平成27年12月16日(水) 13:43
やっと回線復帰。
こんなこともあるんですなぁ~。
(*_*) マイッタね。
平成27年12月16日(水) 13:43
やっと回線復帰。
こんなこともあるんですなぁ~。
(*_*) マイッタね。
ダメだと思わないことこそ、もっとも重要ですなぁ~
どんな状況が訪れても、「もうダメだ」とは思わないで「やるだけのことはやりましょう」というのが、私の主義である。マジにそうである。
確かに、大学院を3年目で中退したのは、私にとって重大な人生の「チョイス」であった。だから、一年かけて自分自身を説得していたという方が当たっていた。
だから、「もうダメだ」「ダメ、ダメ、ああああああああダメジジイ」であるといじけていたのでのはない。
結果としての○か×かということに一喜一憂して「どうしてこんなことになったのか?」とつぶやいて誰かを責めていたのでもない。当たりめぇである。そんな二者択一的な「チョイス」をしていたら、人生いくら生きても数が足りなくなる。
そんな無駄なことはしないことである。
そもそも○か×かという人生なんぞないではないか。誰かのせいにしているなんてぇことは、受動的であり、依存的な生き方でしかない。
生涯学習だって、○か×かと言ったら、まったく無関係である。○も×も存在しない世界である。自分がやりたいからやっているというだけである。誰かに認めてもらいたいとか、成果をあげたいという視点にそもそもないからである。
そこのところを勘違いしていると、やるだけのことはやってみるという地道な努力を放棄してしまうことになりかねない。
やるだけのことはやってみるというのだったら、たとえ失敗しても納得できる。自分へのチャレンジであるからだ。
つまり、「起こった事態を自分で引き受ける」ということである。
苦しくても、つらくても、ひっぱたかれても、突き放されても自分自身でそれをいったんは引き受けて「試練」だと思うことである。逆境であってもいいじゃぁないか。自分自身の成長のために欠かせないことであったのであるから。
私は、学部時代に新聞配達をしていた。いわゆる苦学をしたが、あれもまたそれしか選択肢がなかったのであって、逆境を自分で引き受けていったんは納得して真心を込めて丁寧に新聞配達もしたし、在籍していた大学にもまじめに一生懸命通った。だから、道が開けた。あの学部時代の4年間がなかったら、その後国語国文学で定年退職まで喰っていくことはできなかった。
かえって逆境に感謝しているのである。
東北の田舎で育って、田舎の名門進学校を出て、なんだかいっぱしのインテリのような勘違いをしていた。もしかしたら、オノレは俊秀なのかもしれないと思っていた。うぬぼれである。自称俊秀なのである。他称ではない。
そういう実にくだらないうぬぼれに鉄槌を下してくださったのが「苦学体験」であったのだ。きつかったけど、世間学校から教えていただいたことは山ほどあるからだ。新聞の集金にうかがっても、単なるご用聞きと一緒で当然裏口から顔を出すしかないし、「ごめんください」なんて入っていったら叱られたっけ。ご用聞きは「こんちわ~って言って、入ってこい!」ってねぇ。
日本経済新聞だから、東京の下町葛飾区といえども、金持ちが多く豪邸もずいぶんあったからである。あれでもって吹っ切れたね。身分制度はまだあるんだとしみじみ思ったし、所詮貧乏な苦学生である。
いじけていたって誰も同情なんかしてくれないし、自分で自分の人生を切り開いていくしかない。学費と生活費は日本経済新聞が出してくれたから、考えてみればこんなにありがたいシステムはなかった。
なによりも「自分は、どうあらんとするか?」であったのだと思う。あるいは「自分はどう生きていきたいのか?」ということであったのだ。またまたあるいは「自分はなにを願っているのか?」ということの確認であったのだ。そういうものが根底にあるから、願いや目的を果たす道を自問自答しながら、これまで走ってきたにすぎない。
今よりも一歩だけ、一呼吸だけ前に進むことを信条として歩いてきただけである。
「自己ベスト」を生きてきただけである。そういう意味ではブレなかった。中心にあったのがそれであった。だから、悪ふざけのようなバカブログを書いているんだけれども、これはこれで「惚け防止」のためという私のねらい通りに機能している。
もっとも、一昨日からAUが故障しているんで、こうやってポメラで書いているけど。
記事がアップされていないから、と~まの奴、どうにかなっちまったのかと思ってくださる奇特な方もおられるかもしれないが。(そんな人はいねぇか・・)
しかし、あれですねぇ~。
インターネットのない世界というのもまたいいもんですな。
故障すると、とたんに世間から隔絶されてしまって、これもまた静かで実に快適であります。
さ、これにて退散します。
今日は老人大学登校日。
楽しみ、楽しみ。
Bye-bye
平成27年12月15日(火)
こんな楽しい老後を送ることができるのも、「つきあい」というか「社交性」というか、そういうものを大切にしてきたおかげである。
生涯学習をやってきて、いつも思うことがある。
それは、私には落ち込みというのがないということである。なにもそれは私がいつも成功体験しかしていないというのではない。
つまり、暗さがないということなのだ。
そりゃハタから見たら、失敗続きの連続人生である。他人に自慢するようなこともまったくない。むしろ軽蔑され、バカにされ、石もて追われるようにして生きてきた。ま、それでも石を持って追ってくる人々には、おめえぇだって、人のこたぁイエネェだろう?と後ろ向きながら毒舌を吐いてきたつもりだけど。
わははははっはははっはは
なにを言いたいかというと、私には双極性なんとかというところの、うつ状態がないということである。むしろそのハンタイの躁状態を心配していたくらいである。なにしろバカバカしいくらいにネアカなんである。まったくどうしようもないくらいに、明るく、太陽の方ばかりを見ている。しかも、ジジイになってからは、髪の毛もなくなって、後光がさしているのである。
苦悩とか悩みとかまったく無縁である。たいしたもんである。自画自賛である。
これもまた、こういうバカバカしいくらいに、育ててくれた亡父・亡母のおかげであると思っているくらいである。
しかし、ここまで生きてきた年月をつらつら考えてみて、どうもこれが私の特性らしい。特性らしいというのはまだまだオノレ自身のことがよくわかっていないからで。
しかし、これだけ無駄に明るいとなると、ちょっと困ったことがあった。たくさんあった。それは、シリアスな女性がまったくクチをきいてくれないということである。ましてや、超高層ホテルのラウンジですてきな洋酒でも飲みながら恋を語るなんてこたぁ、まったく経験できなかったのだよ~ん。
そもそも漫談的な人生だったからなぁ。
反省しちょりますよ。
もっともっとクラーイ顔して、シリアスな話題でもなんでもうんとしゃべれれば良かったんだろうけど。
だから、私は落ち込んでいる青少年には、力になるらしい。
それはね、こういうことである。
現状というのは、普通原因が過去にあって、現在の不幸は過去に原因があるという思考だと思うのだが、私は違っているからである。
「原因は現在において作ればいいだけで、未来は現在をどう工夫するかによって、大いに変更可能だ」と思っているからである。
なんだそんな簡単なことか?と言われるかもしれない。
そうなのである。
簡単なことである。
だって、私だってできることだからである。
現在に原因があるのだったら、「今」を大切にして生きていくことである。本当にそう思っている。
20:13である。12月14日(月)である。
まだAUがつながらないから、ポメラで打っている。
画面がちっこいのでこれくらいにします。
明日は、老人大学である。
またまた楽しみである。
生活圏にいるお友達と一緒にだべってくるからだ。そもそも正式な大学とか学校ではないし、気楽なもんである。
そう、老人クラブと一緒だ。
仲良く一緒に生きていけばいいだけだから。
今日は、40年近くつきあっていただいてきた私の就職直後の大先輩たちと一緒に昼飯を喰っていた。3時間かけて。年齢は、上から86歳、85歳、84歳、70歳である。ありがたいもんである。
こんな楽しい老後を送ることができるのも、「つきあい」というか「社交性」というか、そういうものを大切にしてきたおかげである。
感謝、感謝!
Bye-bye
平成27年12月14日(月)
AU回線故障!
平成27年12月14日(月)、AU光にトラブル発生して、インターネットならびに電話が使えない。よって、一日さみしい思いをしておりました。
こういう時にスマホがあるといいんですなぁ・・・・トホホ。
明日か明後日つながります。