萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第33話 雪灯act.11―another,side story「陽はまた昇る」

2012-02-11 23:16:08 | 陽はまた昇るanother,side story
雪の夜にひらく灯の花




第33話 雪灯act.11―another,side story「陽はまた昇る」

雪白く戴いた稜線は、透明な紺青の星空に輝いていく。
長く遠く連なっていく白銀の連なりが、銀の龍が夜空を駆けるようだと周太は見つめていた。
きんと冷えた空気に佇んでも左掌は温かい。
この温もりに繋いでくれる大きな右手の主が楽しげに口を開いた。

「銀の龍の背。そんなふうに言うひともいるよ?」

透明なテノールの声が笑ってくれる。
自分が想っていたことを言葉に変えられて周太は驚いた。

「銀の龍…俺もね、いま、そう思った…わかるの?」
「うん?そうだね、なんとなく俺も思ったんだ。ほんとにさ、山って竜が眠っているようにも、見える」

紺青にひろがる凍る夜気に、真白なマウンテンコートの裾が風と遊んで翻っていく。
風に遊んでいく漆黒の髪を自由にさせたまま、雪白の貌を紅潮させて愉しげに国村が笑う。
雪に佇んで眺め渡していく高峰の連なりは、星に響く灯のように輝きながら深い眠りに鎮まっていた。
遠く近く響いていく山を駆けわたる風音が、吼える声にも似て周太は微笑んだ。

「…ん、木を風が駆ける音かな?…竜がね、吼える声ってこんなかな…?」
「聞こえるんだね、ドリアード?そうだよ、梢を風が駆ける音だ。木の種類によっても音は違う」

底抜けに明るい目が愉しげに笑って左掌をやさしく握ってくれる。
そして四駆の方へと歩きながら国村は、白くとける吐息に微笑んだ。

「すこし冷えたね、ドリアード?車に戻ろう、で、次の場所へ行くよ」
「次の場所…どこへ行くの?」
「うん、そうだな…『星』かな、または『宇宙』かな?」

星に宇宙。どういう意味だろう?
不思議で見つめる周太に愉しげな細い目は「後でわかるよ?」と言ってくる。
楽しみだなと素直に微笑んで周太は四駆の助手席に座った。
夜の底白い雪の道を四駆が走り出して、想いのままに周太は国村に訊いてみた。

「『東方綺譚』は読んだ?」

周太の質問に細い目が笑った。
知ってるよ?そんな目で楽しげに頷いて答えてくれる。

「『源氏の君最後の恋』をね、いちばん読んだよ」

同じ章に興味をもってくれていた。
こういうのは気安くて話しやすい、うれしくて微笑むと周太は誰かに聴いてほしかった想いを口にした。

「ん、…俺もね、読んだ…名前を呼ばれて愛されたのに、…名前を忘れられたら哀しい、そう想ったんだ」

いちばん周太が考えこんでしまったことだった。
山を愛し始めた英二が美しい山ヤの国村に心を移してしまったら?そして周太の名前を忘れてしまったら。
そんな考えが哀しかった、けれど「万が一」と覚悟もして、愛された記憶の温もりを抱けただけでも満足しようと心に決めた。
国村はどう読んだのだろう?見上げた先で細い明るい目は笑って答えてくれた。

「俺はね、花散里のように尽くして忘れられても哀しまないよ」
「そう、なの?」

聞き返す周太に底抜けに明るい目が温かく笑んでくれる。
微笑んだあわい紅いろの唇が楽しげに教えてくれた。

「だって一緒にいられて愛されたんだ、その事は相手が忘れようが関係ないだろ?
自分の心には想いも記憶も、ちゃんと残されているんだ。それにね、一緒にいて愛されて名前呼んでもらった。充分幸せだろ?」

周太は光源氏を英二に重ねて花散里の視点から読んだ。
けれど14年の歳月を雪の森で国村は周太を待ち続けていた。
「忘れられたかもしれない」と想っても待つことを止めることも出来ないままで。
そんな国村からすれば周太こそが光源氏になってしまう?気づいた哀しみに周太はすこし俯いた。

「ごめんなさい…ずっと、忘れて…」

気にしないでよ?そんな眼差しを運転席からおくってくれる。
そんな大らかなやさしい明るさで透るテノールの声が言ってくれた。

「大丈夫、俺たち14年前はさ、名前すら知らないまま離れちゃったんだ。
それに君はね、あの日のすぐ後に辛いことがあったんだ…大丈夫、俺は解っているよ?」

父が殉職した13年前の春の夜。
あの春の夜は、雪の森の出逢いから3ヵ月も経ていない。
あの春の夜に封じ込めてしまった記憶たち、そのひとつに雪の森の記憶も取込まれていた。
けれどもう雪の森の記憶は甦り息吹を取り戻している、甦っていく息吹に周太は微笑んだ。

「思い出したんだ…本当はね、4月に来る約束を父としていたんだ。
父は忙しくて休みがとり難くて、それで3月の梅には来れなくて…でも、4月は母が旅行に行くから、
俺と留守番するために、父は休暇が決っていて…そのときは必ず奥多摩へ連れていくよ。父はね、そう言ってくれて…でも、…」

雪の森の日の帰り道、父と結んだ楽しい約束。その約束を父も周太も果たすつもりだった。
けれど13年前の春の夜に拳銃が撃った一発の弾丸は、雪の森の出逢いと約束まで父の生命もろとも撃ち砕いた。
あの春の夜の哀しい記憶、狂わされた運命、叶えられなかった約束、そして幸せな笑顔の崩れた瞬間。
そうして消えた幸福たち、けれどその1つを国村と取り戻せるだろうか?

あかるい雪の森で今日、周太が向けた拳銃の銃口に国村は誇らかに笑って、14年前の雪の森で結んだ出逢いと約束を蘇らせた。
13年前に拳銃に砕かれた「山の秘密」は今日、拳銃の前で14年の歳月を超えあざやかに甦った。
唯一度の14年前の出逢いの瞬間と拳銃を廻る不思議な運命は、なにか明るい温もりで「希望」を周太に告げてくれる。
ちいさな希望と深い想いを抱いた周太に、温かな静謐の声が想いを告げてくれた。

「約束をさ、守ろうとしてくれていたんだ…ね?…忘れられたって思っていた、俺…だからさ、いま本当に、うれしい」

14年の歳月を待ち続けた涙がこぼれて、また次と涙があふれていく。
けれど底抜けに明るい目の幸せな笑顔で国村は言ってくれた。

「俺はね、名前を忘れられてもいいんだ。
 だけど名前を呼ばれた、幸せな記憶だけはね…ほしいよ?だからドリアード、俺の名前を呼んでよ、」

「名前を?」

忘れられても良いから呼んでほしい。
純粋で切ない国村の想いが心に響くまま周太は運転席の横顔を見つめた。
そう見つめる横顔は車を停めて振向くと「着いたよ?」と目だけで笑ってくれる。
四駆の外へ出ると深く紺青の闇が足元までおちていた。

「ほら、足元の闇がね?空に繋がって見える」

底抜けに明るい目が笑って隣に立って左掌を大きな右手にとってくれる。
藍色にそまる雪を踏んで尾根のほとりに立つと、ひろやかな群青色のまぶしい空が白銀と浮かんでいた。
ふるほど響く星のいろどりと光に見下ろす白銀はあわい光と輝いてうかんだように見える。
そして足元の藍色の雪が群青の夜空へとひと繋ぎに空間が繋がっていた。

自分は今どこに立っているのだろう?
雪闇とける夜空は宇宙とひと繋ぎになって、浮遊感すら感じさせてくれる。
あざやかに深く昏く輝いた青の空と闇、白銀の星々と雪。青と白だけの静寂ねむる世界。
ときおり吹く風が梢を啼かせる音だけに空気が響く、ふる星の聲すら響きに感じられてくる。

ここは遠い異世界のよう、違う惑星にでもいるような?
さっき国村が言ってくれた「星」か「宇宙」に連れて行くという意味が映された世界。
雪山が魅せる静謐の世界は美しかった、周太はそっと吐息を白く夜へ融かしこんだ。

「…きれいだね…ほんとうに宇宙か、違う星みたいだね?」
「だろ?…夜の雪山はね、人間の世界とは違う、他の世界だよ。静かで不思議で、きれいだ」

青と白が織りなす時のはざまから、雪白のあかるい貌が周太にふり向いて微笑んだ。
ふっと駆けぬける山風が、青藍の夜空に真白いマウンテンコートと漆黒の髪を翻させていく。
山風に舞う黒髪を透かす底抜けに明るい目が周太を真直ぐに見つめてくれる。
そして国村は、きれいに笑って周太に願った。

「俺のこと、『光一』て呼んでよ?…ふたりの時はね、名前を呼んでほしい。『山の秘密』のままで、ね」

名前、呼んであげたい。
周太の心に透明なテノールの声に乗る想いが真直ぐ響く。
響いた想いのままで頷いて、素直に周太は唇を開いた。

「光一、」

底抜けに明るい目が雪明りを映しこんで、まぶしい幸せに笑った。
幸せに笑う透明なテノールの声が、真直ぐに返事した。

「はい、ドリアード?…うん、いいね、名前呼んで貰うのはさ?ふたりの時は必ず呼んでね、ドリアード」

心の底から愉しげな想いがテノールの声に透っていく。
うれしそうな笑顔が周太もうれしくて微笑んだ。

「ん、光一…『光』に『一ばん』…いい名前だね?」
「うん?そっか、ありがとう。この名前はね、日中南時の瞬間に生まれたから、ってつけてくれたんだ」
「にっちゅうなんじ?」
「太陽が一番高いところにある時間のことだよ。
俺が生まれた日は真っ青な快晴の日でさ。で、1日でいちばん明るい瞬間に生まれたんだ。それで『光一』ってつけてくれた」

底抜けに明るい目が愉しげに笑って明るい声が教えてくれる。
この大らかな明るさは晴れた明るい日の、最も明るく輝いた陽光が贈ったものかもしれない。

「なんかね、とても似合ってる、ね?…素敵な名前だね、光一、」
「君にそう言われるとさ、うれしいよ?ありがとう、ドリアード。君の『周太』はどんな意味?」

うれしそうに笑って頷いた光一は、周太にも訊いてくれる。
この名前の話はまだ誰にも周太は話したことが無い、その「初めて」に微笑んで周太は口を開いた。

「ん、…周が『あまねく』で、太は『心の器が大きい』って意味なんだ…
『かたよらず遍くに多くを学ぶ心の器の大きなひと』になるように、ってね、つけてくれたんだ」
「ふうん、いい名前だね?俺は好きだよ、君の名前もさ、」

率直な想いの言葉を明るく告げてくれる。
真直ぐな賞賛と受けとめられた想いがうれしくて、周太は微笑んだ。

「ありがとう。でね、学者に良い名前らしくて…ほんとうは父も母もね、俺に学者になってほしかったらしいんだ。
たくさん勉強して心を大きくして、たくさんのひとの笑顔を手助けできる研究ができる、そういう学者になってほしいって…あ、」

 ―君は多くの痛みを知っているだけ、多くの人の想いを理解して受けとめられる
  そうして多くの視点を持っていけば、必ず大きな心の人に成れます

今日の午後、吉村医師が贈ってくれた言葉。
あの言葉の意味は両親の贈ってくれた自分の名前の意味と同じことではないだろうか?
英二と美代を大切にしながら光一の想いを受けとめること、その悩みに吉村医師が贈った言葉は両親の想いに重なる?

…ね、お父さん?光一を想うことも、お父さんの望みにすこしは適うのかな…そう信じても、いいかな?

いくど覚悟を心に確かめても、英二と美代への「ごめんなさい」は容易く消えるはずがない。
けれどもし光一との想いが、父が母とふたり望んでくれた「名前の祈り」を叶えていく道になるのなら?
やわらかな覚悟の温もりが響いていくのを、雪の山の夜へと周太は見つめて微笑んだ。

「ドリアード、今なにを気がついた?俺にもね、聴かせてほしいよ、」

テノールの声がやわらかい覚悟に透って周太は隣を見あげた。
明るい温もりの眼差しが笑って受けとめてくれる、うれしくて周太は笑って口を開いた。

「ん、…今日ね、吉村先生が言ってくれたんだ。
『多くの痛みを知っているだけ人の想いを理解して受けとめられる。そして多くの視点を持って大きな心の人に成れます』
光一、先生はね…なにも言わなくても、光一が俺を想ってくれることを気づいていたよ?
俺が悩んでしまうことにも、気がついてくれて…それで、そんなふうに俺を励ましてくれて。そしてね、受けとめてくれた」

「受けとめてくれた?」

テノールの声が訊いてくれる。
もう馴染み始めている声に微笑んで頷いて周太は答えた。

「ん。そうしてね、心の大きなひとに成ればね?英二と光一と、ふたり分の想いを受けとめられるよ、って…
そう言って俺がね、ふたりを同じ時にふたり共を想うことを、先生は肯定して、俺の想いを受けとめてくれたんだ…
それで今、気がついたんだ。両親がね、俺の名前に籠めてくれた祈りと、先生が言ってくれたことは同じだなって。
だから…光一を想うことはね、父と母が望んでくれた祈りを叶えることに繋がっていけるのかな、って思って…あ、」

さあっと谷から風が吹き上げて、山嶺の彼方から風花が舞った。
遠く山の頂や尾根にふり積もった雪が山風に吹きとばされ、風の花になって空に舞う。
初めて見る風花は星明りに白く煌めいていく、風花ふり舞う白い姿を見あげて周太は微笑んだ。

「これ、風花っていうんだよね?…初めて見た、きれいだね?」
「だろ?これがね、さっき俺が言った『星明りに灯る雪の花』だよ、」

透明な紺青いろ深い夜空を駆けて、風花が白く輝いて星と明るんでいく。
まるで星がふるみたいだな、そんなふうにも見えて周太は笑った。

「ん、ほんとうだね、光一?…星明りと光っている白い花みたいだね、…星が降っているみたいにも見えるね?」
「うん?そうだね、星がふるようにも見えるな…ね、ドリアード?教えてくれるかな、」

なにを教えるのだろう?
すこし不思議に思いながらも素直に周太は頷いた。
頷いた周太に笑いかけて、底抜けに明るい目で真直ぐ見つめるとテノールの声が透った。

「いま君が言ってくれたことだよ、『ふたりを同じ時にふたり共を想うこと』
これってさ、ドリアード?君はね、宮田だけじゃなくて…俺のことも好きになってくれた。そういうこと、なのかな?」

透明な声と純粋無垢な瞳が真直ぐに訊いてくれる。
声に眼差しに映しだされる想いが、そっと周太の心に響いて明るんだ。
明るい想いを心に抱きしめて周太は綺麗に笑った。

「ん。…好き。でも、英二も愛しているんだ。そして美代さんとも友達でいたい…だから、こんな俺はずるい、そう想って、悩んで」

やさしい温もりで左掌を握ってくれたまま、光一は周太に向き直った。
真直ぐに明るい目で周太の瞳を見つめると微笑んで、おだやかにテノールの声が訊いてくれた。

「ドリアード、教えてほしいよ。俺の想いは、君を苦しませている?…俺に、君の前から消えてほしい?」

おだやかで静かな声、けれど覚悟と哀しみがひそやかに息つく声。
こんな声をさせたいんじゃないのに?真直ぐに光一を見あげて周太は微笑んだ。

「消えないで。…苦しむことはね、あるかもしれない。けれど、光一をもう忘れたくないんだ。
光一を好きだから…きっと、14年前にもう、好きだった…記憶もね、想いも甦ったんだ、もう忘れたくない」

底抜けに明るい目がうれしそうに微笑んだ。
微笑んだ唇がそっと周太の耳元へキスをおとすと、真直ぐ見つめて光一は言ってくれた。

「うん、俺もね?君と一緒に笑っていたい。君が望むまま自由に生きて、幸せに笑う姿を見つめたい。
だからね、ドリアード?俺はね、いつか君が宮田の妻になっても、ずっと傍に居たいよ。下界では友達のフリして傍に居る。
けれど、ドリアード…ときおりは今夜みたいに、俺だけを見つめてくれる時間をくれるかな?
『山の秘密』で一緒に過ごして、君を山桜のドリアードとしてだけ見つめる時間をさ、与えられる権利は俺に貰えるのかな?」

山桜のドリアード。
光一が愛する「山」で最も大切にして愛している山桜。
その精霊ドリアードとして周太を見つめて「山の秘密」で周太にくれた名前。
そんな「特別」と真直ぐな純粋無垢な想いが嬉しくて幸せで、呼ばれるたびに泣きたくなる。
だから答えは決まっている、見つめる想いへと素直に周太は微笑んだ。

「ん、…こんなふうに一緒の時間をね、俺に贈って?
光一、今夜のような時はね、俺にはすごく大切なんだ…心だけでも寄りそえる安らぎがね、うれしくて幸せなんだ」

自分は23歳の男で社会人で警察官にすらなった。
けれど心はまだ10歳10ヶ月のままでいる、だから本当は「体」のことは不安も恐怖も残ってしまう。
たしかに英二が抱きしめてくれる温もりは幸せで、求められる想いがうれしい。
けれど、ただ一緒にいるだけで充たされる安らぎと温もりは、心からの安堵と幸せを与えてくれる。
だからもし望んでいいのなら、やさしい純粋無垢な温もりに幸せな時間と記憶を求めたい。
そんな願いに見上げた先で、底抜けに明るい目は温かに笑って応えてくれた。

「うん、よかった。俺もね、ほんとうに幸せだよ?
君を抱けなくってもね、こうして寄り添っているだけでさ、ほんとうに幸せなんだ。だから望んでほしいよ、ドリアード?
俺とこうして山で過ごす時間をね、俺に『おねだり』してよ?そして笑顔を見せてほしい。そんな『おねだり』をする約束をして?」

純粋無垢な想いが大らかな温もりに笑ってくれる。
こんなに透明にきれいな想いを、受けとめずに壊すなんて誰が出来るというのだろう?
もう自分は心をとっくに決めている、きれいに笑って周太は答えた。

「ん。約束する、光一。…ね、雪に凍った湖の夜に連れて行って?冬富士の夜も見せてほしい」

さっき光一が見せてくれるといった「雪に凍りついた湖の夜に輝く姿」と「冬富士が夜に浮き彫りになる姿」を周太は「おねだり」した。
早速のおねだりに笑って光一は明るくささやくよう周太の耳元へキスをした。

「うん、見せるよ、ドリアード?約束だ。だからね、俺のことずっと好きでいて?」

きれいに笑って光一は、握った周太の左掌をひきよせると四駆の方へ歩き出した。
乗り込んで走り出すとハンドルを捌きながら、笑って光一が言ってくれた。

「さて、ドリアード?ちょっと疲れただろ、眠っていて良いからね。着いたら起こしてあげるよ、」

提案してくれるテノールの声がやさしい。
温かい気遣いがうれしい、微笑んで周太は応えた。

「ん、ありがとう…もし眠くなったらね、きっと俺、墜落睡眠すると思う」
「墜落睡眠するんだ、ドリアード?じゃあ、あぶないな。俺、気をつけないと」
「なにを気をつけるの?」

なにげなく訊いた周太に悪戯っ子の目が笑ってくれる。
そして唇の端を少し上げて光一は言った。

「墜落睡眠するとね?滅多なことじゃ起きないだろ、だからさ?つい誘惑に負けた俺が、えっちしたら困るなあってこと」
「…っ、」

首筋から熱が昇って頬まで熱くなってくる。
やっぱりそういう話が好きなんだ?赤い顔で運転席を見つめると、信号で停まったとき光一がふり向いた。
ふり向いて笑った底抜けに明るい目は、真直ぐ周太を見つめて微笑んでくれた。

「大丈夫だよ、ドリアード?俺はね、君が心から求めない限りはしない。
俺は君が大切で、「山」への想いと俺の誇りすべてを懸けて愛している。
だからね、ドリアード?体のことも無理には必要ないんだ。君の笑顔が見られたら幸せなんだよ。
こんなふうにね、ふたり一緒にいられて名前を呼ばれてさ。君を好きなだけ見つめていられる、それで充分に幸せなんだ」

純粋無垢な想いが笑って、また前を見て光一はハンドルを捌き始めた。
大らかな誇り高い優しさが美しくて、きれいで。受けとめた想いに周太の瞳から涙がこぼれた。

「ん、…ありがとう、光一。俺ね、…体の繋がりが無くても好きって、言ってほしかったんだ。
心だけでも幸せで大好きって、真直ぐ心を見つめてほしかったんだ…だからね、光一?いますごく嬉しいよ?」

そっと伸びてきた白い指がやさしく涙を拭ってくれる。
底抜けに明るい目が温かに笑んで、やわらかなテノールの声が言ってくれた。

「うん、俺もね、うれしいよ?あ、良い顔で笑ってるね、ドリアード?すごく美人で可愛い、大好きだよ」

やさしい温もりに笑って受けとめてくれる。
この温もりと笑顔が自分は本当に大好きでいる、きっと、愛してしまうだろう。

この予感には封じ込まれた14年の歳月が息づいて、抑えられた時の長さだけ募ってしまう。
英二との想いは初めての恋、唯ひとつの愛だと想っていた。
けれど14年前の記憶も想いも甦ってしまった、この時も記憶と想いが積まれていく。

この想いは二度は忘れられない。
ただ素直な予感をしずかに見つめて周太は運転席の横顔に微笑んだ。

…温かで、やさしい、純粋無垢な想い。子供の頃のまま、きれいな目で…

離れたまま再会すら解らなくても光一は、ただ純粋に想い続けてくれていた。
その純粋な想いのまま14年を経て再会して、一途に14年間とこの先の想い全てをよせてくれる。
純粋で一途な想いがただ嬉しくて、想いだし取り戻せた記憶と想いが幸せで温かい。
幸せな温もりにゆっくり睫毛がおりて、おだやかな微睡みが周太を抱きとめた。

ことんことん、走る振動が心臓の鼓動のよう。
チェーンが雪道を削る音、ときおり吹く風が窓を掠める音、それから?
それから、低く歌うテノールの透明にとける声。

  …
  やっと出会えた 
 
  気づいたときは遅くて 大人びた今なら もう少しうまくつき合えそうだよ
  今までそれなりに恋をしたりもしたけど
  ふと気がついた その瞬間に いつも君が浮んでくる
  
  この想い感じていたい 
  叶わないと知っても 今 僕の気持ちは一つだけ…今は別々の道だけど 僕はすべてを受けとめる

  伝えていいのかもわからない 
  この気持ち叶うのかな いつかは そんなこと言う権利も無い…
  
  この想い感じてほしい 
  
  今 僕の恐さや後悔も すべてを打ち明ける
  あれから何度も君にふれたくて 眠れない夜に目をつぶっていた 今は答えを出せずにいる 
  
  君を哀しませたくない
  伝えきれないほどのこの愛を 目を逸らさずに感じてほしいよ どんな言葉もうけいれるよ
  
  君は今、なに想うの? 

  君だけを愛しているよ…

やさしい透明な声がひそやかに歌っている。
いちど歌い終えて、しばらくすると口遊んでしまう言葉たち。
低く透っていく歌の言葉たちが、歌うひとの想いを映しこんでいく。
かすかな微睡にゆれながら、しずかな想いの歌声に周太は心をそっと寄添わせた。

おだやかな温もり、低く歌う透明な声、安らいでいく心。
こんなに安らかな想いで眠ったのは、いつだったろう?
おさない日に父と出掛けた車の時間がやさしく甦っていく、14年前の雪の森から帰る道に微睡んだ記憶も起きあがる。
安らぎと愛情と温もりの記憶たちが今、ゆっくり心に息を吹きかえす。

…光一、…

まどろみの底で歌うひとの名前を呼んで、おだやかな眠りに意識がとけこんだ。
ふかいねむりの隣では、やさしく低く透明な声が歌いながら。


頬ふれる温もり、
耳元ふれる熱と、やわらかな吐息。
ふっ、と瞳が披いて周太は目を覚ました。

「おはよう、ドリアード?寝顔、可愛かったよ」

ひらいた瞳を底抜けに明るい目が覗きこんで笑ってくれる。
かるく身じろぎするとブランケットが周太を包んでくれていた。
何時の間にかけてくれたのだろう?包んでくれた温もりが幸せで周太は微笑んだ。

「…ん、おはよう、光一…ブランケットありがとう、温かかった」
「うん、なら良かった。で、着いたんだけど、起きれそう?」

窓を見ると、ひろがる青い闇に雪の結晶が鏤められている。
ふる雪が窓におちて美しい氷の造形を魅せていた、うれしくなって周太は窓へ近寄せた。

「…雪の結晶だね、…きれい、ひさしぶりに見たよ?」
「ん?どれ、」

窓を見つめて微笑んだ周太に、光一も運転席越しに身を乗り出してくれる。
周太の顔に並ぶよう窓を見た雪白の貌が、子供のまま純朴な笑顔で笑ってくれた。

「うん、きれいな結晶だね。形がきちんと整っている、俺もちゃんと見たのは久しぶりだな」
「光一も、ひさしぶり?」
「だね。こういうのってさ、意外と見ていないね?」

愉しそうに雪の結晶を見て底抜けに明るい目が笑っている。
その横顔に映える純粋無垢な笑顔がうれしくて、周太は微笑みかけた。

「いま雪が降っているね?」
「うん、小雪って感じだけどね。ちょっと寒いかもな、外はさ。でも、きれいだよ。出てみる?」
「ん、外に出てみたい」

小雪ふる白く冷たい大地に降りると、凍る空気が夜の底に鎮まっていた。
みるまにかじかんでいく指を口もとへ寄せて息吹きかけながら、周太は目のまえに広がる白銀の平面を見た。

真白な銀盤が、凍れる星空の許ひろやかに佇んでいた。
ふる星の灯が反射する雪氷の湖は、青い夜の静謐に輝き映えて動かない。

静寂が白銀に凍てついた湖面をねむらせている。
ゆるやかにふる小雪が舞うなかで、雪と氷にとざした眠れる湖。
湖面の中央近くには小舟が白銀に封じられたよう動かない。

「湖ってさ、縁から凍っていくんだ。で、凍る湖水に押し流されてさ、小舟はあの場所にいる」

透るテノールが凍る湖面に響いていく。
教えてくれたことに微笑んで周太は訊いてみた。

「縁から…湖の対流のせいかな?」
「うん、そうだよ。湖にも漣が立つだろ?湖の底ではゆるく流れがあるから」

話しながらも白銀の湖面から目が離せない。
おだやかな潔癖が佇んだ冬の湖には星明りに輝いて、どこか清浄な凛冽が響いていく。
清らかさがきれいで周太はため息を吐いた。

「…ん、きれいだね…しずかで、清らかで…雪と氷なんだね、すごいね、」

うれしそうに細い目が笑ってくれる。
笑って光一が周太に訊いてくれた。

「気に入った?こういうの好きかな、」
「ん、すごく好き、…また見たいって想ってしまう、ね?」

素直な想いを告げて周太は隣を見あげて笑った。
笑いかけた先で底抜けに明るい目が、幸せそうに微笑んだ。

「よし、『おねだり』してくれたね?きっと、また見に来ようよ。
3月位までは見られる、だから梅を見においで、ドリアード?その時ここにも連れてきてあげる」

3月の梅の花。
14年前に果たせなかった、光一の持山に咲く白梅がおりなす山霞を見る約束。
こんどこそ約束を果たしたい、もう雪の森に光一を待たせたまま独り置き去りにしたくない。
ちいさな決意に周太は微笑んだ。

「ん、ありがとう…今度こそね、約束を果たすよ?…見に来るね、」
「うん、待ってる。だから来てね、ドリアード?…ほら、あっちを見てごらんよ?」

雪白の指が小雪ふる夜闇の向こうを指し示す。
うすい雪雲がいろどる夜空から銀いろ瞬く星がふる。示す方を周太は素直に見つめて、そして息を吐いた。

白銀あかるく輝く冬富士が、紺青の夜に浮き彫りになっていた。
星々のかそけき灯が冬富士の肌を照らして、紺青の空へ白銀のコントラストを彫あげていく。
夜の闇にもとけない冬富士の、雄渾な静謐と荘厳の世界が厳然と、凍れる湖の向こうに聳えていた。

「…すごい、ね…きれい、…これが冬富士、」

雪の肌がやわらかに星明りに灯っている。
けれどあの雪肌が生み出す雪崩に光一は肩に大きな痣を負った。そして英二は頬に細い氷の傷をつけられた。
美しい冬富士の夜ねむる姿、そこに眠っている冷厳な雪と氷の掟、雄渾な沈黙の世界。
あの場所に光一と英二は登っていた、そして尚更に魅せられた心を抱いて帰ってきた。

「うん、これがね、冬富士だよ?ほら、いま左側の斜面でさ、雲みたいのが起きたのって見える?」
「…ん、東斜面だよね?」
「そうだよ。あれはね、大きな雪崩が起きて舞い上がった雪の煙なんだ。」

言われるまま東斜面の左を見つめると、あわい雪煙が見える。
夜空にかかる雲とも見まごうような大きな白い煙に、数時間前の不安が想われる。
きっとあの大きな雪煙は、むかし父が教えてくれたことだろう。それでも美しさは惹かれてしまう。
見つめる周太に光一が笑いかけてくれた。

「ドリアード、寒いだろ?おいで、」

温かに細い目が笑んで、息吹きかけていた周太の両掌を大きな手がとってくれた。
そして掌を惹きよせると光一は、着ているマウンテンコートに包みながら背中から抱きしめてくれた。
背中から伝わる鼓動が少しだけ早くて、ゆるやかな体温の温もりが心地いい。
やさしい温かさにほっと微笑んで、そっと周太は光一を見あげた。

「ん、温かいよ?…ありがとう、光一」
「うん、俺もね、こうしてると温かいんだ。やっぱ人肌って温いよね、」

無邪気に雪白の貌が笑ってくれる。
ただ寄添って温もりを与え合っている今が幸せで、やさしい想いが温かい。
冬富士と凍れる湖を眺める想いへと、うっすら刷かれた雪雲から小雪ふる。
ふしぎな静謐がおだやかにねむる青と白の世界で、周太は光一の温もりに安らいだ。

…このひとが、好き…やさしい温もり、子供のままで透明で…

大切な「山」への想いを全て懸けた恋と愛。
純粋無垢なまま「無償の愛」を見つめる誇らかな自由。
最高の山ヤの魂が誇り高く告げてくれる美しい真直ぐな自分への想い。
そうして向けられる全てを受けとめていく、その想いが自分にも誇らしい。

英二を愛する自分の「無償の愛」は誇らしい。
そして光一に自分が贈られている「無償の愛」が誇らしい、ただ純粋無垢な愛がまばゆい。
その美しい愛が与えられるならば受けとればいい。
その美しい想いを受けとめられるのは自分だけ、ならば潔く受けとめ真直ぐに立っていたい。

…逃げない。真直ぐ受けとめてみせる、そして愛したならば守っていきたい…

舞いふる小雪のなか、幸せな時と記憶がふりつもっていく。
冬富士の麓、雪と氷の湖のほとりで佇んでいる、ふたつの想い。
ふたつの想いがゆっくり重ねあわさるのを、黒目がちの瞳は真直ぐ見つめていた。


高速道路のSAに着くとすこし夜食を摂った。
抱えた丼に温まりながら、光一は周太の笑顔を見つめてくれる。
愉しげな底抜けに明るい目が温かに笑んで、幸せに口を開いて周太と話していた。

「他にね、見たいものとかある?まだ夜は数時間ある、もうちょっと寄れるかな?」
「ん、…奥多摩のどこか、きれいなところ?」
「うん、いいよ。いくつか候補がすぐ挙げられる。…で、さ?訊いてもいいかな、」

やさしく微笑んで国村が訊いてくれる。
なんだろうなと首傾げながらも周太は微笑んで頷いた。
そんな周太を真直ぐ見つめながら光一は口を開いてくれた。

「本音を教えてほしいよ、ドリアード。
君はね、このまま黙って宮田のもとへ帰りたい?それともね、宮田にお仕置きしてほしいかな?」

「お仕置き?」

すこし驚いて周太は訊き返した。
かるく頷きながら国村は悪戯っ子に笑って周太に提案してくれた。

「俺はね、宮田が大好きだよ?でも俺はね、あいつに本気で怒っているんだ。
だから宮田にね、俺を怒らせた償いをさせたい。あいつに心底後悔させて、きちんと君に謝らせてやりたい。
そして怒りをチャラにしたい。そうしてね、また一緒に山も酒も仕事も愉しんで、あいつと一緒に最高峰へ行きたいよ。
だからね、ドリアード。俺はあいつにお仕置きをして、君と俺に償いをさせてやりたいんだ。それが宮田にも一番いいだろうから」

周太への真直ぐな愛情と、英二への偽らない友情。
そのふたつを大切にするために「お仕置き」をしたいと言ってくれている。
光一は純粋無垢な視点から真直ぐに物事を見るから、いつも的確な判断が出来ると英二も言っていた。
だからきっと程よい「お仕置き」が光一には出来るのだろう。

それに周太は本音を言えば、このままで英二とふたりきりで時を過ごしたくなかった。
また「体」を無理強いされたら?そう思うと竦んでしまいそうになる。どんなに愛していても「体」の恐怖はついてこない。
それも解って言ってくれている?そんな信頼感に微笑んで周太は頷いた。

「ん、…お仕置きしてほしいな、お願いできる?」

あかるい決断と愉しげに底抜けに明るい目が笑った。
そして誇らかな自由を映した透るテノールが宣言してくれた。

「よし、『お願い』してくれたね、ドリアード?じゃあ愉しいお仕置きをさ、朝になったらしに行くよ?
6時にビジネスホテルに戻ろうか。それまではね、ちょっとドライブしながらさ、雪の夜の美しさを君に贈らせてくれるかな?」

愉しいお仕置きってどんなだろう?
あかるい光一の言い回しには周太の心もほっと灯が点される、灯の明るい温もりに周太は微笑んだ。

「ん、はい…よろしく、光一」
「うん、よろしくされたよ?じゃ、決まりだね。さあ、どうしてやろうかな、」

愉快に底抜けに明るい目が笑った。
光一自身、大好きな友達でアンザイレンパートナーとして英二を大切にしている。
いったい「どうして」やるのだろう?悪戯小僧が思案する顔を眺めながら周太はココアを啜りこんだ。


6時にビジネスホテルに戻って、そっと静かに部屋の扉を開いた。
おだやかな朝陽が明るみ始めた部屋に入ると、すこしアルコールの香が残っている。
いつも酒には強い英二はアルコールの香が残らない、なのに今日はなぜだろう?
しかも英二が酔い潰されるなんて?不思議に思って周太は光一に訊いてみた。

「…あのね?英二は酒に強いと思うんだけど…どうやって、酔い潰したの?」

訊かれた光一は「ちょっと困ったなあ」と目が笑った。
けれど真白なマウンテンコートを脱ぎながら、あわい紅の唇を開いて白状してくれた。

「この部屋で呑ませたんだけどね?あいつが見ていない隙にさ、アルコール度数をちょっと上げてやったんだよ」
「…そんなこと、出来るの?…あ、光一は呑まなかった?」
「まあ、出来るよ?で、俺はさ、車を使うかもって言って呑まなかったよ。だから安心してね、」

光一は農業高校時代には酒造についても熱心に勉強したらしい。
それで驚異的なアルコール度数の濁酒を作る研究成果をあげたと英二にも聴いている。
その酒で同期の藤岡は大変な酔っぱらい方をしたらしい、だから今回は英二がそんな餌食になったのだろう。
いろんなことが出来るひとなんだね?感心しながら周太もダッフルコートを脱ぐとハンガーに吊るした。

「さて、眠り姫はどんな様子かな?」

からり笑って国村はベッドを覗きこんだ、周太も一緒に覗きこんで見た寝顔にため息がこぼれた。
おだやかに眠る白皙の貌は、すこし頬が紅潮して艶やかな肌がまぶしい。
濃く長い睫毛の蒼い翳がうす紅いろの頬へと落ちて深みが翳されている。
健やかな寝息がこぼれる端正な唇はきれいな紅を刷いたよう微熱をふくんで鮮やかだった。
いつもながら美しい寝顔に見惚れてしまう、ほっと息を周太は吐いた。
周太の隣で寝顔を眺めた光一は、ちょっと呆れ顔で笑ってくれた。

「ホントきれいな寝顔だね、まったくさ?これじゃ憎めないね、ズルいよなあ、ねえ?」
「ん、」

ほんとうに憎めない。健やかな美しい寝顔にかわいいと想ってしまう。
かわいくて嬉しくて微笑んだ周太に、うれしそうに光一も笑ってくれる。
そして底抜けに明るい目が悪戯っ子に笑って周太に提案してくれた。

「さて、ドリアード?こいつを俺は大好きだよ、でもまだ怒っているんだ。
こいつは君を傷つけた罪人だ、俺は本気で怒っているよ。そして2度と同じ罪は犯させたくないね。
だからドリアード?こいつにね、キツくお灸を据える許しを君に貰いたいんだけど。許してくれるかな?」

光一が英二に据えるお灸。いったいどんなだろう?
きっとキツいお灸だろう、でもちょっと見てみたい悪戯心も起きてしまう。
なにより、この英二への不安とかすかな怒りを一緒に笑い飛ばせたら嬉しいだろう。
そしてまた屈託なく英二とも笑い合えるようになりたい、素直に周太は頷いた。

「ん、…お願い、光一。ちょっと英二をこらしめて?」
「ドリアードも懲らしめたいんだね?よし、じゃあ存分にやらせてもらうかな」

愉しげに細い目が笑って周太の瞳を覗きこんだ。
真直ぐに見つめて温かく笑むと、すっと雪白の顔が近づいて周太の耳元にキスでふれた。

「…ん、…恥ずかしくなる、よ?」

友達のキス、それでもやっぱり気恥ずかしい。
気恥ずかしいまま見上げた先で、たった今やさしいキスをくれた唇が微笑んだ。

「恥ずかしいだけ?」
「ん、あと…うれしい、よ?」

素直に応えて周太も微笑んだ。
そんな笑顔に幸せそうに微笑んで光一は周太にきいてくれた。

「さて、ドリアード?もうひとつ許可がほしいんだ。お灸を据える為にさ、俺は宮田にちょっとキスしていいかな?」
「え、…」

すこし驚いて聞き返すと細い目が温かく笑んだ。
そして悪戯っ子に笑って計画を教えてくれた。

「宮田にね、体を無理強いされる痛みを教えてやりたいんだ。
けど宮田はさ、体のことを愉しめるヤツだ。だからね、普通のやり方じゃあ無理強いでも愉しんじゃうだろうね。
でもさ?ドリアード、君の目の前で辱められたらね、宮田はさぞ堪えるはずだ。
宮田は誇り高い男だ、そういう男だったら尚更にね?最愛の人の目前で、されるがまま手籠めにされるなんて辛いはずだよ」

「…なに、するの?」

すこし不安になって聞いた周太に底抜けに明るい目が温かく微笑んだ。
大丈夫だよ?と目でも告げながら可笑しそうにポケットから一つの錠剤を取り出した。

「ちょっと強めの酔い醒ましをね、口移しで飲ませてやるよ。で、ちょっと狂言で脅かしてやろうかな」

信じて任せてよ?底抜けに明るい目が愉快に笑っている。
任せてしまう方がきっといい、明るい信頼感に周太は微笑んだ。

「ん、…じゃあ光一、お願いするね?」
「よし、お願い叶えるよ。ドリアード、…無理強いなんかね、二度と君にはさせない」

すこし切ない瞳で細い目が周太に微笑んで、しずかに耳元へのキスを贈ってくれた。
そっと離れると底抜けに明るい目が笑って誇らかに宣言した。

「さあ、宮田?復讐と報復の掟でね、おまえを今から裁いてやるよ?」

からり笑って国村はベッドの英二を抱き起こした。
さっさと器用にニットから脱がせて上半身を裸にすると、静かにシーツへ英二を沈めてから周太に振り向いた。

「さあ、ドリアード。君の王子さまを目覚めさせるよ?」

悪戯っ子に明るい目を笑ませて周太に笑いかけてくれる。
あかるく大らかな笑顔に周太も微笑んで頷いた。

「ん、お願い、光一?」
「よし。お願い聴いたよ?じゃあさ、そこに座って見ていてね。肯定も否定も絶対に言わないこと。黙っていてよ?」

明るく光一は頷きながらソファを周太に指さした。
素直に周太が座るのに微笑んで、コップに水を汲んで一口含むと光一はベッドの英二にかぶさった。
始めるよ?目だけで告げて悪戯っ子が笑ってくれる。
なんだか悪戯の共謀みたい、いつにない愉しい気持ちも可笑しくて周太は笑って頷いた。
頷いた周太に愉しげな細い目が笑いかけて、そっと白い指が錠剤を英二の口へ押し込んだ。

じゃあいくからね、
底抜けに明るい目が笑って唇の端をあげると、あわい紅いろの唇は端正な唇をふさいだ。

…あ、

きれいなキスシーン。
そんなふうに周太は見惚れて見つめてしまった。

かさなる美しいふたつの唇が艶めいて、つい視線が惹かれてしまう。
キスを重ねるままに、雪白の肌うつくしい頬が白皙の端麗な貌にふれていく。
キスで見下ろす漆黒の髪がダークブラウンの髪へこぼれ絡むようで艶麗だった。

やっぱり似合うな?ほっとため息が吐かれて頬が熱くなってくる。
知っている人のキスシーンは気恥ずかしい、警察学校の山岳訓練で英二が人工呼吸したのを見たことあったけど。
やっぱり気恥ずかしいな?ちょっと頭を掻いて周太はすこしだけ視線をずらした。
そんなずらした視界の端で、光一は英二の肩下に腕を差し入れて抱き上げた。
トンと軽く背を叩いて白皙の喉が飲み込むのを確認すると、悪戯っ子の目が周太に笑いかけた。

「…さあ、今からお芝居だよ?」

低くテノールの声が愉しげに笑ってくれる。
どうなっちゃうのだろう?英二に「体」を解ってもらえる期待に微笑んで周太は頷いた。

「…ん、」

かすかな吐息が端正な唇からこぼれて、すこし英二が身じろぎをした。
きれいな濃い睫毛がゆっくりひらかれていく、そして穏やかな眼差しが光一を見つめた。
切長い目の焦点が合うのを見定めた光一は愉しげに口をひらいた。

「おはよう、宮田?昨夜は激しかったね、」
「…え、?」

ゆっくり瞬いて切長い目が光一を見上げている。
きっと状況がつかめていないだろう、そんな英二を見つめ返して光一は誘うように説明した。

「昨夜はさ、酒に酔って最高に色っぽかったね、宮田?
ほんとにさ、最高の別嬪が最高にエロくなって誘惑するんじゃね?さすがの俺も理性なんか飛んじゃったよ。
お蔭で昨夜はさ、最高にイイ想いさせてもらったよ…愉しかったね?俺たちってさ、やっぱり体の相性もイイんだな」

光一の言葉を聴くにつれて切長い目が大きくなっていく。
かわいい顔になっちゃったな?そう周太が眺めていると、端正な唇がなんとか動いて英二は訊いた。

「…あのさ?国村…俺、おまえと、…寝たのか?」

大きくなった目のまま英二が光一を見つめている。
見つめられた細い目が満足げに笑って、心外なふうに光一は言った。

「あれ?忘れたなんて言わせないよ?おまえが俺を誘惑したくせにさ。
でもほんとイイ誘惑だったよ、宮田…まさに艶麗ってカンジでさ、頭も沸騰したよ?アレはイイよ、マジ眼福。癖になった」

光一が告げていく言葉に切長い目が困っている。
それでも英二は光一に尋ねた。

「そんなに喜んでもらえたなら、いいけど…ほんとに俺、そんなことした?」
「今更なに言ってるのさ?あんなに俺におねだりしちゃった癖に。何度もイっちゃっただろ、おまえ?ほんとイイ声だったね」

恥ずかしくなってくる言葉が連なっていく。
困ってしまう、熱くなる首筋を撫でながら周太は言われた通り素直に見ていた。

「ほんとに俺…そんな、だった?…でさ、周太と美代さんはどうしたんだよ?」
「そんなだよ、宮田?おまえはもうね、俺の『女』になっちゃったんだよ。なに、忘れちゃったわけ?」
「うん…ごめん、記憶ない…それより周太と美代さんは?国村、知っているんだろ?」

英二は周太のことを気にかけてくれる。けれど光一はその質問にはずっと答えない。
どうなっちゃうのかな?静かに周太が見守っていると光一が唇の端を上げた。

「ああ、知ってるよ?ほら、そこに座ってね、さっきから俺たちを見てくれてるけど?」

透るテノールの声に英二の視線が動いて周太を見た。
切長い目が一瞬ほっと安心して微笑んで、けれどすぐ真っ青になると目が大きくなった。

「国村、どいてよ?周太のとこ行かせて、」
「嫌だね、」

細い目が笑って英二の願いを明確に拒絶した。そして圧し掛かると光一は手際よく英二の両手を片手で拘束してしまった。
驚いたまま切長い目を瞠らいて英二は声を押し出した。

「離せよ、周太のとこ行かせて?国村、…っ、」

言いかけた英二に光一は、キスをして言葉を途中で奪った。
ふれるだけのキス。それでも英二は真っ青になって、視線だけ動かすと周太を見てすぐ睫毛を伏せた。

「やめろよ、国村?なんの冗談だよ、嫌だよ、周太の前で…嫌だ、」
「冗談?ふうん、冗談だと思っているんだ、で、嫌だと思ってるんだ?」

すっと底抜けに明るい目を細めて光一は笑った。
そして透るテノールの声が低められたまま質問を始めた。

「おまえさ、湯原が嫌がっているのに無理に抱いたんだろ?だから俺だってね、おまえが嫌がっても抱いて良いだろ?」
「あれは、発砲のこと話してほしくて…ああすれば周太、話してくれるから…」
「ふうん?話してもらう為ならさ、無理強いしても良いんだね。俺もね、おまえに話させたいんだよ、いまどんな気分がするかをね」

細めた目のまま笑って光一は英二の首筋に唇でふれ始めた。
両手を拘束されて身動きできずに英二は、されるがまま首筋を光一の唇にふれられていく。

「やめろ、…っ、くにむら、やめ…っ、」
「違うだろ、宮田?どんな気分がするのか話すんだろ?あ、こんな程度じゃ話してくれないんだね?仕方ないな、」

すっと細められた目が笑んで光一は開いている左手をブランケットのなかへ挿し込んだ。
とたんに端正な貌が怯えてもがこうとしながら英二は訴えた。

「嫌っ…国村嫌だ、お願いだからやめてくれ…!」
「なに言ってるのさ。おまえはね、もう俺の『女』になっちゃったんだよ?もう俺はおまえを好きにしていいはずだ、そうだろ?」

淡々と笑いながら国村は英二を制圧していく。
その合間にさり気なく周太を見て「冗談だからね?」と底抜けに明るい目が笑いかけてくれる。
その悪戯っ子な目が可笑しくて、その都度に周太は俯いてそっと笑いを堪えた。そして必死な英二が可哀そうで見ていられない。
けれど出来れば英二には、「体」に無理をされる怖い想いを理解してほしい。そしてもうあんな想いをさせられたくない。
いまは見ているしかないのかな?周太は光一に言われた通り黙っていた。

「嫌なフリしちゃってねえ?ほんとは俺のこと誘ってるんだろ?お前もさ、体で愉しむの好きだもんな?」
「違う、本当に嫌なんだ…お願いだから…やめてくれ…」
「へえ?なんでそんなに嫌なのさ?昨夜はあんだけ誘ってきたくせにさ、ねえ?」

白皙のまぶしい裸の英二に圧し掛かるよう迫る光一は、着衣のままでも凄絶な色気がある。
そんな様子は狂言と解っていても気恥ずかしい、目のやり場に困ってしまう。
そろそろ終わってほしいな?気恥ずかしさと英二が可哀想で、早い終わりを周太は願った。



【歌詞引用:EXILE「運命のヒト」】

(to be continued)

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