真実 3分間にすべてを懸けて、唯一度

第33話 雪灯act.6―another,side story「陽はまた昇る」
銃声が谷に響いていく。
大きな木霊が轟いて反響しては消えて、また新しい発砲音が立つ。
手許のM1500はボルトハンドルを前後に往復させて装填、抽出を行っていく。
「うん、弾数がもうじき半分になるね。そろそろ撃ち落とさないと、かな」
言いながら国村も新たに5発を装弾すると、すこし考える顔をした。
そして悪戯っ子に細い目を笑ませると人差し指を立てて周太に微笑んだ。
「さて、湯原くん?これから俺がする射撃はね、人に言っちゃダメだよ?真似すると大変だからさ」
「…え、?」
なんだろう?不思議に思って周太は国村を見た。
見あげた周太に笑って国村は立ちあがると、銃座で真直ぐ背中を伸ばしすこし体を斜めにしていく。
そしてM1500ヘビーバレルを国村は右腕一本でノンサイト射撃に構えた。
大口径ライフル、それも狩猟用の装薬は衝撃が大きい。
それを片手撃ちでの射撃をしようとする?驚いて周太は国村を見つめた、普通こんなこと出来るわけがない。
本当に撃つのだろうか?見つめる周太の視線の先でオープンフィンガーグローブの右掌が銃身を掴んでいる。
そして国村は右腕一本で銃身を支えたまま、トリガーに指をかけると真直ぐに狙撃した。
M1500の衝撃音が谷へと木霊を呼び起こしていく。
その弾道は真直ぐにザイルの数センチ横を抜けて中空を裂いた。
「うん、さっきより精度はいいかな?さ、湯原くんの番だよ」
いつも通りの普通の顔で国村は周太を促してくれる。
言われて我に返ると周太は規定通りに両手でM1500を構えるとザイルを狙撃した。
けれど谷風に揺れるザイルには命中しない。ほっと息を吐いてもスコープを覗いたまま自分の順番を待った。
その横でまた国村は真直ぐ立ってM1500を片手撃ちノンサイト射撃で狙撃する。
そうして交互に狙撃しながらも周太は、心の底に涙がたまるのを国村の姿の向こうに見つめていた。
このひとは才能も恵まれて、そして自分も好きなひと。
それでも英二の心と体を守るために、自分は国村を制圧する。
けれど周太が国村を本当に制圧できるのか?
その可能性が低いことを、国村のM1500の片手撃ちにまた思い知らされていく。
ここは奥多摩の山。
奥多摩で生まれ育ち奥多摩の警察官になった国村にとって、ここは国村の領分になる。
自分の領域、恵まれた才能と体、そうした最高の条件下でもし国村が本気を出したなら?
なにより誇り高い国村が「山」で、しかも奥多摩の山で自分が制圧されるなど絶対に許す訳がない。
そして絶対に許さない相手に対して、誇り高い国村がどんな手段をとるのか?
きっと自分が国村の制圧など出来はしない、それを自分がよく知っている。
国村が自分の想いを汲んで理解してくれること、その可能性にかけて周太は国村を制圧しようと決意していた。
けれどもし国村が解ってくれなかったなら、制圧されるのは自分。
そうしたらもう自分は英二の元へ帰ることは出来ない。
…どうか、自分の想いを解って貰えますように…
祈りを心の深くから想いながら周太はM1500に装填した5発中3発目の狙撃を終えた。
その横で国村は装填した5発のうち4発目を右腕一本のノンサイト片手撃ちでザイルに向けていく。
そして狙撃開始から15分程の経過で、ザイルは切断された。
切断されたザイルが衝撃で虚空を跳ね上がる、
切れたザイルのままに標的用人体模型が谷底へと滑落していく。
狙撃の任務が終わった。
だから今から自分は唯ひとつの想いと願いの為に、国村を制圧する。
周太はM1500を持ったまま静かに国村から離れて間合いを取っていく。
ほんとうは怖い。
友達を失うかもしれない可能性も、自分が2度と帰れなくなる可能性も。
けれどどうしても止められない、唯ひとつの想いを守る為の選択を。
そして信じたい。信じたい、国村のことを。この大好きな友人のことを。
祈りの想いにM1500を、谷を眺めるスカイブルーの山岳救助隊服姿の背中へ構えた。
…信じている、だからこそ自分はこの友人へ銃口を向ける
M1500に装填された残弾2発、その1発に全てを。
ゆっくりと長身のスカイブルーの隊服姿が振向いてくる。
そして底抜けに明るい目と視線が合った瞬間に、国村の真横30cmを周太は狙撃した。
火焔と一音、
谷の木霊へと被せるように威嚇発砲は哭き響いていく。
撃ち終えすぐに左手だけでM1500を提げ持ちながら右掌はホルスターにかける。
そして真直ぐな片手撃ちノンサイト射撃の構えで周太は、国村に銃口を向けた。
「国村さん。もし英二に無理に手を出したら、俺が許さない」
真直ぐに言葉を周太は国村に向けた。
向けた銃口の向こうから、底抜けに明るい目は真直ぐに周太を見つめている。
拳銃と周太を見つめたまま国村は、穏やかに微笑んで静かに口を開いた。
「うん、…話してくれるかな、湯原くん?」
真直ぐにノンサイト射撃に拳銃を構えたまま、周太は底抜けに明るい目を見つめた。
この純粋無垢に明るい目が自分は好きだから、どうか想いを無事に伝えられますように。
そんな想いを抱いて周太は唇から言葉を押し出した。
「国村さん、あなたは英二に最高峰の夢をくれた、英二に山へ登る自由を与えてくれる。
そんな国村さんが俺も好きです。いつも大きな優しさで受けとめてくれて…ほんとうに感謝しています。
けれど英二を傷つけるなら許さない、あなたであっても、どんな理由があったとしても、すこしでも英二を傷つけるなら」
温かい眼差しのまま国村はM1500を右腕に提げて周太を見つめている。
そのまなざしの温もりに祈るように周太は言葉を続けた。
「英二が望まないことは許さない、すこしでも無理に英二の体を求めることは、許さない。
英二を傷つけることは、山だけは仕方ない。けれど人間には一歩も俺は譲れません…すこしも英二を傷つけないで。
あなたが山への誇りを守るように、俺は英二を守ることに誇りを懸けている。
唯ひとり俺を救ってくれた、愛してくれた英二だから。俺が唯ひとりだけ愛するひとだから。だから俺が英二を守りたい」
「うん、…そんなに、大好きなんだね?」
優しく微笑んで国村がすこし首を傾げた。
周太は視線は離さずにかすかに頷くと、想いを言葉へと変え続けた。
「そして俺はあなたも守りたい、英二の山でのパートナーは国村さんだけだから。
俺は英二と一緒に最高峰には行けない、けれどあなたなら一緒に行ける、アンザイレンパートナーを組んで山で援けあってくれる。
なにより俺自身があなたを好きです。だから俺は、あなたも守りたい。でも、英二をすこしでも傷つけるなら、あなたでも許せない」
「俺も、守ってくれるんだ?」
やわらかに細い目が周太に微笑んだ。
その微笑みに周太は目で頷くと、想いの願いを伝えた。
「だから約束してほしい、英二に無理強いしないで、傷つけないで…」
真直ぐな視線が周太を見つめてくれる。
その視線のひとがそっと口を開いて、静かに周太に訊いた。
「もし、俺を撃ったら。誰もが唯では済まないだろうね…俺は死ぬ、きみは殺人犯になるね。
そして宮田は独りになる。殺人劇の舞台になった青梅署の鑑識実験も問題になる。でも、そんなリスクはもう考えたんだろ?」
底抜けに明るい目は切ない想いが見えている。
その想いを真直ぐ見つめて周太は唇を開いた。
「大丈夫…俺は殺人犯には、ならないから」
「どうやって?」
「同じ弾丸で同じ条件の拳銃だから…そして、国村さんと俺の弾痕は全く同じだ、」
ふっと寂しい微笑みが雪白の顔にながれた。
ゆっくり1つ瞑目して見開くと国村は周太に微笑んだ。
「うん、…俺は、山で拳銃自殺したことになるんだね?」
山で、拳銃自殺。その言葉に国村の哀しみが周太に伝わった。
山ヤとして誇り高い国村が、自分の血で山を染めることは最も忌むことだろう。
それを自分は知って、英二を傷つけてほしくない為に国村を脅迫している。
真直ぐ国村を見つめたまま周太は想いを素直に伝えた。
「あなたにとって、一番それは嫌なことでしょう?…だからあえて脅迫しています、英二を守るために俺は本気です」
「俺もね、本気だよ?」
静かにテノールの声が雪の森に響いた。
きれいに笑って国村が周太を見つめて言ってくれた。
「宮田はね、俺にとって唯ひとり心の全てを許せる相手だ。そして、あいつにとっても俺は唯ひとりだよ。
だから俺はアンザイレンパートナーに選んだよ。似たような体格と素質だけではね、俺は選ばない。
俺たちが運命の相手同士だと思ったから選んだんだ。そんなあいつをね、軽い気持ちで『抱く』だなんて俺は言えないよ」
底抜けに明るい目は静謐を湛えて周太を見つめている。
静かな微笑みで国村は人差し指を唇の前に立てて、周太に示した。
「さ、ここからはね、君と俺との内緒話だよ?秘密は、守ってくれるよね」
「…はい、」
拳銃を構えたままで素直に周太は頷いた。
そんな周太に頷き返すと国村は、右手に掴んだM1500から最後に残っていた一発の弾丸を抜いてしまった。
そのまま弾丸をケースに戻すとM1500を銃火器ケースへとおさめて施錠する。
そして登山ザックの上に腰かけると、温かく細い目を笑ませて周太を見あげた。
「さ、これで俺はね、丸腰だよ?そして、君の銃口の前にいる。
俺は、君に命と誇りを預けて今から話すんだ。だから今から話すことはね、全部信じてほしい。信じてくれるかな?」
真直ぐで真摯な眼差しが「どうか信じて?」と、きれいに笑いかけてくれる。
こんなふうにされて信じられない、そんな人は居るだろうか?そっと周太は頷いて国村の瞳を見つめた。
周太の頷きに満足げに微笑んで、ゆっくりと国村は口を開いた。
「俺はね、『山』がいちばんだ。だから俺にとってはね、美代と宮田なら宮田が優先されるよ。
ほんとにさ、2人とも比べられないほど大切だよ。けれど、どちらかを選べというならね、俺は宮田を選ぶ。
あいつは唯ひとり俺だけのアンザイレンパートナーだから。最高峰へ俺と一緒に行ける唯ひとりだよ、だから本当に俺には大切なんだ」
ちいさく心が軋みをあげてしまう、美代を想うと。
美代は周太にとって初めて同じ興味を持って話せる友達でいる、だから美代の気持ちを想わずにいられない。
けれど国村の、唯ひとつの夢と誇りに全てを懸ける一途な情熱も、同じ男として解ってしまう。
…そして、やっぱり、このひとも好きだ
真直ぐな情熱と偽らない心で国村は、純粋無垢な山ヤの誇りに生きている。
こんな国村が自分はやっぱり好きだ。そして願ってしまう、このひとの輝く姿も見られたらいいと。
だからお願い信じさせて?そんな想いの真ん中で国村が微笑んでくれた。
「だからね、宮田を傷つけたくないのはさ、俺も同じだよ?
でね、教えてほしいんだけど。無理矢理えっちするぞって俺に脅迫されたって宮田からさ、昨夜は聴かされたんだろ?」
「…はい、」
短く答えて周太は頷いた。
頷きながら涙がこぼれそうになって周太はゆっくり1つ瞬いた。
そんな周太の瞳を見つめて国村は、やさしく笑いかけると穏やかに言葉を続けてくれた。
「あのとき俺はね、山で怪我したことで誇りがちょっと傷ついていた。
それをね、アンザイレンパートナーのあいつには理解してほしかったんだ。
山ヤにとって自分の体はさ、山に登る自由を守る為のものだ。
だから俺は体を要求することでね、俺の誇りとあいつの自由を天秤にかけて見せたんだ。
俺はね、決して軽い気持ちで体を要求したわけじゃない。俺は自分の誇りを懸けて、あいつを脅迫したんだ」
底抜けに明るい目は誇らかな自由が映りこんでいる、その目がきれいだった。
そんな誇らかなままに明るく温かい眼差しで国村は教えてくれた。
「体だけの楽しみとかね、あいつは出来るヤツだろうね。
で、正直なとこ俺は体も自信あるよ?宮田なら相性好さそうだしね、きっとお互いイイ思いできるだろう。
だから俺たちはさ、お互いの体に興味が全く無いって言ったらウソだ。2人ともかなりエロいしね?
でも宮田はね、ほんとうに体ごと求めたいのは君だけなんだ。そうやってさ、心から求められる体の繋がりは幸せだよ。
だから喜ぶと想う。こんなにね、君があいつの体を大切に想っているって知ったらさ。きっとね、幸せに笑ってくれるよ」
自分が聴きたかった英二と国村の想い。
どれも納得が出来る、そして偽りが無いことが真直ぐな目から伝えてもらえる。
このまま素直に信じられたらいいのに、ちいさなため息が周太の唇からこぼれた。
そして想いが短い一言にそっと言葉になって国村へ向けられた。
「…ほんとうに?」
「うん、ほんとうだよ。言っただろ?俺はいま、君に命と誇りを預けて話しているんだ、嘘なんかつけないね」
誇らかな自由のまぶしい瞳が周太に率直に笑いかけてくれる。
そんな瞳がうれしくて周太は、そっと拳銃をおろした。
すると国村がすこし目を大きくして周太に人差し指を立てて微笑んだ。
「ほら、まだちょっと拳銃をさ、俺に向けといてくれないかな?」
「え、…どうして?」
驚いて周太は訊いてみた。
そんな周太に明るく笑って国村は答えてくれた。
「もうひとつ聴いてほしいことがあるんだ。
この話こそ俺は、君に俺の命も誇りも預けて話したいんだよ。そして全部信じてほしいんだ。さ、銃口を向けてよ?」
ちゃんと俺を脅迫しておいてよ?
そんな申し出を明るく笑って国村はしてくれる、なんだか可笑しくて周太はすこし微笑んだ。
その周太の笑顔にうれしそうに微笑むと、国村は透るテノールの声で静かにくちずさんだ。
「牧場に 見えるのは 森の精ドリアード
花に囲まれて くつろぐ姿が 美しい
色鮮やかな 帽子のかげには 緑なす 乱れ髪が 揺れている」
透るテノールの声がひそやかに歌うように雪の森に流れていく。
この詩を周太は知っている、それを国村に聴かされて驚いた。
「Dedans des Prez je vis une Dryade」Pierre de Ronsard
フランスの詩人ピエール・ド・ロンサール「カサンドラへのソネット」の第51番「森の精ドリアード」
この詩が綴じられた詩集の原書が、父の蔵書たちと一緒に実家の書斎で書架へ納められている。
この詩人は想いを自然へと託して詠いあげる、この詩も自然の描写がきれいで周太も好きだった。
国村はフランス文学も好きなのかな?そう思いながら周太はトリガーには指をかけずに拳銃を持っていた。
「その姿を 一目見てより 恋に悩み 心は騒ぎ 涙はあふれ」
ここまで静かに歌い終えると、ふっと国村は口を閉じた。
そして優しい眼差しで周太を見つめて、そっと国村は呼びかけた。
「ドリアード、」
呼びかけに周太はすこし瞳を大きくした。
国村はなぜ、森の妖精の名前で呼ぶのだろう?不思議で見ていると国村は口を開いた。
「雪の森で俺はね、ドリアードに逢ったことがあるんだ。
ドリアードは木に住んでいる、そして木と運命を共にする森の妖精だ。小柄で、緑色のショートヘアの美女なんだよ」
底抜けに明るい目は温かい眼差しで周太を見つめてくれる。
自分もその詩を知っているから―そんなふうには今はなんだか言えない?
そんなすこし不思議な想いのまま見つめるさきで、穏やかに微笑んで国村は言葉を続けていく。
「雪の降った朝、俺は家の畑を手伝ってからチャリ漕いでね、雪の森に新雪を見に行ったんだ。
その森には大きな山桜がいるんだ。きっと俺以外はね、誰も知らない秘密の桜だよ。
真白な花が清楚でね、そりゃきれいなんだ。夏は緑の薄い葉が佳い香りで、秋は紅葉が真赤で好い。
冬は繊細な枝を惜しみなく魅せて白い雪のベールをまとう。俺の大切な特別な木だよ、いつも逢いに行くんだ。
で、その日も俺は山桜に逢いに行ったんだよ。そうしたらさ、その山桜の前にドリアードが雪のなか立っていた」
山桜の大木がある深い雪の森。
ふっと周太の記憶にふれる光景が呼び起される。
うさぎの足跡を追った雪の森で見つけた大きな木、あれは山桜だったよね?
記憶を見つめる周太と拳銃をはさんだ向こうで、国村は愉しげに微笑んで記憶の光景を話していた。
「針葉樹を透かした木洩陽がね、やわらかそうな髪を緑色に照らしてさ、きれいだった。
真白な雪に囲まれているのがね、真白な花のなかに立っているみたいで、清らかでね。
うれしそうな幸せそうな笑顔で、山桜の大木を見あげていたよ。その笑顔が本当にね、きれいで可愛かった」
トリガーを離して構える拳銃の向こうへ周太は真直ぐ国村を見つめた。
そんな銃口と視線の先で国村は、きれいに笑いかけながら記憶を紡いだ。
「俺の山桜のドリアードだって思った。きれいで、不思議で、俺は見ていたんだ。
じっと見つめていたらさ。ゆっくりドリアードが振向いてね、俺に訊いてくれたんだ『この木が好きなの?』って。
だから俺はね、『いちばん好きで大切だ』って答えたんだ。そうしたらドリアードは嬉しそうに『同じだね、』って笑いかけてくれた」
いちばん好きで大切。
ドリアードの分身の木をいちばん好きで大切と言うこと。その意味は?
そして国村がくちずさんだ詩の一節 “その姿を一目見てより恋に悩み 心は騒ぎ 涙はあふれ”
…ドリアードに恋をした、そういうこと?
静かに周太は拳銃を斜め45度の構えに提げた。
いま国村は大切な記憶の話をしてくれている、それに銃口を向けていたくなかった、国村が銃口を向けろと望んだとしても。
そんな周太にかすかに頷いて、雪白の秀麗な顔は和やかな笑顔に話を続けた。
「ふたりで話をしたよ、その山桜の話とウチの山の話をね。
そこに遠くから声が聞こえてきた、それを聴いて『もう戻らなくちゃ』ってドリアードが言ったんだ。
だから俺は約束を呼びかけたよ、『また逢いたい』って。そしたらドリアードは頬を赤くしてね、気恥ずかしそうに頷いてくれた」
遠い記憶を愛するような眼差しで、登山ザックの上に座って国村は雪の木洩陽と微笑んでいる。
その微笑みは優しく温かで明るい美しさがまぶしい、その笑顔がどこか懐かしくて周太は首を傾げた。
やさしい温かさに笑んだ細い目で周太を見つめて、きれいな透るテノールの声が微笑んだ。
「俺と同じくらいの年恰好のドリアードだったよ、あわい水色の服を着ていた。そのときは1月で、俺は9歳だった」
あの雪の森の日、自分が何を着ていたのか?
それはアルバムの写真で知っている、たしか今着ているようなあわい水色のウェアだった。
雪の森、大きな山桜の木。あわい水色の服、そして9歳の1月の新雪の朝。
…まさか、そんな?
まさか?そんな想いに見つめる先で雪白の顔が微笑んでいる。
けれど記憶がかすかにもう甦りかけている、あの日に自分は誰かと木の前で話した。
そして優しい微笑みのままに国村はまた口を開いた。
「吉村先生の診察室で最初に会った時、似ているなって思ったよ。
でも男だからね、違うかなとも思っていた。俺のこと全然覚えてないみたいだし。
けれどね、透明な雰囲気とか同じでさ。黒目がちの瞳もそのままで、きれいで純粋でね。笑顔やっぱり可愛いし。
覚えてくれていなくても、たぶんそうだろう。思い出してくれるかな、告白できるかな。そう思っていつも見ていたよ。
で、さっき、雪の森の話をしてくれた。それで本人だって決ったね。俺のことなんて忘れているんだろ?でも、やっと逢えた」
底抜けに明るい目が真直ぐに周太の瞳を見つめてくれる。
そして幸せそうに微笑んで国村は言った。
「山桜のドリアード、俺は待っていたよ?…やっと逢えたね、俺のドリアード、」
…ずっと、14年間、待っていてくれたの? そんな想いで見てくれていたの?
ぱさり穏やかな音を立てて周太の右掌から拳銃が雪へと滑り落ちた。
その手元を首傾げて見ながら国村が笑って言ってくれた。
「ほら、雪に拳銃を落としちゃダメだろ?錆びちゃうじゃないか、早く拾いなね、」
いつも通りの明るいテノールの声がやさしくて温かい。
ゆっくり頭をふって周太は微笑んだ。
「ううん、…いま、もう拳銃なんて持てない…いま、どんな顔していいかも、解らないんだ…」
「うん?そっか、じゃ、これ俺がしまっとくね」
底抜けに明るい目で笑って国村は拳銃を拾いあげて、雪をきれいに拭って弾丸を抜き取ってくれた。
周太の左手に握ったM1500も受けとると同じように弾丸を抜いて、ケースへと戻していく。
それぞれをケースに全て納めなおすと序でに銃座の雪をさっと戻して元通りにしてくれる。
そしてまた周太の前に立って明るい優しい笑顔で笑いかけてくれた。
「俺の山桜のドリアードはさ、男だったんだね?
俺、女の子だと思っていたんだ。すごく可愛くてきれいだったからさ。ま、俺はどっちでも大好きだけどね」
笑いかけながら国村は周太の両掌をとった。
そして心から楽しげに幸せそうに笑って言ってくれた。
「また逢いたくてさ。毎日ほとんど俺はね、山桜に逢いに行って君を待っていたんだ。
ほんのひと時を話しただけなのにね?でも俺は、忘れられなかったんだ。ずっと待っていたよ。
そして14年ぶりに逢えた。14年たっても、きれいなまま純粋なままでいてくれた。俺はね、変わらない君が本当に嬉しかった」
真直ぐで子供のまま純粋無垢な笑顔で、国村は再会を喜んでくれている。
雪白の頬が紅潮した無邪気できれいな底抜けに明るい笑顔、どこか懐かしいと感じた瞬間が何度もあった。
その笑顔に周太の記憶の宝箱がひとつ開かれて、ゆっくり雪の森の山桜が甦り始めた。
記憶のなかの会話がそっと周太の唇から、ひとつ零れた。
「…雪みたいに白い雲のように花が咲く…そんなふうに話してくれた?」
「うん、そうだよ?雪みたいに白い雲がね、あの山桜に降りたみたいに花が咲くんだ。そしてウチの梅林は霞みたいだよ」
「白い霞に、あわい赤が朝陽みたいにきれいで、良い香りで…見においで、って言ってくれた…?」
「そうだよ、ウチの梅林に見においでって約束した。だからね、今度の3月は見に来てくれな?14年ずっと俺は待ってたよ」
底抜けに明るい目はもう、周太に銃口を向けられたなど忘れて無邪気に楽しげでいる。
ただ14年ぶりの再会を喜んで今を楽しく一緒に笑っていてくれる。
どうしてこんなひとを自分は、狙撃しようなんて事になったのだろう?
唯ひとりの愛するひとを守りたかった、けれどこんなに自分を待ってくれていた人だったのに?
いま目の前で見つめて笑ってくれる想いに周太の瞳から涙があふれ出した。そして想いが唇からもふるえおちた。
「…ごめんなさい、ほんとうに…おれ、酷いことを、して…忘れて、そして、銃まで…ごめん、ね」
涙がこぼれて山の雪へと降りかかる。
あふれていく涙を見つめて細い目が温かく笑んで、オープンフィンガーグローブから出ている指で涙を拭ってくれた。
「大丈夫だ、思い出してくれただろ?それに威嚇発砲だけだ。
でもさ、ほんとに良かったよ?俺のドリアードに殺人なんて真似はさ、してほしくないからね。この掌はきれいでいてほしい」
そっと周太の掌を持ったまま、底抜けに明るい目がやわらかく微笑んだ。
やわらかな微笑のまま静かに国村は確かめるよう言ってくれた。
「俺はね、14年たって再会しても、大切だって気持ちは変わってないよ。
だから、信じてほしい。俺は君を哀しませることはしない、その為にも宮田を大切にするよ。
君にとって宮田はさ、唯ひとりだけ愛するひとなんだろ?大好きで、一緒にいられたら幸せなんだろ?」
温かいテノールの声がやさしくて周太は素直に頷いた。
頷いて素直な想いにゆっくり周太は国村に告げた。
「…ん、英二がね、好き…唯ひとりだけ、愛してるんだ…だから、すこしも傷つけたくない。きれいでいてほしくて」
言って見上げると底抜けに明るい目が見つめてくれている。
温かに見つめ返してくれながら国村は周太に言ってくれた。
「うん、君はそうだよね。…わかっている、だから望みを俺が叶えてあげる。
いつも山岳救助隊で登る奥多摩の山からも、最高峰からも。どこからもね、あいつを無事に君の隣に帰らせてあげる」
真直ぐ周太を細い目で見つめながら国村が約束してくれる。
英二の無事を約束してくれることは本当にうれしい、けれど国村はどうしてこんなにしてくれるのだろう?
申しわけなさと不思議で周太は訊いてみた。
「ありがとう…でも、どうしてこんなにも、約束をしてくれるの?」
見あげる雪白の美しい顔がきれいに笑って見つめてくれる。
笑いながらまた人差し指を立てて「内緒だよ?」と目で言いながら口を開いてくれた。
「だってね?俺も、君には同じ想いを持っているから」
「…おなじ?」
何が自分と国村は「同じ」なのだろう?
すこし首傾げて周太が訊くと、温かな細い目をすこしだけ切なく国村はきれいに笑ってくれた。
「君には、きれいなままでいてほしい、傷ついてほしくない。
だから俺はね、宮田に約束したんだ。宮田と一緒に君を守るってね?
だって俺にとって君はね、俺の大切な山桜のドリアードだ。そして俺がいちばん大切なのは『山』だ。
そんな俺が愛する『山』で、いちばん好きで大切なのはその山桜なんだ。さ、もう、これで解ってよ、ドリアード?」
“その姿を一目見てより恋に悩み 心は騒ぎ 涙はあふれ”
さっき国村がくちずさんだ「Dedans des Prez je vis une Dryade」ドリアードへの想いの詩。
そんなふうに自分をこの美しいひとが想っているの?
いま気付かされた14年間ずっと寄せられていた想いに、驚きと途惑いが周太の心を覆っていく。
その心に大切な友達の面影が映りこんで、周太は唇を開いた。
「…でも、美代さんがいるでしょう?…初恋の幼馴染のひと、大切な恋人でしょ?…それなのに、」
「美代は一緒にいるのが自然で特別だよ、人間の恋愛としてはね。だから君とは別次元の話だ、君は『山』が俺に逢わせた唯一の想いだから」
いつものように底抜けに明るい目で、明快に国村は周太に言った。
そんな言葉通りに真摯な温かい眼差しで周太を見つめて、少し気恥ずかしげに告げてくれた。
「こんなこと俺が言うなんてさ、ガラじゃないかもね?でも俺のほんとうの想いだよ。
俺はこの奥多摩の最高峰の天辺で生まれた。そして生まれた『山』に生きている、命の終わりも『山』で迎えるだろうね?
そうやって俺はね、『山』が全てだよ。日々の生活も憧れも夢も、友情とか愛ってヤツもね、全て『山』に見ている。
そういう俺だからさ、14年前の雪の森での出会いは心から幸せだった。やっぱり『山』で俺は唯ひとつの想いも見つけたってね」
あかるい笑顔は真直ぐで純粋無垢な想いのまま周太を見つめている。
いま雪の森で周太は立ち竦んでただ真っ新な想いを静かに聴いていた。
…このひとは本気だ。でも、どうしてあげたらいいの?
ほんとうに解らない、どうしたらいいのだろう?
自分はもう英二と出会ってしまった、初めて恋をして愛してしまった。そして婚約をして生涯を共にする約束をしている。
そしてついさっきまで自分は国村が英二に体を要求する事を止めようとしていた。
けれど今は、その国村から14年間の想いを真直ぐに告げられている。
こんなことになるなんて?
昨朝の冬富士で起きた雪崩、あの雪崩から自分の想いは何度と試されているだろう?
あの雪崩がこんなにも自分のことを飲みこむなんて想わなかった。
…でも、自分の想いはもうとっくに決まっている…
もう自分は心を決めている。
周太はそっとため息を吐いて、けれど微笑んで国村を見つめた。
「ありがとう…俺のこと想ってくれて。ずっと想ってくれていた事、本当に嬉しい。
俺もね、あなたのこと大切で好きです…真直ぐに山を見つめて生きて、すてきだって想う。
でも、どうしたらいいのか解らない。だって俺は英二だけなんだ、唯ひとりだけ英二をね、愛している…だから、…」
このひとも自分は大好き、けれど求められている想いと違う「好き」だと自分にも解る。
大切な大好きなひとなのに何も自分は応えられない、そんな想いに押されて涙がこぼれ落ちていく。
そんな周太の涙を国村はやさしい白い指で拭いとって、温かに笑いかけてくれた。
「うん、解ってるよ?大丈夫だ、俺はそういう君が大好きなんだ、純粋な想いに生きる君だから大切なんだよ。
だから泣かないでよ、笑ってほしいんだ。14年間ずっとね、君の笑顔に逢いたかったんだ。だから笑ってほしいよ?」
どうしてこんなに優しいのだろう?
どうしてこんなに14年間ずっと想い続けてくれたのだろう?
こんなに純粋無垢な想いをよせてくれる人、どうか大切にしてあげたい。
だから願ってくれる通りにせめて笑顔を見せてあげたい、ひとつ呼吸して周太は微笑んだ。
「お、笑ってくれたね?うん、笑顔がさ、いちばん可愛いよね。
で、さ?…そろそろ下界に戻らないといけない。でもその前にね、ひとつだけ「わがまま」聴いてくれるかな?」
ひとつだけの「わがまま」を聴いてあげたい。
そうしたら14年間ずっと積んでくれた想いに少しでも答えてあげられるだろうか?
涙を拭いながら微笑んで周太は頷いた。
「ん、聴くよ?…なにかな?」
「うん、じゃあね、3分間を俺にくれるかな?そうしたらね、あとは今まで通りずっと片想いを愉しむからさ」
片想いでも愉しんでくれる。そんな言い回しの明るい潔さが男らしくて国村らしい。
なんだか楽しくて周太は笑いながら素直に頷いた。
頷いた周太に国村は心から幸せそうに微笑んで、周太に告げた。
「ありがとう、じゃあね?今から3分間にね、俺の14年間の想いを閉じ込めるよ。そしてこの先もきっと君に片想いする。
俺の命と誇りを懸けて君に話して接するよ。そしてこの3分間は俺の真実だ、だから俺達だけの秘密にしてほしい、いいかな?」
14年間の時を3分間に閉じ込める、そして片想いを続ける。
そんな真直ぐな国村の想いが切なくて、けれど自分にはどうすることも出来なくて。
とても哀しくて周太の瞳から涙がひとつこぼれおちた。それでも周太はただ微笑んで国村に頷いた。
そっと微笑んで国村はクライマーウォッチを見て、あかるく笑って周太に告げた。
「よし、今から3分間。はい、」
言ってきれいに笑うと国村は、長い腕を伸ばして周太を抱きしめた。
ふわりと水仙に似た潔い甘い香りが、はやい鼓動と一緒に周太の頬を撫でていく。
くるみこまれる香りに顔をあげると底抜けに明るい目が微笑んで、透るテノールの声で幸せそうに言った。
「周太、」
宝物の呪文のように名前を呼んで国村は笑った。
その幸せな笑顔のまま周太の瞳を真直ぐ見つめて、明るく透るテノールの声で想いを紡いだ。
「周太。俺のドリアード、唯ひとり恋して愛している。14年間ずっと君だけ想ってた、そしてこれからもずっと、いちばん大好きだ」
真直ぐに見つめて、真摯に純粋に与えてくれる想い
14年間ずっと、これからも。そんな純粋無垢な想いに周太の瞳から涙がこぼれた。
それでも底抜けに明るい目を見つめて周太は微笑んだ。
どうか笑っていてね?そんな眼差しの温もりで周太を見つめて、明るい透明な声は想いを続けた。
「周太、俺の山ヤの誇りも自由も全て懸けて誓うよ、俺は周太の笑顔の為に宮田を守ってやる。
必ず最高峰からでも無事に連れて帰ってみせるよ、絶対に君の幸せな時間も記憶も俺が守ってあげる。
生涯のアンザイレンパートナーとして宮田を俺が支えてやる、俺もあいつが好きだからね?
でも覚えていて、周太?俺はね、周太がいちばん好きなんだ。ほんとは、いちばん欲しかった。
でも君の望みのままに生きる姿はもっと欲しいんだ、そうやって君を守りたい。
周太には、望みのまま幸せに笑っていてほしい、だから君が愛している宮田のところへ帰してあげる。
でも覚えていて、周太?山ヤの誇りと自由と同じくらい、俺には君が大切なんだ。君は俺の大切な山桜のドリアードだから」
底抜けに明るい目から涙があふれて周太の瞳にふりこぼれていく。
けれど国村は、きれいに笑って周太に告げてくれた。
「周太、…俺の、大切な山桜のドリアード。ずっとずっと愛している、ずっと笑顔を守ってみせる…!」
抱きしめる腕に肩に、全身にやさしく力が籠められる。
涙をこぼして、きれいに笑って、明るい目が周太の瞳を真直ぐ見つめた。
そして秀麗な唇でそっと周太の唇にふれた。
生涯で唯一度。
14年間ずっと見つめた想いとこの先の想いの全てをとじこめて、国村は周太にキスを贈った。
(to be continued)
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第33話 雪灯act.6―another,side story「陽はまた昇る」
銃声が谷に響いていく。
大きな木霊が轟いて反響しては消えて、また新しい発砲音が立つ。
手許のM1500はボルトハンドルを前後に往復させて装填、抽出を行っていく。
「うん、弾数がもうじき半分になるね。そろそろ撃ち落とさないと、かな」
言いながら国村も新たに5発を装弾すると、すこし考える顔をした。
そして悪戯っ子に細い目を笑ませると人差し指を立てて周太に微笑んだ。
「さて、湯原くん?これから俺がする射撃はね、人に言っちゃダメだよ?真似すると大変だからさ」
「…え、?」
なんだろう?不思議に思って周太は国村を見た。
見あげた周太に笑って国村は立ちあがると、銃座で真直ぐ背中を伸ばしすこし体を斜めにしていく。
そしてM1500ヘビーバレルを国村は右腕一本でノンサイト射撃に構えた。
大口径ライフル、それも狩猟用の装薬は衝撃が大きい。
それを片手撃ちでの射撃をしようとする?驚いて周太は国村を見つめた、普通こんなこと出来るわけがない。
本当に撃つのだろうか?見つめる周太の視線の先でオープンフィンガーグローブの右掌が銃身を掴んでいる。
そして国村は右腕一本で銃身を支えたまま、トリガーに指をかけると真直ぐに狙撃した。
M1500の衝撃音が谷へと木霊を呼び起こしていく。
その弾道は真直ぐにザイルの数センチ横を抜けて中空を裂いた。
「うん、さっきより精度はいいかな?さ、湯原くんの番だよ」
いつも通りの普通の顔で国村は周太を促してくれる。
言われて我に返ると周太は規定通りに両手でM1500を構えるとザイルを狙撃した。
けれど谷風に揺れるザイルには命中しない。ほっと息を吐いてもスコープを覗いたまま自分の順番を待った。
その横でまた国村は真直ぐ立ってM1500を片手撃ちノンサイト射撃で狙撃する。
そうして交互に狙撃しながらも周太は、心の底に涙がたまるのを国村の姿の向こうに見つめていた。
このひとは才能も恵まれて、そして自分も好きなひと。
それでも英二の心と体を守るために、自分は国村を制圧する。
けれど周太が国村を本当に制圧できるのか?
その可能性が低いことを、国村のM1500の片手撃ちにまた思い知らされていく。
ここは奥多摩の山。
奥多摩で生まれ育ち奥多摩の警察官になった国村にとって、ここは国村の領分になる。
自分の領域、恵まれた才能と体、そうした最高の条件下でもし国村が本気を出したなら?
なにより誇り高い国村が「山」で、しかも奥多摩の山で自分が制圧されるなど絶対に許す訳がない。
そして絶対に許さない相手に対して、誇り高い国村がどんな手段をとるのか?
きっと自分が国村の制圧など出来はしない、それを自分がよく知っている。
国村が自分の想いを汲んで理解してくれること、その可能性にかけて周太は国村を制圧しようと決意していた。
けれどもし国村が解ってくれなかったなら、制圧されるのは自分。
そうしたらもう自分は英二の元へ帰ることは出来ない。
…どうか、自分の想いを解って貰えますように…
祈りを心の深くから想いながら周太はM1500に装填した5発中3発目の狙撃を終えた。
その横で国村は装填した5発のうち4発目を右腕一本のノンサイト片手撃ちでザイルに向けていく。
そして狙撃開始から15分程の経過で、ザイルは切断された。
切断されたザイルが衝撃で虚空を跳ね上がる、
切れたザイルのままに標的用人体模型が谷底へと滑落していく。
狙撃の任務が終わった。
だから今から自分は唯ひとつの想いと願いの為に、国村を制圧する。
周太はM1500を持ったまま静かに国村から離れて間合いを取っていく。
ほんとうは怖い。
友達を失うかもしれない可能性も、自分が2度と帰れなくなる可能性も。
けれどどうしても止められない、唯ひとつの想いを守る為の選択を。
そして信じたい。信じたい、国村のことを。この大好きな友人のことを。
祈りの想いにM1500を、谷を眺めるスカイブルーの山岳救助隊服姿の背中へ構えた。
…信じている、だからこそ自分はこの友人へ銃口を向ける
M1500に装填された残弾2発、その1発に全てを。
ゆっくりと長身のスカイブルーの隊服姿が振向いてくる。
そして底抜けに明るい目と視線が合った瞬間に、国村の真横30cmを周太は狙撃した。
火焔と一音、
谷の木霊へと被せるように威嚇発砲は哭き響いていく。
撃ち終えすぐに左手だけでM1500を提げ持ちながら右掌はホルスターにかける。
そして真直ぐな片手撃ちノンサイト射撃の構えで周太は、国村に銃口を向けた。
「国村さん。もし英二に無理に手を出したら、俺が許さない」
真直ぐに言葉を周太は国村に向けた。
向けた銃口の向こうから、底抜けに明るい目は真直ぐに周太を見つめている。
拳銃と周太を見つめたまま国村は、穏やかに微笑んで静かに口を開いた。
「うん、…話してくれるかな、湯原くん?」
真直ぐにノンサイト射撃に拳銃を構えたまま、周太は底抜けに明るい目を見つめた。
この純粋無垢に明るい目が自分は好きだから、どうか想いを無事に伝えられますように。
そんな想いを抱いて周太は唇から言葉を押し出した。
「国村さん、あなたは英二に最高峰の夢をくれた、英二に山へ登る自由を与えてくれる。
そんな国村さんが俺も好きです。いつも大きな優しさで受けとめてくれて…ほんとうに感謝しています。
けれど英二を傷つけるなら許さない、あなたであっても、どんな理由があったとしても、すこしでも英二を傷つけるなら」
温かい眼差しのまま国村はM1500を右腕に提げて周太を見つめている。
そのまなざしの温もりに祈るように周太は言葉を続けた。
「英二が望まないことは許さない、すこしでも無理に英二の体を求めることは、許さない。
英二を傷つけることは、山だけは仕方ない。けれど人間には一歩も俺は譲れません…すこしも英二を傷つけないで。
あなたが山への誇りを守るように、俺は英二を守ることに誇りを懸けている。
唯ひとり俺を救ってくれた、愛してくれた英二だから。俺が唯ひとりだけ愛するひとだから。だから俺が英二を守りたい」
「うん、…そんなに、大好きなんだね?」
優しく微笑んで国村がすこし首を傾げた。
周太は視線は離さずにかすかに頷くと、想いを言葉へと変え続けた。
「そして俺はあなたも守りたい、英二の山でのパートナーは国村さんだけだから。
俺は英二と一緒に最高峰には行けない、けれどあなたなら一緒に行ける、アンザイレンパートナーを組んで山で援けあってくれる。
なにより俺自身があなたを好きです。だから俺は、あなたも守りたい。でも、英二をすこしでも傷つけるなら、あなたでも許せない」
「俺も、守ってくれるんだ?」
やわらかに細い目が周太に微笑んだ。
その微笑みに周太は目で頷くと、想いの願いを伝えた。
「だから約束してほしい、英二に無理強いしないで、傷つけないで…」
真直ぐな視線が周太を見つめてくれる。
その視線のひとがそっと口を開いて、静かに周太に訊いた。
「もし、俺を撃ったら。誰もが唯では済まないだろうね…俺は死ぬ、きみは殺人犯になるね。
そして宮田は独りになる。殺人劇の舞台になった青梅署の鑑識実験も問題になる。でも、そんなリスクはもう考えたんだろ?」
底抜けに明るい目は切ない想いが見えている。
その想いを真直ぐ見つめて周太は唇を開いた。
「大丈夫…俺は殺人犯には、ならないから」
「どうやって?」
「同じ弾丸で同じ条件の拳銃だから…そして、国村さんと俺の弾痕は全く同じだ、」
ふっと寂しい微笑みが雪白の顔にながれた。
ゆっくり1つ瞑目して見開くと国村は周太に微笑んだ。
「うん、…俺は、山で拳銃自殺したことになるんだね?」
山で、拳銃自殺。その言葉に国村の哀しみが周太に伝わった。
山ヤとして誇り高い国村が、自分の血で山を染めることは最も忌むことだろう。
それを自分は知って、英二を傷つけてほしくない為に国村を脅迫している。
真直ぐ国村を見つめたまま周太は想いを素直に伝えた。
「あなたにとって、一番それは嫌なことでしょう?…だからあえて脅迫しています、英二を守るために俺は本気です」
「俺もね、本気だよ?」
静かにテノールの声が雪の森に響いた。
きれいに笑って国村が周太を見つめて言ってくれた。
「宮田はね、俺にとって唯ひとり心の全てを許せる相手だ。そして、あいつにとっても俺は唯ひとりだよ。
だから俺はアンザイレンパートナーに選んだよ。似たような体格と素質だけではね、俺は選ばない。
俺たちが運命の相手同士だと思ったから選んだんだ。そんなあいつをね、軽い気持ちで『抱く』だなんて俺は言えないよ」
底抜けに明るい目は静謐を湛えて周太を見つめている。
静かな微笑みで国村は人差し指を唇の前に立てて、周太に示した。
「さ、ここからはね、君と俺との内緒話だよ?秘密は、守ってくれるよね」
「…はい、」
拳銃を構えたままで素直に周太は頷いた。
そんな周太に頷き返すと国村は、右手に掴んだM1500から最後に残っていた一発の弾丸を抜いてしまった。
そのまま弾丸をケースに戻すとM1500を銃火器ケースへとおさめて施錠する。
そして登山ザックの上に腰かけると、温かく細い目を笑ませて周太を見あげた。
「さ、これで俺はね、丸腰だよ?そして、君の銃口の前にいる。
俺は、君に命と誇りを預けて今から話すんだ。だから今から話すことはね、全部信じてほしい。信じてくれるかな?」
真直ぐで真摯な眼差しが「どうか信じて?」と、きれいに笑いかけてくれる。
こんなふうにされて信じられない、そんな人は居るだろうか?そっと周太は頷いて国村の瞳を見つめた。
周太の頷きに満足げに微笑んで、ゆっくりと国村は口を開いた。
「俺はね、『山』がいちばんだ。だから俺にとってはね、美代と宮田なら宮田が優先されるよ。
ほんとにさ、2人とも比べられないほど大切だよ。けれど、どちらかを選べというならね、俺は宮田を選ぶ。
あいつは唯ひとり俺だけのアンザイレンパートナーだから。最高峰へ俺と一緒に行ける唯ひとりだよ、だから本当に俺には大切なんだ」
ちいさく心が軋みをあげてしまう、美代を想うと。
美代は周太にとって初めて同じ興味を持って話せる友達でいる、だから美代の気持ちを想わずにいられない。
けれど国村の、唯ひとつの夢と誇りに全てを懸ける一途な情熱も、同じ男として解ってしまう。
…そして、やっぱり、このひとも好きだ
真直ぐな情熱と偽らない心で国村は、純粋無垢な山ヤの誇りに生きている。
こんな国村が自分はやっぱり好きだ。そして願ってしまう、このひとの輝く姿も見られたらいいと。
だからお願い信じさせて?そんな想いの真ん中で国村が微笑んでくれた。
「だからね、宮田を傷つけたくないのはさ、俺も同じだよ?
でね、教えてほしいんだけど。無理矢理えっちするぞって俺に脅迫されたって宮田からさ、昨夜は聴かされたんだろ?」
「…はい、」
短く答えて周太は頷いた。
頷きながら涙がこぼれそうになって周太はゆっくり1つ瞬いた。
そんな周太の瞳を見つめて国村は、やさしく笑いかけると穏やかに言葉を続けてくれた。
「あのとき俺はね、山で怪我したことで誇りがちょっと傷ついていた。
それをね、アンザイレンパートナーのあいつには理解してほしかったんだ。
山ヤにとって自分の体はさ、山に登る自由を守る為のものだ。
だから俺は体を要求することでね、俺の誇りとあいつの自由を天秤にかけて見せたんだ。
俺はね、決して軽い気持ちで体を要求したわけじゃない。俺は自分の誇りを懸けて、あいつを脅迫したんだ」
底抜けに明るい目は誇らかな自由が映りこんでいる、その目がきれいだった。
そんな誇らかなままに明るく温かい眼差しで国村は教えてくれた。
「体だけの楽しみとかね、あいつは出来るヤツだろうね。
で、正直なとこ俺は体も自信あるよ?宮田なら相性好さそうだしね、きっとお互いイイ思いできるだろう。
だから俺たちはさ、お互いの体に興味が全く無いって言ったらウソだ。2人ともかなりエロいしね?
でも宮田はね、ほんとうに体ごと求めたいのは君だけなんだ。そうやってさ、心から求められる体の繋がりは幸せだよ。
だから喜ぶと想う。こんなにね、君があいつの体を大切に想っているって知ったらさ。きっとね、幸せに笑ってくれるよ」
自分が聴きたかった英二と国村の想い。
どれも納得が出来る、そして偽りが無いことが真直ぐな目から伝えてもらえる。
このまま素直に信じられたらいいのに、ちいさなため息が周太の唇からこぼれた。
そして想いが短い一言にそっと言葉になって国村へ向けられた。
「…ほんとうに?」
「うん、ほんとうだよ。言っただろ?俺はいま、君に命と誇りを預けて話しているんだ、嘘なんかつけないね」
誇らかな自由のまぶしい瞳が周太に率直に笑いかけてくれる。
そんな瞳がうれしくて周太は、そっと拳銃をおろした。
すると国村がすこし目を大きくして周太に人差し指を立てて微笑んだ。
「ほら、まだちょっと拳銃をさ、俺に向けといてくれないかな?」
「え、…どうして?」
驚いて周太は訊いてみた。
そんな周太に明るく笑って国村は答えてくれた。
「もうひとつ聴いてほしいことがあるんだ。
この話こそ俺は、君に俺の命も誇りも預けて話したいんだよ。そして全部信じてほしいんだ。さ、銃口を向けてよ?」
ちゃんと俺を脅迫しておいてよ?
そんな申し出を明るく笑って国村はしてくれる、なんだか可笑しくて周太はすこし微笑んだ。
その周太の笑顔にうれしそうに微笑むと、国村は透るテノールの声で静かにくちずさんだ。
「牧場に 見えるのは 森の精ドリアード
花に囲まれて くつろぐ姿が 美しい
色鮮やかな 帽子のかげには 緑なす 乱れ髪が 揺れている」
透るテノールの声がひそやかに歌うように雪の森に流れていく。
この詩を周太は知っている、それを国村に聴かされて驚いた。
「Dedans des Prez je vis une Dryade」Pierre de Ronsard
フランスの詩人ピエール・ド・ロンサール「カサンドラへのソネット」の第51番「森の精ドリアード」
この詩が綴じられた詩集の原書が、父の蔵書たちと一緒に実家の書斎で書架へ納められている。
この詩人は想いを自然へと託して詠いあげる、この詩も自然の描写がきれいで周太も好きだった。
国村はフランス文学も好きなのかな?そう思いながら周太はトリガーには指をかけずに拳銃を持っていた。
「その姿を 一目見てより 恋に悩み 心は騒ぎ 涙はあふれ」
ここまで静かに歌い終えると、ふっと国村は口を閉じた。
そして優しい眼差しで周太を見つめて、そっと国村は呼びかけた。
「ドリアード、」
呼びかけに周太はすこし瞳を大きくした。
国村はなぜ、森の妖精の名前で呼ぶのだろう?不思議で見ていると国村は口を開いた。
「雪の森で俺はね、ドリアードに逢ったことがあるんだ。
ドリアードは木に住んでいる、そして木と運命を共にする森の妖精だ。小柄で、緑色のショートヘアの美女なんだよ」
底抜けに明るい目は温かい眼差しで周太を見つめてくれる。
自分もその詩を知っているから―そんなふうには今はなんだか言えない?
そんなすこし不思議な想いのまま見つめるさきで、穏やかに微笑んで国村は言葉を続けていく。
「雪の降った朝、俺は家の畑を手伝ってからチャリ漕いでね、雪の森に新雪を見に行ったんだ。
その森には大きな山桜がいるんだ。きっと俺以外はね、誰も知らない秘密の桜だよ。
真白な花が清楚でね、そりゃきれいなんだ。夏は緑の薄い葉が佳い香りで、秋は紅葉が真赤で好い。
冬は繊細な枝を惜しみなく魅せて白い雪のベールをまとう。俺の大切な特別な木だよ、いつも逢いに行くんだ。
で、その日も俺は山桜に逢いに行ったんだよ。そうしたらさ、その山桜の前にドリアードが雪のなか立っていた」
山桜の大木がある深い雪の森。
ふっと周太の記憶にふれる光景が呼び起される。
うさぎの足跡を追った雪の森で見つけた大きな木、あれは山桜だったよね?
記憶を見つめる周太と拳銃をはさんだ向こうで、国村は愉しげに微笑んで記憶の光景を話していた。
「針葉樹を透かした木洩陽がね、やわらかそうな髪を緑色に照らしてさ、きれいだった。
真白な雪に囲まれているのがね、真白な花のなかに立っているみたいで、清らかでね。
うれしそうな幸せそうな笑顔で、山桜の大木を見あげていたよ。その笑顔が本当にね、きれいで可愛かった」
トリガーを離して構える拳銃の向こうへ周太は真直ぐ国村を見つめた。
そんな銃口と視線の先で国村は、きれいに笑いかけながら記憶を紡いだ。
「俺の山桜のドリアードだって思った。きれいで、不思議で、俺は見ていたんだ。
じっと見つめていたらさ。ゆっくりドリアードが振向いてね、俺に訊いてくれたんだ『この木が好きなの?』って。
だから俺はね、『いちばん好きで大切だ』って答えたんだ。そうしたらドリアードは嬉しそうに『同じだね、』って笑いかけてくれた」
いちばん好きで大切。
ドリアードの分身の木をいちばん好きで大切と言うこと。その意味は?
そして国村がくちずさんだ詩の一節 “その姿を一目見てより恋に悩み 心は騒ぎ 涙はあふれ”
…ドリアードに恋をした、そういうこと?
静かに周太は拳銃を斜め45度の構えに提げた。
いま国村は大切な記憶の話をしてくれている、それに銃口を向けていたくなかった、国村が銃口を向けろと望んだとしても。
そんな周太にかすかに頷いて、雪白の秀麗な顔は和やかな笑顔に話を続けた。
「ふたりで話をしたよ、その山桜の話とウチの山の話をね。
そこに遠くから声が聞こえてきた、それを聴いて『もう戻らなくちゃ』ってドリアードが言ったんだ。
だから俺は約束を呼びかけたよ、『また逢いたい』って。そしたらドリアードは頬を赤くしてね、気恥ずかしそうに頷いてくれた」
遠い記憶を愛するような眼差しで、登山ザックの上に座って国村は雪の木洩陽と微笑んでいる。
その微笑みは優しく温かで明るい美しさがまぶしい、その笑顔がどこか懐かしくて周太は首を傾げた。
やさしい温かさに笑んだ細い目で周太を見つめて、きれいな透るテノールの声が微笑んだ。
「俺と同じくらいの年恰好のドリアードだったよ、あわい水色の服を着ていた。そのときは1月で、俺は9歳だった」
あの雪の森の日、自分が何を着ていたのか?
それはアルバムの写真で知っている、たしか今着ているようなあわい水色のウェアだった。
雪の森、大きな山桜の木。あわい水色の服、そして9歳の1月の新雪の朝。
…まさか、そんな?
まさか?そんな想いに見つめる先で雪白の顔が微笑んでいる。
けれど記憶がかすかにもう甦りかけている、あの日に自分は誰かと木の前で話した。
そして優しい微笑みのままに国村はまた口を開いた。
「吉村先生の診察室で最初に会った時、似ているなって思ったよ。
でも男だからね、違うかなとも思っていた。俺のこと全然覚えてないみたいだし。
けれどね、透明な雰囲気とか同じでさ。黒目がちの瞳もそのままで、きれいで純粋でね。笑顔やっぱり可愛いし。
覚えてくれていなくても、たぶんそうだろう。思い出してくれるかな、告白できるかな。そう思っていつも見ていたよ。
で、さっき、雪の森の話をしてくれた。それで本人だって決ったね。俺のことなんて忘れているんだろ?でも、やっと逢えた」
底抜けに明るい目が真直ぐに周太の瞳を見つめてくれる。
そして幸せそうに微笑んで国村は言った。
「山桜のドリアード、俺は待っていたよ?…やっと逢えたね、俺のドリアード、」
…ずっと、14年間、待っていてくれたの? そんな想いで見てくれていたの?
ぱさり穏やかな音を立てて周太の右掌から拳銃が雪へと滑り落ちた。
その手元を首傾げて見ながら国村が笑って言ってくれた。
「ほら、雪に拳銃を落としちゃダメだろ?錆びちゃうじゃないか、早く拾いなね、」
いつも通りの明るいテノールの声がやさしくて温かい。
ゆっくり頭をふって周太は微笑んだ。
「ううん、…いま、もう拳銃なんて持てない…いま、どんな顔していいかも、解らないんだ…」
「うん?そっか、じゃ、これ俺がしまっとくね」
底抜けに明るい目で笑って国村は拳銃を拾いあげて、雪をきれいに拭って弾丸を抜き取ってくれた。
周太の左手に握ったM1500も受けとると同じように弾丸を抜いて、ケースへと戻していく。
それぞれをケースに全て納めなおすと序でに銃座の雪をさっと戻して元通りにしてくれる。
そしてまた周太の前に立って明るい優しい笑顔で笑いかけてくれた。
「俺の山桜のドリアードはさ、男だったんだね?
俺、女の子だと思っていたんだ。すごく可愛くてきれいだったからさ。ま、俺はどっちでも大好きだけどね」
笑いかけながら国村は周太の両掌をとった。
そして心から楽しげに幸せそうに笑って言ってくれた。
「また逢いたくてさ。毎日ほとんど俺はね、山桜に逢いに行って君を待っていたんだ。
ほんのひと時を話しただけなのにね?でも俺は、忘れられなかったんだ。ずっと待っていたよ。
そして14年ぶりに逢えた。14年たっても、きれいなまま純粋なままでいてくれた。俺はね、変わらない君が本当に嬉しかった」
真直ぐで子供のまま純粋無垢な笑顔で、国村は再会を喜んでくれている。
雪白の頬が紅潮した無邪気できれいな底抜けに明るい笑顔、どこか懐かしいと感じた瞬間が何度もあった。
その笑顔に周太の記憶の宝箱がひとつ開かれて、ゆっくり雪の森の山桜が甦り始めた。
記憶のなかの会話がそっと周太の唇から、ひとつ零れた。
「…雪みたいに白い雲のように花が咲く…そんなふうに話してくれた?」
「うん、そうだよ?雪みたいに白い雲がね、あの山桜に降りたみたいに花が咲くんだ。そしてウチの梅林は霞みたいだよ」
「白い霞に、あわい赤が朝陽みたいにきれいで、良い香りで…見においで、って言ってくれた…?」
「そうだよ、ウチの梅林に見においでって約束した。だからね、今度の3月は見に来てくれな?14年ずっと俺は待ってたよ」
底抜けに明るい目はもう、周太に銃口を向けられたなど忘れて無邪気に楽しげでいる。
ただ14年ぶりの再会を喜んで今を楽しく一緒に笑っていてくれる。
どうしてこんなひとを自分は、狙撃しようなんて事になったのだろう?
唯ひとりの愛するひとを守りたかった、けれどこんなに自分を待ってくれていた人だったのに?
いま目の前で見つめて笑ってくれる想いに周太の瞳から涙があふれ出した。そして想いが唇からもふるえおちた。
「…ごめんなさい、ほんとうに…おれ、酷いことを、して…忘れて、そして、銃まで…ごめん、ね」
涙がこぼれて山の雪へと降りかかる。
あふれていく涙を見つめて細い目が温かく笑んで、オープンフィンガーグローブから出ている指で涙を拭ってくれた。
「大丈夫だ、思い出してくれただろ?それに威嚇発砲だけだ。
でもさ、ほんとに良かったよ?俺のドリアードに殺人なんて真似はさ、してほしくないからね。この掌はきれいでいてほしい」
そっと周太の掌を持ったまま、底抜けに明るい目がやわらかく微笑んだ。
やわらかな微笑のまま静かに国村は確かめるよう言ってくれた。
「俺はね、14年たって再会しても、大切だって気持ちは変わってないよ。
だから、信じてほしい。俺は君を哀しませることはしない、その為にも宮田を大切にするよ。
君にとって宮田はさ、唯ひとりだけ愛するひとなんだろ?大好きで、一緒にいられたら幸せなんだろ?」
温かいテノールの声がやさしくて周太は素直に頷いた。
頷いて素直な想いにゆっくり周太は国村に告げた。
「…ん、英二がね、好き…唯ひとりだけ、愛してるんだ…だから、すこしも傷つけたくない。きれいでいてほしくて」
言って見上げると底抜けに明るい目が見つめてくれている。
温かに見つめ返してくれながら国村は周太に言ってくれた。
「うん、君はそうだよね。…わかっている、だから望みを俺が叶えてあげる。
いつも山岳救助隊で登る奥多摩の山からも、最高峰からも。どこからもね、あいつを無事に君の隣に帰らせてあげる」
真直ぐ周太を細い目で見つめながら国村が約束してくれる。
英二の無事を約束してくれることは本当にうれしい、けれど国村はどうしてこんなにしてくれるのだろう?
申しわけなさと不思議で周太は訊いてみた。
「ありがとう…でも、どうしてこんなにも、約束をしてくれるの?」
見あげる雪白の美しい顔がきれいに笑って見つめてくれる。
笑いながらまた人差し指を立てて「内緒だよ?」と目で言いながら口を開いてくれた。
「だってね?俺も、君には同じ想いを持っているから」
「…おなじ?」
何が自分と国村は「同じ」なのだろう?
すこし首傾げて周太が訊くと、温かな細い目をすこしだけ切なく国村はきれいに笑ってくれた。
「君には、きれいなままでいてほしい、傷ついてほしくない。
だから俺はね、宮田に約束したんだ。宮田と一緒に君を守るってね?
だって俺にとって君はね、俺の大切な山桜のドリアードだ。そして俺がいちばん大切なのは『山』だ。
そんな俺が愛する『山』で、いちばん好きで大切なのはその山桜なんだ。さ、もう、これで解ってよ、ドリアード?」
“その姿を一目見てより恋に悩み 心は騒ぎ 涙はあふれ”
さっき国村がくちずさんだ「Dedans des Prez je vis une Dryade」ドリアードへの想いの詩。
そんなふうに自分をこの美しいひとが想っているの?
いま気付かされた14年間ずっと寄せられていた想いに、驚きと途惑いが周太の心を覆っていく。
その心に大切な友達の面影が映りこんで、周太は唇を開いた。
「…でも、美代さんがいるでしょう?…初恋の幼馴染のひと、大切な恋人でしょ?…それなのに、」
「美代は一緒にいるのが自然で特別だよ、人間の恋愛としてはね。だから君とは別次元の話だ、君は『山』が俺に逢わせた唯一の想いだから」
いつものように底抜けに明るい目で、明快に国村は周太に言った。
そんな言葉通りに真摯な温かい眼差しで周太を見つめて、少し気恥ずかしげに告げてくれた。
「こんなこと俺が言うなんてさ、ガラじゃないかもね?でも俺のほんとうの想いだよ。
俺はこの奥多摩の最高峰の天辺で生まれた。そして生まれた『山』に生きている、命の終わりも『山』で迎えるだろうね?
そうやって俺はね、『山』が全てだよ。日々の生活も憧れも夢も、友情とか愛ってヤツもね、全て『山』に見ている。
そういう俺だからさ、14年前の雪の森での出会いは心から幸せだった。やっぱり『山』で俺は唯ひとつの想いも見つけたってね」
あかるい笑顔は真直ぐで純粋無垢な想いのまま周太を見つめている。
いま雪の森で周太は立ち竦んでただ真っ新な想いを静かに聴いていた。
…このひとは本気だ。でも、どうしてあげたらいいの?
ほんとうに解らない、どうしたらいいのだろう?
自分はもう英二と出会ってしまった、初めて恋をして愛してしまった。そして婚約をして生涯を共にする約束をしている。
そしてついさっきまで自分は国村が英二に体を要求する事を止めようとしていた。
けれど今は、その国村から14年間の想いを真直ぐに告げられている。
こんなことになるなんて?
昨朝の冬富士で起きた雪崩、あの雪崩から自分の想いは何度と試されているだろう?
あの雪崩がこんなにも自分のことを飲みこむなんて想わなかった。
…でも、自分の想いはもうとっくに決まっている…
もう自分は心を決めている。
周太はそっとため息を吐いて、けれど微笑んで国村を見つめた。
「ありがとう…俺のこと想ってくれて。ずっと想ってくれていた事、本当に嬉しい。
俺もね、あなたのこと大切で好きです…真直ぐに山を見つめて生きて、すてきだって想う。
でも、どうしたらいいのか解らない。だって俺は英二だけなんだ、唯ひとりだけ英二をね、愛している…だから、…」
このひとも自分は大好き、けれど求められている想いと違う「好き」だと自分にも解る。
大切な大好きなひとなのに何も自分は応えられない、そんな想いに押されて涙がこぼれ落ちていく。
そんな周太の涙を国村はやさしい白い指で拭いとって、温かに笑いかけてくれた。
「うん、解ってるよ?大丈夫だ、俺はそういう君が大好きなんだ、純粋な想いに生きる君だから大切なんだよ。
だから泣かないでよ、笑ってほしいんだ。14年間ずっとね、君の笑顔に逢いたかったんだ。だから笑ってほしいよ?」
どうしてこんなに優しいのだろう?
どうしてこんなに14年間ずっと想い続けてくれたのだろう?
こんなに純粋無垢な想いをよせてくれる人、どうか大切にしてあげたい。
だから願ってくれる通りにせめて笑顔を見せてあげたい、ひとつ呼吸して周太は微笑んだ。
「お、笑ってくれたね?うん、笑顔がさ、いちばん可愛いよね。
で、さ?…そろそろ下界に戻らないといけない。でもその前にね、ひとつだけ「わがまま」聴いてくれるかな?」
ひとつだけの「わがまま」を聴いてあげたい。
そうしたら14年間ずっと積んでくれた想いに少しでも答えてあげられるだろうか?
涙を拭いながら微笑んで周太は頷いた。
「ん、聴くよ?…なにかな?」
「うん、じゃあね、3分間を俺にくれるかな?そうしたらね、あとは今まで通りずっと片想いを愉しむからさ」
片想いでも愉しんでくれる。そんな言い回しの明るい潔さが男らしくて国村らしい。
なんだか楽しくて周太は笑いながら素直に頷いた。
頷いた周太に国村は心から幸せそうに微笑んで、周太に告げた。
「ありがとう、じゃあね?今から3分間にね、俺の14年間の想いを閉じ込めるよ。そしてこの先もきっと君に片想いする。
俺の命と誇りを懸けて君に話して接するよ。そしてこの3分間は俺の真実だ、だから俺達だけの秘密にしてほしい、いいかな?」
14年間の時を3分間に閉じ込める、そして片想いを続ける。
そんな真直ぐな国村の想いが切なくて、けれど自分にはどうすることも出来なくて。
とても哀しくて周太の瞳から涙がひとつこぼれおちた。それでも周太はただ微笑んで国村に頷いた。
そっと微笑んで国村はクライマーウォッチを見て、あかるく笑って周太に告げた。
「よし、今から3分間。はい、」
言ってきれいに笑うと国村は、長い腕を伸ばして周太を抱きしめた。
ふわりと水仙に似た潔い甘い香りが、はやい鼓動と一緒に周太の頬を撫でていく。
くるみこまれる香りに顔をあげると底抜けに明るい目が微笑んで、透るテノールの声で幸せそうに言った。
「周太、」
宝物の呪文のように名前を呼んで国村は笑った。
その幸せな笑顔のまま周太の瞳を真直ぐ見つめて、明るく透るテノールの声で想いを紡いだ。
「周太。俺のドリアード、唯ひとり恋して愛している。14年間ずっと君だけ想ってた、そしてこれからもずっと、いちばん大好きだ」
真直ぐに見つめて、真摯に純粋に与えてくれる想い
14年間ずっと、これからも。そんな純粋無垢な想いに周太の瞳から涙がこぼれた。
それでも底抜けに明るい目を見つめて周太は微笑んだ。
どうか笑っていてね?そんな眼差しの温もりで周太を見つめて、明るい透明な声は想いを続けた。
「周太、俺の山ヤの誇りも自由も全て懸けて誓うよ、俺は周太の笑顔の為に宮田を守ってやる。
必ず最高峰からでも無事に連れて帰ってみせるよ、絶対に君の幸せな時間も記憶も俺が守ってあげる。
生涯のアンザイレンパートナーとして宮田を俺が支えてやる、俺もあいつが好きだからね?
でも覚えていて、周太?俺はね、周太がいちばん好きなんだ。ほんとは、いちばん欲しかった。
でも君の望みのままに生きる姿はもっと欲しいんだ、そうやって君を守りたい。
周太には、望みのまま幸せに笑っていてほしい、だから君が愛している宮田のところへ帰してあげる。
でも覚えていて、周太?山ヤの誇りと自由と同じくらい、俺には君が大切なんだ。君は俺の大切な山桜のドリアードだから」
底抜けに明るい目から涙があふれて周太の瞳にふりこぼれていく。
けれど国村は、きれいに笑って周太に告げてくれた。
「周太、…俺の、大切な山桜のドリアード。ずっとずっと愛している、ずっと笑顔を守ってみせる…!」
抱きしめる腕に肩に、全身にやさしく力が籠められる。
涙をこぼして、きれいに笑って、明るい目が周太の瞳を真直ぐ見つめた。
そして秀麗な唇でそっと周太の唇にふれた。
生涯で唯一度。
14年間ずっと見つめた想いとこの先の想いの全てをとじこめて、国村は周太にキスを贈った。
(to be continued)
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