中学一年生のA君の夢はバスケットボールの選手です。
小柄なA君は周囲の仲間に負けない強い気持ちの持ち主で、つらい練習にも音をあげることがありません。
しかし、自分よりも大きな身体を持つ仲間との練習は、時にA君にとってはより強い負荷としてA君の身体に襲 い掛かります。
そうした練習の中で、A君の膝は痛みで曲がらなくなってしまいました。
成長期の故障の中で軽視されがちなものの一つに「オスグットシュラッター病」という膝の故障があります。
要は四頭筋腱が付着する脛骨粗面に生じる疲労骨折の一種で、悪化すると、まだ骨として固まり切っていない軟骨の部分から脛骨結節ごと剥がれてゆきます。
痛そうでしょう!?
でも、現場では軽視されがちな故障なんですね。
「そのうち治るからほっとけ」 「気合で乗り切れ」
と言われがちな故障なんですけども、 ところがどっこい、そうそう治らないんですよね。
痛みが引かず練習を休む➡痛みが引いて練習再開する➡すぐに痛めて休む、
なんてことを身体が成長期を終えるまでの数年間ずっと繰り返してしまい、
選手として十分な成長ができなくなったり(「あ~、あのケガがなければきっといい選手になってただろうに…」ということ)、
スポーツを継続すること自体を諦めてしまうケースだってあるんです。
骨のケガを甘く見てはいけません。
A君の膝はパッと診ると「ジャンパー膝(四頭筋腱や膝蓋靭帯の故障)」のようでしたが、
注意深く見てみると痛みの出どころは骨膜で、骨の表面はかすかに肥厚しています。
そこからわかることというのは、腱の故障ではなくて骨の故障が疑わしいということです。
こじらせると成長期を終えるまでの数年間、膝の痛みと付き合う羽目になってしまいます。
できればここでしっかりと治しておきたいところ。
念のため1週間は安静にしてもう一度様子を見せてもらえるようお願いしました。
すると、A君も親御さんも「練習は休めない」と言います。
では、痛みの強い運動はやらないようコーチと話し合うようにアドバイスを送ると、それもできないとのこと。
練習に参加する以上は全力でやらなきゃいけない。
そういうルールなんだそうで…
幸い初回の診察でA君の膝はエクササイズに良い反応を示してくれています。
希望的観測の基に考えて、 エクササイズによる調整の力を借りて、故障の進展を食い止めることができないこともないかもしれません。
さらにA君の成長期の回復力にかけるというのもありかもしれません(個人的には子供にそんな博打を打たせたくないですが…)。
押し問答をしても仕方がないので、膝のセルフケアと患部の状態の確認の仕方を伝え、
悪化があるようならす ぐに練習から外れるよう念を押して、初回の治療を終えました。
1週間後、A君の膝はだいぶ良くなっていました。
まだ左右均等とは言えませんが、ほぼボトムまでしゃがむこともできています。
患部の痛みも1/2とのこと。
でも、骨膜を確認すると盛り上がってきていました。
やはりオスグットです。
こうしたケガは一旦こじらせると長く痛みと付き合うことになります。
「強い選手はみんなオスグットだよ!」 なんて話も耳にしますが、本当にそうでしょうか?
痛みと闘いながら行う運動では正しい身体操作が学べませんし、
崩れた動きによる二次的な故障のリスクも非 常に高い。
だから初期対応が大事なんです。
前出の一言には「オスグットを抱えてなかったらもっと優れた選手になっていたことでしょう」と、
私ならそ う答えますね。
成長期の故障はその後の人生に大きく影響してきます。
まだ、大したことのないうちにしっかりと治しておくことが、思いのほか重要です。
残念なことだけれども、今はまだA君はほかの子達よりも体格では劣っています。
声変わりも来ておらず、つまり成長のスパート期を迎えていません。
当然、骨もほかの子達よりも弱いんです。
それなのに根性とセンスだけで自分よりも成熟した身体を持つ仲間と渡り合っています。
相当な頑張りです。
でも、頑張れてきたから大丈夫!じゃないんです。
この二回で診た患部の変化は、今まさに、積もり積もった無茶による破たんが起き始めている、
という可能性 を示唆しています。
だからこそ「更に大きな故障をする前に、しっかり休んで患部の傷を治すことに専念したほうがいい」と伝えますが、それでも二人は「休めない」と言います。
もどかしいですね。
いったい誰が休めない状況を作ってるんでしょうか。
少なくとも子供たちじゃないですよね。
では誰でしょう?
答えは「大人たち」です。
A君にはこんな話をさせていただきました。
「おじさんはね、中学校の時に膝を壊してね、
かばって練習していたら腰を壊してね、
22歳の時に松葉杖が離せ なくなったんだ。
で、大好きだったものを手放して、今はこの仕事をしています。
おじさんの場合、この仕事が楽しくてしょうがないからこれで良かったんだけどね。(;^ω^) 」
そして親御さんにはこんな話をさせていただきました。
「だから、A君を取り巻く状況もこの後にコーチが下す判断もなんとなく見えるんですよ。
『いつまでチンタラやってんだ!練習出るなら死ぬ気でやらんかい!』
九分九厘こうなります。
だって多分、コーチはA君にフルスクワットテストをさせて、可動性や異常運動と疼痛の有無を確認する、
そ れから適切な練習メニューを組むなんていう視点や技術は持っていないでしょうから。
何とか走れるようになった彼を見て
『なんだ、できんじゃん。ビビッてねぇでガツンと行けよ!!気合気合!!!』
って、なると思うんですよね。
子供たちに「何があっても練習を休ませない」というルールに疑問を感じさせない「今」を作っていることを 考えればまず間違いないです。
で、あっという間にケガが悪化して、もっと長期の休養が必要になる。
私はそうでした。」
そして、もうこうなっては子供対コーチのコミュニケーションではどうにもならないと考え、
保護者の方に強くお願いをしました。
「大人の口からコーチに話してください。」と。
コーチ自身、子供たちの身体について十分な判断が付かないから目の前の事態が起こっています。
もちろんコーチだけを責めることはできません。
だって本人に聞けば「大丈夫です!やれます!!」としか言いませんもん。
それに、コーチ側の立場の方からは、保護者からの圧力で…(練習を厳しくせざるを得ない)といった話も聞 いたことがあります。
でもね、どっちも子供に目がいっていないというところが一番の問題です。
根っこにある目的を整理してみましょう。
何のためのスポーツなのでしょうか?
誰のためのスポーツなのでしょうか?
学校の部活は勝つためだけにやるんでしょうか?
違いますよね。
負けるという経験も含めて、勝つためのプロセスから得られる多くの気づき、
それを経験させてあげることで子供の成長を促すことこそが 目的なんじゃないでしょうか?
決して母校や周辺の大人たちの名誉のために身を捧げることが目的ではないですよね。
冷静になって根っこから考えてみれば、きっと大人(精神的な成熟という意味で)だったら誰でも解かるんです。
でも、大人同士が互いに正直な腹の内を明かせなくなって明後日の方向で綱引きをしてしまっていたらどうでしょうか?
一 番大切な子供に目が向けられなくなっていたらどうでしょうか?
治療をしていて、そんなケースって多いように思います。
間違っていたらすみません。
俺は違う!って意見もきそうですね。
そう、あなたは違う(たぶん)!
でも、そうした状況が多くあって、理不尽にケガでつぶれていく子供たちがいるってことも事実なんです。
それが問題だと感じています。
なんにせよ、ここは私の専門家としての意見を聞いてほしいところですね。
ケガが治らなくてどうにもならなかった時の私が学んだことは
「後悔は、後に立つから後悔なんだな」
ってことでした。
人生において、タラレバはありません。
後になってから「やっぱあの時こうしとけば…」は通用しませんからね。
いまの1~3週間のブランクなんてケガが深まってからの数か月~数年のブランクをしょい込むリスクを考えた ら…
言葉は悪いですが屁みたいなもんです。
A君にはこう言いました。
「練習を休むことも勇気だよ!」と。
大丈夫。
君の根性は1級品です。
身体が付いて来たらほっといてもドカンと行けるから、今は自分の身体に足並みを合わせて 「成長するための時間」を積み重ねていこうね。
=追記=
その後、A君の親御さんは先生と話し合いを持ち、しばらくの間、A君は練習を休めるようになりました。
どういった話し合いがなされたかはわかりませんが、A君にとっては必要な判断だったと思います。
勇気が要ったことでしょう。
さすがはA君の親御さんです。
実は、今年の夏は中学生の子達からの相談が例年よりも多かったんです。
どの子も故障の名前は違えども環境要因が一緒だったもので、 思い切ってブログに書いてみました。
コーチにたてついたらレギュラー獲れなくなる なんて声も聞もありました。
「その前に、お子さんつぶれちゃいますよ!?」
「冷静に本人のための選択肢を選んであげましょうよ。」
なんて話を親御さんにすることもしばしばでした。
ちょっと続くな…と思われましたので、
同じ中学生の子を持つ親として、 そして「ぶっ壊れても練習し続けるゼ!」ってやって失敗した人間としての本音を書かせていただきました。
集団の中での振る舞いとして「空気を読む」のは大事なことですが、
読んではいけない空気は読まない勇気を持つことも大事だと思います。
また、子供たちの周囲の大人たちが協力関係を上手に築けないと、
こうしたボタンの掛け違いも起こるのかもしれません。
それを変えるには、私たち大人にも勇気が必要なのかもしれませんね。
声を挙げることで面倒をしょい込むこともあるかもしれませんが、
互いの立ち位置から見えるものを子供たちの成長に還元するために共有し、
有機的な関係性が築けるように一歩前に進み出る勇気があれば、
もっと有意義な青春時代を子供たちに過ごさせてあげられるかもしれません。
以上、独白でした。