萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

one scene 或日、学校にてact.6―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-06 04:26:37 | 陽はまた昇るanother,side story
もし言えるのなら、



one scene 或日、学校にてact.6―another,side story「陽はまた昇る」

歩いていく廊下は、静謐に眠っている。
まだ誰も目覚めていない日曜の朝、学校の寮は人の気配も少ない。
ゆるやかな暁が回廊を照らす、その陽射しは静かな空気へと光の梯子を描いた。

…ちいさな天使の梯子、だね?

光のラインへと、嬉しく周太は微笑んだ。
空の雲から大きな光のラインが大地へ降りることがある、それを「天使の梯子」だと父は教えてくれた。
そんな希望のような光のシグナルが、今、この目の前でも輝いてくれる。

この警察学校に初めて入った時は、ただ孤独に蹲まっていた。
殉職した父の軌跡だけを見つめて、周囲への想いも視線も全てを閉じて、もう迷わないようにしていた。
ほんとうは泣き虫で弱虫の自分だから、怖くなって逃げ出す分岐点を、自ら絶ってしまいたかった。
そんな日々の想いはただ哀しくて、切なくて、孤独の痛みが蝕んだ。そんな自分を救ってくれたのは、英二だった。

だから今、この「天使の梯子」に唯ひとつの俤を、つい見てしまう。
この警察学校での出逢いが、本当に自分にとって「天使」との出逢いのようにも思えるから。

「…英二、まだ中庭にいるかな?」

ひとりごと微笑んで、光の廊下を歩いていく。
明けていく朝の輝きはガラス窓を透して眩しい、けれど優しい。
ふる光の向こう、中庭への出口まで来ると周太は、そっと扉を押し開いた。
そして開かれた扉の向こう側、光の朝に白いシャツ姿がこちらを振向いた。

…ほんとうに、天使みたい

真白なシャツに光を弾く、ふりそそぐ暁に白皙の肌まばゆい笑顔を見せてくれる。
濡れたダークブラウンの髪には瑞々しい艶が、朝陽の輪冠を象ってきらめく。
白い輝きと光の冠、綺麗な笑顔。こんな姿は絵本で見た天使のまま、美しい。
素直に見惚れながら周太は、中庭の天使へと名前を呼びかけた。

「英二、」

スニーカーの足を中庭へと降ろすと、足首ふれる朝露に肌から目を覚ます。
生まれたばかりの空気が木々の香に心地いい、清澄な朝に呼吸しながら緑を横切っていく。
そして大好きな人の隣に立つと、見上げて周太は笑いかけた。

「おはよう、英二…追いかけてきちゃった、」

ベッドで目覚めたとき、隣がいなくて寂しかった。
たしかに眠り落ちる瞬間は、綺麗な幸せな笑顔を見つめていたのに?
それなのに消えていたから夢だったのかと哀しくなって、けれどデスクの置手紙に嬉しくなった。
その嬉しい気持ちのまま今すぐ逢いたくて、探しに来てしまった。

…こんなふうに追いかけるのは、恥ずかしいかな?

そんな想いに首筋が熱くなってしまう。
けれど英二は嬉しそうに微笑んで、長い腕を伸ばし抱き寄せてくれた。

「おはよう、周太。追いかけてくれて嬉しいよ、」

素直な笑顔に笑って英二は、そのまま横抱きに周太を抱きあげた。
頬ふれる白皙の肌がなめらかで優しい、ふわり樹木のような香に包まれ安らいでしまう。
そんなふう心ほぐされて、さっき目覚めた時の孤独が朝陽へと消えていく。

…やっぱり、英二の胸が安心できる…ね、

そっと心思ったことに、ふと気恥ずかしさが熱に変わる。
もう首筋は赤い?そんな心配をしながら周太は、ダークブラウンの髪にふれた。

「英二…濡れた髪も、きれいだね、」

冷んやりと瑞々しい感触がゆるく指に絡まる。
ふれるまま掌の髪を掻き上げると、英二は幸せに微笑んだ。

「周太の手に触られるの、気持いいな。もっと触ってよ、」

嬉しそうに言いながら、中庭から廊下へと入っていく。
静かな廊下を周太を抱えて歩いてくれる、その行く先々には光の梯子が降りそそいでいた。
さっきより増えた「天使の梯子」たちを今、本当に天使のような英二に抱えられて、通っていく。

…こんなこと、なんだか不思議だね?

気恥ずかしさと幸せに、微笑はこぼれた。
この幸せをくれるのは唯ひとりだけ、他になんて居ない。
この唯ひとりは、きっと自分にとっては「天使」なのだと想ってしまう。

光一とは「山桜のドリアード」を通して大切な絆がある、けれど英二とは違う。
美代と植物学の夢に見つめる友情は温かく優しい、けれど英二への想いとは全く違う。
どちらの2人も本当に大切な存在、けれど英二はもう自分の一部にすら感じてしまう。
こんなこと烏滸がましいかもしれない、でも、本音の底で感じている。

英二が哀しいと、自分のことより哀しくて。
英二が嬉しいと本当に嬉しくて、もっと喜んでほしくなる。
そして英二が幸せに笑ってくれる時、この自分こそが幸せになってしまう。
そんなふうに英二はいつも、周太に沢山の想いを贈ってくれる。

“あなたは、唯ひとりの天使”

こんなこと気恥ずかしくて言えない、けれど本当の気持ち。
こんなふうに想う事すら、ほら、もう気恥ずかしくて、優しい幸せが温かい。
こんなに自分を幸せで包めるのだから、自分の唯ひとりの天使だと想ってしまう。
だからどうか、永遠に幸せに笑っていてほしい。

どうか願いを叶えて、俺の天使?
どうか、あなたは永遠に幸せに笑っていて?
あなたの笑顔を見ることが、自分には何よりの幸せで、喜びなのだから。

こんなこと気恥ずかしくて言えない、けれど、もし言えるのなら。
もしも笑わずに聴いてくれるのなら、本当は言ってみたい。
けれどまだ伝える勇気が無くて、言ったことは無いけれど。




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第52話 露籠act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-08-05 22:33:43 | 陽はまた昇るside story
天の水、ふりそそぐ想いは



第52話 露籠act.1―side story「陽はまた昇る」

ガラス敲く音が、旋律になる。

ゆるやかに音は間隔を狭め、空間を水音が占めていく。
カーテン透かす光は淡い、もう夜が明けても仄暗い底に部屋は沈みこむ。
どこか流れ止められた時間は澹に埋もれて、寂しげな安らぎが寄添ってくる。

はたた、はたた…

ガラス打つ雨音が、眠り醒めた耳朶を撫でていく。
その音の合間を慰めるように、やさしい寝息が脈打っている。
穏やかな吐息は英二の懐で、オレンジの香と温もりを燻らせながら深く眠りこむ。
その微笑んだ唇にキスふれる、ふれたキスが甘くて、幸せで英二は微笑んだ。

「…周太、」

そっと名前を呼んで、やさしい寝顔に笑いかける。
雨ふる音と翳に籠められたモノトーンの部屋、眠る頬の紅潮だけが鮮やかな息吹に見えて。
世界に唯ひとつ咲いた花を抱いている、そんな想いに尚更この瞬間が愛しくなる。

…はたた、はたん、はたた…

優しい雨ふる音、やわらかな寝息の声、あわいオレンジの香。
ただ眠っているだけの人、けれど長い睫も薄紅の頬も生きて、シャツ透かす体温は命の鼓動を響かせる。
この静謐に横たわり抱きしめて、恋愛の生命を腕に抱いている。この瞬間こそが自分の全て。
そんな想いに見上げた窓は、カーテン透かして水の軌跡が影映す。

まだ雨は止まない、恋しい人と自分を閉じ込めるように。
もう雨は止まなくていい、このモノトーンの静寂にふたりきり眠っていたい。
そんな願い抱きしめて、けれど英二は腕をほどいた。

「…危ないな、また、」

こぼれた吐息が、ほろ苦い。
こんなふうに、ふたりきりを願うことが今は怖い。
ずっと永遠のふたりきりを願う、そのたび心が泣きだしそうで、叶わぬ願いに絶望してしまいそうで、怖い。
こんなに自分が弱いだなんて、想わなかったのに?

「…頭、冷やして来るな?周太、」

眠る恋人へ微笑んでキスふれる、そして抱きしめた体から腕を静かに抜いた。
音たてないようベッドを降りて、そのままタオルを持つとベランダの窓に向かう。
そして長い指をカーテンに掛けて微かな音に引いた。

…しゃっ…

ちいさな布引く音に、濡れたガラスが現われる。
水が軌跡を描く窓の向こう、グレーの濃淡が雲を象り風に動いていく。
北西の方角も灰色の雲が充たしている、きっと奥多摩も雨だろう。
グレーの彼方に郷愁を見つめながら、長い指は窓の鍵を外した。

かたん、

鍵外された窓の把手に、長い指を掛ける。
静かに指先へ力籠めると、大きな窓はゆっくり音も無く開かれていく。

さああっ…

開かれた窓から、雨音が心ふれていく。
冷えた風が水を香らせ頬撫でる、そのまま微風の外へと英二は足をおろした。

さあっ、さあああ…

絶えない雨ふるベランダは、誰もいない。
生まれたはずの太陽も雲の向こう鎖されて、暁の光すら大地に届かない。
薄闇の支配する朝のなか、ふりそそぐ水の風へと英二は目を細めた。

―なんだか、心を曝されているみたいだな…

太陽は、今も空にあるだろう。
けれど隠された雨雲に見えない今が、どこか希望を隠される心と似ている。
この今もベッドで見つめてしまった「ふたりきり横たわっていたい」想いは、甘やかな絶望の願いだから。

もう6月になった、この雨は夏を呼ぶだろう。
そして呼ばれる夏に希望ごと遮られて、未来の幸せな瞬間を見つめることが出来ない。
そんな今の自分だから、甘い絶望に沈んでは自分勝手な欲望に奔りそうになる。

いま眠るひとの首に、この掌を掛けたなら?

そんなことをしても幸せにはなれない、そう解っている。
それなのに、別離の瞬間が怖くて怯えて、ともに眠れる今に時を止めたいと願ってしまう。
そんな自分は弱すぎる、こんな自分が悔しくて赦せない、それなのに衝動は消えない。

この掌には今、抱きしめていた体温がまだ温かい。
この耳に聴いた吐息は優しい音楽になって、幸せな記憶を残している。
ふれる吐息のオレンジの香も、黒髪ゆれる穏やかで爽やかな匂いも、自分は好きで。
温もり、声、香、それから瞳の表情、抱きついてくれる掌と腕の想い、何もかもが愛しくて堪らない。
この全てが「生きている」から輝くのだと知っている、それなのに何故、衝動が消えない?

―どうして…

自分で自分が解からない、ただ恋して愛していることしか解からない。
この想いだけが真実で、確かなもので、この想いの為に護りたいと願い努力を積んできた。
それなのに時の迫る今、共に死を願ってしまう。こんな弱さを後悔した自分なのに、今もまた心揺らいだ。
だから想う、もしかしたら人は自分自身が最大の敵なのかもしれない。

―必死なほど、自分が敵になるのかな…自分の弱さが壁になって、

ただ想い廻らしながら手すりに凭れ、雨空に身を晒す。
髪を透って雫こぼれて、頬に首筋に冷たく降りそそぐ。もうシャツが濡れて、絡むよう肌に纏わりつく。
濡れたシャツ透かして雨が肌を打つ、水うたれる感覚に意識が冷えて、落着いた思考が戻りだす。
見つめる空間は雨に、白い紗がおりて幻のよう目に映る。そんな情景に、どこか儚い涯を見た。

この世界の全ては幻かもしれない。
この今に自分が抱いている不安も哀しみも、儚い夢かもしれない。
それならば絶望にすら「涯」が、終わりがきっとあるだろう、だから信じて進んだなら希望に遭える?
この雨雲を抜けた向こうには、太陽が変わることなく輝いているように、自分が求める幸福の瞬間もあるだろうか?

「…きっと、ある、」

確信を見つめて微笑んだ、その向こうに灰色の空が動いた。
ゆるやかな風が濡れた頬を撫でていく、その風に誘われるよう雲は流れて、空の一角が明るみだす。
そして風雨の紗を透かした空の彼方、太陽の俤が白く現われた。

―お父さん…?

現われた太陽に写真の俤を見て、濡れたシャツの胸元を握りこむ。
握りしめる掌の中には小さく、けれど硬く確かな輪郭が触れてくれる。
この鍵は大切な家を開く宝物、この持主への想いに熱が瞳の奥に灯りだす。
そして生まれた涙は想いの軌跡を描いて、雨と一緒に頬を伝った。

この鍵で馨は、あの夜も家に帰りたかった。
この鍵で家の扉を開いて、愛する妻と息子の笑顔に笑いかけたかった。
その想いごと自分は鍵を託されている、このことを忘れかけていたと今、気付かされる。

―俺も、この鍵で家に帰るんだ…周太が待つ家に、お母さんが待ってくれる家に、

この鍵で必ず帰り続けたい、そして大切な笑顔を護りたい。

この大切な願いを忘れて、自分は「別離」という名の絶望に心浸していた。
ただ、願えばいい。そんなシンプルなことにどうして、気付けなかったのだろう?
それくらい自分は「別離」が怖い、こんなにも暗愚になって気づけなくなるほど、怯えている。
だから覚悟をしたい。

きっと自分は、この先も何度も怯えるだろう。
これから現われる周太の危険、別離の瞬間たち、自分の無力感。そんなものに打ちのめされるだろう。
それでも何度でも自分は、この鍵の想いを蘇らせて立ち上がりたい。どんなに泣いても、絶対に諦めたくはない。
きっと絶望の雲の向こうには、幸せの瞬間が待っていると希望を見つめたい。

晴れない雲は無く、止まない雨も無い。だから終わらない絶望も、きっと無い。

そう信じていたい、何度でも「鍵」を想い出して。
何度も泣いても、幾度も絶望に惹きこまれても、暗い衝動に襲われても負けたくない。
どうか必ず暗い時を越えて、明るい幸せの瞬間に愛する人を攫いたい。
その瞬間の為にだけ、自分は命を懸けたい。

―死ぬために命を懸けるんじゃない、救けるために、生きるために命を懸けるんだ、

これが自分の願い、もう最初から見つめている。
この祈りに全てを懸けようと決めて、ここまで来た。

どうかこの願いを叶えたい。
幸せの笑顔だけが愛する人に咲く、そんな穏やかな日々を迎えたい。
その為だけに自分は命を懸けたい。ふたり永遠に眠るのは、ずっと先の未来でいい。

「うん…もっと先で、いいよな?」

これで覚悟が今、また1つ肚に座ったな?
この想いに微笑んで見上げた空は、雲が強い風に動いていく。
こんなふうに風動くとき、山の天候変化は大きい。けれど最高峰の頂は、晴れているかもしれない。
あの青く白い世界では、雲すら足元に見下ろす高い「神の領域」と似た視点が与えられる。
あの場所にもし今、自分が立っていたならば、こんな悩みは小さく見えるだろう。

「よし、」

もう、頭はクリアになった。
髪もシャツも天の水に冷やされて、肌から脳髄まで冷静が戻っている。
これならもう大丈夫、そんな想い微笑んだ背中に、大好きな声が掛けられた。

「えいじ?どうしたの、ずぶぬれだよ?」

愛しい声に振向いた視線の真中で、黒目がちの瞳が大きくなっている。
いったいどうしちゃったの?そんな疑問に瞳が困ったよう見つめてくれる。
そんな貌も可愛くて愛しくて、濡れた髪を掻きあげながら英二は綺麗に笑った。

「おはよう、周太。いつもの水被るやつ、今朝は空のシャワーにしただけだよ?」

こんな答えにどう反応してくれるかな?
やっぱり、ちょっと変だって思われても仕方ないな?
そう笑いかけた先で黒目がちの瞳は、可笑しそうに微笑んでくれた。

「ん、雨に濡れるのも楽しいよね?…でも、風邪ひくといけないから、こっちに来て?拭いてあげるから、」

拭いてくれるなんて嬉しいです、俺に構って?

そんな素直な想いこぼれて、我ながら笑ってしまう。
この笑顔の幸せを見つめて英二は、部屋の中へと戻った。



今日最後の授業は2時限連続で、救急法の総括になっている。
これは自分にとって、最も身近な現場で大切な知識だから楽しみにしていた。
その授業始めに礼が終わると、遠野教官はいつものよう渋い声で言った。

「今日の救急法は講師の方にお願いしてある、警察医で救命救急の専門医の方だ、」

言って、遠野は英二と藤岡に目を走らせる。
その視線と言葉から講師が誰なのか、もう解かってしまう。
そう微笑んで見た扉が静かに開かれて、懐かしいロマンスグレーの白衣姿が現われた。

「こんにちは、青梅署警察医の吉村と申します、」

穏やかな声で吉村医師は微笑んで、教場を見渡した。
きっと藤岡と関根と、瀬尾も笑っているだろう。そして誰より周太が嬉しく微笑んだろうな?
そんな想いと見つめる吉村医師は、いつもの穏かな笑顔で話しを続けた。

「今日は『救命救急と死体見分』と講題を頂いています。これは生死の差はありますが、被害者の方に対応する意味で同じです。
この現場としては市街地と山岳地域のケースがありますが、この2つのケースの違いから現場の対応を考えて頂けたらと思います、」

そこまで説明し、吉村医師は黒板へと向き合った。
そのとき教場の扉がノックと開かれて、制服姿の長身が資料を抱えて入ってきた。

「先生、遅くなってすみませんね。コピー機が混んでいたので、」
「ああ、こちらこそ申し訳ありません、」

会話を交わし吉村医師は笑っている、その相手に英二の視線は止められた。
まだ見慣れない夏服姿、けれど背中も横顔もよく知っている、その透明な声すらも。

―なんだって今、ここにいるのだろう?

そんな疑問の真中で当人は資料を配っている。
そして英二に資料が手渡された時、相手の名前は唇から零れた。

「光一?なんで今、ここにいるんだよ?」

つぶやいた名前に、雪白の貌がこちらを見てくれる。
その貌で底抜けに明るい目は悪戯っ子に笑って、そして笑い堪えたテノールが言った。

「宮田くん、私は講師の補佐として居るんですよ?だから『国村さん』と呼んで下さいね、」

一人称「私」を遣う「国村さん」とは、初対面だな?

そんな感想が可笑しくなって、つい笑ってしまいそうになる。
けれど逢えたことが今、嬉しくて英二は素直に答えた。

「はい、失礼いたしました。国村さん、」
「うん、素直でよろしいですね、」

からり笑って「国村さん」はまた資料を配り始めた。





(to be continued)

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one scene 某日、学校にてact.6―side story「陽はまた昇る」

2012-08-05 04:36:08 | 陽はまた昇るside story
言えないことも、



one scene 某日、学校にてact.6―side story「陽はまた昇る」

白いシーツに黒髪こぼれて、暁の光に艶ふりそそぐ。
すこし紅潮した頬のあわい色彩が優しい、その頬に翳おとす睫にも光けぶる。
幸せに微笑んで眠る唇が愛しくて、そっと英二はキスをした。

「…周太、」

宝物のよう名前ささやいて、もういちど唇を重ねる。
ふれる時はオレンジの香あまくて、すっかり馴染んだ味が嬉しい。
まだ今は夜明けの時、だから独り占めできる時間は2時間はある。でも今日はそれだけじゃない。

―今日は、昼間も独り占め出来るな、

今日は日曜日、ふたりで外出をする。そんな予定に微笑んでしまう。
本当は青梅から真直ぐ川崎に帰りたかった、けれど状況が変わって警察学校寮に戻って。
それを後悔はしない、山ヤとしてレスキューとして、男として友達として、藤岡1人にするわけにいかないから。
けれど、周太との約束を守れないことは哀しくて。逢えない時間と独りの夜を思うと、辛くて。
昨日帰って自室の扉を開いた瞬間、からっぽの空洞が心映りこんで煙草が恋しくなった。けれど、周太は待ってくれていた。

―…俺の隣が英二の帰る場所なのでしょう?だから、待ってたよ

そう言ってくれて、うれしかった。
約束を守れなかったのに、それでも周太はここで待っていてくれた。
まさかと思った、逢いたい気持ちの幻なのかと思った、夜眠り墜ちる瞬間も幻を抱いているのかと不安で。
けれど目覚めた今も、腕のなかにいてくれた。待ってくれていたことは夢でも幻でも無かった。
この現実が嬉しくて仕方ない、懐のひとを英二は抱きしめた。

「待っていてくれて、ありがとう…ほんとうに俺、嬉しいんだよ?」

どんなに嬉しいか、なんて君には解らないよね?

独りぼっちで眠ると思って、墜ち込んでいた。
本当は離れていると不安で、特に水曜の夜があってから尚更に離れることが怖い。
もし離れている間に周太の状況が変わってしまったら、二度と逢えなかったら?そんな不安に離せない。
そして、奥多摩山中で見た光一の、もう1つの貌に抱いてしまった想いを聴いてほしかった。

白魔、冷厳、無慈悲の慈悲

雪白の横顔は、そんな言葉たちが相応しかった。
透明な目は無垢のまま冷酷で、白い手は容赦なく犯人の手首を砕いた。
あの瞬間、光一のクライミングネーム『K2』は「非情の山」を意味すると思い知って。
あの瞬間の光一に冬富士の雪崩を見た、白銀の山神を映したような姿に、唯人である自分が共に立つことへの畏怖を憶えた。
そんな光一の素顔に怯えかけた自分がいた、それでも、あの山っ子と一緒にいたいと自分は願ってしまう。
だから誰かに言ってほしかった、あの神のようなクライマーと夢を共有し続ける、その約束を認めてほしかった。

“ふたりは最高峰に行くためにも、お互いに唯一人のパートナー”

そう周太が言ってくれた時、本当に嬉しかった。
この純粋で凛とした瞳が真直ぐ見つめて、穏やかな声が告げてくれた、それが嬉しい。
この最愛の恋人に言われたのなら、それが運命なのだと肯定出来てしまう。

「…周太?どうして俺がほしい言葉が、いつも解かる?」

微睡む顔へと静かに笑いかける、そんな今の瞬間も愛おしい。
ふたりきり抱きしめ横たわっている、このひと時は宝物の時間。
ずっと、こうして寄り添っていられたら?そんな想いに英二は、ほろ苦く微笑んだ。

―そんな考えが、危ないな…俺は、

ずっとこのまま時を止めて、寄添いたい。
そんな考えと想いが水曜日、自分の掌を恋人の首へと掛けさせた。
あの過ちを繰り返しそうな熱情が自分で怖い、これは何の解決にもならないと解っているのに。
それなのに離れることが嫌で傍にいたくて、自分だけに独り占めしたくて、そんな独占欲が離れる瞬間に怯えて狂いだす。

こんなふうに自分が誰かを求めるなんて、想わなかった。この恋人に出逢うまでは。
こんなに繋がりたい相手がいるなんて知らなかった、唯ひとりの人を抱くまでは。
こんなにも失うことが怖いことを、自分は知らなかったのに。

「…好きだよ、周太。だから、ごめん…でも愛してるんだ、」

そっと囁いて、キスをする。
ふれるだけのキス、それなのに酷く幸せが甘くて蕩かされる。
こんなにもキスが甘いことも、媚薬のよう効いてしまうことも、この唇に自分は知った。

このままだと、また危ないな?
ほら、もう体の芯には衝動が目を醒ましかけた、このままだと素肌を求めてしまう。
まだ理性が残っているうちに、早くこの体から一旦離れた方が良い。

―ちょっと頭、冷やして来ようかな

すこし自分を持て余し微笑んで、眠る小柄な体から静かに腕を抜きとると英二は起きあがった。
いつものようデスクのメモ用紙にペンを走らせ「中庭にいるよ」と置手紙をする。
そうして鍵とタオルを持つと、静かに扉を開いて廊下に出た。

まだ眠り深い時間は、朝の沈黙に静まり返る。
誰もいない廊下には自分の足音だけが響いて、静謐の深さを増してしまう。
ただ朝の光だけが目覚めて足元を照らし、あわい光の映る廊下を歩いていく。この静寂の時が自分は好きだ。

―こんなふうに静かだと、山を想い出して良いな…

いまごろ御岳の山は、鳥たちの目覚めの声が響くだろう。
朝靄は山嶺を廻らし流れて、おだやかな湿度と香を空気に与えて融けていく。
きっと夜露の降りた草木は瑞々しい香、あのブナの木も目覚めの呼吸に芳香を放つだろう。
こんな想像に願いがうかぶ『すこしでも早く、周太を連れて奥多摩に行きたい』と願い、祈りだす。
家ごと奥多摩に移って故郷を作る、そんな日を迎えたいと願う。

そんな想いと歩いて中庭に出ると、現実の樹木の香が頬撫でた。
どこか懐かしい香に微笑んで、いつもの水道で蛇口をひねると冷水が流れだす。
そこへ差出した頭に水は降注いで、髪から滴りだすなか意識が目を醒ましていく。

今日は日曜日、休日を周太と外出して過ごす。
初任総合の研修中だからスーツでの外出だけれど、それでも2人一緒に過ごせる時間が嬉しい。
そんな休日だから本当は、水を被って意識を締める必要はないのかもしれない。
それでも何があるか解らないから、こうして心締めて冷静を裡へと作り出す。

「…よし、」

蛇口を閉めて、水を止める。
タオルを被り頭を上げると、ふっと吹きつけた風が濡れ髪を撫でつけた。
拭っていく頬に首筋に風ふれる、その涼やかさに冷え切った脳髄が感覚まで研ぎ澄ます。
そんな澄んだ聴覚へと、微かな足音がふれた。

…たん、…たん、…たん、

足音が、中庭への扉前で止まる。
そして扉はゆっくり開いて、小柄な白シャツ姿が微笑んだ。

「英二、」

素足に履いたスニーカーが、中庭へと降りてくる。
朝露ゆらしながら歩いてくる足元が、瑞々しく濡れていく。
やわらかな黒髪に朝陽を艶にして、黒目がちの瞳が嬉しそうに笑ってくれた。

「おはよう、英二…追いかけてきちゃった、」

そんなの嬉しいです、ぜひ追いかけて下さい。

そんな心裡の声に笑ってしまう。
ずっと自分は、この恋人を慕っては後を縋って、捕まえようとしているから。
だから今も掴まえたくて、英二は長い腕を伸ばした。

「おはよう、周太。追いかけてくれて嬉しいよ、」

素直な想い告げて笑って、英二は恋人を横抱きに抱きあげた。
こうしてしまえば逃げられない、自分の腕に閉じ込めて、どうか掴まえさせていて?




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第51話 風伯act.7―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-04 23:02:23 | 陽はまた昇るanother,side story
風、還るところは



第51話 風伯act.7―another,side story「陽はまた昇る」

遅い午後の光あふれて、白い部屋の表情がやわらかい。
やわらかな空気に微笑んで扉を閉めると、デスクの夏椿が朝のままに瑞々しい。
すぐジャージに着替ると椅子に腰降ろして、周太は花に微笑んだ。

「留守番、ありがとう、」

笑いかけた先、白い花の蕾が開きかけている。
ふと見ると花活の足元には、ひとつ花が落ちていた。
そっと拾いあげ掌に載せると、やわらかな花びらの艶が優しい。

「…ん、きれいだね?」

花に微笑んで、ふと昨日の夕方が心映りこんだ。
この花を分けた女の子は、どんなふうに活けてくれたのだろう?
本当に花が好きそうだったな?そんな記憶に周太は微笑んだ。

「きっと、可愛がってもらってるよね?」

ひとりごとに見た花へと、もうひとり俤が浮びだす。
この花を抱えた向こう、廊下の角から見つめてくれた瞳。
すこし不安げで寂しげで、どこか縋るようで。そんな表情でも英二は、綺麗だった。

「…光一が好きになるのも、仕方ないよね、」

掌の花に微笑んで、幼馴染の泣顔を想い出す。
きっと光一にとって英二は、誰より一緒にいてほしい相手だろう。
それなのに今日も光一は、ここまで周太を送り届けて笑ってくれた。

「あいつの前で、たくさん笑ってやってね?周太が笑うと、あいつは最高に良い貌するから、」

そう言ってくれた光一の貌は、明るい寂しさが透明にまばゆくて。
あの貌には想いの真実が、大らかな恋への優しい想いが輝くようだった。
立場も、性別も、どんなことも遮れない真直ぐな想いが、無垢の瞳に明るかった。
あんなふうに光一は周太を見つめない。だから英二への想いとの違いが、周太には解ってしまう。

…あんなに英二を想ってくれる、だから大丈夫だね?

あんなに想うのなら、きっと英二のことも護ってくれる。
大切な「山」を護りたいと願うように、英二のことも護り大切にしてくれる。
そんな確信に微笑んだとき、遠い足音が廊下を叩いた。

かつ、かつ、かつ、…

小気味よいリズムを刻む、革靴のソール。
この歩き方はよく知っている、掌に花を包んだまま済ます耳に、音は近づいてくる。

かつ、かつん、

ほら、すぐ隣の前で音が止まる。
きっと鍵が開く音が聞こえるはず、そんな期待の扉向うで開錠音が響いた。

かちり、…かつ、かつん…かちり

開錠音に続く革靴の音、また鍵の閉まる音。
そして壁の向こう側に、懐かしい気配が動き始めた。

「…ん、帰ってきた、」

待っていた人が、帰ってきた。
嬉しく掌の花に微笑んで、そっと机の上に花を戻す。
その掌に携帯電話と鍵を持って、立ち上がると周太は静かに扉を開いた。

こん、こん…

いつものよう、隣の扉をノックする。
その扉むこうで気配が少しだけ動く、けれど扉は開かない。
でも、もう戻ってきているはず。そんな確信と周太はまたノックした。

こん、こん…

手の甲に響いた音に、足音が重なり近づいてくる。
かちり、開錠音が鳴って扉が開かれて、ワイシャツ姿の長身が現われた。

「英二、やっぱり戻ってた、」

笑いかけた先、切長い目が大きくなっている。
いま自分は何を見ているのだろう?そう驚いた貌が可愛らしい。
やっぱり驚かせちゃったかな?微笑んで周太は、婚約者に声をかけた。

「昨夜は、本当にお疲れさま、」

声をかけながら長身の横を通って、部屋に入っていく。
けれど英二は扉を開いたまま、ぼんやり周太を見つめて佇んでいる。
よほど驚かせてしまったらしい、そんな呆然に佇んだ貌へと周太は微笑んだ。

「どうしたの?英二…扉閉めて、こっちに来て?」

声に応えるよう、切長い目がひとつ瞬いた。
ぼんやりと白皙の手はドアノブを押して、静かに扉を閉じると鍵を掛けてくれる。
ひとつ分の呼吸、そして広やかな背中がスローモーションのよう振向いて、綺麗な低い声がこぼれた。

「…どうして周太が、ここにいるんだ?」

いま夢でも見ている?

そんな貌が周太を見つめて、長い脚がこちらに向かってくれる。
じっと切長い目は視線外さずぬまま、その眼差しへ笑いかけると周太は答えた。

「外泊申請を今朝、外出許可に切替えたんだ。だから大学に行って、美代さんと内山とお茶してから、戻ってきたよ、」
「どうして?お母さん、待っていたんだろ?」

問いかけながら長い腕を伸ばして、そっと周太を抱き寄せてくれる。
ほろ苦いよう甘い、深い森と似た香がやわらかに体を包んでいく。この大好きな香に周太は笑いかけた。

「言ってくれたでしょ?土曜日には帰ってくる、って…だから、待っていたかった、英二のこと、」
「約束の為に、待っていてくれたの?俺が、川崎に帰れなくなったから、」

どうかYesを訊かせて?
そんな想いを告げる切長い目の、眼差しが熱い。
見つめられる想いが気恥ずかしいけれど幸せで、穏やかに周太は微笑んだ。

「ん、約束してくれたから、待ってた。だって、俺の隣が英二の帰る場所なのでしょう?だから、待ってたよ?
ここだと、ごはん作ってあげられないけど、でも一緒には食べられるし…いっしょにおふろはいってねむることならできるし」

最後の言葉は恥ずかしい。けれど今は伝えたくて、思い切って言ってしまった。
きっと英二は水曜日のことを気にしている、だから少しでも多く想いを伝えて、安心させてあげたい。

“あなたが好き、だから一緒にいさせて?”

この想いを今、たくさん伝えたい。
そして水曜日に見た英二の、離れてしまう不安と苦しみを少しでも和らげたい。
それから今、きっと英二の心に蹲る昨夜の事件と、光一への想いを受けとめて安らがせたい。
だから今夜は帰りを迎えてあげたかった。この想い微笑んだ真中で、幸せな笑顔がほころんだ。

「うん、俺の帰る場所は周太だよ?俺、ほんとうに逢いたかったんだ、だから今、すげえ幸せだよ、」
「ほんと?幸せなの、英二?」

嬉しく見上げて広やかな背中へと手を回す。
そっと抱きしめる掌ふれる温もりがワイシャツを透かして優しい、ほっと微笑んだ周太に英二は綺麗に笑ってくれた。

「幸せだよ。泣きそうに俺、周太に逢いたかった…ずっと一緒にいてよ、」

綺麗な笑顔で幸せ告げて、その唇が周太の唇へと重ねられる。
ふれるだけのキスは優しい温もりあふれて、幸せな想いが心を満たしていく。
掌ふれるシャツと体温、抱きしめられた樹木の香とかすかな汗、どれにも愛しい記憶と想いがある。
この今もまた記憶になって、いつか宝物に見つめる瞬間となっていく?そんな想い微笑んで唇が離れた。

「周太、話したいことが沢山あるんだ…聴いてくれる?」

少し泣きそうに微笑んだ切長い目が、真直ぐ見つめてくれる。
この話したい事が何なのか、たぶん自分は解かっているだろう。小さな覚悟と微笑んで周太は頷いた、

「ん、聴かせて?英二の話…時間はあるから、」
「ありがとう、周太、」

微笑んで英二は周太を抱きしめたまま、ベッドへと座りこんだ。
長い腕に包まれて見上げると、優しい眼差しが笑ってくれる。そして白皙の貌はすこし寂しげに微笑んだ。

「周太、俺は昨夜、人に向けて発砲したんだ。逃げようとした犯人を威嚇するために、」

告げて、切長い目に微かな怯えが微笑んだ。
その微笑みに心が大きく安堵の吐息こぼして、静かな感謝を周太は祈った。

…よかった、英二は怖いって、ちゃんと想ってくれる…ありがとうございます、

人間へと、命ある者へと発砲することは、怖い。
それは銃火器の意味を知っているほどに感じる、まともで人間らしい、真実の感想だろう。
それが麻痺してしまったら本当は、拳銃など持つべきではない。それは拳銃の意味を理解していないことだから。

拳銃は、生命を奪う道具。
そのことを父の死に向き合う日々に、幾度と見つめたことだろう?

そんな自分が愛するひとも、発砲したことを「怖い」と想ってくれている。それが嬉しい。
もし英二が拳銃の怖さを解ってくれないのなら、それは周太の苦しみを理解されない事だから、哀しい。
なにより、父が抱いていた苦しみを理解されない事は辛い、哀しい。これを解ってもらえなければ、信頼は崩れてしまうから。
この理解と「怖い」が嬉しくて温かい、その温もりに微笑んだ隣で英二は言葉を続けてくれた。

「光一が、犯人の手首を警棒で撃ったんだ。でも犯人は逃げようとした、それで足元の地面を狙撃して…足止めは出来たよ。
でね、周太…俺、本当のこと言うと発砲したこと以上に…光一のこと、すこし怖いって思ったんだ。こんなことは、初めてだけどね、」

―…もう、あいつに怖がられたかも…嫌われたかもしれない…ほんとうはどう想ってるのかな?ねえ、嫌われるの怖いよ

さっき光一が告げた言葉たちと、英二の言葉が重なってしまう。
この「怖い」の意味を聴かせてほしい、英二の本音を知りたい。そう見つめた先で端正な唇は微笑んだ。

「犯人を見る光一の目は、初めて見る表情だったよ。無慈悲の慈悲、って言うのかな…雪崩みたいに強くて冷たくて、逆らえない。
そういう男のザイルパートナーに俺が相応しいか、迷ったよ…なんだか光一が神さまみたいに見えて、でも俺は唯の人間だから。
でも光一、昨夜も俺のとこに来てくれて、一緒に寝たんだ。いつもみたいにキスして抱きしめて…俺、一緒にいたいって自然に想えた、」

率直に想いを話してくれる、それは残酷にも傷んでしまう。
ふたりが寄りそってくれる事は周太自身が望んだこと、それでも心軋むことは偽れない。
そして、昼間に光一が泣いていた通りに英二が恐れている、そのことが切なくて哀しくて、傷む。
けれど英二の正直さは周太と光一への誠実な想い、その事を解っているから聴いていたい。この想いに周太は口を開いた。

「光一はね、英二のこと本当に好きで、大切だよ…それに、ふたりは最高峰に行くためにも、お互いに唯一人のパートナーでしょ?
だから一緒にいなくちゃいけないし、好きだから一緒にいたいでしょう?…夢を叶える為にも、お互いの気持ちの為にも、一緒にいて、」

どうか2人が今回の事から、また絆を固めてくれますように。
そんな想いと見つめる真中で、美しい婚約者は言ってくれた。

「周太、また俺、思い知らされるな?俺が恋するのは、周太だけだ…周太の隣だけが、俺の安らげる場所だよ、」

想い告げながら抱きしめて、唇キスふれていく。
まだ夕方、けれど触れられる想いはもう、2人きりの瞬間を求めている。

「…周太、好きだ…離れないで、」

長い指が髪を抱いて、額に額つけてキスふれていく。
抱きしめられる腰を長い腕は離さない、唇から熱が偲びこんで甘くて。
これから夕食も風呂もある、点呼だってあるのに?拒めないキスのはざまから周太は、問いかけた。

「…ん、はなれないから……安心して?…ね、ご飯行かないと、」
「うん…でも、あと少しだけ、」

微笑んでまた唇重ねてくれる。
そんな際限ないキスが重なる時を、窓ふる光はオレンジ色に照らしだす。
ゆるやかな黄昏ふくんだ金色があざやいで、抱きしめてくれる肩に光降りそそぐ。
頬ふれるワイシャツが光に染まっていく、光色したシャツが包んだ腕は力強くて、今、離れられない。



風呂から上がると、携帯電話の受信ランプが瞬いていた。
洗面道具を片づけ開いた画面には、今日も呼んだ名前が表示される。この名前に微笑んで周太はメールを開封した。

From :国村光一
Subject:うまかった
本 文 :チョコクロワッサンと茄子のピザはビンゴだね、俺の好み解ってくれて嬉しいよ。ありがとね。
     あと、あいつからの電話が嬉しかった。

短い文面だけれど、光一の笑顔が伝えられる。
うれしい想い微笑んで返信メールを作っていく、そして送信したとき扉がノックされて周太は鍵を開けた。

「お待たせ、周太、」

おだやかに綺麗な笑顔が見つめて、扉を閉めてくれる。
その笑顔の明るさに、嬉しい予想を見ながら周太は尋ねた。

「藤岡の具合、大丈夫そう?」
「うん、裂傷は塞がってきてるし、腫れも順調に退いてる。代謝が良い所為かな、回復が早そうだよ、」
「そう、よかった、」

ほっと微笑んで周太は、缶コーヒーと紙袋をデスクに置いた。
それを見た英二は嬉しそうに笑うと、やわらかく抱きしめてくれた。

「いつものパン屋、行ってきてくれたんだ?ありがとう、周太、」

こんな貌で喜んでくれると嬉しいな?
嬉しいけれど気恥ずかしいまま、周太は微笑んだ。

「ん。ご飯、作ってあげられないからね…こんなので、ごめんね、」
「こういうの、嬉しいよ?周太、」

笑って頬にキスすると、紙袋を開いてくれる。
長い指が缶コーヒーのプルリングを引くと、ほろ苦く甘い香が湯気と昇った。
本当は家でコーヒーを淹れてあげたかったな?そんなこと想い見つめる先で、クロワッサンを手に取りながら英二が笑いかけた。

「周太、明日は外出許可を取ってくれる?」

意外な提案に驚いて、周太は婚約者の顔を見た。

「出掛けるの?…藤岡に付添わないの?」
「藤岡に買物を頼まれたんだよ。経過も良いし、朝晩の包帯を変える時に手伝えば、大丈夫、」

さくり、芳ばしい香を立てながら英二は微笑んだ。
もし一緒に出掛けられるのなら嬉しい、素直な想いに周太は笑いかけた。

「それだったら、朝一で申請出すね…なにを買うの?」
「登山図だよ、だから新宿のいつもの本屋に行こうかと思って。その後で、あのベンチに行こうか?」

あのベンチは、想い出が多い。
もう暫く英二とは行っていない、また一緒に座れたら嬉しい。微笑んで周太は頷いた。

「ん、あのベンチ行きたいな?」

あのベンチは、初めての外泊日にふたり座った場所。
あのとき初めて一緒に外出して、本屋に行って、あのラーメン屋で食事した。
そして今も着ているシャツを買ってくれたのは、あのときだった。

…あのときと同じ所、歩きたいな

ふっと想うことに幸せが温かい。
けれど温かい分だけ心が、軋むよう切なくなってしまう。
この切なさの意味を自分は知っている、けれど今は、この切なさを見つめたくはない。
もうじき離れてしまう日が近づいてくる、だから今の幸せの温もりを抱きしめていたい。

もう本配属まで1ヶ月を切った、そのとき運命の風は、どこへ?







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one scene 或日、学校にてact.5―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-04 04:46:44 | 陽はまた昇るanother,side story
言ってくれたけれど、



one scene 或日、学校にてact.5―another,side story「陽はまた昇る」

…きれい、英二

見つめている目の前で、英二の右腕が関根の右手をねじ伏せた。
その力はじけるよう動いた瞬間が、コマ割りのよう記憶でリフレインされていく。
瞬間の腕、肩、胸の動きはTシャツ透かして逞しい、しなやかに動く流線が美しくて見惚れてしまう。
出逢った頃と今とは別人、人は鍛え方や生活で体から変化するのだと知らされる。
そんな感想とぼんやり見惚れる真中で、綺麗な笑顔がほころんだ。

「お待たせ、周太。もう、部屋に戻らないとな?」
「…あ、はい、」

大好きな笑顔に誘われるよう微笑んで、周太は英二の隣に行った。
まだ談話室には今の腕相撲で熱気が濃い、それなのに勝者が出て行ってしまっていいのかな?
そんな遠慮を想いながら並んで談話室を出ると、長い腕が浚いこんで周太は横抱きに抱え込まれた。

「搬送トレーニング、協力してくれるよね、周太?」

綺麗な幸せそうな笑顔がねだってくれる。
こんな貌をされたら断り方なんて解からない、けれど気恥ずかしい。

…だって今、みんな見てるのに…

ほら、談話室から視線が集中する。
たとえ腕相撲とは言え、勝者のことを注目するのは当たり前。
それなのに英二は堂々と周太を抱えてしまう、こういうことは嬉しいけれど、やっぱり気恥ずかしい。
そんな考え廻らしながら首筋が熱くなってくる、困ってしまう。けれど切長い目は嬉しそうに瞳をのぞきこんだ。

「周太、抱っこしていい、って許可出してよ?」
「…ん、」

つい生返事になって、俯いてしまう。
いつも家で英二は「お姫さま抱っこだよ」と言って抱えてくれるから、すこし慣れてはきた。
けれど人前はやっぱり恥ずかしいし、こんなに視線が集中するのは困る。
そんなふうに頭ぐるぐると困っているうちに、気がついたら部屋のベッドに座っていた。

「周太?大丈夫か、顔が赤いな、」
「…あ、部屋?」

いつのまに部屋に着いたのかな?
驚いて切長い目を見つめ返すと、すこし心配そうに微笑んでくれた。

「うん、部屋だよ?ぼんやりしてるね、周太。熱っぽいのかな、」

言いながら長い指の掌が前髪をかきあげてくれる。
すっと白皙の貌が近づいて、額に額をつけくれた。

「すこし熱あるな、やっぱり湯冷めさせたかな。ごめんな、周太、」
「違うよ、英二?俺が談話室に寄りたい、って言ったから…」

本当に英二は悪くないのに?
そんな想いと見た真中で、端正な貌は困ったよう微笑んだ。

「可愛いね、周太は。困るよ、」

そう言って、周太をベッドへと寝かしつけてくれる。
いったい何が困るのかな?素直に布団に包まれながら周太は訊いてみた。

「なにが困るの?」
「今は言えないよ、周太、」

笑って英二は洗面道具を持つと「すぐ戻るよ」と部屋を出て行った。
ぱたんと扉閉じて、すぐ隣の扉開かれる音がする。
そして壁越しに幾つかの音がして、また部屋の扉は開かれた。

「お待たせ、周太。ちゃんと横になってた?」

声かけてくれながら、長い指が携帯電話をデスクに置いた。
かたん、と音が立って置かれてしまう小さな箱に哀しくなって、周太は婚約者に尋ねた。

「英二、光一に電話しないの?」

言った言葉に切長い目がこちらを見てくれる。
すこし困ったよう目を笑ませて、綺麗な低い声が微笑んだ。

「さっきメール送ったとき、今夜は周太のことだけ見てろって、返事くれたんだ、」
「…どうして?」

いつも光一は英二の電話を楽しみにしているはず。
それなのに遠慮しようとしてくれている、どうしてと見つめた先で英二は微笑んだ。

「具合の悪い時くらい余所見しないで付添え、って書いてくれてた。光一にとっても周太は大切だから、って、」
「でも、俺が電話した時はそんなこと、言ってなかったのに…」

言いながら大切な幼馴染の貌が心映りこんでくる。
大らかな優しい光一なら、そんなふうに言ってくれることも想像がつく。
けれど、光一こそ不安で寂しいだろうに?そんな想いに周太は、婚約者にお願いをした。

「英二、いますぐ光一に電話して?お願い、俺のこと好きなら言うこと聴いて、」
「でも周太、光一に言われたのに、」

切長い目が困ったよう微笑んでいる。
それでも周太は「お願い」を繰り返した。

「英二は俺の、恋の奴隷なんでしょ?ちゃんと命令を聴いて、お願い、光一に電話して?…きっと待ってる、」

どうか電話してあげて?
そう見つめた先で端正な貌が、嬉しそうに綻んでくれた。

「ありがとう、周太。じゃあ、ちょっと電話させてもらうな?」

言いながら長い指が携帯電話を掴みこむ。
からり窓を開くと、ベランダへと英二は降りていった。

「…おつかれ、光一。…うん、そうだよ?…なにしてた?…そっか、…」

開けたままの窓から、綺麗な低い声が聴こえてくる。
声運んでくれる夜風がカーテン揺らし、そっと静かに頬を撫でていく。
ふわり、夜の樹木の香が混ざる風は心地いい、心地よさに周太は目を細めた。

「うん、…あ、それだと困ったよな?…ん、言っておく…」

綺麗な低い声、涼やかな夜風、懐かしい樹木の香。
やさしい音と空気に心ゆったりほどけて、深くひとつ呼吸する。
ゆるやかな気配が心充たしていく、そうして眠りの優しい掌が、そっと睫を撫でて瞼が瞑られた。




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第51話 風伯act.6―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-03 22:27:36 | 陽はまた昇るanother,side story
風、想う



第51話 風伯act.6―another,side story「陽はまた昇る」

開いた携帯の通話を繋ぎながら、周太は扉を押した。
戸外は街路樹の木洩陽が影絵のよう揺れる、その緑陰に身を寄せたとき声が繋がった。

「周太…今、どこ?」

透明なテノールが、哀しい。
こんなトーンの光一を知っている、あれは剱岳の帰りに2人が川崎に来た時だった。
あのとき光一は独り四駆の運転席で泣いていた、この同じトーンを見つめて周太は微笑んだ。

「新宿のブックカフェの前にいるよ?光一はJA会館の辺り?」
「解かるんだ、周太…」

ほっとテノールが微笑んで、電話の向こうが和んでくれる。
やっぱり思った通りだったな、穏やかに笑って周太は提案をした。

「光一、迎えに来てもらってもいい?今、鞄を取ってくるから、」
「うん、解かった…あのさ、美代には言わないでくれる?」」

すこし嬉しそうに微笑んで、けれど哀しげなままテノールが訊いてくれる。
そんな光一の想いが解かってしまう、店へと引き返しながら周太は微笑んだ。

「ん、言わないよ?用事がある、って言うから大丈夫、」
「ありがとう…ごめんね、周太、」

声は、哀しい。
いつも明るい光一の声が、ずっと靄に籠るよう揺れている。
この哀しみの原因を自分は解かっているだろう、そんな想いに携帯を繋いだまま、周太は店内へと戻った。

「ごめんね、美代さん、内山。俺、用事があるの忘れていたんだ、先に帰らせて貰っていいかな?」
「もちろんよ、思い出せてよかったね?」

すぐに美代が笑って答えてくれる、その笑顔に笑いかけて周太は鞄を手に取った。
そしてココアの代金を美代に預けると、内山が言ってくれた。

「なんか悪いな、湯原。忙しいのに時間、作ってもらったりして、」
「ううん、こっちこそごめん、内山。事例研究の話、出来なかったし…明日の夜に談話室でもいい?」
「それでいいよ、」

笑って頷いてくれながら、精悍な笑顔がすこし気恥ずかしげになった。
なんだろうな?そう笑いかけると内山は素直に微笑んだ。

「今日、誘ってくれてありがとうな、湯原。また明日な、」
「こっちこそ、ありがとう。また明日、内山…美代さん、また電話するね?」

内山と美代に笑いかけて踵を返すと、周太は店の外へ出た。
まばゆい陽射しに目を細めて歩き出す、その向こうに奥多摩ナンバーの見慣れた四駆が佇んでいた。
フロントガラス越し、運転席に秀麗な微笑がこちらを見ている。その貌に心哀しくなって、周太は四駆へと駆け寄った。

かたん、

助手席の扉を開いて、中へ乗り込む。
こちら振向いた雪白の貌は微笑んで、透明なテノールが言った。

「すこし、走ってもイイ?」
「ん、」

微笑んで頷くと、周太はシートベルトを締めた。
走りはじめて運転席を見ると、光一は制服の上に私服のパーカーを着こんでいる。
きっと仕事合間に脱け出してきた、そんな様子に周太は尋ねた。

「光一、今日は勤務?」
「うん…あいつは吉村先生の手伝いに入ってるから…JAの用事作って、脱け出してきた、」

テノールの声は、どこか元気がなくて途惑っている。
いま何から話して良いのか解らない、そんな途惑いが切なげで哀しそうで。
こんな様子で、それも仕事合間に無理をしても周太に逢いに来るなんて、普段の光一ならしない。

…本当に今、光一は追い詰められて、苦しんでる

この苦しみの理由は昨夜も思った通りだろう。
だから容易く慰められる訳ではないと解っている。
それでも、少しでも元気づけてあげたくて、お願いに周太は微笑んだ。

「光一?ちょっと寄ってほしい所があるんだけど…次の信号を左折してくれる?」
「うん、」

小さく笑って頷くと、光一は周太のナビゲーション通りに車を進めた。
すぐ目的の場所に辿り着いて、シートベルトを外しながら周太は笑いかけた。

「すぐ戻るからね、待ってて?」

そう言って降りると周太は、すっかり来馴れた店の扉を開いた。
ふわり芳ばしいあまい香が頬撫でる、トングとトレーを手に取ると手早く選んでレジに置いた。
それを袋に詰めてくれながら、顔なじみの店員が周太の格好を見て微笑んだ。

「こんにちは、今日はスーツなのね?」
「こんにちは、ちょっと用事があって…あの、これは袋を別にしてください、」
「かしこまりました、お分けしますね。こちらの新商品、人気なんですよ?」

挨拶と言葉を交わしながら財布を出し、会計を済ませていく。
こんな会話も最初のころは気恥ずかしくて、けれど最近は自然と微笑んで話せる。
こういう事は幼い頃は出来ていた、それが父の死を境に無口になって、いつか忘れてしまっていた。
こんなふうに、13年の歳月に失ったものを取り戻していく「今」が愛おしい。そして「今」に導いてくれた人が恋しくなる。

…英二、今頃は診察室にいるのかな

そっと心に呟いて、微笑んでしまう。
英二は喜んでくれるかな?そんな考えに、運転席で待っている人の想いが切なくなる。
きっと光一は今、自分自身に傷ついているから。

…昨夜に思ったことは、当たり…かな、

考えながら大小の紙袋を受けとり店から出ると、助手席の扉を開いた。
芳ばしい香ごと詰まった袋を抱えて乗り込むと、ふわり香が広がって光一が微笑んでくれた。

「いい匂いだね、あいつの夜食?」

まだ光一には、外泊を取り止めたことは言っていない。
けれど察しの良い光一には解るのだろう、素直に周太は頷いた。

「そうだよ、あと、光一の分もね?」

笑いかけて、小さいほうの紙袋を運転席に示して見せる。
それに透明な目がすこし大きくなって、そして嬉しそうに微笑んでくれた。

「ありがとう、周太…やっぱり君は優しいね、大好きだよ?」
「ん、喜んでくれるなら良かった、」

笑って答えた先、透明な目が泣きそうになっている。
すこしでも今は笑わせてあげたくて、周太は話しかけた。

「でも、好みのパンじゃなかったら、ごめんね?…適当に選んじゃったから、」
「なんでも嬉しいよ、どんなラインナップ?」
「ん、そうだね…開けてのお楽しみ、にしたら?」
「そっか、なんだろね?俺、好き嫌いは基本ないけどね、」

笑ってくれながらハンドルを捌いていく。
そんなふうに30分ほど走って、四駆は広い公園の駐車場に停まった。

「ここね、学校から割と近いんだ、」

教えてくれながら運転席から降りると、長身を思い切り伸ばした。
そんな様子はいつもどおりで、けれど哀しさが透明な目に烟っている。
ただ真直ぐ見上げた周太に透明な目は笑んで、テノールが微笑んでくれた。

「あっちにベンチがあるんだ、行こ?」
「ん、」

促されるまま並んで歩きだすと、ふっと草の香が頬撫でていく。
ゆっくり進んでいく道は緑豊かで、ゆれる木洩陽に自然林の趣が優しい。
どこか奥多摩の森を想わせる雰囲気に、周太は幼馴染へと尋ねた。

「ここ、学校の頃に来ていたの?」
「うん、よく来たね。山が恋しくなったら、ここに来てた、」

そう言って細い目は悪戯っ子に笑ってくれた。
すこしだけ元気になった眼差しが嬉しい、嬉しくて周太は笑いかけた。

「放課後に来ちゃった、ってこと?」
「ソレは言えないけどね、ま、常連だったよね?」

飄々と笑って光一は、森の奥にあるベンチに腰を下した。
周太も並んで座ると、ふわり樹木の馥郁が涼やかな風に心地いい。

…こんなところがあるの、知らなかったな

ほっと微笑んで周太は隣を見た。
その視線を受けとめた透明な目は微笑んで、そして涙ひとすじ零れた。

「…周太、俺…もう、あいつに怖がられたかも…嫌われたかもしれない…」

哀しげなテノールが、ふるえる。
ふるえる声と真直ぐな無垢の瞳を見つめて、周太は微笑んだ。

「俺は嫌わない、怖がらないよ?…だから聴かせて?」
「うん、…ありがとう、」

すこし透明な目が笑ってくれる。
そして視線をそのままに山っ子は口を開いた。

「昨夜、強盗犯を逮捕したのはね、あいつと俺なんだ。それで…俺、犯人の手を、砕いたんだ、」

手を砕いた?

すこし驚いて周太は幼馴染の目を見つめた。
見つめた先、ゆっくり無垢の瞳は瞬いて、テノールの声が話しだした。

「犯人の凶器はね、ピッケルだったんだ。ブレードんトコ、血が付いていてね、それを見た瞬間に俺、赫となった。
大切な山の道具で誰かを傷つけるなんて、赦せない…「山」で、それも俺の生まれた山で、血を流させたんだ、そいつ。
赦せないから警棒で手首を砕いてやった、麻痺して動かなくなるようにね。ピッケルが二度と、握れないようにしてやったんだ、」

大切な山の道具で、山を穢した。それも、光一が生まれた雲取山に連なる山で。
それは光一の逆鱗を全て逆撫でしたようなものだ、この傷み映るよう周太の心も傷みだす。
大切な存在、敬愛する存在への冒涜が哀しい、だから怒る。
その怒りの傷が、透明な目に哀しい。

…光一の怒りは、哀しみなんだ…だから苛烈にもなって…

光一は「山」に真理を見つめて敬愛する。
その愛情が深い分だけ「山」への冒涜を赦さず、冒涜する罪を哀しみ傷む。
だから今も光一はピッケルを握った犯人へ怒り、哀しんで、それを「制裁」に示してしまった。
この「制裁」への想いに光一は、ひとすじの涙をこぼし微笑んだ。

「俺は躊躇しなかった、今だって悪いコトしたとか全然思えないね、当然のコトだって思ってる…それでも解ってる。
体の一部をダメになんて行き過ぎている、そう考えるのが常識だろうって、解かってはいるんだよね…でも俺、後悔していない、」

こんなふうに光一が泣くのは、冬富士の雪崩の後もそうだった。
あのときも英二が周太にした行為が哀しくて、哀しみの涙に光一は怒っていた。
あんなに光一が怒ったのは「山」を周太に見、愛してくれているからだと知っている。
それなら、この涙も「山」への愛情から生まれたものならば、自分が「山」の代わりに受けとめたら良い?
そんな想いに周太は、静かに微笑んだ。

「光一、哀しかったね?昨夜からずっと、本当に哀しかったね?…辛かったね、」
「…うん、哀しかった…っ、」

かすかな嗚咽がこぼれかけて、光一は呑みこんだ。
穏やかに透明な目を笑ませてくれる、けれど溜息のようテノールは言った。

「周太は、解かってくれるね…でも…あいつは怖がっているかもしれない…きっと、あいつは気づいているだろうから。
ワザと犯人の手首を砕いた、ってこと…だって俺、あいつのファイルで覚えたからね、人間の体のコト…骨とか筋肉の位置とか。
あいつが人助けの為に作ったファイルを、俺は人間を傷つけるのに使ったんだ…こんな俺を、怖がって、嫌うの…仕方ない…よね、」

無垢の瞳から涙、こぼれだす。
あふれおちる雫が白い頬を伝っていく、滂沱のなかテノールの声が泣いた。

「あいつ、昨夜もいつも通り一緒に寝てくれた、優しかったよ?でも…ほんとうは……っ、俺、よく解かったんだよね、もう。
どうして俺はあいつに恋してもらえないのか、解かったんだ…よね……こういう俺だからだよね、キレるから…怖いから…ね?
俺のコト、あいつ…ほんとうはどう想ってるのかな?…ねえ、嫌われるの怖いよ、どうしてこんなに怖いのかな…こんなの解んない、よ」

ずっと「山」を見つめてきた山っ子が、人間への恋愛に泣いている。

ずっと光一は「山」を一番の基準にして、人間の範疇を外から見ていた。
そんな光一が人間の英二を本気で恋して愛して、それが今「山の掟」を護る想いと対立して、光一を裂いている。
この傷み哀しみを受けとめたい、願いに微笑んで周太は光一の目を見つめた。

「大丈夫だよ、光一。英二はそんなことで、嫌いにならないよ?…だって、俺のことを英二は嫌っていないでしょう?」
「…そりゃね、あいつ…君のことは大好きだから…」

涙こぼしながら微笑んで透明な声は答えてくれる。
その声に周太はきれいに微笑んだ。

「英二はね、俺と比べられない位に光一のこと、大好きだよ?それに…俺なんてね、本気で人を殺そうとしたことあるから…
お父さんを殺した犯人のことを…それを止めてくれたのは英二だよ、でも英二はその後も変わらない。光一にもそうでしょう?
それに英二はね、そういう真直ぐな光一のことが好きだよ?全部が好きだから、だから…きすだっていっぱいしちゃうんじゃないの?」

訊きながらも最後は恥ずかしくて、声が小さくなってしまう。
こんな「きすだっていっぱいして」なんて2人のことに口出したみたい、それが恥ずかしい。
けれど光一は嬉しそうに、すこし気恥ずかしげに笑ってくれた。

「あいつ、本当にそうかもね?だったら嬉しいよ、俺…ありがとね、周太に言ってもらえて嬉しかった、」
「ん、よかった、」

少しは受けとめてあげられた?そう見つめた先で、透明な目に底抜けの明るさが戻ってくる。
そして明るんだ目は悪戯っ子に笑って、光一は言ってくれた。

「周太には悪いけどね、確かにあいつ、すごいキスしてくるよ?ほんとエロいね、あいつって。周太にはもっとエロいんだろ?」
「…そういうこときかされてもなんていえばいいの?」

本当になんて言えばいいのだろう?
そう困ってしまう首筋が熱くなってくる、こんなの困ってしまうのに?
もう俯きかけてしまう、そんな耳元にふわり花の香ふれて透明なテノールが笑ってくれた。

「色々ありがとう、周太…山桜のドリアード、大好きだよ、」

そう言ってくれた笑顔は、幸せに明るかった。



警察学校の前で四駆を降りると、周太は運転席の窓へと笑いかけた。
そんな周太にガラス越しから微笑んで、光一も窓を開けてくれる。
空間を隔てる窓が降りると、雪白の貌は大らかに笑ってくれた。

「あいつの前で、たくさん笑ってやってね?周太が笑うと、あいつは最高に良い貌するから、」

周太が笑うと最高に。

そんな言葉の意味と想いは優しくて、けれど優しいからこそ哀しい。
この気持ちのまま正直に周太は口を開いた。

「ありがとう、光一。でも英二はね、山の頂上での笑顔が本当に素敵だよ?」

いつも光一が撮ってくれる、山頂での英二の写真たち。
あの高峰で輝いた笑顔は、本当に宝物のよう美しく眩しい。
あの笑顔を現実に見ることは周太には難しい、だから願いたい。微笑んで周太は言葉を続けた。

「最高峰の英二の笑顔、隣で見られるのは光一だけだよ?だから、また写真に撮って俺にも見せてね、」

最高峰の笑顔、その隣に自分は立てない。
だから最高峰での笑顔なら、光一は英二を独り占め出来る。

…光一だけだよ、英二の夢の隣に立てるのは

英二が夢を叶える唯一のパートナーは、光一だけ。
そのことを信じていてほしい。このことを忘れないでほしい、そして自信を持って欲しい。
だからお願い、もう泣かないで?そう笑いかけた真中で、底抜けに明るい目が微笑んだ。

「うん、また撮ってくるね?あいつの最高の貌、周太に見せたい、」

そう言ってくれた山っ子の貌は、幸せが笑っていた。




(to be continued)

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one scene 某日、学校にてact.5―side story「陽はまた昇る」

2012-08-03 04:40:39 | 陽はまた昇るside story
言わせてほしい、だけど、



one scene 某日、学校にてact.5―side story「陽はまた昇る」

どこからか賑やかな声が聴こえる廊下は、なにか温かい。
そう思えてしまう感覚も今、隣を歩いてくれる人のお蔭かな?
そんな想いに微笑んだ隣を、周太がスリッパの音を立てながら歩いていく。

たん、…たん、…たん、

ゆったりとしたトーンの歩調は、背筋を伸ばし端正に歩いていく。この端正な歩き姿も自分は好きだ。
いま洗い立ての髪の艶も綺麗で、爽やかで穏やかな香が頬を撫で優しい時間の記憶を起こしてしまう。
歩いていく横顔は湯上りに熱って、黒目がちの瞳は真直ぐ前を見つめている。
その首筋そめる薄紅がきれいに心を惹きこんでしまう、今はまだ廊下なのに?

―早く部屋に戻りたいな、そうしたら

心裡に本音こぼれて、我ながら苦笑してしまう。
ほんとうに自分はいつも、こんなことばかり考えて?
これでは本当に犯罪者になりそう?そんな心配に笑ってしまった英二を、隣から黒目がちの瞳が覗きこんだ。

「どうしたの、英二?…なにか面白い?」
「うん、ちょっと自分のことが面白かったんだ、」

笑って答えた英二に首傾げて「なにが面白いの?」と瞳が訊いてくれる。
そんな純粋な瞳で訊かれると、ちょっと罪悪感を感じてしまうのに?
そう思いながらも反応が見たくて英二は口を開いた。

「周太のこと見てると俺、痴漢しそうでさ?こんなの犯罪者みたいで拙いな、って可笑しくてさ、」

言われた隣、首筋から頬へと薄紅が色濃く昇りだす。
そして真赤になった貌で周太が、素っ気なく言い放った。

「こんなとこでなにいってるの?えいじのえっちばかへんたいっ、」

ちょっと怒った顔、可愛いです、もっと言って?

そんな心の声が嬉しげに笑ってしまう。
こんなことを思ってしまう自分は、確かに周太が言う通り「えっちばかへんたい」だろうな?
そんな納得に笑って英二は、長い腕を伸ばして小柄な体を抱え込んだ。

「ごめん、周太。そんなに怒らないで?周太の所為なんだからさ、」
「っ、しらない、おろしてばかばかっへんたいっ」

真赤になったままの周太が腕から降りようともがきだす。
こんな様子も可愛くて仕方ない、余計に煽られてしまうのに?
嬉しい気持ちと一緒に恋人を抱え込むと、英二は廊下を歩き始めた。

「おろしてってば?えっちへんたいっばかえいじっ」
「ダメだよ周太、夕方の約束を忘れたの?」

言って顔をのぞきこむと、黒目がちの瞳がひとつ瞬いた。
あの約束を想い出してくれたかな?微笑んで英二は言葉を続けた。

「移動するときは抱えさせてよ?飯のときや、風呂のときとかも。そう言ったよな、俺?それで周太もOKしてくれたよな?」

今日、図書室に寄った前後での会話。
このこと忘れてなんていないよね?そう見つめた先で真赤な顔が困ったよう俯いた。

「…ん、」

そんな素直に俯かれたら、ちょっと困るんですけど?

どうしよう、これはツンデレ女王さまモードだ?
これになった周太には弱い、ほら心臓が鼓動にひっくり返りだす。
この音が聴かれてしまいそうで尚更に、もう首筋も熱くなりだした、ときめいてしまう。

―このままだと、消灯前に押し倒しそうだ?

ちょっと困ったことになってきた?
どうしようか途方にくれながらも幸せで、大切に抱え込んだまま歩いていく。
そして談話室を通りかかったとき、快活な声に呼び止められた。

「おう、宮田。ちょうど良いところに来た、」

ちょうど良いところかよ?

ぼそっと心裡で呟いて、また我ながら可笑しい。
周太を抱え込んだ肩越しから声に振向くと、英二は微笑んだ。

「なに、関根?」
「いいからさ、こっち来いって、」

快活な笑顔で手招きされて、とりあえず体ごと向きを変えた。
けれど本当は部屋に戻りたい、元はと言えば周太の体調が心配で「搬送トレーニング」をしているのに?
そして本音を言ってしまえば、自分の気分と体の都合から早く部屋でふたりきりになりたい。
そんな願望に英二は綺麗に笑って、関根に断った。

「ごめん、関根。周太が体調、いまいちなんだ。だから早く、部屋に戻りたいんだけど、」
「お、そっか。ごめん、」

素直に関根は謝って、引っ込もうとしてくれる。
けれど腕の中から周太が微笑んで答えてしまった。

「大丈夫だよ、俺。皆と今日、あまり話していないし、寄って行きたいな?」

俺は寄って行きたくありません。

そんな本音が心で顔を顰めてしまう。
君の体調が悪いのは哀しいけれど、こんな時こそ君を独り占め出来るチャンスなのに?
だから寄り道しないで部屋に戻りたい、でも本人に言われたら断る口実が難しい。それでも英二は宥めるよう恋人に微笑んだ。

「ダメだよ、周太?まだ熱が少しあるんだし、湯冷めしたら困るだろ?」
「ん、そうだけど…、」

残念そうな声で言いながら、黒目がちの瞳が寂しげに見つめてくる。
そんな顔されると申し訳なくなってしまう、お願いだから言うこと聴いてほしいな?
こんな自分勝手なお願いを心に思ったのに、純粋な瞳は英二に微笑んだ。

「でも、少しだけ寄りたいな?お願い、英二、言うこと聴いてほしいな?」

お願いされたら降参です。

今の言葉に省略された「愛しているなら」が聴こえてしまったから、お願い叶えずにはいられない。
それに本当は部屋に戻りたいのは、君を独り占めしたいっていう自分勝手な願望だから。
ちょっと心に溜息こぼしながら、それでも英二は綺麗に微笑んだ。

「じゃあ、10分だよ、周太?」
「ん、ありがとう、英二。わがまま言ってごめんね、」

黒目がちの瞳が嬉しそうに微笑んでくれる、その純粋な眼差しに良心が呵責する。
たった10分に区切ってしまうのは自分のワガママ、そんな自分に「ありがとう」なんて?
こんな自責をぐるっと廻らしながら、嫌々ながら英二は恋人を腕から降ろして床に立たせた。

「ほら、周太。風呂の道具、持つよ?」
「大丈夫だよ、自分のくらい持ってく、」

微笑んで答えながら、英二の腕から温もりが離れてしまう。
もう離れる瞬間から恋しくて、温もりを今すぐ引き留めてしまいたくなる。
それでも1つ呼吸して納めると、一緒に談話室へと入った。

「お、宮田。ここ座って?」

松岡に手招きされて英二は、素直に指定の席に座った。
その前には関根が座り、肘を机に立てている。この姿勢はそういう事だろうか?
ちょっと笑って英二は思ったままを口にした。

「もしかして、腕相撲しろってこと?」
「そういうこと。ほら来いよ、宮田、」

愉しげに関根は手を構えている。
気がつくと机のぐるりを皆が囲んで、勝負予想を始めだした。

「ここは関根だろ?もと自動車修理工だし、腕力あるよな、」
「宮田は現役の山岳救助隊じゃん、あそこってパワー系だよ、」
「背筋300超えてたもんな、宮田、」
「でも握力はどうなんだ?修理工ってスパナとか使うしさ、」

なんだか皆、結構真剣に予想を考えている。
そんな雰囲気に英二は、膝の上で手を組んだまま尋ねた。

「あのさ、ひょっとして、何か懸けてる?」

もしそうだったら拙いだろう?
ここは警察学校だし自分達は取り締まる側の警察官だから、当然そうした事はNGだ。
そんな考えに首傾げた英二に、関根はさらっと笑った。

「おう、懸けてるよ、」
「じゃ、俺やらない、」

即答で立ち上がりかけた英二に、関根の貌が驚いた。
それを横から留めて瀬尾が、笑って教えてくれた。

「宮田くん。懸けてるのはね、明日の朝の掃除場所だから。賭博じゃないよ、」
「あ、掃除の分担か、」

それくらいなら良いかな?
微笑んで英二は座り直すと、机に右肘をついて関根の手に右手を組んだ。
そして組んだ手を松岡が軽く掌で押さえて、英二と関根に笑いかけた。

「じゃあ、いくよ?3、2、1、はいっ、」

最後の声と同時に、ぱっと松岡の手が離された。
途端、関根の右手が強靭な力で英二の掌を握りこんだ。

「っ、」

瞬時に右肩から腕、掌まで筋肉に緊張が走る。
上腕二頭筋と上腕三頭筋に腕橈骨筋が硬くなって、三角筋と上腕筋が支えこむのが解かる。
こういう時は筋肉の稼働が解かりやすいな?そんなことを考えながら関根の力を押えこむ。
向かいでは快活な貌が愉しげに赤くなっていく、きっと力を精一杯こめているのだろう。

―やっぱり関根、力があるな?

そう感心しながらも光一に比べると腕の力自体が違う。
幼い頃から毎日を農作業と山で鍛えた光一の握力や腕力は、ずば抜けてパワーが違っている。
それでも関根の力も相当に強いな?そんな感想と見ている関根の向こう側で、内山が周太に話しかけた。

「湯原、昨日から体調が悪いんだってな?立っていて大丈夫か?」

なに話しかけてんだよ?

ぼそっと心に呟いた音の無い声が、やたらに不機嫌だと自覚してしまう。
でも同期の体調を心配する位は普通だろう?そんな納得を自分にさせていると、周太が微笑んだ。

「ん、大丈夫…今日も夕方はゆっくりしたから、」
「そうか、なら良かったけど。でも、顔が赤いぞ?」

言いながら内山が周太の顔をのぞきこんだ。
そして大きな掌が、スローモーションのよう周太の額へと近寄りだす。

「熱があるのかな?湯原、ちょっとごめん、」

熱を看るつもりかよ?

そう気づいた瞬間、右腕の筋肉が一気に奔って稼働した。
間髪入れず右掌の握力へ荷重がかかる、広背筋が動き大胸筋から力加えられる。
そして関根の右腕は机に抑え込まれ、どよめきが上がった。

「うわ、宮田の勝ち、」

どよめきに内山がこちらを見、大きな掌が動きを止める。
その隙に英二は、真直ぐ周太へと笑いかけた。

「お待たせ、周太。もう、部屋に戻らないとな?」

絶対に触らせたくないんです、君のこと。他の誰にも触れさせない。






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第51話 風伯act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-02 22:48:30 | 陽はまた昇るanother,side story
風に聴く、



第51話 風伯act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2週間ぶりのキャンパスは緑が濃くなっている。
足元ゆれる木洩陽も陰翳が濃くて、午過ぎの光がきらきら眩い。
ふわり吹きぬけていく緑の風が心地いい、目を細めながら歩いている隣で美代が嬉しげに微笑んだ。

「ね、7月のフィールドワーク。奥多摩じゃなくって良かったね?」

歩きながら持っているプリントを眺めて、美代は楽しげでいる。
奥多摩が地元の美代にとって、折角の大学のフィールドワークなら別の場所に行ってみたいだろうな?
そんな納得と足早に歩きながら、周太は友達に微笑んだ。

「ん、どうせなら行ったことが無い場所に、行ってみたいよね?」
「でしょ?ね、湯原くんは丹沢って行ったことある?」
「小さい頃、お父さんに連れて行ってもらったらしいよ?でも、あまり覚えていないんだ、」

なにげなく言って笑いかけると、きれいな明るい目がすこし瞠られてしまう。
すぐ理由に気がついて周太は、すこし慌てて付け足した。

「行ったことある場所だったら、俺、思い出せるかもしれないよね?だから楽しみなんだ、」

美代には周太の記憶喪失の事情を、すこしだけ話してある。
だから今も余計な気を遣わせてしまったかな?そう心配して見た向こう、美代は明るく笑ってくれた。

「きっと思い出せるね?それに立ち会える私は、光栄です」
「ん、ありがとう。立会うと、光栄なの?」

笑って貰えて嬉しい、良かった。
ほっとした隣で美代は楽しげに続けてくれた。

「友達の大切な場所と瞬間に立ち会えるのだもの、光栄よ?ね、丹沢って今、ヤマビルが多いらしいの、」

ヤマビルは山に生息する蛭で、吸血性が強い。
これに襲われると腫れあがり辛い事になる、けれどそれ以上の問題がヤマビルにはある。そのことに周太は口を開いた。

「ヤマビル、ってブナ林衰退の原因かもしれない、って言われてるよね?」
「そうなのよね。それで今回のフィールドワークに選んだのかな、青木先生?」

きっと美代のいう通りだろう。
青木准教授の著書は水源林を多くとりあげている、だからブナ林の衰退問題は取り上げたいテーマだろう。
そしてブナの木は、周太にとって特別な木でもある。

…英二が大切にしてる、あのブナの木を護りたいな

雲取山麓にひろがるブナ林、その深奥に佇む一本の巨樹。
そこは英二にとって大切な憩いの場所、そして昔は後藤副隊長が妻と過ごした場所だった。
恩人で父の友人である後藤の大切な記憶と想いをも、あのブナの巨樹は今も静かに抱いている。
そして、この先は英二の哀しみ喜びを抱いてくれる。そうあってほしいと願って自分は巨樹に祈りを捧げてきた。
たとえ自分が消えたとしても英二が憩い安らげるように、そして、もし願って良いのなら2人一緒に過ごせる場所であるように。
だから護りたい、そのために必要な知識と技術を今すこしでも教わって、あの木を護るために役立てたい。
その為にも大切なことをフィールドワークでは教われるだろうな?微笑んで周太は友達に頷いた。

「ん、そうだね?…来週、お昼の時に質問してみる?」
「そうね、さっき訊いてみれば良かったな、私。つい、別の話しちゃった、」

笑って話しながら急いで地下鉄の駅に降りていく。
たぶん内山との約束の時間には間に合うだろうな、考えながら改札を潜るとちょうど車両が入線してきた。
乗車してシートに座ると、周太はクライマーウォッチを見た。

「ね、待ち合わせの時間、大丈夫そう?つい先生と話しこんじゃったけど、ごめんね?」
「ん、大丈夫だよ、俺も先生と話したかったから…こっちこそ、気を遣わせてごめんね、」

互いに謝って、顔見合わせて笑い合った。
なんだかこういうのは可笑しい、楽しくて笑った周太に美代も笑いながら尋ねてくれた。

「内山くんって、宮田くんとは仲良しなの?」
「ん…普通には話すけれど、関根たちほどでは無いかな?でも内山と話すのは、好きみたいだけど…?」

いつも英二は、内山と周太が話していると必ず入ってくる。
だから内山とも英二は話したいのかなと思うけれど、1人で英二から話しかけることは少ない。
どうしてなのかな?そう考え込みかけた周太に、美代も考えながら訊いてくれた。

「ね、内山くんって東大出身って言ってたでしょ?だから受験のことも相談出来たら良いな、って思ったんだけど。
でもね、宮田くんと仲が良いんだと秘密を背負わせちゃうの、なんか悪いじゃない?だから、どうかな、って思ったの、」

美代は家族に内緒で大学受験をする、婚期が遅れると反対されることが解かっているから。
もちろん美代は幼馴染の光一にも内緒にしているから、光一と親しい英二にも受験のことを知られたくはない。
けれど希望校の出身者には相談したいだろうな?すこし考えて周太は思ったままを口にした。

「秘密にして、って言ったら大丈夫だと思うよ?内山は受験とか試験のことは、すごく真剣だし…気持ちは解かると思うから、」
「そう?じゃあ相談してみようかな、学校の雰囲気とか訊いてみたくて、」

嬉しそうに笑いながら美代はプリントを鞄に仕舞い込んだ。
そして周太の方を見て、可愛い声が質問してくれた。

「さっき宮田くんのこと、内山くんと話すのは好きみたいだけど?って言ったけど、どうして疑問形なの?」
「あ、…そのこと?」

美代は周太の「?」に気付いてくれたらしい。
この聡明な友達に訊いてみたくなって、周太は口を開いた。

「いつも英二、内山と俺が話していると会話に入ってくるんだ。だから内山と話したいのかな、って思うんだけどね?
でも、英二から内山に話しかけることは少ないんだ…だから、なんでかな?って思ったんだけど。美代さんは、どう思う?」

美代は何て答えてくれるかな?
そう見た先で明るい実直な目は周太を見つめて、すこし考えると笑ってくれた。

「ね、内山くんって、結構カッコいいんでしょ?」
「ん?…そうだね、かっこいいかな?背も高いし…英二とはタイプが違うけど、」

内山は初任教養の時に、同期の女子との恋愛で騒ぎを起こしたことがある。
男らしい風貌で頭も良いから、女の子には人気があるのかもしれない。
そんな事を考えて答えた周太に、可笑しそうに美代は微笑んだ。

「あのね?宮田くん、内山くんに嫉妬してるのかもね?」
「え?」

思わず訊き返した周太に、きれいな明るい目が愉しげに笑ってくれる。
そして美代は見解を話してくれた。

「だって、湯原くんが内山くんと話していると、必ず来るのでしょ?それって、2人きりで話すのが嫌だからかな、って思ったの、」
「そうなの?…でも、男同士だし、友達だよ?」

答えてから周太は、すこし気恥ずかしくなった。
だって光一に自分も嫉妬していたことがある、だから自分を棚上げした発言だったかもしれない?
そんな恥ずかしさに首筋が熱くなりそうで掌を当てると、美代が温かに笑んで言ってくれた。

「宮田くんが恋をするのは、男とか女とかは関係なくて、そのひと自身を好きになるでしょう?だから、他の人も同じって思うかも?
それに湯原くんの恋人としての魅力を一番知ってるの、きっと宮田くんよね?だから、他の人が恋しちゃうかもって思うの、仕方ないね?」

こんなふうに言われるのは、気恥ずかしい。
けれど英二がそう思ってくれるのは、嬉しいとも思ってしまう。
それでもやっぱり恥ずかしくて、ほら、もう首筋から頬まで熱くなってしまった。

…恋人としての、魅力?

そんなふうに周太のことを、英二が感じてくれている?
どんなふうに英二は見て、想ってくれているのだろう?

英二に聴いてみたい、そんなことを思ってしまう。
けれど、こんなことを英二に質問するのは図々しい気もしてしまう。
だってこんな事を訊いたらまるで、自分のことを英二が大好きだって自信満々みたい?

でも、聴いてみたい。いったい英二は周太のどこに「恋人」を見つめてくれるのだろう?



いつものブックカフェに落ち着くと、オーダーを終えて美代は早速テキストを開いた。
その紙面を見た内山は、驚いたよう目を大きくして首を傾げこんだ。

「小嶌さん?このテキストって、大学受験用だよね、」
「はい、そうです、」

訊かれて美代は、すこし気恥ずかしげに微笑んだ。
周太の方を見て、それから美代は率直に口を開いた。

「私、今度の冬に大学を受験する予定なの。でも家に内緒で受けるのよ、だから誰にも言わないで、秘密にしてね?」
「うん、言わないよ。でも、どうして内緒で?」

私服姿で内山は首を傾げこんだ。
警察学校から実家へと一旦帰った内山は、着替えてきている。
そういえば内山の私服姿はスーツ以外は初めて見るな?そんなことを考えながらテキストに目を通す隣で、美代が笑った。

「結婚が遅れるからダメ、って言われちゃうからよ。それでね、宮田くんの救助隊でのパートナーは私の幼馴染なの。
だから宮田くんにも内緒にしてね?きっとね、宮田くんが知ってしまうと、幼馴染が誘導尋問して訊き出しちゃうから、困るの、」

たしかに光一なら誘導尋問するだろうな?
そういうことが光一は巧い、英二でも引っ掛かってしまいかねない。
そう納得している向かいから、精悍な笑顔で内山は頷いてくれた。

「そういうことなんだ。絶対に言わないよ、誰にも。藤岡に知られても、拙いってことだろ?」
「あ、絶対にダメ。藤岡くんも光ちゃんの尋問、きっと引っ掛かっちゃうもの、」

可笑しそうに笑いながら美代はペンを手に取った。
その様子を見てとって、周太は内山に笑いかけた。

「内山、これから少し勉強していいかな?…良かったら本、読んでて?
「おう、そうさせてもらうな?ここ、色んな本があるみたいだし、」

気軽に笑って内山は席を立って行った。
その背中を見送って美代は、綺麗な明るい目を周太に向けると微笑んだ。

「ね、やっぱり内山くん、もてそうな人ね?すこしだけど、宮田くんとも似ている雰囲気がある、ね?」
「ん?…そうなの?」

どんなふうに美代は見たのだろう?
聴いてみたいなと思って訊き返した周太に、美代は答えてくれた。

「物堅い雰囲気と、ちょっと壁を作るみたいな感じが、宮田くんと似ているかな?って…どう思う?」

“壁を作るみたいな感じ” それは確かに2人に共通する面だろう。

一見、英二は明るく華やかだけれど本質は内省的で、深い沈思の底から見つめる視点を持っている。
こういう思慮深さが周囲への壁になる所が確かにあって、それが間違うと出逢った頃のよう「冷酷な仮面」になってしまう。
そして内山もキャリアを目指していたエリート志向が高くて、それが時として周りへの線引きになってしまう所がある。
この2人が似ているとは考えたことが無かったけれど頷けてしまう、美代の観察眼に感心して周太は素直に褒めた。

「そうだね、確かに似ているね?…だから内山は、英二と話してみたいのかな?」
「ね?それに宮田くんって皆より先に本採用になったのでしょ?だから内山くんはライバル心もあるかも?なんかエリートな感じだから」

それは美代の言う通りだろう。
確かに初任教養の時よりも内山は、よく英二に話しかけるようになった。
それはライバルと認めたからこそ親しくなりたい、そんな想いがあるのかもしれない。感心しながら周太は頷いた。

「ん、確かにそうかも…前よりも内山、よく英二に話しかけているから。ライバルだって認めるくらい、好きってことかな?」
「やっぱりそうなのね、きっと内山くんの方は宮田くんのこと好きよ?そうすると内山くん、関根くんとも仲良いでしょ?」

どうして美代は解かるのだろう?
いつもながらの聡明な視点に驚きながら、周太は訊いてみた。

「すごい、美代さんって、よく解かるね?」
「すごくはないのよ?でもタイプ的にそうかな、って…あ、なんかこういうの、恥ずかしいね?勉強しよう、」

気恥ずかしげに笑って美代は、きれいな明るい目をテキストへ落とした。
周太も一緒にテキストをのぞきこんで、美代のチェックしてきた箇所の解説を始めた。
美代の質問ポイントは回を重ねるごと少なくなっていく、それだけ勉強が進んでいる事がよく解かる。
この調子なら美代は来春、きっと無事に大学生になっているだろうな?嬉しい確信に微笑んだとき、ちょうど飲み物が運ばれてきた。

「あ、良いタイミングね?これ飲んでひと息入れたら、問題集に取り組みます、」
「ひと息の時に、内山に大学のこと訊いてみたら?」
「そうね?あ、ちょうど戻ってきてくれた、」

書架の方から戻ってきた内山は、手に大きな冊子を持っている。
なにを選んできたのかな?そう見た周太の目が思わず大きくなった。

…これって、

心の中つぶやきがこぼれて、首筋が熱くなってくる。
どうかこれ以上は熱が昇りませんように?そう困っている隣から美代が、前に座った内山に笑いかけた。

「この写真集、素敵よね?私、買って持ってるの、」
「あ、小嶌さんも見たんだ?俺はこういうの見たこと、あまりないんだけど、」

すこし照れ臭げに笑って内山は、コーヒーに口付けている。
その左手が持っている写真集が気になってしまう、これを内山が持ってくるなんて?
ココアのカップを両手に抱えながら困っていると、美代が楽しげに内山へと尋ねた。

「その写真集、お花もきれいでしょ?それで湯原くんと撮影場所を見に行ったりして。内山くんは、どうして気に入ったの?」
「気に入った理由?ちょっと恥ずかしいな、」

精悍な笑顔を気恥ずかしげにさせてしまう。
どんな理由なのかな?そう見た先で内山は口を開いた。

「ほんと単純だけど、このモデルさんが綺麗だから、なんだけどね、」

そのモデル、内山も良く知っている人ですけど?

そんな心のつぶやきに見た先、シックな装丁の豪華な写真集がある。
この写真集を周太だって本当は持っていて、家の屋根裏部屋に大切に保管してある。
それも宝箱のトランクに仕舞いこんで。

『CHLORIS―Chronicle of Princess Nadesiko』

花の女神、大和撫子の姫君の年代記。
美しい花々と写された黒髪の美少女は、この写真集を作ったカメラマンが最も愛した『媛』という名の専属モデル。
もう彼女は3年前に引退してしまった、その彼女を偲ぶよう彼は、この写真集を出版した。
この『媛』の正体は、英二。これを知っているのは周太と光一しかいない。

…きっと2人とも、本当のことを知ったら驚くよね?

まだ中学生だった英二が偶然から人助けをした、それがモデル『媛』の始まりだった。
男なのに美少女となったのも、モデルを務めることも、全て英二は人助けだと思って承諾したことばかりでいる。
この事実は所属していたモデル事務所でも一部の人間しか知らない、そしてカメラマンにも知らされていない。
イギリス出身の彼は『媛』を東洋で出逢ったマドンナ「大和撫子」だと信じて愛して、写真を取り続けていた。
だから秘密を守ることが、カメラマンの名誉を守ることにも繋がる。だから言えない。

…内山、なんかごめんね?

「きれいだから」と顔を赤くした相手が誰なのか?

それを知ったら内山は多分ショックを受けるだろう。
根が生真面目で融通の効き難そうな内山にとって「同性に見惚れた」なんて衝撃かも知れない?
しかもそれが自分の同期で、それもライバル心を持つ相手だなんて、さぞ驚くだろうな?
そんな心配をしながら周太は、マグカップに隠れるようココアを啜りこんだ。
その隣では美代が大学についての質問を始めている。

「俺みたいに資格とか一種受験が中心の人間も多いけど、本当に研究しようってタイプもいるよ、」
「あ、よかった。私、自分の研究分野の資格は取るだろうけれど、官僚とかはちょっと…あ、ごめんね?」
「いや、気にしないでくれ。俺も前ほどは、そう思わなくなったから、」

話題が移って、なんだかほっとしてしまう。
けれど、あの写真集をもし瀬尾が見たら、どんな反応をするだろう?
そんな心配と、とりあえず今の状況への安心を廻らしていると携帯が振動した。
ポケットから出して携帯を開くと、着信の名前に周太は首を傾げこんだ。

「…光一?」

今の時間、光一は業務時間内だろう。
仕事中に光一が架けてくるなんて、何かあったのだろうか?
すこし不安になりながら周太は、ふたりに声をかけて席を立った。




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one scene 或日、学校にてact.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-02 04:24:48 | 陽はまた昇るanother,side story
言ってしまう、



one scene 或日、学校にてact.4―another,side story「陽はまた昇る」

…やっぱり、はずかしいね

ほら、また視線がこちらに向けられる。
視線を向けながら話している、女性警官たちの目がちょっと怖い。
やっぱり寮の中だけにしてと言えばよかったな?後悔しながら俯いた間近から、綺麗な低い声が訊いてくれた。

「周太?無口だけれど、具合悪い?」
「ううん…だいじょうぶだけど、」

具合は大丈夫、なんだけどな?
そんな心の声に、こっそり溜息こぼしてしまう。そんな周太に切長い目が困ったよう微笑んで、尋ねてくれる。

「どうしたの、周太?なんか困ってる?」

ちょっと困っています、今の状況に。

こんなこと、寮の中だけでなら今までもしたけれど。
教場棟や本館ではギャラリーが多すぎる、何より女性の視線がある。
やっぱり止めて貰おうかな、もう正直に言ってみようかな?周太は遠慮がちに口を開いた。

「あのね、英二?…やっぱり搬送トレーニングは、寮のなかだけにしない?…みんなみてるし」

だって搬送トレーニングって「お姫さま抱っこ」なんだもの?

これでは女性が注目するだろう。
だって「お姫さま抱っこ」が女性の憧れだろうことは、周太でも知っている。
よく小さい頃に読んでもらった童話の挿絵でも、王子に抱えられる姫君がよく載っていた。
だから奥手の周太でも、今、視線を向けてくる女性たちの気持ちが解からなくもない。
しかも英二は、もてるから。

いま彼女たちは何て想っているのだろう?
男同士のくせにとか憎まれるよう言われているのだろうか?
そんな考えが廻って何だか落ち込みそう、けれど英二は幸せに笑ってくれた。

「見られても良いだろ?大切な人を大切にしてるだけだ、本当にトレーニングになんだし、」

大切な人を大切に。
そう言ってくれるのが嬉しい、ほら首筋が熱くなりそう。
こんな赤くなりながら鞄2つ抱え込んで、長い腕のなかに抱え込まれている。
こういうのは嬉しいけれど、でも男としてどうなのかな?そんな疑問に首傾げた時、不意に渋い声が飛んできた。

「宮田、何をやっているんだ?」

声に、心臓がひっくり返る。

この声は、遠野教官。
自分の担当教官、厳格な鬼教官、けれど本当は誠実で優しい。
そんなひとに、こんなところを見られたら、英二は何て思われるのだろう?

…どうしよう、英二に傷がつく?

それだけは嫌、そんなことだけは許せない。
そんな想いに周太は、恋人の胸に凭れかかって教官を見、口を開いた。

「私が体調を崩したんです、それで宮田が助けてくれて。お騒がせして、申し訳ありません、」

すこしの嘘と、真実。

けれど今きっと顔が赤い、頬が熱くて仕方ないから。
それに心臓も鼓動が速い、ほら今も胸の内から音が聞こえてしまう?
そんな自覚に本当に気分が悪くなりそう、思わず2つの鞄を抱きしめたとき、声が頭上から降った。

「遠野教官、私が勝手に湯原を抱え込みました。体調が心配なだけですが、何か問題がありますか?」
「問題か、」

さらり言って遠野教官がこちらを見た。
そして一歩近づくと、すこし皮肉っぽい目を笑ませて言ってくれた。

「あんまり女性どもを騒がせるな、喧しい。それが問題だ、気を付けろ、」

渋い声で告げて、くるり踵返すと教官は言ってしまった。
廊下の角で見えなくなる、なにか肩の力が抜けてしまう?ほっと息吐いた周太に、英二は笑ってくれた。

「周太?俺のこと、庇おうとしてくれたね。ありがとう、」

綺麗な笑顔が「ありがとう」を言ってくれる。
こういうのは嬉しい、けれど何だか気恥ずかしくて、つい素っ気ないふうに口を開いた。

「ほんとのこと言っただけだから。なんか熱っぽいし、しんぞうも変だし…」

言いながら見上げて、周太は言葉を呑みこんだ。
切長い目は真剣に見つめてくれる、そして低い声も真摯なトーンで告げた。

「周太、戻るよ?」

告げて、英二は長い脚を捌いて歩き出した。
そのスピードが徐々に速くなって、周りの景色が流れだす。
窓からふる遅い午後の光が梯子のように射す、その光の回廊を抜けていく。
回廊の光はダークブラウンの髪を透かし、きらきら陽光が遊んで白皙の貌を輝かす。

…きれい、英二

腕のなか抱えられながら、見惚れてしまう。
太陽の光にくるまれた姿が、なんだか絵本で見た天使みたい?
こんなに綺麗な英二だから女性に騒がれるのも、仕方ないだろう。

“あんまり女性どもを騒がせるな、喧しい。それが問題だ”

さっき遠野教官が言った言葉に、ふと気づいてしまう。
英二がモテることは「喧しい」ほど警察学校でも問題になっているのかな?
そんな疑問にも納得をしてしまう、今、売れている写真集の正体も自分は知っているから。

…あの写真集のことがバレちゃったら、また騒ぎになりそう

抱えてくれる腕の人を心配するうちに、英二は寮の入口を潜ると部屋の扉を開いた。
抱えたまま器用に施錠して、周太をベッドに腰掛けさせると、そっと額に額を付けてくれる。
ふれあう額が気恥ずかしいけれど嬉しい、嬉しくて微笑んだ周太に優しい眼差しで訊いてくれた。

「頭痛いとかある?すこし今日、無理したかな、」

言いながら衿元ふれて、ネクタイを外してくれる。
しゅっ、と抜かれる感触に、とくんと鼓動が1つ鳴って速くなりだす。

「あの、えいじ?じぶんでぬげるよ、」
「良いよ、俺がしたいんだから、」

緊張して訴えるけれど綺麗な低い声は笑って、長い指の手は止まらない。
制服のボタンが外されてTシャツ姿になって、ベルトもスラックスから抜かれてしまう。
これ以上またされると困りそう、周太は長い指の手に自分の掌を重ねた。

「まって、英二?あの、具合悪いっていうか…さっきは緊張しただけだから、」
「え、」

動きが止まって、驚いたよう切長い目が大きくなってしまう。
けれどすぐ目は微笑んで、長い腕が周太を抱きしめてくれた。

「良かった、周太が大丈夫なら。でも今日は、ゆっくり過ごそうな?また一緒にいるから、」

そう言って笑ってくれた笑顔は、心からの幸せに温かい。
温かな笑顔はそっと近づいて、やさしいキスに唇ふれてくれる。
やわらかなキスに温もり交わしあう、ほろ苦く甘い香が深い森のようふれていく。
そっと瞳を披くと、綺麗な笑顔が楽しげに訊いて来てくれた。

「周太、さっきは俺のこと、庇ってくれたんだろ?ありがとうな、」

それを言われると恥ずかしいのに?
そう困りながらも解かって貰えたら、やっぱり嬉しくなってしまう。
さっきは素っ気なくしてしまったけれど、今度は正直に微笑んで口を開いた。

「ん、…傷つけたくないから、英二のこと…大好き、」

ほら、もう本音こぼれてしまう、言ってしまう。
こんなふうに見つめて、ふれて、想い伝えられる「今」この瞬間が幸せで、温かい。




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第51話 風伯act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-01 22:28:06 | 陽はまた昇るanother,side story
風が起きるのは、



第51話 風伯act.4―another,side story「陽はまた昇る」

午前1時、掌のなかの震動に瞳が開いた。
握りしめた携帯電話に着信ランプが瞬いて、優しい曲が一節流れる。
この曲は唯ひとり専用の着信音、微笑んで周太は画面を開いた。

From  :宮田英二
Subject:ごめん
本 文 :遅くにごめん。今、戻りました。全て終わったけれど、藤岡が怪我をしたんだ。
    だから今日は藤岡に付添って、学校に戻ろうと思う。ごめん、約束をしたのに、ごめん周太、赦してくれる?
    あと、瀬尾に伝えて下さい。似顔絵そっくりでした。
    本当に今、周太に逢いたい。

薄暗い部屋のベッドの中、想いつづる画面が静かに光っている。
この文面に今夜の、英二が見つめた現場と想いが伺われてしまう。
見えてしまう状況に、ため息のなか周太はつぶやいた。

「藤岡が、怪我をするなんて…」

藤岡は柔道のインターハイ出場者で、青梅署でも駐在所の柔道指導を担当している。
逮捕術も巧みで、体格が同じ位の周太は藤岡と術科で組むことも多い。
だから実力はよく知っている、素手なら滅多に藤岡は負けないはず。
それなのに、英二が付添うほどの怪我を負わされた。

…きっと凶器を振るわれたんだ、

おそらく強盗犯は、鉄製の凶器を持っている。
それは雲取山頂で被害者の応急処置を見たときに、周太も気がついた。
あのとき、被害者の傷を拭った清拭綿には、確かに鉄製の錆が付着していた。
いったい「鉄製」の凶器は、何だったのだろう?

そして心配になってしまう。
きっと光一は今、怒っているだろうことが解かるから。

光一は明るくて大らかに優しい、だから友達や知人も多くいる。
けれど本当に屈託なく話せる相手は稀で、それだけに心許した友人を大切に想う。
そんな友人の1人で同じ山ヤの藤岡を傷つけられたなら、光一が怒らない筈は無い。
しかも凶行は光一が何より大切にする「山」で行われた。

大切な友人と「山」を傷つけた存在を、光一が赦せるのだろうか?

「…ううん、きっと光一は…」

きっと光一は、何もせずには済まさない。
光一は大らかで純粋無垢、その分だけ怒りも純粋なままに苛烈で容赦ない。
いつもは飄々と淡白なだけに、その少ない逆鱗へ触れたら簡単には相手を赦さないだろう。
そんな光一を真正面から受けとめられる人は少なくて、英二しかいない。だからきっと今、英二自身も安らぎを求めている。

「…ん、逢いたいね?英二…」

顔を照らす画面に微笑んで、周太は返信ボタンを押した。
すこし考えながら指を動かして、想いを綴っていく。

T o  :宮田英二
Subject:Re:ごめん
本 文 :おつかれさま、藤岡の怪我が心配です。付添ってあげてね、英二が一緒なら心強いと思うから。
     英二と光一は大丈夫ですか?明日も忙しいだろうけれど、無理しないでね。
     瀬尾に伝えておきます。それから、約束は、延期でも必ず守ってね。

読み直してから「送信」を押して、そっと携帯を閉じる。
そのまま起きあがりデスクライトを点けると、椅子に座って抽斗を開けた。
クリアファイルから書類を1通だし、その紙面へとペンを走らせていく。
すぐ書き上げて読み直すと、微笑んで周太はデスクライトを消した。



土曜の朝、食堂はいつもより人が少ない。
外泊は金曜の夜から許可されるから、初任総合だと所属署へ戻る者も多くなる。
だから英二と藤岡の不在も特別ではないし、今日が初めてでも無い。
けれど、やっぱり今朝は違う。

「湯原。逮捕されたんだってな、あの強盗犯、」

食事が始まるとすぐ、関根が口を開いた。
もうニュースになっているんだな?すこし微笑んで周太は頷いた。

「ん、昨夜のうちにね…それで、瀬尾の似顔絵とそっくりだった、って英二から伝言だよ、」
「よかった、すこしは役に立ったのなら良いな、」

嬉しそうに瀬尾が頷いてくれる、その笑顔が明るい。
似顔絵捜査官を目指す瀬尾にとって、今回の件は自信になるだろう。それが嬉しくて微笑んだ向かいで関根が笑った。

「すげえな、瀬尾。目撃者自身がよく覚えていない、ってくらいだったのに。よくソックリに描けるよな、」
「あのときは俺、埼玉県警の似顔絵もチェックしてあったんだよ。それをベースにして、あのひとの証言を加えて描いたんだ」

焼鮭を箸でほぐしながら、瀬尾は教えてくれる。
なんでもないふうに本人は話しているけれど、周太は感心して言った。

「それって、埼玉県警の似顔絵を正確に記憶している、ってことだよね?…自分で描けるくらい記憶するって、すごいね?」
「すごくないよ、簡単だよ?」

いつもの優しい笑顔で答えて瀬尾は、何げなく丼飯を口に運んでいる。
そんな様子に瀬尾は本当に「普通」だと思っているのだと、伺えてしまう。
やっぱり瀬尾は基礎能力が高くて、こんなふうに記憶力も優れている。そのことを本人は「普通」と思いこんでいるけれど。

…すごく優秀な叔父さんがいるから比べちゃって、自分は出来ない方って思いこんでるかな?

こういうタイプは自信を持つと抜群に伸びる。
きっと瀬尾は今回の件で自信を持てたら、似顔絵捜査官として能力を伸ばせるだろう。
本当にそうなって、すこしでも早く瀬尾の夢が叶うと良い、この先の5年間を希望した道に生きてほしい。
そして少しでも多くの時間を、似顔絵捜査官に見つめる夢に生きて、この5年の後の時にも支えとなるように。
そんな祈りを思う周太の斜向かいから、関根が呆れたように笑った。

「瀬尾?簡単だって思ってるの、今、おまえだけだぞ?」
「そうかな?でも講習会では俺以外にも、そういう人いたけど、」

バリトンボイスが普通に答えて、いつもどおり微笑んだ。
そんな瀬尾に場長の松岡が笑いかけた。

「そういう人って、現職の似顔絵捜査官の方達だろ?」
「うん、そうだよ、」

にっこり頷いて瀬尾は煮物を口に運んだ。
のんきに口を動かしている顔を見て、上野が素直に尋ねた。

「瀬尾は講習を受け始めて、まだ数ヶ月なんだろ?それで同じように出来るって、すごいんじゃないのか?」
「全然、同じじゃないよ?皆さん、本当に速くて巧いんだ、」

相変わらず何げない口調でバリトンボイスが笑っている。
そんな会話に隣から、内山がすこし驚いたよう話しかけてきた。

「あのさ、もしかして昨夜逮捕された強盗犯の似顔絵は、瀬尾が描いたのか?」

そういえば似顔絵の話は1斑の仲間と担当教官の遠野しか知らない。
きっと隣で聞いていて内山は驚いただろう、その問いかけに周太は微笑んで頷いた。

「ん、そうなんだ。このあいだ救助隊の訓練に参加させてもらった時に、瀬尾が描いたんだよ、」
「それが手配書に採用されていたんだ?すごいな、瀬尾、」

精悍な笑顔が率直に褒めてくれる。
褒められて少し照れくさげに瀬尾は、笑って口を開いた。

「すごくないよ。警視庁では他に無かったから、仕方なく使ってもらっただけだよ、」

ちょっと嬉しそうに笑って瀬尾は箸を動かしている。
その隣から関根が大きな目を温かに笑ませて、快活に言祝いだ。

「どっちにしてもな、すげえよ瀬尾。似顔絵捜査官の一歩だろうが?これ、とりあえずの祝いな、」

言いながら箸を動かして、瀬尾の皿にサラダのハムを置いた。
それへと優しい目が楽しげに笑んで、バリトンボイスが嬉しそうに笑った。

「ありがとう、関根くん。でもさ、どうせ祝うんなら俺、もっとガッツリしたもんが良いな、」
「おまえって結構、言うよなあ?いいよ、明日の昼飯おごってやんよ。成城の駅に待合わせでイイよな?」

楽しそうに答えながら、瀬尾の頭を小突いて関根が笑う。
小突かれて可笑しそうに笑うと、瀬尾は悪戯っ子なトーンで微笑んだ。

「成城で待合わせだなんて、フレンチにでも連れてってくれるの?意外だね、関根くん、」
「ばーか、お互い最寄駅なだけだろ?新宿に出て定食屋だよ、おまえって意外と食うしさ。だいたい、そういう店は俺は無理、」

笑って言い返しながら、関根は大きな口で丼飯を掻きこんだ。
そんな男っぽい仕草を見ながら周太は、ふと心配になって尋ねた。

「あのね、関根?お姉さんと一緒の時は、どんなお店に行ってる?」
「え、朝からその話題かよ?照れるってマジで、」

醤油差に手を伸ばしながら、照れくさげに関根の頬が赤らんでいく。
それを見て楽しげに上野が笑いかけた。

「土曜で休日なんだしさ、朝からだって良いだろ?すごい美人らしいじゃん、宮田の姉さん、」
「ああ、マジ美人。特に心が美人で、俺、ヤバい、もう今から緊張しちゃってヤバい、話題にするとか無理、」

ヤバいを2連発して、快活な笑顔が真赤になっていく。
ほんとうに関根は純情なんだな?そう見ている先で上野が人の好い顔で笑った。

「なにがそんなヤバいんだよ?関根って意外と純情だよな、今日は逢うんだろ?」
「そうだよ、だから今から緊張してんだろが?俺、マジで惚れちゃってんの、だからヤバいんだって、」

赤い顔で笑っている顔は本当に照れ臭げで、けれど幸せが温かい。
こんな貌で笑う関根と一緒に居たら、きっと英理の方も幸せなのだろう。
昨夜も英理は「どの服がいいかな?」とデートの装い相談をメールしてきた。
そんな様子に英理が、どれだけ関根と逢うことを楽しみにしているのかが良く解かる。
だからこそ今ちょっと訊いておきたいな?そんな考えにいる周太の隣から、松岡が温かな笑顔で促した。

「いいから関根、幸せな話を皆に聴かせろよ?どんな店に行くんだ?」
「なに、場長までかよ?あー、こういうのって俺、マジ初心者なんだからな?」

真赤な顔で観念したよう笑って、関根は片手に汁椀を持つと一気飲みした。
まるで日本酒でも呷るような豪快な仕草、それが関根は様になってカッコいい。
こういう男っぽいのは少し羨ましい、けれど自分は真似出来そうにないな?そう感心していると関根は口を開いた。

「この間はラーメン屋で昼、食ってさ。映画見て、英理さんが好きなカフェでお茶して、晩飯は居酒屋に行ったよ。酒は抜きだけどさ、」

やっぱり、そういうコースなんだ?

初デートでいきなりラーメン屋と居酒屋なのは、女の子にとってどうなのだろう?
しかも英理は所謂「お嬢さま」で一流企業の通訳兼エグゼクティブセレクタリーを務めるような女性。
そういう人を最初からラーメン屋に連れて行くのは、ちょっと珍しいのではないだろうか?
それくらいは奥手の周太にも解かってしまう、そして関根らしくて納得してしまう。
そんな「納得」な空気が関根を囲むなか、松岡が口を開いた。

「なあ、関根?最初のデート飯が、ラーメン屋ってこと?」
「おう、新宿に旨いとこあってさ。コッチでは俺、そこが一番好きだから行ったんだけど。なんか拙かった?」
「うーん、拙いって事も無いけれど、なあ?」

ちょっと困ったよう松岡が瀬尾に「なあ?」と呼びかけた。
それに困った笑顔で頷くと、瀬尾は悪戯っぽいトーンで関根に微笑んだ。

「ねえ、関根くん?女の子の好きな店って、解ってる?」
「え、…あ?」

快活な目が大きくなって「今、気がついた」という貌になっている。
そして心底から困った顔になって、関根は友人に手を合わせて懇願した。

「瀬尾、頼むっ、女の子の好きな店、今すぐ教えてくれよ?」

赤い顔が真剣になっている。
本当に関根は何の疑問も無く、英理をラーメン屋に連れて行ったのだろう。
きっと自分が東京で一番おいしいと思う店だから、英理にも食べさせてあげたかった。
それが解かって微笑ましい、瀬尾も同じよう微笑んで友人へと楽しげに尋ねた。

「場所は?」
「新宿で待合わせだけど、あとは特に決めてねえ、」
「ふーん?無計画のデートなんだ、じゃあ、彼女の好み教えてよ、」

口調はすこし揄うようで、けれど優しい笑顔で瀬尾が答えた。
そんな笑顔に関根は困ったように、率直に白状した。

「本と花が好きってことしか、まだ知らないんだ。で、飯はナイフとフォークのとこは俺が無理。箸のトコってある?」

こんなふうに関根は隠さず言える、それが好い所。
こういう関根を英理は好きなのだと周太は知っている、嬉しく微笑んで周太は口を開いた。

「あのね、お姉さんは、お茶席とか好きなんだ。和の情緒とか…きれいな日本庭園とか喜ぶと思うよ、あと美術館も好きみたい、」

時おりのメールや電話で話す事と川崎の家に来てくれた様子だと、そんな感じのはず。
思ったままを告げた周太に、手を合わせて関根は拝んでくれた。

「助かる、その情報。ありがとな、湯原。もっとアドバイスある?」
「ん、…そうだね、」

ちょっとこれは言い難いな?
けれど言っておかないと困るだろう、周太は正直に友達へ告げた。

「お母さんが、フレンチとかイタリアン、すごく好きなんだって。だから…ナイフとフォークは練習しておく方が、良いよ?」

もし結婚する前提の付合いなら、いずれ両親との会食があるだろう。
このまま苦手で済ませていたら、その時に関根自身が困るのは目に見えている。
もちろん英理は気にしないだろうけれど、母親はそうはいかない。それは親戚も同じだろう。
しかも婿入りなら尚更、宮田の家風に沿えと言われても関根には文句が言えない。

…お姉さんはそういう事も心配して、最初は断ったんだよね…好きだから、無理させたくなくて

ふたりは交際する前から、偶然顔を合わせることが多かった。
関根の勤務する交番前で、本屋で、コンビニで。ふたりは偶然の顔をした必然に何度も逢わされている。
まるで瞬間のような一時を重ねながら互いを見知って、メールをやり取りするようになって。
そんな時間とメール文に想い交すなか、聡明な英理なら関根との育ちの違いを真剣に考えただろう。

きっと英理は、伸びやかに闊達な育ちの関根に憧れて、明るい快活を愛している。
だからこそ英理は宮田の家の事情を押しつけたくない、そう考えても不思議は無いだろう。
それでも英二たちの父親は気にしないだろう、でも、母親の方は違うと周太も知っている。

…お母さん、吉村先生の病院で会ったとき、俺がお茶淹れるとこ見てたもの…

彼女は周太のことを「人としては及第点ね」と言ってくれるらしい。
それは周太の煎茶の淹れ方や、茶の点法で英二の父を持成した事を褒めてくれている。
だから逆に言えば、そうしたマナーや躾が無ければ「人としては落第点ね」と言われるのだろう。
それを解かっているだけに関根の今後が心配で、お節介かもしれないけれど言わせてもらった。

「湯原がそんなふうに言う、ってことはさ?宮田のお母さんが行く店って、高級なとこってこと?」

人の好い顔で首傾げて、上野が訊いてくる。
瀬尾と関根以外は英二の家を知らないから、すこし意外なのかもしれない?考えながら周太は答えた。

「ん、ファミレスとかでは無いと思うよ?」
「そうだよなあ、成城のお坊ちゃんだもんな、宮田も。瀬尾はそういうの強そう、」

にこにこと丸顔を笑わせて上野は納得している。
それに瀬尾は優しい笑顔で答えながら、揄うトーンに隠した誠実から訊いた。

「うん、家の辺りに店も多いからね。で、関根くん?そこんとこ覚悟は出来てるの?」

この「そこんとこ」は関根にとって苦手だろうと、ここにいる誰もが想像出来てしまう。
地方の町工場を営む関根の実家は大らかで、家計は苦しくても明るい堅実な家庭だと知っている。
そうした家庭で育った関根にとって、所謂ハイクラスの世界は縁遠い話だろうし興味も無かっただろう。
そんな関根にとって宮田の家に入ることは、未知の遠い国へ行くこと以上に勇気が要ることかもしれない。
それでも関根は英理の為に努力して超えるだろうな?そう見た先で大きな目はひとつ瞬いて、関根は瀬尾と周太を拝んだ。

「頼む、こんど俺にマナーってヤツを教えてくれ、」

ほら、関根は諦めないで、真直ぐに努力を選べる。
こんな友人が自分は好きだ、そして本当に身内になる可能性の未来予想が楽しくなる。
楽しいまま素直に頷いた周太の前で、瀬尾は悪戯っ子のまま愉快に笑んだ。

「いいよ、ただし授業料は高いからね?よろしく、関根くん、」

…なんだか結構スパルタ教育になりそうかも?

瀬尾は優しい笑顔だけれど、厳しい先生の気配が閃く。
けれど関根は、その分だけシッカリ教えて貰えそうだな?そう見ている隣で、内山が感心そうに口を開いた。

「瀬尾って顔も声も優しいのに、結構、言うんだよな?」
「ごめん。俺って本当は、結構辛口なんだよね、」

さらっと笑って返す瀬尾の笑顔も口調もどこか余裕があって、明るい大人っぽさがある。
やっぱり瀬尾は初任教養の時から変わった、ずっと大人びた奥行に余裕を感じられる。
そんな同期に自分は、すこし憧憬を見てしまう。

―…お父さまが亡くなられたショックで記憶が眠り始めたのでしょう。記憶は時間でもあります、そして時間には感情が絡んでいる。
 ですから眠った時間の分だけ感情の記憶も眠って、精神の退行が起きる場合もあるんです。だから君は精神年齢が若いのです。
 確かに、同じ年頃の友達と比べて幼いと、困ることも多いでしょうね?けれど、焦ることは何もありません、君も成長するのだから

そう吉村医師に言われた通り、焦ることは無いと思えるから素直に憧憬を持てる。
このあいだ奥多摩に行った時は、ふたりで吉村医師と話す時間は無かった。
そろそろ、ゆっくり聴いてほしいことが貯まってきたかもしれない?

…近いうちに、お会いしたいな?お茶菓子とコーヒー持って…救急法も少し教えてもらえるかな、

楽しい予定を考えて、ふと微笑がこぼれてしまう。
その予定の行間から不意に、ふっと風が吹くよう考えが浮んだ。

吉村医師に「ページが欠け落ちた本」のことを聴けるだろうか?






(to be continued)

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