禁欲と修行
窮屈な仕事ばかりやってきたのだなぁと思っている。公務員だから、信用失墜行為は厳格に禁じられていたから、それは当然やらない。やったら生活の糧を失ってしまう。否、そんなことを問題にし...
禁欲と修行
窮屈な仕事ばかりやってきたのだなぁと思っている。公務員だから、信用失墜行為は厳格に禁じられていたから、それは当然やらない。やったら生活の糧を失ってしまう。否、そんなことを問題にし...
久しぶりにフルに勉強をさせていただいた。
久しぶりに大学に朝から晩までいた。夏休みぼけしているのかもしれないという不安はあったが、それも吹っ飛んだ。いいもんだ。実に大学で勉強するってことはいいもんだ。
午前中は大学院の有志で、読書会である。「饗宴」を読んでいた。まぁまぁレベルの高い読書会で、じじいのオレにはとてもじゃないが、ついていくのにやっとである。たいしたもんである。尊敬しちゃったよん。全員を。
最初は躊躇した。当たり前である。オレのようなじじいが、若い人たちとサークル活動みたいなものをさせていただくのだから、参加してもいいのかね?と思う方が普通である。
なんでも当たり前だと思っていたらアカンですなぁ。
勉強にはなったが、若い方々の頭の回転の速さにはついていけない。参ったね。実に参った。優秀な方々ばかりじゃ。
オレは、亀のようにゆっくり生きて、考えていくしかない。そもそも能力がねぇのだから仕方がないのだ。いいのだ。それでいいのだ。
なんちゃって、自分で自分を慰めてあげたい(^0^)。
それでも、オレは、こういう生き方を選んでしまったのだから、やるっきゃないわけである。そもそも、誰にも相手にされないただのじじいですからなぁ。
でもね、若い人たちに刺激を受けるってぇのはいいもんです。第一、パワーが違う。生き方も明瞭である。一直線である。これはうらやましい限りである。それに、疲れていない。知りたいということを徹底的にやっておられる。これだな、これ。
オレの課題は。
老人となってからの課題じゃ。
読書会が終わってから、院生室で一人ずっと駄文を書いている。書いていることによって、頭の整理が可能となる。これだ。これがいいのだ。17:28である。まだまだ残っているつもりだ。誰も居ない方がいい。静寂だからである。
明日の学会口演も準備は完了しているし、あとは明日オレの車で出かけるので、ガソリンを入れて大学から帰るだけである。
浦安の明海大学が会場になる。行ったことがないから、明日は早めに家を出る。午後から一番最初に登壇する。
よくまぁ、飽きずにやっているものだ。
あれか、オレはクチだけで生きてきたからなぁ。わはははははは。
クチから先に生まれたってか。
そんなことは、死んだお袋は言っていなかったなぁ。オレも覚えていねぇけど。当たり前か。
親不孝な、馬鹿息子だったけど。亡母は、生きていたなら、九十二才じゃ。今でもオレのことを叱るのだろうなぁ。迷惑かけたから。悪い息子だったよん。ごめんね、おっかさん!なんって言いたくても、もういねぇじゃないか。
オレも、孫のいる歳になった。ありがたいかぎりである。こういう時代もくるのである。それは順番に来るのだろうけれども、そしてオレも樹木の朽ちるように倒れていくのだよん。それでいいのだ、それで。
あまり若さに触れると良くないかもしれないな。
オレの行く先ばかり考えてしまうから。
(^-^)/
オレも、そういふじじいになりたい。中国に奥様と旅行に行って会話に困らないってじじいになりたい。無理かな?あ、もっとも奥様が一緒に行ってくれるとは限らんか。誰でもいいんだけど(>_<)ゞ
配偶者は、ヨーロッパに興味があるらしくて、旅行会社にあちこち電話していたから。ま、オレも行ってみたいけど。欧州。行ったことないので。
PDF終わった。ふうう。三崎良周先生の。「台密の理論と実践」。後書きを読んでいて感動した。大学もお寺も後輩に譲られて自由の身になっておられるのだ。そう、自由自在でいいのである。ホントに。
さ、6時だ。謙虚に、夕飯をおいしくいただいて、これからヨルバイトである。楽しみじゃ、実に楽しみじゃ。かわゆいからのぉ~。ちゅーぼーたち。
22:34自宅にいます。今日の塾は最高に楽しかったです(^-^)/。全部男ばっかり。あたりめえだな。イケメンじゃないから。
高校3年生で文学志望という男の子と面接をしました。迷っているみたい。文筆で身を立てたいっているから、かつてのオレを見ているようで、本当にいろいろなことを云ってしまいました。
表現よみ指導の本質は読み方を教えることではない。音楽の演奏家が味わうような感動を読み手に味わわせることだ。文章のかたちで書かれた作品の演奏の仕方は指示するが、それによる味わいは読み手自身のものだ。指示の基本は、強アクセントにもとづいた文のリズムとイントネーションやプロミネンスだ。
キリスト教ないしキリスト教思想が、人間の行為を宇宙の戯れの中に位置づける力を失った最初の宗教だったわけではないとはいえ、それがなお、私が戯れの至福のヴィジョンと呼びたいものから我々を隔てる遮蔽幕であることに変わりはない。-非-知と反抗-
従来の方法を捨てる必要があるのです。ジョルダーノ・ブルーノからニュートン、ベーコンと進んできた学問は、実験を繰り返せば何でも作り上げることができる、と考えて、二十世紀についには人間の社会をもそのように作りうるという考えにまで至りました。このカーヴが今こそ終わったと思います。『鏡』
産業別の非正規雇用率。横軸に全体,縦軸に20代の非正規率をとった座標上に103産業をプロット。飲食や小売業の非正規率がスゴイ。飲食の20代の非正規率は81.2%!この業界では,非正規化が若年層に集中していることにも注意(駐車場業も)。 pic.twitter.com/KVnDUeqeYa
宗教・信条がとらせる魂の営みの一貫した態度から生じる影響力は、時の経過と共にますます強まっていく。何故なら、繰り返して作用し続けるから。だからこそ、その力はエーテル体に働きかける能力をもっているのである。
ヘラクレスの間 1664年にヴェネチア共和国からルイ14世に贈られた「パリサイ人シモン家の宴」(ヴェロネーゼ作)を飾るため、第4礼拝堂があった場所に作られた広間だそうです。 pic.twitter.com/cZ3vaAuKc0
手頃な石二つをこすり合わせて擦り切ることによって、江戸時代の男性は陰毛を処理していたと聞く。なるほどそれなら処理後の毛の端にエッジがなくなり、ちくちくしないのかもしれない。
【教育芸術における三つの黄金法則】
①子どもの中に姿を現す宇宙的世界に対して「宗教的な感謝の気持ち」を持つこと
②子どもが神聖な謎を提示するものであり、我々はこの謎を自らの教育芸術をもって解かねばならないこと
③愛をもって教育方法を行使すること
思考内容が単なる抽象的な思考内容でしかないのは、自分の精神内容である理想、理念、霊的現実と、他の凡てとの間に、快と苦、個人的な願望を割りこませているからなのです。-魂について-
私もスペイン人僧侶のいでたちで、黒い小さな毛羽立ったフェルト帽にケープをまとい、男臭い身ごなしで太い葉巻をくゆらせながら、小さな都市を歩き廻るのだった。私たち二人の間に挟まれて歩く神学校生の制服を着たシモーヌといえば、これまでにもまして天使に見紛う風情だった。『眼球譚』
[新着記事]大人になっても友人なし、家族とも全く話せない わが子の緘黙(かんもく)症に悩む親の苦しみ - 「引きこもり」するオトナたち bit.ly/17Ofw8f
また義人がその義に背き、不義を行うなら、私は彼の前に躓きを置き、彼は死ぬであろう。あなたが彼を諌めなかったが故に、彼はその罪のために死に、彼の行った義は覚えられることがない。しかし、彼の血を私はあなたの手から求める。『エゼキエル書』3・20より
知覚と思考は、人間の意識全体の基礎です。私たちは思考で持って思考の後ろに達することはできず、知覚で持って知覚の後ろに達することはできないのです。私たちがそこで見出すものは、どこまでいってもまた、知覚でしかないのです。 『エンデの文明砂漠』
古典古代の人々は、古代道徳の矛盾点だと思われるものにすぐ躓いてしまった。即ち、一方における生存様式の執拗な欲求と、その様式を万人に共通のものにしようという他方における努力との間の矛盾に。[…]私には、古代ギリシャ・ローマ全体が「深い誤謬」であったという気がする。-道徳への回帰-
〈投影〉は厳密に言えば、決して作為的に行われるものではなく自ずから生じるもの、知らず知らずの間に起こっているものである。曖昧にして未知なる何らかの外的なもののうちに、それと気づかないまま自分自身の内面もしくは心を見出す、これが〈投影〉である。-心理学と錬金術-
ある民族の憲法とはその個的な特性がはっきりと法の形に規定されたものにほかならない。ある民族の特定の活動の取るべき方向を示そうとする者はこの民族に外側から何かを押し付けてはならない。むしろ民族の特性の内に無意識に潜んでいるものをただ単に表明するべきだ。-ゲーテ的世界観の認識論要綱-
私は「元気という病気です」とよく言います。ある講演会の司会者が、「瀬戸内さんの元気という病気が、ますます重症になるようにお祈りします」と挨拶して、会場が爆笑の渦となりました。
精神的なものはすべて人間が作り出さなければ、創造的に作り出さなければ存在しません。ですが、存在するようになれば、それは実在するものとなるのです。それは、生成する理念と言えましょう。真実もまた、生成する理念であり、「存在するもの」ではありません。 『エンデの文明砂漠』
適度に家にいて、適度に家から居なくなること。だんだんとそういうコツをマスターできてきた。配偶者を怒らせない程度に、だ。これが老後を生き延びるコツですな。コツ。コツコツと生きていきまひょう!
昨日の婚外子相続差別違憲判決の全文courts.go.jp/hanrei/pdf/201… は、なぜ最高裁が今まで「違憲」判断を渋っていたかを、実によく示す文書になっている。特に、「遡及効」をめぐる議論がそう。
明日は大学に行く。お友達、クラスメイトたちと(どーも感触が違うなぁ・・)読書会だそうだ。オレのようなじじいでも参加してもいいよんと云われたので、喜んでいくのだ。隅っこで黙ってろ!って云われそうだが。
相手していただけるだけで、しあわせですよーん。しかし、オレもまぁ遠慮というのをまったく知らない男だなぁと反省するねぇ。あふぉーなだけだけど。
明後日、明海大学を会場にして、日本安全教育学会が開催されるのだけど、明日学校行っていていいのかね?と云われた。いいんだいいんだ。準備は万端整ったから。それに今更緊張しても似合わないから。
昨日の中国語講座で講師をやってくれたご学友のM氏、67歳。61歳から中国語を始めたそうだ。ある意味生涯学習の極地だよ。完全に趣味でやっているのだ。奥様と中国に遊びにいくのが楽しみだそうな。