萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第69話 煙幕act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2013-10-04 23:31:00 | 陽はまた昇るanother,side story
And let the misty mountain-winds be free



第69話 煙幕act.3―another,side story「陽はまた昇る」

何気なく点けたテレビに、呼吸が止まる。

 昨夕17時、午後5時ごろ東京都奥多摩町にて落雷。
 被雷した樹木一本から発火したが警視庁の警察官により消火。
 巡回中で現場近くに居たため早期鎮火が出来たとのこと、軽傷者1名。

淡々と語られるアナウンス、映される霧深い山の姿、そして裂け折れた樹木。
剥きだしの年輪から若い低木だと解かる、その周辺景色から植生場所は尾根に近い疎林。
こうした場所は落雷の危険が高いと大学のフィールドワークでも教わった、その通りに樹木の裂目は炭化が傷む。

そして映った現場検証中の画像、白く染めぬいた「警視庁」の青いウィンドブレーカー焼焦げた長身を一人、周太は見た。

「…っ、」

息呑んだ手、マグカップひとつ握りしめる。

あの横顔は知っている、たとえ小さな画像でも見間違えるはずがない。
あの背格好もカーキ色した救助隊員制帽も、あの背に負う登山ザックも幾度も見てきた。
そして画面の端に小さくても映ってしまう左手、嵌めた登山グローブは燃え崩れた痕が生々しい。

「えいじ…っ、」

がたん、

立ちあがったテーブルの向こう、けれどテレビ画像は切り替わった。
もう消えてしまった山岳救助隊員の横顔、それでも意識は見た全て刻まれた。
いま見た山と人の姿と聴いたアナウンス、その全てが支配して鼓動が絞めあげられる。

―英二だった、訓練で奥多摩に行くって言ってた、あの左手、

『巡回中で現場近くに居たため早期鎮火が出来たとのこと、軽傷者1名』

本当は訓練中の巡回だ、軽傷者1名と言うけれど命に別条がないからそう言っているだけ。
左手「だけ」の負傷だから軽傷だと言っている、けれど、クライマーにとって左手は「だけ」じゃない。

「…どうして、」

言葉こぼれて立ち尽くす、もう視界ゆらいで頬ひとしずく伝ってゆく。
確かに長身は立っていた、いつものよう微笑んで現場の樹木を指さし説明する貌だった。
けれどウィンドブレーカーの青は焼焦げ黒ずんで、そして、左手グローブの燃え痕は明らか過ぎた。

「どうして…久しぶりの山で怪我しちゃうの、雷だなんて…ザイル握る手なのにレスキューの手なのに…どうして…」

こぼれる声が止まらないまま顎から一滴、ぽとりマグカップのなか融けた。
ふわり立ったココアの香に呼吸が戻されて、かくり膝の崩れるまま椅子に座りこまされる。
けれどマグカップ握りしめる手は硬く竦んで、湯気に見つめるダークブラウンへ懐かしい髪の色が映りこむ。

『周太、いつか奥多摩に引っ越そう?庭も家も全部、お母さんも一緒に奥多摩で暮そう、俺たちのふるさとを作ろう、』

ほら、幸せな笑顔がもう蘇えって笑いかける。
懐かしい自分の部屋、自分のベッド、そして暁時の幸福な約束。
今も同じ暁の時、けれど今は独りテレビ画像の窓から横顔を見つめて、遠い。
それでも唯ひとり見つめてしまう人はテレビ越しにすら約束と想い伝えて今、見つめてくれる。

『逢いたかったから走って来た…周太、』

最後に見つめた切長い瞳、端整な白皙の哀しい貌、そして一滴だけ零れた涙。
たった1週間前の別離で、けれど今もう遠い瞳はテレビ画面の彼方で焼け崩れた衣服を纏っていた。
あの姿から英二が何をしたのか解ってしまう、その心は聴かなくても今この鼓動を掴んで祈り、一節は響きだす。

Our cheerful faith, that all which we behold
Is full of blessings. Therefore let the moon
Shine on thee in thy solitary walk;
And let the misty mountain-winds be free

僕らの信じるところ、僕らの目に映る全ては
大いなる祝福に充ちている。だからこそ月よ
独り歩く貴方の頭上を明るく輝いてくれ、
そして霧深い山風も自由に駈けてくれ




今日もまた、扉のなか鎖される。

サーチライトと壁の陰翳にマスク越しの視界は昏い。
それでも今ひとつ温もりを抱いている、それは不安と安堵が廻りながら信頼は温かい。
あのテレビニュースに見た横顔、穏やかで誇らしい笑顔へ無事を信じて今、自分も超える場所を駆ける。

―さよなら英二、今日も行くね?

さよなら、そう一週間ずっと心告げてきたように今日も微笑める。

この訓練場に今日こそ斃れるかもしれない、それは望まないけれど解らない未来。
だから伝えられるうちに想いは告げておきたくて、けれど声はもう届けられない場所に居る。
それでも心だけならきっと伝えられる相手だと今もう信じてしまった、今朝、テレビ越しの瞳にもう信じている。

『周太、俺たちのふるさとを作ろう?』

あの幸せだった春の約束は、今もあなたに生きている。

だから焼け焦げたウィンドブレーカーを纏っても笑顔は変わらず輝いていた。
だから燃え崩れた登山グローブも後悔など欠片も無くただ誇らしげに佇んだ。

―英二、奥多摩の山と樹を護ってくれたんだね、約束だから、奥多摩は俺たち家族に大切だから、

奥多摩、東京都の山岳地域。

あの場所は自分と父の記憶が温かい、父と母の恋も眠っている。
そして祖父の記憶も山々は抱いていて、そこに祖母の足痕もきっとあるだろう。
父も祖父も山と文学を愛するまま奥多摩に親しんだ、そんな想いが実家の庭へ美しい森を映した。

懐かしい実家の庭の森、あの森のふるさと奥多摩を護ろうとした意志も心も幸せに誇らしい、だから今も生きて還る。

―さよなら英二、いつか帰るから待っててね、

マスクのなか独り微笑んだ耳元、いつもの指令がルートとスタートを示す。
その無機質な声に呼吸そっと一つリボルバー握り直し、周太は駆け出した。

殺人ゲーム、

それが特殊急襲部隊SATの訓練だと言われたら、反論なんて誰も出来ない。
そんな現実を一週間で思い知らされた、まだ入隊テストでも手加減など誰にも無い。
それほどSATの現場は死線を駆ける可能性がある、だから選抜テストから厳正で当然だろう。
もし事件が起きれば如何なる場合も出動させられる、そんな予測不能の死線に合格すれば立ち続けていく。

―お父さん、こんなこと本当はお父さん嫌だったよね、なのになぜ此処に来たの、どうして大学に残らないで、

駆けて、躱して、撃つ、そんな緊張たちの連続に父の軌跡を追いかける。
聴かされた29年前の父の現実は疑問が多すぎる、なによりも父が「採用された」事は異様だ。
もう事実だと確信が深くなる祖父の罪、その存在を最も知っている男が警察中枢に在りながら、何故?

―お祖父さんと何があった人なの?

疑問が過る、けれど視覚も聴覚も標的を捕えて脊髄が反応する。
相手の発砲気配に体は反転して躱しながら手は拳銃を撃つ、そして壁に隠れる。
すぐシリンダーから空薬莢を排出して予備弾を装填する、その手順も慣れてしまった。
こんなふうに父も入隊テストを課された時間がある、それも自分と同じ「異例」の異動だった。

普通、特殊急襲部隊SATへの異動は一般警察官として最低3年程度の経験者が該当する。
その期間に精神と肉体の両面から健全か選抜された者だけが入隊テスト受験の提案をされる。
けれど自分は警察学校から数えても1年5ヶ月しか経っていない、それも提案では無く「命令」だった。
そんな現実は父も同じだったと今はもう解かる、だって父のアンザイレンパートナーは29年前の晩夏を教えてくれた。

『本を寄贈に来てくれたのが会った最後になったんだ、あの後から電話が通じなくなった、手紙を送っても返事が無くて家にも行ったけど留守で』

父が母校に蔵書を寄贈したのは警察官2年目の晩夏、自分と同じ1年5ヶ月が経つ頃だった。
それだけでも「異例」だと解かってしまう、けれど父は自分以上に有得ない「異例」がある。

『俺と馨さんは同じ身長だったよ、体格のバランスが良いからアンザイレンパートナーに選んで貰えて』

そう教えくれた父のアンザイレンパートナーは、田嶋教授の身長は175cm優にあるだろう。
けれどSAT入隊の体格条件は「屋内や隘路での行動を制限しないため」に「170cm程」と規定される。
だから父の身長は体格制限を超えて選抜要件を満たしていない、それなのに父は「所在不明」になった。

『警察庁に入った同期にまで頼んで探したんだよ、でも馨さんは警察の内部でも所在不明だった。それが警察でどういう意味なのか教えて貰えなかった』

警察内部ですら所在不明になる、そんな異動先は限られている。
そして父の最期を考えたらもう、父がこの場所を駆けていたのだと解かる。

―警備部の任務に就いていたのに所在不明なんて、ここ以外に無い、

もう推定じゃない、事実だ。

そう解かるから疑問は育つ、そして父の沈黙が語りだす。
だから今も父の29年前と同じ時間を駆けるまま全神経は集中する。
この今しか見つめられない時間に父の真実がある、ひとつ洩らさず全てを知りたい。

その意志に駆けて躱して撃って、けれど視界の端と聴覚の向こう「異常」が起きた。

「…っ、」

息呑んだ視界に振り返る、その彼方で一人、被弾に斃れた。







【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」】

(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ 心象風景写真へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋涼の細雨

2013-10-04 21:10:26 | お知らせ他


こんばんわ、ちょっとだけ小雨の夜です。
久しぶりに県立図書館に寄ったんですけど、相変わらず古い空気が良い感じでした、笑
あそこは銀杏の黄葉するとき当ると窓からの眺めがホント綺麗です、で、昔ドラマの撮影もしたのだとか。

昨日の「山塊7」「初衣の花12」加筆校正が終わっています。
このあと昼UPした「煙幕3」の後半を加筆していくトコです。

取り急ぎ、



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする