時には常識を疑うことも大切なのではないでしょうか

2009年06月16日 | Weblog
脳出血による半身麻痺で来院される40代のYさん。

昨年の秋から月に3~4回の治療と訓練を続けています。



初めていらした時は、麻痺のある足を外から振り回しながら歩き、

同じく麻痺のある側の腕は固く曲げられたままでした。


初診時すでに脳出血をされてからは3年が経過していました。

脳の障害は一年半から二年までが大きく回復を見る期間として知られていますが

逆にそれを過ぎると「症状固定」、つまり「もうこれ以上は変わりそうもありません」と烙印を押されることが多いようです。

しかし、今やYさんの歩く姿は、棒切れの様だった膝と股関節が動きを取り戻し始め、

ぐんと滑らかに、そしてぐんと早く歩くことが出来るようになってきています。

どれぐらい早くなったのかというと、今までより30~40%ほど早く歩くことができるようになっています。





来院時、Yさんの麻痺側の手の指はかすかに動く程度でした。

脳にダメージを負うと、回復しにくく後遺症が強く残りやすいのが腕なのですが、

Yさんの手はここ最近、大きく回復してきています。

ほとんど動かなかった指は物を握れるほどに大きく開き、

また「握力」と呼べる力で握ることが出来るようになっています。

また、親指と人差し指(外側を使って)でのつまみ動作もできるようになりました。

そして今日、手首を中間位(曲げも反らしもしない位置)で固定すると

残っていた薬指と小指も開くことが出来るようになることが解かりました。

以前同じことを試したときには不発でしたが、最近の登り調子に『今なら行けるかも!?』

と、試してみたら思惑通りの変化が得られたのでした。

この変化、施術者としては嬉しいものです。


何が言いたいのか。


Yさんは障害を負われてから4年近くたっても、

症状固定どころか日に日に回復されているのです。


「常識」の枠を超えた変化を見せてくれています。


こういった例は他にもあります。

病院からは「あとは良く歩くように」と言われ、リハビリを終了した30代のSさんは、

麻痺した足を棒切れのように振り回しながら「歩ける」ようにしかなっていませんでした。


ですが、

いまはサイドステップやジャンプも出来るようになりましたし、

小学生低学年の息子さんとサッカーボールを使ってパス練習(当然脚で)が出来るようにもなりました。



私は特別なことはしていません。

ただ、いつもどおり普通に治療し、普通に訓練しただけです。


なので、この変化は患者さん自身の努力の賜物

あきらめないで頑張ったことへの当然の対価

なのだと思います。



「私にかかれば誰でも魔法のように治る」

なんてことは言いませんし、

考えてもいませんし、

そもそもそんなことは有り得ません。



唯一、「ふつうじゃない」ところといえば

「常識」に順ずることをしなかったということでしょうか。


ご本人の意気込みと、現状を見極め、

試行錯誤しながら目標に向かって変化を積み重ねる。

共に悩み、共に汗をかき、共に喜ぶ。

いつもの治療と一緒です。



私は、

時には常識を疑うことも大切なのではないかと

そう思うのです。


ここにあげた2つの症例は、

常識に盲従するあまりに、

目の前の可能性を見落としてしまった可能性があったのではないか

と言うことを示唆していると

そう思うのです。


Drのカルテや指示書は文字の情報です。

言葉の情報です。

言葉は現実の一部を切り取ることしか出来ません。

言葉や文字での説明は、

正確に、相手のことを1/1に伝えてはくれないものだと

そう考えています。



ですので、目の前の患者さんを(完璧な指示書があったとしても)

もう一度、自分の尺度で評価することが、

大切なのではないかと思うのです。



痛みの原因は

「ヘルニアだって言われた」

「変形してるせいだって言われた」

「気のせいだって言われた」

と相談を受けたとき、

私は自分の手でもう一度今の患者さんの状態を確認するようにしています。

そして、手技治療で何がしかの役に立てる可能性を見つけたときには

最大限の努力をもって治療にあたります。


このスタンスは、これからもきっと変わらないと思います。


患者さんがあきらめない限り、私もあきらめません。


常識もときには疑いながら、これからもこのスタンスで治療し続けたいと思います。

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