花の記憶、微笑んで
第43話 花惜act.1―side story「陽はまた昇る」
御岳駐在所のパソコンの前、英二はかすかに微笑んだ。
画面には国村が呼び出した人事ファイルの、自分の履歴書が映しだされている。
そこは自分以外の欄は、空白だった。
「ちゃんと全部消えたね、良かったな?」
テノールの声が笑ってくれる。
莞爾と笑う秀麗な貌に英二も笑いかけた。
「うん、良かった。ありがとう、」
「どういたしまして、だよ?」
底抜けに明るい目が笑って、画面を巧妙に閉じていく。
閉じられていく画面を見つめながら、自分の道を英二は眺めていた。
新宿御苑は万朶の桜に埋もれる。
花びらが舞いふる門へと歩いていくと、紺青色の制服姿が目に映りこんだ。
花見あげる頬は薄紅いろに染まって、嬉しげに微笑んでいる。
きっと満開の花が嬉しいんだろうな?そんな想い計りに英二は呼びかけた。
「周太、」
呼ばれた名前に、制服姿がふり向いてくれる。
咲き誇る桜うつした薄紅の頬は、幸せに英二へと微笑んだ。
「英二?…」
名前呼んでくれる声が嬉しい。
嬉しくて素直に笑ったそのときに、ふわり風がブラックスーツのジャケットを翻した。
「…あ、花が、」
愛しい声のむこう、薄紅の花びらが舞いふっていく。
花ふる下の姿には、桜に始まり終った1つの物語が蘇えるよう想えてしまう。
―馨さん?この場所で、恋に出逢ったんですよね…
26年前の春の夜、この桜の下に生まれた恋。
その恋が育まれ、生まれた命と心は今、この桜を見あげ佇んでいる。
この万朶の桜咲く下で、愛するひとは花散る風に微笑んだ。
「桜、今日、満開になったんだ…ね、英二?やっぱり、今日だから咲いてくれたかな、」
桜が今日、満開になる意味。
この意味に英二も頷いて、きれいに笑いかけた。
「うん、お父さんの亡くなった日だからだ、って俺も思うよ?」
「ん、…英二がそう言ってくれると、嬉しいな?あ、」
ちいさな声と一緒に、紺青色の制帽が風に浚われた。
薄紅色の花びらと一緒に、中天へと舞い昇っていく。
やわらかな髪を風に遊ばせながら、黒目がちの瞳が帽子を追っていく。
花舞うなか黒髪ゆらめく姿に見惚れかけながら、英二は長い腕を空へと伸ばした。
白皙の長い指先に、紺青色の制帽が掴まえられる。
掴んだ帽子を手渡しながら、英二は婚約者に微笑んだ。
「警邏、お疲れさま。もう交替だよな?」
「ん、ありがとう…さっきね、交替の引継ぎしたから、署に戻ろうって思ってたとこ、」
卯月、万朶の桜咲く日。
新宿御苑では春の園遊会が華やいでいる。
この今と同じように、14年前も華やかな春の陽なかの今日だった、
けれど、14年前に迎えた春の夜は、ひとつの恋愛と生命が散り急いだ。
「英二、スーツで来てくれたんだね?」
黒目がちの瞳が微笑んで訊いてくれる。
ブラックスーツのジャケット翻しながら、愛する瞳のために英二は綺麗に笑った。
「うん。俺は初めてだしね、やっぱり、礼は尽くしたいから。でも、ネクタイはして来なかったけどね?」
舞いふる桜の日。
喪の色を纏う今日は、周太の父、馨の命日。
「英二、どこで待っててくれる?…クリスマスの時の、カフェ?」
「うん、そこで待ってる、」
待合せ場所の約束をして、新宿署に戻っていく周太を英二は見送った。
小柄な背中が完全に見えなくなる。見済まして、ちいさく英二は微笑んだ。
「…ごめんね、周太、」
ポケットから黒いネクタイを出す。
手際よく衿元に端整に締めると、英二は新宿署ロビーに踏みこんだ。
昼下がりの今、どこか署内は閑散として、静かな息を潜めている。
ゆるやかな窓の陽に鎮まるベンチを見遣ると、英二は自販機コーナーに進んだ。
前にも見た通りの商品を目で追って、2つの缶を買い求める。
そうして窓辺に向かうベンチへと、英二は腰をおろした。
ことん、
ココアの缶を隣に置いて、ワイシャツの胸元に長い指でふれる。
指先に堅い合鍵の輪郭がふれてくれる、この鍵の持主に英二は微笑んだ。
「…お父さん、約束を叶えさせてもらいますね、」
26年前に馨が遺した、愛しい家族との約束たち。
これを叶えるために今日は帰って来た。
そして、たぶんもう1つの目的も今日、果たされるだろう。
きっと、現れるのだろうな?
予想に微笑んで、もう1つのココア缶のプルリングを引いた。
かつんと小さく音立てて缶が開かれる。
あまい香に笑って口をつけると、温かな甘さが喉を降りていく。
今夜もこの香を楽しむことになるんだろうな?楽しい切ない予定を想いながら、英二はココアを飲干した。
空の缶をダストボックスに落としこんで、ベンチにまた座る。
その背中に、視線を感じて英二は微笑んだ。
―ほら、来た、
視線の数は2つある。
今日という日だからこそ、この時間だからこそ。きっと彼らは2人そろって確かめに来るだろう。
そんなこと容易く予想が出来てしまう。
「…ようこそ、箱庭の住人たち、」
つぶやいた独り言に英二は小さく笑った。
こんなに自分は偉そうだ?あの自信満々なパートナーに、自分もしっかり感化されているな?
でも、自信過剰なくらいじゃなかったら、50年の束縛なんて断ち切れない。
「お父さん、…俺と、パートナー組んでくれていますよね?」
ベンチに置いたココアに笑いかけて、そっと長い指で缶をとる。
そして立ち上がった喪色の背中へと、怯えたような視線が2つふれた。
うつむき加減のまま振向いて、ゆっくり出口へと歩き出す。
長く白い指にダークブラウンの缶を掴んだまま、英二は2人の男の前に足を運んでいく。
「…っ、」
息を呑む気配が空気越しに伝わって、かすかな恐怖心が行く手に起きた。
いま自分は、亡霊なのだろうな?そんな考えに心で笑って、男2人とすれ違いざま、哀しみの陰翳に英二は微笑んだ。
「桜、満開ですね、」
哀切の想い笑顔に見せて歩き去りながら、英二は男達の目を見た。
動揺を隠す目、怯えた目、困惑の目。それから「おまえは何者だ?」という疑問。
そんな視線が4つの目から向けられるなか、陰翳の笑顔のまま英二は桜の街へと出て行った。
明るい昼間の街に、薄紅の花びらが時おり舞ってくる。
花が舞うなか結び目に長い指をかけて、黒いネクタイを衿から抜きとった。
くるり畳んでポケットに仕舞うと、青い空を見上げながら英二は微笑んだ。
「やっぱり、お仲間なんだね、あなた達は、」
50前後の身形の良い男。
40代の憔悴した頬と鋭い目つきの男。
この2人が揃って、園遊会警邏が終わった頃合に、新宿署ロビーの窓際のベンチを確かめに来た。
あの場所は、馨が最後にココアを飲んだ場所。
あの日の馨は園遊会警邏で新宿に呼ばれた、警邏の後は新宿署の射撃指導を行って、そしてベンチに座った。
それから1時間も経たずに、馨は一発の銃弾に斃れた。
あの場所に、あのタイミングで、現れる。
それがどんな符号なのか?
26年前の今日を知るならば、簡単に解かることだろう。
そして彼らからすれば今日、あの時間あの場所に、黒い服で現れた姿は、どんな意味を持つ?
ブラックスーツ姿で英二は、花舞う空に笑った。
クリスマスの朝に入ったカフェに着くと、窓際の席に案内された。
陽だまりの心地いいソファに座ると、英二は店員に笑いかけた。
「ブレンドを下さい、すこしぬるめで、」
「ホットでぬるめ、ですね?」
若い女性の店員がすこい首傾げ訊いてくれる。
たしかに不思議な注文だろうな?きれいに笑って英二は頷いた。
「俺、ちょっと猫舌なんです。でも、すぐ飲みたくて。お願い出来ますか?」
お願いしていいかな?
そう目で笑いかけて、華やかに英二は微笑んだ。
そんな英二の笑顔に見惚れたよう、頬赤らめながら彼女は頷いてくれた。
「はい、あの、出来ます。すぐ、お持ちしますね、」
「よかった、ありがとう、」
嬉しそうに英二は綺麗に笑いかけた。
可愛らしく頬染めて、彼女は急いでカウンターへと戻ってくれる。
すこしだけ窓の外をながめているうちに、ぬるめのカップが運ばれてきた。
「このくらいの温度で、いかがですか?」
カップに指でふれてみると、ちょうど好さそうでいる。
これなら大丈夫だろな?頷いて英二は微笑んだ。
「大丈夫みたいです、ありがとう、」
感謝して笑いかけた英二に、彼女の頬がまた染まっていく。
英二の笑顔に嬉しげな笑顔向けながら、ウェイトレスが言ってくれた。
「いえ、あの…猫舌なんて、可愛いですね?」
「よく言われます、」
さらり笑いかえした英二に、彼女は「ゆっくりされて下さいね?」と微笑んでカウンターへ戻っていった。
まだ視線を横顔にうけたまま、英二は窓の外へ目を向けるとカップに口をつけた。
そのまま半分ほど飲みほして、ほっと息を吐いた視線の先に小柄な姿が映りこんだ。
「…よかった、」
そっと呟いて英二は、カップをテーブルに戻した。
その後ろで扉が開く音がして、大好きな声が笑いかけてくれた。
「お待たせ、英二…ごめんね、待たせちゃって、」
すこし息がはずんでいる。
きっと急いで走ってきたのだろうな?可愛くて、英二は愛しい想い微笑んだ。
「大丈夫だよ、周太?」
「あ、コーヒーだいぶ飲んじゃったね?…待たせたから、」
困ったように見つめてくれる。
これなら上手に信じて貰えたのだろう、きれいに英二は笑いかけた。
「気にしないでいいよ。周太も何か飲む?それとも、昼飯の店でなんか飲む?」
「ん、…あの、そのコーヒー貰っちゃダメ?」
やっぱりチェックが入るんだな?
考えて正解だったと思いながら、素直に英二はカップを差し出した。
「俺ので良いなら、どうぞ、」
「ありがとう、」
嬉しそうに微笑んでカップを受けとってくれる。
そっと飲み干すと、周太は笑いかけてくれた。
「ぬるくなっちゃったね?…待っていていくれて、ありがとう、」
ずっとここで英二は待っていた。
新宿署には一歩も足を踏み入れていない、そう信じて貰えた。
信じて貰えて良かったと思いながら、英二は綺麗に笑った。
「うん、待ってたよ?」
―…英二、お父さんの身代わりになって、新宿署の署長と会ったでしょう?
SATの隊長らしい人にも、同じことしたよね?…お願い、止めて?
危険なこと、しないで?俺のために…嫌なんだ、俺のために英二が傷つくなんて…嫌!
鋸尾根の雪崩に遭い、昏睡状態から覚めた時、周太は英二にお願いしてくれた。
だから英二は約束をした。もう身代わりはしない、そう約束をして周太に安心して貰っている。
けれど、相手を炙りだすには「そっくりな陰翳の微笑」は必要だから、約束は守れない。
亡霊が現れる
罪悪感のある人間は皆、この亡霊を確かめにやってくる。
もう関係者はあらかた調べはついている、けれどその裏付けとして炙りだしてやりたい。
なによりも、罪悪感を煽って怯えさせてやりたい。
―すこしは味わえばいい、苦しみを…罪悪感も、何もかも
法で裁くことは、出来ない。
すべてが合法だったから、司法の名の下に行われたことだから、裁けない。
けれど、どんなに法が許しても、罪は罪。
この罪の名の下に、誤魔化せない自分の心の呵責に、苦しめばいい。
すこしでも苦しんで、誤魔化し続けた「罪」を見つめて、恐怖に怯えていればいい。
それで彼らの心が壊れたって、自分の知った事じゃない。
苦しめばいい、後悔に這いつくばればいい。
勝手に自滅して自壊して、恐怖に怯えて死んで、泣いて侘びに行けばいい。
唯ひとつの幸福だった桜めぐる物語すら、自ら絶切った贖罪の哀切と50年縛られる苦痛を知ればいい。
「英二、見て?窓の外、すごい花吹雪だよ?」
嬉しそうな声に、英二は意識を恋人に戻した。
幸せそうに窓ふる花を見て、きれいな笑顔が心から咲いてくれている。
この笑顔を守るためなら、自分は何だって出来る、冷酷な仮面だって厭わない。
守るためになら、嫌いな「嘘」だって貫き通して見せる。
「うん、きれいだな?出よう、周太。花びら、掴まえたいんだろ、」
愛しい恋人に心から優しい笑顔を向けて、英二は立ち上がった。
会計を済ませて外へ出ると、やさしい風が花を運んでくれる。
花のふる街を歩きだすと、ちいさく周太がくしゃみした。
「大丈夫?周太、」
今日の周太はライトグレーのスラックスに白いシャツと、フォーマルな雰囲気のカーディガンを着ている。
すこし風があると寒いだろう、英二はジャケットを脱ぐと周太に着せた。
「ありがとう、英二…でも、英二がシャツだけになっちゃうよ?」
「俺は大丈夫だよ?いつも寒い所で生活しているし、」
笑いかけながら見る周太は、大きなジャケットが可愛らしい。
そういえばカジュアルラインのジャケットを周太は持っていないな?思いついて英二は、周太の手を繋いで笑いかけた。
「周太、ちょっと昼の前に寄り道するよ?」
すこし歩いて、いつものセレクトショップに着くと英二は扉を開けた。
久しぶりに訪れる店は、昼時で空いている。
「いらっしゃいませ、お久しぶりです、」
懐かしい店員の笑顔が迎えてくれる。
きれいに英二は笑いかけて、階段へと足を向けた。
「お久しぶりです、見せて貰いますね?」
「はい、ごゆっくり、」
店員も、英二は自由に選ぶのを知っているから、ほどよく距離を作ってくれる。
こういう気遣いはありがたいな、思いながら英二は周太を2階へと連れて行った。
「きれいな色がいいな…これ、どう?」
「…あ、ん、…あの、」
「あと、これな?スーツになってるから、便利だよ」
手早く選んで、周太に見せていく。
途惑っている周太から英二のジャケットを脱がせると選んだものを着せた。
「うん、周太、かわいい、」
「あの、えいじ?…ほんとに、悪いから、ね?」
遠慮がちに周太が申し出てくれる。
そんな様子も可愛いと思いながら、英二は笑いかけた。
「悪くないよ、周太?婚約者に服を買って、なにが悪いの?ありがとう、って言ってほしいな?」
言われて周太の頬が桜いろに染まりだす。
そして恥ずかしげに小さな声で頷いてくれた。
「…ん、ありがとう…これで良いの?」
こんな顔で「ありがとう、」なんて言われると、買い占めたくなります。
「うん、良いよ。周太、他に欲しいものある?」
「ううん、…気を遣わせて、ごめんね?」
「気を遣っていないよ、俺がしたいだけ、」
ほんとうに、自分がしたいだけ。
自分が選んだものを着てほしいだけ、いつも自分の気配を感じてほしいから。
そうして少しでも多く自分を想ってほしい、もっと自分に恋してほしい。
そして自分だけ見つめて、自分だけに恋愛してほしい。
周太の初恋は、自分の大切なアンザイレンパートナーが相手。
そんな国村は周太を想いつづけている、諦められないのだと自分も知っている。
それが哀しい、国村の叶わぬ想いは哀しくて切ない。もう国村は、比べられない程に大切な相手だから。
だからこそ国村にも、心繋げた相手と体を繋げたい願いを叶えてやりたい、その幸福を教えてやりたい。
それなのに周太には、自分だけの恋人で居てほしいと、本音は願っている。
―ごめん、国村…やっぱり俺は、離せないよ?周太の願いを、叶えたいんだ
すこしも離せない、このひとの願いを叶えて、このひとの全てが欲しい。
他の全てを懸けても欲しくて、だから嘘だって吐けるし冷酷にもなれる。
この愛するひとが自分の傍にいてくれるなら、どんな願いでも叶えてしまいたい。
こんな自分は本当に恋の奴隷で、愛する恋の主人しか見えていない。
すこしでも喜んでもらえると嬉しくて、笑顔が見たくて、つい何でもしたくなる。
こんなにも大好きな人の手を曳いて、選んだ2着とも抱えると英二は階下へ降りた。
「これはタグを外してください、すぐ着ますから、」
「はい、かしこまりました、」
快く引き受けて店員はチャコールグレーのジャケットからタグをとってくれる。
濃い色だけれど、あわいブルーのストライプが周太に似合う、そう思って英二は選んだ。
準備して貰ったジャケットを受けとると、英二は周太に着せかけた。
「これで寒くないな?うん、似合うよ、」
「ん、…ありがとう、」
気恥ずかしげに礼を言ってくれる唇に、キスしたくなってしまう。
それどころか本音を言えば、恋人の夜の時間が今すぐ欲しくて仕方ない。
これから自分たちは墓参に行く、それも周太の父の命日当日だと言うのに。
それなのに、こんなことばかり考えている自分は、どうなのだろう?
『ホントおまえ、鬼畜弩級エロ』
北穂高岳で国村に言われた言葉がうかんだ。
たしかに自分は、あの言葉に反論なんか出来やしないだろうな?
そんな「仕方ない」を想いながら英二は、店員から紙袋を受け取った。
「お待たせ、周太、」
笑いかけて外へ出ると、植込みの桜が風に揺れている。
ゆるやかな風に舞う花びらを、嬉しそうに周太は掌で受け留めた。
「ね、上手に受けとめられたよ、俺、」
「うん、見てたよ?」
楽しげに花びらを手帳に挟みこんでいる様子は、無邪気で可愛らしい。
これで自分と同じ年齢の男なことが、不思議に想ってしまう。
けれど周太は既に母を支えて、長男として主夫として家を守っている。
そうした責務をきちんと果たしながらも、純粋無垢なままでいる恋人が愛しい。
愛しい想いに英二は、花を見あげている周太をひきよせた。
「ん…英二?」
不思議そうに見つめてくれる、この黒目がちの瞳が愛しい。
この愛しい人を桜の花翳に隠すよう、そっと肩寄せると英二は唇を重ねた。
そっとふれるだけのキス。
やさしい花の香をはさみこんだキス、おだやかで甘い香が融けあっていく。
ふれて、静かに離れて英二は恋人に微笑んだ。
「キス、桜の香だったよ?」
「…はずかしいからそういうこといわれるの…ここそとだしはずかしいから…」
赤くなりながら恥ずかしがってくれる。
けれど、英二を見あげると周太は、幸せに笑ってくれた。
「でも、…うれしい、逢いたかったから、」
自分こそ、本当はずっと逢いたかった。
川崎の家での静養から奥多摩に戻って、ずっと逢いたかった。
「俺こそ、ずっと逢いたかったよ。だからキス、我慢できなくなっちゃった、」
正直な想いのまま英二は笑いかけた。
笑いかけた先、首筋を赤くそめながら黒目がちの瞳が笑ってくれた。
「ん、…ほんとうはね、俺も、その…したかったの、」
こんな告白は、ちょっと幸せすぎます。
「そんなこと言われると、ほんとに困るよ?」
ほんとうに困ってしまうな?
見境なくこんなところで、たくさん抱きしめたくなるから。
そんな気持ちを宥めながら英二は、桜の下で微笑んだ。
(to be continued)
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第43話 花惜act.1―side story「陽はまた昇る」
御岳駐在所のパソコンの前、英二はかすかに微笑んだ。
画面には国村が呼び出した人事ファイルの、自分の履歴書が映しだされている。
そこは自分以外の欄は、空白だった。
「ちゃんと全部消えたね、良かったな?」
テノールの声が笑ってくれる。
莞爾と笑う秀麗な貌に英二も笑いかけた。
「うん、良かった。ありがとう、」
「どういたしまして、だよ?」
底抜けに明るい目が笑って、画面を巧妙に閉じていく。
閉じられていく画面を見つめながら、自分の道を英二は眺めていた。
新宿御苑は万朶の桜に埋もれる。
花びらが舞いふる門へと歩いていくと、紺青色の制服姿が目に映りこんだ。
花見あげる頬は薄紅いろに染まって、嬉しげに微笑んでいる。
きっと満開の花が嬉しいんだろうな?そんな想い計りに英二は呼びかけた。
「周太、」
呼ばれた名前に、制服姿がふり向いてくれる。
咲き誇る桜うつした薄紅の頬は、幸せに英二へと微笑んだ。
「英二?…」
名前呼んでくれる声が嬉しい。
嬉しくて素直に笑ったそのときに、ふわり風がブラックスーツのジャケットを翻した。
「…あ、花が、」
愛しい声のむこう、薄紅の花びらが舞いふっていく。
花ふる下の姿には、桜に始まり終った1つの物語が蘇えるよう想えてしまう。
―馨さん?この場所で、恋に出逢ったんですよね…
26年前の春の夜、この桜の下に生まれた恋。
その恋が育まれ、生まれた命と心は今、この桜を見あげ佇んでいる。
この万朶の桜咲く下で、愛するひとは花散る風に微笑んだ。
「桜、今日、満開になったんだ…ね、英二?やっぱり、今日だから咲いてくれたかな、」
桜が今日、満開になる意味。
この意味に英二も頷いて、きれいに笑いかけた。
「うん、お父さんの亡くなった日だからだ、って俺も思うよ?」
「ん、…英二がそう言ってくれると、嬉しいな?あ、」
ちいさな声と一緒に、紺青色の制帽が風に浚われた。
薄紅色の花びらと一緒に、中天へと舞い昇っていく。
やわらかな髪を風に遊ばせながら、黒目がちの瞳が帽子を追っていく。
花舞うなか黒髪ゆらめく姿に見惚れかけながら、英二は長い腕を空へと伸ばした。
白皙の長い指先に、紺青色の制帽が掴まえられる。
掴んだ帽子を手渡しながら、英二は婚約者に微笑んだ。
「警邏、お疲れさま。もう交替だよな?」
「ん、ありがとう…さっきね、交替の引継ぎしたから、署に戻ろうって思ってたとこ、」
卯月、万朶の桜咲く日。
新宿御苑では春の園遊会が華やいでいる。
この今と同じように、14年前も華やかな春の陽なかの今日だった、
けれど、14年前に迎えた春の夜は、ひとつの恋愛と生命が散り急いだ。
「英二、スーツで来てくれたんだね?」
黒目がちの瞳が微笑んで訊いてくれる。
ブラックスーツのジャケット翻しながら、愛する瞳のために英二は綺麗に笑った。
「うん。俺は初めてだしね、やっぱり、礼は尽くしたいから。でも、ネクタイはして来なかったけどね?」
舞いふる桜の日。
喪の色を纏う今日は、周太の父、馨の命日。
「英二、どこで待っててくれる?…クリスマスの時の、カフェ?」
「うん、そこで待ってる、」
待合せ場所の約束をして、新宿署に戻っていく周太を英二は見送った。
小柄な背中が完全に見えなくなる。見済まして、ちいさく英二は微笑んだ。
「…ごめんね、周太、」
ポケットから黒いネクタイを出す。
手際よく衿元に端整に締めると、英二は新宿署ロビーに踏みこんだ。
昼下がりの今、どこか署内は閑散として、静かな息を潜めている。
ゆるやかな窓の陽に鎮まるベンチを見遣ると、英二は自販機コーナーに進んだ。
前にも見た通りの商品を目で追って、2つの缶を買い求める。
そうして窓辺に向かうベンチへと、英二は腰をおろした。
ことん、
ココアの缶を隣に置いて、ワイシャツの胸元に長い指でふれる。
指先に堅い合鍵の輪郭がふれてくれる、この鍵の持主に英二は微笑んだ。
「…お父さん、約束を叶えさせてもらいますね、」
26年前に馨が遺した、愛しい家族との約束たち。
これを叶えるために今日は帰って来た。
そして、たぶんもう1つの目的も今日、果たされるだろう。
きっと、現れるのだろうな?
予想に微笑んで、もう1つのココア缶のプルリングを引いた。
かつんと小さく音立てて缶が開かれる。
あまい香に笑って口をつけると、温かな甘さが喉を降りていく。
今夜もこの香を楽しむことになるんだろうな?楽しい切ない予定を想いながら、英二はココアを飲干した。
空の缶をダストボックスに落としこんで、ベンチにまた座る。
その背中に、視線を感じて英二は微笑んだ。
―ほら、来た、
視線の数は2つある。
今日という日だからこそ、この時間だからこそ。きっと彼らは2人そろって確かめに来るだろう。
そんなこと容易く予想が出来てしまう。
「…ようこそ、箱庭の住人たち、」
つぶやいた独り言に英二は小さく笑った。
こんなに自分は偉そうだ?あの自信満々なパートナーに、自分もしっかり感化されているな?
でも、自信過剰なくらいじゃなかったら、50年の束縛なんて断ち切れない。
「お父さん、…俺と、パートナー組んでくれていますよね?」
ベンチに置いたココアに笑いかけて、そっと長い指で缶をとる。
そして立ち上がった喪色の背中へと、怯えたような視線が2つふれた。
うつむき加減のまま振向いて、ゆっくり出口へと歩き出す。
長く白い指にダークブラウンの缶を掴んだまま、英二は2人の男の前に足を運んでいく。
「…っ、」
息を呑む気配が空気越しに伝わって、かすかな恐怖心が行く手に起きた。
いま自分は、亡霊なのだろうな?そんな考えに心で笑って、男2人とすれ違いざま、哀しみの陰翳に英二は微笑んだ。
「桜、満開ですね、」
哀切の想い笑顔に見せて歩き去りながら、英二は男達の目を見た。
動揺を隠す目、怯えた目、困惑の目。それから「おまえは何者だ?」という疑問。
そんな視線が4つの目から向けられるなか、陰翳の笑顔のまま英二は桜の街へと出て行った。
明るい昼間の街に、薄紅の花びらが時おり舞ってくる。
花が舞うなか結び目に長い指をかけて、黒いネクタイを衿から抜きとった。
くるり畳んでポケットに仕舞うと、青い空を見上げながら英二は微笑んだ。
「やっぱり、お仲間なんだね、あなた達は、」
50前後の身形の良い男。
40代の憔悴した頬と鋭い目つきの男。
この2人が揃って、園遊会警邏が終わった頃合に、新宿署ロビーの窓際のベンチを確かめに来た。
あの場所は、馨が最後にココアを飲んだ場所。
あの日の馨は園遊会警邏で新宿に呼ばれた、警邏の後は新宿署の射撃指導を行って、そしてベンチに座った。
それから1時間も経たずに、馨は一発の銃弾に斃れた。
あの場所に、あのタイミングで、現れる。
それがどんな符号なのか?
26年前の今日を知るならば、簡単に解かることだろう。
そして彼らからすれば今日、あの時間あの場所に、黒い服で現れた姿は、どんな意味を持つ?
ブラックスーツ姿で英二は、花舞う空に笑った。
クリスマスの朝に入ったカフェに着くと、窓際の席に案内された。
陽だまりの心地いいソファに座ると、英二は店員に笑いかけた。
「ブレンドを下さい、すこしぬるめで、」
「ホットでぬるめ、ですね?」
若い女性の店員がすこい首傾げ訊いてくれる。
たしかに不思議な注文だろうな?きれいに笑って英二は頷いた。
「俺、ちょっと猫舌なんです。でも、すぐ飲みたくて。お願い出来ますか?」
お願いしていいかな?
そう目で笑いかけて、華やかに英二は微笑んだ。
そんな英二の笑顔に見惚れたよう、頬赤らめながら彼女は頷いてくれた。
「はい、あの、出来ます。すぐ、お持ちしますね、」
「よかった、ありがとう、」
嬉しそうに英二は綺麗に笑いかけた。
可愛らしく頬染めて、彼女は急いでカウンターへと戻ってくれる。
すこしだけ窓の外をながめているうちに、ぬるめのカップが運ばれてきた。
「このくらいの温度で、いかがですか?」
カップに指でふれてみると、ちょうど好さそうでいる。
これなら大丈夫だろな?頷いて英二は微笑んだ。
「大丈夫みたいです、ありがとう、」
感謝して笑いかけた英二に、彼女の頬がまた染まっていく。
英二の笑顔に嬉しげな笑顔向けながら、ウェイトレスが言ってくれた。
「いえ、あの…猫舌なんて、可愛いですね?」
「よく言われます、」
さらり笑いかえした英二に、彼女は「ゆっくりされて下さいね?」と微笑んでカウンターへ戻っていった。
まだ視線を横顔にうけたまま、英二は窓の外へ目を向けるとカップに口をつけた。
そのまま半分ほど飲みほして、ほっと息を吐いた視線の先に小柄な姿が映りこんだ。
「…よかった、」
そっと呟いて英二は、カップをテーブルに戻した。
その後ろで扉が開く音がして、大好きな声が笑いかけてくれた。
「お待たせ、英二…ごめんね、待たせちゃって、」
すこし息がはずんでいる。
きっと急いで走ってきたのだろうな?可愛くて、英二は愛しい想い微笑んだ。
「大丈夫だよ、周太?」
「あ、コーヒーだいぶ飲んじゃったね?…待たせたから、」
困ったように見つめてくれる。
これなら上手に信じて貰えたのだろう、きれいに英二は笑いかけた。
「気にしないでいいよ。周太も何か飲む?それとも、昼飯の店でなんか飲む?」
「ん、…あの、そのコーヒー貰っちゃダメ?」
やっぱりチェックが入るんだな?
考えて正解だったと思いながら、素直に英二はカップを差し出した。
「俺ので良いなら、どうぞ、」
「ありがとう、」
嬉しそうに微笑んでカップを受けとってくれる。
そっと飲み干すと、周太は笑いかけてくれた。
「ぬるくなっちゃったね?…待っていていくれて、ありがとう、」
ずっとここで英二は待っていた。
新宿署には一歩も足を踏み入れていない、そう信じて貰えた。
信じて貰えて良かったと思いながら、英二は綺麗に笑った。
「うん、待ってたよ?」
―…英二、お父さんの身代わりになって、新宿署の署長と会ったでしょう?
SATの隊長らしい人にも、同じことしたよね?…お願い、止めて?
危険なこと、しないで?俺のために…嫌なんだ、俺のために英二が傷つくなんて…嫌!
鋸尾根の雪崩に遭い、昏睡状態から覚めた時、周太は英二にお願いしてくれた。
だから英二は約束をした。もう身代わりはしない、そう約束をして周太に安心して貰っている。
けれど、相手を炙りだすには「そっくりな陰翳の微笑」は必要だから、約束は守れない。
亡霊が現れる
罪悪感のある人間は皆、この亡霊を確かめにやってくる。
もう関係者はあらかた調べはついている、けれどその裏付けとして炙りだしてやりたい。
なによりも、罪悪感を煽って怯えさせてやりたい。
―すこしは味わえばいい、苦しみを…罪悪感も、何もかも
法で裁くことは、出来ない。
すべてが合法だったから、司法の名の下に行われたことだから、裁けない。
けれど、どんなに法が許しても、罪は罪。
この罪の名の下に、誤魔化せない自分の心の呵責に、苦しめばいい。
すこしでも苦しんで、誤魔化し続けた「罪」を見つめて、恐怖に怯えていればいい。
それで彼らの心が壊れたって、自分の知った事じゃない。
苦しめばいい、後悔に這いつくばればいい。
勝手に自滅して自壊して、恐怖に怯えて死んで、泣いて侘びに行けばいい。
唯ひとつの幸福だった桜めぐる物語すら、自ら絶切った贖罪の哀切と50年縛られる苦痛を知ればいい。
「英二、見て?窓の外、すごい花吹雪だよ?」
嬉しそうな声に、英二は意識を恋人に戻した。
幸せそうに窓ふる花を見て、きれいな笑顔が心から咲いてくれている。
この笑顔を守るためなら、自分は何だって出来る、冷酷な仮面だって厭わない。
守るためになら、嫌いな「嘘」だって貫き通して見せる。
「うん、きれいだな?出よう、周太。花びら、掴まえたいんだろ、」
愛しい恋人に心から優しい笑顔を向けて、英二は立ち上がった。
会計を済ませて外へ出ると、やさしい風が花を運んでくれる。
花のふる街を歩きだすと、ちいさく周太がくしゃみした。
「大丈夫?周太、」
今日の周太はライトグレーのスラックスに白いシャツと、フォーマルな雰囲気のカーディガンを着ている。
すこし風があると寒いだろう、英二はジャケットを脱ぐと周太に着せた。
「ありがとう、英二…でも、英二がシャツだけになっちゃうよ?」
「俺は大丈夫だよ?いつも寒い所で生活しているし、」
笑いかけながら見る周太は、大きなジャケットが可愛らしい。
そういえばカジュアルラインのジャケットを周太は持っていないな?思いついて英二は、周太の手を繋いで笑いかけた。
「周太、ちょっと昼の前に寄り道するよ?」
すこし歩いて、いつものセレクトショップに着くと英二は扉を開けた。
久しぶりに訪れる店は、昼時で空いている。
「いらっしゃいませ、お久しぶりです、」
懐かしい店員の笑顔が迎えてくれる。
きれいに英二は笑いかけて、階段へと足を向けた。
「お久しぶりです、見せて貰いますね?」
「はい、ごゆっくり、」
店員も、英二は自由に選ぶのを知っているから、ほどよく距離を作ってくれる。
こういう気遣いはありがたいな、思いながら英二は周太を2階へと連れて行った。
「きれいな色がいいな…これ、どう?」
「…あ、ん、…あの、」
「あと、これな?スーツになってるから、便利だよ」
手早く選んで、周太に見せていく。
途惑っている周太から英二のジャケットを脱がせると選んだものを着せた。
「うん、周太、かわいい、」
「あの、えいじ?…ほんとに、悪いから、ね?」
遠慮がちに周太が申し出てくれる。
そんな様子も可愛いと思いながら、英二は笑いかけた。
「悪くないよ、周太?婚約者に服を買って、なにが悪いの?ありがとう、って言ってほしいな?」
言われて周太の頬が桜いろに染まりだす。
そして恥ずかしげに小さな声で頷いてくれた。
「…ん、ありがとう…これで良いの?」
こんな顔で「ありがとう、」なんて言われると、買い占めたくなります。
「うん、良いよ。周太、他に欲しいものある?」
「ううん、…気を遣わせて、ごめんね?」
「気を遣っていないよ、俺がしたいだけ、」
ほんとうに、自分がしたいだけ。
自分が選んだものを着てほしいだけ、いつも自分の気配を感じてほしいから。
そうして少しでも多く自分を想ってほしい、もっと自分に恋してほしい。
そして自分だけ見つめて、自分だけに恋愛してほしい。
周太の初恋は、自分の大切なアンザイレンパートナーが相手。
そんな国村は周太を想いつづけている、諦められないのだと自分も知っている。
それが哀しい、国村の叶わぬ想いは哀しくて切ない。もう国村は、比べられない程に大切な相手だから。
だからこそ国村にも、心繋げた相手と体を繋げたい願いを叶えてやりたい、その幸福を教えてやりたい。
それなのに周太には、自分だけの恋人で居てほしいと、本音は願っている。
―ごめん、国村…やっぱり俺は、離せないよ?周太の願いを、叶えたいんだ
すこしも離せない、このひとの願いを叶えて、このひとの全てが欲しい。
他の全てを懸けても欲しくて、だから嘘だって吐けるし冷酷にもなれる。
この愛するひとが自分の傍にいてくれるなら、どんな願いでも叶えてしまいたい。
こんな自分は本当に恋の奴隷で、愛する恋の主人しか見えていない。
すこしでも喜んでもらえると嬉しくて、笑顔が見たくて、つい何でもしたくなる。
こんなにも大好きな人の手を曳いて、選んだ2着とも抱えると英二は階下へ降りた。
「これはタグを外してください、すぐ着ますから、」
「はい、かしこまりました、」
快く引き受けて店員はチャコールグレーのジャケットからタグをとってくれる。
濃い色だけれど、あわいブルーのストライプが周太に似合う、そう思って英二は選んだ。
準備して貰ったジャケットを受けとると、英二は周太に着せかけた。
「これで寒くないな?うん、似合うよ、」
「ん、…ありがとう、」
気恥ずかしげに礼を言ってくれる唇に、キスしたくなってしまう。
それどころか本音を言えば、恋人の夜の時間が今すぐ欲しくて仕方ない。
これから自分たちは墓参に行く、それも周太の父の命日当日だと言うのに。
それなのに、こんなことばかり考えている自分は、どうなのだろう?
『ホントおまえ、鬼畜弩級エロ』
北穂高岳で国村に言われた言葉がうかんだ。
たしかに自分は、あの言葉に反論なんか出来やしないだろうな?
そんな「仕方ない」を想いながら英二は、店員から紙袋を受け取った。
「お待たせ、周太、」
笑いかけて外へ出ると、植込みの桜が風に揺れている。
ゆるやかな風に舞う花びらを、嬉しそうに周太は掌で受け留めた。
「ね、上手に受けとめられたよ、俺、」
「うん、見てたよ?」
楽しげに花びらを手帳に挟みこんでいる様子は、無邪気で可愛らしい。
これで自分と同じ年齢の男なことが、不思議に想ってしまう。
けれど周太は既に母を支えて、長男として主夫として家を守っている。
そうした責務をきちんと果たしながらも、純粋無垢なままでいる恋人が愛しい。
愛しい想いに英二は、花を見あげている周太をひきよせた。
「ん…英二?」
不思議そうに見つめてくれる、この黒目がちの瞳が愛しい。
この愛しい人を桜の花翳に隠すよう、そっと肩寄せると英二は唇を重ねた。
そっとふれるだけのキス。
やさしい花の香をはさみこんだキス、おだやかで甘い香が融けあっていく。
ふれて、静かに離れて英二は恋人に微笑んだ。
「キス、桜の香だったよ?」
「…はずかしいからそういうこといわれるの…ここそとだしはずかしいから…」
赤くなりながら恥ずかしがってくれる。
けれど、英二を見あげると周太は、幸せに笑ってくれた。
「でも、…うれしい、逢いたかったから、」
自分こそ、本当はずっと逢いたかった。
川崎の家での静養から奥多摩に戻って、ずっと逢いたかった。
「俺こそ、ずっと逢いたかったよ。だからキス、我慢できなくなっちゃった、」
正直な想いのまま英二は笑いかけた。
笑いかけた先、首筋を赤くそめながら黒目がちの瞳が笑ってくれた。
「ん、…ほんとうはね、俺も、その…したかったの、」
こんな告白は、ちょっと幸せすぎます。
「そんなこと言われると、ほんとに困るよ?」
ほんとうに困ってしまうな?
見境なくこんなところで、たくさん抱きしめたくなるから。
そんな気持ちを宥めながら英二は、桜の下で微笑んだ。
(to be continued)
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