周囲の方々全員が、「惚け防止のため」ということを指導してくる。ありがたい、ああああああ、ありがたい・・・・トホホ
昨日の老人大学で、ある大先輩が私のところに近寄ってきてこう言われた。ちなみに女性である。70代。
「ねぇねぇ、と~ま君」
「はい?」
「今度、友人の米寿のお祝いがあるんだけど、その会場に垂れ幕を下げるのよ」
「あああああ、そりゃおめでとうございます」
「その垂れ幕にね、なんと書いたらいいの?」
「はい?」
・・・・・・・・・・・・なんでオイラがと思った。
「国語の専門家でしょ?」
「え?」
ウソ・・・・・・!
なんでバレてるのということである。誰にも前歴のことは言ったことがないのに。職業だけは、生涯学習ごっこには不要であるというのは今でもそう思っているので。どうしてもと聞かれたら、こう言っていた。
「今年の3月まで、***大学の現役の大学生だったんですよん。学業劣等で放り出されたけど・・・・わははははっははは」って。
聞いた方々は、たいていの方々が呆れていた。だから、おかしくてならなかった。自分がである。バカなジジイの大失敗談である。落語よりもみっともない。
大失敗談は、現実なんだからそれでいいし、それだけしか言っていないんで。そしたら、バレバレであったのだ。しかも、老人大学の事務室まで知っていたのだった。
閉じた戸板は開けられるんじゃなぁとしみじみ思った。もっともあれか。私の本名でGoogleで検索するといろいろ出てくるからなぁ。隠れようもないか。バイト先の大学のシラバスまで出てくるから、もうどうしようもない。
テオクレである。
ブログもやってしまったからこちらもテオクレ。
郷土史の先生方にもテオクレって言われたことがあったし。
今更、隠れてもしょうがない。だいいち、テカテカのアタマである。隠れたって、アタマの上の方が光っている。後光がさしている。わらっちまうけど。
それでも、私はお隠れになる。
言いたく無いからである。定年前になにをしていたって、そんなの関係ないでしょっていうわけである。定年前のことも「~~~~~ごっこ」でしかなかったから。
全部「ごっこ」である。遊戯。他人に威張って言うほどのこともない。バカバカしい。
自慢しているバカほど滑稽なものはないからだ。バカ丸出し。職業に誇りを持つのはおおいにけっこうであるが、それを他人に押しつけてはアカン。そんなの誰でも同じ価値観を共有するわけはないではないか。
論文書いても誰も読んでくれないのと一緒である。寄贈しても、誰も読まない。ゴミ箱にポ~ンと捨てられておしまいである。
そんな無駄なことをしても、なんの意味もない。今年書かせていただいた論文(「房総の郷土史掲載」)は、お世話になった退学した大学院の教授先生たちには、郵送で大学宛に送った。ご自宅は知らないので。それだけである。それだけ。ご縁がなかったのである。それだけは厳しく受け止めなくてはならない。自分がである。
ついていけなかったのであるから。自己責任でアル。まさに。
それにしても、「惚け防止」のためという大義名分は実にいい。
昨日も、隣の奥様と私の古女房ドノが話していた。老人大学に登校する寸前に来られたから、三人で世間話をしていた。そして、時間になったので、「これから老人大学に行きますので」と私が申し上げた。
「惚け防止のためなんですよ」と、こっちは古女房ドノ。
まったく、夫婦共々まったく同じ考えでいるから、おかしくなった。
呵々大笑である。
世の中、「惚け防止のため」というのは、どこでも通用するようである。
冒頭に登場してきた老人大学の先輩は、入学した当初、私に「と~ま君、コンピュータでもやりなさいよ」と言われていた。
私は、「できませんよ~、やったことないし」と申し上げた。
そしたら、「惚け防止のためにいいよ~」とのたもうた。
ありがたいこと限りなし。
周囲の方々全員が、「惚け防止のため」ということを私に指導されている。
ありがたい、ああああああ、ありがたい。
もう惚けているのに・・・・・・・トホホ。
(^_^)ノ””””