしがりの彼がね?よくそんなことさせたね?」
「うん、まあ、ね?俺もさ、始めちゃうとセーブが効きにくいって言うかさ、理性が飛ぶって言うか…周太だとなっちゃうな」
「へえ?自覚はあるんだね、おまえ。じゃあさ?湯原が嫌がった時とかって、どうするんだよ」
話の合間に国村は英二の手から空缶をとると、新しい缶を握らせる。
そして目で「呑めよ?」と笑って自分も新しい缶を飲干していく。渡されるまま素直に英二も飲んで口を開いた。
「嫌がったとき…今日が初めてだな、周太。でもさ、抱いてちょっとしたら、気持ち良さそうにしてくれたよ?」
「へえ、嫌がったんだって解ってるんだね?でもヤっちゃったんだ、で、泣かしたんだね?おまえって意外と鬼畜だな、」
「だって話してほしかったしさ?ちょっと擦違っても、体を重ねたら解決するだろ?婚約者なんだから」
きゅっと微かな音に瓶の蓋を開けると国村は英二に押しつけた。
ラベルを見たけれど間接照明の翳に見えにくい、それでも英二は素直に口をつけた。
透明で強めの香とアルコール感がのどから昇ってくる、外国の酒かなと思っているとテノールの声が訊いた。
「心が繋がっていなくても。体を重ねればさ、解決するんだね?体を繋げれば、心も繋がる、そういうことか?」
低く透明な声に英二は隣の真直ぐな目を見た。
その目に英二は初めて見る気配を感じて、ゆっくり瞬いてから細い目を覗きこんだ。
覗かれた細い目は誇らかに微笑んで、そして透明な声がはっきりと告げた。
「俺はね、そうは想わない。
心繋げない体の繋がりはどこか傷がつくよ、遊びじゃないならね。
ふたり、お互いに心から求めあった体の繋がりじゃないとさ、本当には幸せだって想えない、俺はね?」
真直ぐに英二を見つめて底抜けに明るい目が笑っている。
明るい目のままに国村はテノールの声を透らせた。
「そしてね、体を繋げなくても心は繋げられる…心繋げない体の繋がりよりも、俺は、こっちを選ぶ」
誇り高らかに自由な声と笑顔が宣言して、英二を真直ぐに見た。
その視線も表情もなにか強いものを感じて、ふっと英二は誇らかな友人の透明な笑顔に訊いた。
「国村?…おまえ、周太のこと、…どう想っている?」
ずっと本当は訊きたいと思っていた。
けれど訊いていいのか解らなくて、聴くのが怖くて訊かないでいた。
けれど今はどこかブレーキがずれていくのを英二は自分のなかに見つめている。
国村は13歳を迎える春に両親を亡くし、周太は10歳を迎える春に父を亡くした。
ふたりの父親はどちらも文学にも造詣が深くて、ふたりとも父親の影響を受けている。
ひとりっ子長男で、植物を愛して、詩や小説にも心を傾けて。親を早くに亡くしても愛情を豊かに承けて育っている。
共通点の多い、国村と周太。だからだろうか、最初に国村と会ったときに英二は周太とどこか似ていると思った。
けれど国村の底抜けに明るい豪胆な性質や積極的な行動力は周太と正反対で気にならなくなった。
でも、アンザイレンパートナーになって親しくなるうちに、やはり似ていると想い始めている。
富士山で国村は周太を「ファム・ファタール」と言った。
Femme fataleはフランス語で男にとっての「運命の女」。運命的な恋愛の相手、赤い糸で結ばれた相手を指す言葉になる。
自分と同世代の23歳の男がこういう言葉をさらりと遣うのは珍しい、きっと国村の父の蔵書はフランス文学が多いのだろう。
同じように周太の実家の書斎にはフランス文学が多く並んで、それを読んで周太は育っている。
きっと同じタイプの本を読んで成長した2人は想いを重ねやすい、そして純粋無垢だから尚更に。
昨日と今日と、国村と周太はテスト射手として行動を共にした。
そして今日下山した時、ふたりの空気はどこか優しくて穏やかで、きれいだと英二も感じてしまった。
恋愛とかそういう感情とはまた違う、ただ大切に想いあう空気がまぶしかった。
そしてほんとうは想っていた「踏み込めない」そんな感覚が尚更に、さっき周太の体を無理に奪わせた。
ずっと本当は訊きたかった、けれど答えが怖くて聴けないでいた。
けれど今どこか心の手綱がはずれかけて、言葉がもうこぼれている。
いま宙に浮いている「国村は周太をどう想っている?」この質問に、答えられる瞬間が近づいている。
さっき屋上で国村が言った「聴かなくていい事、踏み込むべきではない領域」その言葉がいまさら重たい。
訊いてはいけない質問を自分はしたかもしれない?
そんな想いの真ん中で、底抜けに明るい目が微笑んだ。
そして英二の大切なアンザイレンパートナーは誇らかに透明な声で唯一言で宣言した。
「大切だよ?」
透明な声、おだやかに低く響く声。
誇らかに明るい瞳のまなざしは温かい、その視線のなか英二はふっと意識が途切れた。
冷たい感触が喉からおりてくる。
やわらかな熱が唇を覆っているのに喉から胸へとおりる感触は冷たい。
ふっと熱が離れて冷たい感触が胸から肚へと落ちこんだ。
「…ん、」
かすかな吐息がこぼれて睫がゆっくり披かれていく。
ひらかれた視界には自分の大切なアンザイレンパートナーが朝陽のなかで微笑んでいた。
「おはよう、宮田?昨夜は激しかったね、」
透るテノールの声が愉しげに微笑んだ。
その言葉の意外さに英二は瞬きを1つして短く訊き返した。
「…え、?」
ゆっくり瞬いて見上げた先で国村が微笑んでいる。
いま「昨夜は激しかった」と国村は言った、一体どういう意味だろう?
それになぜ国村はいま自分を見下ろしているのだろう?途惑っている英二を国村は誘うように説明した。
「昨夜はさ、酒に酔って最高に色っぽかったね、宮田?
ほんとにさ、最高の別嬪が最高にエロくなって誘惑するんじゃね?さすがの俺も理性なんか飛んじゃったよ。
お蔭で昨夜はさ、最高にイイ想いさせてもらったよ…愉しかったね?俺たちってさ、宮田。やっぱり体の相性もイイんだな」
誘惑、理性、体の相性。
国村の言葉を聴くにつれて途惑いが大きくなっていく。
確かに昨夜は酒を飲んだ、そして途中で意識が途切れている。そしていま朝になっている。
途惑って視線を落とすと、昨夜は着ていたニットは消えて素肌で自分はシーツに沈められていた。
昨夜から今朝までにかけた意識の断絶、この間に何があったのか全く自分では解らない。けれど並んだ単語が夜を示す。
そして昨夜にない馴染んだ空気を国村は醸している、この空気の意味は何なのか?唇がなんとか動いて英二は訊いた。
「…あのさ?国村…俺、おまえと、…寝たのか?」
途惑うまま英二は昨日と違う眼差しの国村を見つめた。
見つめられた細い目が満足げに笑って心外なふうに国村は言った。
「あれ?忘れたなんて言わせないよ?おまえが俺を誘惑したくせにさ。
でもほんとにイイ誘惑だったよ、宮田…まさに艶麗ってカンジでさ、頭も沸騰したよ?アレはイイよ、マジ眼福。癖になった」
自分が国村を誘惑した?そして体の繋がりを国村と持った?
けれど自分は全く覚えていない、記憶がかけらも出て来てくれない。
それに昨夜カラオケ屋から姿を消した周太と美代はどうしたのだろう?
なにもかも解らない困惑のままで英二は国村に尋ねた。
「そんなに喜んでもらえたなら、いいけど…なあ?ほんとに俺、そんなことした?…それより、周太と美代さんは?」
「いまさら何言ってるのさ?」
細い目が艶をふくんで英二に笑いかけた。
アンザイレンパートナーでいちばんの友人の見たことが無い表情。
いつもの快活で底抜けに明るい目とは違う、透明な黒い瞳から艶麗な夜の気配が英二を見下ろしてくる。
「あんなに俺におねだりしちゃった癖に。何度もイっちゃっただろ、おまえ?ほんとイイ声だったね」
おねだり?
どきりと心臓が跳ねて愕然とした。それは自分が国村に「抱かれた」ということだろうか?
この自分が男に抱かれてしまった?それもいちばんの友人に?
途惑いと微かな恐怖がゆっくり心を占拠し始めていく、それでも英二は周太が気がかりで訊いてみた。
「…ほんとに俺、…そんな、だった?…でさ、周太と美代さんはどうしたんだよ?」
「そんなだよ、宮田?」
透けるように白い肌の貌が嫣然と笑いかけてくる。
あわく赤い唇が笑みをふくんで、どこか艶やかなテノールの声が英二に告げた。
「おまえはもうね、俺の『女』になっちゃったんだよ。なに、忘れちゃったわけ?」
国村の「女」に自分がなった?
アンザイレンパートナーでいちばんの友人に自分は抱かれてしまった?
大切な相手と体の繋がりを持つのは重大なこと、けれど記憶が全くない。
そして周太と美代はどうしたのだろう?さっきから国村はこの答えを全くしてくれない。
いつもの国村と全く違う雰囲気と態度に不安が大きくさせられる、困惑のまま英二は詫びて尋ねた。
「うん、…ごめん、記憶ない…それより周太、美代さんとどこ行った?国村、知っているんだろ?」
細い目がじっと真直ぐに英二を見つめてくる。
そして国村は秀麗な唇の端を上げた。
「ああ、知ってるよ?ほら、そこに座ってね、さっきから俺たちを見てくれてるけど?」
透るテノールの声に英二は視線を動かした。
視線の先にソファに座って首傾げている周太が映りこんだ。
無事でいてくれた、ほっと安堵が心を温めて英二は微笑んだ。
けれど今この状況をずっと周太は見て、ずっと自分と国村の会話を聴いていた?
誘惑、理性、体の相性。おねだり、「女」になった。
そんな単語を並べた夜の会話を周太に聴かれてしまった?
そう気づいた途端に心の温度が変化して英二の意識が凍りついた。
「…国村、どいてよ?…周太のとこ行かせて、」
凍りついた意識が周太の温もりを求めている。
けれど見下ろしている細い目は愉しげに笑った。
「嫌だね、」
透明なテノールの声が明確に英二を拒絶した。
そのまま体重が圧し掛かられてくる、白い手が片方だけで英二の両手を掴んで封じられる。
そうして体の動きすべてを国村に支配されて英二は目を瞠らいた。
いま国村は本気で自分を支配しようとしている?不安が迫りあげながらも英二は声を押し出した。
「…離せよ、…周太のとこ行かせて?国村、…っ、」
言いかけた言葉は熱い唇で覆われた。ふれるだけのキス、けれど灼かれる熱と制裁の意志が伝えられてしまう。
この友人は自分を支配しようとしている?いちばん親しい友人から意志と関係なく体を支配される、その予兆が怖い。
そして体の支配を自分は婚約者の眼前で受けることになる?
英二は視線だけ動かすと周太を見た、視線の先で黒目がちの瞳は困ったように自分の姿を見つめている。
素肌のまま両手を拘束され圧し掛かられた英二の姿を周太は見つめている。
こんな姿は最も周太に見られたくない、けれど逃れる術なく英二は睫毛を伏せた。
「…やめろよ、国村?なんの冗談だよ、…嫌だよ、周太の前で…嫌だ、」
「冗談?」
低い声が秀麗な唇からこぼれて英二を打った。
「ふうん、冗談だと思っているんだ、で、嫌だと思ってるんだ?」
すっと底抜けに明るい目を細めて国村は笑った。
そして透るテノールの声が低められたまま質問を始めた。
「おまえさ、湯原が嫌がっているのに無理に抱いたんだろ?だから俺だってね、おまえが嫌がっても抱いて良いだろ?」
さっき交したばかりの会話。その会話に告げた自分が周太にした事を、国村は自分にしようとしている?
見つめ返した国村の目は笑いながらも底からは、真直ぐ射こむような真剣が刺さって痛い。
そして気付かされていく自分が周太にしたことの意味が、いまさらに痛み始めて英二は喘いだ。
「…だってあれは、話してほしくて…ああすれば周太、話してくれるから…」
「ふうん?話してもらう為ならさ、無理強いしても良いんだね」
いつもにない冷酷な響きがテノールの声の奥から英二に打ちつける。
その切長く細い瞳の底に激しい熱が起きあがっていく、初めて見る友人の視線に英二は息を呑んだ。
激しい熱の視線がすっと細められる、そして端があげられた唇から透明な声が低く裁可した。
「俺もね、おまえに話させたいんだよ、いまどんな気分がするかをね?」
細めた目のままで笑って国村は英二の首筋に唇でふれ始めた。
両手を拘束されて身動きもできずに英二は、されるがまま首筋を唇にふれられていく。
このまま自分は周太の目前で体を支配されていく?そんな自分の姿は周太にどう映る?
そんな自分の姿を見た後で周太はどんなふうに自分に接する?恐怖感が迫りあげて口もとから零れ落ちた。
「…っ、やめろ、…っ、くにむら、やめ…っ、」
「うん?違うだろ、宮田?どんな気分がするのか話すんだろ?あ、こんな程度じゃ話してくれないんだね?仕方ないな、」
すっと細められた目が笑んで国村は開いている左手をブランケットのなかへ挿し込んだ。
その左手が素肌にふれていく、そうして指先から英二の感覚を支配する意志がふれた。
これから何をされる?不安と周太に見られる恐怖に怯えても動きは支配されて逃げれない。
それでも英二は国村を見つめて訴えた。
「嫌だっ…やめて国村、嫌だっ…お願いだからやめてくれ…!」
「なに言ってるのさ」
切り捨てるようにテノールの声が言った。
細い目を嫣然と微笑ませたままで、低く透明な声が英二に「服従」を厳然と命じた。
「おまえはね、もう俺の『女』になっちゃったんだよ?もう俺は好きにしていいはずだ、そうだろ?」
ちょっと擦違っても、体を重ねたら解決するだろ?婚約者なんだから―
昨夜に自分が国村に言ったこと、そのままに英二はいま言われた。
そして自分の傲慢に気付かされて心が軋みあげて止まらない。
自分は周太に何をした?
婚約者であることに甘えて自分は体を無理強いした。
婚約者なら許されると言い訳をして「心」を会話で繋げる努力を放棄した。
あのとき周太は話して「心」を繋げることを望んでいた。
それを自分は国村と周太に流れる空気に見惚れて焦って「体」で無理矢理に繋ぎとめようとした。
― 体を繋げなくても心は繋げられる…心繋げない体の繋がりよりも、俺は、こっちを選ぶ
昨夜に国村が誇らかに告げた言葉。
あの言葉はきっと「周太を愛する」なら正しい真実の想いだった。
そのことに自分は気付かずに周太に体を無理強いして「心」の繋がりを壊してしまった?
俺は、ばかだ。
後悔と自責が迫りあげる心に素肌ふれる指の感触が迫ってくる。
片手ひとつに両手を拘束されて、ひとつの掌に体の感覚を支配されていく。
その全てが望まないこと、それでも淡々と笑いながら国村は英二を制圧していく。
「嫌なフリしちゃってねえ?ほんとは俺のこと誘ってるんだろ?お前もさ、体で愉しむの好きだもんな?」
「違う、本当に嫌なんだ…」
嫌なフリ、そんな言葉が心を刺す。
自分も周太が本気で嫌がって逃げようとする想いを無視した。
本当に嫌だ、そんなふうに追い詰めた自分の愚かさが疎ましい。
「お願いだから…もうやめてくれ、…」
「へえ?なんでそんなに嫌なのさ?昨夜はあんだけ誘ってきたくせにさ、ねえ?」
圧し掛かってくる国村は着衣のまま、それでも凄絶な艶と支配する強さが充ちている。
きっと国村は本気で怒っている、その強い意志が凄絶な態度に薫りたっていく。
その怒りの理由をもう自分は知らされ気付かされている。
国村は周太の為に怒っている。
意志に反した「周太の体」への無理強いに国村は怒って英二を辱めている。
このまま周太の目前で痴態を晒されても自分は文句は言えない、自分の愚かさに周太に見限られても仕方ない。
もう観念しよう、そんな諦めをした英二の肌から指先の動きが消えた。
「さて、宮田?聴かせてほしいね、」
透るテノールの声に英二は見上げた。
見あげた先で細い目が真直ぐに英二を見つめてくる、その視線の強さに思わず英二は睫毛を伏せた。
「無理強いされるのって、愉しい?」
「嫌だよ、こんなの愉しくない…怖い。周太の前でなんて、絶対に嫌だ、」
素直な想いのまま英二は訴えた。体を支配される恐怖と周太に見限られる恐怖が震えている。
ふるえに揺れる英二の伏せた目を国村は冷静に覗きこんだ。
「じゃあさ、宮田?お前はね、謝るべきことと、言うべきことがあるよな?」
哀しい罪悪感と「見限られる」予感と一緒に英二は周太を見つめた。
そして国村を見あげて1つゆっくり瞬いて頷いた。
「うん、…周太に謝りたい、俺…ばかだ、本当に俺はバカだ、恥ずかしい…国村、周太に謝らせてくれよ?」
「よし、気がついたな?やっぱり、おまえは真直ぐだね。大好きだよ、そういうとこがさ」
こんな愚かさを露呈しても国村はまだ「大好きだ」と言ってくれる、友人の率直な温かさに英二はすこし微笑んだ。
国村の呼びかけに周太は頷いて、素直に立ちあがるとベッドの傍に立って微笑みかけてくれる。
ゆっくり起き上がって英二は周太を見あげ、一滴の涙を流すと口を開いた。
「ごめんね、周太…無理強いなんて…怖かった、ね…俺、ほんとうにバカだ…ごめん、周太」
あふれる涙のむこう見つめる周太はすこしだけ微笑んだ。
この微笑みを守ろうと自分は決めていた、けれど自分が周太の笑顔を砕いてしまった。
痛切な後悔に英二もすこし微笑むと言葉を続けた。
「もう絶対に無理強いなんてしない…だから周太、許してくれる?
俺の傍から居なくならないで?…もう絶対に周太が嫌がることしないから、許してほしい…いなくならないで?」
いなくならないで?
こんなの今更ほんとうは未練がましいのかもしれない。
だって自分が今一番わかっている、自分がどんな残酷なことを周太にしたのか?
そして国村が本気で怒ったことを、周太がどんな想いで見つめるのか?
それでも言葉だけでも「お願い」したくて言ってしまう、そう周太を見つめていると国村が英二の顎に白い指をかけた。
「こら、宮田?おまえはね、俺の『女』になったんだろ?なのにね、勝手に決めるんじゃないよ?」
自分はなぜ国村を誘って「女」になったのだろう?
一時の快楽と引替に体を使い愉しんで抱かれてしまったのだろうか?
昨日なぜ周太が国村に銃口を向けたのかを知りながら酔いに任せて快楽を貪った?
すべて解らないまま英二は素直な想いを国村に告げた。
「ごめん、国村…俺、やっぱり周太がいい…ごめん、離してほしい、ごめん…俺がバカだったんだ…」
涙と共に本音がこぼれていく。
きっと国村は周太を大切にしている、いま責められ謝罪を求められながら気付いてしまう。
ずっと国村は「周太が守りたい『体』を大切にする意味を考えろ」と問いかけながら英二が周太に犯した過ちを訴えている。
まして周太は13年間の孤独が生んだ空白の為に、まだ心は11歳にもなっていない。
そんな周太に体を無理強いすることがどんなに残酷なことだろう?
― 体を繋げなくても心は繋げられる…心繋げない体の繋がりよりも、俺は、こっちを選ぶ
さっきも思い出した国村が昨夜に言ったこと。これは周太を見つめるなら大切な選択だと今更に思い知らされる。
どうして自分は解らなかったのだろう、国村と周太の空気に焦ったとしても言い訳になどならない。
前の自分は「体」を使って孤独を誤魔化し要領よく生きていた、そうして麻痺した心が鈍感に過ぎて繊細な周太の心と体を傷つけた。
こんな愚かな自分を周太は何と想って見ているのだろう?
「うん、バカだね、おまえはさ?」
からり明るく国村が笑った。
笑って英二の顎にかけた指を外すと、そのまま一発、白皙の額を弾いた。
ばちん、
いい音がして額に鈍い痛みが現れる。
その痛みを白い指で突いて国村は、底抜けに明るい目で笑った。
「ごめんね、宮田?俺たちヤっちゃったなんて嘘だよ。おまえはね、一晩中ずっと酔っぱらって眠りこんでいたんだよ」
「…え、」
思わず目が大きくなる。
そんな可愛い表情の英二に国村は可笑しそうに笑った。
「ねむってるお前を置いてさ、俺はね、湯原をひとりで迎えに行ったんだよ。
で、湯原が元気なかったからさ?ちょっとドライブして事情聴いてね、おまえを懲らしめたくなった俺は悪戯を考えたってワケ。
まったくね、おまえはバカだよ?大事な婚約者に体を無理強いなんかして。そんな酷いことしたらね、逃げられても文句言えないね」
明るく笑いながらも「無理強いはダメだ」とはっきり言ってくれる。
ほんとうに言う通り、自分はバカで周太に逃げられても文句は言えない。
きっと自分はもう周太の信頼を今まで通りにはもらえない、婚約のことも考え直すと言われても仕方ない。
それでも気付かぬままで周太を傷つけていたら、きっと取り返しがつかない事になっていた。
いま気付けたことは幸運だった、英二も素直に頷いて国村を真直ぐ見つめて約束した。
「うん、…俺、よく解ったよ?さっき本当に怖かった…
本気で止めてくれって言って、止めて貰えないの、怖かった。
俺、周太がいい、だから無理強いはもうしない。約束する…ごめん、国村。気付かせてくれて、ありがとう」
「だろ?まったくバカだね。されるまで解らないなんてさ。さあ、これに懲りてね、2度とあんなことするんじゃないよ?」
やさしく細い目が笑んで白い指が軽く英二の額を小突いた。
そしてベッドから降りるとマウンテンコートを羽織って、1つ伸びをすると国村は言ってくれた。
「さて、宮田?今日は日勤だろ?早く寮に戻って仕度しな、遅刻するよ?ほら、」
言いながら示したクライマーウォッチの時刻は6:45を指している。
頭をひとつふって英二は微笑んで、脱がされていたニットを着るとベッドから降りた。
「うん、ありがとう。でも周太の朝食を1人にしちゃうの嫌だな、」
本音は周太と一緒にいたい、それだけ。
けれど自分が周太にした仕打ちを想うと「一緒にいたい」と言う権利すら失っても仕方ない。
自分は自ら周太を傷つけて「隣」を居場所にする権利を放棄した、じわり蝕んでくる後悔が痛い。
痛みの苦しさにため息が心からこぼれていく。そんな英二に周太はやさしく微笑んで言ってくれた。
「ん、大丈夫だよ?」
気にしないで仕事行ってね?そんな優しい想いが黒目がちの瞳に微笑んでいる。
愛するひとの微笑が見れて嬉しい、けれど無理をして笑ってくれているかもしれない。
本当は少しでも多く一緒にいて出来る限りを尽くして謝りたい、けれどそれも許してもらえるのか解らない。
これで周太を傷つけたのは何度目なのだろう?直情的すぎて時に自分はこうして愛するひとを傷つけてしまう。
思わず憂い顔になってしまう英二を国村は笑ってまた額を小突いた。
「いいからね、おまえは早くしな?湯原の朝飯とかはね、俺が一緒させてもらうよ?
で、吉村先生のとこも連れて行く。御岳山の巡廻と自主トレも俺が送ってやるよ。それでいいんだろ?」
国村が周太を自分の許へと送り迎えしてくれる、それがいいかもしれない。
自分は周太を傷つけた張本人、そんな自分よりも国村と一緒に過ごす方が周太の心は寛げる。
そして少しでも元気になってくれたら嬉しい、英二は国村の提案に笑顔で頷いた。
「うん、ありがとう。国村と周太が1日ずっと一緒になるのはね、ちょっと妬けるけどさ。でもお願いするよ」
「おう、任せな。ほら、湯原?名前呼んでやりなよ、安心させてやって、」
大らかな優しいまなざしで細い目が笑ってくれる。
やさしい国村の気遣いがうれしい、けれど周太は名前を呼んでくれるだろうか?
そんな想いで見つめる視線の向こうで、おだやかな微笑みが咲いてくれた。
「ん、…英二?またあとでね…行ってらっしゃい、」
名前を呼んでくれた、それだけで幸せだと心がふるえる。
呆れられて嫌われて、名前を呼んで貰えなくても仕方ないと思っていた。
「うん、…ありがとう、周太…」
うれしくて思わず長い腕を伸ばしかけて、ふっと止めた。
自分が周太にしたことは強姦だった、そんな自分に触れられることはきっと怖い。
それでも一度だけでいい、いま抱きしめさせて欲しいと願ってしまう。そっと英二は口を開いた。
「ね、周太?いま、一度だけ抱きしめてもいい?…ダメならそう言ってよ?」
ちいさく周太は頷いてくれる。
そして一歩近づいてくれると、そっと英二を抱きしめて微笑んでくれた。
「ん、英二?俺ね、ほんとに怖かったし、嫌だったよ?…だからもうしないでね?」
周太から抱きしめてくれた。
どうしていつもこうなのだろう?ほんとうに自分はばかだ。
ほんとうは守られているのは自分、そんな簡単なことを忘れてしまっている。
いま周太に気遣わせている、そして勇気を出させて自分を抱きしめさせている。
こんな優しさが好きで、大好きで、離れられなくなってしまう。
長い腕をそっと周太の肩にまわして抱きしめると英二は、涙をひとつ零して言った。
「うん、周太…もう絶対にしないよ?ごめん、周太…ごめんなさい、…俺を置いていかないで…」
俺を置いていかないで。
また未練が心からこぼれて勝手に口が動く。
こんなに自分は弱くて愚かだと思い知らされる、途方に暮れていく。
それでも周太は自分より大きな体の英二を抱きとめてくれた。
「ん、…あとで、御岳山であおうね、英二?」
御岳山で。
周太の誕生花「雪山」が生えている御岳山。
今日も一緒に見ることを許してもらえるだろうか?
そんな期待を持てるだけでも嬉しい、おだやかに英二は微笑んだ。
「来てくれるんだね、周太?ありがとう、じゃあ俺、行ってくるね」
約束を大切にする周太は言った以上は来てくれる、そんな安心を抱いて英二は寮へと戻った。
(to be continued)
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第33話 雪火act.7―side story「陽はまた昇る」
カラオケ屋から美代と周太は消えていた。
ある意味において予想通りかな?そんなふうに英二は無人の部屋を眺めて微笑んだ。
国村はコントローラーの選曲履歴をチェックして、からり笑った。
「ふうん。美代、怒ってるねえ?困ったなあ」
困ったなあと言う割には困って見えない。
仕方ないなと想いながら英二は訊いてみた。
「どこに行くとかさ、心当たりないのか?」
「まあね、たぶん俺の知らない店に行ったんじゃない?ま、あっちはあっちで楽しんでるよ、」
飄々と笑ってコントローラーを戻すと英二の腕を掴んだ。
なにかなと思って細い瞳を見つめると、どこか違和感がおもわれて英二は怪訝にすこし眉を顰めた。
けれどいつもどおりに国村は笑って英二に言った。
「俺たちもさ、楽しもうよ。ね、宮田?」
カラオケ屋を出て歩きながら飄々と国村は笑っている。
さっきの違和感は気の所為だろうか?考えながら英二は答えた。
「うん、…でも俺、周太が戻ってきたとき、独りにしたくないんだ、だからホテルに戻りたいんだけど、」
今日、周太は国村に銃口を向けた。
その心の傷が気になってしまう、だから独りに出来ればしたくない。
それに夕方に目覚めてからの周太との間に、なにか薄い紙でも挟まったようなもどかしさを感じている。
この違和感はなんなのだろう?よく解らない、それがまた何か不安な想いにさせられる。
すこしため息を吐きかけた英二に、からりと笑って国村が言った。
「じゃあさ、宮田?そのホテルの部屋で、ちょっと呑めばいいだろ?うん、いい考えだね」
「あ、…うん、いいけど?…」
もう国村はさっさと酒屋に入ってしまった。
国村は大の酒好きで、寮でもよく晩酌は当然だという顔で缶を白い指に持っている。
店に入っていくと国村はもう籠へと何種類かの酒を機嫌よく入れていた。
こんなに飲むのかと驚いていると、さっさと会計を済ませて英二を振向いた。
「ほら、行くよ?ぼさっとしてるんじゃないよ?」
底抜けに明るい目が笑って英二の腕を掴んだ。
腕を掴まれたまま一緒に酒屋を出ると、踏む雪がすこし固くなってきている。
明日は御岳山も凍っているだろう、もし巡廻に周太がつき合ってくれるならアイゼンが必要になる。
明日の朝は出勤前に寮へ戻ったら準備しよう、そう考えているうちにビジネスホテルに着いた。
昨日も泊まった部屋に着くと、さっさとサイドテーブルに缶や瓶をならべて国村は満足気に笑った。
「よし、これでいい。ほら、座りな」
ソファに座ると隣をぽんと叩いて座れとジェスチャーしてくる。
笑って素直に座ると英二の手に缶ビールを持たせてくれた。
「はい、乾杯」
軽く缶同士をぶつけると愉しげに笑って国村は缶に口をつけた。
ごくんと白い喉をならして飲み込むと英二を見て、いつも通りの温かな明るい眼差しで微笑んでくれる。
やっぱりさっきの違和感は気の所為だったかな?英二もひとくちビールを飲んで国村に笑いかけた。
英二の笑顔に底抜けに明るい目が笑って、透るテノールの声が率直に訊いてくれる。
「さっき屋上でさ、湯原がおまえの為に泣いた、って言っていたな」
「うん、傷つけたくない、きれいでいてほしい。そんなふうに言ってくれながら周太、涙を流してくれたんだ」
心を身体ごと大切にすること。
それは外見的な話だけじゃない、体を無理に触らせないことだと今の英二には分かる。
周太に出会うまでの英二は求められれば体を与えていた。
抱き合う温もりに一瞬でも寂寞とした心を忘れられる、だからそれで良いと思ってきた。
けれど一瞬の愉悦が済んでしまうと寂寞は余計に募って、なにか傷が抉られたような哀しみに途方にくれていた。
それでも英二には体を重ねる以外に相手と通わす方法が解らなかった。
でも今は周太が隣にいてくれる。周太と体を重ねると心まで温もりに充ちて幸せになれる。
つい数時間前の幸せな周太の温もりを想って微笑んだ英二に、国村が訊いた。
「うん?なに、宮田。エロ顔になってるけど、」
「あ、ごめん。ちょっとエロいこと考えてたよ」
笑って答えた英二を細い目が見つめた。
すこし首をかしげると国村は笑って、缶のプルリングを引くと英二に押しつけた。
「ほら、飲めよ。で、なに考えていたか白状しな?」
唇の端をあげて笑いながら、自分も新しい缶を開けて国村は口をつけた。
英二も缶ビールを飲み干すと渡された缶に口をつけて飲み込んだ。
ふわっと樹木の香りが心地いい、見るとウイスキーの水割りだった。良い香に微笑んで英二は口を開いた。
「うん、周太が泣いてくれた時のことだよ。威嚇発砲した理由を話してくれながらね、泣いてくれた」
「理由を話しながら泣いた、ね。で、そのことでさ、なんでエロ顔になるんだよ?」
からり笑いながら国村がきいてくれる。
軽く首をかしげて英二は答えた。
「うん、抱いている時にね、理由を聴きだしたからさ、」
「…抱いたときに?で、…泣いたのか?」
かすかな一呼吸のあとに質問が国村の口元からこぼれおちた。
質問に頷くと英二は答えた。
「うん、最初は周太ね、俺の腕から逃げようとしたんだ。でも俺、どうしても周太に話してほしかったからさ。
だから周太を捕まえてね、抱いて気持ちよくさせてから聴いたんだよ。そういう時ってさ、素直に話してくれるだろ?」
答える英二の目を底抜けに明るい目が真直ぐに見つめている。
じっと見つめたまま国村は、ゆっくり缶を傾けて飲みながら英二に訊いた。
「ふうん…そういうこと、宮田は結構するワケ?」
「前はね、したことあったかな。でも周太には初めてだよ、素直に話してくれたからさ、よかったよ」
「ふん、…素直に、ね、」
白い指がまたプルリングを引いて缶を英二に押しつけてくる。
持っていた水割りの缶を飲干して英二は素直に新しい缶を受けとった。
国村も新しい缶を開けて啜りこんで、英二の目を真直ぐ見て訊いた。
「どんなふうにさ、湯原は話して…泣いた?」
訊かれて英二は横に座ったアンザイレンパートナーの顔を見た。
いつもの細い目が「話せよ?」とかすかに笑って訊いてくる、英二は口を開いた。
「周太に俺はこう言ったよ、『俺のために銃を国村に向けさせたね?
国村のこと、周太だって好きなのに。俺を守る為に、国村に銃を向けさせたね』
それでさ、ごめんね、辛かったね。って俺、周太に謝った。そしたら周太は泣いたんだ、俺のこと守りたかった、て」
話す英二を見つめている細い目がかすかに揺れて見えた。
どうしたのかなと見直すと、いつも通りの明るい目が笑っている。気の所為だったのかな?そう思って英二は続けた。
「そしてね、周太は泣きながらこう言ったよ、
『銃を向けて引き金をひいて。友達なのに大好きな人なのに。国村は俺のこと守ろうとしてくれる大切な友達、
なのに止められなくて。大切な友達を傷つける、それでも守りたかった。でも、怖かった。怖くて泣きたかった』」
白い指がプルリングを引く。
そのまま英二に缶を押しつけながらテノールの声が訊いた。
「大好き、大切。そんなふうに俺のこと、湯原は言ったんだ?…で、怖くて泣きたかった、て?」
「うん、言っていた。だから俺はさ、『こういう周太が国村も大好きなんだよ』って言って慰めたんだ。
俺もね、そういう周太が好きだって言ってさ、ずっと俺だけの居場所でいてってお願いして。
そしたら周太もね、ずっと離れないで、いつか必ず俺のために周太の掌を遣ってくれる。そう言ってくれたよ」
細い目が英二の目と言葉を真直ぐ見つめている。
見つめたまま白い手が動いて缶を傾けると白い喉がひとつ動いた、ほっと吐息こぼして国村はうすく微笑んだ。
「…うん、そっか…」
どこか陰翳のある微笑に英二は思わず惹きこまれるよう友人の顔を見た。
けれど英二の視線を見かえした時にはもう、細い目は底抜けに明るく笑んでいた。
「で、おまえ?今までのことをさ、えっちしながら湯原に訊いちゃったワケだ、」
ストレートな質問に英二は笑った。
笑った英二に国村はまたプルリングを引いて缶を押しつけてくる。
受けとって飲みこむと英二は口を開いた。
「うん、そうだよ?」
「ふうん、あの恥ずかしがりの彼がね?よくそんなことさせたね?」
「うん、まあ、ね?俺もさ、始めちゃうとセーブが効きにくいって言うかさ、理性が飛ぶって言うか…周太だとなっちゃうな」
「へえ?自覚はあるんだね、おまえ。じゃあさ?湯原が嫌がった時とかって、どうするんだよ」
話の合間に国村は英二の手から空缶をとると、新しい缶を握らせる。
そして目で「呑めよ?」と笑って自分も新しい缶を飲干していく。渡されるまま素直に英二も飲んで口を開いた。
「嫌がったとき…今日が初めてだな、周太。でもさ、抱いてちょっとしたら、気持ち良さそうにしてくれたよ?」
「へえ、嫌がったんだって解ってるんだね?でもヤっちゃったんだ、で、泣かしたんだね?おまえって意外と鬼畜だな、」
「だって話してほしかったしさ?ちょっと擦違っても、体を重ねたら解決するだろ?婚約者なんだから」
きゅっと微かな音に瓶の蓋を開けると国村は英二に押しつけた。
ラベルを見たけれど間接照明の翳に見えにくい、それでも英二は素直に口をつけた。
透明で強めの香とアルコール感がのどから昇ってくる、外国の酒かなと思っているとテノールの声が訊いた。
「心が繋がっていなくても。体を重ねればさ、解決するんだね?体を繋げれば、心も繋がる、そういうことか?」
低く透明な声に英二は隣の真直ぐな目を見た。
その目に英二は初めて見る気配を感じて、ゆっくり瞬いてから細い目を覗きこんだ。
覗かれた細い目は誇らかに微笑んで、そして透明な声がはっきりと告げた。
「俺はね、そうは想わない。
心繋げない体の繋がりはどこか傷がつくよ、遊びじゃないならね。
ふたり、お互いに心から求めあった体の繋がりじゃないとさ、本当には幸せだって想えない、俺はね?」
真直ぐに英二を見つめて底抜けに明るい目が笑っている。
明るい目のままに国村はテノールの声を透らせた。
「そしてね、体を繋げなくても心は繋げられる…心繋げない体の繋がりよりも、俺は、こっちを選ぶ」
誇り高らかに自由な声と笑顔が宣言して、英二を真直ぐに見た。
その視線も表情もなにか強いものを感じて、ふっと英二は誇らかな友人の透明な笑顔に訊いた。
「国村?…おまえ、周太のこと、…どう想っている?」
ずっと本当は訊きたいと思っていた。
けれど訊いていいのか解らなくて、聴くのが怖くて訊かないでいた。
けれど今はどこかブレーキがずれていくのを英二は自分のなかに見つめている。
国村は13歳を迎える春に両親を亡くし、周太は10歳を迎える春に父を亡くした。
ふたりの父親はどちらも文学にも造詣が深くて、ふたりとも父親の影響を受けている。
ひとりっ子長男で、植物を愛して、詩や小説にも心を傾けて。親を早くに亡くしても愛情を豊かに承けて育っている。
共通点の多い、国村と周太。だからだろうか、最初に国村と会ったときに英二は周太とどこか似ていると思った。
けれど国村の底抜けに明るい豪胆な性質や積極的な行動力は周太と正反対で気にならなくなった。
でも、アンザイレンパートナーになって親しくなるうちに、やはり似ていると想い始めている。
富士山で国村は周太を「ファム・ファタール」と言った。
Femme fataleはフランス語で男にとっての「運命の女」。運命的な恋愛の相手、赤い糸で結ばれた相手を指す言葉になる。
自分と同世代の23歳の男がこういう言葉をさらりと遣うのは珍しい、きっと国村の父の蔵書はフランス文学が多いのだろう。
同じように周太の実家の書斎にはフランス文学が多く並んで、それを読んで周太は育っている。
きっと同じタイプの本を読んで成長した2人は想いを重ねやすい、そして純粋無垢だから尚更に。
昨日と今日と、国村と周太はテスト射手として行動を共にした。
そして今日下山した時、ふたりの空気はどこか優しくて穏やかで、きれいだと英二も感じてしまった。
恋愛とかそういう感情とはまた違う、ただ大切に想いあう空気がまぶしかった。
そしてほんとうは想っていた「踏み込めない」そんな感覚が尚更に、さっき周太の体を無理に奪わせた。
ずっと本当は訊きたかった、けれど答えが怖くて聴けないでいた。
けれど今どこか心の手綱がはずれかけて、言葉がもうこぼれている。
いま宙に浮いている「国村は周太をどう想っている?」この質問に、答えられる瞬間が近づいている。
さっき屋上で国村が言った「聴かなくていい事、踏み込むべきではない領域」その言葉がいまさら重たい。
訊いてはいけない質問を自分はしたかもしれない?
そんな想いの真ん中で、底抜けに明るい目が微笑んだ。
そして英二の大切なアンザイレンパートナーは誇らかに透明な声で唯一言で宣言した。
「大切だよ?」
透明な声、おだやかに低く響く声。
誇らかに明るい瞳のまなざしは温かい、その視線のなか英二はふっと意識が途切れた。
冷たい感触が喉からおりてくる。
やわらかな熱が唇を覆っているのに喉から胸へとおりる感触は冷たい。
ふっと熱が離れて冷たい感触が胸から肚へと落ちこんだ。
「…ん、」
かすかな吐息がこぼれて睫がゆっくり披かれていく。
ひらかれた視界には自分の大切なアンザイレンパートナーが朝陽のなかで微笑んでいた。
「おはよう、宮田?昨夜は激しかったね、」
透るテノールの声が愉しげに微笑んだ。
その言葉の意外さに英二は瞬きを1つして短く訊き返した。
「…え、?」
ゆっくり瞬いて見上げた先で国村が微笑んでいる。
いま「昨夜は激しかった」と国村は言った、一体どういう意味だろう?
それになぜ国村はいま自分を見下ろしているのだろう?途惑っている英二を国村は誘うように説明した。
「昨夜はさ、酒に酔って最高に色っぽかったね、宮田?
ほんとにさ、最高の別嬪が最高にエロくなって誘惑するんじゃね?さすがの俺も理性なんか飛んじゃったよ。
お蔭で昨夜はさ、最高にイイ想いさせてもらったよ…愉しかったね?俺たちってさ、宮田。やっぱり体の相性もイイんだな」
誘惑、理性、体の相性。
国村の言葉を聴くにつれて途惑いが大きくなっていく。
確かに昨夜は酒を飲んだ、そして途中で意識が途切れている。そしていま朝になっている。
途惑って視線を落とすと、昨夜は着ていたニットは消えて素肌で自分はシーツに沈められていた。
昨夜から今朝までにかけた意識の断絶、この間に何があったのか全く自分では解らない。けれど並んだ単語が夜を示す。
そして昨夜にない馴染んだ空気を国村は醸している、この空気の意味は何なのか?唇がなんとか動いて英二は訊いた。
「…あのさ?国村…俺、おまえと、…寝たのか?」
途惑うまま英二は昨日と違う眼差しの国村を見つめた。
見つめられた細い目が満足げに笑って心外なふうに国村は言った。
「あれ?忘れたなんて言わせないよ?おまえが俺を誘惑したくせにさ。
でもほんとにイイ誘惑だったよ、宮田…まさに艶麗ってカンジでさ、頭も沸騰したよ?アレはイイよ、マジ眼福。癖になった」
自分が国村を誘惑した?そして体の繋がりを国村と持った?
けれど自分は全く覚えていない、記憶がかけらも出て来てくれない。
それに昨夜カラオケ屋から姿を消した周太と美代はどうしたのだろう?
なにもかも解らない困惑のままで英二は国村に尋ねた。
「そんなに喜んでもらえたなら、いいけど…なあ?ほんとに俺、そんなことした?…それより、周太と美代さんは?」
「いまさら何言ってるのさ?」
細い目が艶をふくんで英二に笑いかけた。
アンザイレンパートナーでいちばんの友人の見たことが無い表情。
いつもの快活で底抜けに明るい目とは違う、透明な黒い瞳から艶麗な夜の気配が英二を見下ろしてくる。
「あんなに俺におねだりしちゃった癖に。何度もイっちゃっただろ、おまえ?ほんとイイ声だったね」
おねだり?
どきりと心臓が跳ねて愕然とした。それは自分が国村に「抱かれた」ということだろうか?
この自分が男に抱かれてしまった?それもいちばんの友人に?
途惑いと微かな恐怖がゆっくり心を占拠し始めていく、それでも英二は周太が気がかりで訊いてみた。
「…ほんとに俺、…そんな、だった?…でさ、周太と美代さんはどうしたんだよ?」
「そんなだよ、宮田?」
透けるように白い肌の貌が嫣然と笑いかけてくる。
あわく赤い唇が笑みをふくんで、どこか艶やかなテノールの声が英二に告げた。
「おまえはもうね、俺の『女』になっちゃったんだよ。なに、忘れちゃったわけ?」
国村の「女」に自分がなった?
アンザイレンパートナーでいちばんの友人に自分は抱かれてしまった?
大切な相手と体の繋がりを持つのは重大なこと、けれど記憶が全くない。
そして周太と美代はどうしたのだろう?さっきから国村はこの答えを全くしてくれない。
いつもの国村と全く違う雰囲気と態度に不安が大きくさせられる、困惑のまま英二は詫びて尋ねた。
「うん、…ごめん、記憶ない…それより周太、美代さんとどこ行った?国村、知っているんだろ?」
細い目がじっと真直ぐに英二を見つめてくる。
そして国村は秀麗な唇の端を上げた。
「ああ、知ってるよ?ほら、そこに座ってね、さっきから俺たちを見てくれてるけど?」
透るテノールの声に英二は視線を動かした。
視線の先にソファに座って首傾げている周太が映りこんだ。
無事でいてくれた、ほっと安堵が心を温めて英二は微笑んだ。
けれど今この状況をずっと周太は見て、ずっと自分と国村の会話を聴いていた?
誘惑、理性、体の相性。おねだり、「女」になった。
そんな単語を並べた夜の会話を周太に聴かれてしまった?
そう気づいた途端に心の温度が変化して英二の意識が凍りついた。
「…国村、どいてよ?…周太のとこ行かせて、」
凍りついた意識が周太の温もりを求めている。
けれど見下ろしている細い目は愉しげに笑った。
「嫌だね、」
透明なテノールの声が明確に英二を拒絶した。
そのまま体重が圧し掛かられてくる、白い手が片方だけで英二の両手を掴んで封じられる。
そうして体の動きすべてを国村に支配されて英二は目を瞠らいた。
いま国村は本気で自分を支配しようとしている?不安が迫りあげながらも英二は声を押し出した。
「…離せよ、…周太のとこ行かせて?国村、…っ、」
言いかけた言葉は熱い唇で覆われた。ふれるだけのキス、けれど灼かれる熱と制裁の意志が伝えられてしまう。
この友人は自分を支配しようとしている?いちばん親しい友人から意志と関係なく体を支配される、その予兆が怖い。
そして体の支配を自分は婚約者の眼前で受けることになる?
英二は視線だけ動かすと周太を見た、視線の先で黒目がちの瞳は困ったように自分の姿を見つめている。
素肌のまま両手を拘束され圧し掛かられた英二の姿を周太は見つめている。
こんな姿は最も周太に見られたくない、けれど逃れる術なく英二は睫毛を伏せた。
「…やめろよ、国村?なんの冗談だよ、…嫌だよ、周太の前で…嫌だ、」
「冗談?」
低い声が秀麗な唇からこぼれて英二を打った。
「ふうん、冗談だと思っているんだ、で、嫌だと思ってるんだ?」
すっと底抜けに明るい目を細めて国村は笑った。
そして透るテノールの声が低められたまま質問を始めた。
「おまえさ、湯原が嫌がっているのに無理に抱いたんだろ?だから俺だってね、おまえが嫌がっても抱いて良いだろ?」
さっき交したばかりの会話。その会話に告げた自分が周太にした事を、国村は自分にしようとしている?
見つめ返した国村の目は笑いながらも底からは、真直ぐ射こむような真剣が刺さって痛い。
そして気付かされていく自分が周太にしたことの意味が、いまさらに痛み始めて英二は喘いだ。
「…だってあれは、話してほしくて…ああすれば周太、話してくれるから…」
「ふうん?話してもらう為ならさ、無理強いしても良いんだね」
いつもにない冷酷な響きがテノールの声の奥から英二に打ちつける。
その切長く細い瞳の底に激しい熱が起きあがっていく、初めて見る友人の視線に英二は息を呑んだ。
激しい熱の視線がすっと細められる、そして端があげられた唇から透明な声が低く裁可した。
「俺もね、おまえに話させたいんだよ、いまどんな気分がするかをね?」
細めた目のままで笑って国村は英二の首筋に唇でふれ始めた。
両手を拘束されて身動きもできずに英二は、されるがまま首筋を唇にふれられていく。
このまま自分は周太の目前で体を支配されていく?そんな自分の姿は周太にどう映る?
そんな自分の姿を見た後で周太はどんなふうに自分に接する?恐怖感が迫りあげて口もとから零れ落ちた。
「…っ、やめろ、…っ、くにむら、やめ…っ、」
「うん?違うだろ、宮田?どんな気分がするのか話すんだろ?あ、こんな程度じゃ話してくれないんだね?仕方ないな、」
すっと細められた目が笑んで国村は開いている左手をブランケットのなかへ挿し込んだ。
その左手が素肌にふれていく、そうして指先から英二の感覚を支配する意志がふれた。
これから何をされる?不安と周太に見られる恐怖に怯えても動きは支配されて逃げれない。
それでも英二は国村を見つめて訴えた。
「嫌だっ…やめて国村、嫌だっ…お願いだからやめてくれ…!」
「なに言ってるのさ」
切り捨てるようにテノールの声が言った。
細い目を嫣然と微笑ませたままで、低く透明な声が英二に「服従」を厳然と命じた。
「おまえはね、もう俺の『女』になっちゃったんだよ?もう俺は好きにしていいはずだ、そうだろ?」
ちょっと擦違っても、体を重ねたら解決するだろ?婚約者なんだから―
昨夜に自分が国村に言ったこと、そのままに英二はいま言われた。
そして自分の傲慢に気付かされて心が軋みあげて止まらない。
自分は周太に何をした?
婚約者であることに甘えて自分は体を無理強いした。
婚約者なら許されると言い訳をして「心」を会話で繋げる努力を放棄した。
あのとき周太は話して「心」を繋げることを望んでいた。
それを自分は国村と周太に流れる空気に見惚れて焦って「体」で無理矢理に繋ぎとめようとした。
― 体を繋げなくても心は繋げられる…心繋げない体の繋がりよりも、俺は、こっちを選ぶ
昨夜に国村が誇らかに告げた言葉。
あの言葉はきっと「周太を愛する」なら正しい真実の想いだった。
そのことに自分は気付かずに周太に体を無理強いして「心」の繋がりを壊してしまった?
俺は、ばかだ。
後悔と自責が迫りあげる心に素肌ふれる指の感触が迫ってくる。
片手ひとつに両手を拘束されて、ひとつの掌に体の感覚を支配されていく。
その全てが望まないこと、それでも淡々と笑いながら国村は英二を制圧していく。
「嫌なフリしちゃってねえ?ほんとは俺のこと誘ってるんだろ?お前もさ、体で愉しむの好きだもんな?」
「違う、本当に嫌なんだ…」
嫌なフリ、そんな言葉が心を刺す。
自分も周太が本気で嫌がって逃げようとする想いを無視した。
本当に嫌だ、そんなふうに追い詰めた自分の愚かさが疎ましい。
「お願いだから…もうやめてくれ、…」
「へえ?なんでそんなに嫌なのさ?昨夜はあんだけ誘ってきたくせにさ、ねえ?」
圧し掛かってくる国村は着衣のまま、それでも凄絶な艶と支配する強さが充ちている。
きっと国村は本気で怒っている、その強い意志が凄絶な態度に薫りたっていく。
その怒りの理由をもう自分は知らされ気付かされている。
国村は周太の為に怒っている。
意志に反した「周太の体」への無理強いに国村は怒って英二を辱めている。
このまま周太の目前で痴態を晒されても自分は文句は言えない、自分の愚かさに周太に見限られても仕方ない。
もう観念しよう、そんな諦めをした英二の肌から指先の動きが消えた。
「さて、宮田?聴かせてほしいね、」
透るテノールの声に英二は見上げた。
見あげた先で細い目が真直ぐに英二を見つめてくる、その視線の強さに思わず英二は睫毛を伏せた。
「無理強いされるのって、愉しい?」
「嫌だよ、こんなの愉しくない…怖い。周太の前でなんて、絶対に嫌だ、」
素直な想いのまま英二は訴えた。体を支配される恐怖と周太に見限られる恐怖が震えている。
ふるえに揺れる英二の伏せた目を国村は冷静に覗きこんだ。
「じゃあさ、宮田?お前はね、謝るべきことと、言うべきことがあるよな?」
哀しい罪悪感と「見限られる」予感と一緒に英二は周太を見つめた。
そして国村を見あげて1つゆっくり瞬いて頷いた。
「うん、…周太に謝りたい、俺…ばかだ、本当に俺はバカだ、恥ずかしい…国村、周太に謝らせてくれよ?」
「よし、気がついたな?やっぱり、おまえは真直ぐだね。大好きだよ、そういうとこがさ」
こんな愚かさを露呈しても国村はまだ「大好きだ」と言ってくれる、友人の率直な温かさに英二はすこし微笑んだ。
国村の呼びかけに周太は頷いて、素直に立ちあがるとベッドの傍に立って微笑みかけてくれる。
ゆっくり起き上がって英二は周太を見あげ、一滴の涙を流すと口を開いた。
「ごめんね、周太…無理強いなんて…怖かった、ね…俺、ほんとうにバカだ…ごめん、周太」
あふれる涙のむこう見つめる周太はすこしだけ微笑んだ。
この微笑みを守ろうと自分は決めていた、けれど自分が周太の笑顔を砕いてしまった。
痛切な後悔に英二もすこし微笑むと言葉を続けた。
「もう絶対に無理強いなんてしない…だから周太、許してくれる?
俺の傍から居なくならないで?…もう絶対に周太が嫌がることしないから、許してほしい…いなくならないで?」
いなくならないで?
こんなの今更ほんとうは未練がましいのかもしれない。
だって自分が今一番わかっている、自分がどんな残酷なことを周太にしたのか?
そして国村が本気で怒ったことを、周太がどんな想いで見つめるのか?
それでも言葉だけでも「お願い」したくて言ってしまう、そう周太を見つめていると国村が英二の顎に白い指をかけた。
「こら、宮田?おまえはね、俺の『女』になったんだろ?なのにね、勝手に決めるんじゃないよ?」
自分はなぜ国村を誘って「女」になったのだろう?
一時の快楽と引替に体を使い愉しんで抱かれてしまったのだろうか?
昨日なぜ周太が国村に銃口を向けたのかを知りながら酔いに任せて快楽を貪った?
すべて解らないまま英二は素直な想いを国村に告げた。
「ごめん、国村…俺、やっぱり周太がいい…ごめん、離してほしい、ごめん…俺がバカだったんだ…」
涙と共に本音がこぼれていく。
きっと国村は周太を大切にしている、いま責められ謝罪を求められながら気付いてしまう。
ずっと国村は「周太が守りたい『体』を大切にする意味を考えろ」と問いかけながら英二が周太に犯した過ちを訴えている。
まして周太は13年間の孤独が生んだ空白の為に、まだ心は11歳にもなっていない。
そんな周太に体を無理強いすることがどんなに残酷なことだろう?
― 体を繋げなくても心は繋げられる…心繋げない体の繋がりよりも、俺は、こっちを選ぶ
さっきも思い出した国村が昨夜に言ったこと。これは周太を見つめるなら大切な選択だと今更に思い知らされる。
どうして自分は解らなかったのだろう、国村と周太の空気に焦ったとしても言い訳になどならない。
前の自分は「体」を使って孤独を誤魔化し要領よく生きていた、そうして麻痺した心が鈍感に過ぎて繊細な周太の心と体を傷つけた。
こんな愚かな自分を周太は何と想って見ているのだろう?
「うん、バカだね、おまえはさ?」
からり明るく国村が笑った。
笑って英二の顎にかけた指を外すと、そのまま一発、白皙の額を弾いた。
ばちん、
いい音がして額に鈍い痛みが現れる。
その痛みを白い指で突いて国村は、底抜けに明るい目で笑った。
「ごめんね、宮田?俺たちヤっちゃったなんて嘘だよ。おまえはね、一晩中ずっと酔っぱらって眠りこんでいたんだよ」
「…え、」
思わず目が大きくなる。
そんな可愛い表情の英二に国村は可笑しそうに笑った。
「ねむってるお前を置いてさ、俺はね、湯原をひとりで迎えに行ったんだよ。
で、湯原が元気なかったからさ?ちょっとドライブして事情聴いてね、おまえを懲らしめたくなった俺は悪戯を考えたってワケ。
まったくね、おまえはバカだよ?大事な婚約者に体を無理強いなんかして。そんな酷いことしたらね、逃げられても文句言えないね」
明るく笑いながらも「無理強いはダメだ」とはっきり言ってくれる。
ほんとうに言う通り、自分はバカで周太に逃げられても文句は言えない。
きっと自分はもう周太の信頼を今まで通りにはもらえない、婚約のことも考え直すと言われても仕方ない。
それでも気付かぬままで周太を傷つけていたら、きっと取り返しがつかない事になっていた。
いま気付けたことは幸運だった、英二も素直に頷いて国村を真直ぐ見つめて約束した。
「うん、…俺、よく解ったよ?さっき本当に怖かった…
本気で止めてくれって言って、止めて貰えないの、怖かった。
俺、周太がいい、だから無理強いはもうしない。約束する…ごめん、国村。気付かせてくれて、ありがとう」
「だろ?まったくバカだね。されるまで解らないなんてさ。さあ、これに懲りてね、2度とあんなことするんじゃないよ?」
やさしく細い目が笑んで白い指が軽く英二の額を小突いた。
そしてベッドから降りるとマウンテンコートを羽織って、1つ伸びをすると国村は言ってくれた。
「さて、宮田?今日は日勤だろ?早く寮に戻って仕度しな、遅刻するよ?ほら、」
言いながら示したクライマーウォッチの時刻は6:45を指している。
頭をひとつふって英二は微笑んで、脱がされていたニットを着るとベッドから降りた。
「うん、ありがとう。でも周太の朝食を1人にしちゃうの嫌だな、」
本音は周太と一緒にいたい、それだけ。
けれど自分が周太にした仕打ちを想うと「一緒にいたい」と言う権利すら失っても仕方ない。
自分は自ら周太を傷つけて「隣」を居場所にする権利を放棄した、じわり蝕んでくる後悔が痛い。
痛みの苦しさにため息が心からこぼれていく。そんな英二に周太はやさしく微笑んで言ってくれた。
「ん、大丈夫だよ?」
気にしないで仕事行ってね?そんな優しい想いが黒目がちの瞳に微笑んでいる。
愛するひとの微笑が見れて嬉しい、けれど無理をして笑ってくれているかもしれない。
本当は少しでも多く一緒にいて出来る限りを尽くして謝りたい、けれどそれも許してもらえるのか解らない。
これで周太を傷つけたのは何度目なのだろう?直情的すぎて時に自分はこうして愛するひとを傷つけてしまう。
思わず憂い顔になってしまう英二を国村は笑ってまた額を小突いた。
「いいからね、おまえは早くしな?湯原の朝飯とかはね、俺が一緒させてもらうよ?
で、吉村先生のとこも連れて行く。御岳山の巡廻と自主トレも俺が送ってやるよ。それでいいんだろ?」
国村が周太を自分の許へと送り迎えしてくれる、それがいいかもしれない。
自分は周太を傷つけた張本人、そんな自分よりも国村と一緒に過ごす方が周太の心は寛げる。
そして少しでも元気になってくれたら嬉しい、英二は国村の提案に笑顔で頷いた。
「うん、ありがとう。国村と周太が1日ずっと一緒になるのはね、ちょっと妬けるけどさ。でもお願いするよ」
「おう、任せな。ほら、湯原?名前呼んでやりなよ、安心させてやって、」
大らかな優しいまなざしで細い目が笑ってくれる。
やさしい国村の気遣いがうれしい、けれど周太は名前を呼んでくれるだろうか?
そんな想いで見つめる視線の向こうで、おだやかな微笑みが咲いてくれた。
「ん、…英二?またあとでね…行ってらっしゃい、」
名前を呼んでくれた、それだけで幸せだと心がふるえる。
呆れられて嫌われて、名前を呼んで貰えなくても仕方ないと思っていた。
「うん、…ありがとう、周太…」
うれしくて思わず長い腕を伸ばしかけて、ふっと止めた。
自分が周太にしたことは強姦だった、そんな自分に触れられることはきっと怖い。
それでも一度だけでいい、いま抱きしめさせて欲しいと願ってしまう。そっと英二は口を開いた。
「ね、周太?いま、一度だけ抱きしめてもいい?…ダメならそう言ってよ?」
ちいさく周太は頷いてくれる。
そして一歩近づいてくれると、そっと英二を抱きしめて微笑んでくれた。
「ん、英二?俺ね、ほんとに怖かったし、嫌だったよ?…だからもうしないでね?」
周太から抱きしめてくれた。
どうしていつもこうなのだろう?ほんとうに自分はばかだ。
ほんとうは守られているのは自分、そんな簡単なことを忘れてしまっている。
いま周太に気遣わせている、そして勇気を出させて自分を抱きしめさせている。
こんな優しさが好きで、大好きで、離れられなくなってしまう。
長い腕をそっと周太の肩にまわして抱きしめると英二は、涙をひとつ零して言った。
「うん、周太…もう絶対にしないよ?ごめん、周太…ごめんなさい、…俺を置いていかないで…」
俺を置いていかないで。
また未練が心からこぼれて勝手に口が動く。
こんなに自分は弱くて愚かだと思い知らされる、途方に暮れていく。
それでも周太は自分より大きな体の英二を抱きとめてくれた。
「ん、…あとで、御岳山であおうね、英二?」
御岳山で。
周太の誕生花「雪山」が生えている御岳山。
今日も一緒に見ることを許してもらえるだろうか?
そんな期待を持てるだけでも嬉しい、おだやかに英二は微笑んだ。
「来てくれるんだね、周太?ありがとう、じゃあ俺、行ってくるね」
約束を大切にする周太は言った以上は来てくれる、そんな安心を抱いて英二は寮へと戻った。
(to be continued)
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