「教わりたくない症候群」と「教えたがり症候群」とどっちが優勢なんだろうかね~
「教わりたくない症候群」というのが、確かにある。塾で中高生を教えていると、個性というか、生徒それぞれというか、まったく教わる方にいろいろなスタンスがある。それがまったく面白くてならない。
ノートの取り方も千差万別である。
でも、基本的には、放っておく。彼ら彼女らのやりたい方法が一番であるからだ。ただし、私のノートは実物を見せてなんらかの参考にはしてもらう。押しつけはしない。押しつけだけはしないが、あまりにもヒドイ場合は、指導する。英単語が、一文の中で一度も区切れることなく連続で書かれているノートも散見されることが、二度ほどあったからである。中学一年生にいたのだった。そういうのは、はっきり言ってあげないと一生それでいいとなってはかわいそうである。
ま、これくらいにしよう。
それにつけても楽しいもんである。生徒とのふれあいがである。ふれあいがあるからできるようなもんであって、これが教えるmachineであったらやってられない。マジに。
昨日だったか、未来的に無くならないJobというのがマスコミに出ていたが、医師や教師は無くならないそうだ。さもありなん。学問や知識だけではないもの、人格的なものが両者とも要求されるJobである。医師の方は、患者を診ないでコンピュータばかり見ている医師もたまにいるが、あれだけ忙しいとそうなるだろうと、私は同情しているくらいだ。
教師はそうではない。コンピュータを見ていては教育にならない。相手をよく見ていないとできない仕事である。それにいろいろな知識が要求される。カウンセリングや、教育技法、あるいは精神疾患、さらに教育法規や教育技術も要求される。なかなかのJobである。
さらに、部活動指導も要求される。これだけは、私は疑問に思っている。欧米諸国では、完全に社会体育の分野であるのに、日本だけが学校教育におんぶにだっこである。オリンピックもあるというのに、旧態依然でいいのだろうか。
柔道指導の分野でやってきたから言っているのである。社会体育である。むろん高校の柔道部顧問としてもやってきたから疑問に思っているのである。柔道四段程度では、とても専門家とは言えないが、それでも柔道に関しては素人が指導するのはいかがなものかと思っているからである。
逆に「教えたがり症候群」というのも世の中にはいて、だからこそ人間というのは面白いと思うのである。
素人なのに、その素人という自分の立ち位置をわきまえないで、教えたがる輩である。
たくさんいる。そういうのが。先日、ロータリークラブ会員様が、私のバイト先同僚のことをさも知ったようなクチをきいて、専門分野まで言及したのもそう。知らないのだったら、知らないと言えばいいのに、私の薄汚い格好を見て私にバイト先同僚の専門領域を教えてくださったというわけである。
ゴルフもそうだろう。ちょっとかじっただけで、「教えたがり症候群」になっちまう方々がゴマンといる。
なんでもそうだ。
民俗学なんか、その「教えたがり症候群」を実に上手に応用させてもらっているようなもんである。民話や、昔話なんかを教えてもらわないと出来ない世界である。
こっちが、エラそうに、村落のお年寄りに指導していたんじゃダレもクチをきいてくれない。
胸襟を開くというが、まさに謙遜のこころである。まちがっても、胸筋をひけらかして胸の筋肉をピクピク動かして喜んでいたりしてはならんのだ。
民俗学者の宮本常一先生は、125ccのバイクでそういう取材旅行をなんどもやられた。さらにあの明るさである。なんとも笑顔が素敵な学者らしからぬ学者であった。あまりにも素敵なセンセであるから、瀬戸内海に浮かぶ先生の故郷まで行ってしまった。周防大島という島である。
さらに、先生は大阪の天王寺師範学校卒である。そして博士号も取得された。それが私の学部時代の母校から取得されたのである。むろん課程博士ではない。論文博士である。ご縁を感じるのである。
私?
ご縁を感じても、学位はとてもじゃないが取れない。だいいち著作物がないではないか。こっちには。ゴミ論文ならたくさんあるが。ちょっとばかり、いろいろな雑誌・研究誌に書いてみたこともあったが。
そんなんじゃぁ、ともてじゃないが学位は取得できない。さらに、学会交遊術もない。恩師と呼べる方もいない。ご縁がなかったからである。
それでいいのだ。
そもそも相手にしていただけなかったからだ。
だから、一人でブツブツとつぶやいているしかないのである。ゴミ論文を書きながら。あるいは、人気のない拙ブログでもって「惚け防止」のためにつぶやいているしかないのである。
ある意味、自己満足しているけどね。
仕方ない。それしかやることないのだから。
塾だって、気晴らしに行っているようなものだし。そんなに自慢できるような話でもない。自慢なんかしたって、ダレも相手にしてくれないのだから、しょうがないということである。
さ、これから県立図書館に行ってくる。
Walkingを兼ねてである。Pomeraを持って原稿を書いてくる。
じゃぁ~ねぇ~!
ヾ(@⌒―⌒@)ノ