萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第42話 雪寮act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-05-13 23:03:12 | 陽はまた昇るanother,side story
開かれた道、本のむこう


第42話 雪寮act.3―another,side story「陽はまた昇る」

ひと足先に帰っていた母が、扉の音で2階から降りて来てくれた。
ちょうど靴を脱いで上がる足元に、やさしい手が美代のスリッパを置いてくれる。
そして美代と周太に温かな笑顔むけて、出迎えてくれた。

「雪のなか、おつかれさま。ようこそ、美代さん。周、お帰りなさい、」
「ただいま、お母さん、」

母の出迎えが嬉しい、嬉しい気持ちで周太は自分のスリッパを履いた。
その隣で美代は、気恥ずかしげに挨拶をして微笑んだ。

「初めまして、小嶌美代です。お言葉に甘えて、おじゃまさせて頂きました。すみません、」
「周太の母です、こちらこそ急にお招きして、ごめんなさいね?でも、お部屋の準備は、ちゃんと出来ています、」

おだやかな黒目がちの瞳が愉しげに笑っている。
明るく愉しそうな母の笑顔に、ほっとしたよう美代は笑いかけた。

「お気遣いすみません。あと、バレンタインのケーキとお花、ありがとうございました。とても美味しくて綺麗で嬉しかったです、」
「よかった、気に入ってもらえたのね?今夜も楽しんでくれたら嬉しいな、さあ、どうぞ?」

嬉しそうに笑って母はリビングへと案内してくれる。
なんだか、お互いに気が合いそうな感じだな?大好きな母と友達の様子が嬉しい。
台所でエコバッグの中身を出すと、周太は母に声を掛けた。

「お母さん、俺、部屋に荷物を置いてくるね。そうしたら、夕飯の支度するね?」
「ありがとう、周。今日はね、お母さん、ワイン買ってきたんだけど、」

楽しそうに笑って母が打ち明けてくれる。
きっと前に周太が、美代も酒をわりと飲めると言ったことを母は覚えているのだろう。
だからこういうことだろうな?頷いて周太は微笑んだ。

「ん、ワインに合う食事だよね?」
「はい、お願いするね?」

そんな会話を交わしてから、周太は2階の自室に上がった。
鞄を置いてダッフルコートをハンガーにかけると、いつもの紺色のエプロンをクロゼットから出す。
そのエプロンを着こみながら、周太は階下へと降りた。

「あ、湯原くん、エプロン姿も素敵ね?」

素直に美代から褒められて、なんだか周太は気恥ずかしくなった。
こういうのは馴れていないな?首筋が熱くなりながら周太は微笑んだ。

「ん、ありがとう。でも、恥ずかしいよ?…あ、好き嫌いとかある?」
「大丈夫よ、なんでも食べるの、私、」

素直に美代は教えてくれながら微笑んだ。
それから遠慮がちに美代は母にと申し出てくれた。

「あの、良かったら私も、お手伝いさせて頂いても、よろしいですか?」
「うれしいな、ありがとう、」

気恥ずかしげに微笑んだ美代に、母は微笑んで頷いてくれる。
そして楽しそうに母が提案してくれた。

「じゃあ、3人で一緒に、お料理しましょうか?皆ですれば楽しいし、早く出来るし。周、どうかな?」

こんなふうに母に言ってもらえるのは嬉しい。
楽しそうな母の提案に周太は嬉しくて頷いた。

「ん、皆で良いね?…美代さん、お願いするね、」

そんなふうに3人で台所に立って、一緒に夕食の支度を楽しんだ。
母のエプロンを借りた美代は、3人一緒に立つ台所で手際よく上手に動いていく。
とても馴れた雰囲気に、周太は感心して訊いてみた。

「美代さん、大勢で台所に立つの、上手だね?」
「うちで母や祖母や、姉と一緒に台所するから。それに、農協のイベントでもね、みんなで豚汁作ったりするの、」
「あ、それで、馴れているんだね、」

なるほどねと納得して周太は頷いた。
母も感心そうに頷いて、愉しげに微笑んだ。

「美代ちゃん、本当にお料理、とても上手ね?光一くんも、お料理が上手だったけれど、」
「あ、光ちゃんとは比べないで下さい、」

菜箸で和え物を混ぜながら、美代は軽く首を振って微笑んだ。
そして気恥ずかしげに笑いながら率直に美代は口を開いた。

「光ちゃんはですね、おばあさんが料理の達人なんです。それで、光ちゃんも本当に上手で。私は、そこまでじゃないんです、」
「あら、とっても美代ちゃん、上手だと思うな?それに周に、味噌の作り方も教えてくれたでしょう?」
「あ、恥ずかしいですね?でも、褒めてくれて嬉しいです、」

楽しそうに2人は話しながら手を動かしていく。
こんなふうに複数で台所に立つのも楽しくて良いな?微笑んで周太は、オーブンにハーブチキンをセットした。
これをメインにして、和洋折衷の献立を考えてある。

…美代さんも、お母さんも、気に入ってくれるといいな?

今夜が楽しくなると良いな。
そんな想いで仕度を進めて、19時半過ぎに皆でダイニングに座った。
冷やした白ワインをグラスに注いで、食事を始めると美代が嬉しそうに笑ってくれた。

「おいしい、それに、きれいな盛りつけね?すごいね、湯原くん。レストランで出せるね?」

素直に感心して美代が褒めてくれる。
こんなに喜んでもらえると嬉しい、気恥ずかしさと嬉しさに周太は微笑んだ。

「ん、ありがとう。美代さんのも、すごく美味しいね?」
「ありがとう、でも私の料理って、田舎のおばあちゃんって感じで。湯原くんのは、おしゃれだし、プロみたい、」

照れながらも美代は微笑んで褒めてくれる。
そんな美代に笑いかけて、母は嬉しそうに口を開いた。

「でしょう?周はね、ほんとに上手なの。きっと主人に似てるのね、」
「おじさまも、お料理をされたんですか?」
「ええ、もうね?ほんとに、プロ級だったの、」

楽しそうに答えながら母は、ワインをひとくち飲んだ。
一緒にワインを飲んだ美代に笑いかけて、母は話し始めた。

「初めて主人に食事を作って貰った時、私ね?『仕出し屋さんを頼んだの?』って訊いちゃったの。
そうしたら主人は、自分が作ったんですけれど、って真赤に恥ずかしがって。それで私、すごく困ってしまったの、」

「どうして困ったんですか?」
「ん、お母さん、なんで困ったの?」

ふたり同時に訊いてしまった。
なんだか楽しくて可笑しい、周太と美代は顔を見合わせて笑いだした。
そんな周太と美代に母も楽しげに笑った。

「なんだか本当に、ふたりは雰囲気が似てるね?英二くんにも聴いていたけど、双子みたい、」
「あ、宮田くん、私のことも話したんですか?」

英二の名前に、ちょっと恥ずかしげに美代は微笑んだ。
きっと英二になんて言われているのか、気になるんだろうな?
そう見た先で母は楽しそうに微笑んで、率直に言ってくれた。

「はい、話してくれました。英二くんね、聡明で可愛い子で、周太の一番の友達です、って教えてくれたの。
ほんとうに英二くんが言った通りだな、って私も思って。周もね、英二くんと一緒にいるより、楽しいなって時があるんでしょう?」

母の言うとおりだと自分で思う。
素直に周太は微笑んだ。

「ん、楽しいね?…いちばん幸せなのは英二との時間だけど、楽しいのはね、美代さんと植物の話する時、だよ?」

もちろん英二と一緒の時間は、いちばん幸せで何ものにも代えられない。
けれど、大好きなことを一緒に楽しめる友人との時間は、やっぱり楽しい。
だから今日の大学での時間は、本当に楽しかった。

…あ、お母さんに訊かないと?

大切なことを思い出した。
申込み期限も迫っていることだから、今すぐ訊いた方が良いだろう。
周太はすこし姿勢を正した。

「あのね、お母さん?今日、大学で講義をしてくれた先生からね、公開講座を薦めて貰ったんだ。
週1回で1年間かけての講座でね…来れる時だけで良いからって、先生が言ってくれて。出来れば俺、受講したいんだけど、どうかな?」

なんて答えてくれるかな?
そう思いながら言い終えた周太に、母は即答してくれた。

「行きなさい、周太」

答えて母は、心から嬉しそうに微笑んでくれる。
ほんとうに嬉しそうに綺麗な笑顔で、母は言祝いでくれた。

「本当はね、お父さんは、周を学者にしたかったでしょう?だから周が大学に通うことを、きっと喜ぶわ。
ぜひ、行きなさい。本当に大好きな植物のことを、きちんと勉強して、もっと好きになったら。きっと周の役に立つはずよ?」

自分が好きなことで、父が喜んでくれたら本当に嬉しい。
そして母が言うのだから、きっと本当に父も喜んでくれるのだろう。
うれしくて微笑んで、周太は素直に頷いた。

「ありがとう、お母さん。あと、英二に訊いてみるね、」
「そうね、英二くんには相談して、決めた方が良いね?今、電話してきても良いよ?」

食事中でも中座を薦めてくれる。
それくらいに大切なことだと母は、考えてくれているのだろう。
この薦めに従おう、すこし気恥ずかしく思いながら周太は美代に笑いかけた。

「中座して、ごめんね?ちょっと電話してくるね、」
「うん、早く相談してきて?きっとOKだと思うな、それで一緒に通おうね?」
「ん、ありがとう、」

美代も同じ申込書を貰ってきた、そして一緒に通えたら計画がある。
この計画を是非、実行して美代の手助けをしたいな?
そう思いながら周太は、着信履歴から通話を繋いだ。

「周太、なにかあったの?」

コール1ですぐ出てくれた向こうが、すこしざわついている。
たぶん夕食で寮の食堂に居るのだろう、申し訳ないと思いながら周太は頷いた。

「ん…夕飯の時間に、ごめんね、英二?」
「周太の電話なら、いつでも嬉しいよ、」

きれいな低い声が笑いかけてくれる。
きっと今、大好きな笑顔が電話の向こう咲いているだろう。
きれいな笑顔を心に見つめながら、周太は口を開いた。

「あのね、英二?今日、美代さんと大学の講義に行ったでしょう?」
「うん、あの本をくれた先生の講義だよな?」

おだやかな低い声が優しく訊いてくれる。
きちんと覚えてくれている事が嬉しい、うれしい想いに頷きながら周太は続けた。

「ん、そう…その、青木先生からね、週1回の公開講座を薦めて貰ったんだ。4月の終わりから1年間で。
来られる時だけで良いからおいでって、好きな事の学問をしませんか?って声かけてくれて…行ってみたいんだけど、どうかな?」

なんて英二は答えてくれるだろう?
ほんの少しの不安を想った周太に、きれいな低い声が嬉しそうに言ってくれた。

「行ってみなよ、周太?」

賛成で即答してくれた。
この即答が嬉しいな?微笑んで周太は訊いてみた。

「いいの?」
「うん、もちろんだよ。お母さんも喜んだだろ?」
「ん、喜んでくれたよ、すごく…お父さんも、喜んでくれるって言ってくれて、」
「俺も、そう思うな?きっとね、お父さんは本当に喜んでくれるよ、」

やさしい笑顔の気配が楽しそうに伝わってくる。
うれしい気持ちでいると、英二は考えを言ってくれた。

「ちいさい頃から好きなことを、憧れの樹医から教えて貰えるんだろ?きっと楽しいよ、それに、周太の夢に繋がるかもしれない」
「ほんと?…英二、本当にそう思う?」
「うん、そう思うよ?そうしたら『いつか』の時には、その夢に周太は生きられるだろ?そんな周太の姿を、俺は見たい、」

きれいな低い声が贈ってくれる言葉が、うれしい。
こんなふうに賛成して貰えることは、当たり前じゃないだろう。

…美代さんは、大学受験自体が、反対されているんだ

さっきの電話で美代も公開講座の受講は許しを貰った、けれど大学への入学は反対されている。
そんな美代が本格的に学問を始めるためには、両親家族の理解を得ることが難しいだろう。
けれど自分は、母にも婚約者にも学問の道を賛成して貰った。
この賛成は当たり前のことじゃない、この感謝を心に見つめて周太は微笑んだ。

「ありがとう、英二、」

心からの感謝に周太は、きれいに笑った。



食事と風呂を済ませると、周太と美代は屋根裏部屋に上がった。
梯子階段を昇り、フロアーランプを点けるとオレンジの光に白とベージュの部屋が浮きあがる。
嬉しそう天窓の星空を見あげた明るい目は、心から楽しげに微笑んだ。

「すてきね、天窓のある屋根裏部屋って、憧れなの、」
「ん、ありがとう。美代さんの部屋も、素敵だったよ?」
「ありがとうね、あ、この子が小十郎?」

ロッキングチェアーの住人に気がついて、美代が訊いてくれる。
ちょっと恥ずかしいなと思いながらも、周太はテディベアを抱き上げた。

「ん、そう…俺のね、宝物なんだ、」
「お父さんの身代わりさん、ね?ほんとに可愛いクマさん。こんばんは、小十郎くん、」

嬉しそうに美代は「小十郎」の頭を撫でてくれる。
美代にもこの不思議なテディベアのことは前に話して「すてきね」と言ってもらった。
こんなふうに褒めて貰えると嬉しくて、それでも、やっぱり23歳の男としては気恥ずかしい。
さすがに照れちゃうな?首筋を赤くしながら宝物を椅子に座らせると、周太は書棚の前に立った。

「美代さん、これがね、俺が受験の時に使った、テキストなんだ…5年前のだけど、参考に、」
「あ、うれしい。見せて貰っていい?」
「ん、もちろん、」

受けとって美代はページを繰っていく。
楽しそうに眺めながら、美代は頷いた。

「うん、このテキスト解かりやすいね?湯原くんは、化学と物理だった?」
「ん、工学部だったから、その2つの方が大学に入って役に立つかな、って…美代さんは、生物と化学にする?」
「そうしたいな、物理より生物の方がずっと得意だったし…ね、生物も、教えて貰える?」
「ん、大丈夫だと思うよ?でも、美代さんの方が生物は得意じゃないのかな、」

話しながらテキストを引っ張り出すと、ライトを消して梯子階段を降りた。
そして周太の机にテキストを広げると、向い合せに座って1冊ずつ眺めはじめた。

「美代さん、苦手な科目ってある?」
「社会科目が、ちょっと苦手なの。湯原くんは、地理で受験したのね、」
「ん、そう。理科Ⅱ類だったら、社会科目はセンター試験だけで2次には無いから、大丈夫。マークシートだし、」

さっき家のパソコンでダウンロードした資料と赤本を見て、周太は微笑んだ。
美代も一緒に募集要項を見て、頷きながら答えてくれる。

「それなら頑張れそう。ね、私も地理にしようかな?今後を考えると、地形とか解かっている方が役に立つよね、」
「そうだね?目標が森林科学だと、地形や気候の知識は必要だよね…じゃあ、受験科目は、これで決まりかな?」
「うん、ありがとう、」

嬉しそうに笑って美代は、メモ帳に受験科目やテキストの出版社を書いていく。
メモを終えると、ほっと笑って美代は訊いてくれた。

「ね、テキスト買うの、明日つきあってもらえる?」
「ん、いいよ。俺も、明日は新宿に戻るから…あ、今、ちょっと問題を解いてみる?苦手が解かると、テキストも決めやすいから」
「それいい考えね、やってみる。あ、問題解いている間、よかったら宮田くんに、メールとかしてきて?」

こんなふうに美代は、いつも英二と周太が恋人だと言うことを優先してくれる。
たしかに美代も英二が好きでいる、けれど互いに英二のことを遠慮はしないと2人で決めた。
だから今も素直に頷こう、周太は笑って席を立った。

「ありがとう、ちょっとメールだけしてくるね?…じゃあ、数学からがいいかな?この模試を解いてみてね、計算用紙、これね?」
「はい、先生。解きます、」
「…先生っていうのは、恥ずかしいよ?」

そんな会話に笑いあうと、周太は屋根裏部屋に1人あがった。
フロアーライトを点けて、ロッキングチェアーに座りこむ。
クマの「小十郎」を膝に乗せて、周太はメールを作り始めた。

T o :宮田英二
subject: 今から
本 文 : いま飲み会かな?こちらは美代さんと勉強会です。
    雪で帰れないのは驚いたけれど、美代さんに遊びに来てもらえて楽しいよ。
    明日は一緒に新宿に出て、本屋と公園に行く予定です。

「…こんなんで、いいかな?」

文面を眺めて微笑むと、周太は送信ボタンを押した。
すこし部屋着の袖を捲ってクライマーウォッチを見ると、21:54と表示されている。
あの模試を解くには30分はかかるだろう。すこし間をおいて戻る方が、美代も集中できて良いかもしれない。

「…ん、ちょっと、のんびりして行こうかな?」

ちいさく微笑んで立ち上がると「小十郎」を戻して、ふるい木製のトランクの前に座りこんだ。
蓋の鍵を外して開くと、木箱が2つと父の時計ケース、それから植物採集帳が数冊入っている。
その採集帳の一番上に乗せた封筒を手にとって、カードを取出すとそっと開いた。

 “花によせる贈り主さまのメッセージ”
 
 “あなただけが、自分の真実も想いも知っている
 そんなあなただから、心から尊敬し友情を想い真剣に愛してしまった
 この純粋な情熱のまま、あなただけが欲しい。あなたの愛を信じたい。
 純粋で美しい瞳のあなたに相応しいのは自分だけ、どうか変わらぬ愛と純潔の約束を交わしてほしい
 毎夜に愛し吐息を交して、どうか毎朝に花嫁として、あなたを見つめたい
 だから約束する「あなたを愛していると最高峰から永遠に告げていく」すべてに負けない心を信じてほしい“

「…最高峰から、永遠に…」

つぶやいた言葉に周太は微笑んだ。
この婚約申込の花束に寄せたカード通りに、いつも英二は山頂の写真をメールで送ってくれる。
そんなふうに夢に輝く姿を魅せてくれるのは、恋人として嬉しくて幸せになってしまう。
それでも、同じ男としては本当は、小さな嫉妬も想っていた。
けれどこの嫉妬も、もう消えるかもしれない。

「ね、英二…俺も、好きなことを一生懸命してみるね?」

警察官として勤務しながら大学で学ぶ。
週1回の講義だけれどシフト都合で欠席も多くなるだろう、そのうえ本配属となれば尚更に解からない。
そうした条件で講義に付いていくには、独学の努力も大きく必要になる。
きっと本配属先では訓練も過酷になる、通常業務も神経を使うだろう。そんな中で学ぶことは決して容易ではない。

それでも、やってみたい。
この自分にも夢が見つけられる可能性があるのなら、挑戦したい。
自分も英二の様に夢に輝けたなら、男として人として、どんなに誇らしいだろう?
その誇りの前にはもう、小さな嫉妬など解けて消えていく。もう今ですら嬉しくて、嫉妬はどこかに消えている。
なんだか嬉しいな?そんな想いでカードをしまったとき、携帯がポケットで振動した。

「…英二、かな?」

予想と一緒に携帯を開いて見る。
その送信人名は予想通りに嬉しい、微笑んで周太は受信ボックスを開いた。

From :宮田英二
subject: 逢いたいよ
本 文 : いま1本目のビールが飲み終わるところだよ。
    勉強会は今日の講義の復習かな、周太の部屋でしているの?
    明日も楽しんでね。俺は明日は通常業務です。
    いまも周太に逢いたいよ、ちょっと俺は危ない人みたい。

「…なにが危ないのかな?」

よく解らないな?
不思議に想いながら眺めて、周太はトランクの蓋を閉じた。
そうして携帯を持って首傾げながらフロアーランプを消すと、梯子階段を降りて行った。

「あ、ちょうどいい所に戻ってくれた、」

美代が嬉しそうに笑いかけてくれる。
母から借りた部屋着姿でデスクに向かっている美代は受験生らしくて微笑ましい。
なんだか様になるな?そう思いながら微笑んだ周太に、美代は模試の答案を渡してくれた。

「いちおう全部解きました。ね、採点ほか、お願いできる?」
「ん、もちろん…早かったね、」

答えながら周太は、次に化学の模試を美代に示した。

「これを解いてみてね?その間に数学を見ておくから、」
「はい、よろしくお願いします、」

素直に頷いて美代は問題を解きはじめてくれる。
周太は赤ペンを持つと、数学の採点を始めた。



ひと通りの勉強が終わったのは、午前0時半を過ぎた頃だった。
お互いに頭をフル稼働させた疲れがある、けれど満足にふたりで笑いあった。

「美代さん、やっぱり頭良いんだね?…今これだけ出来たら、十分に来年の1月には間に合うと思うな、」
「ほんと?うれしい…ね、夢みたい、私が、大学に行けるかもしれないなんて、」

心から嬉しそうに美代が笑ってくれる。
きっと大学で学べる可能性が幸せで嬉しいのだろう、友達の笑顔を嬉しく見ながら、周太は美代の発言に軽く修正をした。

「美代さんは、東大に受かる可能性が大きい、ってことだよ?」
「…ほんとに?…森林科学専攻、行けるかな?」

すこし心もとなげに、けれど期待もこめて訊いてくれる。
周太は想ったとおりに頷いた。

「ん、このまま勉強して行けば。ね、青木先生にも言われたでしょ?挑戦前に諦めたらダメ、って」
「うん、」

―…君が、東大に入るんです。そして、よかったら私の研究室に入ってください。挑戦前に諦めたら、ダメですよ?

青木樹医は美代にそう笑いかけて、青い本に詞書を寄せてくれた。
書いてくれたあと青木樹医は「恥ずかしいから帰ってから読んで下さい」と微笑んだから、研究室では読んでいない。
あの詞書を美代は、もう読んだのだろうか?周太は美代に訊いてみた。

「美代さん、先生、なんて書いてくれたの?」
「私もね、まだ読んでみていないの。湯原くんと、一緒に読もうって思って、」

美代は幸せそうに微笑んで、鞄から青い本を出してきた。
青い分厚い本を大切そうにデスクに載せると、そっと美代は表紙を開いた。


 扉の前に立つ君へ

 いま君は道の入口に立ちました。
 その道は険しく思えるかもしれない、超えられないと立ち止まるかもしれない。
 それでも思い切って超えたなら、大きくなった君を見つけられるはずです。
 なにごとも結果は大切でしょう、けれど、それ以上に大切なことは道に立つ勇気です。
 成ろうと成るまいと、信じて夢に向かい努力を続けていく。
 その勇気こそが学問を志す者の資質であり、心大きな人の道です。
 挑戦を始め、続けていく。
 この勇気を見つめるかぎり、君の夢は君と共に歩き続け、君の人生は豊穣の時に織りなされるでしょう。
 どうか君の夢に誇りを持ち続けて下さい、勇敢な学徒こそが学問に誇りを築くのだから。
 君が、豊かなる学問と人生を拓かれることを祈ります。       樹医 青木真彦


「…ん、すてきだね、美代さん?」

ほっと溜息吐いて周太は微笑んだ。

「なろうとなるまいと、信じて、続けていく、勇気…すてきだね、」

モンブラン万年筆が綴った言葉が周太の心にも沁みていく。
あの樹医に学問を教わったら、きっと「豊穣の時」だろうな。
そんな想いと見つめる周太に、可愛らしい声が言ってくれた。

「ね、私、精一杯、頑張ってみたいな、」

きれいな明るい目が笑いかけてくれる。
幸せに笑う目は強い意志と、そして一滴涙あふれた。

「私ね、本気で力いっぱい努力したこと、無いの。いつもね…親に言われた通りに、しちゃってたの、」

きれいなアーモンド形の目から涙がこぼれる。
可愛らしい笑顔のままに泣いて、美代は話してくれた。

「言われるまま農業高校に入って、お父さんが決めた通りに農協に就職して。どれもね、嫌じゃないの、どれも楽しいの。
でもね…自分で自分のこと、選んでみたい、って今、本気で想えるの。だから、私、絶対に、諦めたくないな、頑張りたいな、」

強い意志あかるい目が、周太を真直ぐ見つめてくれる。
ひとつ呼吸して、美代はきれいに笑った。

「私、東大の理科Ⅱ類に合格する。そして農学部に進んで、森林科学専攻に行きます。私の夢を本気で、自分で掴みに行くね、」

きれいな明るい目から、きらきら涙がこぼれていく。
綺麗で、落ちるのが勿体なくて、そっと周太の掌は美代の頬を拭った。

「ん、…本気で想えるのって、嬉しいね?」
「うん、いま、すごく嬉しいの…あのね、ほんとのこと、言って良い?」
「ん、」

なにを言ってくれるのかな?
そう見つめて掌をおろした周太に、可愛らしい声は恥ずかしそうに教えてくれた。

「あのね、ほんとのこと言うとね。私、光ちゃんがずっと羨ましかったの。いつも自由で、夢を追って好きなことして。
いいなあ、楽しそうだなあって…そういう羨ましくて見惚れる気持ちをね、恋なのかな?って勘違いしていたの…ね、私って馬鹿ね?」

恥ずかしげに美代の頬が赤くなっていく。
美代は女性だけれど、周太と同じ気持ちを抱いている。その連帯感がなんだか嬉しい。
しかも「羨望」と「恋」を混濁した所が純粋な美代らしい、周太は納得しながら微笑んだ。

「ばかとか思わないよ?羨ましくて見惚れる、って俺は解かるから…俺もね、いつも見惚れるから、」

素直な想いが言葉になってくれる。
そんな周太に美代は、嬉しそうに笑ってくれた。

「ほんと?…宮田くんとか、光ちゃんとか?」
「ん、そうだよ?同じ男としてね、夢があって、仕事に誇りを持てるのは、羨ましいなって…英二にはね、恋と一緒にあるんだ、」

すこし言葉を切って周太は微笑んだ。
こんなことは男として、どこか悔しいから人にあまり話せない。だから吉村医師や青木樹医にしか話していない。
けれど今、美代には素直に話せてしまう。
きっと美代から本音を教えてくれたからだろうな?周太は正直に想いを話した。

「同じ男だからね、余計に比べちゃうんだ。とくに英二や光一はね、体も男らしくて大きいでしょ?
俺、体が小さいから…体格も、ひけ目になってて…でも、夢とか誇りは心のことだから、体が小さくても大きく出来るよね?
だから、俺も夢を見つけに、青木先生の講義に行こうって…週1回も通えないかもしれないけれど、頑張りたいな、って考えてる、」

話しを聴いてくれる美代の目から、また涙がこぼれていく。
明るい泣き顔のまま、そっと指で涙拭うと美代は笑ってくれた。

「私たち、同じね…私たち、同士ね?私たち、協力しあえるね?」

涙拭いながら、明るい笑顔が花咲いていく。
こういう「同じ」は嬉しい、周太は笑いかけた。

「ん、同じだね?協力し合って、一緒に勉強しよう?」
「うん、ありがとう。頼りにしています、」

嬉しそうに笑って周太に言ってくれる。
すこし困ったよう、けれど、悪戯っ子に美代の目が微笑んだ。

「私、本当に味方は湯原くんだけなの。受験のこと、職場でも言えないし、友達も無理なの、」
「あ…みんな、家の人と親しいから?」
「そうなの。もうね、誰が何したとか筒抜けちゃうの、田舎って。みんな親戚だったりするから、」
「そういうものなんだ、」

それでは誰にも言えないだろうな?
けれど周太のことは信頼して、美代は話してくれた。
この信頼がうれしい、きれいに周太は美代に笑いかけた。

「絶対に、誰にも言わないよ?そして、美代さんの夢の、協力をする。だから俺もね、なるべく公開講座に出席するね、」
「うん、」

嬉しそうに美代が笑ってくれる。
笑いながら周太の手をとると、指切りげんまんをしてくれた。

「一緒に出席してね?そして講義の前後に、私の受験勉強を見て下さい。よろしくお願いします、」
「ん、約束だね?…電話とかで訊いてくれても、良いからね?」

協力して、夢を追う。
夢のパートナーになる約束を結んで、ふたり春雪の夜に笑いあった。




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