電車の中で実に面白い体験をした
昨日だった。 電車で通学しているのだが、このあたりではちょう~進学校のあるN駅で乗り換えて一番前の車両に乗ったのである。帰りであった。ボックス席であった。黒いリクルートスーツ...
電車の中で実に面白い体験をした
昨日だった。 電車で通学しているのだが、このあたりではちょう~進学校のあるN駅で乗り換えて一番前の車両に乗ったのである。帰りであった。ボックス席であった。黒いリクルートスーツ...
心地よい疲れ
疲れている。ある理由によって。ま、それもこれもある意味人助けであるから、気にならない。オレは他人に親切にすることで、あるいは、他人が喜ぶことによって、オレも楽しくなる。それでいいのだ。それで。笑顔に救われるからだ。人間関係は笑顔が一番である。笑顔は相互扶助であるから。
昨日の塾では、ある高校3年生の男子に、大学入試論文の特訓をしていた。通常の授業が終わってからだ。したがってサービス残業である。だって、オレを待っていてくれたのだ。これだと、老骨にムチ打ちながらでもやるしかない。詳しいことは書けないが、こういうのも楽しいもんである。
帰ってきて、風呂から出たら、今日になっていた。真夜中を回っていたのである。
心地よい疲れである。まさか、こんな老後が待っていようとは思ってもみなかった。管理職業務を16年もやらせていただいて、それはそれで楽しかった。いろいろ斬新な企画も立ち上げて、最後に勤務した学校を人気校にした。この不景気に、何億円もかけて新校舎を建てていただいている。その筋道をつけておさらばしたのである。もう、二度と会わない人も出てくるだろう。それでいいのである。それが去る者に課せられた宿命である。だから勉強を一緒にやるといことが楽しいのであろう。これは、亡母もそうだったが、と~ま君一族に流れている遺伝子である。教員が多いからだ。故郷の山形県の話だが。
最近体験したのであるが、世の中には自分を売り込もうとして、ガーガーしゃべりまくる人が実に多い。それはそれで結構である。別に、やりたけりゃやればいいだけだ。でも、ちょっとしゃべりすぎて、墓穴を掘る人も多い。学問的な話をするときは、注意した方がよろしい。根拠が明確でないのにも関わらず、知ったかぶりをしていると、それこそ「穴」がバレル。概論的なことしかやっていないのに、もし本当に知っている方が目の前に出てきたら、黙ることである。オレなんか、すっ飛んで逃げる。わははははははと笑いながらである。背中に「ごめんよ~」とか書いたTシャツを着て。
オレの場合は、雑宗的に宗教を勉強しているから怖いのである。熱烈な信者から見たら、インチキそのものである。許せない存在である。文献からいろいろやっているだけで、実際の修行はしていないからである。これは誰だって許せないだろうと思う。だから、オレは少なくとも信仰問題に関しては、黙るのである。当たり前である。信じていないからである。信仰に関しては専門家である熱烈な信者からは、うとましい存在でしかない。
だから、オレはおとなしく生きているしかないのだ。
なにをやっても素人だからだ。
無口になったのもこれが原因だな。これが。
さ、今日も明日も居住地の図書館で駄文を書く。それが唯一の生きがいである。
許されよ。
もう引退したのだから。
(^_-)-☆
如何なる賭けへの投入も、如何なる供犠も、肉欲の過剰と同じように、力(force)の消失であり、消費であるのだから、我々は、自分に消費が生じるそのたびごとに、空約束であろうとなかろうと、利得の約束によって、この消費を理由付けせざるを得ないのである。『ニーチェについて 好運への意志』
バスチアンは実にたくさんの失敗をする。厳密に言えば、ほとんど失敗だらけなわけだ。けれどもまさにそのお陰で、バスチアンはおしまいには、ちゃんとやれるようになった。このモチーフは新しくもなければ、僕の独創でもない。それはね、なかでもE・T・A・ホフマンの「黄金の壺」のモチーフなんだ。
舞楽には疎いのですが、何のお装束でしょう? RT @mme_hardy000 巫女ちゃん可愛いかったです? pic.twitter.com/0RJK7UKXpL
ただし、呑めなくても、対話くらいはできた方がよろしいようである。酒席でひたすら黙っていて、誰ともクチをきかず、一人の世界に没頭する方もたまにおられる。それはそれでうらやましい。そういう方に憧れ... goo.gl/XGcjCS
神護寺薬師如来立像:神護寺は、孝謙天皇の寵愛を受けた道鏡の即位を阻止した和気清麻呂が建立した寺。この如来像は道鏡を封じ込めた仏像とされ、不均衡な顔立ちが怪僧のもがき苦しむ姿を表すという説がある。twitpic.com/9cgps1
人間は、みずからそう考えるところのものであるのみならず、みずから望むところのものであり、実存してのちにみずから考えるところのもの、実存への飛躍ののちにみずから望むところのもの、であるにすぎない。人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない。-実存主義はヒューマニズムである
【イベント】明後日です!29歳で夭折した童話作家、新美南吉の世界を民俗学の観点から読み解く『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか』刊行記念対談 ? 9/12(木)畑中章宏(作家・編集者)×佐藤直樹(ASYLアートディレクター) pic.twitter.com/jmt0sLGgkN
聖トマスにおけるアリストテレス哲学の主知主義の学徒たちは皆、何か彼らが授けられてきておらずそれについて実際には何も知らないようなものを、論理のトリックによって強いて顕わにしようと望んでいる。彼らは自らに信仰を証明したいと望んでいる。しかしそれは、現実には経験の問題なのだ。-自伝-
人間は万能の神でも仏でもないのですから、人を完全に理解することもできないし、良かれと思ったことで人を傷つけることもあります。そういう繰り返しの中で、人は何かに許されて生きているのです。