萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第69話 煙幕act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2013-10-05 21:30:54 | 陽はまた昇るanother,side story
Our cheerful faith



第69話 煙幕act.4―another,side story「陽はまた昇る」

黒から赤、それがスローモーションに斃れゆく。

見つめた真中を出動服姿の斃れる軌跡、すこしの飛沫が赤い。
ゆっくりに見える映像、けれど鉄と似た匂いが現実の視界を撫でる。
ただ見つめてしまう黒と赤の二色はサーチライトの影、どさり、人間が床に寝転んだ。

黒、赤、鉄の匂い、そして重たい音、視覚と嗅覚と聴覚に意識が引っ叩かれて、周太は駆け出した。

“「人」が撃たれた”

いま目の前で人が撃たれて斃れた。
そう認識した意識が全身を突き飛ばして真直ぐ駆ける。
それでも身体は銃弾とサーチライトを避けて駆け、斃れた体の傍に周太は膝つくと息呑んだ。

「…っ、」

右大腿部、もう出動服は赤い。

斃れた体は痙攣かすかに震えてマスクの瞳が強張っている。
いま斃れたばかりの体、それなのに血溜りは呼吸ごとじわり育つ。
広がる赤に震える黒い脚、その呻き声が聴覚を敲いて周太は自分の頬を撃った。

ぱんっ、

頬鳴って、呼吸ひとつ唇ひき結んで奥歯ぐっと噛みしめる。
もう肚を据えた視線は出血部の目視して胸ポケットに手をつっこんだ。
すぐ三角巾を掴んで引き出し横に四つ折ってゆく、その手を止めずマスク越し男へ告げた。

「止血します、それから場所を移ってすぐ手当てします、」
「やめろ、」

一言、けれど鋭い語調はマスク越しに周太を睨んだ。

「やめろ、今はテスト中なんだぞ?俺より自分の心配をしろ、指示通り走れ、」

今はテスト中、指示通り走れ。

その通りに入隊テストさ中で、今も訓練場を走る気配と発砲音が轟く。
サーチライトに燻らす蒼い硝煙は刺すよう喉突いて、気管支が噎せたがる。
その痛み飲下す耳元にイヤホンは指令と服従を命じて、けれど周太は止血帯を示し微笑んだ。

「巻きます、動かないで下さいね、」

瞳だけでも笑いかけ告げて血塗れた大腿部へ止血帯を当てる。
これで患部より心臓に近い動脈へ圧迫を加えて一時的に血流を止めておく。
この方法は直接圧迫による止血をするまでの補助的手段に過ぎない、けれど間違えばリスクがある。

―三角巾ちゃんと幅5cmより大きく折れてるよね、圧迫止血点はここ、骨に向かって加圧して、

心裡に確認しながら四つ折り三角巾を半分に畳み、ポイントへ帯のよう掛けて端を交互違いに通す。
そのまま三角巾の両端を握って掛けた帯と同じ方向へ、慎重に加減しながら締め上げた。

「…ぅっ、」

男の声が呻いて傷ついた脚がびくり反応する。
微かでも痛みの響く声に周太は息呑んで、けれど左腕の文字盤を冷静に見た。

「ん、」

時間確認に頷いてポケットからペンを出し、止血帯の端に現在時刻を書く。
本来なら傷標として荷札などタグを付けた方が良い、けれど今この状況下では無理だ。
そんな判断に素早くペン仕舞うと男を抱えあげ、いちばん近い物陰に移動し次を告げた。

「今から傷を直接止血します、痛いですけど動かないで下さい、」

言いながら取出した袋を破いて、すこし気恥ずかしくなる。
銃創の応急処置にはタンポンを遣う止血が現場では有効、そうテキストにも英二にも教わった。
けれどタンポン本来の使用目的を教わった記憶が恥ずかしくて、それでも冷静に患部を診ながら周太はそっと息呑んだ。

―貫通していない、盲管射創だ、

右大腿部の傷は一ヶ所だけ、逆側に貫ける出血が無い。
おそらく被弾した弾丸が大腿骨に当ってしまった、そんな事例が記憶のページに映る。
吉村医師が英二に託して贈ってくれた銃創処置のテキストブック、あの英文綴りを記憶に読んで患部を診ていく。
血塗れの底に開いた射入口は円く創縁は挫滅されて鉄の匂いが生温かい、いま現実に見る傷と匂いに手術室が蘇える。

―雅人先生、今から俺が手当てします、

心に呼びかけた向こう、奥多摩の手術室で見た横顔が頼もしい。
あの日は喘息の相談を受けてもらっていた、そこに被弾したハイカーが運び込まれた。
あれが雅人医師にとっても初めて一人での銃創処置だった、それでも落着いた処置は鮮やかだった。
あのとき自分も立ち会わせてくれた厚意が今ここで活きる、この感謝ごと周太は患部へとタンポンを挿しこんだ。

「うぐっ、」

痛みの声があがって鼓動が息を呑む。
応急処置する英二の姿を見たことはある、けれど自分が行うことは今が初めて。
この初めてに竦んで臆病が泣きかける瞳ひとつ瞬いて包帯を巻き、けれど突き飛ばされた。

「早く行けっ!テスト中なんだぞ、落ちても良いのかっ、行け!」

怒鳴りながら睨んでくる瞳が、黒いヘルメットのつば越し鋭い。
拒絶する眼差しは悔しさと屈辱に怒って、けれど案じてもくれている。

―自分のミスが俺を巻き込むことが嫌なんだ、いつも俺が英二に想うみたいに、

ずっと自分も英二に引け目を感じている。
自分が抱え込んでいる事情に英二を巻き込んで足を引っ張りたくない、そう卑屈になりそうな時がある。
だから今この男の気持は解かる、この感情全ては他人事じゃない、だからこそ懸ける自分の誇りに怒鳴りかえした。

「動くなっ!」

怒鳴った隙に一足飛び、周太は男の懐に飛び込んだ。
巻きかけた包帯を再び掴んで手を動かし、現実の危険そのまま訴えた。

「銃は出血が危ないんだっ、動いたら駄目だ!」
「いいから早く行けっ、もう十分だ!いらんっ、」

また怒鳴りかえされて拒絶の手が押し返す。
けれど踏ん張って周太は患部へと包帯を巻きつけ、相手を睨んだ。

「黙れ!銃創の死亡は60%が失血性ショック死だ、血が止まらないと死ぬんだっ!」

事例ごと怒鳴りつけた先、傷ついた眼差しが息を呑む。
いま彼にとってプライドも気遣いも拒絶の理由だろう、けれど全て今要らない。
その理由ごと構わず直接圧迫の包帯を施しながら周太はテスト仲間に怒鳴りつけた。

「死んだら誰も援けられないんだ!SATだって人命救助の為にあるんだ!だから俺は誰も死なさない、黙って手当されて!」

父がSAT隊員で居られたのは、人命救助の為と信じたから。

どんな事情があったのか未だ明確には解らない、けれど父は殺人の為に生きたんじゃない。
どんな理由でも愛した文学の道を捨ててまでSAT隊員であることを選んだ、そこに誇りはきっとある。
そう今この時に信じられる、だから自分もその誇りに今この手当てを止める事なんて絶対に出来ない。

―それに英二の左手を見たんだ、焼焦げた服もグローブも、

『巡回中で現場近くに居たため早期鎮火が出来たとのこと、軽傷者1名』

朝に見たテレビの横顔、あの焼焦げたウィンドブレーカー姿が、切ない、誇らしい。
落雷による延焼から奥多摩を、森を山を護ろうとして英二は左腕一本を犠牲に惜しまなかった。
あれは山ヤとしての誇り、山岳レスキューとしての責務、そして自分と交わした約束への真実だった。

『周太、いつか奥多摩に引っ越そう?庭も家も全部、お母さんも一緒に奥多摩で暮そう、俺たちのふるさとを作ろう、』

幸せだった春に笑ってくれた約束、あの笑顔は今も英二に変わらず生きている。

―もう英二は忘れたと想ったのに、あの夜にぜんぶ終わったって、

七月の終わり、アイガー北壁の夜に英二が光一を抱いて全てが終わったと諦めた、それで良いと思っていた。

この今立っている死線を自分は選んだ、だから英二が他の相手と幸せになる方が自分も楽で良い。
そう考えたから約束の全ては消えたのだと自分に言い聞かせてきた、未練を残さぬよう幸せな約束は全て諦めた。
けれど今朝のテレビに英二の真実を知ってしまった、あの左手に気づいてしまった、だから今もう退くなど出来ない。
あの幸せな約束は何ひとつ守れないかもしれない、再び逢うことすら叶わないかもしれない、それでも誇りだけは護りたい。

―だって俺は英二の妻なんだ、誰に認められなくても英二にだけは恥じたくない、

自分はあの誇り高い山岳レスキューの、妻だ。

男の自分が妻だなんて「変」だろう、けれど自分には唯ひとつの幸福だから構わない。
たとえ法に社会に認められなくても共に暮らせなくても、あのひとを愛して想って生きるなら誇らしい。
だから今この瞬間も恥じたくないから、山を人を救いに駆ける人の妻だと誇りたいから今、信じるまま叫んだ。

「死んだら駄目だ!あなたも俺も生きて帰るんだ、何があっても死ぬな!」

何があっても死ぬな、死んだら駄目だ。
そう目の前の男に叫んだ心が14年前の俤を映しだす。

―お父さん死なないで、

14年前の笑顔が今この場所を、SAT訓練場を新宿の路上に変えてゆく。
摩天楼を駆けてゆく制服姿、斃れる制服姿、そして赤い鮮血あふれだす。
春4月の桜ふる夜アスファルト冷たい路上、ガード下の出口付近の真中。

―死んだら駄目、お父さん、お父さん死なないで!

「死なないで!」

聲、現実の声になって応急処置する今を叫ぶ。

いま見つめているマスクの顔は初対面の瞳、けれど父と同じ世界へ志す。
こんな瞳を29年前の父もしていたろうか、14年前に斃れた瞬間を自分が救けたかった、死なせたくなかった。
そんな想いごと今この傍にいる命を救けたくて生きてほしくて、抱えこんで立ち上がりかけた背中を突き飛ばされた。

「ふせろ!」

低く鋭い声、そして発砲音が背後に起きた。

―今の声、

唯一言に一瞬で過らす声の記憶が、ひとつの笑顔を教えてくる。
けれど信じられない、そんな筈は無いと否定したくて伏せた肩越し振り返る。
見つめる向うサーチライトの廻照に眩しくて、それでも捉えたシルエットに声こぼれた。

「や…、」

呼びかけた名前、けれど呼吸ごと呑みこんで止める。
このSAT入隊テスト受験は極秘事項、だから既知でも互いの名前を呼んではいけない。
なにより今ここに居るはずが無い名前、そんな想いの真中シルエット振向いたマスクの瞳が笑った。

「走るぞ、俺が援護する、」

低い明朗な声が笑いかける、その涼しい瞳はシャープなのに優しい。
その瞳と声に途惑いながら、けれど伝えてくれる意図に周太は負傷者を背負いこんだ。
そのまま一緒に立ち上がり駆けだす隣、サーチライトに照らされた長身の姿に鼓動が引っ叩いた。

―どうして箭野さんが、

SAT隊員選抜の身長規定は170cm前後、それなのに、なぜ身長180cmの箭野がSAT入隊テストにいるのだろう?








【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」】

(to be continued)

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