やさしい時間、
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第33話 雪灯act.10―another,side story「陽はまた昇る」
美代は立て続けに2,3曲を上手に歌うと時計を見た。
そして悪戯っ子にきれいな明るい目を輝かせて、ひとつの提案で周太に微笑んだ。
「あのね、湯原くんは甘いものも好きだったよね?」
「ん、好きだよ?」
素直に周太が答えると美代は急にコートを着始めた。
どうしたのかなと見る周太に美代は人差し指を唇に当てて微笑んだ。
「ほら、湯原くんも早くコート着て?急いで、」
「え、あの?」
一体なにが始まるのだろう?
驚いている周太に美代はダッフルコートを着せて、きれいにマフラーを巻いてくれる。
貸してくれた本の袋と鞄を持つと美代は周太の袖を掴んで、また人差し指を唇に当て微笑んだ。
「エスケープしよう?」
「えすけーぷ?」
「うん、ここからはね、『良いよ』って言うまで声出しちゃダメよ?」
なんだろうと首傾げた周太を引っ張ったまま、美代はそっと扉を開けると廊下の様子を伺った。
かるく頷くと笑って廊下へ出て急いでカウンターへと歩いていく。
そして手続きを済ますと店の外へと周太を連れ出してしまった。
「…声、ダメよ?」
かすかな声で言って人差し指を唇に当てると、あかるく笑って歩いていく。
袖を掴まれたまま周太は素直に美代と並んで雪道を歩いた。
どうやら美代は国村と英二に内緒でどこかへ周太と行きたいらしい。
…驚かせて、国村に「心配の仕返し」したいのかな?
飄々として滅多に驚かない国村と、卒配後は本来の性質が出て大人びた英二。
あの「動じないコンビ」はどんな反応をするだろう?
なんだか楽しくなって周太も微笑んだ。
そんな周太に美代も愉しそうに悪戯っ子の目で笑ってくれる。
その表情には哀しみはだいぶ消えてきた、それが嬉しくて周太はきれいに笑った。
けれど、どこへ行くのかな?白い梢の街路樹を見あげると、透明な紺青に星が響くように輝いている。
「…きれいだな、」
思わずつぶやいてしまって周太は美代を振り返った。
声を出しちゃだめと言われたのに?どうしようと想った周太に美代が笑ってくれた。
「もうね、声出して平気よ?」
「…あ、よかった。ごめんね?言われる前に…」
ほっとして笑った周太に美代は愉しそうに言ってくれた。
「ううん、こっちこそ何も言わずにごめんね?ほんとに星がきれいね?」
「ん、…ね、美代さん。どこに行くの?」
頷きながら訊いた周太に美代はきれいな明るい目で笑ってくれる。
そして明るい瀟洒な店の扉を開いた。
「ここなの、」
温かで甘い香りが頬にやわらかい、可愛らしい店内は花屋のようだった。
きれいな冬と春の花々がうれしくて周太は微笑んだ。
「きれいだね…花屋さんに来たかったの?」
「うん、でもね、この奥が本命、」
「奥?」
美代が花々の向こうへ連れて行ってくれる。
花々の奥かわいいアーチ型に開いた壁の向こうは落着いたカフェスペースになっていた。
花屋とカフェが併設される店らしい、カフェの壁には書架が備えられて本屋のようにも見える。
おもしろい店だなと周太が見回していると美代が教えてくれた。
「ここね、お花屋さんとブックカフェが一緒になっているの」
「ん…おもしろいお店だね?」
話しながら席に着くと美代がメニューを見せてくれる。
いろんな種類の紅茶やケーキが書いてある、どうしようかなと首傾げた周太に美代が訊いてくれた。
「あのね、好きなものなにかな?」
「ん、オレンジとか…ココアとかチョコレートも好きだけど」
「じゃあね、これがいいかな?チョコの生地にオレンジ乗っていてね、おいしいの」
そんなふうに教えて貰いながらオーダーをして、一緒に立って書架を覗きこんだ。
見ると植物の専門書も多く備えられている、うれしくなって周太は一冊を手にとった。
山の植生についての専門書できれいな写真もたくさん収められている、つい立ったまま眺めていると美代が笑いかけてくれた。
「ね、ゆっくり座って読もうよ。ほら、ココアも来たみたいよ?」
「あ、…ごめんね?」
お互い本を選んで席に戻ると温かい飲み物を片手にページを繰り始めた。
めくるページには奥多摩の植生も載っていて楽しい、裏表紙を見てみると買える値段が記されている。
これは買えるのかなと考えていると美代が気がついて教えてくれた。
「あのね、ここの本は買えるのよ?あとでお会計のときに持って行けばいいの、買っていく?」
「ん、買っていきたいな…良い本に会わせてくれて、ありがとう」
うれしくて周太は微笑んでお礼を言った。
美代も愉しそうに笑い返してくれる。
「よかった、きっと湯原くんならね、ここ好きだと思ったの。だから遊び来てくれたら一緒に来ようって、思ってて」
「ん、このお店、いいね?…花屋さんもあるし、ゆっくり本も選べるし…ありがとう、」
話しているうちにケーキの皿が運ばれて、ふたりとも本を閉じた。
美代が選んでくれたオレンジのガトーショコラは、オレンジの香と味がチョコレートと合っておいしい。
好みの味を選んでくれたのも嬉しくて周太は微笑んだ。
「ん、…これ、おいしい。選んでくれてありがとう、」
「そ?よかった、ここね、甘いものも美味しいの。でね、光ちゃんは知らないの、ここは」
悪戯っ子に美代のきれいな明るい目が笑ってくれる。
だから「エスケープ」なのかな?周太は訊いてみた。
「じゃあ、ここ…美代さんの隠れ家ってこと?」
「うん、秋に見つけたばかりでね、お気に入りの場所なの。誰かと来るのはね、湯原くんが初めてよ?」
「そうなの?…ん、うれしいな、」
友達の気に入りの場所に連れて来てもらう。
こういうことは周太にとって初めてのことだった、うれしくて微笑んだ周太に美代が言ってくれた。
「うん。…あのね?湯原くん、きれいになったね?…あ、男の子にきれいって、嫌かな?」
ことんと心が跳ねて周太は美代を見つめた。
周太は英二と想いを交してからは「きれい」とよく言われる、だから珍しいことでは今は無い。
けれど今日のタイミングで「美代に」言われると動じそうになる、それでも微笑んで周太は答えた。
「ん、嫌じゃないけど…そう、かな?」
「嫌じゃないなら良かった。…秋に会った時もね、きれいな男の子だなって思ったけど。前よりも、きれいになったね?」
「そう?…ん、なんかね、恥ずかしいな…でも、ありがとう、」
答えながら周太は心でひとつ呼吸をして、すこし心を落ち着かせた。
確かに自分は、きれいになっていても不思議はないかもしれない。
自分は英二の想いを受入れた翌朝には母に「きれいになった」と言われている。
そして今日は国村の14年分の想いを受けとめた、その純粋無垢な「無償の愛」は本当にきれいで心に響いてしまう。
あんなに綺麗な想いを受けとめたのなら、きれいになって当然かもしれない。
でも美代に言われると途惑ってしまう、美代が想う相手からの愛情が「きれい」の原因だから。
それでも自分は逃げないと決めている、国村の純粋無垢な想いを壊してしまいたくないと願っている。
国村の想いは14年前に雪の森で定まったまま動かない、それは誰にも止められない否定も出来ない。
そんな強い純粋無垢な想いを自分はもう、忘れてしまうことは出来ない。
忘れられない事は罪だろうか?
大切な友達の恋人である国村の想いを抱いたまま、ここに居ることは許されないだろうか?
それでも自分は美代の友達でいたい、国村の想いも忘れられない。どちらも大切で選べない。
だからもし、忘れられない事が罪と言うなら背負えばいい。
…美代さん、ごめんなさい…でも、大切にしたい。あなたも、あのひとも…
哀しみと覚悟をココアと一緒に啜りこんで周太は微笑んだ。
そんな周太を見て美代はきれいな明るい目で笑いかけてくれた。
「うん…やっぱりね、湯原くんはきれいね。なんか『ドリアード』みたいね?」
「ドリアード」その名前に心が響いていく。
それでも周太は睫をふせてココアを見つめたまま微笑んで美代に訊いた。
「…ん?…木の妖精の、ドリアードのこと?」
「やっぱり湯原くん知っていたのね?木の妖精だから知ってると思ったの。私はね、姉が読んでくれた本で知ったの、湯原くんは?」
楽しそうに美代が教えてくれる。
ココアから目をあげて見つめると美代は愉しげに周太に笑いかけている。
きっと植物のことだからと話してくれている、ちいさな哀しみを胸に収めて周太は微笑んだ。
「ん、父の本で読んで…お姉さんがいるんだ?」
「ちょっと年が離れている姉でね?さっきの歌も姉がカラオケで歌ってて覚えたの、あれって20年くらい前の曲なのよ」
「お姉さん、いいね?仲良しなんだね、」
「うん、近所にお嫁にいったのよ、だからよく会うの。兄もいるの、私は末っ子なのよ、」
美代は家族のことや畑のことを楽しく話してくれた。
農家の大家族に育った末っ子の美代はゆったりした温かい穏やかさがある。
その空気が周太には気楽で馴染みやすくて、美代の穏やかな明るさは話にもあふれて居心地がいい。
そんなふうに寛いで他愛ない話の合間、ふっと美代が寂しげな顔になった。
「ね、…湯原くんはね、ドリアードって本当にいると思う?」
寂しそうな顔の美代は真剣に周太を見つめている。
いつも明るい美代が寂しい顔、哀しむときは国村のこと。なんとなくだけれど周太はそう感じてしまう。
だから「ドリアード」も国村のことに関係して聴きたいのだろう、ゆっくり1つ瞬いて周太は唇を開いた。
「ん。俺はね、妖精とかいると思ってる…23の男が言うのって変かもしれないけど、でも、そう想ってるよ?」
「どうして、そう思うの?」
「ん、…あのね、美代さんは木を抱きしめて耳をつけたこと、ある?」
きれいな明るい目に微笑んで周太は訊いてみた。
訊かれて頷いた美代に微笑んで周太は言葉を続けた。
「木ってね、かすかな水音が聞こえるでしょ?あれがね、俺には心臓の鼓動に聞こえるんだ…そしてね、どこか木って温かい感じがして…だからね、木に妖精が棲んでいても俺は納得できるんだ…変かな?」
幼い日に父と母に話していたことを周太は美代に話した。
樹木や草花には命の「息吹」があると周太は心から感じてしまう、だから本音の話だった。
けれどこういう事を男の自分が言うと「女々しい」と言われる事も多くて、人には話さなくなった。
美代なら解ってくれるだろうか?そんな想いで見つめる先できれいな明るい目が微笑んだ。
「それって解るな?木はね、温かいよね…うん、ドリアード…やっぱり、いるのかな、」
微笑んで小さくため息を美代はついた。
そして内緒話のように美代は周太に教えてくれた。
「あのね?光ちゃんと私って恋人同士って言われる…確かにね、ちいさい頃からずっと一緒で、一緒が普通で自然なの。でもね、きっと…きっとね?光ちゃんが本当に恋しているのは私じゃない。光ちゃんが見つめるのは『ドリアード』なの…ね、こんなこと変かな?」
真剣に美代は「言ってること信じてくれる?」と周太に訊いている。
美代は周太がその「ドリアード」とは知らないで話し、信頼できる友達として周太に訊いてくれている。
こんなふうに美代と国村の想いに向き合うとは思わなかった、けれどもう固めた覚悟を見つめながら周太は微笑んだ。
「変だとはね、想わないよ?」
「よかった…あのね、ずっと誰かに聴いてほしくて…ね、聴いてくれる?」
お願い聴いてね?そんな目で美代が周太に問いかけてくれる。
きっと14年前の雪の森のこと。そんな予感を抱きながら周太は微笑んで頷いた。
頷いた周太に安心したように美代は話してくれた。
「光ちゃんはね、ちいさい頃から、ふっと行方が解らなくなる時間が毎日あって。それでね、どこ行っていたか訊いても、絶対に教えてくれないの。でね?ある日から居なくなる時間が急に長くなって…初めて帰ってくるのが遅かった日にね、私しつこく訊いちゃったの『なんで遅かったの?』って」
ふっとため息を吐いて美代は桃の香の紅茶をひとくち飲んだ。
周太も抱えたマグカップに口をつけて、心のため息と一緒にココアを飲みこんだ。
もう国村が遅かった理由は聴かなくても解ってしまう、そして「初めて遅かった日」がいつだったのかも。
そっとマグカップから唇を離して美代の目を見つめると、きれいな明るい目は微笑んだ。
「光ちゃんね、『ドリアード』って一言だけ言って、もう何も教えてくれなかった。小学校3年生の冬だった、それからずっと光ちゃんはね…1日に何時間か行方知れずになる、朝まで帰らない日もある。だからね、きっと『ドリアード』に逢いに行ってるんだって想って…それでね、姉に『ドリアード』は何かって聴いたらね、本を探して読んでくれて。それで私ね、ドリアードが森にすむ木の妖精だって知ったの…でね、納得しちゃったの。光ちゃんなら当然かなって…」
“行先も言わない 朝まで帰らない 気まぐれな癖 このままじゃもう 冗談じゃない”
さっき美代が歌った歌詞に載せた想いは「ドリアードを待つために消える」ことだった。
ずっと一緒にいた幼馴染が急に「秘密」を抱いて消えてしまった、その哀しみを美代は歌っていた。
14年前の雪の森で唯ひと時の出逢いに生まれた「山の秘密」に国村は朝まで周太を待ち続けたと美代は言っている。
いま聴かされた国村の14年の歳月の想いが切ない、そんな国村をただ見送るしかない美代の想いが哀しい。
…山に白い霞がかかるみたいでね、あわい赤が朝陽みたいにきれいだ。佳い香でさ。見においでよ、また逢いたいよ?
ん、…逢いに来るね?そして木に咲く花たちを見せて?
もし14年前の冬に国村と結んだ約束を、あの春の日に約束通り自分が果たせていたら?
けれどそれは出来ないまま過去へと流されてしまった、今更悔やんでも取り戻せるわけじゃない。
ふっと言葉が途切れたまま美代は俯き加減に紅茶を啜りこんでいる。
きっと美代は聴いてほしいことがまだ溜まっている、そっと周太は相槌を訊いた。
「当然、なの…?」
周太の声を呼び水のように美代は頷いた。
頷いて周太の瞳を見て微笑むと、口を開いてくれた。
「光ちゃんはね、『山』づくしでしょう?だからね、『山』の森で木の妖精と恋におちるのも…当然だと思って。ね、こういう考えって変かな?」
美代はほんとうに国村を理解している。
こういう恋人を持った国村は幸せだろうと思える、それでも国村が本当に見つめるのは美代ではない。そのことが哀しい。
どうしていいのか解らないと逃げたい気持ちが起きそうになる。
けれど周太が国村を拒絶しても、もう国村は周太を見つめることを止めはしない。いま聴いた話からも国村の本気が解る。
国村が周太に寄せた想いの14年の軌跡を聴かされて、国村の想いの深さを知ってしまった
もう逃げても無駄なこと、もう国村は動かない、そして自分も国村にすこしでも応えたい想いを誤魔化すことが出来ない。
そして大切な友達の美代からもこの今だって逃げたくはない。
聴かなくていい事、踏み込めない領域が人にはある。
けれど心と想いを重ねられる部分も人にはあるのだから、その精一杯で友達を大切に出来ないだろうか?
そんな可能性を想いながら周太は微笑んで美代に答えた。
「ううん、変じゃないよ?…『山』はね、不思議なことがいっぱいあるから。それはね、人間も同じで不思議なことがたくさんあるよ?そんなふうにね、父は教えてくれたんだ…本当にね、俺もそう思うよ?」
周太は美代の目を真直ぐに見つめながら話した。
そんな周太に美代はうれしそうに微笑んでくれた。
「うん、ありがとう。聴いてくれて信じてくれて、うれしい…今日、湯原くんに会えてよかった」
友達の笑顔がうれしいと素直に思える。
全てを話すことは出来ないけれど、出来る限り話していけたら友達として一緒にいられるかもしれない。
どうかこの大切な友達ともっと時を重ねられますように。祈りながら周太も微笑んだ。
「ん。俺もね、今日、美代さんに会えてよかったよ?」
「ほんと?良かった、あのね、私、湯原くん好きよ。なんかね、男の子だけどすごく話しやすくて、居心地いいの…なんだろうね?」
自分も同じように美代には想っている。
女の子とこんなに話したことは無かったし、男同士でもこんな話はしていない。
うれしいなと素直に微笑んで周太も答えた。
「ん、ありがとう…俺もね、美代さんは話しやすくて、一緒にいて楽しいよ?」
そんなふうに笑いあって穏やかな楽しい時間がうれしい。
雪つもる街を窓に眺めながら本と温かい飲み物で楽しんでいると、携帯の振動がふっと伝わった。
…あ、英二と国村、どうしたんだろう?
すっかり周太はふたりを忘れていた。
英二からの連絡かもしれない、そっと携帯をポケットから出して開くと知らない番号が表示されている。
なんだろうと見ていると美代が悪戯っ子の目で笑った。
「宮田くんかな?出てあげて、でも場所は内緒ね?」
「ん、…ちょっとごめんね?」
言いながら通話を繋いで周太は携帯を耳に当てた。
その受話口から聞こえたのは、透るテノールの声だった。
「ドリアード?いま、どこに浚われてる?」
なぜ知らない番号からこの声がこの名前で呼ぶのだろう?
驚いている周太に透るテノールの声が可笑しそうに笑って、そして教えてくれた。
「宮田のさ、携帯の充電が保たなそうだったんだよね。で、宮田は仕方なく俺にね、番号を教えてくれたってワケ」
「…あ、そうなの…驚いたよ?」
ほっと我に返って周太はようやく答えた。
そんな周太に電話の向こうは愉しげに笑って教えてくれる。
「居なくなっていてさ、驚いたよ?で、いま宮田はさ、充電するのにホテルに戻ってるよ。
さて、ドリアード?俺はね、君を無事に迎えに行かなきゃいけないんだ、アンザイレンパートナーとの約束だからさ」
「ん、…そうなの?…ちょっと待ってくれる?」
そっと送話口を掌で握りこんで周太は美代を振向いた。
すると美代はもうコートを着て愉しげに笑って、周太に言ってくれた。
「そろそろ私もね、帰らないといけないの。駅まで一緒に行って解散しよう?だから10分後にお迎え来てもらって」
「あ、…でも、」
「ほら、10分後って早く言ってあげて?心配しているんでしょ、」
美代は英二が周太を迎えに来ると思っているのだろう。
ほんとうは違うのに?けれどいま説明するのも良いのか解らない。
国村は美代の携帯ではなく周太の携帯に架けてきた、こんなことにも国村は自分の優先順位を真直ぐ示そうとしている。
そんな想いを裏切りたくはなくて周太は、美代に勧められるまま電話に出た。
「今から、駅まで美代さんと行くから…10分後位になると思う」
「うん、わかった。もう居なくならないでね?ま、居なくなってもさ、俺は探し出すけどね」
からり笑って国村は「またすぐ後でね、」と言ってくれた。
そっと携帯を閉じてポケットにしまうと周太も、ダッフルコートを着て選んだ本を手にとった。
会計を済ませてカフェスペースから花屋のほうへ出ると花々がやさしい色あいに美しい。
あざやかな色彩のなかで、きれいな薄紅いろのチューリップが映りこんで周太は立ち止まった。
とても可愛らしい雰囲気がいい、ふと思いついて周太は店員に声を掛けた。
「すみません、このチューリップを1本いただけますか?あの、リボンかけてください」
可愛らしいラッピングの1本のチューリップを周太は受けとった。
そして通りへ出るとチューリップを周太は美代に渡した。
「きれいだったから、ね?…素敵な隠れ家を教えてくれた、お礼、」
「いいの?…うれしい、ありがとう、」
幸せそうに笑って美代は受けとってくれた。
美代は帰って自室で一人になれば国村のことで哀しみを思い出すかもしれない。
そのときに花を見て一緒に笑った時間を思いだして、すこしでも心が慰められたら。
そんな想いと微笑んで周太は河辺駅の改札口で美代を見送った。
「こんどは大会の後に、また奥多摩に来るのよね?」
「ん。きっと来れると思うんだ…またさっきのカフェとか行きたいな、」
「うん、また行こうね?じゃ、明日は気をつけて新宿へ帰ってね、公園も楽しみにしてるね?」
こんなふうに約束できるのは楽しい。
次にまた会う時は今日買った本の話が出来るだろう。
改札の向こうの階段へと美代が降りて行ったのを見送って周太は踵を返した。
そうして振向いた視界の向こう、雪の夜へ繋がるコンコースに白い姿が佇んでいた。
「おつかれさま、楽しんだみたいだね」
底抜けに明るい目が温かく微笑んでくれる。
明るい温もりがやさしい、素直に周太は微笑んだ。
「ん、楽しかった…お迎えごめんね?でも駅から近いし、大丈夫だったのに…」
「うん?俺が君に逢いたかったからね、」
さらり率直に想いを告げて細い目が温かく笑ってくれた。
こんな言葉にも心が傾けられていく、しずかに自分の想いを見つめて周太は2つの本の袋を抱え込んだ。
行こう?と目で笑いかけられて歩き始めるとテノールの声が話しかけてくれる。
「本を買ったんだね、」
「ん。…山の植物の本で…1つは美代さんから借りた公開講座のテキストなんだ」
「ああ、一千年生きる葉っぱの話だね?俺も借りて読んだよ、面白かったな」
同じように国村も植物に興味を持っている?
ちいさな嬉しさに周太は隣を見上げて訊いてみた。
「植物に、興味あるの?」
「うん、俺は兼業農家の警察官だからね。やっぱり興味あるよ?」
同じ興味を国村も持っている。
こういうのは素直に嬉しくて周太は微笑んだ。
そんなふうに話ながら歩いて、不意に国村が周太の左掌をとった。
なんだろうと見上げた先で底抜けに明るい目が愉しげに微笑んだ。
「こっちだよ?」
そう言ってビジネスホテルとは逆側の出口へと国村は歩きだした。
違う方向に驚いて見上げると何のことは無い顔で国村は笑った。
「こっちに車、停めてあるんだ、」
「あ、…わざわざ車で来てくれたの?」
なんだかいろいろ申し訳なくて恐縮してしまう。
悪いなと思いながら掌をひかれていくと見覚えのある四駆が停まっていた。
助手席の扉を開けてくれるまま周太が乗ると、運転席へと国村も乗り込んだ。
「シートベルトしめたね?じゃ、しばしドライブつきあってね」
やさしく笑いかけて国村はクラッチを踏んだ。
すぐに走りだす四駆が通りを抜けていく。雪に白い街並の底を見つめて周太はかすかなため息を吐いた。
この夕方に抱いた英二への怒りは収められて「無償の愛」も温もりを戻している。
それでも無理強いをされた体にショックが残されていて、かすかな恐怖と不安が影うつす。
どこか塞いだ心を見つめる周太の横顔に、透るテノールの声が穏やかに微笑んだ。
「あいつね、寝てるよ?」
「…え、」
意外な言葉に驚いて周太は運転席を振向いた。
前を見て可笑しそうに笑っている横顔に、遠慮がちに周太は訊いてみた。
「…でも英二、携帯の充電をしに行ったって…」
「ごめんね、あれは嘘。あいつの携帯から勝手にさ、君の番号を赤外線で登録した」
どういうことだろいう?
よく解らなくて運転席の横顔を見つめると秀麗な口元が笑った。
「ちょっと酔い潰しちゃったんだよね。ま、軽い報復だよ?」
報復。いま国村はそう言った。
報復は「復讐」ひどい仕打ちを受けた者が仕返しをすること。
なぜ国村が英二に報復を?驚いて見つめる周太の視線の先で、ふっと静謐が微笑んだ。
「俺のドリアードをね、傷つけてくれた『復讐』だよ?」
傷つけた「復讐」それは何を意味している?
静謐に微笑む雪白の横顔は、淡々とハンドルを捌いていく。
そして気がつくと四駆は青梅の街を抜けて山間へと車窓の光景は映り変わっていた。
…「体」のこと…気がついて、くれている?
運転席の静かな横顔に心の呟きがこぼれていく。
雪の森で国村は14年の想いを周太に贈ってくれた、そして鑑識実験の説明に周太の罪を軽やかに背負ってくれた。
それから「体」を大切にしたい周太の想いを英二に代弁してくれた。
そんなふうに今日1日の間に国村は、なんども周太を大切に守ってくれている。
そしていま「傷つけてくれた『復讐』」と国村は微笑んだ。
またいま「復讐」で周太を守ろうと国村はしてくれているのだろうか?
けれど「復讐」だなんて?
いま聴いた言葉の強い重みに途惑いながら運転席の静謐を見つめていると、静かに四駆が停まった。
「ドリアード、…宮田に、体を無理強いされたね?…隠さないでよ。俺にはね、解っているから」
透るテノールの声が低く周太の心にふれてくる。
言わなくても国村は解ってくれた?そんな安らぎに周太の瞳から涙がこぼれた。
「…どうして?…」
やさしく周太の涙を白い指が拭ってくれる。
細い目が温かく笑んで静かに言葉を続けてくれた。
「さっき、カラオケ屋で君を見て気がついた。宮田に君はかすかな怯えがあるね?…そして、あいつの言葉でも解ったよ」
カラオケ屋で国村は切ない想いを映した瞳で周太を見つめてくれていた。
あの時にもう気づいてくれていたの?見つめる想いの先で国村は微笑んで口を開いた。
「あいつね、こう言ったんだ。
『周太が泣いてくれた、周太は本当に心を見つめて愛してくれている。
心を大切にするように体まで大切に想ってくれている。それは俺には考えられない幸せをくれる。
それを国村は俺以上に解ってくれている。周太の想いを解ってやれなかった俺の甘さが責任だ』
こんなふうにさ、あいつ『体』も大切だって理解は出来たんだ。それがね、俺も嬉しかったよ?君の願いが届いたってね」
やさしい眼差しで周太に「よかったね?」と笑いかけてくれる。
そんなふうに英二が解ってくれた?そんな喜びがまた心に温かい。
そして自分の喜びを一緒に笑ってくれる国村のやさしさが温かで周太は微笑んだ。
やさしい微笑みが頷いてくれる、けれど、ふっと哀しみに目を細めて国村は続けた。
「けれど、…君が『泣いた』って言った。だからね、俺は確信しちゃったんだ。
宮田は君を怯えさせ、君を泣かせた。そしてね?君が愛する宮田に怯えるなんて…原因は1つしか考えられない」
底抜けに明るい目が哀しみと周太を真直ぐ見つめている。
きれいな透るテノールは静かなままに話してくれた。
「君は宮田の体を守るために、全てを懸けて俺に銃口を向けた。そのことの意味を俺は、あいつに話したよ。
俺はね、君の想いを宮田に解ってほしかった、そして君を幸せな想いに抱いてほしかった。
そうやってね、君の幸せな笑顔を俺は、見せてほしかったんだ。それなのに、あいつは、ね?…だから許せないよ」
想いを言葉に変えながら、周太を見つめる温かな細い目から涙がこぼれた。
底抜けに明るい純粋のままとめどなく涙とふるような想いがこぼれていく。
「許せない、君を傷つけるなんて、俺は許せない。
だからね、あいつ酔い潰してやったんだよ?酒で無理に眠りにつかせて、君との時間を奪ってやったんだ。
あいつはね、君との時間をいちばん大切にしているよ?だからね、…俺は、いちばん大切なものを奪って『復讐』してやったんだ」
許せないんだと純粋無垢な怒りが静かに微笑んでいる。
こぼれ落ちる涙のまま誇らかな瞳は周太を見つめていた。
そして悪戯っ子の目で笑った涙の頬のまま、あかるく透るテノールの声が言った。
「俺は宮田に訊いたんだ、どう俺に詫びてくれるつもりなんだ?ってね。
そしたら宮田は言ったよ、俺の気が済むようにしてほしい、何でも言ってくれってさ?
だからね、俺は遠慮なく気が済むようにしたよ?君を抱く権利をね、今夜あいつから奪ってやったんだ。あいつの望み通りにね」
言われた通りにしただけだよ?そして俺は許せないんだ。
そんな真直ぐな怒りが静かなまま明るく笑って涙をこぼしていく。
きれいに微笑んだ底抜けに明るい目が周太を真直ぐ見つめて、透明なテノールの声が周太に訊いた。
「ドリアード、どうか君の本音を俺に聴かせてほしい。君は今夜、心から望んで君の婚約者に抱かれたかったかな?宮田と夜の時間を過ごしたかったかな?もし君がほんとうに心から宮田との今夜を望むなら、あいつを目覚めさせてあげる。けれど、…けれど、ドリアード?」
純粋無垢な想いが底抜けに明るい目に笑っている。
どうか本音を聴かせてよ?そんな真直ぐな問いかけを周太の瞳へ見つめて国村は言った。
「ドリアード、君はね、今夜は俺との時間を過ごしたい?俺は君の体を無理強いは絶対しない、君を欠片も傷つけたくないから。だからね、ドリアード…もし俺が君と夜を過ごす権利を貰えるならね?俺は、雪の夜の美しさを君に贈りたい」
きれいに雪白の貌が笑いかけてくれる。
哀しみに涙こぼしても明るい目が美しくて、見つめながら周太はそっと訊いてみた。
「…雪の夜の、美しさを?」
「そう、雪の夜の美しい全てをね、俺は君に贈りたいんだ」
愉しい想いを底抜けに明るい目が涙の底にも映し出す。
そして透明なテノールの声が明るく歌うように想いを告げてくれた。
「俺がもし、君と夜を過ごすなら。俺は君に夜の雪の山を見せてあげる。
雪に凍りついた湖の、夜に輝く姿を君に見せてあげる。冬富士が夜に浮き彫りになる姿だって君に見せられる。
星明りに灯る雪の花を君に見せてあげたい、雪に響く星空の音だって君に聴かせてあげる。
そんなふうに、俺はね?いちばん大切な愛する君に、俺がいちばん愛する『山』で美しい雪の夜を贈ってあげたい」
誇らかな自由の明るい告白が温かい。
どんなに愛していても冷たい英二の無理解に触れた心の傷に、国村の純粋無垢な理解が温かい。
この真直ぐな想いに自分は「今夜」どうしたいのか素直に頷きたい。
きれいに微笑んで周太は真直ぐに、涙こぼす温かな眼差しを見つめた。
「ん、…一緒にいさせて?そして美しい雪の夜を、見せて?」
あかるい幸せな、純粋無垢な笑顔が咲いた。
純粋無垢な山ヤの魂が誇らかに笑う、そして透明なテノールの声が宣言した。
「うん、一緒に見に行こう。俺のドリアード…今夜は君に、俺の愛する雪の夜を捧げるよ」
誇らかな自由と偽らない想い。
そして真直ぐ純粋無垢な想いが、雪の夜に花開く。
(to be continued)
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第33話 雪灯act.10―another,side story「陽はまた昇る」
美代は立て続けに2,3曲を上手に歌うと時計を見た。
そして悪戯っ子にきれいな明るい目を輝かせて、ひとつの提案で周太に微笑んだ。
「あのね、湯原くんは甘いものも好きだったよね?」
「ん、好きだよ?」
素直に周太が答えると美代は急にコートを着始めた。
どうしたのかなと見る周太に美代は人差し指を唇に当てて微笑んだ。
「ほら、湯原くんも早くコート着て?急いで、」
「え、あの?」
一体なにが始まるのだろう?
驚いている周太に美代はダッフルコートを着せて、きれいにマフラーを巻いてくれる。
貸してくれた本の袋と鞄を持つと美代は周太の袖を掴んで、また人差し指を唇に当て微笑んだ。
「エスケープしよう?」
「えすけーぷ?」
「うん、ここからはね、『良いよ』って言うまで声出しちゃダメよ?」
なんだろうと首傾げた周太を引っ張ったまま、美代はそっと扉を開けると廊下の様子を伺った。
かるく頷くと笑って廊下へ出て急いでカウンターへと歩いていく。
そして手続きを済ますと店の外へと周太を連れ出してしまった。
「…声、ダメよ?」
かすかな声で言って人差し指を唇に当てると、あかるく笑って歩いていく。
袖を掴まれたまま周太は素直に美代と並んで雪道を歩いた。
どうやら美代は国村と英二に内緒でどこかへ周太と行きたいらしい。
…驚かせて、国村に「心配の仕返し」したいのかな?
飄々として滅多に驚かない国村と、卒配後は本来の性質が出て大人びた英二。
あの「動じないコンビ」はどんな反応をするだろう?
なんだか楽しくなって周太も微笑んだ。
そんな周太に美代も愉しそうに悪戯っ子の目で笑ってくれる。
その表情には哀しみはだいぶ消えてきた、それが嬉しくて周太はきれいに笑った。
けれど、どこへ行くのかな?白い梢の街路樹を見あげると、透明な紺青に星が響くように輝いている。
「…きれいだな、」
思わずつぶやいてしまって周太は美代を振り返った。
声を出しちゃだめと言われたのに?どうしようと想った周太に美代が笑ってくれた。
「もうね、声出して平気よ?」
「…あ、よかった。ごめんね?言われる前に…」
ほっとして笑った周太に美代は愉しそうに言ってくれた。
「ううん、こっちこそ何も言わずにごめんね?ほんとに星がきれいね?」
「ん、…ね、美代さん。どこに行くの?」
頷きながら訊いた周太に美代はきれいな明るい目で笑ってくれる。
そして明るい瀟洒な店の扉を開いた。
「ここなの、」
温かで甘い香りが頬にやわらかい、可愛らしい店内は花屋のようだった。
きれいな冬と春の花々がうれしくて周太は微笑んだ。
「きれいだね…花屋さんに来たかったの?」
「うん、でもね、この奥が本命、」
「奥?」
美代が花々の向こうへ連れて行ってくれる。
花々の奥かわいいアーチ型に開いた壁の向こうは落着いたカフェスペースになっていた。
花屋とカフェが併設される店らしい、カフェの壁には書架が備えられて本屋のようにも見える。
おもしろい店だなと周太が見回していると美代が教えてくれた。
「ここね、お花屋さんとブックカフェが一緒になっているの」
「ん…おもしろいお店だね?」
話しながら席に着くと美代がメニューを見せてくれる。
いろんな種類の紅茶やケーキが書いてある、どうしようかなと首傾げた周太に美代が訊いてくれた。
「あのね、好きなものなにかな?」
「ん、オレンジとか…ココアとかチョコレートも好きだけど」
「じゃあね、これがいいかな?チョコの生地にオレンジ乗っていてね、おいしいの」
そんなふうに教えて貰いながらオーダーをして、一緒に立って書架を覗きこんだ。
見ると植物の専門書も多く備えられている、うれしくなって周太は一冊を手にとった。
山の植生についての専門書できれいな写真もたくさん収められている、つい立ったまま眺めていると美代が笑いかけてくれた。
「ね、ゆっくり座って読もうよ。ほら、ココアも来たみたいよ?」
「あ、…ごめんね?」
お互い本を選んで席に戻ると温かい飲み物を片手にページを繰り始めた。
めくるページには奥多摩の植生も載っていて楽しい、裏表紙を見てみると買える値段が記されている。
これは買えるのかなと考えていると美代が気がついて教えてくれた。
「あのね、ここの本は買えるのよ?あとでお会計のときに持って行けばいいの、買っていく?」
「ん、買っていきたいな…良い本に会わせてくれて、ありがとう」
うれしくて周太は微笑んでお礼を言った。
美代も愉しそうに笑い返してくれる。
「よかった、きっと湯原くんならね、ここ好きだと思ったの。だから遊び来てくれたら一緒に来ようって、思ってて」
「ん、このお店、いいね?…花屋さんもあるし、ゆっくり本も選べるし…ありがとう、」
話しているうちにケーキの皿が運ばれて、ふたりとも本を閉じた。
美代が選んでくれたオレンジのガトーショコラは、オレンジの香と味がチョコレートと合っておいしい。
好みの味を選んでくれたのも嬉しくて周太は微笑んだ。
「ん、…これ、おいしい。選んでくれてありがとう、」
「そ?よかった、ここね、甘いものも美味しいの。でね、光ちゃんは知らないの、ここは」
悪戯っ子に美代のきれいな明るい目が笑ってくれる。
だから「エスケープ」なのかな?周太は訊いてみた。
「じゃあ、ここ…美代さんの隠れ家ってこと?」
「うん、秋に見つけたばかりでね、お気に入りの場所なの。誰かと来るのはね、湯原くんが初めてよ?」
「そうなの?…ん、うれしいな、」
友達の気に入りの場所に連れて来てもらう。
こういうことは周太にとって初めてのことだった、うれしくて微笑んだ周太に美代が言ってくれた。
「うん。…あのね?湯原くん、きれいになったね?…あ、男の子にきれいって、嫌かな?」
ことんと心が跳ねて周太は美代を見つめた。
周太は英二と想いを交してからは「きれい」とよく言われる、だから珍しいことでは今は無い。
けれど今日のタイミングで「美代に」言われると動じそうになる、それでも微笑んで周太は答えた。
「ん、嫌じゃないけど…そう、かな?」
「嫌じゃないなら良かった。…秋に会った時もね、きれいな男の子だなって思ったけど。前よりも、きれいになったね?」
「そう?…ん、なんかね、恥ずかしいな…でも、ありがとう、」
答えながら周太は心でひとつ呼吸をして、すこし心を落ち着かせた。
確かに自分は、きれいになっていても不思議はないかもしれない。
自分は英二の想いを受入れた翌朝には母に「きれいになった」と言われている。
そして今日は国村の14年分の想いを受けとめた、その純粋無垢な「無償の愛」は本当にきれいで心に響いてしまう。
あんなに綺麗な想いを受けとめたのなら、きれいになって当然かもしれない。
でも美代に言われると途惑ってしまう、美代が想う相手からの愛情が「きれい」の原因だから。
それでも自分は逃げないと決めている、国村の純粋無垢な想いを壊してしまいたくないと願っている。
国村の想いは14年前に雪の森で定まったまま動かない、それは誰にも止められない否定も出来ない。
そんな強い純粋無垢な想いを自分はもう、忘れてしまうことは出来ない。
忘れられない事は罪だろうか?
大切な友達の恋人である国村の想いを抱いたまま、ここに居ることは許されないだろうか?
それでも自分は美代の友達でいたい、国村の想いも忘れられない。どちらも大切で選べない。
だからもし、忘れられない事が罪と言うなら背負えばいい。
…美代さん、ごめんなさい…でも、大切にしたい。あなたも、あのひとも…
哀しみと覚悟をココアと一緒に啜りこんで周太は微笑んだ。
そんな周太を見て美代はきれいな明るい目で笑いかけてくれた。
「うん…やっぱりね、湯原くんはきれいね。なんか『ドリアード』みたいね?」
「ドリアード」その名前に心が響いていく。
それでも周太は睫をふせてココアを見つめたまま微笑んで美代に訊いた。
「…ん?…木の妖精の、ドリアードのこと?」
「やっぱり湯原くん知っていたのね?木の妖精だから知ってると思ったの。私はね、姉が読んでくれた本で知ったの、湯原くんは?」
楽しそうに美代が教えてくれる。
ココアから目をあげて見つめると美代は愉しげに周太に笑いかけている。
きっと植物のことだからと話してくれている、ちいさな哀しみを胸に収めて周太は微笑んだ。
「ん、父の本で読んで…お姉さんがいるんだ?」
「ちょっと年が離れている姉でね?さっきの歌も姉がカラオケで歌ってて覚えたの、あれって20年くらい前の曲なのよ」
「お姉さん、いいね?仲良しなんだね、」
「うん、近所にお嫁にいったのよ、だからよく会うの。兄もいるの、私は末っ子なのよ、」
美代は家族のことや畑のことを楽しく話してくれた。
農家の大家族に育った末っ子の美代はゆったりした温かい穏やかさがある。
その空気が周太には気楽で馴染みやすくて、美代の穏やかな明るさは話にもあふれて居心地がいい。
そんなふうに寛いで他愛ない話の合間、ふっと美代が寂しげな顔になった。
「ね、…湯原くんはね、ドリアードって本当にいると思う?」
寂しそうな顔の美代は真剣に周太を見つめている。
いつも明るい美代が寂しい顔、哀しむときは国村のこと。なんとなくだけれど周太はそう感じてしまう。
だから「ドリアード」も国村のことに関係して聴きたいのだろう、ゆっくり1つ瞬いて周太は唇を開いた。
「ん。俺はね、妖精とかいると思ってる…23の男が言うのって変かもしれないけど、でも、そう想ってるよ?」
「どうして、そう思うの?」
「ん、…あのね、美代さんは木を抱きしめて耳をつけたこと、ある?」
きれいな明るい目に微笑んで周太は訊いてみた。
訊かれて頷いた美代に微笑んで周太は言葉を続けた。
「木ってね、かすかな水音が聞こえるでしょ?あれがね、俺には心臓の鼓動に聞こえるんだ…そしてね、どこか木って温かい感じがして…だからね、木に妖精が棲んでいても俺は納得できるんだ…変かな?」
幼い日に父と母に話していたことを周太は美代に話した。
樹木や草花には命の「息吹」があると周太は心から感じてしまう、だから本音の話だった。
けれどこういう事を男の自分が言うと「女々しい」と言われる事も多くて、人には話さなくなった。
美代なら解ってくれるだろうか?そんな想いで見つめる先できれいな明るい目が微笑んだ。
「それって解るな?木はね、温かいよね…うん、ドリアード…やっぱり、いるのかな、」
微笑んで小さくため息を美代はついた。
そして内緒話のように美代は周太に教えてくれた。
「あのね?光ちゃんと私って恋人同士って言われる…確かにね、ちいさい頃からずっと一緒で、一緒が普通で自然なの。でもね、きっと…きっとね?光ちゃんが本当に恋しているのは私じゃない。光ちゃんが見つめるのは『ドリアード』なの…ね、こんなこと変かな?」
真剣に美代は「言ってること信じてくれる?」と周太に訊いている。
美代は周太がその「ドリアード」とは知らないで話し、信頼できる友達として周太に訊いてくれている。
こんなふうに美代と国村の想いに向き合うとは思わなかった、けれどもう固めた覚悟を見つめながら周太は微笑んだ。
「変だとはね、想わないよ?」
「よかった…あのね、ずっと誰かに聴いてほしくて…ね、聴いてくれる?」
お願い聴いてね?そんな目で美代が周太に問いかけてくれる。
きっと14年前の雪の森のこと。そんな予感を抱きながら周太は微笑んで頷いた。
頷いた周太に安心したように美代は話してくれた。
「光ちゃんはね、ちいさい頃から、ふっと行方が解らなくなる時間が毎日あって。それでね、どこ行っていたか訊いても、絶対に教えてくれないの。でね?ある日から居なくなる時間が急に長くなって…初めて帰ってくるのが遅かった日にね、私しつこく訊いちゃったの『なんで遅かったの?』って」
ふっとため息を吐いて美代は桃の香の紅茶をひとくち飲んだ。
周太も抱えたマグカップに口をつけて、心のため息と一緒にココアを飲みこんだ。
もう国村が遅かった理由は聴かなくても解ってしまう、そして「初めて遅かった日」がいつだったのかも。
そっとマグカップから唇を離して美代の目を見つめると、きれいな明るい目は微笑んだ。
「光ちゃんね、『ドリアード』って一言だけ言って、もう何も教えてくれなかった。小学校3年生の冬だった、それからずっと光ちゃんはね…1日に何時間か行方知れずになる、朝まで帰らない日もある。だからね、きっと『ドリアード』に逢いに行ってるんだって想って…それでね、姉に『ドリアード』は何かって聴いたらね、本を探して読んでくれて。それで私ね、ドリアードが森にすむ木の妖精だって知ったの…でね、納得しちゃったの。光ちゃんなら当然かなって…」
“行先も言わない 朝まで帰らない 気まぐれな癖 このままじゃもう 冗談じゃない”
さっき美代が歌った歌詞に載せた想いは「ドリアードを待つために消える」ことだった。
ずっと一緒にいた幼馴染が急に「秘密」を抱いて消えてしまった、その哀しみを美代は歌っていた。
14年前の雪の森で唯ひと時の出逢いに生まれた「山の秘密」に国村は朝まで周太を待ち続けたと美代は言っている。
いま聴かされた国村の14年の歳月の想いが切ない、そんな国村をただ見送るしかない美代の想いが哀しい。
…山に白い霞がかかるみたいでね、あわい赤が朝陽みたいにきれいだ。佳い香でさ。見においでよ、また逢いたいよ?
ん、…逢いに来るね?そして木に咲く花たちを見せて?
もし14年前の冬に国村と結んだ約束を、あの春の日に約束通り自分が果たせていたら?
けれどそれは出来ないまま過去へと流されてしまった、今更悔やんでも取り戻せるわけじゃない。
ふっと言葉が途切れたまま美代は俯き加減に紅茶を啜りこんでいる。
きっと美代は聴いてほしいことがまだ溜まっている、そっと周太は相槌を訊いた。
「当然、なの…?」
周太の声を呼び水のように美代は頷いた。
頷いて周太の瞳を見て微笑むと、口を開いてくれた。
「光ちゃんはね、『山』づくしでしょう?だからね、『山』の森で木の妖精と恋におちるのも…当然だと思って。ね、こういう考えって変かな?」
美代はほんとうに国村を理解している。
こういう恋人を持った国村は幸せだろうと思える、それでも国村が本当に見つめるのは美代ではない。そのことが哀しい。
どうしていいのか解らないと逃げたい気持ちが起きそうになる。
けれど周太が国村を拒絶しても、もう国村は周太を見つめることを止めはしない。いま聴いた話からも国村の本気が解る。
国村が周太に寄せた想いの14年の軌跡を聴かされて、国村の想いの深さを知ってしまった
もう逃げても無駄なこと、もう国村は動かない、そして自分も国村にすこしでも応えたい想いを誤魔化すことが出来ない。
そして大切な友達の美代からもこの今だって逃げたくはない。
聴かなくていい事、踏み込めない領域が人にはある。
けれど心と想いを重ねられる部分も人にはあるのだから、その精一杯で友達を大切に出来ないだろうか?
そんな可能性を想いながら周太は微笑んで美代に答えた。
「ううん、変じゃないよ?…『山』はね、不思議なことがいっぱいあるから。それはね、人間も同じで不思議なことがたくさんあるよ?そんなふうにね、父は教えてくれたんだ…本当にね、俺もそう思うよ?」
周太は美代の目を真直ぐに見つめながら話した。
そんな周太に美代はうれしそうに微笑んでくれた。
「うん、ありがとう。聴いてくれて信じてくれて、うれしい…今日、湯原くんに会えてよかった」
友達の笑顔がうれしいと素直に思える。
全てを話すことは出来ないけれど、出来る限り話していけたら友達として一緒にいられるかもしれない。
どうかこの大切な友達ともっと時を重ねられますように。祈りながら周太も微笑んだ。
「ん。俺もね、今日、美代さんに会えてよかったよ?」
「ほんと?良かった、あのね、私、湯原くん好きよ。なんかね、男の子だけどすごく話しやすくて、居心地いいの…なんだろうね?」
自分も同じように美代には想っている。
女の子とこんなに話したことは無かったし、男同士でもこんな話はしていない。
うれしいなと素直に微笑んで周太も答えた。
「ん、ありがとう…俺もね、美代さんは話しやすくて、一緒にいて楽しいよ?」
そんなふうに笑いあって穏やかな楽しい時間がうれしい。
雪つもる街を窓に眺めながら本と温かい飲み物で楽しんでいると、携帯の振動がふっと伝わった。
…あ、英二と国村、どうしたんだろう?
すっかり周太はふたりを忘れていた。
英二からの連絡かもしれない、そっと携帯をポケットから出して開くと知らない番号が表示されている。
なんだろうと見ていると美代が悪戯っ子の目で笑った。
「宮田くんかな?出てあげて、でも場所は内緒ね?」
「ん、…ちょっとごめんね?」
言いながら通話を繋いで周太は携帯を耳に当てた。
その受話口から聞こえたのは、透るテノールの声だった。
「ドリアード?いま、どこに浚われてる?」
なぜ知らない番号からこの声がこの名前で呼ぶのだろう?
驚いている周太に透るテノールの声が可笑しそうに笑って、そして教えてくれた。
「宮田のさ、携帯の充電が保たなそうだったんだよね。で、宮田は仕方なく俺にね、番号を教えてくれたってワケ」
「…あ、そうなの…驚いたよ?」
ほっと我に返って周太はようやく答えた。
そんな周太に電話の向こうは愉しげに笑って教えてくれる。
「居なくなっていてさ、驚いたよ?で、いま宮田はさ、充電するのにホテルに戻ってるよ。
さて、ドリアード?俺はね、君を無事に迎えに行かなきゃいけないんだ、アンザイレンパートナーとの約束だからさ」
「ん、…そうなの?…ちょっと待ってくれる?」
そっと送話口を掌で握りこんで周太は美代を振向いた。
すると美代はもうコートを着て愉しげに笑って、周太に言ってくれた。
「そろそろ私もね、帰らないといけないの。駅まで一緒に行って解散しよう?だから10分後にお迎え来てもらって」
「あ、…でも、」
「ほら、10分後って早く言ってあげて?心配しているんでしょ、」
美代は英二が周太を迎えに来ると思っているのだろう。
ほんとうは違うのに?けれどいま説明するのも良いのか解らない。
国村は美代の携帯ではなく周太の携帯に架けてきた、こんなことにも国村は自分の優先順位を真直ぐ示そうとしている。
そんな想いを裏切りたくはなくて周太は、美代に勧められるまま電話に出た。
「今から、駅まで美代さんと行くから…10分後位になると思う」
「うん、わかった。もう居なくならないでね?ま、居なくなってもさ、俺は探し出すけどね」
からり笑って国村は「またすぐ後でね、」と言ってくれた。
そっと携帯を閉じてポケットにしまうと周太も、ダッフルコートを着て選んだ本を手にとった。
会計を済ませてカフェスペースから花屋のほうへ出ると花々がやさしい色あいに美しい。
あざやかな色彩のなかで、きれいな薄紅いろのチューリップが映りこんで周太は立ち止まった。
とても可愛らしい雰囲気がいい、ふと思いついて周太は店員に声を掛けた。
「すみません、このチューリップを1本いただけますか?あの、リボンかけてください」
可愛らしいラッピングの1本のチューリップを周太は受けとった。
そして通りへ出るとチューリップを周太は美代に渡した。
「きれいだったから、ね?…素敵な隠れ家を教えてくれた、お礼、」
「いいの?…うれしい、ありがとう、」
幸せそうに笑って美代は受けとってくれた。
美代は帰って自室で一人になれば国村のことで哀しみを思い出すかもしれない。
そのときに花を見て一緒に笑った時間を思いだして、すこしでも心が慰められたら。
そんな想いと微笑んで周太は河辺駅の改札口で美代を見送った。
「こんどは大会の後に、また奥多摩に来るのよね?」
「ん。きっと来れると思うんだ…またさっきのカフェとか行きたいな、」
「うん、また行こうね?じゃ、明日は気をつけて新宿へ帰ってね、公園も楽しみにしてるね?」
こんなふうに約束できるのは楽しい。
次にまた会う時は今日買った本の話が出来るだろう。
改札の向こうの階段へと美代が降りて行ったのを見送って周太は踵を返した。
そうして振向いた視界の向こう、雪の夜へ繋がるコンコースに白い姿が佇んでいた。
「おつかれさま、楽しんだみたいだね」
底抜けに明るい目が温かく微笑んでくれる。
明るい温もりがやさしい、素直に周太は微笑んだ。
「ん、楽しかった…お迎えごめんね?でも駅から近いし、大丈夫だったのに…」
「うん?俺が君に逢いたかったからね、」
さらり率直に想いを告げて細い目が温かく笑ってくれた。
こんな言葉にも心が傾けられていく、しずかに自分の想いを見つめて周太は2つの本の袋を抱え込んだ。
行こう?と目で笑いかけられて歩き始めるとテノールの声が話しかけてくれる。
「本を買ったんだね、」
「ん。…山の植物の本で…1つは美代さんから借りた公開講座のテキストなんだ」
「ああ、一千年生きる葉っぱの話だね?俺も借りて読んだよ、面白かったな」
同じように国村も植物に興味を持っている?
ちいさな嬉しさに周太は隣を見上げて訊いてみた。
「植物に、興味あるの?」
「うん、俺は兼業農家の警察官だからね。やっぱり興味あるよ?」
同じ興味を国村も持っている。
こういうのは素直に嬉しくて周太は微笑んだ。
そんなふうに話ながら歩いて、不意に国村が周太の左掌をとった。
なんだろうと見上げた先で底抜けに明るい目が愉しげに微笑んだ。
「こっちだよ?」
そう言ってビジネスホテルとは逆側の出口へと国村は歩きだした。
違う方向に驚いて見上げると何のことは無い顔で国村は笑った。
「こっちに車、停めてあるんだ、」
「あ、…わざわざ車で来てくれたの?」
なんだかいろいろ申し訳なくて恐縮してしまう。
悪いなと思いながら掌をひかれていくと見覚えのある四駆が停まっていた。
助手席の扉を開けてくれるまま周太が乗ると、運転席へと国村も乗り込んだ。
「シートベルトしめたね?じゃ、しばしドライブつきあってね」
やさしく笑いかけて国村はクラッチを踏んだ。
すぐに走りだす四駆が通りを抜けていく。雪に白い街並の底を見つめて周太はかすかなため息を吐いた。
この夕方に抱いた英二への怒りは収められて「無償の愛」も温もりを戻している。
それでも無理強いをされた体にショックが残されていて、かすかな恐怖と不安が影うつす。
どこか塞いだ心を見つめる周太の横顔に、透るテノールの声が穏やかに微笑んだ。
「あいつね、寝てるよ?」
「…え、」
意外な言葉に驚いて周太は運転席を振向いた。
前を見て可笑しそうに笑っている横顔に、遠慮がちに周太は訊いてみた。
「…でも英二、携帯の充電をしに行ったって…」
「ごめんね、あれは嘘。あいつの携帯から勝手にさ、君の番号を赤外線で登録した」
どういうことだろいう?
よく解らなくて運転席の横顔を見つめると秀麗な口元が笑った。
「ちょっと酔い潰しちゃったんだよね。ま、軽い報復だよ?」
報復。いま国村はそう言った。
報復は「復讐」ひどい仕打ちを受けた者が仕返しをすること。
なぜ国村が英二に報復を?驚いて見つめる周太の視線の先で、ふっと静謐が微笑んだ。
「俺のドリアードをね、傷つけてくれた『復讐』だよ?」
傷つけた「復讐」それは何を意味している?
静謐に微笑む雪白の横顔は、淡々とハンドルを捌いていく。
そして気がつくと四駆は青梅の街を抜けて山間へと車窓の光景は映り変わっていた。
…「体」のこと…気がついて、くれている?
運転席の静かな横顔に心の呟きがこぼれていく。
雪の森で国村は14年の想いを周太に贈ってくれた、そして鑑識実験の説明に周太の罪を軽やかに背負ってくれた。
それから「体」を大切にしたい周太の想いを英二に代弁してくれた。
そんなふうに今日1日の間に国村は、なんども周太を大切に守ってくれている。
そしていま「傷つけてくれた『復讐』」と国村は微笑んだ。
またいま「復讐」で周太を守ろうと国村はしてくれているのだろうか?
けれど「復讐」だなんて?
いま聴いた言葉の強い重みに途惑いながら運転席の静謐を見つめていると、静かに四駆が停まった。
「ドリアード、…宮田に、体を無理強いされたね?…隠さないでよ。俺にはね、解っているから」
透るテノールの声が低く周太の心にふれてくる。
言わなくても国村は解ってくれた?そんな安らぎに周太の瞳から涙がこぼれた。
「…どうして?…」
やさしく周太の涙を白い指が拭ってくれる。
細い目が温かく笑んで静かに言葉を続けてくれた。
「さっき、カラオケ屋で君を見て気がついた。宮田に君はかすかな怯えがあるね?…そして、あいつの言葉でも解ったよ」
カラオケ屋で国村は切ない想いを映した瞳で周太を見つめてくれていた。
あの時にもう気づいてくれていたの?見つめる想いの先で国村は微笑んで口を開いた。
「あいつね、こう言ったんだ。
『周太が泣いてくれた、周太は本当に心を見つめて愛してくれている。
心を大切にするように体まで大切に想ってくれている。それは俺には考えられない幸せをくれる。
それを国村は俺以上に解ってくれている。周太の想いを解ってやれなかった俺の甘さが責任だ』
こんなふうにさ、あいつ『体』も大切だって理解は出来たんだ。それがね、俺も嬉しかったよ?君の願いが届いたってね」
やさしい眼差しで周太に「よかったね?」と笑いかけてくれる。
そんなふうに英二が解ってくれた?そんな喜びがまた心に温かい。
そして自分の喜びを一緒に笑ってくれる国村のやさしさが温かで周太は微笑んだ。
やさしい微笑みが頷いてくれる、けれど、ふっと哀しみに目を細めて国村は続けた。
「けれど、…君が『泣いた』って言った。だからね、俺は確信しちゃったんだ。
宮田は君を怯えさせ、君を泣かせた。そしてね?君が愛する宮田に怯えるなんて…原因は1つしか考えられない」
底抜けに明るい目が哀しみと周太を真直ぐ見つめている。
きれいな透るテノールは静かなままに話してくれた。
「君は宮田の体を守るために、全てを懸けて俺に銃口を向けた。そのことの意味を俺は、あいつに話したよ。
俺はね、君の想いを宮田に解ってほしかった、そして君を幸せな想いに抱いてほしかった。
そうやってね、君の幸せな笑顔を俺は、見せてほしかったんだ。それなのに、あいつは、ね?…だから許せないよ」
想いを言葉に変えながら、周太を見つめる温かな細い目から涙がこぼれた。
底抜けに明るい純粋のままとめどなく涙とふるような想いがこぼれていく。
「許せない、君を傷つけるなんて、俺は許せない。
だからね、あいつ酔い潰してやったんだよ?酒で無理に眠りにつかせて、君との時間を奪ってやったんだ。
あいつはね、君との時間をいちばん大切にしているよ?だからね、…俺は、いちばん大切なものを奪って『復讐』してやったんだ」
許せないんだと純粋無垢な怒りが静かに微笑んでいる。
こぼれ落ちる涙のまま誇らかな瞳は周太を見つめていた。
そして悪戯っ子の目で笑った涙の頬のまま、あかるく透るテノールの声が言った。
「俺は宮田に訊いたんだ、どう俺に詫びてくれるつもりなんだ?ってね。
そしたら宮田は言ったよ、俺の気が済むようにしてほしい、何でも言ってくれってさ?
だからね、俺は遠慮なく気が済むようにしたよ?君を抱く権利をね、今夜あいつから奪ってやったんだ。あいつの望み通りにね」
言われた通りにしただけだよ?そして俺は許せないんだ。
そんな真直ぐな怒りが静かなまま明るく笑って涙をこぼしていく。
きれいに微笑んだ底抜けに明るい目が周太を真直ぐ見つめて、透明なテノールの声が周太に訊いた。
「ドリアード、どうか君の本音を俺に聴かせてほしい。君は今夜、心から望んで君の婚約者に抱かれたかったかな?宮田と夜の時間を過ごしたかったかな?もし君がほんとうに心から宮田との今夜を望むなら、あいつを目覚めさせてあげる。けれど、…けれど、ドリアード?」
純粋無垢な想いが底抜けに明るい目に笑っている。
どうか本音を聴かせてよ?そんな真直ぐな問いかけを周太の瞳へ見つめて国村は言った。
「ドリアード、君はね、今夜は俺との時間を過ごしたい?俺は君の体を無理強いは絶対しない、君を欠片も傷つけたくないから。だからね、ドリアード…もし俺が君と夜を過ごす権利を貰えるならね?俺は、雪の夜の美しさを君に贈りたい」
きれいに雪白の貌が笑いかけてくれる。
哀しみに涙こぼしても明るい目が美しくて、見つめながら周太はそっと訊いてみた。
「…雪の夜の、美しさを?」
「そう、雪の夜の美しい全てをね、俺は君に贈りたいんだ」
愉しい想いを底抜けに明るい目が涙の底にも映し出す。
そして透明なテノールの声が明るく歌うように想いを告げてくれた。
「俺がもし、君と夜を過ごすなら。俺は君に夜の雪の山を見せてあげる。
雪に凍りついた湖の、夜に輝く姿を君に見せてあげる。冬富士が夜に浮き彫りになる姿だって君に見せられる。
星明りに灯る雪の花を君に見せてあげたい、雪に響く星空の音だって君に聴かせてあげる。
そんなふうに、俺はね?いちばん大切な愛する君に、俺がいちばん愛する『山』で美しい雪の夜を贈ってあげたい」
誇らかな自由の明るい告白が温かい。
どんなに愛していても冷たい英二の無理解に触れた心の傷に、国村の純粋無垢な理解が温かい。
この真直ぐな想いに自分は「今夜」どうしたいのか素直に頷きたい。
きれいに微笑んで周太は真直ぐに、涙こぼす温かな眼差しを見つめた。
「ん、…一緒にいさせて?そして美しい雪の夜を、見せて?」
あかるい幸せな、純粋無垢な笑顔が咲いた。
純粋無垢な山ヤの魂が誇らかに笑う、そして透明なテノールの声が宣言した。
「うん、一緒に見に行こう。俺のドリアード…今夜は君に、俺の愛する雪の夜を捧げるよ」
誇らかな自由と偽らない想い。
そして真直ぐ純粋無垢な想いが、雪の夜に花開く。
(to be continued)
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