Nor lose possession of that fair thou ow'st,
第70話 樹守act.4―another,side story「陽はまた昇る」
かたん、
静かに扉閉じた部屋、障子戸の樹影は畳を染める。
ゆるやかな明滅に部屋は今どこにも地下を開いた痕跡は無い。
塵無く拭き清めた仏間は静謐の黄昏に佇む、その空気へ周太は一冊を抱きしめ進んだ。
―この部屋だった、お父さんのお通夜もお葬式も…家から送りだしてあげたいからって、
14年と6カ月前、あの春の夜が踏みしめる畳の目ごと蘇える。
あのとき真白な布団はここに敷かれて、白い父の貌は綺麗で哀しくて、その手はもう冷たかった。
あの長い指の手は優しくて器用で沢山を自分に教えてくれた、あの日の朝も自分の頭を撫でてくれた手は温かい。
『周、桜餅を買っておいてね…夜はお花見しよう、読んでほしい本を選んでおいて?』
穏やかで深いテノールは約束に微笑んで朝、出掛けて行った。
いつものスーツ姿は端整に姿勢よく歩いて庭石の上、山桜を仰いで微笑んで、そして門を出た。
その後姿をいつも通り母と見送って、そして綺麗な笑顔はいつもの角で振り向き長い指の掌を振って、行ってしまった。
あの日に自分が選んだ本は、何だった?
「…シェイクスピア、だったね…」
ことん、
記憶ひとつ蘇えって意識の扉ひとつ開く。
あの日の幸福だった時間ひとつ目を覚ます、そして時間は戻りだす。
『行ってきます、美幸さん、周、』
いつも通りに父を見送ってから学校に行き、理科の授業で描いた細密画を褒められた。
それが嬉しくて早く見せたくて寄り道しないで帰ろうとして、けれど満開の桜に誘われ原っぱへ寄った。
そこで薄紫の菫を見つけて3つ摘んだ、あの花は父と母と自分の分だと思って、それから土筆も見つけた。
『みっつだけちょうだい?…お父さんとお母さんと、僕の分をくれる?』
そんなふう笑いかけて原っぱしゃがみこんで、他にも見つけた春の野花たちを摘んだ。
帰宅した家で母は小さな手籠を出してくれた、そして小さな茶花を活けられて嬉しかった。
『可愛く活けられたね、きっとお父さん喜ぶわ、』
『ん…お母さんもこのお花好き?』
ほら、幼い自分が母を見上げて笑う、あれはこの仏間の風景だった。
あの床の間で母子ふたり小さな手籠を眺め笑っている、そして母は額にキスして微笑んだ。
『好きよ、でも活けてくれた周はもっと好き、お父さんも周のことが一番好きよ?』
あのとき母も自分も幸せだった、そして同じ時を父も生きてあの公苑で桜の花びら3つ掌に受けとめていた。
「…あのとき幸せだったね、お父さん…」
ひとり声こぼれて頬を温もり伝う。
あの春の幸せはこの座敷に咲いていた、けれど夜には哀しみ沈んだ。
あの春の夜に延べられた真白な布団、開かれた障子戸とテラスの窓、吹きこんだ薄紅の花。
万朶の桜ふる夜ゆるやかに風は花を運んで父の亡骸に降り積る、花は主を包むよう布団の白を花色に染めた。
『…おとうさん、シェイクスピアを詠んであげる、らぶれたーみたいな詩…僕、おとうさんにらぶれたーあげたいの、』
ほら、幼い自分の声が異国の詞を紡ぎだす。
Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate.
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
「…And summer's lease hath all too short a da…っ、 and、this gives life to thee…」
現実の自分の声が一節を詠んで今、あの春の記憶あざやかに息吹を涙ごと戻す。
あの詩を父は愛している、だから自分は詠んで、けれど詩は父の現実を知れば残酷なほど美しい。
貴方を夏の日と比べてみようか?
貴方という知の造形は 夏よりも愉快で調和が美しい。
荒い夏風は愛しい初夏の芽を揺り落すから、
夏の限られた時は短すぎる一日だけ。
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
清らかな貴方の美を奪えない、
貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、
永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
人々が息づき瞳が見える限り、
この詞が生きる限り、詞は貴方に命を贈り続ける。
懐かしい夏の日に父が謳った「Shakespeare's Sonnet18」は父の生命そのままだった。
あのとき父が呼びかけた「thee」は唯ひとりのアンザイレンパートナー、田嶋だと今なら解かる。
あの笑顔と生きた父の時間は夏よりも愉快に輝いて陽気で幸せで、その記憶をずっと抱いて父は愛しんだ。
―お父さん、本当に田嶋先生のこと大好きだったんだね…滅びないって言うほど大切で、なによりも信じて、
父にも輝ける時間があった、それは美しい分だけ現実の終わりが哀しい。
あの詩に父が讃えた「this gives life to thee」は文学への夢と希望と親友に願う祈り。
あの詩が謳う輝ける瞬間たちに父は永遠を抱いて生きて短く生命を終えた、けれど、父の言葉たちは生き続ける。
「おとうさん…おじいさん、見て?おばあさんも、みんな見て、」
呼びかけて見つめた先、仏壇は沈黙のまま穏やかな黄昏に佇む。
家名を記した位牌へ秋明菊が白い、この花を愛しむ母は父への想いに活けたろう。
そんな想いごと笑いかけて周太は仏前に座り、抱きしめてきた一冊をそっと経机に供えた。
『MEMOIRS』Kaoru Yuhara
深緑色あざやかな表装に銀文字きらめく、その輝きに父の信じた光が温かい。
この温もりを伝えたくて周太は家族たちに笑いかけた。
「田嶋先生が作ってくれたんだよ、お父さんの論文はどれも最高だからって…おとうさんは天才だからって、文学に還るひとだからって、
誰よりもお父さんを好きだから田嶋先生は本まで作ってくれたんだよ?この緑色も銀文字も穂高の色だって、お父さんとの大切な山の…いろ、」
見あげて語りかける視界ゆるやかに滲んで、声つまる。
それでも綺麗に笑って周太は涙のまま家族たちに話した。
「お祖父さん、田嶋先生は俺とお祖父さんは笑った貌が似てるって言うよ?でね、声はお父さんそっくりって…翻訳の仕方も似てるって、
先生のお手伝いで翻訳するんだけど英語も日本語もいいって褒めてくれて…研究生にしてくれてね、おじいさんの学術基金で俺も勉強でき、るの」
はたり…はたっ、
話す言葉ごと涙こぼれて膝を温める。
零れる涙にジーンズの黒藍色あざやいで想いに染めてゆく。
ずっと堪えていた雫は生家の大切な部屋で家族たちの前ほどかれる。
「俺ね、植物学がすごく好きだよ?でね、文学も好きって気がついて…おじいさんの本も先生がくれたの、お父さんのを俺にくれたの、
俺が誰かまだ知らなかったのに…大切な本だから俺はもらえませんって言って、それがお父さんとお祖父さんと同じ言葉だからくれたの、
ね…先生は本当にお父さんのこともお祖父さんのことも大好きだよ?今でも…だからお祖父さんの研究室を継いでくれてるよ、田嶋先生は」
湯原先生の孫なんだ、馨さんの息子なんだ、そうか、君だ。
初めて自分が名乗ったとき田嶋教授はそう言って、笑って泣いた。
あの笑顔と涙はきっと忘れられない、あのとき自分が抱いた喜びも色褪せない。
そして田嶋教授が抱いている祖父への敬愛も父との時間も鮮やかで、その想いに周太は本を開いた。
「見て?お父さんが大切にしてた詩をね、田嶋先生は載せてくれたんだよ…ふたりは繋がってるね?」
“I give it to an epitaph of savant Kaoru Yuhara.”
そう冒頭に記して寄せる田嶋の想いは、尽きることは無い。
それは詩の引用に解ってしまう、そこに見つめる想いへ微笑んだ。
「ね、見て…And summer's から引用してあるでしょ、これってね、終らない季節って言いたいからなんだって俺は想うよ?」
田嶋が父に捧げた「epitaph」碑銘は「Shakespeare's Sonnet18」の4行目から始まる。
冒頭3行を敢えて記さなかったのは哀惜と愛惜の二つ永遠に抱くから、その想いを周太は言葉に告げた。
「But thy eternal summer shall not fade, Nor lose possession of that fair thou ow'st…When in eternal lines to time thou grow'st.
ここを先生はお父さんに捧げたいんだと想うよ、お父さんの命も文学に生きた時間も永遠だよって…ずっと大切に護って繋げるよって言いたいの、
だから先生は俺を研究生にしてくれたんだよ?俺が誰か知らなくても俺にお父さんを見つけたから俺に繋いだの、thy eternalって信じてるから、」
But thy eternal summer shall not fade, Nor lose possession of that fair thou ow'st, When in eternal lines to time thou grow'st.
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、清らかな貴方の美を奪えない、永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
そんなふうに信じてくれる友人が父はいる。
それが嬉しい、そう自分こそ信じていたいから田嶋の想いが嬉しい。
この喜びを抱きしめながら周太は知るべき現実に呼吸ひとつ、綺麗に笑いかけた。
「ね、この本をすこし皆で読んでて?俺ね…ちょっと調べることがあるから、その間ちょっとお父さんの本を見ててね、」
仰ぐ位牌に願い、そっと掌を合わせて笑いかける。
そして周太は経机をすこし脇にずらし、仏壇下の引戸を開いた。
かたっ…
小さな音と開いていく手許から、ゆるく香の匂いが黄昏へ昇りだす。
引戸の奥へ射しこむ西陽に目を透かせ周太は両掌をそっと入れ、封筒を掴んだ。
そのまま丁寧に開いた茶封筒から14年前の記憶ゆらされるまま、哀惜ごと遺らす冊子を出した。
(to be gcontinued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」】
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第70話 樹守act.4―another,side story「陽はまた昇る」
かたん、
静かに扉閉じた部屋、障子戸の樹影は畳を染める。
ゆるやかな明滅に部屋は今どこにも地下を開いた痕跡は無い。
塵無く拭き清めた仏間は静謐の黄昏に佇む、その空気へ周太は一冊を抱きしめ進んだ。
―この部屋だった、お父さんのお通夜もお葬式も…家から送りだしてあげたいからって、
14年と6カ月前、あの春の夜が踏みしめる畳の目ごと蘇える。
あのとき真白な布団はここに敷かれて、白い父の貌は綺麗で哀しくて、その手はもう冷たかった。
あの長い指の手は優しくて器用で沢山を自分に教えてくれた、あの日の朝も自分の頭を撫でてくれた手は温かい。
『周、桜餅を買っておいてね…夜はお花見しよう、読んでほしい本を選んでおいて?』
穏やかで深いテノールは約束に微笑んで朝、出掛けて行った。
いつものスーツ姿は端整に姿勢よく歩いて庭石の上、山桜を仰いで微笑んで、そして門を出た。
その後姿をいつも通り母と見送って、そして綺麗な笑顔はいつもの角で振り向き長い指の掌を振って、行ってしまった。
あの日に自分が選んだ本は、何だった?
「…シェイクスピア、だったね…」
ことん、
記憶ひとつ蘇えって意識の扉ひとつ開く。
あの日の幸福だった時間ひとつ目を覚ます、そして時間は戻りだす。
『行ってきます、美幸さん、周、』
いつも通りに父を見送ってから学校に行き、理科の授業で描いた細密画を褒められた。
それが嬉しくて早く見せたくて寄り道しないで帰ろうとして、けれど満開の桜に誘われ原っぱへ寄った。
そこで薄紫の菫を見つけて3つ摘んだ、あの花は父と母と自分の分だと思って、それから土筆も見つけた。
『みっつだけちょうだい?…お父さんとお母さんと、僕の分をくれる?』
そんなふう笑いかけて原っぱしゃがみこんで、他にも見つけた春の野花たちを摘んだ。
帰宅した家で母は小さな手籠を出してくれた、そして小さな茶花を活けられて嬉しかった。
『可愛く活けられたね、きっとお父さん喜ぶわ、』
『ん…お母さんもこのお花好き?』
ほら、幼い自分が母を見上げて笑う、あれはこの仏間の風景だった。
あの床の間で母子ふたり小さな手籠を眺め笑っている、そして母は額にキスして微笑んだ。
『好きよ、でも活けてくれた周はもっと好き、お父さんも周のことが一番好きよ?』
あのとき母も自分も幸せだった、そして同じ時を父も生きてあの公苑で桜の花びら3つ掌に受けとめていた。
「…あのとき幸せだったね、お父さん…」
ひとり声こぼれて頬を温もり伝う。
あの春の幸せはこの座敷に咲いていた、けれど夜には哀しみ沈んだ。
あの春の夜に延べられた真白な布団、開かれた障子戸とテラスの窓、吹きこんだ薄紅の花。
万朶の桜ふる夜ゆるやかに風は花を運んで父の亡骸に降り積る、花は主を包むよう布団の白を花色に染めた。
『…おとうさん、シェイクスピアを詠んであげる、らぶれたーみたいな詩…僕、おとうさんにらぶれたーあげたいの、』
ほら、幼い自分の声が異国の詞を紡ぎだす。
Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate.
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
「…And summer's lease hath all too short a da…っ、 and、this gives life to thee…」
現実の自分の声が一節を詠んで今、あの春の記憶あざやかに息吹を涙ごと戻す。
あの詩を父は愛している、だから自分は詠んで、けれど詩は父の現実を知れば残酷なほど美しい。
貴方を夏の日と比べてみようか?
貴方という知の造形は 夏よりも愉快で調和が美しい。
荒い夏風は愛しい初夏の芽を揺り落すから、
夏の限られた時は短すぎる一日だけ。
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
清らかな貴方の美を奪えない、
貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、
永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
人々が息づき瞳が見える限り、
この詞が生きる限り、詞は貴方に命を贈り続ける。
懐かしい夏の日に父が謳った「Shakespeare's Sonnet18」は父の生命そのままだった。
あのとき父が呼びかけた「thee」は唯ひとりのアンザイレンパートナー、田嶋だと今なら解かる。
あの笑顔と生きた父の時間は夏よりも愉快に輝いて陽気で幸せで、その記憶をずっと抱いて父は愛しんだ。
―お父さん、本当に田嶋先生のこと大好きだったんだね…滅びないって言うほど大切で、なによりも信じて、
父にも輝ける時間があった、それは美しい分だけ現実の終わりが哀しい。
あの詩に父が讃えた「this gives life to thee」は文学への夢と希望と親友に願う祈り。
あの詩が謳う輝ける瞬間たちに父は永遠を抱いて生きて短く生命を終えた、けれど、父の言葉たちは生き続ける。
「おとうさん…おじいさん、見て?おばあさんも、みんな見て、」
呼びかけて見つめた先、仏壇は沈黙のまま穏やかな黄昏に佇む。
家名を記した位牌へ秋明菊が白い、この花を愛しむ母は父への想いに活けたろう。
そんな想いごと笑いかけて周太は仏前に座り、抱きしめてきた一冊をそっと経机に供えた。
『MEMOIRS』Kaoru Yuhara
深緑色あざやかな表装に銀文字きらめく、その輝きに父の信じた光が温かい。
この温もりを伝えたくて周太は家族たちに笑いかけた。
「田嶋先生が作ってくれたんだよ、お父さんの論文はどれも最高だからって…おとうさんは天才だからって、文学に還るひとだからって、
誰よりもお父さんを好きだから田嶋先生は本まで作ってくれたんだよ?この緑色も銀文字も穂高の色だって、お父さんとの大切な山の…いろ、」
見あげて語りかける視界ゆるやかに滲んで、声つまる。
それでも綺麗に笑って周太は涙のまま家族たちに話した。
「お祖父さん、田嶋先生は俺とお祖父さんは笑った貌が似てるって言うよ?でね、声はお父さんそっくりって…翻訳の仕方も似てるって、
先生のお手伝いで翻訳するんだけど英語も日本語もいいって褒めてくれて…研究生にしてくれてね、おじいさんの学術基金で俺も勉強でき、るの」
はたり…はたっ、
話す言葉ごと涙こぼれて膝を温める。
零れる涙にジーンズの黒藍色あざやいで想いに染めてゆく。
ずっと堪えていた雫は生家の大切な部屋で家族たちの前ほどかれる。
「俺ね、植物学がすごく好きだよ?でね、文学も好きって気がついて…おじいさんの本も先生がくれたの、お父さんのを俺にくれたの、
俺が誰かまだ知らなかったのに…大切な本だから俺はもらえませんって言って、それがお父さんとお祖父さんと同じ言葉だからくれたの、
ね…先生は本当にお父さんのこともお祖父さんのことも大好きだよ?今でも…だからお祖父さんの研究室を継いでくれてるよ、田嶋先生は」
湯原先生の孫なんだ、馨さんの息子なんだ、そうか、君だ。
初めて自分が名乗ったとき田嶋教授はそう言って、笑って泣いた。
あの笑顔と涙はきっと忘れられない、あのとき自分が抱いた喜びも色褪せない。
そして田嶋教授が抱いている祖父への敬愛も父との時間も鮮やかで、その想いに周太は本を開いた。
「見て?お父さんが大切にしてた詩をね、田嶋先生は載せてくれたんだよ…ふたりは繋がってるね?」
“I give it to an epitaph of savant Kaoru Yuhara.”
そう冒頭に記して寄せる田嶋の想いは、尽きることは無い。
それは詩の引用に解ってしまう、そこに見つめる想いへ微笑んだ。
「ね、見て…And summer's から引用してあるでしょ、これってね、終らない季節って言いたいからなんだって俺は想うよ?」
田嶋が父に捧げた「epitaph」碑銘は「Shakespeare's Sonnet18」の4行目から始まる。
冒頭3行を敢えて記さなかったのは哀惜と愛惜の二つ永遠に抱くから、その想いを周太は言葉に告げた。
「But thy eternal summer shall not fade, Nor lose possession of that fair thou ow'st…When in eternal lines to time thou grow'st.
ここを先生はお父さんに捧げたいんだと想うよ、お父さんの命も文学に生きた時間も永遠だよって…ずっと大切に護って繋げるよって言いたいの、
だから先生は俺を研究生にしてくれたんだよ?俺が誰か知らなくても俺にお父さんを見つけたから俺に繋いだの、thy eternalって信じてるから、」
But thy eternal summer shall not fade, Nor lose possession of that fair thou ow'st, When in eternal lines to time thou grow'st.
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、清らかな貴方の美を奪えない、永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
そんなふうに信じてくれる友人が父はいる。
それが嬉しい、そう自分こそ信じていたいから田嶋の想いが嬉しい。
この喜びを抱きしめながら周太は知るべき現実に呼吸ひとつ、綺麗に笑いかけた。
「ね、この本をすこし皆で読んでて?俺ね…ちょっと調べることがあるから、その間ちょっとお父さんの本を見ててね、」
仰ぐ位牌に願い、そっと掌を合わせて笑いかける。
そして周太は経机をすこし脇にずらし、仏壇下の引戸を開いた。
かたっ…
小さな音と開いていく手許から、ゆるく香の匂いが黄昏へ昇りだす。
引戸の奥へ射しこむ西陽に目を透かせ周太は両掌をそっと入れ、封筒を掴んだ。
そのまま丁寧に開いた茶封筒から14年前の記憶ゆらされるまま、哀惜ごと遺らす冊子を出した。
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